移籍・トレード・戦力外「ら」スレ 2004 Part58

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445今朝のニッカン ◆59YUoCC76A
【ポーランドリーグに初日本人、直川公俊グールニク・ザブジェと契約】
ポーランドリーグに初の日本人選手が誕生する。無名のMF直川(のうがわ)公俊(19=静岡産大)が
名門グールニク・ザブジェと契約したことが13日、明らかになった。
立正大淞南卒業後はいずれのチームにも所属せず、モデル事務所とも契約した異色選手。
昨年1年間、海外クラブ入りを目標にイタリア、ブラジルで武者修行を続けたのが実り
ブラジルのアトレチコ・ロンドリーナに所属していた昨年12月に、欧州の強豪入りを決めていた。

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直川が長年の夢だった海外リーグ入りを現実のものとした。
昨年12月数にブラジルで契約後、1度日本に戻りドイツ経由で5日にポーランド入り。
7日に現地で入団会見も済ませた。会見場には、現地の新聞4紙を含め多数の報道陣が詰めかけた。
「中田(英)さんと間違ったんじゃないか」と、直川自身驚きを隠しきれなかったという。

ポーランドリーグ入りまでの道のりは、平たんではなかった。
最高の環境を求め、高校2年の終わりには地元の和歌山から立正大淞南へ転校。
スピードを生かした左サイドMFとして活躍したが、細身の体が災いし、ケガがちだった。
J入りをかけた選手権も、星稜に初戦敗退。静岡産大入学後は、海外挑戦を目標にサッカー部には籍を置かず
自主トレやフットサルを続けるかたわら、静岡県内でモデル業もしていた。


446今朝のニッカン ◆59YUoCC76A :04/01/14 04:38 ID:FL08XcFj


昨年2月から2ヶ月間、バッジォのプレーするセリエAブレシアに留学したのがきっかけだった。
前年までブレシアでプレーし、02年W杯出場後にグールニク・ザブジェの会長に就任した
ポーランド代表MFコズミンスキ氏に興味を持たれた。ブレシア関係者から話を聞いた同会長は
5月からブラジル修行していた直川を追いかけるように昨年11月にブラジルへ。
ブラジルで数クラブを渡り歩いた直川のプレーを見て、獲得を決めたという。
その後、ネドベトの代理人ガブリエリ氏らが訪れ、契約にこぎ着けた。

現在静岡産大は休学中、気持ちはホーランドリーグ一本に絞られている。チームは8日に始動しており
2月のイタリアキャンプ、プレーシーズンマッチを経て、4月から始まる第1ステージに臨む。
「アジア人初らしい」と本人も認めるポーランドで、開拓者としての第1歩を踏み出した。

◆直川公俊(のうがわ・きみとし)
1984年(昭59)2月6日、和歌山・由良町生まれ。
由良小4年でサッカーを始め、U-12和歌山県選抜入り。
由良港中でC大阪ジュニアユース入りしたが、距離的に遠かったため父が指導する由良FCに復帰。
立正大淞南(島根)3年時に全国選手権出場後、静岡産大へ進学した。
家族は父裕俊さん(50)母せつ代さん(49)兄匡高さん(23)姉真理さん(21)祖母たか江さん(72)。
180cm、65kg。血液型A。