当時は、そんな“ちょっと日本人離れ”したカズの行動を素直に認める余裕がなかった。
海外移籍にスポンサーやテレビ放送権が絡むのは今や当たり前の話だが、
94年カズがジェノアに移籍した際、日本企業がスポンサーになったことに
違和感を覚えていた。開幕戦で髪形をオールバックに変えたことも
「なぜ普段通りにやらないの」と疑問視していた。今思えば“偏見”でしかない。
新しいことに挑戦するカズは常に大きなプレッシャーを受けていた。
実はものすごく保守的で無知な私たちがそういうものをつくり出していたのだ。
カズは、ジェノア時代の日本人記者への対応の悪さを反省しているという。
しかし、当時もカズは、日本人記者が待っていれば必ず車を止めて窓を開けて話をした。
反省すべき点などない。
反省すべきは、先駆者カズの時代を先取りした行動をうまく伝えられなかった
私たちの方だと思う。シドニーに愛されたカズを見て後悔の気持ちがわいてきた。
(福永稔彦=東京・運動部)
[ 2005年12月19日付 紙面記事「OH!サッカー」より ]
http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/00639.html