あのさあ、お前らポストモダンてなんですか?

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1はい?
いまいち理解できん。
2はい?:01/12/05 13:40
俺は工房なんで詳しく教えれ

だれか
3!?:01/12/05 14:28
さあさあ始まりますよ始まりますよ〜
4げろみたいなもん:01/12/05 15:59
お好み焼き → モンジャ → ポストモンジャ(げろ)
5 :01/12/05 16:36
リオタール,J-F.(ジャン=フランソワ) 著/管 啓次郎 訳
リオタール,J-F.(ジャン=フランソワ)/スガ ケイジロウ 文庫 208頁 本体価格(税別):\840
ちくま学芸文庫
こどもたちに語るポストモダン
コドモタチニカタルポストモダン
C-CODE 0110 1998年
ISBN 4-480-08429-0 筑摩書房

これを読みなさい
619:01/12/05 16:46
プレモダン焼き → モダン焼き → ポストモダン焼き  
7 :01/12/05 23:18
戦時中はのぉ〜 物資が足らんで鉄の鍋やら釜やらみんな持ってかれたんじゃよぉ〜
あの郵便ポストも弾丸になったんじゃろうてなぁ〜
8参加者:01/12/06 00:05
ポストモダンなんて研究しちゃうと
大学という制度なしには、コンビニの
レジうちぐらいしかできない人になって
しまうので、今のうちに撤退しなさい。
これ、まじな話。
9損した:01/12/06 00:26
文庫版は読むな。でき悪い。
10名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 10:54
掻い摘んで言えば
アホが
 「俺って先端、おまいら古いのよ」
 「今の社会はもう行き詰まってんのよ」
と現社会から逃避してかしこぶるための理屈のことです。
11ななし:01/12/06 18:05
>>8
激しく同意!

思想・文学研究は一般にそうだよね。
12参加者:01/12/06 20:44
ポストモダンは皮肉である。批判的な観点にも
かかわらず、大学という体制がなければ
なりたたない。レジうちぐらいしかできないというのは
真実であろう。明瞭な日本語を書くことさえ、できない
脳になってしまう。

しかし11は正しい。これは
ポストモダンに限ったことではなく、思想、文学研究に
みられる現象である。皮肉にも理論を勉強してますと
いう人たちも理論的な文章をかけない。理論とレトリック
を混同している。そのレトリックさえも、明快な議論展開を
目標としたものではない。

レトリックというより、市場の
論理に左右されない閉鎖的な大学制度をバックに、また
何を書いても載せてくれる紀要の制度をバックにした
目的、論理、思考のない言説群。これがポストモダンであり
理論などと呼ばれるものの正体である。

はっきり言って、すでに終身雇用の体制のなかで職を
得ているものはよいが、ポストモダンでこれから勉強して
いこうというものは(つまり博士前期の段階)、早めに
みきりをつけて、他のことしなさい。

と言われて、判断するのではなく
自分の勉強していこうとすることが、本当に大切な学問か
どうかは、自分で考えてきめることが望ましい。ただ
単に、その分野が存在するからというのではだめだし、
その手の本が売れているからというのではだめだ。また、
教授がやってるからというのもだめだ。自分の頭で
考えよう。
13 :01/12/06 21:12
近代の問題点を設定して
それに対処する新しい思考とか思想だとかを総称してそう呼んでる。
もともとは建築関係から来た言葉。以上。
14:01/12/06 21:16
たとえば宮台みたいな奴とか?
15nanashino:01/12/06 23:10
今はコンテンポラリーの時代に入ったといわれますが、
16 :01/12/06 23:33
◆ポストモダン

一種の流行語。
もともとは建築界から来たことば。そのうち一人歩きをしはじめ
〜の基盤を疑う、とか、無効化する、みたいなイメージがついた。
近代からの思想を受け継いでることを自覚している人は
いわゆる「ポストモダン」に入ることを嫌うことが多い。
要するにもともと実体がなかったようなもんだと思われ。
おもにイタい人によって発話される場合が多い。
17 :01/12/07 00:19
>>15
コンテンポラリーの時代もなにも、contemporary=現代だからなぁ。
18スレッド研究家:01/12/07 00:58
>>1
私の研究によると、このスレッドでは、そのタイトルにおいて絶妙の
センスが示され、いくつかの愉快なレスも付き、>>7の苦心にもそれ
なりに微苦笑を覚えつつ好感を持つというレス状態にあったが、>>8
>>10あたりのルサンチマンに満ちたレスで一気に荒廃。>>15
なかなかの「事件」を起こしてくれそうな予感も漂わせたが、>>16
反応せず沈滞に至った。
マキャベリは新しい秩序を確立することほど難しい事業は無いとい
う言葉を紡いだが2chで新しいスレッドを確立するという事業はそれ
をも上回るほど困難であるのだ。そして、今日もまた私の研究は続
くのである。
19名無しさん:01/12/07 01:20
なんのことはない。AMAZONでpostmodernと打って
検索して出てきた本をかたっぱしから読もう。英語の
文献だよ、もちろん。日本語で読める文献にはロク
なものないし。最近の東氏の新書は高校生向けだしさ。
ポストモダン研究は英語圏でアツイ。フランス語圏は出生
地ではあっても、それ以上ではない。
20nanashino:01/12/07 02:26
ブレードランナーは
ポストモダンを最も象徴する映画だって
誰かがほざいておったよ
21ポストモダンとは:01/12/07 02:56
浅田のような、めがねっこ。
22ポストモダンとは:01/12/07 02:58
追加:
だから、宮台はコンタクトレンズにした時点で浅田に負けてるのだ。
23七資産:01/12/07 03:05
>>18
>>8>>10あたりのルサンチマンに満ちたレスで一気に荒廃。」

そうかな〜・・・俺は違うと思うんだけど・・・うーむ・・・
24:01/12/07 03:25
>>16
(゚Д゚)ハァ?
建築っていうか美術界全体で興った動きなんですけど。
現代のデザインの流れの背景でもあるし。
てか近代以降の思想界+美術界の大きな流れを浅薄な「流行」と済ませるのは如何かと思われ。

理性中心の近代≒モダニズムのアンチテーゼとして出来上がったのが
ポストモダンであって。デリダ、フーコー、ドゥルーズ、ガタリ、クリスティバ
あたりが主な思想家と思われ。
理性で物事を考えるのには限界があり、理性で構築された理論から外れたものを
排除するという方法論が否定されていて、本格的な価値相対主義やリゾーム論などが形成された。
畢竟それが現代のパラダイムの根幹を成すものともなってるんだよ?

ただの流行って(藁。無知すぎ。
25:01/12/07 03:27
△現代のデザインの流れの背景でもあるし。
○現代のデザインや美術、思想の流れの背景にもなってるし。
26ななし:01/12/07 04:42
>>24
>>16のは皮肉でしょ、ポストモダニズムに対する。
山形あたりが言いそうな言葉だよ。

あと、仮にポストモダン≒ポスト構造主義と捉えたとしても、フーコーやデリダ
あたりは「構造主義やポスト構造主義とは無縁だ」みたいに言っちゃう人
だからなぁ。

そういうフランス思想における差異を無視して、ひと括りに「ポストモダニズム」
というカテゴリーに収めてしまったのがアメリカの思想界なわけで、その責任
はほぼローティにある、と言ってもいいと思う。

アメリカにおける、そうような意味でのポストモダニズムが、既存の社会構築
主義なんかの影響を受けながら、「本格的な価値相対主義」を生んだのだけ
れど、その価値相対主義がニヒリズムの泥沼にはまってしまうこともしばしば
で、『知の欺瞞』を巡る騒動なんかはその典型。

浅田も宮台もべつにポストモダニズムではないし、むしろ彼らは根っからの近
代主義だろう。日本はポストモダン以前にモダニズムが成熟していないから、
まずは近代の理念(自由主義と言ってもいいし、民主主義と言ってもいいが)を
日本に根付かせる必要がある、と考えている。

この点では、日本における80年代ニューアカをきっかけとしたポストモダンの流
れは、一種の思想的流行という側面が強いし、また今のところポストモダニズム
を引っ張っているアメリカのアカデミズムにしたって、社会科学者のパラダイム
としてポストモダニズムが根幹になっているとはとても言えず、むしろ地道な実証
主義的方法のほうがメインでしょ。もちろん、ポストモダン派が提起する各種の
問題は重要な参照点になっていることは間違いないけれども。
27参加者:01/12/07 07:52
26氏の4パラと5パラだけで、ポストモダンの議論は
実によく説明されていて、それ以上議論する必要ない。
28傍観者:01/12/07 09:45
>浅田も宮台もべつにポストモダニズムではないし、むしろ彼らは根っからの近
代主義だろう。

浅田や柄谷が近代だと言いはじめたのは、オウム事件以降だよ。
29boyon:01/12/07 09:57
>>28
そんなことはないんじゃない?
『批評とポストモダン』は85年だよ。
30nanasi:01/12/07 10:41
ポストモダンを知る以上にモダン焼きを作ることの方が難しい。
しかも、後者の方が色んな意味で美味しい、といえるだろう。
31:01/12/07 13:58
>>26
ふーん、なるほど。
学問板だからおかしいな、とは思ってたけど、
結局漏れのような非専門厨房が釣れたわけだ。
でもパッとしないスレがそのお陰で、明晰な文が載せられてよかったかも(?

