易しい!社会学板読書会デュルケム 優しい!

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58ななし=62:02/02/15 00:41
>54
いえ、書いておいて自分もよくわからないです。
足りなかったり間違ってたらおっしゃってください。
1章ずつ、っていうのに無理があるのかな。
自殺論の本格的な論は2編からはじまるし。
最初はかるくこの文の意味がわからない、とかそういうレベルからはじめても
いいのではないか、と思いこまめに1章ずつ、と思ったのですが。
あまり進みませんね。
議論があまり実のあるものでないとしても、
個人的には易しいという点を全うできたら、と思ってます。
59考える名無しさん:02/02/15 03:36
レジュメ、読みの軸にさせてもらってます。
ありがたいです。
60ななし=62:02/02/17 01:04
あと二日で次章移ります。
一応レジュメは用意してありますが、我こそは、という方がいたらお願いします。
61ななし=62:02/02/18 17:07
えっと、1週間たちましたので次章に移ります。
某HPを参考に(ほとんど同じですが)作成しました。
もっと上手な方、どんどん指摘してください。
論点、疑問点なども出してくださるとありがたいです。
1章のほうでもかまいません。参加よろしくお願いします
62ななし=62:02/02/18 17:10
第二章 自殺と正常な心理状態  ――人種、遺伝

1 p.p.72-76
人種
類似、と血のつながりという観念。
血のつながり
人種=共通の特徴を示す諸個人の集合。さらにこの属性の共有がかれらすべてが同じ祖先
   に由来するという事実にもとづいているような場合。
   「同一の種に属し、生殖をつうじて当初の変種の諸特徴を伝達していくような類似
   した個体の全体」byド・カトルファージュ
   人種が規定されるのは、これを生じさせた血のつながりによるという特別な方法に
   よって。
しかし、ありとあらゆるる方向に交配がすすんだため、人種の既存の変種のおのおのは、
ひじょうに多様な起源から発するようになった。血のつながりという人種は存在しえない。
別の基準がないと、人種と自殺の関係を知るのは困難。また、人類多元論者との論争に
決着もついていないので、人種の観念のなかに血統とか血族という考え方をいれるのは方法的に妥当ではない。
63ななし=62:02/02/18 17:17
類似
種々の類似をしめしている一群の諸個人ということであるが,しかしこのことは
信仰や職業を同じくしている者にもいえる。だから,人種を決定的に特徴づけるのは,
これらの類似が遺伝するということである。起源にあってどう形成されるにせよ,
それは現に遺伝によって伝えられることのできる一つの型である。     

2 p.p.77-87
あらためて、人種=大ざっぱにみてきわめて一般的な特徴がみられること、
         その間に諸民族が振り分けられているようないくつかの主要な型が存在する

モルセッリの分類
・ ゲルマン型(変種としてドイツ人,スカンディナヴィア人,アングロ−サクソン人,
       フラマン人を含む)
・ ケルト−ローマ型(ベルギー人,フランス人,イタリア人,スペイン人)
・ スラヴ型
・ ウラル−アルタイ型(ハンガリー人,フィンランド人,ロシアの若干の地方)

これらの相違が本当に人種の作用に帰せられるのか、諸民族の各グループが、
ほぼひとしい強度の自殺傾向をもっていたならば、仮説は真実味を帯びる
→同じ人種に属する諸民族のあいだでも極端なひらきがみられる。
→諸社会、そしていわゆる人種的諸集団を分かっているものは、むしろ文明発展の不均衡。

フランスにおいて南部に比して北部に自殺が多いわけ
・・・フランス中部・南部は固有の気質や生活様式をもつ。そのため北部の考え方や習俗に抵抗している。フランスの文明の中心地は北部。
  この文明はフランス人を自殺へと追いやる主要な原因を内包。北部の人間が南部の人間より自殺者が多いのは、
その人種的気質のために自殺へとより傾向づけられるからではなく、たんに自殺の社会的諸原因がロワール河以南よりも
とくに以北に集積されているため
64ななし=62:02/02/18 17:20
3 p.p.87-100
自殺の遺伝
自殺総数の比較的大きな部分について、遺伝的先行条件の存在が立証されたなら、
これら二つの事実のあいだにある因果関係があり、自殺は遺伝する傾向があるとしても正当とされよう。

