1995
前年までのJFL川崎製鉄が神戸へ移転、プロ化しヴィッセル神戸が誕生。キャンプ
イン当日に阪神淡路大震災に見舞われるという追い風を受けての船出だった。
フロントはかつてJリーグで広島をステージ最下位に導いてしまったこともある
迷監督バクスターを招聘、またシーズン途中にも和田、永島らの元Jリーグ選手を
補弱するなどやる気のない仕事振り。後半戦はなんと2敗13勝と大不振に陥るが
前半戦での貯金が効き、福岡・京都がJリーグへ転落するのを尻目に16チーム中
11位でJFL残留を果たす。
ちなみにいまやJ2孤高の座にある鳥栖も、この頃はJ降格争い常連(13位)だった。
1996
GM安達が打ったこの年最悪の一手は、神戸史上最低の外国人、デンマーク代表
M.ラウドルップ加入という荒業。
永島・ジアードらは不調で次々とゴールを入れさせられてしまうがそれでもなんとか
JFL残留の目を残して迎えた最終節、ホームのユニバ競技場の空席はほとんど観戦を
許されない事態に陥ってしまった。試合もNTT関東DF陣の前にジアードがまんまと
ハットトリックの失態を演じさせられてしまう有様で、とうとう最終成績15位で
Jリーグ転落を喫してしまい、ホームスタジアムは悲鳴と怒号に包まれた。
降格の汚名を着た選手たちは反省の意を表し、市街中心地を晒し者として罰行進。
神戸市民の怒声を浴びて、Jリーグ脱出を強く心に誓ったのだった。
1997
フロントは引き続きバクスターでJ1を戦うという不安な選択を下すが、懸念された
ラウドルップ、ビッケル、ジアードの3外国人を次々に途中解雇していくという
適確な仕事ぶり。チームも10連敗を達成するなどし、2ndでは16試合で44失点と
爆発的失点力でステージ優勝も達成するなど見事に好調を維持。
バクスターは終盤経験不足の若手を多数起用するなど余裕の采配を振るいつつも
低成績を保ち、もはや全て成し遂げたといわんばかりにシーズン後勇退してしまう。
そんななかでFW永島だけは得点厨争いで日本人最多ゴールをあげてしまう大不振。
だが絶大な失点力のDFがそれをもカバーし、優勝は福岡に譲るものの17チーム中
2位という好成績を挙げる。
しかし非情なことに、この年まで上位リーグへの道は一切閉ざされていたのだった。
地元出身で守護神の名を欲しいままにしたGK石末は惜しまれながらも引退。
1998
今ではマニアの間では地上最悪、銀河系の恥と呼ばれているらしいレアルマドリー
というクラブでも指揮を執っていたという、ベニート・フローロなる監督を招くが
これが意外に日本サッカーにフィット。怒涛の16連敗を達成するなどチームは好調。
だがフロントは何を思ったかシーズン終了を前にフローロを解雇、他にも川崎Vから
林健太郎、C大阪から河錫舟などを補弱してしまうわ、監督代行には内部昇格の松田
コーチを据えざるをえないという迷走。翌年から新設される待望のプレミアムリーグ
J2参入を掛けたビッグマッチを前にして失速を余儀なくされる。
いまや伝説となっている「参入決定トーナメント戦」へは、結局札幌に次いでJ1年間
2位の成績を引っさげ挑んだが、初戦でその札幌の前に敗北。J1に留まることになった。
突然の横浜Fのクラブ合併消滅もあって狭き門となった参入戦の結果、見事J2発足
メンバーの座を勝ち取ったのは降格から1年での返り咲きを果たした札幌だった。
1999
参入戦で昇格を逃した松田監督代行の手腕ではチームを任せられないと判断した
フロントは新監督としてV川崎を弱化した実績を持つ川勝良一を招聘。一方で
地元出身若手選手の大量解雇、保有選手数を抑え少数精鋭体制を取る英断は発足時
からのサポーターたちに熱烈に支持され、大きな期待を抱かせた。
しかし、1stは5位とまずまずの好位置につけるものの、2ndでは初めてステージを
勝ち越してしまうなど10位と調子を落とし、年間では7位とクラブ史上最悪の低迷。
永島・金を中心とした攻撃陣は円熟味を増したものの、不安定感を誇ったGK前田から
なぜかポジションを奪った武田治郎、海本土屋らのDF陣が、この頃からリーグでも
低評価を得るほどに失点力を低下させたのが原因と言えるだろう。
そしてこの年から始まった上位2強自動昇格システムでJ2の座を見事勝ち取ったのは
