慰安婦問題ってさあ・・・

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1名無しさんの主張
嘘だって聞いたんだけど。政経の先生に。
あれは さわし(だったか)っていう嘘のネタで講演をして商売
するヤツが全国回って語った話だって言ってたぞ。
ホント?
2>1:2001/04/13(金) 14:46
いくら喚いてみても、相手にされないものはされないんだよ。
あ、そんな事も分からないからクズスレ立てても平気なのか(わら

一番関わりたくないタイプだよ、おまえは
3名無しさんの主張:2001/04/13(金) 14:52
>2
ちゃんと文章読めや。ぼけ
1はホントかって聞いてんだって。
ニホンゴワカリマスカ?ワラ
>一番関わりたくないタイプだよ
それはおまえ。
4>3:2001/04/13(金) 14:56
もし本当にホント?と聞いているのなら、外を出歩け、社会に出て働いてみろ、
何よりも普通の一般人と接してみろ(わら

それでその噂の真偽を自分で判断できないようだとおまえは本当の意味で社会不適格者だ。

それとも、やっぱり自分の欲しがっている答え以外は意味不明言語になるのかい(わら?
5名無しさんの主張:2001/04/13(金) 15:00
1のような奴を見てると”誰でも発言できる”というネットのプラスな特徴の中のマイナス部分がよく見える
6あれ?:2001/04/13(金) 16:01
「さわし」っていうのが居たっていうのは事実じゃなかったか?

勝手に韓国行って土下座して謝罪したってオッサン。最初は
「あった」派も資料リストにこのオヤジの本を加えてたのが、
事実関係が捏造だったことが判明して流石にこれは不利だって
ことで、本自体「なかった」ことにしたっていう話。

こういった事実さえ「なかった」ことにしたいヤツが多いのか
ただ単に全然ものを知らんやつが書いてるのか。
7名無しさんの主張:2001/04/13(金) 16:07
>>6
話が反対方向へ曲がっているよ?
さわしがいたのは本当だがね。
8名無しさんの主張:2001/04/13(金) 16:21
慰安婦はいた。
業者により借金のカタに取られたり騙されたりして
連れて行かれた人もいた。さらわれた人もいるかも知れない。
だが、日本政府又は軍が強制的に連行又はそれに関与したという証拠はない。

江の傭兵が外務大臣談話で強制性を認めたが、後の国会質問で何ら確たる
証拠はないことが判明している。

といったとこでしょうか。
9名無しさんの主張:2001/04/13(金) 16:53
>>もし本当にホント?と聞いているのなら、外を出歩け、社会に出て働いてみろ、
>>何よりも普通の一般人と接してみろ(わら
ふーん。つーことはあんたは一般人じゃないんだ。きちが0ですかぁ?
周りに知ってる人がいなかったらここで聞いてもいいんじゃないか?
>>それでその噂の真偽を自分で判断できないようだとおまえは本当の意味で社会不適格者だ。
なんで噂の真偽を自分で判断できないようだと本当の意味で社会不適格者なんだ?
意味不明(藁
自分の頭のなかの法則で物事をいわないでね。

慰安婦はいたらしいです。しかし、定かではない。
結論は出るでしょうか?この問題。

10名無しさんの主張:2001/04/13(金) 17:34
>>9
ネット上で追い出されたら他に自己主張する場所が無いから必死だね・・・・・。
11名無しさん:2001/04/13(金) 18:15
朝鮮女衒を縛り首にすればいいんだよ。
12名無しさんの主張:2001/04/13(金) 19:37
>>11
どこにだっているのに。
13名無しさんの主張:2001/04/13(金) 19:38
>>12
呼んだ?
14名無しさんの主張:2001/04/13(金) 21:41
読んでない、。
15名無しさんの主張:2001/04/13(金) 21:42
つかさぁ、実際に戦場に行ってた人間がきちんと
「確かにありました」「いえ、ありませんでした」って
はっきり言えよな、黙ってないで。
いつもそう思うよ。
言えない、ってことは少なからず後ろめたいとこもある、って
受け取られるのも仕方ないと思わない?
16名無しさんの主張:2001/04/13(金) 21:47
>>15
山本七平の本読んで、もう一度出直してきな。
17名無しさんの主張:2001/04/13(金) 22:52
出直せ
18名無しさんの主張:2001/04/13(金) 23:19
dさええ
19名無しさんの主張:2001/04/14(土) 09:09
>>10
ハァ?
201円:2001/04/14(土) 09:51
本来、我々が非常に反省すべきことであり、国を挙げて解決すべきことなんだろうが
イマイチ日本国内にそういう空気が感じられない。同じことは教科書問題にも言える。

これは、韓国や中国がこれらの問題を政治の駆け引きの道具にしている感が強いからだ
と思う。そもそも彼等は、これらの問題を本当に解決したいと考えているのだろうか?
21名無しさん@1周年:2001/04/14(土) 10:03
反省?
ああ、ありもしないことを韓国になきつかれて
あったかもしれないとアナウンスしたことをか?
無論、河野は息子ともども逝ってよし。
221円:2001/04/14(土) 10:20
>>20
勿論、彼等の言っていることが事実であるという仮定での話だ。
主には、この問題が「ありもしないこと」だということを断定できる、確たる材料でもあるのか?

俺が言っているのは、そういうことを含めての「解決する気」なんだよ。
お互いに、真偽を暈しているように思えてならないのだ。
231円:2001/04/14(土) 10:21
>>22
訂正:>>20>>21
24名無しさんの主張:2001/04/14(土) 10:22
普通はあったことを証明しない限り有罪にはなりません。
なかったことを証明するなんてことは事実上不可能です。
251円:2001/04/14(土) 10:28
>>24
痴漢の冤罪を証明することは、「なかったことを証明する」ことではないのか?
確かにとても難しいことだとは思うが、だからといってハナからやらないというのも
常任理事国を目指すような国家として、どうかと思うな。
261円:2001/04/14(土) 10:37
>>25
訂正:痴漢の冤罪を → 最近よくある、痴漢の冤罪を

「冤罪の証明は痴漢だけではないだろ!」というツッコミがありそうだから、一応訂正しておく。
27名無し:2001/04/14(土) 11:13
>>9
慰安婦の存在は確定している。強制連行したという証拠は未だないだ。
間違えるな。
28名無しさんの主張:2001/04/14(土) 11:53
>>25

痴漢の冤罪は、なかったことを証明するのではなく、
「あった」とする検察側の証拠を崩せばそれでOKなんですが・・・。
あなたは、裁判や事実認定に関する基本的な知識すら
お持ちでないようで・・・。まさに1円ですな(藁
291円:2001/04/14(土) 12:47
>>28
>あなたは、裁判や事実認定に関する基本的な知識すら
>お持ちでないようで・・・。まさに1円ですな(藁
まぁーーーーーったくナイ。大いに藁ってよし!
30名無しさんの主張:2001/04/14(土) 22:56
age
31名無しさんの主張:2001/04/14(土) 22:59
日本政府は今後どういう態度をしめすべきなんですか?
すいません、知識の少ない厨房なもので。
32名無しさんの主張:2001/04/15(日) 19:06
韓国に、なかったとはっきり言うべき!
33名無しさんの主張:2001/04/15(日) 19:11
強制連行じゃないもん。
自分で望んでいったくせに、文句言ってんじゃねー。
34名無しさん@1周年:2001/04/15(日) 21:21
従軍売春婦問題はもう終了ということでいいんじゃないの。
35名無しさんの主張:2001/04/15(日) 21:59
たぶんそれだけの問題じゃないんだろ。
南北朝鮮の緊張とか、アメリカをはじめとする連合国が賠償金を
取らなかったこととか、そういうのがあって、戦後補償を韓国は
放棄したんだが、実際は不満たらたらで納得してなかった。
そこへこの問題が浮上したので「これで取り損ねた賠償金を取れる!」
と韓国人が喜んでいるだけで、事実かどうかは二の次になっている。
36名無しさんの主張:2001/04/16(月) 10:44
 結局、従軍慰安婦はあったんだあ。
37非公開@個人情報保護のため:2001/04/16(月) 10:54
従軍慰安婦は朝鮮人や支那人より日本人の方が遙かに多かった。
従軍慰安婦=チョーセン&シナ人のみと誤解させるような主張が
多い。
38名無しさんの主張:2001/04/17(火) 13:45
39名無しさんの主張:2001/04/17(火) 14:39
>>35
1965年の日韓基本条約で経済援助という名目で8億ドル支払ってるぞ。
40実は花粉所だった?移民:2001/04/17(火) 14:46
気楽に行こうぜ!
そんなことにいちいちこだわるなよ!
今までそんなこと気にしたことあるか?
気にするのは30代以降の大人たち。
俺たち20代はそんなこと気にしたことないぜ。
10代はそんなことすら知らないぜ。
気楽に生きていこうぜ。
かたぐるしく考えるのはやめようぜ!
くよくよするなよ。
俺たちはこれからの日本を支えるんだぜ!
そうだぜ!俺たちが日本を変えてやるんだ!
そんなしきたりごめんだぜ!
気楽に生きていこうぜ!
そうすりゃ明日も幸せさ!