・観察は,精神病医によって,それゆえ精神病者についてなされたものであった。
ところで,精神異常はすべての病気のなかでおそらくもっとも遺伝しやすいものであろう。
とすれば,いったい遺伝するのは自殺傾向なのか,それともむしろ,自殺傾向が,
よくあらわれる偶然的なその一徴候をなすところの精神異常ではないのか,と考えてみることができよう。
 ・・・・・・・遺伝するのは,精神疾患の一般であり,神経的欠陥であって自殺はつねにその恐るべき,
しかし偶然的なひとつの帰結にほかならない。

→つまり、遺伝は自殺の傾向に関与しない

・自殺が遺伝的なものではなく,むしろ伝染的なものであることを示している。
 数々の遺伝のために見えた自殺の例も、返って自殺が生存者の精神の上に
いかに大きな影響力を奮っているか、を証明している。
65ななし=62:02/02/18 17:22
統計的事実における自殺と遺伝が関与しないわけ

@人々をあらかじめ自殺へと傾向づけるような遺伝にもとづく有機的・心理的決定論がもしはたらくならば,
それは男女にほぼ等しく作用するはずである。なぜなら,自殺そのものはなんら性別に特定されたものではなく,
生殖が女子よりも男子不利に作用するという根拠はないからである。だが,実際は,われわれのしっているように
女子の自殺は極めて少なく,男子のじさつのごく一部分を代表するにすぎない。
かりに遺伝がこれに帰せられているような力をもっていたならば,このようなことにはならないだろう。

A発現の遅れが遺伝に仮説において説明されうるのは、遺伝する特質が有機体の状態にもとづている場合のみ。そしてこの有機体の状態そのものは個体の発達の過程でしか構成されえない。発現するのに時間がかかればかかるほど、
それだけそれを発現させるうえで遺伝に負うところは少なくなる。
自殺は子供には非常に少ない。
66 :02/02/18 18:00
ほんとにお疲れ様です。
67ミミ:02/02/18 18:03
がんばれ〜!!
更新してるよ〜。
私は社会学初心者なので、
このスレは大変参考になりますです。
68ななし=62:02/02/19 16:35
序論において
自殺と過失死の違いを述べる際に「生命の放棄という行為の取りうるあらゆる形態に
共通の特徴といえば、その行為が、事情をあらかじめよく心得たうえでなされるという点である。
すなわち、当人をそこに追いやった理由がなんであるにせよ、かれは、その行為にうつるとき、
行為のもたらす結果がどのようなものであるかを承知している。」p.22l.3
これって、「社会的事実はものと同じように・・・研究されねばならない」p13とした
ことと矛盾はしていないか。「あらかじめよく心得ている」ことや「承知している」ことは一種
「意図」でありそれは「あまりに内面的なもの」だ。
同じ理由で動機というものは研究の対象とはならない、としているのに、矛盾ではないか。
69あ、飲みねー:02/02/19 20:08
でゅるけーむ とは関係ないけれど、
「日本の自殺」グループ1984年 PHP文庫 1984 初版
も おもしろいよ。
70m:02/02/19 23:51
>>68
人間の行動を
環境→内面・動機形成→行動
ってプロセスで説明できると思う。具体的に言えば、
いじめにあって(環境)、生きているのが嫌になって(動機形成)、自殺する(行動)、
みたいな。

@ 有機的・心理的決定論は、上記の「内面・動機形成」の部分に注目する。つまり、自殺と言う「歪んだ」行動は、内面の「歪み」からきている、と捉える。
例・「あの子は憂鬱症だったので、なんでも物事を悲観的に考えちゃうんです。自分で自分を追い詰めちゃうんです・・・。えっ、いじめがあったどうか?いや、そんな事、どうでも良いんです。あの子が自殺したのは憂鬱病のせいなんです。」