『知の欺瞞』。
あれって結局成功したのかな?
巷では「簡単な言葉で難しいことを説明できる人が賢い」ってことになってるからね。

それでも結局ニヒリズムやなんかは克服できてないと思うのだけれど。
どうなんだろう?
そのあたりも御教唆くださればうれしゅうーございます。
32:01/12/07 16:04
つまり自由主義や民主主義や合理主義になにかしら問題があるといってそれらを
超越(感情的に?)しようとする思想っすか?
知の欺瞞って聞いた事はあるけど、人文科学合理主義への批判を書いたってやつ?
ニヒリズムって虚無主義ですよね?虚無主義の克服って?
33774:01/12/07 17:18
>日本における80年代ニューアカ
ニューアカってニューアカデミー?アカデミズム?
これってどんな動きのことなんですか?
34社会学は逝けよ:01/12/08 19:27
>>1
ポストモダン=無能のメシのタネの一つ。
35px ◆BI2EKkq. :01/12/08 19:34
>>34
このスレが読めなかったんだな。かわいそうな頭だ。
36逝け逝け社会学:01/12/08 19:47
粘着だな。さすがバカ社会学。
がんばってメシのタネ死守だ〜〜!(w
>>36
内面的に完結。言葉もない。
38中葉:01/12/08 21:24
モダンの次って言う意味でしょ。判る判る。

19世紀と20世紀がモダンで、21世紀以降がポストモダン。

どうしてこんな簡単なことが判らない人が多いのかな???
それが判らん。
39:01/12/09 02:24
ネタはもういい!
煽りを無視してマジレススレにするぐらいの気概をもてよ!
40nanasi:01/12/09 03:00
混じれ酢はもういい!
思想研究のむなしさを伝えるくらいの危害をもてよ!
41中葉:01/12/09 06:44
激励ありがとう。
それでは、21世紀について話そう。先ずイスラーム文化から話そうか?
イスラーム文化の特質は、、、井筒俊彦の紹介からで良いかな?
42名無し:01/12/09 07:13
匿名掲示板で真面目に議論しようと言うのが間違ってる。
AA板やモナ板のネタ職人の癸亥を見習えよ!
43a:01/12/09 07:23
癸亥?
44ななし:01/12/09 07:41
>>32
ポストモダニズムというのは言うなればニーチェ主義と言うことができて、
フーコーに依拠する場合は自由主義や民主主義が成立するために必要
とされる外部を重視し、その外部の視点からの批判理論を組み立てる。
一方デリダに依拠する場合は、フーコー的な外部の視点をも含め、そも
そも自由主義にしても、自由主義の外部にしても、そもそもなぜそのような
ポジションをトルことができるのか、ということを問い、どちらの立場も根元
的には無根拠である、ということを述べることによって、議論そのものを脱
構築しようとする。

どちらの立場も懐疑主義であることには変わりはないんだけど、その懐疑
が非常に上手く行われた場合には極めて優れた批判理論となる可能性を
秘めている。けれど、それほどに優れた理論というのはなかなか出てこない
というのが常であって、多くの場合は単なる価値相対主義に留まってしまい、
結果ソーカルなんかに馬鹿にされてしまうことにもなる。

>>33
そもそもは構造主義あるいはポスト構造主義的な立場から、既存の実証
主義的な方法論のみに基づいたアカデミズムの方法論を批判し、新たな
知の枠組を示す、というムーヴメントだったんだけれど、結局はメディア先
導の流行語でしかなく、耳学問で理論をマスターしたと勘違いした三流「ポ
ストモダン」思想家を大量排出したあげく、自己破産してしまい、あぶれ研
究者を大量生産した。その生き残りが『現代思想』なんかに原稿を書いて
いたりする。

>>38
その「19世紀と20世紀がモダンで、21世紀以降がポストモダン」という認識
はモダニズムを語る上でもポストモダンを語る上でも役に立たない、というか
ナンセンス。
45筋肉系:01/12/09 09:05
>>44
すっきりまとめてくれましたね。
ところで、ベンヤミンなんかはどう評価されるでしょうか?

>その生き残りが『現代思想』なんかに原稿を書いて
>いたりする。

「ポストモダンで飯が食えるか。野垂れ死にだ」ってここで
吠えてる人は、この『現代思想』あたりに向かって言ってるんだろうね。ワンワン

結局、派手に勉強して地道な論文を書く、というのが
良いのではないかと思う。読んでおけばいいのよ。読んでおけば。

なんつーか、自分が理解できないからって読みもせず、
「流行」とか言ってしまうメンタリティは知識人の態度ではないと思うッス。
46参加者:01/12/09 09:13
>なんつーか、自分が理解できないからって読みもせず、
>「流行」とか言ってしまうメンタリティは知識人の態度ではないと思うッス。
でも、分からせる気のない文章を読むのは時間の無駄。
それにわかりにくい文章は、評価がしにくいよ。科学とか
学問の世界はまず伝わらないとはじまらない。伝わらなくても
いいような本を書いていていい世界は、学会とか科学コミュニティ
じゃないよ。
47傍観者:01/12/09 11:37
>それにわかりにくい文章は、評価がしにくいよ。

そこがミソなんだろ。客観的評価はできず、政治が支配する。
48とりあえず逝っとけ:01/12/09 13:12
またバカどもがやってるな。(w
49参加者:01/12/10 03:11
単なる西洋の難解な思想家を引用することだけが、
ポストモダンであり、また分からない文章を
書くことで、自分たちのLEGITIMACY
を保つ。しかし、それはもちろん容易なことではない。
さまざまな戦略を通じて、自分たちの擁護をするのだが、
48は実によい例である。自分たちのことを批判するもの
を馬鹿にすることによって、また生き残りを目指すのである。
考えてみよう。なぜかこのての分野には個人攻撃が多い。
誰が誰より賢いかというような言説が多い。なぜならば

この思想研究というような分野は、いわゆる勉強をがんばる、
本をたくさん読むという学習モデルが基本になっている。
発見とか、分析とか、分野に対する学術的貢献ではなくてね。

誰ががんばって読むかが中心課題だから、誰、つまり人が
誰より読んだかとか、えらいかということが人々の関心と
なるのだ。
50:01/12/10 14:01
だいたい解ってきたよ(w
51中葉:01/12/10 15:51
何がどう解ったか、教えて下さい。
52↑48?:01/12/10 16:05
つまり、実社会を知らない引きこもりの社会不適応者
およびその予備軍を作り上げる装置だってことですね!

浅田とか柄谷とかにあこがれてワケの分からない言語を連発し、
実社会に役立たない思考を積み上げてゆくという・・・。

イチローとか松井とかにあこがれて野球を始めたはいいが、
プロとして生きていけるのはごく少数。ほとんどは毎週日曜日の
草野球選手で満足し、草野球を楽しめる仕事に就くこともできなければ、、、
53個人的意見:01/12/10 17:29
>実社会に役立たない思考を積み上げてゆくという・・・。

この手の「役立たないものはカス」「わからない言説は屁理屈」など、
近代合理的思考をそれと「気付かずに」し、努力を怠っている人種が一番阿呆だと思う。
54CC名無したん:01/12/10 17:46
素人のしつもんです!

>この手の「役立たないものはカス」「わからない言説は屁理屈」など、
>近代合理的思考をそれと「気付かずに」し、努力を怠っている人種・・・

こういうのって「鉄の檻」につかまってるっていって良いですか?
マックス・ウェーバーみたいに。
55CC名無したん:01/12/10 20:28
わからないんだ〜。モヤモヤなんだよ!!!!
もやもやもやもやもやもやみょあみょあyもあyもあy
56 :01/12/10 23:50
>実社会に役立たない思考を積み上げてゆくという・・・。

役に立たないもんって楽しいよん。
57参加者:01/12/11 00:28
>この手の「役立たないものはカス」「わからない言説は屁理屈」など、
>近代合理的思考をそれと「気付かずに」し、努力を怠っている人種が一番阿呆だと思う。

ポストモダン系の問題点は「役にたたない」からではありません。
科学コミュニティとか、もっと単純に学会としてのルールに
反するからです。

まず最初の論点からですが、人を「役にたたないから批判して
いる」という言説はポストモダン系の生き残り戦略、あるいは
体制の再生産の言説的戦略です。役にたたないから批判するという
ことは、単にまちがってますから皆さんやめましょう。ポストモダン
的言説は、うまくやれば大学の一般教育か高校の道徳の授業レベル
でなら、生徒の批判能力をたかめ、役にたつかもしれません。

ポストモダン系がだめなのは、分析とか解釈といった学問や
科学に最低限の作業がないこと。さらに、分析結果や解釈
を伝えようとする意思がないことです。なぜ、伝える意思がない
かというと、彼らは物事を分析し、解釈し、発見するという
トレーニングを受けていないのです。

責任は彼らだけにはありません。ポストモダンと呼ばれるひとたち
の文章がわるいすぎるのです。これはひとつには、彼らのうけた
トレーニングとSOCIALIZATIONです。上の世代の
文章やスタイルが学びつがれるのですから。

まあ、いろいろ他にもなぜポストモダンの文章が分からないかという
ことにかんするメカニズムはいろいろありますが、これは誰かに
研究してもらいたいものです。

エスノグラフィーもできますが、量的研究も可能でしょう。
58参加者:01/12/11 00:36
>つまり、実社会を知らない引きこもりの社会不適応者
>およびその予備軍を作り上げる装置だってことですね!

