>>898は肯定的に受け取っていいのかな?
勿論、来季から劇的に変わることはないかもしれないけど、
長期的な視点で考えると、こういう姿勢は歓迎したいよね。
勿論、審判たちが、この姿勢にのっとってゲームを進めてくれることが
前提となるわけだが。
@都道府県民クラブが少ない
A都市クラブが先行して興っている
今、Jリーグの中に将来的問題があるとすれば、この2点ではないだろうか。
これは個人的な意見として気軽に聞いてもらいたい。
Jリーグに存在する大半は都市クラブであるから、まずこの都市クラブの存在を
クラブそのものの意味も踏まえ取り上げることにしよう。
都市クラブの1つであるジュビロ磐田を例にしてみる。
このクラブは静岡県内に存在し、磐田市を本拠地にしているのは周知の事実で、
磐田市にクラブハウスやスタジアムをもち、磐田市内で主催試合を行うという
のが一般の定義になっている。この媒体となる磐田市というのが都市クラブを
位置付ける重要な制度である。都市という制度的外枠こそ都市クラブを存在させる
唯一のものであり、「市民」が存在して初めて都市クラブは組織化され、
有機的に活動できる。当り前のことであるが、この自然な原理はクラブや
リーグどころかサッカーを超えた社会の原理であるのだ。つまりクラブは社会でありうる。
英国に興ったユニオンから派生したクラブは、良質の社会主義に基づいている。
これを原始としてサッカーにおけるクラブに置き換えても、この一般的定義を
忘れてはならないだろう。つまり、クラブというのは原理原則として社会で
あるから外枠が必要である。サッカーにおけるクラブは、それを大半は制度的に、
さらにはイデオロギー・民族的な外枠に求めているのが世界的な基盤になっている。
都市の存在が都市クラブの存在意義を、「市民」の存在が都市クラブの価値を
もたらすのである。価値を見出した「市民」の代表的存在がいわゆるサポーターであろう。
存在意義と価値、2つの関係がクラブの社会的な外枠を強固にできる。これを求めた
端的な活動こそ、よく叫ばれるクラブの地域密着という行動なのだ。
彼らはクラブに個人の価値ではなく社会的な価値を見出している。クラブに対し集う
「市民」全体で謳い、旗を振り、支援するのは、まぎれもない社会的行動として評価されよう。
さて、何が言いたいかというと、つまり都市クラブは都市に収まるもの、
都市に限定されるということ、これである。都市外はクラブ(都市クラブ)ではないのだ。
「市民」あっての都市クラブであり、外部にはまた異質な社会に市民・外枠が存在するのだから。
そうすると外部介入は侵略でしかありえないし、それを要求しても都市名を戴くクラブが外部に
受け入れられるはずがない。
余談だが、この複合的な社会こそ認知すべき重要な視点でもある。伝統的には、土地と人間は
切り離されてはいない。自然と生活は結合して一つの全体をなしている。私達が土地と呼ぶものは、
人間の諸制度に解き難く織りこまれた自然の1要素でもあるし、人間が土地に居住し、
安定・永続的に居続けることで人類は進化できたのだ。このように私達それぞれに
血縁、隣人、技術、信仰、ムラ、寄合などと結びついている。だからこそ社会には
何層もの枠があり、それを動かしがたい紐帯によって維持することで発展を遂げてきたのだ。
これは商業的側面からは捉えられないものだ。利己心から土地や人間を擬制的に商品化し、
分離することがいかに恐ろしいか分かる。考えてみるといい。都市に生きる私達が都市の
枠に限界を感じ、社会的にその外枠を広げることを要求することがあるだろうか。
また、社会が商業的側面から外枠を取り払うことを要求するだろうか。ことの論理は急速に
増大する都市人口の要求(と平行しておこる都市やムラの衰退)に全体を従わせようとするだけ
ではないか。いくら経済的、国際的に拡大しようとも、その企ては結局伝統的な社会を必要と
することに帰結するのだ。要は社会の存在は動かしがたい人間と自然の真理なのである。
話しが離れた。つまり都市クラブはその都市に限定され、その外枠を拡げる、離れることは
原理できないということをここで述べておきたい。
すると、都道府県民クラブが少ない点が問題化してくる。ここでの焦点は「空白」にある。
都道府県民クラブ(以下県クラブ)は、都市クラブ同様、県域を外枠として存在し、
県民をもって社会的価値を見出される。都市クラブを拡大した大きな社会であり、
その原理はなんら変わりはしない。
ただ1つの決定的違いが、この問題を表面化させる。それが県民と市民の違いである。
どちらも社会的成員であることに違いはないが、国民を最大域としてこれら外枠が
補完的に拡大していることを示す。分かりやすく言うと、市民は県民でもあり国民でもあるが、
県民は国民でもあるが市民だけではないということである(静岡県民は日本国民でもあるが
磐田市民だけではない)。この決定的違いが、県クラブの存在を有意義にする。
それはつまり、県クラブは県内に含まれる市民を包含しているが、それは「空白」の余地が