41ロンパールーム:2001/04/17(火) 15:11
他の板でこんなの見つけた。


従軍慰安婦と兵士とどっちがマシなんでしょうか。

1 名前:名無しさん 投稿日:2001/04/06(金) 23:35
男だけ徴兵されたのは戦争犯罪ではないの?
明らかな男性差別だよね。


新しい切り口かもしれん。
42名無し魔さん.:2001/04/17(火) 15:18
>>41
かもしれんが、恩給の問題に進展してしもて逆転されかねんと思う。
慰安婦にも恩給を〜!って感じに。
あ、既に金出せ言うとるから大勢に影響はねえか?
43名無しさんの主張:2001/04/17(火) 15:27
>>41
阿呆もそこまで極めれば立派って感じ!?
44ロンパールーム:2001/04/17(火) 15:39
>>41 は男女論板から持ってきたんだけど、あっちでも盛り上がってない。
俺もこれを支持する訳じゃないけど、なんとなく面白い意見だなぁと思いました。
45名無しさんの主張:2001/04/17(火) 15:48
歌舞伎町の慰安婦たちへの保証は?
46くもすけ:2001/04/17(火) 16:07
>>45
あれは、慰安婦じゃなくて「淫売」。
で、朝鮮の「淫売」に対する保証はどうするんだ?
47目のつけ所が名無しさん:2001/04/17(火) 16:37
48名無しさんの主張:2001/04/17(火) 21:58
シブあげ
49名無しさんの主張:2001/04/18(水) 09:21
韓国人は、賠償金目当てで慰安婦問題とは全く関係ないヤツが続々と嘘ついたんだよ。
当初、慰安婦だったと言われている人数より
かなり多くの人が名乗り上げたんだぜ?
そんな奴らに賠償金なんていらねーよ
50名無しさんの主張:2001/04/18(水) 09:40
貰えりゃラッキーと思って始めたんだろうか?
51名無しさんの主張:2001/04/18(水) 22:05
ageTOKU!
52基礎知識>1:2001/04/18(水) 22:43
「さわし」は「詐話師」ね。いちおう言っとくと。サギ師ってこと。

よく知られたことだが、吉田清治っていうジイさんがその当人。このジジイが、

「自分は韓国の済州島ってところで、軍の命令により女性たちを狩り集めて誘拐し、
日本軍のための売春婦にしました。ごめんなさい。でも僕はこのとおり反省してます!
もっともっと反省しまっす!!」

って内容の“衝撃の告白本”を書いて、あっという間にサヨク連中のアイドルに
なった。朝日新聞やらバカNGOやら何やらが、そりゃもうお祭り騒ぎ。

ところが、日本の学者や韓国のジャーナリストが済州島を調査してみたら、これが
そもそも丸っきりの嘘っぱちだったってことがバレちゃった。で、それ以来、吉田は
「職業的詐話師」(プロの嘘つき)と呼ばれるようになった・・・、っていうのが
事の次第。

今では、吉田本人も嘘だったことを非公式に認めてるらしいんだけど、かつて吉田を
アイドル扱いした連中は、もう今更引っ込みがつかない。で、ムキになって、ただの
元売春婦のバアさんを引っ張り出したりして、最後のあがきを繰り返してるってのが
現状ね。

まぁそういうこと。その政経の先生は正しいよ。
53名無しさんの主張:2001/04/18(水) 22:45
現在では、従軍売春婦と言われています。
日本軍も迷惑してたらしい。

54名無しさんの主張:2001/04/18(水) 23:15
日本人のバカ女子高生は米軍慰安婦にせよ!
これぞ国際的発想!
55:2001/04/19(木) 00:17
様々な意見、どうもありがとうございます
56名無しさんの主張:2001/04/19(木) 00:23
根本的な問題は、戦後補償が済んで50年も経つのに、
なぜまたもや賠償請求するのか、ってことじゃないかね。

戦後、賠償金を受け取っておいて、自国の「慰安婦」なる者達に
それを配布しなかったのは、その国の内政問題であるからして、
その尻拭いを他国である日本に持ち込まれても困るのでR。
57名無しさんの主張:2001/04/19(木) 01:35
>>56
う〜ん、どうだろ。

この場合は、それ以前に「一般市民に対する組織的誘拐・拉致監禁・強姦」
なんつう、ありもしない話をでっちあげてバラまいてる連中がいるって事の
方が、より根本的な問題じゃないかな?