71m:02/02/19 23:53
続き
A「社会的事実はものと同じように・・・研究されねばならない」
と考えるならば、上記のプロセスのうち観察可能な、「環境」と
「行動」のみに注目して研究する必要がある。そのため、
>動機というものは研究の対象とはならない(>>68

で、
>「当人をそこに追いやった理由がなんであるにせよ、かれは、その
行為にうつるとき、行為のもたらす結果がどのようなものであるかを
承知している。」(>>68
これを具体例化するならば、
「あの子が自殺したのは、ええ、学校でのいじめのせいです。あんな酷
い目にあっていたら、誰でも『もう死ぬしかない』と考えますわ」って感じ?

もちろん、この仮説においても、
>「あらかじめよく心得ている」>「承知している」(>>68
というような動機形成は起こっている。
しかし、「何故この子は自殺したのか?」と考えるとき、この内面部分は、
環境部分に比べれば、注目する価値はない、と捉える。
この点で、@の有機的・心理的決定論とは大きく異なっているのではない
だろうか。

と言ってもテキスト全く読んでないけどね。ちょー適当。

72名無しさん:02/02/20 01:01
うーんと、
行為から生じた結果としての自殺、は客観的事実だからデュルケムのいうように
ものとして観察し、研究すること、は可能だと思います。
この時点での自殺の定義は
「当の受難者自身によってなされた積極的・消極的行為から直接・間接に生じるいっさいの死
を、自殺と名づける」です。
でもこれだと「高い窓を地面と同じ高さにあるとおもいこんで、そこから飛びおりる
幻覚者の死」と「自分が何をしているか知りながら」自殺する「正気な人間」の死を
区別できない、というくだりなんです。
ここでいう幻覚者は後にいう精神異常者ではなく、おそらく過失をしてしまった人、という
くらいの意味だと思うんです。
73名無しさん:02/02/20 01:14
で、当人に自殺するつもりがあったのか自殺する意志があったのか、で
この両者は区別できる、と書かれているんです。
死の形態自身は観察可能ですが、「意志」があったかどうかは観察できないはずです。
意図にかんする予測は、その前の動機を推し量ることについての文章で否定されています。
「どんな動機が行為者を動かしたのか、彼が決心したときは彼は死そのものを欲していたのか、
・・・こういうことはどうにも知るすべがない」p20
しかも、序論でこういう個人の心理状態は「これを扱うのは、心理学の仕事」と言い切っています。
また、一般常識(こうだったら自殺する)とかはまず吟味の対象にならねばなりません。
とすると、過失(自殺する気はなかったのに形は自殺)と自殺を自殺者の意図で図るのは、
彼自身のいってることとは、矛盾する気がします。
過失者に自殺する要因が認められないから、ともいいきれない。
だって背景がいかにも自殺しそうな背景のことだってありえなくはないからです。
70-71とずれてますね・・・ごめんなさい。うまく言えないんですけれど、こういう背景での68
です。
7473:02/02/20 01:42
この疑問は実はある著書から拝借したものです。
自分なりに解釈してて本筋と離れてる部分もあるけれど・・・
議論が盛り上がれば、と思い拝借してきました。
一応、断り入れときます。
75m:02/02/20 04:02
>>72-74
丁寧なレスありがとう

>「当の受難者自身によってなされた積極的・消極的行為から直接・間接に生じるいっさいの死を、自殺と名づける」です。
デュルケムは、当時、既に存在していた、この定義だと、

>「高い窓を地面と同じ高さにあるとおもいこんで、そこから飛びおりる
幻覚者の死」と「自分が何をしているか知りながら」自殺する「正気な人間」の死を
区別できない

から、問題があるってことを言ってるんじゃないかな?未読なんで間違ってる可能性大だけど。
76m:02/02/20 04:04
それから
>「高い窓を地面と同じ高さにあるとおもいこんで、そこから飛びおりる幻覚者の死」か「自分が何をしているか知りながら」自殺する「正気な人間」の死かどうか
あるいは
>当人に自殺するつもりがあったのか自殺する意志があったのかどうか

