日刊スポーツ2009年1月8日、9日、10日朝刊より
前日本代表監督のイピチャ・オシム氏(67)は今月4日、8年間の日本滞在を終え、自宅のあるオーストリア
に帰った。日本サッカーを誰よりも真摯(しんし)に見つめた名将には、サッカーにかかわる人すべてに伝
えたいメッセージが残っていた。帰国直前の昨年末に行った単独インタビューを、今日から3日間連載します。
一回目のテーマは「欧州からの学び方」。
#クラブ杯
世界のサッカーを知るオシム氏は、日本サッカーの発展Qために、欧州のノウハウから学ぷ点は多いと言
い続けてきた。昨年12月のクラブW杯も、オシム氏の目には、貴重な学びの機会と映っていた。
オシム氏 学ぷ点は多い。1つ例をあげればGK。レベルが違った。専門家じゃなくても分かりやすい例を
あげれば、GKファンデルサールがどういうプレーをしたか、です。子供でも分かるすばらしいプレーを
していた。
挙がった名前はC・ロナウドでも、ルーニーでもなかった。日本に何が足りないのかを熟知する、オシム
氏ならではの見方だった。
オシム氏 とにかく日本にとって、一番参考になるのはファンデルサール。足元の技術が高い。速くまで
見通す、視野の広さがある。
つまり守備だけのGKじゃないということ。彼がボールを待った瞬間、チームのプレースピードが上がる。
彼はプレーメーカー、後方の司令塔。サッカーを熟知し、右足でも左足でも正確にキックができる。つまり
マンUは、実はフィールド選手が相手より1人多い状態でプレーしている。
ではどうしたら、日本でファンデルサールのようなGKを育てることができるのだろうか?
オシム氏 彼に感心するだけではいけない。せっかくクラブW杯を開催したのだから、ファンデルサール
がどんな練習をするのか、日本中のOKやGKコーチが見る機会をつくらないと。川島(川崎F)は日本
では足元の技術は高い方だが、彼とファンデルサールがどう違うのかを見れば、サッカー界にも川島本人に
とっても、参考になる。
自らも練習にこだわり続けた、名将らしい見地。GKに限らず、マンチェスタIUの練習には学ぷペき点が多
いと強調する。
オシム氏 マンUの練習を見にいった人から彼らの練習内容を聞きました。確かにいい練習をしているが、
まねできないような特別な練習をしているわけではない。マンUのようなプレーをするには、どういう
練習をすべきか、意識しながら見ることが大事。彼らはスーパーマンでも、キングコングでもない。誰々の
給料は週に何ポンド、などという記事を読むと、決して追いつけないように思えます。しかしそういう金額の
話ではなく、どういう練習をすればそうなるのかという見方をすることが大事。
崇拝の対象になっている聖人画も、壁に飾っているだけじゃなく、時々は外してほこりをはらったり、斜め
にかけてみたりする必要がある。彼がスーパーマンであるかのような記事を書いているうちは、日本のマス
コミもまだまだ。客観的に「どの点が、なぜすぐれているのか」と分析をしないと。
チームと監督の関係についても、よく見つめるペきだとオシム氏は続ける。
オシム氏 C・ロナウド1人でプレーしているわけではない。彼とどの選手を組み合わせているのか。つまり、
彼のためにプレーをしている選挙が何人いるのか。彼がどのように生かされているのか。そこに、監督の思想
というのが、如実に表れている。どう考えてC・ロナウドを使っているのかを考えれば、ファーガソンがただ
ものではないと分かるはず。さらに彼は選手を使いながら、白分の考えを注入できる。サッカーの講をしてい
るだけでは伝わらないから、人生の訪あしていることでしょう。そうした依り組みがあって、C・ロナウドが
生まれた。
#己しっかり
一方でオシム氏は、謙虚になりすぎて、己を見失ってもいけないと諭す。
オシム氏 これを読んでいる選手の中で、オレのほうがC・ロナウドより優れていると思う日本人選手がいたら、
謝ります。いずれにしても参考にするのはいいが、コピーになってもいけない。G大阪のMFも、1人1人が他と
は適うタイプの選手。気にする必要はない。遠藤などは、もう少しでマンUの側に立つてプレーできる選手。ス
コールズやフレッチャー、キャリックと比べても、サッカーの技術、感覚、センスにおいて、少しも引けをとっ
ていない。これは自信になるし、他の人を勇気付けることにもなる。ただ、今のままでいいとは思いません。も
う少し、何か改善すべきところはある。日本人とマンUを比べて、ダメな点だけを挙げるのは簡単です。どうや
ったら、近づけるのかを考えることが大事。
#距離1時間
だが欧州を参考にするのにも、比較するのにも、地球半周という距離の障壁がある。こう問うと、オシム氏は一笑に付した。