個人攻撃的になると、この手の研究をしている人を孤立化
させてしまうのでさけましょう。あくまで、客観的な分析を
お願いします。

今が、このテーマについての研究ができる最後の、そして
最も面白い時期です。なぜなら、大学改革によって、今後
このての思想研究、つまり人を分からせなくても成り立つ
分野は大学からなくなります。この5年です。今は変化の
まっただなかです。

なくならないと思っているのは、大学制度の下っ端の人たちで、
トップの人はもうこの現状に気づいているはずです。というより、
もっと具体的にいうと日本の大学教育の政策をつくっていく
団体では具体的に議論が始まっており、それらの議論をしって
いるのは、まだ大学のトップのかたがたのみです。
59XXX:01/12/11 01:41
参加者はいいことを言う。本当にその通りだと思うよ。少なくとも、
これだけ税金の無駄遣いが叫ばれているのに、国公立大学で知と戯れ
られても困る。そういうのは自分でお金を出してやっていてくれれば
いいんだよ。あと、やるんならヨーロッパ人の受け売りでなく、オリ
ジナリティを発揮していただきたい。

もっと具体的に論じる方が良いのかな。
表象文化論は生き残るのかとかさ。
60参加者:01/12/11 02:24
最近、私が危惧をかんじていることがあります。
それは日本国家の右傾化です。戦争論というまんが
をよんで腰を抜かしました。そして、自分のいとこが
それにそまり、アメリカを敵対視していることにも
おどろきました。まるで、アメリカの教育レベルの
低い黒人が信じているConspiracy Theory(例 AIDSは
黒人を滅ぼすために発明された)の信奉者のようにです。

あのての言説が、科学的学問的トレーニングをうけて
ない大学生などに読まれ、ああいう言説にまぎれるこ
とが学問だと勘違いされたら日本もユーゴスラビアの
ようになるのではないか、つまりナショナリズムによ
って国内の不満を干渉するような国家になるのではな
いかということです。

ばかをさらせば、私自身大学時代、ろくなトレーニングを
うけず渡辺昇一系の本を読むことが学問だと勘違いした
時期がありました。ろくな教育のないところには、危険
な思想が忍び寄ります。

私はポストモダンにも役割があると思います。ちゃんとした
トレーニング、分析、論理、明晰な文章をつうじて、大学
教育の一部をになうような良心的システムの一部を担当できる
と思います。学問とか科学コミュニティにかけがちなのは
社会にたいして発言するということだと思いますが、ポストモダン
には、そのてんでいい活躍ができるという可能性が大いにあります。
61名無しさん:01/12/11 11:23

確かに学術会議に出てる吉田タミたんや学会の上の連中が
何を考えてるか気になるところだが、賛否はともかく社会学に
確実に食い込んできているカルスタの連中をどうするかというのは
重要な決断になっていくと思う。

とにかく「客」が集まる領域であるというのが大きい。
これは大学が潰れてゆく時代にあって重要な要素。
しかも社会に対する批判的読解や
政治的な立場を採るための見取り図を用意してくれると
いうことに一応なっている。
また、ポストモダン系の研究者たちとも親和性があり、
彼らはカルスタを馬鹿にしつつ、そのすぐ隣のようなところで
生き延びていくことが出来るだろう。

問題は、それらの研究を大学で学習したとしても、実は社会に出て
なんの技術にも資格にもならないと言うことだ。教養にすら。
「批判的態度」など会社で役に立つかあやしいものだ。
そうしたこともあって、少なくない人数が大学院に押し寄せてくる。

60は、大学時代に渡辺昇一に嵌ってしまうような人間で、
思想系の書物を読むと「分からない文章に囲まれている」という
ノイローゼにかかってしまっているような人間だが、
それでもトレーニングを積み、教授の言いなりになり、
奴隷のような弟子時代を経ることによって、何とか
学者として就職することも出来た。(おそらく)
大事なのは、60がその存在で自ら示しているとおり、
知的な能力の高低ではないのだ。

このスレで語られていることは、
カルスタブームに沸く社会学において、
他分野がここ数十年頭を悩ませてきたOD問題が、
社会学において始まりつつあるという集合的な予感の
一つのあらわれなのであろう。

おしまい。
62覗きは犯罪です!:01/12/11 14:12

,〜((((((((〜〜、
 ( _(((((((((_ )
 |/ ~^^\)/^^~ ヽ|
  |  _ 《 _  |
 (|-(_//_)-(_//_)-|)
  |   厶、   |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  \ |||||||||||| /  < 歴史の天使・・・。
    \_~~~~_/     \_____________
63中葉:01/12/11 21:19
60、61は異常にボルテージが高いですね。何かが生まれる前段階のように感じられ、
胸がどきどきします。
64  :01/12/11 23:47
日本のポストモダンを悪意をこめて言えばこんな漢字になるんだろうなあ。
分かりやすく噛み砕くっていう作業がわりと軽視されすぎてきたからな。
その点、外国の研究者やそれを翻訳してくれてる人なんかは
本来の意味での研究者tって感じで尊敬できるっす。

あと自分の好きなことやって食っていけるかどうか、ていうのは
何も社会学だとか学問だとかに限ったことでもないだろうに甘えるな。
65参加者:01/12/12 00:58
>思想系の書物を読むと「分からない文章に囲まれている」という
>ノイローゼにかかってしまっているような人間だが、

私は私の能力を信じています。したがって、何が読むにあたいする
文章で、何があたいしないかは、制度や人に影響をうけず、
判断する力はあると思います。教育をある程度うけている
人間ならば、この程度の判断はできるはずです。判断できない
と思ってしまうのは、制度のコントロールであり、また
こういう現象自体(それぞれの個人が能力があるのにも
かかわらず、文章の価値を判断できないと思わせる社会制御
の力)が、社会分析の対象です。はだかの王様に、なぜ
誰も裸ですよ、と言ってあげれなかったのか、という話を
思いおこします。(これこそ、フーコー的な分析が可能?)


「分からない文章」というものをDECONSTRUCTして
みてはどうでしょう。なぜ分からないのかの仕組み。まず
10人ほど日本語の専門家を用意して、実際に読んでもらいます。
そのさいに、わからない部分の理由を分析してもらいます。
いろいろ理由の項目は考えられます。

い)それとか、これといった指示語が何をさすのか明確でない。
ろ)主語がわかりにくい
は)主語と述語が位置的に離れていて、関係がつかめない。
に)引用された著者名を読んでいない場合分からない。
ほ)引用がいきなりあって、その引用の意味の解説がなくわからない。

そしてこれらの情報に基づいて、文章の難易度を測定し、
本当にポストモダン系が難易度が高いのがを統計的にテストします。
実はポストモダン系かどうかが、ポイントではなかったりして。

読者の理解がたりないからわからない、というのはどのように
測定すればいいんでしょうね?


その他にも、それぞれの論文が引用している文献にもとづいて
引用ネットワークというものを構築できます。学問世界に
存在する見えないネットワークです。その所属によって、
難易度がことなる、なんて結果がでたら面白いですね。

66とりあえず逝っとけ:01/12/12 12:34
>(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

全部省略して逝け。早く。
67同意(w:01/12/12 14:54
>>66
ワラタ
68boyon:01/12/12 16:06
>>60
ナショナリズムって今、そんなに危険かなあ?
日本はこんなに間違ってるってテレビでは毎日言ってるじゃない。

学問のアウトプット、つまり
論壇誌・新聞に載る学者の論説・新書など一般書の多くは「反日」ですよね。
ポストモダンの人たちも基本的に

 ポストモダンを理解しない日本は遅れている。もしくは
 モダン以前である日本をどうにかしなきゃ。

ってスタンスにいると思う。これらの影響範囲は決して小さくない。

それと同様に、もっと影響の大きい新聞論調やニュースキャスターなど
ジャーナリストの言説も総じてナショナリズムを促進させる方向にあるとは
とても思えない。
日米安保に反対する勢力は減る一方。

