青山敏弘のサッカー人生
高校1年→選手権で帝京相手に決勝ゴール。チームもベスト8まで進出
高校2年→県予選でVゴールを決めるも誤審で無効となりPK戦で敗れる。各紙で報じられる
高校3年→キャプテンとして全国大会出場
サンフレッチェに入団→大怪我の連続でいつ戦力外になってもおかしくない状況
ペトロビッチ監督就任→主力メンバーとして起用
鹿島戦でスーパーロングシュート決める。その時の審判が高校2年の時に
誤審をした主審。
北京五輪代表候補に怪我の谷口に代わって招集。そこで反町に認められU21の主力になるも
最終予選ではサブに回る。梶山の怪我により試合に出場。最終戦サウジ相手に日本を救う
活躍をするもその試合で骨折し、広島もJ2降格
J2で奮起するも北京五輪メンバー落選→J1復帰に貢献
2009年には平畠先生に最高のボランチと言わしめるほどに成長
映画化あるで!