オシム氏 何か問題でも? 毎週欧州に行けというなら、話は別ですけど。しかし現代の世の中では、乗り越え
られない距離ではない。たとえばロシアには、いいリーグがあります。日本から1時間の距離には、ウラジオス
トクがありますよ。そこにはロシアリーグの1部クラブがある。数年したら、ロシアリーグは5大リーグに匹敵
する実力を持つことになる。今から観察を続けたら、非常に面白いことになるかもしれませんよ。どういうプロセスで、
レベルが上がっていくのか。どうしたらチームが強くなるのか。たしかに1部のクラブにはお金があって、有力
な外国人を連れてくることはできる。それはすでに分かっています。その上でいい監督を連れてきて、チーム
に秩序をもたらして…。日本からすぐ近くにある欧州に、そういうのを見に行くことはいいことだと思いますよ。
近場に欧州があるじゃないかーー。
名将ならではのヒントは、日本サッカー界にとって参考にする価値がありそうだ。オシム氏は一回目の"講義"を、
らしい言葉で締めくくった。
オシム氏 日本は世界に誇れる分野がある。たとえば自動車産業。世界中から視察に来て、参考にしています。
では他の分野ではどうなのか。ある程度のイミテーションは、最初は必要かもしれません。でもイミテーション
で終わっている間は、それは本物ではない。人間とカエルが徒競走をした。遅いカエルの方が、ハンディで先に
スタートする。でも人間も、カエルが今立っているところを目標にしていたら、そこに番いた時に、すでにカエ
ルも先に行っている。イミテーションだけでは、目模にずっと追いつけないのです。
(取材・構成=塩畑大輔)
前日本代寮監督のイピチャトオシム氏(67)は今月4日、6年間の日本滞在を終え、
オーストリアの自宅に戻ったぜッカーバブル崩壊の可能性について警鐘を鳴らしていた。
単独インタビュー2回目は、世界的な金融危機も踏まえ、オシム氏が慧仰のクラブ経営
スタイルを語ります。
#責任
世界は金融危機を発端にした不況にあえいでいる。オシム氏に、この状況はどう映っているのか。
オシム氏 もちろんサッカー界にも影響すると思いますよ。ここ数年サッカーには、スポンサー
から多くのお金が流れ込んでいるので、影響は少なくない。
日本でもセルティツクMF中村の横浜復帰が、親会社日産自動車の業績不振のため白紙になった。
サッカー界は、歩むべき道を考え直すペきなのか。
オシム氏 金融危機であろうが何だろうが、いつも自分の道を進むことを考えなければなりません。
経済がどうであれ、少ない投資で、大きな効果を得るが一番いい。それはサッカーだけでははくて、
人生すべてにおいて、そうかもしれません。日本もさまざまな分野で、そういう方針でやってきたはず。
自分のもっている戦力で、自分のやり方で、自給してなんとかやっていくのが、一番コストがかからない。
オシム氏が各回リーグや代表で旋風を起こしてきた手法に、不況の時代を乗り切るヒントがあるという。
その手法にこそ、欧州のサッカーバブルヘの反論の意が込められていた。
オシム氏 欧州のやり方は、日本には参考にならない。お金がかかりすぎる。庶民の感覚とかけ離れている。
人々は毎日大変な労働をして、わずかなお金
を稼いでいる。それに比べ、欧州の選手をめぐって動<お金はあまりにも巨額。日本にふさわしいやり方を
考えるぺきです。「チップの分だけ音楽をひいてもらう」というボスニアのことわざがある。つまり、お金
を出した分だけ、見返りを求めろということです。
金融危機とサッカーバブルの構図に、共通点を見いだしている。
オシム氏 金融危機の原因が、サッカー界にあるとは思えません。しかし、世界のサッカー界のあり方は、
昨今の金融危機を象徴しています。つまり、あまりにも巨額のお金を持っている人が、不注意で、無責任な
行動でお金を無駄にしてしまう。そんな例がいたるところにある.せめてサッカー界では、それを浄化しな
ければならない。昔、アヒルのアニメを見ました。主人公のアヒルのおじざんが、大金持ちで、家のプール
に金貨を張ってその中を泳ごうとして、重みでつぶれてしまった。慣れないものは危険です。特にお金は危険
だということです。
#警鐘
バブルは不条理も生む。募る危機感に、言葉はさらに熱を帯びる。
オシム氏 サポーターはさほど多くもない給料の中から、チケットを撃つだけ
でなく、遠征の際には旅費も払う。今は観客の方が、選手より貧しい。昔は逆
でした。選手の方がハングリーで、それをサポートする人々がお金を持ってい
た。逆転現象ですね。プレミアリーグでは、チケットの値段が高ずぎて、ファ
ンが買えない事態もある。選手の値段が上がっているので、入場料を上げなけ