この問題については、根本的にはタネをまいた日本側の詐話師、及び
その取り巻き連中に責任があると思うんだけどな、おれは。

まぁ、それに乗じて調子こいてる韓国もどうかとは思うが。

58名無しさんの主張:2001/04/19(木) 08:38
あげとこう
59韓国人:2001/04/19(木) 12:06
慰安婦というのは、女性を無理矢理強姦したとか、誘拐したとかと言うよりも、
実際は、彼女たちはお金をそれで稼いでいたんだよ。その中には、日本人も
間違いなくいたでしょう。横浜や沖縄などの米軍基地の側には、売春宿が
あるでしょ。その人たちは、無理矢理セックスをさせられている訳では
ないですよね。日本軍もそうだったんだ。彼らは、女を買っていた訳で、
無理矢理強姦したわけではない。それをあの韓国、中国の人は、慰安婦
と呼んでいる訳なんだな。困った話だ。実際、彼らの言う慰安婦があった
証拠もないんだ。
では、なんで彼らはそんなむちゃくちゃな話をするんでしょう。
それは、感情的な問題なんだ。韓国人は、日本人よりいつも偉くないと
いけないとか、優秀な人種であるとか。そんな韓国人が国を取られ
た事が、悔しいあまりむちゃくちゃな事を言ってくるんだ。
教科書問題なんかいい例だよ。あれは、国内干渉だよ。
日本は韓国を植民地にした訳ではないんだ。あの時代は、日本人も韓国人も
平等だったんだ。実際に、韓国人の大将や、政治家、官僚、いっぱい
日本で活躍していたんだ。それも、同じ日本人として。
まあ、話たい事はあるけど、今日はここまで。
60くもすけ:2001/04/19(木) 12:09
朝鮮人の根拠のない優越思想と、劣等国家である現実のはざ間でに苦悶する人々。
61韓国人:2001/04/19(木) 12:30
では、みなさん。
これからの、韓国 日本の関係をどのように改善しますか。
やはり、韓国という国は、日本に近い(文化的にも地理的にも)
経済的に利点がおおいです。どうやったら、彼らとうまく
やっていけるでしょう。
62名無しさんの主張:2001/04/19(木) 12:38
>>61
国交断絶か鎖国。
これで全て解決です。
63非公開@個人情報保護のため:2001/04/19(木) 12:42
>>62
激しく同意
64名無しさんの主張:2001/04/19(木) 12:46
韓国の小学生は日本は攻めてでも行きたい国だってさ
65名無しさんの主張:2001/04/19(木) 12:49
>>64
奴らを行かせちゃいかん。
逝かせねば。
66名無しさんの主張:2001/04/19(木) 23:50
日本政府はきちんと主張してくれ〜
67名無しさんの主張:2001/04/20(金) 00:30
激しく同意!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
68名無しさんの主張:2001/04/20(金) 01:10
今観光ビザで日本に来て、一月にかなりの額稼いで帰らされるやつらがババアになってから「無理矢理売春させられた」と言って訴えるるようなもの→従軍慰安婦
69くもすけ:2001/04/20(金) 02:19
>>68
んじゃー、今でも将来の従軍慰安婦候補は日本に溢れかえっているじゃん。
アカスリとか韓国式マッサージなんてお安い風俗として。
70名無しさんの主張:2001/04/20(金) 13:22
うっほほーい!きぃいいいいいいいいん!!
71名無しさんの主張:2001/04/20(金) 13:26
>>69
また得意の湾曲捏造で数十年後に
間違いなくタカリにくるぞ。
72名無しさんの主張:2001/04/20(金) 13:35
密入国してきたボートピープルも、数十年後には
強制連行されたとイチャモンつける布石だったの?
73提供:名無しさん:2001/04/20(金) 13:40
韓国人ピッキング犯は強制労働になるのかな?
74名無しさんの主張:2001/04/20(金) 13:43
>>73
それは、日本で重労働していた某国人が相次いで被害に遭った。
と、事実をすり替えてくるでしょうな。
75名無しさんの主張:2001/04/20(金) 13:44
>>71
そのことを責めると、勧告人お得意の「大袈裟な泣き喚き芝居」
をしてヒステリック同情を煽る。
76名無しさんの主張:2001/04/20(金) 22:31
中国が一方的に米に謝れって言ってるのに似ているなぁこの問題って。
77名無しさんの主張:2001/04/21(土) 20:57
かかってこい!
78健一:2001/04/21(土) 21:02
慰安婦やアウシュビッツの被害者をでっちあげ
訴訟で儲けようとたくらむ集団がいます
さてその職業は何でしょう?
高齢化がすすんでますのであせっています
79チキン:2001/04/21(土) 21:11

       − アタリヤ から キョウカツ へ−

そんな話は、もうそろそろ日本人に通じなくなってきているので、
援助金で作ったミサイルで脅してお金をセビル時代になっていると思います

80とおりすがり:2001/04/22(日) 00:50
従軍慰安婦を知るのって最初はTVか新聞でしょ?学校で授業で知ったっていう人って
いるの?
81名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:27
軍司令部による大量徴発的連行

一九四四年五月三○日、「日本軍天津防衛司令部」は天津特別市政府
警察局にあてて、次のように通告した。@河南へ軍人慰労のため「妓
女」一五○人を出せ、A期限は一力月、G借金などはすべて取り消し
自由の身にする、C速やかにことを進めて、二、三日のうちに出発させよ。これを受けて
警察局保安科は、売春業者の集まりである「天津特別市楽戸連合会」を召集し、「妓女」
を勧誘させた。日本軍司令部の指示のもと、軍と現地警察局と民間業者が一体となって軍
慰安婦の徴達、徴発的連行にあたっていることが明らかである。
勧誘の結果、一三九人が「自発的に応募」して性病検査を受けたが、逃亡するものなど
が多く、八六人が軍慰安婦として選ぱれた。日本軍は、防衛司令部の曹長が兵士一○人と
ともにトラック四台で迎えにいった。しかし八六人のうち半数の四二人が逃亡したという。
このように多数の逃亡者がいることは、「自発的に応募」が文書上の偽装であることを示
している(『朝日新聞』一九九九年三月三○日)。
一九四四年に、軍司令部が先頭にたってこのように大規模な徴発的連行を性急に行った
のは、藤原彰氏が言われるとおり、日本陸軍の大陸打通作戦、すなわち海上交通が不可能
になったため、朝鮮−満州−中国大陸を通って、タイ、マレー、シンガポールにいたる連
絡路をつくろうとする大規模な作戦計画を進めていたことに関連していよう。このために
河南に大部隊が動員され、軍慰安婦の派遣が強請(ごうせい)されたのである。
82名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:28
東南アジア・南太平洋における徴達・連行

東南アジア諸国や南太平洋の地域においては、これまで見てきた朝鮮
や中国における徴達・連行のさまざまの形態が出そろっていると一言え
る。
まず詐欺的連行であるが、インド洋カールニコバル島の海軍軍属であ
った河東三郎は、同島へ内地から来た軍慰安婦について、「かの女ら慰安婦の多くは、戦
地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされてきたのだそうだ。かの女らは看護婦にな
るつもりで、戦地に従軍してきたらしい」と仄聞(そくぶん)している(『ある軍属の物語』思想の科学
社、一九八九年)。また、カリマンタン・タラカンの輜重兵(しちょうへい)第三二連隊の戦中記には、次
のように記されている(「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」)。
慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源氏名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十
八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。
彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガ
レラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。
彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装
で、メナド人はミナハサ族といって色自で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。
彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。
このように東南アジアでも、徴達された現地で使役されるのではなく、セレベス島から
カリマンタン島へ連行されている事例のあることを知り得る。
83名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:29
なお、敗戦後にセレベス民政部第二復員班長によって作成された「南部セレベス売淫施
設(慰安所)調書」によれば(『資料集』83)、「実際上婦女の募集並(ならび)に雇傭契約は主とし
て民政部嘱託■■■■■■(氏名抹消)(帰還)及(および)実業団員■■■■■■(氏名抹消)(帰還)之(これ)を行ひ、
各地方施設に配置したり」とあり、詐欺的連行者を含めて、「雇傭契約」「配置」は純然た
る民間業者ではなく、軍の監督下にある者が行っていた。
徴発的連行には、『高野部隊ミンダナオ島戦記』(一九八九年)に、「邦人通訳の森山さ
んの紹介を得て、武石主計少尉が内地から持参した女性用のワンピースの布を持参して、
ダバオのボスを訪問し、『慰安婦』六、七名の斡旋を依頼した。一週間後に、ダバオのボス
が指定した場所に、食肉受領の帰途、私達のトラックが立寄り、六人の現地人女性を連れ
て来た」とある。また、インドネシアに帰化した元日本兵タイラ・テイゾウは、インドネ
シアの週刊誌『テンポ』記者に次のように語っている(大村哲夫「『現地調達』された女性
たち」『世界』一九九三年七月)。
インドネシア人女性が日本軍によって強制的に集められたと言う人がいたら、それ
は間運っています。彼女たちは普通、現地の村役人を通じて行われた通達によって集
められたんです。まず集められて、それから日本軍の司令部へ連れて行かれたんです。
ですから、もし強制があったとすれば、それはインドネシア人自身によって実行され
たことになります。(一九九二年八月八日号)
これは日本軍弁護論として語られているのであるが、「現地の村役人」を通じての徴発
がかなり普遍的に行われていた事実を明らかにしている。ただこうした事態が、日本軍に
よる現地村役人への事実上の命令・強制なしには行われないであろうことを、タイラは見
落としている。
84名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:30
暴力的連行――フィリピン

