だと思いませんか。
社会の一員としての自分の役割を受け入れていくことが
大人になるということなのに、
社会学やっている奴は、それが受け入れられないから社会学やっている
わけでしょ?
社会学やってる奴って、いい年になって「自分探し」なんて言っている
子供だよな。
ウェーバーが鬱病ヒッキーになって大学教員クビになってから「社会学」者として
認知され出したのもよくわかるぜ。
というか学問系の板でよく立つこういう自虐スレをどうにかしろ
世間一般の人からすれば「社会学。( ´_ゝ`)ふーん」程度にしか
思われない。というか社会学ってどういうものなのかもよくわからな
いのが一般人だ。
いい年して野球とかやってる奴だって大人になれない奴じゃないか?
草野球すらろくにできない年になってもプロ野球中継を見てるオヤジと
かだって大人になれない奴じゃないか??
>>2 「社会の一員としての自分の役割を受け入れていくことが 大人になるという
ことなのに、・・・」
からすると、論旨が少し違うのでは?
ちゃんと論旨を踏まえて反論しましょう。
コゼットの心を清めましょう。
>>1 その前にあんたの考えてる社会学って何よ?
日本じゃ宮台や上野が目立つから、世の中に
ピーピー文句いってるのが社会学者っていう
イメージかもしれないけど、
マーケティングで使われているアンケート調査や
ヒアリングの手法は社会学で発展したものも
あるし(もちろん全部がそうじゃないけどな)
アメリカでは政策系のシンクタンクに社会学で
Ph.D取った奴がはいることもある。
あんた、勘違いしてない?
7 :
吾輩は名無しである:02/04/29 20:58
1よ。
真剣に考えたいのなら
ブルデュー『社会学の社会学』(藤原書店)
のP25-「お邪魔な科学」以下を読め。
ただ、自分の考えを補強したくて
厨房の意見を聞いて納得したいのなら
このまま糞スレをやってれば…
出版しようかな
「宮台・上野の社会学 〜 なぜ日本で社会学が正しく理解されないのか」
9 :
コゼットの心をきよめましょう。 :02/04/29 20:59
コゼットは人生相談板の住人です。
本人がバリバリの大人になれないAC系です。
自分の悩みを他者に転化するほどいたいたしいことはない。
10 :
吾輩は名無しである:02/04/29 21:14
コゼットのことはどうでもいいのだが、
おれは6の発言に危険を感じるがいかがなものか?
↓この発言こそ社会学的に考えたくなる発言だ。
もしかしてこいつも1に負けないくらいの厨房の予感。。。
「アメリカでは政策系のシンクタンクに社会学で
Ph.D取った奴がはいることもある。 」
社会学は精神病患者の治療に役立つ。
12 :
厨房の6だけど:02/04/30 17:30
>>10 一応いっておくけど、俺はマーケティングやシンクタンクに
社会学の影響があるから、社会学は役に立つ、偉い、と
いいたいわけではない。
ただ、1の社会学に対するイメージがかたよってないか、
と思っただけだ。
それから、批判はいいけど危険を感じる、とか厨房だ、
というような抽象的な言い方では、どこが具体的に
危険なのかよくわからない。俺は頭が悪いのかも
しれないが、もう少し分かりやすく説明して欲しい。
うちの教授は,
「社会学っていうものは,年齢層からいくと,
30代〜40代からが興味を持ち始める学問だと思う」
っていってたけど...
おそらく,社会に出ないで学問をずっと続けている人は,
殆どが大人になれていない人たちだと思う.
学者は,社会学に限らず,
みんな子供の心(歳をとっても知りたい知りたいっていう)を
持ってると思うけど...
社会学は,自分探しの学問じゃないよ??
もっと社会学を知ってから言って欲しい.
>>6 確かに1は偏ってるよね〜
何でだろ??