ればならない。それほど高価な選手には見ぇないのですがね。今はとても不条
理な状況になっている。選手の給料から予算を立てて運営をすると、サポータ
ーはチケットを買えない。これではやがて、チームも給料を払いきれなくなる。
投資過多のサッカー界はバブル崩壊寸前だと、オシム氏は驚鐘を鳴らす。
オシム氏 お金がたくさん投資されれば、選手の責務感が増して、プレッ
シャーが高まる。監督もフロントも、サポーターにいい試合を見せないとい
けない、というプレッシャーとストレスを感じることになる。私のように、
倒れて病気になってしまうものもいるかもしれない。そういう中で、いいサ
ッカーができるかは疑問。監督や選手たちが急げないように、リスクを冒さ
ないプレーをするのは、サッカーにとって進歩ではない。チェルシーやマンU、
ACミラン、インテル…。選手の合計年俸が高いところほど、慎重なサッカー
をする。システムも戦術も似ているパい試合になることもあるけど、多くの試
合は堅実過ぎて面白くない。スタジアムは満員かもしれないけど、お客さん全
員が、次のプレーが想像できてしまうようなゲーム展開に終始するー それじ
ゃ面白くないでしょう?そういう面白くないものは、見に来なくなる。誰が最
後に死ぬかをあらかじめ知らざれてから、西部劇を見に行く人はいません。
最後にオシム氏は、日本サッカー界に助言する。
オシム氏 私のような頑固者は、サッカーの進歩に反対しているように聞
こえるかもしれませんが、そうではありません。どう解釈されてもいいので
すが。日本では幸い、そこまではいっていない。欧州のいい部分は学んでも、
そういう部分は絶対に学んではいけない、と申し上げたい。
(取材・構成=塩畑大輔)
前日本代蓑監督のイピチャ・オシム氏(67)は今月4日、6年
間の日本滞在を終え、オーストリアの自宅に戻った。離日直前に、
今日10日に09年始動を迎える日本代表に、エールの言葉を残し
ていた。単独インタビュー最終回は、W杯本大会での躍進を目指す
日本へ向けた提言です。
#信じること
オシム氏は来日以来6年間見つめ続けてきた。その上で、
世界と互角に戦える可能性を、強く感じている。
オシム氏 日本がW杯で、サプライズ州を起こせないと考えるなら、
代表監督を引き受けなかった。自分に確借がなければ、選手に自信
を植え付けられない。
チームの力を信じること。これが代表強化の大前提だと言い切る。
オシム氏 03年に市原(現千葉)に来た時もそうでした。私は優勝
できるという確信があったのに、周りの人たちは信じなかった。だ
から最初のシーズンで、優勝しそこねた。今でも覚えています。第2
ステージ序盤、チームは3連勝で首位に立っていた。しかし、次の
ホームでの鹿島戦、クラブは市原臨海競技場ではなく、なぜか国立競
技場で試合を行った。
当時、国立で年に1度、古河電工幹部の「御前試合」を行うの
が通例だった。加えて、動員力のある鹿島相手なら収容数5万の
国立の方が、1万5000人の市原臨海より実入りが多いとの思惑が
あった。
オシム氏 結果、相手のサポーターの方が多かった。臨海なら勝
つ可能性は高かった。我々にとっても厄介な強風が吹く会場です。
相手にとっては、もっと厄介。つまり慣れている分、私たちが優
位だった。
実際、その後05年8月まで2年以上、市原臨海での不敗記録は続いた。
オシム氏 結果的に第2ステージは首位と同勝ち点の2位。鹿島に
勝っていたら、勝ち点3差で優勝のはずだった。信じると口では言
っていた方たちが、私や選手たちの潜在能力を信じていなかった。
自分たちの力を信じることの大事さ。経験豊富なオシム氏も、身
にしみた。
オシム氏 とにかく監督というのは自分を信じ、選手を信じることな
しに、いいサッカーはできない。その時にタイトルを逃した選手たち
は、本当に気の毒。
「世界を驚かす」という目標は今、後任の岡田監督に引き継がれている。
オシム氏 日本が世界を驚かせることができれば、私もうれしい。問題はどう
やって驚かせるか。準備をしっかりする必要があります。特にメンタル面、心の
コントロール。それからフィジカル面での準備。そうすれば、ポジティプなサブ
ライズが可能です。
準備がうまくいった例として、オシム氏は指揮当時の2試合を挙げた。
オシム氏 私が率いた当時の日本代表は、それほど強豪とは言えなかったが、
それでもスイスを倒した。彼らは06年W杯で大会無失点だった。その相手から4
点を挙げた。真っ向勝負の面白い試合でした。それから折年アジア杯のオースト
ラリア戦。体もできていましたが、精神面の準備をしっかりしたつもりです。
#母国8強に
岡田監督の「世界を驚かせよう」という掛け声も、準備の一環だととらえる。 .