東南アジア諸国では暴力的連行、しかもそれは日本軍による直接的な
暴力的連行も盛んに行われていた。プロローグでも度々紹介したフィ
リピンのマリア・ロサ・L・へンソンさんも暴力的に連行された一人
である。しかも彼女は暴力的に連行される以前に、生理もまだない一四歳の時、日本軍の
将校と兵士から二度も強姦されている。その後彼女は抗日ゲリラ組織フクバラハップ団に
参加し、一九四三年四月のある日、組織の指示があって男性ゲリラニ人と一緒に近くの町
へ行くことになり、検問所を無事通過したが、しかし検問所を通り過ぎると彼女だけが戻
ってくるように合図され、警備兵によって日本軍の司令部兼駐屯地に転用されていた建物
の二階に連行された。その夜は何も起こらなかった。
その翌日、自分がたくさんの兵隊たちに性の相手をしなければならないのだと知り
ました。最初に一二人の兵隊がたてつづけにレイプしました。それから三○分くらい
間があり、またもや一二人の兵隊です。私はひどく出血し、身体がめちゃめちゃに傷
つけられたと感じました。翌朝には、立ち上がることすらできませんでした。
一人の少女が朝食を運んでくれました。彼女に質問したかったのですが、警備兵が
さえぎり、言葉さえ交わせません。食事は喉を通りません。性器が腫れ上がっている
のでしょう、痛くてたまりません。ひとり、泣いて泣いて泣き続け、母の名を呼ぴま
した。日本軍に殺されるかもしれません。抵抗しようがありませんでした。
昼の二時から夜の一○時まで兵隊たちが行列をつくって私をレイプする日々が始ま
りました。他の六人の少女の部屋にも、兵隊たちが行列をつくっていました。
彼女の監禁されていた慰安所は、後述する強姦所に含まれるのかもしれないが、週一回
の日本人医師による検診があった。その医師も検診した後レイプしたのだが。
85名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:31
レメディオス・ヴァレンシアさんもヘンソンさん同様、偶発的に暴力的連行にあい、同
じような扱いを受けた一人である。証言を聞こう(『証言』V)。
一九四三年の十月ごろ、マニラのパコ市の市場で魚を売っていたとき、三人の日本
軍兵士に手を引っぱられて抱きかかえるようなかっこうで、近くの空き家に連行され
ました。そこはニッパヤシで造ったような建物で、十二平方メートルくらいの広さの
家でした。一人の兵士が何か言った後、他の兵士は外に出ていきました。そこで、一
人の兵士に強かんされました。そのとき、市場で働いていて別の兵士グループに連行
された女性もいました。
その後、うしろに堅い座席のあるトラックで、マニラ市内のダコタ地区にある大き
な家に連れていかれました。その家は二階建てで、一階は大きな応接間で三十平方メ
ートルくらいあり、二階は、ベッドを一つおけばあまり余裕もないくらいの部屋が四
つありました。そこには、テルミという名前の日本人女性がおり、四人の若いフィリ
ピン女性もいました。テルミは、二十八歳くらいで、私より少し背が高く一五五セン
チメートルくらいで、その家の一階に住み、食事の世話や医者を連れてくるなど、そ
の家を管理していました。また、日中は、民間の日本人男性が二人ほどいて、私たち
を監視していました。家には鍵がかかっていましたが、部屋にはかかっていませんで
した。その家があった場所は、現在マニラ動物園構内の入り日付近です。そこでは、
毎日のように、一日六人から多いときは十五人くらい、兵士の性行為の相手をさせら
れました。食事のときだけ下の部屋に行き、あとは、大体二階にいました。他の四人
のフィリピン女性も同様でした。性行為に対してはお金や物をもらったことはありま
せんが、医師による性病検査が毎週土曜日にありました。兵士たちはほとんどコンド
ームをつけていなかったのです。あるとき、兵士が外に連れだそうとしたので抵抗し
たところ、銃剣で右足のすねの部分を刺されました。今でもそのあとが残っています。
86名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:31
元日本軍兵士の回想記の中にも、このような暴力的連行があったことが知られる。除野
信道「ミッドウェーの以前と以後」(『戦争体験記・部隊史にみる「従軍慰安婦」』)には、次
のように記されている。ニューブリテン島ラバウル郊外のカビエンでのことである。
(一九四三年)二月五日、慰安所の店開きをするからという案内が設営隊からあっ
た。招かれた者は駐留各隊の幹部士官。丘の上に無造作につくられた建物に集まった。
その中には命からがらラエから退いてきた呉第三特別陸戦隊の崎谷武男もいた。女性
は三十人弱。大部分は水商売の前歴者であったが、「こんな前線に出されるとは……」
とこぼしていた(彼女らに恩給支給すべしとの提案を期待する)。なかには朝鮮から
回されてきた者もあった。また日本語が喋れない小娘もいた。英語と中国語を交互に
使って事情を聞くと、「ペナンで夕方の外出禁止命令を知らずに街を歩いていたら、
逮捕されここに入れられた」と涙をこぼした。良家の子女のようだったが、戦争の爪
跡はこういうところにも及んでいるかと思うと、酒も不味(まず)くなった。
87名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:31
この事件については、現地にいた日本人商社員井関恒夫が、その著書『西ボルネオ住民
虐殺事件』(不二出版社、一九八七年)で同様の指摘をしており、オランダの調査報告とも
合致している。
インドネシアで「慰安婦狩り」されたうえ、シンガポールに連行された事例もある。林
博史「シンガポールの日本軍慰安所」には、次のように記されている。
当時、「昭南博物館」にいたコーナー氏は、一九四四年四月までに新しい問題が起
こり、それが何か月も続いたとして次のような出来事を記している。それはインドネ
シアで日本軍が村々を襲って労務者狩りをおこない、そこで集められた男女が船でシ
ンガポールに運ぱれてきた。その輸送の途中あるいは到着後もたくさん死んだ。そう
して連行されてきた人たちの中で、「女性については、若くてきれいだと、カトンの
近くにある兵営に売春婦として送られた。そこで、彼女たちが『助けて、助けて』
(マレー語)と助けを求めて泣き叫ぶ声は、通行人の心を引き裂いた」と記している。
88名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:32
暴力的連行オランダ人