おとなねーって
学問って社会のお役立ち度と関係ないでしょ。
真理の探究ルーツだから
社会学っていろいろある。上野や宮台は、別物。
最近、行政にも資する社会学ではなく、心理学的な社会学が
目立っているカンジがする。
社会学のイメージをウンコ色一色に塗り固めた
上野と宮台の罪は重い。
>>1 見田宗介が東大を退官するときに朝日新聞に載せた文章
は読んだ? あなたと問題意識が多少似ていたと思う。
社会学専攻の研究者は誤解を受けることが多い。
一部の学生も誤解している。
「上野・宮台」もその一因だと思うがな。
ていうか、社会学つまらないんだよ。
宮台とか上野とかもそうだけど、何か自分の物の見方を絶対的な
前提として物を語りたがる奴が多くて。
あとさ、明確なディシプリンとかないのに、それが「ある」なんて
ぬかす人もいる。「社会学をどう役立てるか」なんて政治家みたいなこと
言う人もいる。こういう人達みていると「社会学者って、本当は政治家なんで
すね」などと揶揄したくもなる。
俺がそんな中で少しでも評価しているのは、エスノメソドロジーとか、構築主義とか
いう奴。
凡百の社会学者が一般化された価値だとか社会だとかをアプリオリに前提として
物を語りたがる傾向に対する、鋭い批判として評価している。
俺は卒論ではエスノか構築主義の問題意識を踏まえて、日常世界のコミュニケーションを
分析してみようと思っている。
てか、社会学部なんて行くんじゃなかったー!
7さんが言っていたブルデューだって、社会制度が制度として成立する
条件を反省的に検討することに、社会学の意義を認めているわけでしょう。
ところが、多くの社会学者はその「条件」を考えようとしていないんじゃ
ないのでしょうか。
結局自分の物の見方を正当化する政治に走っているだけで、自分の正当性を反省的に問いなおす
視点に欠けているような気がする。イギリスのギデンズとかも同じ。
循環ですよ。今のハヤリは。
構造機能主義と構築主義の循環運動。
「大人になる」を「当人が住んでいる社会がどのようなものであるか分かった気になる」
という意味に取るならば、タイトルは真だろうな。
社会を真に受ける方が病気でしょ
で、社会学って誰のためになるだよ。あぁ?
25 :
門下省@遠山の金さん:02/05/07 15:55
くだらんな。税金で食ってるならちゃんと世の中のためになることしろよ。
誰の役に立つか?
http://www.ads.fukushima-u.ac.jp/society/ 福島大学行政社会学会
一応こういう社会学もある。公務員試験では社会学は「行政系」に
分けられている。社会階層の調査とか、一応、現状分析とか政策提言
には役に立つ学問である、らしい。
っていっても、社会学もイロイロ。対象が漠然とし、方法が林立している
学問。ただ「2人以上の人間の集まり=社会を研究する」点で共通してる。
各社会学の関係は三井グループの社長さん同士ってくらい。
そもそも、社会学者の中で、大学が教育機関である以上
組織の一員として役立たなければならないという自覚を持っている
人って、どれくらいいるのだろう。
大半は、自分のオタク的世界の追求に走り、大学の一員としての
アイデンティティなど考えていないんじゃないのか。
あはは、ヴぁー。
そもそも大学って企業人育成機関だったの?
ヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁ
ヴェーバーの価値自由論文でも読めや
確かに、(大学人は)商売をやっているわけではない。
だが、大学教授として恥ずかしくない知的技能を身につけ、
大学教授としてふさわしい論理的思考力と実証的な分析力を
身につけることが重要だ。
何を当たり前のことを言っている、とあなどるなかれ。
このような当たり前のことが出来ていない者が少なからずいるのだ。
例えば、ポストモダンなどをみるがよい。
あの種の内容のないレトリックなど、学生が3ヶ月で体得出来ると
「知の欺瞞」に書いてあったぞ。
一応、大学は真理を追究する機関であるとしてすすめると、
論理的思考力と実証的な分析力を身に着けることはそれへの手段となる。
しかし、社会学のその方法論が
(というより社会科学の対象がさまざまな側面を持ち合わせるから・か?)
