強姦は本当に悪いことなのか?

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335でりだ
 さて、なぜ、「悪いものは悪い」といった循環論に対して、そんなに否定的だと
疑問に思われるかもしれません。
 これは簡単なことです。たとえば、麻原ショウコウがいますよね。おそらく
彼の行なったことは、多くの人にとって、悪行だと思えることでしょう。でりも
そう思う。しかし、法治国家においては、「彼はなぜ、悪いのか」ということ
を具体的に、徹底的に突き詰めなければならないわけです。「麻原は
悪いから悪いんだ」といってしまったら、そこから議論は広がりません。
昔、テレビで見ました。若い男性が、吐き捨てるようにインタビューで
答えていました。「麻原なんて、死刑でしょ」。ブラウン管を通して、
伝わってきたのは、それが適当な量刑であるという冷静な判断ではなく、
むかつくからぶっ殺してやる、つまり「悪いものは悪い」という発想なのです。
ところが、いっている発言者は、自分の発言の危険性にまったく気がつい
ていない(ように見えた)。その攻撃性こそ、論理性と倫理性を欠いた、ま
さに「ポア思想」と同レベルにあるにもかかわらず。
 悪行を重ねたような人間にも弁護する余地はある。それは近代社会の
生み出した知性の結晶の一つではないでしょうか。
 このことは、もちろん法律にかぎらず、我々の社会生活一般に当てはま
ります。
 オウムのようなカルト集団は、その後もいくつもある。ガイアナで数百人
が毒をあおった人民寺院のようなカルトが登場する可能性もある。
 そのようなものに対する抑止力になるのに、「悪いものは悪い
」といった決め付けや思考停止と、「なぜ、なにが悪く、なにが問題
なのか、あるいはなには問題ではないのか」ということを突き詰めることの
どちらが有効なのでしょうか。
 でりは、疑うことなく、後者だといえます。かりにそれが不十分なもの
であろうとも。