等ということは、刑事や監察医だったら、現場の状況とか死体の状態なんかを観察することで、判別可能なんじゃないかな。
例えば刃物で体を傷つけて自殺しようとする人は、必ず「ためらい傷」が残る、みたいな。
デュルケム自身は、現場に行かず、そういうプロが「自殺の意志あり」と認定した記録を集めて本を書いたわけで。

で、自殺の意志の有無は観察可能でも
>「どんな動機が行為者を動かしたのか、彼が決心したときは彼は死そのものを欲していたのか」
なんて細かいことまでは判らないってことじゃないかな?
7773:02/02/20 17:40
>75
はい、まさにそうだと思います。
結局、過失による死の被害者の背景は観察可能なので(ためらい傷がある、とか
その前に近親者が死んだとか)、そこからためらい傷がある人は過失死より自殺死である
可能性が高い、とかそういう風に判断するのかな、と考えてみました。
丁寧にありがとうございます。
78   :02/02/21 02:22
>mさん
鋭い意見。でも本を読んでから発言しよふ。
79天満あげ:02/02/21 22:10
ひとまず思い切って立ててみました。
詳しいことは下で決めていきましょう。


80m:02/02/22 00:13
>>77
いえいえ。しかしあなたの疑問ももっともだと思いました。で、そこから派生して
「社会・社会的事実を物のように見る(研究する)」というデュルケムの言葉の意味はなんなのか?という疑問を持ちました。
自殺は、現在進行形で観察することも難しいですし、研究者が設定した実験で再現することもできません。ですから、自殺の原因を、自然科学のように、「現実の物として、見る」ことはできないわけです。せいぜい状況証拠から推察できるにすぎません。
81m:02/02/22 00:14
続き
しかし、彼自身の推察は、2編第1章で散々クサしている他人の推察とは違い、「物のように見て」いて、優れていると言うわけです。じゃあその違いは何なのでしょうか?まあ、これはテキストを読むにつれて明らかになっていくのかもしれません。

>>78
テキスト買ったら読みます。

>>79
誤爆?
82名無しさん@おねむ:02/02/23 04:27
あげ
8362=ななし:02/02/25 00:36
明日で次の章にうつるのですが、パソコンが壊れてしまい、レジュメが
upできなくなりました。
パソコンが元に戻るまで早くても1週間かかります。
だれかレジュメお願いできませんか?
急なことで申し訳ありません。
なしで議論でもかまいません。
だれもupしないようであれば、直り次第、また提示いたします。
84レジュメ(m):02/03/01 18:08
第三章 自殺と宇宙的要因

  風邪をひくのは体内に風邪ウイルスがいるから。だけど体内にウイルスがいるっていう、
「先憂傾向」をもっている人間が、みんなが風邪を引くわけじゃない。前日ちゃんと布団を
かけて寝なかった、みたいなキッカケ(=物質的環境)があって、風邪をひく人が多い。
だから、こういう「物質的環境」が起こりやすい季節の変わり目に風邪は流行る。ここに風邪
という現象の宇宙的要因(自然環境的要因)が現われている、と言える。
第1章と第2章で「先有傾向」で自殺を説明できなかったわけだけど、だからといって、自殺
がそれとは無関係の現象であるとか、自殺は自然(生物学的)現象でない、などということは言
いきれない。物質的環境の方も調べてみないと何とも言えない(P.101)。

以下の@〜Cは、物質的環境が、どの程度自殺へ影響を与えているのか?に関する統計学的検討。

85レジュメ(m):02/03/01 18:09
@季節ごとの自殺への影響

  自殺が最も多い季節は、晩春から初夏。自然がはなやかで、気温もほどよい季節。
「生活がもっとも容易な時期に、人はこのんで生から決別するわけである」(P.105)