いまだ十分対象を明らかにできないものであるとするとどうでしょうか?
そのためのさまざまな手段(方法)が乱立することにもなる。
今通用している分析手法が、実はまがい物であるとなると、、、
ただ技術屋のようにスキルを習得するだけというのも問題が残る。
そうすると、学者間で相対立する知的技能も存在することになるし、
そもそも、すくなくとも現状では
統一的な、統合された(って表現でいいのか)スキル体系は存在しないことになる。
こうした統一されたスキル体系がないことが、胡散臭さをかもし出しているのでしょうか。
気に食わんのでしょうか?
ってか、駄文だね。スマソ
俺は社会学部の学部生だが、社会学の論文なんて、はっきりいって
学部生の俺から見ても詐欺のようなものが多いぞ。
例えば「私がインタビューした「ほとんどの」アメリカ人は……(お前が
インタビューした連中の話を一般化するな!)」とか、「私が塾の講師を
していた時に聞いた話だが(お前の塾講師の体験など聞いていないぞ!宮台!)」
「セルフセラピーのマニュアルは、聖書にも匹敵する日常世界の聖典として
位置付けることが出来る(どこにそういう根拠があるんですか。あなたの考えを
一般化しないでください。ギデンズさん)」
などなど。
もう俺、卒論書く気力も失せた……。
強いて言うならば、興味があるのはエスノとか、構築主義とか、あの辺かな。
社会学者特有の詐欺的な一般化を志向していないだけ救われると思う。
あと、それに関連して。
何故社会学者というのは、「経験的一般化」ということにこだわるんだ。
「経験が果たして一般化できるのか」という問いを立てていくのが
学者の問題意識になるのじゃないか。
データの因果的説明だって結局、自分の見解を正当化したいがために
何かごたくをでっち上げているだけだろ。
表面的なデータに見えてくる事柄を、事象の一般法則を見出すという
パラダイムをもって説明できるのか、という反省的・批判的な問いが
ほしいものだが、誰も認めようとしない。
あと、何故社会学者は「〜年代」という言葉にこだわるのかな。
「本当に〜年代などという時代設定が妥当なのかどうか」という反省的な
問いはないのかな。
36 :
名前いれてちょ。。。:02/05/08 03:20
コゼットはあほですか?
経験の積み重ねから一般法則を導くのが
科学でしょうが。
社会学は違うだろう。
ある種の一般法則が導き出される諸条件を暴き出すのが
社会学だろう。俺はそう理解しているけど。
例えばフーコーなんかだって、「主体」という表象が近代の人間諸科学において
発見される条件について分析しているじゃないですか。
社会学は基本的に、こうした条件分析(制度分析)の学問のはずでしょ?
なのに社会学者は制度に乗っかってしまっているじゃないかよ。
俺が工房の時、社会学に漠然と憧れていたとすれば、
このような制度が産み出される諸条件の分析への憧れがあったからなのに……。
(まぁ、工房の頃はそこまで厳密にわかっていなかったけど、今から振りかえると
なんとなく社会学にはそういうイメージがありましたです。)
39 :
名前いれてちょ。。。:02/05/08 03:38
哲学。絶対的な真理はすでに没落。
仮説真理の根拠は単にみながそう思ったから。
何が真理かについてはオープンに開けてて
合意にいたる方法についてはカナーリ洗練
されてると思われ。
40 :
名前いれてちょ。。。 :02/05/08 03:40
ちょうど昨日書いた哲学板の実存主義がなぜ没落したか
スレで 書いたのが参考になると思われ。
反省によってエラーを特定したり修正したりできるし
決断で変更することもできる。
社会構造によって規定された(たとえば言葉)なかで
、限定のなかで社会構造を変えることもできるんだね。
(英語公用化)
社会に拘束されても決断で社会自体(何人称でもオッケー)を
変更できるってゆーことです。
構造機能主義と構築主義の循環。
41 :
名前いれてちょ。。。 :02/05/08 03:42
ちなみにコゼットのように細かく勉強してません。
なんかこんなかんじ?てゆーだけです。
悪しからず。
コゼットは何ゼミ?