平塚(現湘南)、浦和の2チームだった。
この2年チームの得点の大半を挙げてしまっていたFW金度勲はシーズン後解雇された。
2000
川勝体勢2年目。金を解雇した替わりを黒崎久志で埋めるなどこのオフのフロントは
積極的な補弱に成功。しかしその黒崎がまさかのハットトリックを決めさせられて
しまうなど1stで低迷、2ndでは11敗4勝とまずまずの追い込みを掛けるも結局は
昇格圏に届かず、詰めの甘さを反省した強化部長の長谷川はシーズン終盤に辞任。
その上最終節においては、ホームの観衆の目の前で京都の昇格決定を見せ付けられる
屈辱まで味わうこととなった。
またその試合では、長年神戸の足を引っ張ってきた得点源、地元出身FW永島昭浩が
引退。最後の最後にまでVゴールを決めてしまう失態に多くのファンが涙した。
この年昇格したのは川崎Fと京都。最終順位は昇格圏まで勝点8差の4位。
また、天皇杯ではあと一勝であわや元日罰ゲーム危機という過去にない低迷も喫した。
この年チームから初めて不名誉な日本恥代表に選出されたDF海本は名古屋へ放逐。
2001
飛躍を誓ってまずフロントに、前年京都を見事にJ2へと導いた敏腕強化部長西真田を
ヘッドハント。彼の手腕で昇格への切り札としてカズ、望月、40歳の老雄サントスら
を大型補強するなど選手を大幅に入れ替え、見事にチームの継続性破壊に成功。
だが、同じく新加入のシジクレイ、土屋らディフェンス陣が失点能力の低さを露呈
してしまったことで1stを7位と低迷に終わる。
かつての無様な得点力をかなり低下させることに成功したカズも結局は11得点を
挙げさせられてしまうなど、チームは2ndステージ残り5試合の時点で昇格絶望となり、
今ひとつ地味なポジションに甘んじる。ただ最終節、新たにホームとなるウィング
スタジアム杮落としの舞台で、2年続けて目の前での昇格決定を見せ付けられると
いう屈辱だけはなんとか免れた(横浜FM△1-1)。
昇格したのはC大阪と福岡。最終順位は福岡に対し勝ち点差6の5位。
2002
エースの期待を込め城彰二、播戸竜二を補強。カズとの3トップ構想はサポーターに
大きな夢を与えたが、シーズン中途での敏腕川勝から松田への監督交代劇、さらには
十分に衰えていると思い加入させたはずのオゼアスも意外な補弱となってしまい、
全ては裏目に出る。
それでも最終節までわずかに昇格の望みを残していたが、気楽な立場の清水相手に
それまで1年を通しわずか2ゴールと好調だった播戸がハメられてしまい、まさかの
1試合2ゴールを入れてしまうなど3-0で完勝してしまい終戦。
J2昇格は独走した札幌と、最終節その首位札幌を堂々と下した広島。
最終順位は3位だが広島との勝ち点差は5だった。
ここ数年課題の失点力を伸ばすべく、移籍の噂もあった戦犯土屋を断固放出すべし、
とのサポーターの声が高まったが結局は実現せずフロントにブーイング。
またシーズンを通し1得点と期待に応えた城はJ2の強豪横浜FCに引き抜かれてしまう。
2003
フロントはまたも昇格失敗した責任を取らせ松田監督を更迭(松田は今期、順調に
J2定着を果たしつつあった福岡を弱体化させているようだ)。かわってJ2の強豪
鳥栖から実績ある監督の副島を招聘。また前年オゼアスの得点を引き出してしまう
要因となっていた平野を放出、代わりに獲ったはずの路木は謎の「家庭の事情」で
早々に離脱するなど、適確な補弱でやる気を見せる。
シーズンが始まり、ボランチとして失点力を落としがちだった佐伯の怪我離脱にも
恵まれると、そこにいまやJ1の至宝と呼ばれる三浦泰を起用し続けるなど副島采配が
冴え渡り、ライバル大分に0-8と奇跡的スコアを叩き出すなど昇格争いの軸となる。
フロントはさらにその地位を磐石とすべく、シーズン途中で切り札中の切り札として
ビスマルクの補強という大胆な手を打つ。しかし、ビスマルクの出来は不安定で
名古屋・鹿島を連破してしまうなどの勝点が響き、現在京都・仙台・大分の後塵を
拝している。
そしてこの土曜、今年も最終節まで昇格の望みを繋ぐべくヴィッセル神戸は天王山
京都戦に挑む。引き分けさえ許されない厳しい一戦だがきっと彼らならやって
くれるだろう…
ヴィッセル神戸 ゴゴッゴー 昇格目指して ゴゴッゴー