ないことを意味する。
「空白」―――これこそJリーグ、日本のサッカー文化に内在する問題ではないか―――は、
県民が市民ではないがために、都市クラブが県内で先行することによって起る。
県内に先行する都市クラブが2,3できたところで10ある都市のうち7つの「空白」を生む。
そしてこの「空白」は都市クラブは都市に限定される原理原則によって放置されるのだ。
「空白」を残すことは県にとってもJリーグ、日本のサッカーにとっても非合理的なのは明らかである。
「空白」を埋める手段は県クラブにしかできない。都市クラブが全ての「空白」を埋めることは
自己本位のユートピアでしかないし、まず県民である市民がそれを拒むであろう。
都市クラブの先行は「空白」の存在を私達に示すのである。
クラブは都市に限定されると説いた。しかし、サッカーの世界では地域クラブ間の戦いによる
結果を成果とする。つまり外部との接触は避けられないものであり、それが競争的なシステムで
動いていることに私達は別の目を向けなければならない。なぜならこの競争的な外部との接触が、
都市クラブが先行しているJリーグにおいて「空白」をめぐる広域化という侵略に強引に都市クラブを
転換させるからである。現在、多くの都市クラブが放置されたままの「空白」を求めている。
昇・降格システム・アジアから世界に競争が拡大する中、クラブにとって経済的にも社会的にも
外枠が不合理なものになっている。世界的クラブなどはその象徴であろう。
だが欧米のクラブはその原理原則を失ってはいない。確かに海外のクラブが日本などに新たな
市場を獲得しようと目論んでいる。日本国民には、そのクラブの伝統や格式、素晴らしい選手たちに
魅了され市場によって販売されるモノのように獲得されるかもしれない。
しかし、これをサッカーのレベルや格調として諦念し、妥協してはならない。そうではないのだ。
そう思ってる人は見誤っている。実はこれも「空白」の問題なのだ。
海外クラブは原理原則、社会の外枠を遵守している。それは国内や欧米に「空白」が少ないという点にある。
だからこそ国内リーグがクラブの大小関わらず競争でき、欧州・南米というさらに大きな範囲でも
競争できる。大きなクラブにとっては余剰が生まれ、その余剰を世界に向けた野心につながる。
それは人間は停滞を望む性向ではないし、進化向上こそ人類の叡智そのものに基づく。
だからこそ、海外のクラブは国外、欧米外に目を向けサッカー文化の行き届かない「空白」を探すのである。
かの植民地時代のように、日本もその1つなのだ。欧州のクラブビジネスは自らの社会は維持する一方、
南米やアジア搾取のためこれを破壊するのである。これこそ海外から要求される市場拡大の企ての深層なのだ。
そして日本における都市クラブの広域化も同様なのである。広域化がもたらすものは侵略であり、
新たな都市クラブ化を妨げ、さらには都市名を冠するクラブそのものの価値を市民が見出せなくなる。
忠誠を失ったクラブに市民が支持を向けるはずもなく、社会はクラブを見捨てるだろう。
都市クラブは後発であるべきである。県クラブの先行によって隙間無く埋められた中に、
市民によるクラブを各々発見することのほうが都市にクラブが必要であるかどうかの価値を見出せるはずだ。
結論として「空白」を埋める作業こそ今一番重要な課題になる。それは協会やJリーグの使命でもあるし、
私達の認識の問題でもある。都市クラブの存在は否定しないし、都市クラブが多く存在する現状のJリーグも
受け入れることはできる。だが、この「空白」をさらに生み出し、広域化を促進させるようなことは
もう避けねばならない。県クラブの存在はそれだけ有意義なのだ。クラブを求める声は日増しに高まっている。
Jリーグにかかる夢も大きくなるばかりである。だからこそ「空白」は埋めねばならない。
人々を秩序の上に組みこまなければ成らない。それは都市クラブによる侵略では果されないのだ。
広域化はクラブの利己心に根ざしたものである。利己心によって「空白」が埋められていくことでは
真の国内リーグになりはしない。それは異常なリーグである。
クラブというものを、高い次元で私達は認識する必要がある。そして上記@とAに集約される先行された
「市民」と放置された「空白」の問題は14年目を迎えるJリーグにとって世界と競合できるかどうかの
大きなテーマだと危機感を抱いてほしい。それが私が思う問題の意味である。以上。
932 :
いつも乙:2005/12/24(土) 16:27:00 ID:RW+3MDJG0
つまりだ。
強力な財政基盤があれば大丈夫。
>>915 ひどいこと言ってごめんね
県選手権と全国選手権はリンクしていないって事。
全国選手権1部は前年の残留組と2部からの昇格組で行うわけ。
全国選手権2部以下のチームが県選手権で優勝しようが、全国選手権でのクラスは変わりない
>>934 県では広すぎるから、地域リーグの区切りでやったとしてもせいぜい九州と関東くらいしか成立しないんじゃないか?