インドネシアの植民者であったオランダ人は、日本軍によって捕虜収
容所に閉じこめられた。そのオランダ人女性も軍慰安婦にさせられた。
オランダ政府は、一九九四年一月、「日本占領下蘭領東インドにおけ
るオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」を公表した
が(『戦争責任研究』四号)、それによると、「慰安所で働いていた二○○〜三○○人のヨー
ロッパ人女性のうち六五人は売春を強制されたことが絶対に確実である」としている。こ
の六五人の数値の根拠は明らかにされておらず、調査者が慎重な態度をとり過ぎているの
ではないかと思われるが、それはともかくかなりの人数のオランダ人が「強制売春」に従
事させられていたことを認めている。さらに次のような指摘を行っている。
一九四三年半ぱから一九四四年半ぱにいたる期間、慰安所ではたらく女性を集める
ために陸軍や憲兵隊が直接的に実力行使する事例が目立って多くなる。初期の頃の売
春周旋屋による説得、威嚇、間接的な脅迫などの圧力とはかなり様相が異なってくる。
そして、この頃になって陸軍と軍政部が日本人・朝鮮人業者の助けをかりて、みずか
ら慰安所の設置に主導権をとるようになった。
89名無しさんの主張:2001/04/22(日) 01:33
オランダ人に対する「強制売春」、すなわち暴力的強制連行の具体的様相を知るために、
ジャンヌ・オヘルネさんの証言に耳を傾けよう(『証言』W)。アンバラワ収容所に、母と
二人の妹と一緒に入れられていたオヘルネさんは、一九四四年二月、日本兵が大勢トラッ
クで到着し、「一七歳以上の独身女性は中庭に整列しろ」という命令が出され、その長い
列に加わった。日本兵は、「上から下までじろじろ見て、お互いに笑ったり、私たちの誰
かを指さしたりしていました」。そして一○人の少女が指名され(後に六人が追加される)、
オヘルネさんもそれに入れられた。「女性たちの泣き声や叫ぴ声が聞こえてきました。勇
敢に日本人にはむかい、私たちを取り戻そうとしているのです」。オヘルネさんたちは無
理やりトラックに乗せられて連行され、大きな家に入れられた。翌日みんなが集められ、
日本兵から、「日本人の性の慰みのためにここにいるのだと」説明された。「私は恐怖で全
身が震えました」。やがて日本人が大勢来て、抵抗する少女たちをそれぞれの部屋に閉じ
こめ、あらんかぎりの抵抗をするオヘルネさんを将校が押さえこんで強姦した。引き続き
数人に強姦され、そのような日々が続くことになった。「日本人に強姦される度(たび)に、私は
必ず抵抗しました。激しくもみあうことなく、私を強姦できた日本人は誰一人としていま
せんでした。しょっちゆう殺すぞと脅かされ、何度もひどく殴られました」。
日本人は「私から何もかも奪い去りました」「しかし彼らが絶対私から奪いとることが
できないものが、一つありました。私の信仰、神への愛です」「残虐で野蛮な日本人から
受けた苦難をすべて乗りきれたのは、私に深い神への信仰があったからです」。
90名無しさん:2001/04/22(日) 01:52
>>81
>このように多数の逃亡者がいることは、「自発的に応募」が文書上の偽装
>であることを示している(『朝日新聞』一九九九年三月三○日)。
示してないよ。「自発的に応募」して「自発的に帰宅」しただけだろ。
>>82
>かの女らは看護婦にな るつもりで、戦地に従軍してきたらしい」と仄聞
>(そくぶん)している
単なるうわさじゃん。信用できん。
>東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて
軍がだましたという証拠は?
>詐欺的連行者を含めて、「雇傭契約」「配置」は純然た
>る民間業者ではなく、軍の監督下にある者が行っていた。
意味不明。何が何に含まれてるのか。
91名無しさん:2001/04/22(日) 02:17
>ただこうした事態が、日本軍による現地村役人への事実上の命令・
>強制なしには行われないであろうことを
根拠の無い憶測。>>83
>マリア・ロサ・L・へンソンさんも暴力的に連行された一人
これは慰安婦ではなくレイプ被害者。もしこの証言が正しいならば
日本政府は正当な補償をすべし>>84>>85も同様。
「ペナンで夕方の外出禁止命令を知らずに街を歩いていたら、
逮捕されここに入れられた」と涙をこぼした。
本当なら気の毒だ。本当ならね。>>86
>>87は伝聞に過ぎない。
>この六五人の数値の根拠は明らかにされておらず、
根拠が無いものは信用できない。>>88
92>1:2001/04/22(日) 02:21
93名無しさん:2001/04/22(日) 02:23
>>89
これは慰安婦ではなくレイプなので本来はスレ違いだが、
この証言が事実なら日本政府は彼女たちに補償すべき。
94名無しさん:2001/04/22(日) 02:27
また、上記の日本軍兵士による現地女性もしくは捕虜女性に対する
レイプ証言は、軍による慰安所の設置が戦争遂行に必要不可欠な処置
であったことを逆に証明している。
95>1:2001/04/22(日) 02:32
96名無しさんの主張:2001/04/22(日) 02:58
荒木寛一(元軍夫一九二三年生まれ)
私は戦時中に陸軍の御用船に賄い夫として乗っていました。見たこと聞いたことが、何か役
に立つだろうと思ってまいりました。
戦時中、門司から十五、六隻で船団を組んでサイゴン、タイ国に向けて出発しました。途中
台湾の高雄に立ち寄り、水や食糧などを補給し、翌朝船が出たわけです。ところがアメリカの
潜水艦が待ちかまえていて何隻かの船はやられてしまいました。船はバラバラに逃げましたが、
また寄ってきました。海面に浮かんでいる人を助けるためにです。そのときに、何人かの女の
人も浮いていたのです。兵隊も浮いている、軍属も浮いでいました。それで無事だった私の船
からタラップを降ろして、助けようとしたのです。そのとき上官がいいました。「兵隊を先に
助けろ」と。それから軍属を助ける。そして、言葉は悪いが堪えてください。「朝鮮ピーは、
朝鮮に行けばなんぼでもおるから、助けんでもいいち」上官はそう命令したのです。海面に浮
いていた女の人は、朝鮮人の「慰安婦」だったのです。でも上官は、「慰安婦」は助けるなと
命令しました。(涙声になる)
本当に涙が出ました。助けたかったですよ。今でも、そのときのおわびの気持ちで、自分の
部屋に四○年間も朝鮮の人形を飾っております。手を振って「助けてくれ、助けてくれ」とい
う女の人を置き去りにした時のあのことが、七四歳になった今も忘れきれません。本当に助け
たかったです。どんな思いで死んでいったか……
97名無しさんの主張:2001/04/22(日) 02:59
それから、これはサイゴンとタイ国の話です。そこに行ったときも港の近くに慰安所があり
ました。そこに何回か遊びに行きました。慰安所の朝鮮の女の人は私のことを「アラキィ」と
いって呼び捨てみたいな呼び方をしました。「アラキィ、みんな日曜日は楽しいというけれど、
私たちは日曜日は地獄だ」と、涙を流して言いました。なしてかといったら、兵隊が十人も十
五人も軍靴をぶら下げて廊下に並んで順番を待っているというわけです。次々に入ってくる兵
隊の相手をしなければならないわけです。どうですか。朝鮮の十九か二○歳くらいの若い女の
人が、十人も十五人も列をつくって待っとる兵隊の相手を強いられるんですよ。
その人たちはいいました。「朝鮮が陸続きだったら、逃げてでも帰りたい。お母さんのとこ
ろに帰りたい」みんな「お母さんに会いたい」というておりました。本当に可衰想なものでし
た。
病気をしたらもうおしまいち。ご飯も食べさせてもらわれん。死んだら、どこに埋(い)けられる
かわからん。それは本当でしょう。海で死んだり、慰安所で死んだりして、亡くなった方はい
くらでもおります。
次に大連の慰安所のことを少し話します。この年になる今でも名前を忘れていません。全羅
南道からきた朝鮮人「慰安婦」のハナコという人やったです。その人と仲良くなった。私も年
が若かったから変なことではなく、時々ぶらっと遊びに行った。私は賄いをしていましたから、
こうりゃんの握り飯を二つか三つ作って持っていってやったとです。その握り飯を食べるとき
の顔が、今でも目に浮かびます(涙声になる)。それだけ朝鮮の女の人は食べるものも十分にも
らえず、人間扱いされとらんかったです。それやけん、朝鮮の女の人はよく「早く帰りたい」
と、言うておりました。
98名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:00
私は最後にみなさんにお願いしたいことは、私は行ければ行って、朝鮮の服やらおいしいお
菓子線香でも持って、あのとき朝鮮人「慰安婦」が沈んでいった海の中に投げてやりたいです。
どうかみなさん、力を貸してやってください。お願いします。