A自然と気温の変化との関係

 極端に寒かったり暑かったりすると自殺は増える(P.110)。

B昼間の長さの変化と自殺との関係

  自殺は昼間多く、日が長くなると1日あたりの自殺率も増加する。
 < このデータに関するデュルケムの解釈>
「日が長くなると社会生活も活発になる。したがって、社会生活生活のもたらす結果も同時に拡大されるのは必然であり、自殺もその結果のひとつであるから、増大することになる」(P.121)。
86レジュメ(m):02/03/01 18:09
C大都市の場合
 昼夜や季節の変化が、自殺に影響を与えるならば、毎月の自殺率の変化の度合いは、大都市の場合より、国全体の場合の方がゆるやかであるはずである。なぜなら、都会では、夜でも割と明るいし、季節感も乏しいからである(P.124)。

まとめ

  宇宙的諸要因の直接の作用は、自殺の月ごと、季節ごとを証明できない。1月から7月まで自殺が増加するのは、暑熱が身体のうえに撹乱的作用をおよぼすからではなく、社会生活がより活発になるため。自殺の増減は社会的諸条件にもとづいている。

87m:02/03/01 18:35
レジュメ訂正
>>84 
2行目の「先憂傾向」は「先有傾向」の間違い
>>85
下から3行目、「社会生活生活」は「社会生活」の間違い

>>86
2行目「大都市の場合より、国全体の場合の方がゆるやかであるはずである。」
は、「大都市の場合の方が、国全体の場合よりゆるやかであるはずである。」
の間違い。

ちょっとミスが多いなー。申し訳無い。
88m:02/03/01 18:39
疑問
>>85
P.121で、 日が長くなると社会生活も活発になるって趣旨の話をした後に続けて、
「したがって、社会生活のもたらす結果も同時に拡大されるのは必然であり、
自殺もその結果のひとつであるから、増大することになる」(>>85
と筆者は言っているが、自殺が社会生活のもたらす結果の一つである、
という根拠はどこにあるのか?


89でゅるけみあん:02/03/03 01:59
世界の名著のデュルケーム・ジンメルの巻に収められた『自殺論』
では、紙面の都合上、第1編は簡潔な要約のみとなっています。
こちらの方が、かえってわかりやすい部分もあったりするので、
併せて参照すると良いかも。


>>88
p.125の最後の段落に「それは次編の主題となる」と書かれて
いますね。第2編に期待しましょう〜。
9062=ななしさん:02/03/03 16:10
レジュメありがとうございます。
今週か来週にはパソコンが工場から戻ってくると思います。
新たにつくればいいのでしょうが、手近にパソコンがないのですみません。
91:02/03/14 01:49
消えてしまいそうなので
age
92 :02/03/14 21:46
ナツカリズム
93_:02/03/16 01:04
こういった古典、まだ生きているんですね。
9462=ななし:02/03/28 22:23
ずいぶん放っておいてすみません。
パソコンがようやく手元に返ってきたので、またはじめようと思います。
もう次回は本題の第二編ですね。
本題に入ってすこしは活気づくかな?
9562=ななし:02/03/28 22:24
第四章 模倣

模倣は純然たる心理的な現象であること、
いかなる社会的絆によっても結ばれていない諸個人間にも生じる。


模倣の定義
@同じ一つの社会集団の内部にあって、すべての者が同一の原因ないし類似した
一群の原因の作用のもとにあるとき、諸意識のあいだに一種の水平化が生じ、
それによってすべてが一致して考え、かつ感じるということが起こりうる。
このばあい、この言葉は、若干の異なった主体によって同時的に経験されている意識状態が
互いに作用しあい、その間で結合し、ひとつの新しい状態をつくりだす特徴を指す

A模倣という同じ名称が、われわれをわれわれの属する社会に調和するようにさせる欲求、
またこの目的のためわれわれの周囲において一般的である思考様式や行為様式をわれわれに
採用するようにさせる欲求にたいしてあたえられている。
祖先をモデル=慣習・道徳 同代人をモデル=流行

