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あの人は今・・・ 2022年 6月
韓国、ソウルから車で2時間ばかり行っただろうか・・・
今から20年前の2002年6月、赤い鼓動は大波となり全世界の注目を独り占めにしていた。
そう、02韓日ワールドカップである。
オランダの名将ヒディンクに率いられた大韓民国は、大観衆の熱狂的応援で
強豪国を次々に破り、当時のアジアとしては初となる4強入りを成し遂げたのだ。
その後欧州のクラブへと散っていった4強戦士達であったが、度重なる不運で、
海外移籍の夢を絶たれた男がいた。
あの6月の主役と言っても過言ではない、アン・ジョンファンさん(47)、その人だ。
02W杯後に海外移籍を希望するも霧散し、清水エスパルスに拾われ移籍をした。
その後Jリーグではさしたる成績も残せず、アンさん側近の強引な手法で、スペイ
ンのアトレティコマドリーへの移籍を試みたが失敗。その後、酒の席で泥酔し帰宅途中に
階段から転げ落ち、膝に致命的な負傷をし選手生命を絶たれた。27才の若さだった。
「久しぶりに思い出したよ・・、あの頃は若かったな・・何もかも」
流暢な日本語でアンさんは語りだした。
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:03/02/11 03:08 ID:ZBf7fGF+
「あの時スペインに行っても活躍はできなかっただろう。そう思うんだ」
「私は利用されていただけだった。今の僕を見たら・・結局私が馬鹿だったんだよ」
それ以降アンさんは口を開こうとしなかった。
引退した後のアンさんは、清水jrユースのコーチをする傍ら、清水市内と浜松市内に焼肉“指輪の帝王”
をオープンさせたが長続きはせず、さらには妻であった李恵園さんとも離ればなれになってしまった。
アンさんは現在、韓国の片田舎で孤児院“国際迷子”の院長として生活している。
「本当は孤児なんて出ないほうが良いんだ。そうだろ?
早くそんな社会にならないかと・・」
子供たちとサッカーをして戯れる姿は間違いなく、あの輝いていた6月の主役アン・ジョンファンであった。
自慢のパーマ頭はもうできない、ゴール後の指輪キスももうできない。
しかし、今は世界一サッカーの上手い院長先生、子供たちのお父さんアンジョンファンさんとして
静かに暮らしている。