60の危惧している事態は単に

変わり者の右翼はいつの時代にもいる。
大学生の知的レベルが下がってきている。

ってことじゃないかなあ。

反日的スタンスがむしろ日本へのアイデンティファイを感じさせるという意味で、
そのような「ナショナリズム」が問題であると思う。
ポストモダンは「反日」批判に取り組んで欲しいな。
69M台:01/12/12 17:28
60はアホですな。
もはや陳腐極まる冷戦体制下での左右の対立図式から
いまだに抜け出せない「保守」(笑)親父。
民主党の横道のような救いがたいバカですね。
このような時代錯誤の化石親父を輩出してしまう大学の
社会との乖離こそが、真の問題でしょう。
70boyon:01/12/12 18:42
>>69
そそ、60はあなたみたいなのを憂えてるの。
バカを憂えてもしょーがないって俺は思ってるの。
71M台:01/12/12 19:32
アカデミズムの世界って60や70のようなアホばかり。(笑)
宮台先生のおっしゃる「社会学は知っているが社会をしらない
バカ」そのものです。
社会を知るチャンスを研究者になるための機会費用で失って
しまうからですな。
「社会学おたく」がはじかれる制度の構築が早急に待たれます。
72べつに60てわけでなないけど:01/12/12 20:39
68からの一連の流れを読むと分かるけど
いかに論理的思考ができていないか、どれだけ苦手なのか、
ていうことの鮮やかな証明になってるね・・・。
そういうのが日本のポストモダンの根幹にあるような問題だと思っているのだけど。
73:01/12/12 20:51
ジサクジエンカコワルー
74sage:01/12/12 21:20
>>72
それは個人の能力の問題であってポストモダンに帰結されるようなものではない。

一から出直したら?
75ははは:01/12/12 21:29
個人の能力の問題をポストモダンに帰結する。
それが論理的思考ですか。
やれやれ。
76ななし:01/12/12 22:15
>>60
ポスト構造主義からカルチュラル・スタディーズへの流れを知っていれば、
ポストモダニズムは最初からナショナリズム批判として出てきたことが理解
できると思うのだけれど。

ドゥルーズは差異化によるアイデンティティの錯乱ということを主張してい
て、ポストモダニストは基本的にはポストモダニズムにおける近代的アイ
デンティティ概念の批判を目的としている。

簡単に言えばそれは、統一的で安定的な「主体」などはどこにも存在せず、
したがって「日本人」「朝鮮人」「クロアチア人」「サラエヴォ人」といった歴史
的に構築されたカテゴリーを無批判に存在証明のために持ち出すことはで
きない、とする。これはナショナル・アイデンティティにかかわらず、セクシュ
アリティやジェンダーに関わるアイデンティティなどにも関わる問題だけど、
ポストモダニストの場合、これらを語るさいに用いられる「アイデンティティ」
と呼ばれる概念を一度無効なものとするところから議論を始めるわけ。

文体の件に関して言えば、たとえば英語やフランス語の文法においては主
語の存在が重視されるわけだけど、そのように主語を重視するところから、
「その文章を書いている筆者とはいったい何者なのか?」という問いが発生
することになる。ドゥルーズやフーコーは、文学を中心とした、テクストを作
家の特性へと帰属させる「作家主義」に対して疑問符を投げかけていたし、
そのような動きの中から著者とは関係なくテクストをテクスト単体として取り
扱うバルトのテクスト論なども生まれてきた。ドゥルーズ&ガタリの場合も、
本文中でいったい誰が本分を書いているのか分からない、という仕掛けを施
していたりする。

こういう構造主義−ポスト構造主義の流れを知らないで、知的流行だけを
追っかけてポストモダニズムを称揚するのはナンだけれども、ポストモダニ
ズムがそのままナショナリズムに直結する、と結論づけてしまうのも短絡的
すぎる結論と言える。
77boyon:01/12/12 22:35
60はポストモダンがナショナリズムに直結するって言ってないじゃん?

まあ60が何いってるかはおいといて、一般にポストモダンがナショナリズムに直結するという
危惧は、こと日本においては理論上はもちろん無根拠ではない。

ただ現実的には日本でポストモダン派に分類された多くの人たちの政治的機能は、
近代派だったよね。ポストモダン日本主義ってのはなかったわけじゃないけど、
心配するほどではないと思う。

60ならぬ俺は「日本はヨクナイ」の主張の前提にある国家へのアイデンティファイへ
ポストモダンの批判が向かうべきじゃねーかって思ってる。
78:01/12/13 03:02
極端なナショナリズムに収斂してしまうのは良くないと思うけど、
脱構築したからって今までの歴史遺産や文化遺伝子(ミーム)なんかは
決してなくならないでしょう?
それを考えるとできるだけアノミーな状態を作らないためなんかにも
日本人の良さってのものを意識するのはよいことだと思う。
boyon氏のおっしゃる通りニュースでは「こんなにもダメな日本」ばっかりでうんざりだよ。
いい加減自虐史観は捨てようよ。
79参加者:01/12/13 04:29
>ポストモダニストの場合、これらを語るさいに用いられる「アイデンティティ」
>と呼ばれる概念を一度無効なものとするところから議論を始めるわけ。
田舎のおばあちゃんも、それやってたよ。「すいか」たたいて、いい音
がするやつが、いいすいかだってね。 まずスイカという概念を無効化して
ね、たたいてみて音で判断するんだ。
80:01/12/13 05:44
>>79

(゚Д゚)ハァ?譬えがとても下手だね。
81参加者:01/12/13 05:46
とはいえ、やはりポストモダンが、主体つまり「何人」とか
「男、女」というものが、歴史上つくられてきたものだという
ことを指摘し、その言説形成のプロセスをあきらかにすること
は確かに重要かもしれない。

そのプロセスとは経済的なものであったり、制度的な
ものであったり。やはり、そこにはマルクスとかが
描いたような権力関係があるので、ポストモダンと
いいつつも、しっかりした古典的な分析になりそうだ。

そういや、フーコーのDPのなかにも、そういう分析が
出てくるな。

「すいか」では、そのようなマクロな研究はできまい。
つまり、ポストモダンにはいろいろといちゃもんをつ
けてしまうものの、実際の歴史に手法というか、視点と
してとりいれられたとき、面白い研究になりうる。

文体論にかんしては、よくわからん。
82boyon:01/12/13 11:42
視点として取り入れてみる。
日本では、「ナショナリズム」(への危惧)は捏造された"問題"なのではないかと思われる。
テキスト分析をまつまでもない。端的に日米安保への支持率は向上している。

ついでにいうと、「植民地主義」も「階級の文化的再生産」も同様だとおもう。
これらが問題とされている背景をこそ対象にして分析がなされなければならない。

「近代的主体」への批判はさすがに無効であるとは多くの人が気づいたが。
83中葉:01/12/14 21:42
この続きをどうぞ。
84参加者:01/12/14 22:48
最近、ヒーロー不在のポストモダンですが、
どうも新しいヒーローが現れたようです。
DUKE大学の若手の先生と、イタリア人
のかたの共著で、文学に関する大著がでた
そうです。残念ながら、名前など忘れましたが、
数ヶ月前の新聞に記事がありました。
報告のみにて失礼。
85ローティ:01/12/15 21:31
>83君がやれ。
86ぽこちん:01/12/15 23:09
語れ、語れ
ワッハッハ
87中葉:01/12/16 09:25
ワッハッハ。 それでは語らせてもらいましょう。

諸君、この議論には続きはありません。袋小路です。出直しましょう。
88参加者:01/12/17 08:34
このレスが袋小路にはいってしまったのは、
あまりに人々の書いた文節間、文章間の論理的つながりがわかりにくく、
レスするにもレスできない状態になってしまったのでは?
失礼ですが、例を
>テキスト分析をまつまでもない。端的に日米安保への支持率は向上している。

>極端なナショナリズムに収斂してしまうのは良くないと思うけど、
脱構築したからって今までの歴史遺産や文化遺伝子(ミーム)なんかは
決してなくならないでしょう?

>文体の件に関して言えば、たとえば英語やフランス語の文法においては主
語の存在が重視されるわけだけど、そのように主語を重視するところから、
「その文章を書いている筆者とはいったい何者なのか?」という問いが発生
することになる。
89boyon:01/12/17 10:07
分かりにくかったかね。
日本を「主体」として考えたい場合、最も桎梏となるのが日米安保体制。
この体制下、多くの国際政治の局面で日本は主体のない者として振舞っている。
その安保への支持が向上しているのだから、日本国は主体となりたくないんでしょ。

テキスト分析というのは、実際この問題でやったのはポストモダン派ではなく江藤惇。
少し分かりやすくなった?
90:01/12/17 12:37

>極端なナショナリズムに収斂してしまうのは良くないと思うけど、
>脱構築したからって今までの歴史遺産や文化遺伝子(ミーム)なんかは
>決してなくならないでしょう?

