柏レイソル回顧録

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150新・国盗り物語
かつて日本サッカー協会は
丸の内御三家と呼ばれる古河、三菱、日立の各派が対立している
組織であったが、当時の主流派は古河電工出身者で固められており、
日立製作所は彼らとは一線を画し
当時企画が進んでいた「Jリーグ」に慎重な立場をとっていた。

それゆれに「名門」日立製作所のサッカークラブは
準備不足でJリーグ参加が遅れ、
当時の空白地帯であった千葉県にはジェフ市原が足がかりを築いた。

しかし何事も中途半端なジェフ市原は、
駅から遠くて、観客に不便な陸上競技場をホームとし、
その改築を名目に地方巡業や東京国立競技場での試合を繰り返した
ためにホームタウン市原市の支持が得られなかった。

人気も戦力も中途半端なチームは
千葉県というサッカーの競技人口、それを見守るファンも多いという
基盤に立ちながらも、千葉県内から茨城県の鹿島アントラーズ
に観客が流れてゆくような、吸引力のない存在であったのだ。