キング【カズ】について語る

このエントリーをはてなブックマークに追加
1U-名無しさん
サッカー界の「キング」三浦知良を語れ!!
2U-名無しさん:2005/06/01(水) 21:42:29 ID:jbWrsruK0
【れ】
レインコート
【と】
3U-名無しさん:2005/06/01(水) 22:30:21 ID:HueveVgk0
三浦カズ氏ね
4U-名無しさん:2005/06/01(水) 23:48:13 ID:LNvZwelx0
キングカズを語るのに言葉は必要ない。
どんな言葉も虚飾にしてしまう唯一無二のオーラはあまりにも神々しい。
5U-名無しさん:2005/06/02(木) 00:47:24 ID:zAYjuZLn0
言葉は必要ない。
              ズサーc⌒11っ゚Д゚)っ    
6U-名無しさん:2005/06/02(木) 18:17:35 ID:ynrKgAC60
スレタイ最悪
7U-名無しさん:2005/06/03(金) 01:10:33 ID:Lxe9MWa+0
三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は日本のプロサッカー選手。
愛称は「カズ」(キング・カズ)。
現在はヴィッセル神戸に所属。
三浦泰年(ヤス 2004〜ヴィッセル神戸統括本部長)は実兄。
夫人はタレント・女性雑誌モデルでも活躍の三浦りさ子(旧姓・設楽)である。

経歴
1967年2月26日、静岡県静岡市葵区生まれ。
1982年、静岡学園高等学校を中退し、単身ブラジルに渡る。
サントスFCなどで活躍後、1990年に日本リーグ・読売FC(ヴェルディ川崎 = 現・東京ヴェルディ1969の前身)に移籍。
ラモス瑠偉、北澤豪らと黄金期を作る。1993年、Jリーグ初代MVP受賞。
1994年イタリア・セリエA(日本人初)のジェノア、1999年クロアチア・ザグレブにも在籍した。
なお、FIFAワールドカップ?本大会には出場したことがない。
1993年アメリカW杯予選ではエースとして活躍するもドーハの悲劇を経験。
1998年フランスW杯では現地に行きながらも北澤豪と共に最終メンバーから外れ、帰国。
2004年12月、ブラジル・サンパウロのクラブチームで同州1部リーグに所属する「ウニオン・サンジョアン」の球団買収に
乗り出していることが明らかになり、現役選手活動を続けつつ後継者育成に尽力することになる。

プレイスタイル
ブラジル時代は細身の体を生かしてキレのあるドリブル突破で「ウイング」として活躍。
帰国後、フィジカル面で一皮剥け、他の追随を許さぬエースとしてアメリカW杯予選で抜群の勝負強さを発揮。
現在Jリーグで最年長ながらここぞという場面での得点感覚、ベテランらしい読み、熟練した体の使い方等は若手選手のお手本と言える。
根強いファンがその功績を称えて「キング・カズ」と呼ぶ。
現在に至るまで、再度の代表選出を求めるファンからの声が途切れたことがない。

主な在籍チーム
ジュベントス(ブラジル)1982年 - サントス(ブラジル)1986年 - ヴェルディ川崎 − ジェノア(セリエA )
− ヴェルディ川崎 − クロアチア・ザグレブ − 京都パープルサンガ − ヴィッセル神戸(現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%9F%A5%E8%89%AF
8U-名無しさん:2005/06/03(金) 07:03:15 ID:KURbUn2Y0
りさ子おひさる  (;´Д`)ハァハァ
ttp://www.risako.com/
9U-名無しさん:2005/06/03(金) 11:23:48 ID:DyZtR17A0
1967年、静岡県静岡市に生まれる。1973年、静岡市立城内小学校に入学。城内FCで
本格的にサッカーを始める。さらに静岡市立城内中学校に入学。この頃から横浜銀蝿の
もの真似をするなど目立ちたがり屋であった。

1982年、静岡学園高等学校に入学するも、8ヶ月で中退。15歳で単身ブラジルのプロチーム
「ジュベントス」に留学。当時のカズは県内でもほとんど評価されず、カズのスピードと
体力ではブラジルどころか県内でも通用しない、という批判の声がほとんどであった。
それでもカズは自分を信じブラジルへと発った。

カズは、他の選手のように一時留学の形でチームに預ってもらうという形をとらなかったため、
ブラジルで注目を集め、プロの仲間入りをするには、人並以上の練習で実力をつけ自力で門戸を
開けるしかなかった。カズは、ひなびたスタジアムで罵声を浴びる毎日を送りながら、
死に物狂いの練習を毎日続け、言葉の壁、習慣の違い、いじめや孤独と戦いながらプロを目指した。
食事やスパイク、ユニフォ−ムを盗られたりもした。下手なプレ−をすれば、日本人は使うな
という世間の攻撃も受けた。

1985年の夏、カズは厳しい日々に夢を捨て日本に帰ることを考えた。そして、日本行きの航空券を買い、
リオの公園に気晴らしに出た。そこでは、20人ほどの子供達が楽しそうにサッカーをやっていた。
その中には、片足で懸命に汚れたボールを追っている少年がいたのである。