危険で排除されるようなナショナリズムとは過激で極端に外国文化や思想を
排除しようとする右翼などでしょ?
そんな極端な国粋主義に収斂しないでも日本の良さを見直したり、
アイデンティティに意識的に組み込むことは可能でしょう?って問いかけ。

脱構築にかんしてはポストモダンとほぼ同義で使ったんだけど、
脱構築もなにも西洋の近代以降の流れだからね。
まあ、それを言っては始まらないんだけど、「近代」を脱構築をして、
新しい価値観を築き上げるのもいいと思うんだけど、一続きの歴史を無視しては
いけないだろう、と。
そういう意味。

総括すると、歴史文化をしっかりと意識しつつ、新しい価値観なんかを
受容してフレキシブルに行けばよいのでは?っていう極々単純な考えでした。
だからこの日本にどれほど「近代」が息づいてるのかが気になるところ。
いい書籍などないでしょうか?
91 :01/12/17 12:46
>>84
ハートとネグリの『帝国』だろ。
ポリロゴスで紹介してるよ。
92参加者:01/12/17 13:39
確かに、今日本のVISIONは何かと問われると
困る。若者たちが、人生を生きていくうえでの
モデルは何かと問われると、どうこたえていいか
わかりにくい。夢をあたえてくれるような、アイデア
もないように思う。しかし、終身雇用制度というものが
悪の根源がくずれるなか、可能性があるのは、
企業に属すとか、会社に忠誠をちかうというような
考えでなく、独立してやっていくためのVISION。
93boyon:01/12/17 14:11
>今日本のVISION
>独立してやっていくためのVISION。

主体を相対化する立場から言えば、「独立して」ではなく協働のVISIONになるね。
それは90氏風に言えば日本的経営・終身雇用の価値観の再発見。
これもわかりにくいかな。
94boyon:01/12/17 14:30
>>90
>日本にどれほど「近代」が息づいてるのかが気になるところ。
いい書籍などないでしょうか?

このスレだから『批評とポストモダン』で見取り図、『小説を遠く離れて』で理解。
普通になら芝原拓自『日本近代化の世界史的位置』ほか。あと丸山。
95中葉:01/12/17 14:31
屁理屈ばかりこねているから解りにくいのは当然と思われる。

かといって具体例を出すとやっつけることばかり考える。誠にやりにくい。
このスレの特徴か、それとも日本人の特性か?

いずれにせよ、ポストモダン以前。
96boyon:01/12/17 14:45
>いずれにせよ、ポストモダン以前。

っつーことは、このスレは近代的である可能性がある。
あるいは封建的か…。
97中葉:01/12/17 15:12
おっしゃることに賛成です。国際的な集まりに出るとすぐ判ることですが、
こんなに古い思考法の持ち主は、世界でも珍しいです。

見かけでなく、本質が古いというか、異質に思われます。
98中葉:01/12/17 15:15
と、ここまで書いて送信した後でギョッと気がついたのですが、
ひょっとしたら日本人は「ポストモダン」を先取りしているのかもしれませんね。

そのアプローチも、あり得るという気がしてきました。
99中葉:01/12/17 15:22
>>91 ハートとネグリの『帝国』だろ。 ポリロゴスで紹介してるよ。

ありがとうございました。覗くだけ覗いてきました。中身を読むところまで
いけませんでした。

そこでお願いがあるのですが、
>>84 最近、ヒーロー不在のポストモダンですが、どうも新しいヒーローが現れたようです。

どこが新しいヒーローの所以であるか、サワリを教えてキボーンヌ。
100参加者:01/12/18 01:12
モダン以前とかポストモダン以降とか、我々は
こういう言葉を時代を表す言葉として使うものの、
じつはあまり意味が分かっていないんじゃないで
しょうか。

いちおう人は、そのての本を読んだり、そのての本の
解説書をよんだり、そしてそのての人の対談集を読ん
だりします。で、そういうのをひととおりやると、
本当はよくわからなくても、なんとなくわかったような
気にさせてくれる言説群を体得します。英語でいうと
クリシェっていうのかな。よく使うから身についちゃう
言葉。

「モダン以前」とか「日本はポストモダン以前」とか
そういう言説の破片って、そういうクリシェ化してる
言葉と思いませんか?よくわからないんだけど、
その手の原書をよんだりしてて、細部がかさなって
いって、なんとなく分かるような観念が、そういう
言葉となる、、、みたいな。

他には「ポストモダンはニーチェ主義」とか、「ポストモダン
は相対主義」とか。

野球でいえば「腰をいれて打て」とか「脇があまい」とかと
一緒で、まとめ的な言葉。

だからなんなんだといわれそうですが、言葉にもいろいろあって、
我々が使う言語をよく見ていくと、そういうのがあるという
ことです。
101ぼよん:01/12/18 15:40
まあ、自分で使う言葉に突っ込みいれてみるのは必要だよね。
それ意味考えて使ってるんか、自分よって。
俺が100のようなことをぼんやり思ったらのなら、

>もないように思う。しかし、終身雇用制度というものが
>悪の根源がくずれるなか、可能性があるのは、
>企業に属すとか、会社に忠誠をちかうというような
>考えでなく、独立してやっていくためのVISION。

こういう文章で自分が何が言いたかったか、
どこで考えるのをサボったか、を反省することから始めるな。

野球の「腰」「脇」は誤爆じゃないかな。
102ぼよん:01/12/18 15:48
>>98
いいとこに気づいたねえ。

経済でも哲学でも政治学でも文学でも、その「アプローチ」については批判も含めて、
ここ100年は新旧多くの人が語っているから、参照する文献には事欠かないと思うな。
103参加者:01/12/18 22:53
>こういう文章で自分が何が言いたかったか、
>どこで考えるのをサボったか、を反省することから始めるな。

そだな。

終身雇用の制度は、会社に入るとか、大学に就職するとか
そういう瞬間、TRANSITIONの重要性を必要以上に
高める。それにつまづくと一生暗いというイメージがある
から。それは学生時代をつらいものとする。まちがいが
できないからな。

終身雇用制度の特徴は一生就職できるという字面どおり
のポイントではなく、これに入れないと一生、日の目を
みないという点だ。こういう人を見るのはつらい。

さらに、OJT、職場におけるトレーニングが重要視され
すぎる。省庁のやつらが、国民の税金つかって留学した
うえで、やめたりするけど、これも終身雇用の精神から
くる制度。無駄だ。

大学という制度においては入ったらこっちのもん、
ていうのでくだらん授業、くだらん研究でも生き延びる
ことが可能となる。

というわけで、終身雇用は悪だと思うのだ。
104参加者:01/12/19 00:21
人のもつ価値観って、国家がコントロールって
いうのも一部あるだろうし、その他いろいろな
コントロールの源があるだろうが、労働市場の
制度に関係している部分も大きいと思う。

例えば社会学の大学院生の人生に関する考え方と
社会学者の労働市場が
あ)学者以外にあまり選択がない
い)コネが重要と「言われている」、あるいは
実際そうである
う)最近、大学院生が増えてきて、競争が激しい
などなどという労働市場の特徴が、大学院生あるいは
職業社会学者のメンタリティーに与える影響は大きいように思う。

今後の大学環境の変革は、もちろん社会学者の労働市場に
大きく影響をあたえるとおもうが、一体どのようなプロセス
を伴うのだろう。

レスの主旨を思い出すなら、ポストモダンは上記の
設問にたいして、どのような解答を導くのか?
105_:01/12/19 00:33
というか、ポストモダンの定義を知りたい。
元々は建築用語でしょう?
それをリオタールが勝手に流用して物語の終わりだとかなんだとか
言い出しただけで。
106ぼよん:01/12/19 09:19
>>103
>そだな。

素直に受けられると101の書き込みがイヤミに思えるな。

それはともかく、103は整理が悪いぞ。2点だけ、

・就職できない人生を気にする割に、市場の流動化とともに失業率が高まる点への留意がない。
また市場化が進んだ後の底辺労働者の不安定な職業生活も「イメージ」してみよう。
・官僚が留学後辞めるのは終身雇用のせいではなく、まったく逆。
すなわち当人の「精神」の欠如、受け入れ企業の存在に着目せよ。
107参加者:01/12/19 13:44
>官僚が留学後辞めるのは終身雇用のせいではなく、まったく逆。

2年も税金で留学させるのは、終身雇用でゆっくる育てあげる
という考えからじゃないか?そういうやりかたじゃなくて、
個人が勝手に留学して力つけて、それから就職できれば
いいんじゃないか?

