クラブ経営について語るスレ12

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441U-名無しさん
スポーツニッポン 2006/11/09付け6面
J発足15年100年計画序章
 年間の営業収入はわずか3億円でトップの浦和(58億円)の約19分の1。
31クラブ中最下位だが水戸は立派に黒字経営をしている。小林寛社長(47)
は「今後Jクラブをつくろうとしているところの参考になるようにしたい」と胸を
張った。
 方針は明確だ。「ギャンブルしたいが、できない」。100万円を1口で集める
のは難しいが、1万円を100口ならなんとかなる。あとはアイディアでカバー。
例えば「ライスポーター」は玄米30キロでファンクラブの会員になれてチケ
ットが貰える。米は寮で選手の食卓に並び、その分肉を増やす。今年は
360キロも集まった。
 97年、休部したプリマハムを受け継いで誕生したが、最初から無理があっ
た。練習場もなければ資金もない。親会社やスポンサーもないチームに銀行
も簡単には融資してくれない。「水戸」と名乗っていても本拠地がひたちなか
市の笠松運動公園では水戸市も地元企業も応援してくれなかった。「先行
投資ができない」苦しさ。J2に上がれば何とかなると考えて00年に昇格を
果たしたが「甘い考えだった」ことはすぐに分かった。
 01年に監督としてやってきた小林社長はあまりの惨状に愕然とした。
活躍した選手の報酬を上げることもできず、他チームにオファーが来ても
引き留められなかった。状況を打開するためには「まずは地元に認めて
もらわなければ」。02年から社長ににると小さな商店の開店に選手を派遣
し、サイン会をやった。試合告知のビラを嫌々配っていた選手には「それで
は誰も来てくれないぞ」と諭すところから始めた。
 やっと心が通じて行政や企業が動き出した。水戸市に国有地を借りて貰っ
て今夏ね練習場が出来た。水戸市立競技場の改修も決まり、09年には
水戸市が真のホームタウンとなる。やっとJクラブとしてのスタート台に立
つ。(編集委員・大西 純一)