1 :
さすらいの名無しさん:01/11/27 06:33
いじめ問題の深刻化や少年犯罪の頻発が憂慮されている現代社会
の情勢を眺めていて、私はひょっとして現行の学校制度は現代とい
う時代にマッチしていないのではないかという疑問を抱いた。
今の時代は本当に学校の拘束性が強すぎると思う。小学→中学→
高校→大学というレールが絶対的のように思われ、このレールから
脱落した者は社会から落ちこぼれ扱いを受ける。そのため多くの子
供たちはいじめを受け、精神的に壊れながらも学校に通っていると
いうのが現状だ。
そもそも今の学校で行われている勉強というのは本当に意味がな
い。数学や理科の知識などを身につけても生きるうえでは何の役に
も立たない。
先日、NHKの番組で、寺脇研と宮台真司がサシで討論している
番組を見た。そこで今の子供たちに勉強の動機付けをする必要があ
るなどと言っていた。だが、意味のない勉強などに動機付けなどが
できるはずがないのだ。
歴史を振り返ってみても、国民総義務教育制度などがなくても学
問は知的好奇心の高い人たちによってちゃんと継承されているのだ。
だからわざわざ国民全体が勉強をする必要などは全くないと思う。
勉強などはやりたい人だけにやらしとけばいいのではないのか?
義務教育制度を廃止にするぐらいの抜本的対策を採らねば、今の
子供たちは救われないと思う。そこまで今の時代は行き詰っている
と思う。
以上、いきなり文章が長くて申し訳ないが、何にしろ現行の学校
制度はかなりの欠陥があると思う。学校制度をどう変えていくべき
かについて、できるだけブッ飛んだ意見を頼んます。
いきなりだけど、議論の方向性を練り直す必要があると思われ。
へたれな主張だらけで、反論することの面倒くささを感じされるので、
このままじゃ、あんまりレスがつかないような。
あんたのいってるのは、社会学じゃなくて行政論だしね。
「へたれ」はベストフィット表現。
4 :
箇条書きにしてみたよ、1よ:01/11/27 06:50
「現行の学校制度は現代という時代にマッチしていない」
1.学校の拘束が強すぎる
=小学→中学→高校→大学というレールが絶対だと思われており、
このレールから脱落すれば社会から落ちこぼれと扱われる。
2.そもそも今の学校で行われている勉強には意味がない。
=数学や理科の知識などを身につけても生きるうえでは何の役に
も立たない。
3.「子供達に勉強の動機付けをすることが必要」という議論は無意味。
=意味のない勉強に対して動機付けをするのは無理。
4.国民全体が勉強をする必要はない。
=国民総義務教育制度がなくても学問は知的好奇心の高い人
たちによってちゃんと継承されているので。
結論:以上の議論から言えるのは、義務教育制度は廃止すべきであり、
そのくらいの抜本的対策によらねば現状は打開できないということだ。
しょーもなさが際立ったと思われ。
かろうじて4は議論可能性があるんじゃないかのう。
6 :
名無しさん@ねむー:01/11/27 06:55
義務教育は学問の継承以上の意味があることは明らかなので
4もこのままでは議論できないのでは。
1は行政論ではなくて、印象論じゃない
とりあえず今後は、もうちょいマシなスレの立て方を
考えてくれ。議論しやすいように、な。頼むよ。
9 :
ありったけの愛:01/11/27 07:59
この時間のこのレスのスピードがジサークジエーンぽくてやだが・・・
ぎりぎり
>>4の2と4には拾う部分があるとしようか。
>>7が言うように「役に立たない勉強なんかやる気になるか!」というのは
個人にとっての印象論(こんな勉強して何の役に立つのか)以上のものじゃない。
が、だからだめなんじゃなくて、実は「実学志向」と呼ばれる今の傾向だって
何が「実」であるかはそもそも今の教育論議でだって印象論的に語られていないか。
例えば学力崩壊論争を最初に問題にしたのは数学の先生たちだけど、彼らの言い分では
数学的基礎を必要とする諸分野にそのような前提を欠いたままやってくることを問題にするんで。
けど、教育のアウトプットを就労だとするなら、現在あるいは将来の就労構造の中で
そのような数学的知識を必要とする分野がどれだけあるのかを明示的に示した上で
この限定的(だが必要)な分野のこれに数学が役に立ちますと言わないと、
やってる本人たちの動機付けを回復(昔はあったのかは謎だけど)するのは無理なんじゃないか。
ようするに「実」についての子供たちへの、あるいは親たちへのアカウンタビリティですな。
文系学問だってそうで、社会学を「人間関係の学」と置くなら、第三次産業に偏った社会の中では
個人の主観そのものや感覚的所与をある程度客観化する視座がないことには、
人にサービスや情報を売るなんてできないと思う。社会学者内ゲバ批判はここでもよく見るけど
中途半端に社会学を誤読した連中が会社内でさらにドキュソな論理に基づいて商品開発とかしちゃうんだからさ。
10 :
名無しさん@1周年:01/11/27 11:05
>>7 印象も何も論にさえなっていない。ただの思い込みの作文だね
そんなに酷いかな?