だいたい専門知識もない大卒のがきを官僚にするのが
まちがってる。社会学の修士などは必須のアイテムに
すべきである。
108中葉:01/12/23 04:56
このスレ「あのさあ、お前らポストモダンてなんですか?」の主題「ポストモダン」
はいずこ??
109終了しました:01/12/23 06:11
ポストモダンってよくわからない、ということで
結論にしませんか。読まないと分からないし、
読んでも分からないし、分かってると思われる
人も、分からそうとする気がないし、もうそっと
しておきませんか。「さとり」って何ですか
という質問と同じですよ。分かっちゃったら、
おしまいなんです。
110中葉:01/12/23 13:48
>109 分かっちゃったら、おしまいなんです。

なるほど。まだ分からないからおしまいじゃないんだ。ふーん。
111:01/12/23 15:10
確固たる規定を示せないこと自体がポストモダンではないだろうか。
112_:01/12/23 21:55
可及的速やかに本を閉じること=ポストモダン
113aaa:01/12/23 22:41
そのまえにモダンの定義を教えてくれ。
114aaa:01/12/25 16:00
モダンとポストモダンの関係がわからんのよ。
ウェーバーのアンチテーゼになっとるの?
115boyon:01/12/25 19:23
>>110
102のアドバイスは分かった?
116最新50:01/12/26 10:44
 | ̄ ̄ ̄|___
 |     ポスト |
 |______|
    ∧∧ ||
    ( ゚д゚)||
    / づΦ
 ________
 |___        |
     |モダン    |
     |_____|
        || ∧∧
         ||(゚д゚,,)
        Φ⊂ ヽ
      ________
 | ̄ ̄ ̄|___       |
 |     ポスト |モダン    |
 |______|_____|
    ∧∧ ||     || ∧∧
    ( ゚д゚)||      ||(゚д゚,,)
    / づΦ     Φ⊂ ヽ
- - - - - - - - - -
117中葉:01/12/26 18:33
ホントのポストモダンは9月11日から始まったらしい。いや、真面目な話。
118かん:01/12/27 00:02
そうか・・・それで吉見さんはおお助かりなんだね。
119中葉:01/12/31 09:21
ホントに助かると思ったら大間違い。相変わらず、吉見さんって大甘だね。
120 :01/12/31 16:00
プレモダン:神学 神を中心とした演繹体系
モダン:その人間化 物理学・経済学のように少数のこうじゅんからの演繹体系
ポストモダン:モダンの学問がえらいわけじゃないよ、みんな認知としては等価だよついうこと つまり命題体系自体の否定

だから、ポストモダニストは地道にちいさい実証=解釈を積み重ねることしかできない。本質的に。
日本のポストモダニストは認識論的にポストモダンでないやつはけしからんとあじっていて、モダンそのものの構造。わかっていないとしか思えないよ。
 
121中葉:02/01/02 07:07
ポストモダンって、やはり、ポスト9/11だと思う。
122 :02/01/03 08:57
1960S以降じゃない
123 :02/01/03 09:01
失礼、中葉さんと気づかずレスしてしまいました。じゃあ、1989,1991以降とか。
124 :02/01/03 23:45
>>121

あんた寒いわ、正直。
125:02/01/03 23:59
モダンの定義を教えてくれよ!
126:02/01/04 00:15
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
127:02/01/04 00:58
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
モダンの定義を教えてくれよ!
128奈菜氏:02/01/04 01:28
120はいい説明だと思うよ。モダンは科学的、体系的思考。
その例 雨が降るという現象
プレモダン 「神様のおめぐみ」
モダン 「低気圧」
ポストモダン 「科学や、体系的な思想では語りきれないよ」

もっと社会学的な例 貧困はなぜおこる?
プレモダン 「うまれついたのさ。そして、それは神による仕業」
モダン 「マルクス、貧困は生産関係によって生ずる階級関係
のしわざで再生産される。」つまり、社会的なメカニズムによって
貧困が作られる。
ポストモダン 「マルクス的な、上が下を搾取するという単純モデル
では、貧困を説明しきれない。」フーコーの場合は権力の作用を
とらえ描写する。

て、かんじで、どう?
129:02/01/04 01:41
>>128
ありがとう。
ポストモダンがモダンを否定するのはモダンが不完全だから?
そうするとポストモダンというのは、モダンよりももっとモダンなものになるのじゃないかと思うのだけど。
130:02/01/04 01:41
わけわかんなくて、スマソ。
131名無しさん:02/01/04 01:59
プレモダンとモダンとポストモダンが、一人の人間の中で混在するのが
正常だよね。自分と他人のプレモダンとモダンとポストモダン的側面が
お互い交流して、楽しい方向にいけばいいね。
132奈菜氏:02/01/04 02:50
>ポストモダンがモダンを否定するのはモダンが不完全だから?

たとえばモダンの代表としてマルクスを上げてみよう。そして
そのマルクスモデルをどのようにフーコーが批判しているか
を考えてみよう。マルクスモデルは、社会現象にはメカニズムが
あるといっている。 つまり、Aさんが貧乏なのは、運だとか
そのAさんが「なまけもの」だとかいった個人的な理由以上、
つまりマクロ的な部分でメカニズムがあると言ったのです。

このように「大きな理論」つまりグランドシオリーという
のは、どうしても穴があるのです。その穴をいろいろ批判
する人が当然でてきます。そのひとつがポストモダンですね。

まずポストモダンではない批判の仕方をみてみましょう。
ネオマルクス主義と呼ばれる人たちは、マルクスの理論が
なぜ特定の社会に当てはまらないかという観点から批判
しました。例えば、ある人は、アメリカには市民に
投票の権利がはやい時期にあたえられたので、労働者クラス
がマルクスのいうような形で形成しなかったと主張します。
これはひとつの歴史的批判ですね。「歴史的」というのは
ここでは、歴史的に特殊な事情をひっぱてきて、マルクス
理論を修正するという意味で、勝手に使いました。

その他の批判もいろいろあると思います。もっと理論的に
修正するというのもあるでしょう。たぶん、ギデンズなど
がやっていると思いますが、よく知りません。

さて、肝心のポストモダンですが、以上の批判と異なる
点は、マルクスの体系的考えそのものを批判するのです。
例えば、階級のモデル、資本家対労働者階級という
単純な権力モデルを批判します。で、どうするかという
と、歴史にうもれてしまった女性の役割をほりおこして
きたり、あるいは細かい権力のプロセスや言説を描写
したり。弱点は、ポストモダンはスタイル的、あるいは
認識論的に体系的モデルの構築を批判するので、本人
たちも体系的なことを言うのを避けてしまします。
したがって、120さんが言ったように、ちいさな
解釈のつみかさねとなります。

ちいさな解釈のつみかさねというのは、けっこう、誰でも
知っているようなことが多いのです。そういう場合、どうして
も権威付けのために、難しい言葉つかいをしたり、難しい
理論家を説明したりします。したがって、ポストモダンは
読むのが難しくなります。

長々と失礼しました。ご意見をお待ちしています。
133名無しの浪人生:02/01/04 07:54
勉強になりました。ポストモダニストというのは、たまにボケ役にもまわるけど
基本的にツッコミということか。
134中葉:02/01/04 09:42
>>128 て、かんじで、どう?

啓発的で、刺激的でした。
近いうちにs-r理論どおり、刺激にレスポンスする予定です。よろしく。
135推薦入学:02/01/04 10:13
>>132
 >ちいさな解釈のつみかさねというのは、けっこう、誰でも
 >知っているようなことが多いのです。そういう場合、どうして
 >も権威付けのために、難しい言葉つかいをしたり、難しい
 >理論家を説明したりします。したがって、ポストモダンは
 >読むのが難しくなります。
136 :02/01/04 12:06
2ちゃんはポストモダンですか?
137:02/01/05 00:58
>>132
うーん。分かりやすくて面白いかったです。
でもやっぱり狐につままれた感じがする。

たとえばですね・・・。
フーコーがマルクスを批判したとしても、
じゃあ、マルクスとフーコーをアウフヘーベンするような
より一般的な体系を作ってやろうじゃないか、という流れにはならないのですか?
そうするとモダンに逆戻りになるのではないですか???
138:02/01/05 00:58

あ、もしかしてモダンとポストモダンって役割分担なのかな・・・???
>>133さんがいってるようなボケと突っ込みという。それならわかる。
モダンとポストモダンは同じ時代に同居するの?

おれはなんとなく、未来においてはモダンが乗り越えられて、
ポストモダンばかりの世界がやってくると思ってるんだけど・・・。
139中庸:02/01/05 01:10
中葉が馬鹿にされて躍起になってレスしてまする(藁
140奈菜氏:02/01/05 02:33
>たとえばですね・・・。
>フーコーがマルクスを批判したとしても、
>じゃあ、マルクスとフーコーをアウフヘーベンするような
>より一般的な体系を作ってやろうじゃないか、という流れにはならないのですか?

そういう体系的な思考を維持したまま、理論的に修正したり、
データをもってきて、理論を豊かにしたり(例えば、こういう
社会でこういう歴史状況では、こうですよ、、、とか、
または統計データを使って、こういう特徴をもった社会では
階級間の不平等が他の社会よりきつい)とか、、、
そういう「まじめ」な発展をさせると、きっとポストモダン
ではないのだと思います。

ポストモダンは、知との戯れの要素が強いので、やはり認識論
的な批判が主でしょう。私が認識論という言葉を正しくつかって
いるか、よくわかりませんが、理解の仕方に関する批判という
ことです。

重要なのはポストモダンは、体系的思考法の批判の
ひとつであり、理解の仕方にかんするものだという
ことと、そういう批判の観点、というか発展のさせかた
には他にもあって、歴史的検証とか、データ分析的
検証とか、いろいろアプローチがあるということを
知ることのように思います。

ポストモダンには限界があるということの理由は、
認識論的な批判だということです。多くの場合、
結論が決まってるのです。つまり、体系的な
思考は終わったよ、ってこと。もうフーコーが
それは言ったので、もういいんじゃない?