Bわれわれが、われわれの目前で起こった行為、ないし起こったのを知っている行為を、
目前で生じたから、あるいはその話を聞いたからという理由だけで再現することがあり得る。
行為自体にわれわれがそれを再現すべき理由となるような、内在的属性はない。敷き写すことが目的。
9662=ななし:02/03/31 16:59
なかなかスレがつきませんね・・・・・・
一章ずつっていうやり方が議論しにくいのかな。
なにか良い方法があればご教授を。
今日で序章と第一編は終わりです。今日の夜あたりに第二編第一章をup
しようと思います。参加是非お願いします。
9762=ななし:02/04/01 00:03
内容:
第二編p160〜
第一章 社会的原因と社会的タイプを決定する方法pp160-170
前編の結果・・・個人の身体的・心理的素質によっても物理的環境の性質によっても説明す
      ることのできない特有の自殺傾向が、それぞれの社会集団に存在する。
→自殺傾向は必然的に社会的原因に根ざすもの、それ自体がひとつの集合的現象をかたち
 づくるもの
1 p.p.160-165
方法論
自殺にはあまりに多様なものがあって、いくつかの変種がふくまれていると考えざるをえない。
異なった自殺タイプが見いだされれば、それと同数の自殺の潮流をみとめ、ついでそれらの原因
とそれぞれの重要性を規定するようにしなければならない。

正気の自殺を、その形態学的な形式もしくはその特徴に照らし合わせて分類することは、
必要な資料がほとんどまったくないため、できない。

自殺の色々なタイプは、それを規定している原因そのものの多様性に応じた数だけしか存在しない。
各タイプが固有の性格をもつためには、それぞれもそれだけの特殊な存在条件に根ざしていなければ
ならないはず
9862=ななし:02/04/01 00:05
だから、
あらかじめ記述された自殺の特徴にしたがって直接分類しなくとも、それらをひき起こした原因
を分類することによって、自殺の社会的タイプを構成することができる。

ただし、
この方法には、自殺のタイプを直接的に把握せずに、それでいて自殺タイプの多様性を
仮定してかかるという難点がある。
→原因の性質が明らかになってから、自殺の形態学についての利用可能な若干の資料の助
 けを借りながら、結果の性質の演繹を試みることによって欠点をカバー。

研究対象:社会的自殺率の形成にあずかるタイプ、その自殺率の増減をうながすタイプ

個人的形態のうちには、ある程度の一般性をもってはいてもその社会の精神的特質にむすびついていないか、あるいは結びつきが弱いために、自殺について各民族の示す特徴の固有の要素とはなりえないようなものもある。
例:アルコール中毒

→集合的現象とみなされる自殺がいろいろな合流点のどこから流れでてくるかを知ろうと思えば、
 まずはじめからそれを集合的な形態において、すなわち統計的データをつうじて考察していく必要がある。
 直接に分析の対象としなければならないのは社会率である。しかし、社会率は、それを規定しているさまざまな原因との
 関連においてしか分析されえない。なぜなら、社会率を構成している単位は、それ自体では同質的なものであって、
 質的には区別されないからである。