中里チヨ(元海軍従軍看護婦一九二六年生まれ)
こんなにたくさんの方が来て下さり、そして若い方が多いようで、私はすごく心強く、日本
はまだ大丈夫だという気がいたします。
私はみなさんの前で、日本は侵略国なのだということをはっきりと認めている一人であると
いうことをご報告申し上げたいと思います。そしてその上に立って、自分はどういうことをやっ
てきたのかということを、みなさんの前でお話したい。とても辛いことなんですけれども。戦
争体験は、いま生きていらっしゃる六十代以上の方は、ほとんど持っていらっしゃるわけです。
けれども、その中で、直接弾が飛んでくる戦地に行って、相手を必殺という形で殺すという何
ともいえない非人間的な行為をやらなければならなかった体験をした人は、かなりなみなさん
があの世にお出でになっていると思うんです。
私もそろそろお迎えがくる年に近づいてきましたけれども、どうしてみなさんの前で語るよ
うになったのかということを、まずご報告しなければならないと思っております。
四年間の長い間の戦時生活でございましたけれども、その中で一年間、従軍慰安婦に直接か
かわってきた一人として、これはどうしてもみなさんに言わなければいけない使命感があると
思っています。
99名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:01
私は戦後四三年間は一つもこの問題については語りませんでした。語れなかったです。率直
なところ。四三年目に、実は自分の戦争手記を出して『白の墓碑銘』という本の中に載せても
らいました。しかし、本には書けない部分があるのです。それをきょうみなさんにはお話した
いと思っております。
その出発点になりましたのは、今から四年前の一九九二年、忘れもしませんけれども、「従
軍慰安婦一一○番」をやるということが一般の新聞に出たのです。最近非常に身近に先生を感
じておるのですけれども、私はすぐ自分の胸の中にギュウッと圧縮していたものを、何とかし
てここでは言いたくて、それでお電話申し上げました。十四日のたしか午前九時だと思います。
そして、かなり長々とお話したのですが、その中で従軍慰安婦という言葉自体が間違いだと話
しました。「慰安婦」というのは日本の兵隊がより戦力を高揚させるために、肉体的な限界を
より積極的に国のために捧げるために、そのために軍隊が仕組んだものなんです。
100名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:02
具体的なことを申し上げますので、ちょっと驚かないでいただきたいのですけれども、私は
海南島の三亜さんや(さんや)というところでこの体験をいたしました。まだそのとき満一九歳、二○歳にちょっ
と手が届くというところでございました。看護学校三年を卒業してすぐ戦地に行ったわけです
から、満一九歳をちょっと過ぎたところです。
最初はまだ海南島は爆撃がそんなに激しい状況ではありませんでした。海南島の場所を地図
の上で頭に描いていただきたいのですが、中国の一番南端のベトナムに近いところにある。南
シナ海の島です。島の南に三亜という町がございますけれども、そこに海軍病院があったんで
す。
夕方六時五分前になりますと、「外出員整列五分前」という号令がかかるのです。初めてそ
こに行ったとき、私には何がなんだかさっぱりわからない。ということは、私は日本の軍隊と
いうのは神聖で侵すべからざるもの、天皇陛下と同じだと思っていました。またそういう教育
をされてきましたので、軍隊に対して少しでも悪い思いを抱くことは、私には当時はとてもで
きなかった。そういう教育をされた人間なんです。
南方はなかなか日が沈まないんですけれども、夜の六時五分前になると、毎日必ず「外出員
整列五分前」がかかるのです。病院には衛生兵などの兵隊がいっぱいいるのです。その人たち
が大体平均しますと、一週間に二回、一回に六人から七人が五分前に並ぶんです。
毎日なものですから、私はどうしても理解できなくて、補充兵という召集されて星が一つの
人がいるのですが、その補充兵に聞いてみたんです。「おじさん、なんで外出員整列五分前な
の。だって、海がすぐ近くで裏が山で、遊ぶところなんかないのに、どこに行くの」と聞いた
ら、その兵隊はニヤニヤと笑って私の顔を見て、「あんたみたいに若い人には教えたくないん
だけど、いずれわかることだから教えてあげる」といって教えてくれたのが、「遊ぴに行くん
だ」ということだったんです。「とってもいいところに行くんだ」と。それが私が一番最初に、
従軍慰安婦という言葉を教えてもらったときでございました。
101名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:03
こうしたことから、どうしても忘れられないことが三つほどあります。一つは、海軍病院で
は毎週一回、梅毒の検診をやっていました。トラック四台、一台二十五人乗りですから百名の
「慰安婦」が検診に来ました。圧倒的に朝鮮人の方が多かったのですが、目本人も僅かに乗っ
ておられましたし、台湾人の方も一台くらいいましたでしょうか。ということは、朝鮮人の方
が六十名から七十名くらいいらしたということです。それで、梅毒の検診をするわけです。梅
毒というのを兵隊は恐れていました。梅毒には一期から三期まであるんですけれども、一番恐
いのは、外に出る軟性下疳(なんせいげかん)とか淋病です。淋病というのは、性器のところから膿が出る。性交
渉するときに感染するのです。軟性下疳というのは、ちょうどザクロが口を開いたように、局
部が真っ赤になって崩れてくる。そういう症状を軟性下疳というのです。こういう症状をもっ
た「慰安婦」さんが何人かいらしたんです。
印象が一番強いのは、ちょうど私くらいの、十九か二○歳くらいの朝鮮人の女の子が、軟性
下麻だったことです。軍医はただざっと回るだけ。全然診ない。目で見てわかる「慰安婦」だ
け「消毒薬をつけろ」というだけなんです。昔は、今みたいな消毒薬はありません。マーキュ
ロとかヨードチンキとかいって、赤いのと黄色いのを少し黒くしたような、そういうのしかな
いんです。そんなのつけられないですよね。でも私は先生のいうとおりにしないと、当時は軍
医といったんですけど、軍医に叱られますので、先生のいうとおりにマーキュロを局部につけ
たわけです。自分と同じくらいの年の子がそういう境遇にあるのをみると、いくら私が心臓が
強いといっても、当時本当にわからんちんのどうしようもない看護婦だったんですけれども、
でも胸が痛みました。それで「痛みますか?」と聞くと泣くんです。ワーッと泣くんじゃない
の。涙をボロボロこぼして、「アイゴー、アイゴー」というんです。アイゴーという言葉は、
朝鮮語では「衰しい」という言葉なんだそうです。「痛い」といっているのかと思ったら、そ
うではないの。「哀しい」ということをいっていらっしゃったんです。
102名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:04
当時の私にはその意味がわかるはずがありません。だけど、あの何ともいえない衰れな、言
葉は悪いのですけど、哀れな姿には胸が痛みました。日本人がそういうことをやっていいなん
て、絶対にあるわけないんです。朝鮮人には朝鮮人の権利がある。人間として生まれてきた以
上、だれでも人間として生きる権利をもっているわけですけれども、そういうことを当時の日
本は一切考える国ではありませんでした。でも、私はあの姿をみて……、今もあの姿を忘れる
ことはできないんですよ。「アイゴー、アイゴー」という言葉を。ときどき夢に見ることもあ
ります。もう五二年経ちましたけれども、まだ忘れられない。あの子たちはどうなったんだろ
う。あの子たちはいま、もう生きていないと思いますけれども、どうなったんだろうと思うん
ですね。私にとってはまだ「あの子」たちなんです。私と同じ年くらいでしたから。
その同じ子たちが四回くらい性病検診に来たのを覚えているんです。来るたびに酷くなって
いるの。一日に二十人から三十人、そういう酷い症状を持っているのに、日本の兵隊と交渉し
なければ殴られる状況なんだということを、後になって兵隊から聞きました。
それともう一つ。これは許されないという、その当時も今と同じ気持ちでした。私はその当
時は、そのことがいいとか悪いとかという前に、正義感で「許せない」とう気持ちがあったん
ですよ。日本人の「慰安婦」は日本の将校用なんです。海軍兵曹などの、将校の下の階級の人
達は台湾人「慰安婦」のところへ行くんです。兵隊と軍属は朝鮮人「慰安婦」というように、
