しみじみ清水エスパルス121〜カスタネットマン戸田〜
1965年9月22日朝日新聞朝刊
「女性の料理の覚え方が変わってきた時期だからでしょう」と話すのは、磯野家の食生活に関する研究論文もある伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)さん(66)。
60年代は「台所」が「キッチン」に変わっていく革命期だった。ステンレス製用具と換気扇が据えられ、家庭料理にはあまりなかった揚げものやいためものを作れるようになった。
一方、女性の社会進出が本格的になり、料理を覚える場は家庭から料理学校に移り始めていた。
「私も教えていましたが、西洋料理と中華料理を習うことがステータスでした。甘味も洋菓子。和菓子は田舎臭いし、太ると敬遠されていました」
名前こそ、秋におはぎ(お萩)、春はぼたもち(牡丹餅)と変われども、半つきもちに小豆あんをまぶした素朴な和菓子は、季節を選ばない甘味だった。
特に家庭で作るおはぎは、ものすごく甘かった。この甘さがまた、ダイエット気分が生まれていた女性たちの心を閉ざしたに違いない。
「和菓子は洋菓子に比べても油脂を含まない分、糖分はゆっくり吸収される。小豆は食物繊維が豊富でお通じもよくなる。砂糖が多いのは、持ちを良くする保存料の意味もある。
家庭で作る大きくて甘いおはぎは、健康にも精神にもいいおやつだったんです」と奥村さんはいう。
地位の低下は家庭だけではない。磯野家のおひざもと、東京・桜新町の駅前にある和菓子店「伊勢屋」は5年前、通年で作っていたおはぎを春秋の彼岸限定にした。
「昔から都会は店で買う方が多かったから、磯野家で作らないのは無理もない。でも、以前はお供えものの定番として一年を通じて売れていました」と店主の谷清さん(56)。