統計は、道徳的な懐疑論の解決不能の問題を解こうなどとはせずに、自殺に随伴する社会現象をもっと細心入念に記録するように勤めなければならない。

いわゆる個人たるかぎりでの個人、およびその動機や観念などはひとまずおいて、自殺の増減をうながすさまざまの社会的環境(宗派、家族、政治社会、職業集団など)の状態がどうなっているかをただちにさぐっていく。
直接に自殺の原因の決定につとめる。
99 :02/04/13 09:18
放置?
100       :02/04/13 09:28
100
101 :02/04/15 17:26
>>99
うん!
102 :02/04/16 23:21
摺醴ォォ霾醴髏蠶蠶鸛躔か                    ベ∃壮鎧醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
勺儲靄靄醴醴醴蠶體酌偵Auru山∴          ベヨ迢鋸醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
∃儲霾a露繍蠶髏騾臥猶鬱h  ご笵此∴        ∃f謳廱躔騾蔑薺薺體髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶
ヨ儲諸隴躇醴蠶歎勺尓俎赴  f蠶蠶蠢レ      ∴f醴蠶鬪扠川ジ⊇氾衒鑵醴蠶蠶蠶蠶蠶
ヨ鐘諸薩讒蠢欟厂  ベ状抃  傭蠶蠶髏厂      .ヨ繍蠶蠶臥べ泣澁価価櫑蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
f罐諸醴蠶蠶歎      マシ‥…ヲ冖        .∴瀦醴蠶襲jJ鶴門門攤蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
加罐讒蠶蠶欟厂        ヘ              ∴f醴醴蠶甑欄鬮°f蠢蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
溷霾醴蠶蠶勸                        ∴ヨ繍醴蠶蠶鬮狡圷し醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
醴蠶蠶蠶蠶髟                        ベ湖醴醴蠶蠶蠶庇⊇⊇J體髏髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶蠶欟                          f繍蠶蠶蠶蠶蠶曲三三巛憫髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶蠶歉                  澁畄_迢艪蠶蠶蠶蠶蠶蠶甜川⊇川川衍捫軆髏髏蠶蠶蠶蠶
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蠶蠶蠶鬮か                .ベ苛ザベ繍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶醯己に⊇三介f繙醴蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶髏鬮シ                        尽慵蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶自辷三沿滋鐘醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶醴勸                            氾隅髏蠶蠶蠶蠶蠶靦鉱琺雄躍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶醴訃                      ∴∴∴沿滋溷醴髏蠶髏髏韲譴躇醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶髟              _山辷ムf蠡舐鑓躍醯罎體體體驩讎櫑蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶a            f躍蠶蠶J蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶醯註珀雄醴醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶廴          f醴蠶欟閇憊體醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶靦錐讒醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶欟シ          禰蠶蠶蠢螽螽f醴蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶躍蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶監シ          ∵ヴ門夢曠髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶a                ∴シ∃愬嚶髏蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶蠶
蠶蠶蠶診            ベ沿u旦以迢u讒醴髏曠醴蠶蠶┌──────────────
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10362ななし:02/04/16 23:31
遅れました。レジュメあげときます。
第二章 自己本位的自殺

宗教の違いが、どのように自殺に影響をおよぼしているか

1 p.p.171-176
自殺傾向に対するカトリシズムとプロテスタンティズムの影響
ドイツにおいて、自殺数は、プロテスタントの数と正比例し、カトリック教徒の数と反比例する。
フランス系とドイツ系の住民が混合するスイスにおいてもドイツ系、フランス系のいかんにかかわらず、
カトリックの州の自殺は、プロテスタントの州のそれの四分の一ないしは五分の一にすぎない。
→宗教の作用は、他のすべての要因の作用を支配してしまうほど強力である。

ユダヤ教についていえば、自殺傾向はプロテスタントのそれをつねに下まわる。
カトリック教徒のそれをもわずかでありながら下まわっている。逆のばあいもあり。
カトリック教徒を上まわるばあいは最近(1870年代)のこと。ユダヤ教の信者は、
他の教徒に比べ都会に住み知的職業に従事していることを忘れてはならない。
このような促進的な影響がはたらくにもかかわらずユダヤ教との自殺率が低いのは、他の条件がひとしければ、
もっとも自殺の少ない宗教はユダヤ教といえる。

10462ななし:02/04/16 23:33
2 p.p.176-184
つづき
カトリック教徒もユダヤ教とも対象としてきた社会のなかで少数派の宗教。
少数派の宗教は、周囲の敵意とたたかわねばならないから、みずからの存在を維持していくために、
自己を厳しく統制し、とくに厳格な規律にしたがわせる必要がある。
特殊な要因=少数派の宗教であることが多生の影響力を持つ。
プロテスタンティズムが少数になるときは、プロテスタントの自殺傾向も低下する。

しかし
高パラティナートや高バイエルンのように人口のほとんどがカトリック教徒であるような国でも
プロテスタントの自殺をしめる割合が極端に大きい。
→少数派に義務づけられた慎重さがいくらかかかわっているとしても、そのほとんどは別の原因にもとづいている。

