中田、中村、小野、稲本そして山瀬part2

このエントリーをはてなブックマークに追加
28U-名無しさん
若き司令塔・山瀬功治 12歳で単身留学

札幌ドームが、世界に羽ばたく1人のサッカー選手を待っている。
コンサドーレ札幌の山瀬功治(19)。
札幌市に生まれ育ち、小学校を卒業すると単身、ブラジルへ。
帰国後は、札幌、そして20歳以下日本代表の中心に成長した。
そんな道産子サッカー少年あこがれの存在の歩みをたどった。
29U-名無しさん:01/09/30 03:41 ID:???
◆小学校時代

山瀬がサッカースクール「SSS(スリーエス)」でボールをけり始めたのは5歳。
かつてバイアスロンのサラエボ五輪代表だった父功さん(46)の、
「幼いうちにスポーツの楽しさを教えたい」との思いからだ。
左足だけのドリブルを教えたコーチは、1週間足らずでマスターしてしまった少年に驚いた。
家族の目には、暇さえあれば自宅の6畳間でリフティングに熱中していた姿が焼き付いている。
気がつけば、サッカーは「体の一部みたいなもの」になっていた。
小学4年で6年生チームの正選手となり、フットサルの全国大会でハットトリック。
「この素質は日本の枠に収まらない」と、札幌大教授でブラジルの大学と交流があった
SSSの柴田勗(つとむ)代表(68)は、小学校卒業を待って山瀬に留学を勧める。
海外でもまれる時間が何にも代え難いことは、父親も肌で知っていた。
12歳。迷いなく未知の「大国」に飛び込んだ。
30U-名無しさん:01/09/30 03:43 ID:???
◆ブラジル時代

サンパウロ郊外の日系人学生寮で、山瀬は2年半を過ごした。
ポルトガル語がわからず、現地学校を追い出されるように辞めた。
寮の大学生チームで続けたサッカーは、まだ160センチに満たない身長では、相手に当たり負けた。
そんな経験が、山瀬を人一倍の負けず嫌いにする。
高校受験のため帰国すると、勉強の遅れを取り戻そうと、家族や友人から隠れるようにSSSの事務所で参考書をめくった。
進学した北海高校では、週6日の練習をこなしながら、ひとけたの順位に成績を上げた。
「本業」の方は、高校卒業と同時にプロへ。
いまではコンサドーレ札幌でも、20歳以下日本代表でも欠かせない存在だが、まだ、「自分のプレーに納得できない」。
練習場には必ず、1人残ってキックの感触を確かめる山瀬の姿がある。
31U-名無しさん:01/09/30 03:44 ID:???
◆そして札幌
5月19日のジュビロ磐田戦。札幌は首位相手に後半ロスタイムまでリードを奪う大接戦を演じ、延長で敗れた。
J1の最高レベルに、山瀬は気後れすることなく、攻めに守りに中盤を激しく動き回った。
だが、満足感はない。「勝たなきゃ意味がない」。その夜、休む間もなく代表チームの合宿に合流した。
向上心と、王国・ブラジルでの挫折が育てた負けん気。
「世界のだれよりもうまくなる」という夢へ、一歩一歩、階段を上がってゆく。