試合の移動費用って結構かかる。
野球みたいに3連戦するわけではないから、1試合ごとの移動コストは大きい。
J2より下のリーグとなるとこれがキツイ。
全国をいくつかのブロックに分けた方が良いと思う。
ブロックは、チームパスで3時間以内とすれば、日帰りも可能で交通費も安く済む。
札幌はたしか旅費だけで2億近くかかってたな
代表アウェー遠征なんか6000万位の予算組んでやってるんでしょ
すべてで二億の札幌もすごいな。ちゃんと宿泊させてもらってるのか?
>>939 サテやユースは基本的に飛行機で日帰り。
さすがにトップは前泊しないとtotoの関係でまずい。
道リーグが地域リーグとしてまともなレベルになれたとしても、
道内バス移動で日帰りはもう無理というか無茶。
さらに三分割しないと。
現状の分布図で関東のクラブが東北・北海道遠征
しなきゃいけないのは、これはもうしょうがない。
費用はかかるけどすべて飛行機移動の札幌と
かなり長距離でも日帰りバスツアーのチーム
選手として所属したいのはどっちだろう
給料が高いほうだな
944 :
U-名無しさん:2005/12/27(火) 02:30:24 ID:xo4thKxJ0
945 :
U-名無しさん:2005/12/27(火) 02:39:51 ID:wWIl/eKW0
Jリーグには,アジア最強のリーグになってもらいたいな。
そのためには、アジア人には外国人枠の適用除外規定を設けてもらいたい。
J2までは全国リーグ堅持
J2までは全国リーグ堅持
950ならJ3創設
950ならJFL2部化でJ3案消滅
そういえばJFL2部化って話あったな。
どうなっちゃったんだろ?
J入りの過程が一年増える
四部が全国リーグになる(イングランドと日本一緒にするな)
頓挫して欲しい<二部化
3部が全国リーグってのがそもそも無茶な話なわけで。
2部化の話って2ちゃん脳内」ソース?
サッカー協会とJリーグはもっとメディア戦略を上手く活用しないと。
そうですね
そろそろ次スレの準備ヨロ
960 :
U-名無しさん:2005/12/29(木) 10:47:31 ID:d/+WqiX00
そろそろ、秋〜春リーグへ移行しよう。
外国の様に
秋−始業式、夏−卒業式にならないかぎり、大卒・高卒の選手の加入時期で問題が生じる。
3月卒業の日本には、いまのシーズン制が向いてる。
9月に戦力外になった選手の再就職とかもいろいろ問題がおきる
>>962 いまでも12月中には結論出てるんで実際は5月か6月でしょ。
学生に戻りたいヤツは入学まで時間ありすぎて逆に困るかもな。
でも、企業の中途採用はもうちょっと融通利くよ。
年度とシーズンがずれることの根本的な問題は、スポンサー様と
スタジアム確保の不都合。
さらに降昇格が絡んでくるからもっとマンドクサイ。
秋春スレへ行ってください
そこで2シーズン2地区制ですよ!
とたわけたことを抜かす奴が某スレにいたなぁ…
Jの方は2シーズン制にする必要ない
スポンサー契約も年度またぐ事も承知するとこだけ選ぶ
>>966 2シーズンってのは、去年までの前後期じゃなくて
例えば東地区と西地区の開幕がずれるって意味。
雪で試合ができないからずらすんだってさw
詳しくは某秋春スレ参照。海外移籍を容易にするためだけに
あれだけ妄想を書き立てたのはある意味賞賛に値すると思う。
ものすごい長文レスが続くので読むのがんばってね。
>>967 アンタそのネタ好きだね
誰も求めていないのに
970 :
U-名無しさん:
ume