私の友達はある日本の地域の歴史を研究しており
マルクス的理解は単純すぎて、歴史の背後に
いたマイノリティの役割を軽視しすぎている、、、
というようなことを、今年も言ってますし、去年も
言ってましたし、5年前も言ってました。もう、
分かったから、許してくれってかんじがします。
結論があって、それで字を詰め込んでるってかんじかな。

ただし、高校レベルで哲学の授業があるフランスなどでは
師範養成の必要性もあるので、ポストモダンの勉強の
しがいがあるのかな、と想像しています。
141中葉:02/01/05 08:16
>>139 中葉が馬鹿にされて躍起になってレスしてまする(藁

ご指摘の通りです。このスレは、私にとってレベルが高すぎるので、躍起になるあまり、
息も切れ切れです。でも、老化防止には役に立ち、ありがたく感謝しております。

皆さん、お手柔らかに、ほどほどにお願いします。
1421なんだが:02/01/05 22:55
この板は住民少ないね。
まだこのスレってあったんだ。
143なかざー@ゆゆたん萌え:02/01/05 23:18
とみおか勝にきけよ
144:02/01/06 20:23
>>140
なるほど、よくわかりました。
噛み砕いて教えていただき
たいへんありがとうございました。
145:02/01/06 20:51
>>140
>私の友達はある日本の地域の歴史を研究しており
>マルクス的理解は単純すぎて、歴史の背後に
>いたマイノリティの役割を軽視しすぎている、、、
>というようなことを、

それはポストモダンと違うだろ、馬鹿。
146奈々氏:02/01/07 01:02
>>145
ほれ、きた。ポストモダンの法則。
ポストモダンが分かったような顔をすると、たたかれる。
でもじゃあ、お前ポストモダンって何なんだよと
いう質問には答えない。
禅と同じだね。「さとり」がわかっちゃいけないんだ。
禅の制度時代がくずれちゃうからね。
「ポストモダン」は分かられてはいけないんだ。
分かったような顔して、やっとつくりあげた「専門家」
の制度がくづれちゃううからね。これから、勉強する
若い人たちができることは、この制度にはいらない
ことだよ。
147奈々氏:02/01/07 01:06
歴史を体系的に語ろうとすることに対して
NOを言うのは立派なポストモダンだよ。
ただ、じゃあどうするかという問題に
なると、エスノグラフィーになったり、
マイノリティー文化研究になったりするんだ。
君が分かっていないのは、ポストモダンは
「態度」であって、実質的な研究ではないのだよ。
本読んでりゃ研究になると思うのが馬鹿である。
そういうことは、公民館か趣味でやりたまえ。
148↑きついですね:02/01/07 02:50
>奈々氏さん
ちょっと「ポストモダン」の範囲を広げすぎなんじゃないか。
「わからないことで権威付けようとしてるポストモダン」て説明は
面白かったですけど。

ただ、ポストモダン「的」用語も(←時には)使い、
学会や論文をちまちま発表してる者にとっては、>>145の人が
引用してる部分にはカチンとしたし、疑問符をもちました。

>結論があって、それで字を詰め込んでるってかんじかな。

これは「ポストモダン」の問題ではなく、論文の質の問題じゃない?
どの領域にもあることだ、と。
(こんなのばっかだと思うんです、奈々氏さんの文章)

ポストモダンは「態度」であって研究ではない、ってのはなんとなく
同意です。けれども、だからと行って公民館でやれ、
というのはあまりに周りが見えてないのではないでしょうか。
149奈々氏:02/01/07 08:22
失礼しました。146、カットしてください。
あまり知識のないもので、すこしあおられると
調子にのってしまいました。匿名性に甘えて。

で、思ったんですが、ポストモダンの論文って
「ある」んでしょうか?ポストモダンといわれて
いる人の引用をしているような論文はありますが、
ポストモダンの理論をつきつめて、のばして、
これだっと叫んでるような論文て「ある」んですか?

読んだら、引用ばっかで、問題をその引用先に
責任転嫁していくようなものが多すぎません?
150boyon:02/01/07 10:58
体系性がないっつーか因果的説明を放棄してる、
悪口でいう「ポストモダン」史学がはびこってるからなあ。>アミノ!
確かに毒消しには役に立ったのだろーが、
アンチ唯物史観は国史学・民俗学・竹越三叉ら民間史学で間に合ってたんじゃないかなあ。
151poyon:02/01/07 11:46
アミノも「ポストモダン」?
じゃ、阿部キンヤとかもポストモダン??

正統的な研究をやってきた者たちが、新しい研究手法等をひと括りにしてけなし、よく理解しないまま安心するためのラベルが「ポストモダン」ってことか??
152boyon:02/01/07 12:15
因果的説明を実質放棄してる点でアミノ史学が、悪口としての
「ポストモダン」に適合してるってこと。
アミノ史学は唯物史観の相対化を狙ってるんだから、奈々氏のポストモダン観では
ポストモダン的態度といえないわけじゃないな。まあマルクス主義は近代とともに成立した
近代批判のひとつだから典型モダンに分類すんのは妙だとは思うが。
153:02/01/07 12:15
「D4でまだ就職してない?? 博論もまだ?
 あぁ、彼は『ポストモダン』だからね」
154agetokuyo:02/01/20 04:17
age
155名無しさん:02/01/20 08:36
確かに「ポストモダン」なんてレッテルを貼られたら、
就職遅れるのは必至だよな。
156キダ・タロー:02/01/21 12:30
やたら「ズラす」という言葉使ってるよなあこの手の
ポストモダン文は。
157:02/02/11 20:14
 ポストモダニズムの定義は、かつて見田宗介がボードリヤールについて
語った言葉(「肯定を禁止しつづける言説」「具体的な何かを肯定する
ことによって自己の言説の超越性を危機にさらすということを回避し
つづける言説」[『現代社会の理論』p.126])が私にはいちばん
しっくりきます。

 俗にいうと、もてるけど恋人をつくらず、あらゆるアタックを
拒み続けるほうが自分の超越性は高まる(笑)。

 似たようなことを佐藤俊樹が言っていて、「(超越的視点の)不在を
語ることは超越的視点をさらに超越するわけで、本当はきわめて超越的な
語りにほかならない」[「透明な他者の後で」『大航海』特集:1990年代 p.118]
と。

 つまり、超越しようとする(=モダン)よりも
他人の超越を限界付ける(=ポストモダン)ことのほうが
さらに超越的なのです。


 以上をまとめると

プレモダン:超越しない状態
モダン  :超越したがる状態
ポストモダン:超越の不可能を知った状態。
       そして「超越できないよ」と他人にいって
       他人を限界づけることにより
       自分の超越性が高まる状態

 詳しく言い直すと


プレモダン:超越的視点を確保しようという運動が
      存在しない状態
モダン  :ある価値を肯定してコミットすることにより
      超越的視点を確保しようとする
     (そして超越しきれずに挫折する)運動
      [ 例:「近代主義」という価値にコミットして日本社会を
           超越的視点で批判の対象とし、そして挫折した
           丸山真男 ]
ポストモダン:自分は特定の価値へのコミットを表明せず、
       超越的視点の不可能をシニカルにいいたて、
       いまだに超越的視点にたとうとする者を嘲笑し、
       それによってかえって嘲笑している自分自身の
       超越性が高まっていく運動
158?つづき:02/02/11 20:15
 ポストモダニストは(あるいは厳密なポストモダンでなくとも
大澤真幸や宮台真司が)、「我々は超越的視点をとりえないのだ、
我々は世界に内在しているのだ」と言い立てる。
 けれどもこのように内在性を語ることが、
発言者の超越性を高める方向にしか作用していない、ということが、
私をいらだたせるのです。

 この問題(「『内在している』と超越的に語る」)は、
論理上はうそつきのパラドックス、ゲーデルのパラドックスと同じなんでしょうが、
実際の生活上は、「内在している」と「内在的に」語ることも
可能ではないか。

 むかしの社会学はもっと素朴なよさがあったものですが、
大澤さんや宮台さんのように「頭のよさで社会をぶった切りにするような社会学」(笑)で、
「我々は内在しているのだ」といわれても、超越的にしか聞こえない。
( 頭の悪い人間のひがみなんです[笑])

 私は、自分のことを正直に語れるということが
思想としての最低の要件だと思うので、「内在している」というなら
内在的に語っていただきたい。

 大澤さんは、理論的にはポストモダンでなくとも、
彼の語り方のスタイルは、ポストモダンと共振していると思います。 
これについては、永井均が、大澤の議論を音楽にたとえて
語っていました。(「読売」98.7.12 書評)

 そういうわけで私は、ポストモダニストよりも、
超越めざして挫折してゆくモダニストのほうが
正直で好きです(笑)。
159名無しプログラマ:02/02/13 02:05
>>158
禿同!
とりあえず、まずは限界まで超越して欲しいですね。
日本人の場合は特に。

自然科学の場合、超越目指して限界まで行った結果のいろんな動きだと
思うんだけど、社会科学って、全然限界まで行っていないと思います。
まず、科学と名乗っているのなら、徹底的に科学を目指して欲しいです。

