>>29の続き
早い決断の裏には、J2降格が決まった4年前の苦い経験がある。
日韓W杯があった2002年、ガジ・ガジエフ監督の下で序盤からチームは低迷した。
その際、W杯による中断期間中での監督交代に踏み切れず、立て直しが遅れた。
開幕1ヵ月半での監督交代、球団の「同じ過ちを繰り返してはならない」という強い決意がある。
就任1年目の2003年には、公約通りに「1年でのJ1復帰」を果たし、3年目には18チーム中7位まで押し上げた。
しかし、補強優先のチームづくりの中で、有望な若手を育てられなかった事実は否めない。
「育成型」だったクラブを今後、どのように立て直していくのか、新監督の手腕とともに、クラブの姿勢が問われる。(了)