そんなことギデンズとかも言ってるけど…・・
てか、そういう人って結局、普遍化された社会構造を
前提として物を論じたいだけでしょ。
いつまでもそれにしがみつきたいだけなような気が
するんですけど、こう考える私ってドキュソなんですか?
私のゼミ・大学名に関する質問には一切お答えしません。
あえて一言いうならば……。
「社会学も読み書きソロバンと同様の、一つのリテラシーだ。」
「社会学も政策志向でなくてはならない」
「イメージに対応する実在は必ず存在する」
等など、私とはとても話がかみ合わなそうな教授ですね。私の指導教授は。
44 :
名前いれてちょ。。。 :02/05/08 03:50
42うーん限定された社会構造の中で
ボキャブラリーという範囲でしか
にもかかわらずそれプラスアルファ
できるってことだと思う。普遍的な?社会構造
を前提としてそのなかから前提をかえることが
できるのでは?
45 :
名前いれてちょ。。。 :02/05/08 03:53
44ってふつーだとおもうけど。
>「イメージに対応する実在は必ず存在する」
コゼットも自分の問題意識から始まってるんでしょ。
>「社会学も政策志向でなくてはならない」
政策志向ってゆーのは何人称でもいいのでわ
たとえばコゼット自身の生き方の政策志向。
ちなみになぜ人生相談板とかに出没するの?
少し勉強不足なので、何ともコメントしがたいです。
もう少し勉強してきます。
ただ、私の当面の関心は、一般化された「社会」や「価値」の存在を
アプリオリに前提とするような枠組では、分析できないような現実が
あるのではないか(例えば、2ちゃんでのコミュニケーションの分析に、そのような枠組の
分析が妥当なのか?)ということなのです。おやすみなさい。お話できて
ためになりました。
「私」とか「自己」とかいうのも一つのイメージであり、表象にすぎないと
思うのです。「私」「自己」に対応するのは、モヤモヤっとした感情だとか、
情念だとか、そういったものでしょう?実在には対応していませんよ。
それと、政策っていうのは、企業や公共団体などにおける広義の「政策」を
指しているようです。
>>34 もし君が宮台やギデンズの記述に違和感を感じるのなら、自分なりのデータを
集めて反論すればいいのだよ。いずれも反証可能なレベルでの話しかしてない
んだから。
>>37,
>>38 そのような研究で見出された「一般法則が導き出される諸条件」が真であるかどう
かを判定するためには、経験科学的なアプローチをとるのがおそらく適切で、結局
社会学者としては地道にデータを集めていくしかない。フーコーの『言葉と物』にし
たって歴史学者などからは異論が提出されているし、フーコーが拾い上げていない
別のドキュメントを用いて別の解釈を示すこともできる。そうやって別の解釈を
提示しながら、論争を経ることで、「学説」として定着していくんであって、ただ「条
件分析」の理論を編み出したところで、そんなのはやっぱオナニーに過ぎないでしょ
う。
まぁ、エスノに関心があるんだったらやってみればよいし、構築主義に傾くのもよし。
それでコゼットが興味関心を持った領域の研究を行うことができ、成果を出すことが
できるのならね。
49 :
名前いれてちょ。。。:02/05/08 04:07
今の教授世代って学生運動にうかれてた連中おおいから
割り引いて話し聞くといいかもね。
47デカルトさんが400年?まえに
>「私」とか「自己」とかいうのも一つのイメージであり、表象にすぎないと
思うのです。
そう考えるコゼットは確かにいるでしょ ってつっこんでたよ。
私は確かに存在すると思います。実在がないとは考えていません。
ただ、言語と実在の対応関係をアプリオリに前提とするのは
どうかな、と考えているわけです。
>>50 とりあえず永井均とヴィトゲンシュタイン読んどけ。
52 :
名前いれてちょ。。。 :02/05/08 04:24
50うーんなんかそんなこと考えてる友達
周りにいないからなー。
前提を考えればいいんではないかな。