その原因とは、
カトリックとプロテスタントの宗教体型の本質
両者・・・自殺をとくに厳しい道徳的な処罰の対象としている、自殺の禁止はある種の神聖な性格をおびている。
両者とも同じ戒律をもつ。
→プロテスタンティズムが自殺の増加を助長するにしても、プロテスタンティズムがカトリシズムと
 異なったかたちで自殺を扱っているからではない。

カトリシズムとプロテスタンティズムの本質的な相違
・・・プロテスタンティズムが、カトリシズムより相当広範囲の自由検討を認めている。

○プロテスタンティズムの自殺への傾向は、この宗教に生気を与えている自由検討の精神と関係があるはずである

プロテスタンティズムは自由検討により、個々人の判断にすべてを委ねているため、
個人の生活からかげが薄れ、集団としての凝集性も失われた。プロテスタンティズムのほうに自殺が多い理由は、
プロテスタントの教会がカトリック教会ほど強力に統合されていないため。
10562ななし:02/04/16 23:35
ユダヤ教のばあいユダヤ教は個人の生活をことこまかに規制し、個人の判断をほとんど容れないひとつの儀礼体系という特徴を持つ。
長期にわたるキリスト教による排斥から、ユダヤ教とたちのあいだに異常に強力な連帯感が生まれる。
信者の各共同体は緊密な凝集力の強いひとつの小社会を形成。そのなかでは、すべての者が同じように考え、同じように生活していた。
個々人のあいだの異質性もほとんど生まれる余地なし。 周囲の敵意が、彼らにいっそう高い道徳性をしいるからではなく、
彼らに緊密に連帯して生きることをしいるため。彼らの属している宗教社会がしっかりと塗り固められているから。
10662ななし:02/04/16 23:38
3 p.p.184-194
もしも集合的、因習的な偏見がしだいに弱まることによって自殺が増大するならば、
またここからプロテスタンティズムの特殊な自殺への傾向が生じてきたのであるならば、
二つの傾向が確認されるはず
@知識欲は、カトリック教徒よりもプロテスタントにおいて活発なはずである。
A知識欲が共同の信仰の動揺を反映しているかぎり、一般的にいってそれは自殺の増加と比例して
 発展するものでなければならない

プロテスタント国家は、すべての個人が聖書を理解できるように(個人で判断するために)ならなければならないという考えにのっとって
初等教育を非常に重視。プロテスタントがカトリック教徒より教育程度が高く、自殺も多い(@の命題は立証)

知識への欲求というものは、自殺と軸を一にして、共同の信仰が弱まるにつれて増大するものであろうか
→社会の階級に自殺が法外に多い。
 女子の自殺は男子の自殺より少ない。(女子は教育機会が少ない)
知識欲が旺盛であると自殺が増大する
→法則に当てはまらない例:ユダヤ教徒
ユダヤ教徒は自殺が最も少ないが、にもかかわらずこれ以上に教育の普及している宗教もない。
→かれらの知識欲は集団的偏見を克服し、めざめた観念に置きかえようとするためではなく、
 たんに闘争に備えてよりよく武装するため。集団の特徴である強固な規律の利点と、
 今日の偉大な社会の特権である高い文化の恩恵とを、ひとつにむすびつけている。
 この場合に知的な発達が自殺の数と無関係なのは、その知的発達の原因も、それのもつ意義も、
 一般のそれとは異なっているからにほかならない。

→教育程度の高い環境のもとで自殺傾向が促進されるのは、まさに伝統的信仰の衰退とそこから生じる道徳的個人主義が原因となっている。
 教育が(ユダヤ教徒の場合のように)他の理由から普及し、他の要求に応じているときには、自殺傾向の促進はみとめられない
 (Aの命題立証)
10762ななし
4 p.p.194-197
結論
・なぜ知識の発達と歩を合わせて自殺が増大するか
・・・自殺を増大させているのが知識ではない。知識を学んだから自殺したのではなく、人びとが知識を学んだり、
  自殺をはかったりするのは、かれらの属している宗教社会が凝集力を失ってしまったから。