オシム氏 岡田さんの言葉は、約束というより、選手やサッカー関係者に向けた
メッセージ。こういうことをやろうという呼びかけなんです。予選は突破してほ
しい。でも南アフリカには、観光旅行でいくわけではない。それならもっと安
いチケットがある。だから今度は予選を突破しても、喜ぶのはほどほどにしまし
ょう。もぢろんW杯予選突破は大事。選手たちにとって、W杯に出るのは†人生
の夢ですから。ただ、それだけではない。予選突破を元手に、W杯本戦でどれだけ
利子を稼ぐか。本番対策は対戦相手が決まってからですが、今からでもできる準
備があるはずです。
オシム氏は母国ユーゴスラビアが崩壊寸前の90年W杯で、代表を率いて8強に
導いた。奇跡とも呼ばれる活躍は、内乱に傷ついた国民を励ました。
オシム氏 そう見てもらってもかまわないが、私は国や政治にかかわりはなく、
自分が呼んだサッカー選手に、いいプレーをさせたかっただけです。サッカーが
いい成績を残したら、国の崩壊を避けられるとか、そういうことは考えませんで
した。もしそうなら、すばらしいことですが。少なくとも私はサッカーに集中し
ていた。国を救うためにサッカーをしたというのは言い過ぎ。その分野はチトー
大統領に任せたい。
ピッチ内の奇跡は、理由があって起こるものだけだと、語気を強める。
オシム氏 奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるの
か、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけでははい。奇跡を金
で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない。たくさん
努力をして、最善の準備を尽くす。それが奇跡が起きる条件。世界的にいえば、
日本人は非常に忍耐強く、準備ができると知られている。ナーバスにならず、こ
つこつと努力を続けて、奇跡を呼び込む才能が、日本人にはある。
同じ奇跡でも、宗教的な奇跡は、理論を超えたものです。私の国にも、聖母マ
リアが現れるという聖地があり、世界中から年間数十万人も巡礼が来る。そうい
うことは、説明がつかないこと。しかしサッカーにおける奇跡は、よく準備をす
ることでしか起きない。よく準備して「日本の奇跡」と世界中の新聞の見出しにな
るようなことを、ぜひW杯でやってもらいたい。
では、自分のサッカー人生の今後については、どう考えているのだろう?
オシム氏 ほぼ人生の目標は、達成してしまいました。もちろん監督業では、
病気のためにやれなかったことも多いのですが、今はまず病気から回復しなけ
ればならない。「ほぼ」と言いましたが、自分のやりたいことが、かなりできた
という意味です。一部の選手とチームが、自分のプレースタイルを、私の望む方向
に変えてくれました。2本の足で日本に来ましたが、つえをついて「3本の足」
で帰ることになるかもしれません(それだけ多く足跡を残したということ)。私
の財産はそのつえです。
#嫌われ役を
日本に残る道はないのか
オシム氏 私がいると、文句ばっかり言うことになりますから。私がいなくても、
はっきりものをいう人がいるでしょう。私ばかりが貧乏くじを引くというのも、勘弁
してほしい。誰かほかの人も、嫌われ役を引き受けてください。
湿っぽさを避けて、からりと笑う。6年間の日本滞在を締めくくる最後の「語録」。
オシム氏 人生にはサッカー以外にも大事なことがあります。人生はゲームで
はないですから。ゲームよりも大事なものが、世の中にはたくさんあります。
(取材・構成=塩畑大輔)
(おわり)
訂正
>>140 >急げないように
負けないように
日本サッカー代表監督オシムが発言したことで有名になった「肉でも魚でもない」という言葉は、ことわざかもしれないが、『精神現象学』の序文にある言葉でもある(平凡社上p90)。
ヘーゲルは「詩でも哲学でもない」という言葉をならべて、どっちつかずという否定的意味をこの言葉に込めている。
オシムは旧ユーゴ出身で、一部ではマルクス(=ヘーゲル左派)主義者だと思われているが、あえて言えば
へーゲリアンなのではないだろうか?これは同じユーゴ出身のへーゲリアン、ジジェクを思い出す。
ユーゴスラビアの自主管理には実はプルードン(*)が援用されたという間接的な証言があるが、一般的に
はマルクスからヘーゲルに遡行することでソ連主導のマルクス主義による息苦しさを免れた部分があるかも
しれない。
ヘーゲルにはもちろん後年の国家主義への傾斜など欺瞞的な部分もあるが、解釈によっては自由な読みが可
能なのだ。
*ちなみに、サッカーにプルードンの相互主義を援用するなら、味方同士の一対一のコンビネーションを組
み合わせていくことによる、個人と集団という二元論の回避ということになると思う。
また、工場ではすべての作業(全系列)を個人が体験するべきだというプルードンの労働作業論は、トータ
ルフットボール(自主管理だから監督もいらない?)ということになると思う。