はっきり兵隊の階層で相手の民族を区別していたんです。そして彼女たちの生きる権利を平気
で侵していった。人の権利を考えることができない条件に置かれた兵隊が、それをさも当たり
前という条件の中で慰安所に行っていたのです。
103名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:07
私がいた三亜というところは、日本の海軍司令部があったところなんです。だからその周り
にはたくさんの軍の研究所や施設がありました。病院ももちろんそこにあったんですけれども、
将校が多いんです。その将校たちのために、海南荘という慰安所が病院から車で二十分くらい
のところに造ってありました。そこに日本人の将校が行ったわけです。
いまの日本でいえばアパート式の木造建てで、六畳の部屋が一部屋、そして二階と下で十四
部屋ございました。そこで、将校が一人の日本人の慰安婦を独占していたのです。「オンリー」
といっていましたけど。それは病気の移るのが恐いから、オンリーとして慰安所に部屋を借り
切って、そこヘ「慰安婦」を抱きに行くということをやっていたということです。
そういう施設を軍隊の中に造りながら、どうして「お国のために、天皇陛下のために、われ
われは戦っているんだ」なんてことがいえるんでしょうか。そういう国の歴史の事実があった
ということを、ぜびみなさんも聞いて知っていただきたいということでございます。
私は百人の「慰安婦」を検診する担当看護婦だったわけなんですけれども、彼女たちがどこ
からどうやって連れてこられたのかということは、わからなかったのね。誰も教えてくれませ
んでした。私が「慰安婦」について語るようになりましたのは、戦後五○年の年でございまし
た。さまざまな事実が判明してきたときですけれども、ある日新聞に朝鮮人の方たちが、海南
島に軍隊の洗擢だとかご飯の支度をするとか、そういうことでお国のために尽くしてくれとい
われて、下関に集められて海南島に行ったということが書かれているのを読みました。
この事実を私が知りまして、本当に私たちは申し訳ないことをしてきたと思ったのです。い
ま五○年経って、生きていらっしゃる方はあまりいらっしゃらないと思いますが。数年前に実
際の慰安婦をやらせられた方たちが七名、日本で裁判を起こすためにお出でになったの。私が
びっくりしたのは、その方たちはだいたい私と同じ年くらいなんですが、みんな白い朝鮮服を
着ているんです。朝鮮の方は亡くなったときに白い服を着るそうです。さきほどの荒木さんが
出された人形のようなきれいな朝鮮服は、誰も着ていらっしゃいませんでした。そして涙な
んか出ない」と。「私たちは、自分の人生を日本軍によって放棄せざるをえない条件に置かれ
たのだ」ということを、はっきりと私の前でいわれたのです。「あなたはそういう人の手助け
をして何と思っているんだ」といわれたのよ。辛かったですね。「その当時は日本人全体がそ
ういう状況に置かれていたんで、『戦争反対』と叫ぷ勇気を持っていなかった。だけど今は違
います。今は日本の民主主義をさちんと発展させるために、私が住んでいる地域の中で、さま
ざまな方たちと民主主義をつくりだしていく一人の人間として頑張っていますので、どうぞ許
してほしい」ということを申し上げたんですけど、本当にそのときは辛かったわよ。その七名
の方は、私にそれ以上のことは追及しませんでした。
みなさん。私はもっといっぱい喋りたいんですけれども、頭の中が真っ白になっちゃったわ。
104名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:23
ことはできないんですよ。「アイゴー、アイゴー」という言葉を。ときどき夢に見ることもあ
ります。もう五二年経ちましたけれども、まだ忘れられない。あの子たちはどうなったんだろ
う。あの子たちはいま、もう生きていないと思いますけれども、どうなったんだろうと思うん
ですね。私にとってはまだ「あの子」たちなんです。私と同じ年くらいでしたから。
その同じ子たちが四回くらい性病検診に来たのを覚えているんです。来るたびに酷くなって
いるの。一日に二十人から三十人、そういう酷い症状を持っているのに、日本の兵隊と交渉し
なければ殴られる状況なんだということを、後になって兵隊から聞きました。
それともう一つ。これは許されないという、その当時も今と同じ気持ちでした。私はその当
時は、そのことがいいとか悪いとかという前に、正義感で「許せない」とう気持ちがあったん
ですよ。日本人の「慰安婦」は日本の将校用なんです。海軍兵曹などの、将校の下の階級の人
達は台湾人「慰安婦」のところへ行くんです。兵隊と軍属は朝鮮人「慰安婦」というように、
はっきり兵隊の階層で相手の民族を区別していたんです。そして彼女たちの生きる権利を平気
で侵していった。人の権利を考えることができない条件に置かれた兵隊が、それをさも当たり
105名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:23
っているというわけです。次々に入ってくる兵
隊の相手をしなければならないわけです。どうですか。朝鮮の十九か二○歳くらいの若い女の
人が、十人も十五人も列をつくって待っとる兵隊の相手を強いられるんですよ。
その人たちはいいました。「朝鮮が陸続きだったら、逃げてでも帰りたい。お母さんのとこ
ろに帰りたい」みんな「お母さんに会いたい」というておりました。本当に可衰想なものでし
た。
病気をしたらもうおしまいち。ご飯も食べさせてもらわれん。死んだら、どこに埋(い)けられる
かわからん。それは本当でしょう。海で死んだり、慰安所で死んだりして、亡くなった方はい
くらでもおります。
次に大連の慰安所のことを少し話します。この年になる今でも名前を忘れていません。全羅
南道からきた朝鮮人「慰安婦」のハナコという人やったです。その人と
106名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:32
建てで、六畳の部屋が一部屋、そして二階と下で十四
部屋ございました。そこで、将校が一人の日本人の慰安婦を独占していたのです。「オンリー」
といっていましたけど。それは病気の移るのが恐いから、オンリーとして慰安所に部屋を借り
切って、そこヘ「慰安婦」を抱きに行くということをやっていたということです。
そういう施設を軍隊の中に造りながら、どうして「お国のために、天皇陛下のために、われ
われは戦っているんだ」なんてことがいえるんでしょうか。そういう国の歴史の事実があった
ということを、ぜびみなさんも聞いて知っていただきたいということでございます。
私は百人の「慰安婦」を検診する担当看護婦だったわけなんですけれども、彼女たちがどこ
からどうやって連れてこられたのかということは、わからなかったのね。誰も教えてくれませ
んでした。私が「慰安婦」について語るようになりましたのは、戦後五○年の年でございまし
た。さまざまな事実が判明してきたときですけれども、ある日新聞に朝鮮人の方たちが、海南
島に軍隊の洗擢だとかご飯の支度をするとか、そういうことでお国のために尽くしてくれとい
われて、下関に集められて海南島に行ったということが書かれているのを読みました。
この事実を私が知りまして、本当に私たちは申し訳ないことをしてきたと思ったのです。い
ま五○年経って、生きていらっしゃる方はあまりいらっしゃらないと思いますが。数年前に実
際の慰安婦をやらせられた方たちが七名、日本で裁判を起こすためにお出でになったの。私が
びっくりしたのは、その方たちはだいたい私と同じ年くらいなんですが、みんな白い朝鮮服を
着ているんです。朝鮮の方は亡くなったときに白い服を着るそうです。さきほどの荒木さんが
出された人形のようなきれいな朝鮮服は、誰も着ていらっしゃいませんでした。そして涙な
んか出ない」と。「私たちは、自分の人生を日本軍によって放棄せざるをえない条件に置かれ
たのだ」ということを、はっきりと私の前でいわれたのです。「あなたはそういう人の手助け
をして何と思っているんだ」といわれたのよ。辛かったですね。「その当時は日本人全体がそ
ういう状況に置かれていたんで、『戦争反対』と叫ぷ勇気を持っていなかった。だけど今は違
います。今は日本の民主主義をさちんと発展させるために、私が住んでいる地域の中で、さま
ざまな方た
107名無しさんの主張:2001/04/22(日) 03:54
読んだ人いるー?
108名無しさん@1周年:2001/04/22(日) 05:03
読んだよ。つーか読まないで何か言う奴は卑怯。
109名無しさんの主張:2001/04/22(日) 05:35
>>96-106