160唐木藤蔵:02/02/13 07:19
やる気ないっしょ。こんなんで商売になるんだもん。
161ななし:02/02/13 10:00
>>157
なるほど!わかりやすい・・・。
162 :02/02/13 10:15
♪  ヽ(゚Д゚* )ノ  ドカン ドッカン

163(・∀・):02/02/17 15:56
ポストモダン以上に
ポストモダン批判って不毛なような気がするんだが…
とKINGカズの本を読んでいて思った。
164ななし:02/02/17 16:42
>>163
日本の自称「ポストモダニスト」の大半は基本的にキングKAZUを歯牙にもかけていない
のだが、しかしポストモダン思想の影響は着々と社会科学に影響を与えており、それがキン
グKAZUにとっては納得がいかない(「お前ら社会学舐めてんじゃねーぞ、ゴルァ」的発想)。
そこが、あくまでもキングKAZUにとっては歯痒いところなんではないかな。
相手の土俵に乗るのは嫌なんだけど、向こうはこっちの土俵に降りてきそうもない、という。
165(・∀・):02/02/17 17:34
>>164
KAZUはポストモダン嫌いなんだろうけど、
一方で純粋な経験主義の方がもっと嫌いっぽいので複雑だと思う。
KAZUってある意味すごく「ポストモダン」的な人なんだよな。
『制度論の構図』での彼の制度観はバーガー&ルックマンのそれと殆ど変わらず、
むしろ彼らを「行動主義的」と批判してたりもする。
んでもって、「ポストモダン(と氏が言うかはともかく)は適当なこと言い散らしてるが本当は…」
とぶち上げようとするんだけど、自説はいまさら何を?といった感じで、
「批判をしたのはいいものの自説は??」と?2う
「ポストモダン」の本の構成を見事に踏襲してしまってたりもする。

多分「お前ら何無意味なこと言ってるんだよ?」ってのは
根本的にはポストモダンの批判にはならんとKAZUは考えてるんだろうな。
「じゃあお前が意味のあることをしゃべれんのかよ?」って切りかえされるから。
それで「俺が体系を作り上げてやる!」となるんだが、そんなことそうそうできない。
結局は批判とありきたりな自説(モダンなんだから仕方ない)になる。
そうなるんで、「ポストモダン批判」は不毛だなあと思った次第。
「相手の土俵に乗る」ってのが「批判と相対化合戦」なら確かにKAZUは乗ってないだろうが
割と相手の土俵には乗っていこうとしている人のような気がするけど…
スレ汚しスマソ。
166∴フォーチュンの弟子:02/02/17 23:24
ドゥルーズ+ガタリは、ポストモダンじゃねぇ。
ミル・プラトー読んでみろ。あれは地図だ。図面じゃない。
167157=158:02/02/24 22:19
 >大澤さんは、理論的にはポストモダンでなくとも、
>彼の語り方のスタイルは、ポストモダンと共振していると思います。 
>これについては、永井均が、大澤の議論を音楽にたとえて
>語っていました。(「読売」98.7.12 書評)

この言い方で何をいいたかったのかというと、
 大沢さんは「第3者の審級の不可能性を体現する第3者の審級」を
批判していますが、大沢さん自身の位置も、まさにそこにあるんじゃないの?
ということです。(岩波社会学講座の「ネーションとエスニシティ」など)

 「『内在している』と内在的に語る」とは具体的にどういうことかと
考えてみましたが、「内在している」と自分でいいつつ、超越したがる他者に
唾をひっかけない(笑)といったところかな・・・。

 相対主義のパラドクスも同じで、
「すべては相対的だ」と自分はいいつつ、「そんなことはない」と幻想をもつ
人の足をひっぱらない(笑)。
 これが、相対主義を「相対的に」語る方法かな?と思ったりします(笑)。

 これで自己言及のパラドックスを回避できてるかはわかりませんが・・・。 
168 :02/02/24 23:10
「いまどきの社会は」とか「いまの時代は」とよく言われているでしょう?
ポストモダンは、思想ではなくて、近代化・現代化された後の社会関係
や社会構造を多様に指し示すための一つの言葉にすぎませんよ。



169 :02/02/24 23:21
>>168
人によるんじゃないの? 建築の人にいわせりゃ違うだろうし
ポスト構造主義と同意だという人もいるし。
170 :02/02/24 23:25
>>169
ですから、ポストモダンの社会や時代を対象として論じるのと、
ポスト構造主義などの理論的姿勢とが、ごちゃまぜになって
混乱しているんですよね。
171 :02/02/24 23:30
ポスト構造主義という現代思想に対する解釈・理解が
幻想または錯覚であり、間違っているとポストモダン論の
立場から、またはそれ以外の立場から、批判する人が
当時からいる訳です。
ポストモダン論=新人類論というのもありました。
当時の思想状況を一括りにはできないですね。
172名無し:02/02/24 23:52
KAZUって誰だ?
173 :02/02/24 23:56
ポストモダニズムは無視して考える、これ最強。
174名無し:02/02/25 00:02
>>172
TOSHIの師匠筋だっけか?
175 :02/02/25 15:41
>>1

つまり「新...人類」かってことかい?
176 :02/02/25 17:01
ポストモダンは、(エディプス的な)大きな物語に乗らない、疑ってみるということにつきる。

まず、最初に認識のあり方を問題にし、小さな物語を見つけてきてそれで批判してみる。
そこで、展開するのは、自己の経験、リアル感でもいい。
ここでは、一見、大きな物語に対しある種相対的な場がなりたち、ここに止まり勝負している
自称ポストモダンもいるような気がするが、しかしそれは真のポストモダンの言論の場ではない。
真のポストモダンの言論の場とは、その持ち場さえ捨て去り「相対の相対の相対のステージ」
を用意することである。

「まぁ、これも一つの立場からの見方だから」

結局のところ、それ自身が父親にならずに、突き上げられるのをふせぐため、少年と大人の
あいだを漂うモラトリアムの夢を生きてみること。
何にもよらないこの期間は可能性の海で、超越できる、超越していると錯覚することができる。
そして、そこでは、認識ではなく感じ方がテーマになることが多く、表現はおのずと文学的になる。
また、文学的表現がもてない輩は、潜在的に「俺、俺」であるので、「俺、俺」な込み入った
難解な文章にならざろうえない。
177名無し:02/02/25 21:00
日常的世界を相対化することこそ、自然科学・社会科学の営みであるはず。
ポストモダンというまでもなく、学問は相対化である。
さらに、学問の立場が「一つの立場」に過ぎないのも、昔からのことだ。
どんなに筋の通った学説であっても、それを人に信じさせられるか否かは別。
いまさら言うまでも無いことだが…
178唯科学論者:02/02/25 21:22
>>177
科学こそがすべての認識と価値の超越的主体なのだよ。
科学以外はすべて相対的なものにすぎない。
179 :02/02/25 21:26
⊂⌒ノハハノ
 ⊂川o″-゛)⊃ およよ・・・・・・・・・・・・・・・
180名無し:02/02/25 21:50
>>178
というような人こそ「近代人」ということになってるらしいが
んなわけないよなあ…
181唯科学論者:02/02/25 23:06
>>180
その「近代人」に適合しない人は
カルトかイデオローグか頭がおかしいとみなされる。
182 :02/02/25 23:43
ポストモダンという言葉はまだ定義されていない。
しかしこまったことに定義されていないうちにポストポストモダンが生まれてしまっている。
ポストモダンのパラダイムが何であるのかの明確な定義は今だ見つかっていない。
100年後くらいに現代を見直した時にはこの時代のパラダイムがなんであったかはわかるかもしれない。
同時代を生きるものにとってはその時代のパラダイムを読み取るのは難しい。
100年程度たてばモダンからポストモダンへのパラダイムシフトが大きなものだったか、それともモダン内でのパラダイムシフトのようなマイナーチェンジであったかがわかると思う。
183ty:02/02/26 11:54
ジャック・ダリダ、ってポストモダニスト だよね?
184qa:02/02/26 14:04
それってダリだ?とsageつつ一応つっこむ。
185_:02/02/26 15:17
>>182
いまの流行は脱ポストモダンだよな
186 :02/02/26 16:50
>>185
ポストポストモダンか。
やっぱポストモダンっていう発想自体がダメだったな。
187 :02/02/27 16:38
近代的(モダン)な理念が通用しなくなった後(ポスト)の世界像を探る
動きの総称がポスト・モダン。

漏れは工房がどこでポスト・モダンなる言葉を耳にしたか、
なぜそれに興味を引かれたかの説明をキボン。
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189無名御殿:02/03/04 15:06

リオタール、デリダ、ドゥルーズ、フーコーらを一色単にしている時点で
「ポストモダン論」者(批判者もふくめ)は問題外。逝ってヨシなのだが。
190無名御殿:02/03/04 15:09
つまりこれらの論者を「ポスト」なんとかと論じている
「ポストモダン論」者こそ軽薄にすぎるということ。
191 :02/03/09 00:53
ポストモナー
192 :02/04/23 02:58
あげだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
193小泉総理