前提を考えるのにも言葉つかうけど。
橋爪代三郎が言語派社会学とかかってにつくってるけど。
おもろいかも。
51さんの挙げていたヴィトゲンシュタインって(まだ読んでないけど)
確かこういう主張していたと思うんですよ。
言語的な現実は、人々の体験に跡付けられるのであり、
その意味で具体的な人々の体験が言語的な現実を随時構成していくのだと。
だから、言語的な現実は「前提として」存在するのではなくて、
文脈的に構成されるということなのだと思います。
例えば(フーコーが取り上げられているのですけど)パイプの絵の下に
「これはパイプではない」という言葉が書かれている時、私達は
テクストとイメージの間の関係が絶たれていると認識します。
しかし、このような認識自体がそもそもおかしいと思うのです。
「パイプ」という言語は脈絡によって「イメージ1」「イメージ2」と
恣意的に何らかのイメージに対応するということを読み取らないといけないと
いうことを、このような絵が示唆しているのだと思います。
言語と実在の対応関係を前提とするという物の見方は、言語が何らかの
固有のイメージと対応するという先に述べたような認識が前提とされている
と思うのです。
54 :
名前いれてちょ。。。:02/05/08 04:45
現象学だな。
指示するものと指示されるものは
訓練することでしか一致されないんじゃなかったかな。
算数のように文法の獲得いかんで実在は変わる(ように見える)
と思われ。学問的な法則をどれだけ学んでるかで見えないものが
見えたりする(個人的体験)
ロゴス(言葉や神のこと)は(人を)自由にする ってBIBLEの
記述が学問の発祥ルーツになってたりするんだよな。
>>53 >言語と実在の対応関係を前提とするという物の見方
これはいわゆる論理実証主義の立場だよね。
言い換えればヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の中で主張していた
(とされる)立場。言葉と実在は一対一の対応関係にあり、文とは世界の写
像である、とする。このような立場が約90年前には流行していた。イメージと
の対応云々って話は、今でもアメリカのサールっていう哲学者がやってる。
この辺の話は言語哲学や分析哲学の範疇になるから、極めようと思ったら哲
学専攻にでも進んだほうがいいんじゃないかな?
それでは、もうそろそろ落ちます。
お話してくれてありがとうございました。
57 :
社会学部4年:02/05/13 07:53
当たってるとおもう
大人になれないよ
57
なにいってるのさ。
学問は社会なりを真に受けるモンじゃないでしょ。
最初から。だから社会から多少離れてなきゃいけない、
と思うさ。
でも社会から離れることと社会的になれないこと
どちらも距離がある点でコゼットは混同してるさ。
この前も人生相談板でコゼット見かけたさ。
一緒にせんといて。
59 :
とある社会学徒:
社会学は
分析対象が精神を持った生き物(人間)だからね。
そりゃ、自然科学のように厳密な検証は無理かも。
だからといって、社会現象を抽出してみれば
その間に何らかの因果関係があるのではないか、という前提のもとでやっているんだし。
だからこそ、社会の中から現象を抽出するときは
厳密に言葉の定義にこだわった方がいいんだよ。
言葉遊びの社会学には怒りを覚えるな。
コゼット氏の意見には賛同できるところもある。
だが、社会現象のなかから何らかの因果関係をみつけだし
それを政策や商売に応用できれば社会学も十分いけると思うよ。
逆に、いままで政策や商売と関係を持ってこなかったことが
「大人になれない学問」と思われてきている原因かもね。
コゼット氏の社会学への怒りはわかった
ならこっちのスレにおいで
社会学マンセーがいるから…
【社会学に無知な人間は社会のお荷物】
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1020863806/l50