【存続?】サガン鳥栖減資問題5【降格?】

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970903
「エルゴラッソ」の金曜版が発行されたので、水曜版の記事を紹介します。

「サッカーを忘れないで!」

○で、どうなのよ?サガン鳥栖
 "年末の恒例行事"と言われるようになってしまった、サガン鳥栖の騒動が
今年も継続中である。心穏やかに過ごしているサポーターなど1人もいない。
なのに曲解されて「サポーターは経営に責任がないんだから口を出すな!」と
他人からは呆れられる始末。口を出しているんじゃなくて、愛するチームの危機を
心配しているというのに。今年の総決算と来季の展望を語る季節になっても、
サガン鳥栖の憂鬱はしばらく続きそうだ。毎年ゴタゴタが繰り返されるサガン鳥栖、
それでも、なぜ犠牲を払ってまでもサポーターは応援を続けるのだろうか?

○すべてが0だった、あの日から…
 前身の鳥栖フューチャーズの解散を受け、それまで愛していたチームの名前が
変わった。1997年2月4日、サガン鳥栖の誕生である。
 完全に0からのスタートだった。愛しく育んでいたものを手放さなければならなく
なった時、手中に残ったのは"チームを愛する情熱"だった。「フラッグもなくて、
手縫いで仕上げました」(Iさん)、「スタッフが足りなくて、ボール拾いもしたっけ…」
(M氏)、「トレーニングシャツもバラバラだった。だから、サガン鳥栖最初の試合の
ナビスコカップで、選手たちが揃いのユニフォームで鳥栖スタジアムのピッチに立ったとき、
涙が出た」(Hさん)。そんな継続する苦しみを背負って生まれたサッカーチームだから、
小さな「砂」をひと粒ずつ集めて「岩」にしていくように、みんなが愛して力を貸して、
育てていかなくちゃならない。「失業時代にサガン鳥栖と出会い、"こんな小さな町でも
サガン鳥栖は必要とされている"と感じました。自分の励みにもなったんですよ」(Sさん)、
「完全に生活の一部になっていますね」(M氏)、「日々、何気ない瞬間にも
サガン鳥栖が気になります」(Hさん)、「"腐れ縁"とでもいうのかな(笑)」(K氏)。903