>>4 > 鄭容台 横F 愛知 朝鮮大学
鄭容台 横F 愛知 愛知朝鮮高−朝鮮大
東京の朝鮮大学を卒業後、当然のごとくサッカー選手になるつもりだったが、日本の大学
を卒業していないため、Jリーグが定める「在日枠」に入れず、外国からの助っ人と外国人
枠を争わなければならない状況に。朝鮮大学は日本の大学同士の公式戦に出場が認め
られないため、実績もゼロだった。
仕方なく、拾われるようにして入った「在日大韓蹴球団」が、釜山の韓国国体で優勝する。
韓国人にはないテクニックを見込まれて、韓国のプロから声がかかった。条件は、朝鮮籍
を韓国籍に変えることだった。両親は、「もう国籍にこだわる時代じゃないよ」と、迷う息子
に伝えた。「北も南も、もとは同じ民族。それに国籍なんて、夢をかなえる手段だと思えば
いい。」朝鮮大学サッカー部の恩師の言葉が背中を押した。
2001年の元旦に、プロ契約を結んだ鄭容臺の月給は15万円。ピッチに立たなければ、
出場給も勝利給もでない。デビューを果たしたのは夏だった。その2日前、合宿所の掲示
板に張り出された自分の名前を見つけたとき、「いやあ、しばらく震えが止まらなかったん
ですよ、マジで。」将来は韓国代表に。
そのためにも、2002年は韓国のスタジアムで観戦するつもりだ。
(アエラ2002/01/14「在日3世の出番だ」)