「片足の子だけじゃなく、 裸足の子もいました。じっと子供たちを見ているうちにボクは反省しましたよ。
ボクには両足もあれば スパイクも新しいボールもある。いったい、何をぜいたくなことをいってたんだろう
と思いましたね。」(カズ)

飛行機の予約をキャンセルしたカズは、この時から帰国を口にしなくなった。
翌1986年2月、18歳の 誕生日の2日前、カズは正式に名門サントスFCと契約した。
日本では華やかに報道され、現地ブラジルでも新聞にとり上げられ話題には事欠かなかったが、サントスFCでも
厳しい苦渋を味わった。ウイングのポジションには元代表の名選手がいて、そのシーズンは2試合しか出場できなかった。
10U-名無しさん:2005/06/03(金) 11:26:16 ID:DyZtR17A0
そして1年後、サントスFCの外人枠から外れ、弱小チームに貸し出されることになる。そこでの生活は
悲惨なものであった。

「まるでドサ回りみたいなものですよ。バスで延々23時間かけて地方に遠征し、 試合をして、
終わったらまた23時間かけて帰る。夜はバスの通路にクッションを敷いて寝る。
食事は高速道路のインターで同じような肉料理を1日3、4回。
それに、ブラジルは広い国だから、暑かったり 寒かったり、1日で気温が10度以上も違うんですからね。
でも、ここで負けたら永遠にオレはダメ になると、いつも心のなかでは思っていたんだ。」(カズ)

そののち、「CRB」という田舎チームを経て、1988年サンパウロ州の1部リーグチームではあるが、
ローカルチームの「キンゼ・デ・ジャウー」にスカウトされる。
このスカウトが歴史的なゴールへとつながることになる…。

カズはこの試合で、鉄壁の守備を誇る元ブラジル代表のエジソンのマークを外し、
ヘディングでゴールを決め、1-0で勝利した。点を取ったのはヘディングだったが、得意の
ドリブルで何度もコリンチャンスのディフェンダー陣を混乱させた。カズのフェイントは
ブラジルの超一流チーム相手に十分通用するようになっていたのだ。ゲームが終わった後の
ジャウーの町は1週間以上も、お祭騒ぎがつづいた。地元ではカズを「神」として崇めた。

その後、パルメイラスの助っ人メンバーとしてキリンカップに出場したり、コリチーパを
パラナ州のチャンピオンにさせたりし、カズは実力をフルに発揮しはじめ、90年に再び
サントスFCと正式契約した。

カズ、このとき22歳。今度は超一流の折り紙をつけられ、堂々と胸を張っての契約だった。
11U-名無しさん:2005/06/03(金) 11:27:38 ID:DyZtR17A0
1990年7月、カズは帰国し「読売サッカークラブ」と契約する。
ブラジルでの最後の2年間は、 カズは評価も高く人気選手であり、名門「サントスFC」とも契約し、
まだこれからという時での 帰国であった。
ブラジルでの成功を捨ててなぜ日本に帰ってきたのか、残念がるファンも多かった。
当時日本のサッカー界には、プロリーグの構想が持ち上がっており、カズは、その構想に引かれ
日本に帰ることを決意したのだ。カズは、ブラジルで人気選手としてサッカーを続けることより、
日本のサッカーのレベルを上げ、日本代表チームの一員としてワールドカップ出場を目指すことを
選択したのだ。

1993年にはプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、また日本代表チームは、ワールドカップ・
アメリカ大会出場まであと一歩というところまで迫る。日本のサッカーは、人気実力ともに上昇して
いった。これらの功績はカズなしではとても成し遂げられるものではなかった。

日本のサッカーが軌道に乗ると、再び自らのもう一つの夢を追いかける。
そしてまた、通用しない という声の中、セリエAでのプレーを実現する。

日本は1998年フランスワールドカップに出場を決めるも、カズはそのメンバーから外されることになる。
日本代表のユニフォームを来て、ワールドカップの舞台に立つことを一番強く願っていたのがカズであっ
たと思う。日本を世界のレベルに引き上げたのが、カズであることは皆が知っていることであり、本人も
そう思っていただろう。それだけに悔しかったことだろう。

しかし、これまでのカズはブラジルに渡る時、ブラジルから帰る時、イタリアでプレーする時、常に回りに
反対される中、自分を信じて成功をしてきた。逆境をバネにして、やってきた男である。今回は代表から
外れたが、まだまだこれで終るような男ではない。

カズの帰国会見。「メンバーから外れたことは、絶対に納得してはいけない。」

いい顔をしていた。カズは、死んではいない。夢を追い続けるカズのサッカー人生は、まだまだ終らない。

--1998/7/10
12U-名無しさん:2005/06/03(金) 17:09:39 ID:axXb54c+0

復活キング・カズ!三浦知良〔10KAZU〕
http://ex12.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1117772978/
13U-名無しさん:2005/06/06(月) 17:54:45 ID:ok4kCpZU0
キングカス
14進路希望:2005/06/09(木) 02:03:28 ID:r+ZHFfq10
 
 第一希望   ブラジル
15U-名無しさん:2005/06/10(金) 03:47:00 ID:9FT8tugu0
16U-名無しさん
age