そんなことより、レスのスピードでしょ。
典型的な教育言説だね
タイトルには興味をもったけど、、
1さん、まずはすべての論点についてそれを論証してみてよ。
そうじゃないと反駁さえできない。
14 :
相変わらず長広舌の1:01/11/28 05:57
一夜明けて自分の立てたスレを見てみると、私の理論が味噌くそ
に非難されているので面食らわざるをえなかった。そこで今日は私
の学校観みたいなものを書いておこう。
今の日本社会においては人間はとにかく社会から管理されながら
生きている。子供時代は学校が、実社会に出れば会社が人間にとっ
て絶対的な世界だ。そこから学校や会社から自分の価値を否定され
ることは、自分の人間的価値が否定される事のような認識が生まれ
る。そのために学校や会社から自分の価値を否定されている者は精
神的に追い詰められ、それが極度に達するとネオむぎ茶少年のよう
に暴発してしまうわけだ。
私は司馬遼太郎さんの書いている幕末の歴史小説のような世界に
憧れている。ここでは学校などは日常生活の一部でしかなく、皆自
分の好きなように生きている。人間とは本来、このように自由に生
きていていいはずだと私は思う。
ここから、私は現在文部科学省が提唱しているゆとり教育には大
いに賛成する。学力なんか下がってもいいから、大いにゆとり教育
を推進してほしい。管理社会からの子供たちの解放をその狙いとす
るゆとり教育は、子供たちの精神的救済という、学力などに代えら
れない大きなメリットがあるではないか。
子供たちの日常生活から学校の存在を相対化するには学校制度を
どう変えていけばいいかを議論するために私はこのスレを立てた。
ところが私のこうした趣旨は理解されず、気づいた日には皆で私の
理論をコケにして面白がるための糞スレと化していたわけである。
とにかく私が問いたいのは、今の子供たちを精神的に救済するた
めに現行の学校制度をどう変えていけばいいかということだ。その
ために皆さんの活発な議論をお願いしたい。
だみだこりゃ・・・
デムパスレ認定ですかあ?
各段落にツッコミどころ満載。
なんであんたの学校観なの?
管理社会でも価値を否定されていない人もいるけど?
あんたが自由がいいっつーのと、その自由をみんなに強制するのとは別よ?
学力などに代えられない大きなメリットって?それは学力(による可能性)を失うことより大きいものなの?
学校を相対化するのには制度を変えなければいけない理由は?
子供たちは精神的に救済されたいなんつってるの?あなたの独断でない論拠は?
これらにちゃんとこたえたらそれなりの議論をしますよ、みんな。
17 :
名前:名前::01/11/28 22:08
今の学校の制度はいかん。
逃げろー
面倒くさすぎます。この上には立てませぬ。
すいません。いろいろ考えているうちにやっぱり考えが変わりま
した。
私は現代日本における過度の社会の管理から人間を解放するには、
学校制度をどう変えていけばいいかを考えていたわけです。でも日
本が経済力を最優先する国家であることを考えるなら、今のように
人間をガチガチに管理している社会の方がいいのでしょうね。
本当は16さんの質問にも全て答えることができるのですが、もう
面倒だからいいや。
それがいいだろうね。
ただし、“本当は16さんの質問にも全て答えることができるのですが”は
書くべきではないな。
きみは、本当に最後まで他者からみて妥当だといえることを
書かなかったね。
社会学者の分際で偉そうに学校教育問題に口をはさむなということだ