それで肝心の事が書いてないね。出典だよ、出典。
出典の書かれていないネット情報は捏造と思われるのが当たり前。
出版社、編者、出版年、等は最低限必要。

ネットは捏造情報の宝庫だからねえ。
110名無しさんの主張:2001/04/22(日) 09:27
ここって不思議なところだな。59みたいなコヴァ思想そのものみたい
なのが、さして叩かれる様子もないし。1みたいに、吉田某の話が嘘
というのと、慰安婦は空想の産物であるというのを混同するヴァカも
いるし。コヴァ板とか歴史板とはまた違った展開が見られそうではあ
りそうだから、ageとこう。
111名無しさん:2001/04/22(日) 10:03
自称従軍慰安婦は親に自分を商品として業者に販売されたのです。
極悪非道な親を糾弾しようじゃありませんか。
112名無しさんの主張:2001/04/22(日) 10:06
あのねえ、慰安婦がいたということよりも、問題は、だまして慰安婦に
させたかどうかってことでしょ。ここに来る人は若い人がほとんどだろうから
知らないだろうが、ちょっと前まで慰安婦(というより公娼だね)は「合法」だったの。戦前は借金を返すために「娘売ります」「苦界に身を沈める」なんてことはめずらしくもなかった。このあたり慰安婦関係の本だけ読んでいても
分からないこと。親だって娘本人には事実は言えないこともあるから、女衒
(「ぜげん」と読む。仲介業者だね)にさらわれたように当人は思い込んでいる。韓国はいまでも強烈な儒教社会だから自分を売った親を批判するなんて意
識はない。矛先を日本にしておけば周囲の同情も集まるという図式さ。
まあ、このあたり、いまの日本の感覚でものごとを見ると間違えてしまうよ。
113結論:2001/04/22(日) 10:11
昔はソープ嬢は公務員でサービス悪かったけど、民営化されてサービスが良くなった。
------以上------
114名無しさんの主張:2001/04/22(日) 10:38
従軍慰安婦は悪である。と言うなら
旧ソ連軍みたいに民間女性を暴行するほうが良い と言うのか?
115従軍慰安婦の定義:2001/04/22(日) 11:39
何か従軍慰安婦の意味を誤解してる人が多いな。
従軍慰安婦とは、日本軍に組織的、暴力的に強制連行され性奴隷とされた女性達を言うんだ。
(少なくとも、朝日新聞はそう定義している)
しかし、学者やジャーナリストが調査したらこのような女性はいなかった。
そしたら、従軍慰安婦で大騒ぎして引っ込みのつかなくなった奴ら(朝日新聞、反日文化人)が、
日本兵相手に売春していた女性達を従軍慰安婦と呼び始めたんだ。
(自分で定義した意味と全然違う人間を従軍慰安婦と報道し続けている朝日にはあきれかえる)
これって、牛肉100%といって大々的に宣伝しておいて、こっそりと豚肉に変えたようなもの。
従軍慰安婦=日本兵相手の売春婦と思っている厨房諸君、それは大間違だよ。

116名無しさんの主張:2001/04/22(日) 17:03
112だけど、115さんも書かれているように、慰安婦の存在ではなく、
強制連行されたかどうかってこと。ここがポイント。
慰安婦の存在自体が問題なら、戦後GHQの指示で米兵相手に設けた
施設はどうなんだ? 「良家の子女の貞操を守る」(意味分かるかい、
2チャンネルの諸君)ため日本人女性を募って「女の防波堤」を
設けたんだよ。もっともっとものごとを幅広くみようね。
ドキュンな新聞、ドキュンなライター、ドキュンな教師に惑わされるな。
117名無しさんの主張:2001/04/22(日) 17:37
じゃあ、慰安婦はいたけど自分の意志でやってたってこと?
118名無しさんの主張:2001/04/22(日) 17:57
117さん 116です。自分の意志というより親の借金の肩代わりの
ためにやむなくというのが大半でしょう。生活苦が原因です。
いまの援交などとは全く次元が違う話しです。
戦前の日本(韓国も含む)の貧しさは今からはちょっと想像も
出来ないほどで、兵隊になってはじめて革靴をはいたという話しが
あります。自家用車も電話も普通の家にはありません(ラジオ放送
はNHKだけ、テレビはもちろんありません)。
ちなみに戦前の中学進学率(旧制です。今の高校)が10%ほどで、大学までいけた人は2.3%と言われています。
現在は高校は全入、大学もどこでもいいなら入学できますね。
当時は「娘を売る」ほどの貧困が存在したのです。
このあたりの事情を十二分に把握してください。

119名無しさんの主張:2001/04/22(日) 18:22
話それるけど、何で援助交際したらオヤジが捕まるの?
女子高生がそんな事しなきゃ何も起こんないんじゃないの?無理矢理やられるんじゃなくて
金欲しさに身体売るんでしょ?
女子高生にも罰を与えるべきじゃねえのか?(それとも俺が知らないだけで、女にも罪あるの?
120名無しさんの主張:2001/04/22(日) 19:21
>>119
スレ違い
121名無しさんの主張:2001/04/22(日) 22:09
>>117
自分の意志というよりは、親と女衒(人買い)に騙されたんだよ。
15,6歳の娘に「お前をこれから売春婦にする」などというわけがない。
泣き出されてごねられたら面倒だからね。
「日本軍関係でいい仕事があるんだよ」と言うのが常套手段。
もっともこれは娘だけに言ったことで、娘を売る両親は何をするか知っていたはず。
彼女たちは大変悲しい思いをしたのは事実だが、彼女達を従軍慰安婦と呼ぶのは筋違い。

こんなのは韓国に限った事ではなく、日本でも「東京や大阪でいい仕事がある」といって
東北地方あたりの田舎娘を買ってきて娼婦にした。
実際、都会に連れてこられてから本当のことを知って自殺する娘もいたらしい。
122眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:36
>81〜106
長文ご苦労さん。せっかくだから、一つづつ検討させてもらうよ。

>>81
これは天津特別市政府の資料に残ってる有名な事例。日本軍が、中国人売春
業者の組合に女性の準備を頼んだ際の話。
まぁ、思い込みなしに81を読めばすぐに分かる通り、元々プロの女性がわずか一ヶ月
働くだけで、日本軍が借金全額肩代わりして自由の身、というトンデモない好条件
での募集。どう解釈したって、これが“強制連行”だなんて結論は出てこない。

>八六人が軍慰安婦として選ぱれた。…しかし八六人のうち半数の四二人が逃亡したという。
>このように多数の逃亡者がいることは、「自発的に応募」が文書上の偽装であることを示
>している(『朝日新聞』一九九九年三月三○日)。

この件は1945年5月、もう日本軍がボロボロだった頃の話。逃げたのは日本軍に対する
(前線での身の安全、借金肩代わりの約束等の面での)信頼低下の表れと見るのが自然
(秦郁彦氏等の解釈)。
それに常識的に考えて、一人前の軍隊が本気で女性を“強制連行”しているなら、その
半数があっさり逃亡するなんてことが有り得るはずがないでしょ。かよわい女性たちが
簡単にトンズラできたって時点で、それが“強制的”な連行でなかったことは自明だろ。

…それにつけても、ドサクサ紛れにこれを「徴発的連行」と“強制”を匂わせて書く辺り、
いかにも朝日らしい見事な卑怯っぷりだな。ったく。

123眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:39
>>82
誰が騙したのってところが重要なの。それが日本軍の組織的意図だったと
証明された時点で、はじめて慰安婦問題が成立するのね。その情報がなけ
れば全くの無駄。市井の女衒やヤクザ者に騙された、なんて類のありきたり
の話では意味ないよ。

>>83
セレベスは確かに、軍側が女性の衣食住丸抱えで慰安所経営の面倒みてる
状態だったらしい。これは、辺境の戦地だから、そういう特殊形を取ら
ざるを得なかったと見るのが妥当。

むろん、このことと女性の強制連行云々とは全くの別問題だね。それは
83にも、

>インドネシア人女性が日本軍によって強制的に集められたと言う人がいたら、それ
>は間運っています。彼女たちは普通、現地の村役人を通じて行われた通達によって集
>められたんです。まず集められて、それから日本軍の司令部へ連れて行かれたんです。

とある通り。で、その後に続いている文章、

>ただこうした事態が、日本軍による現地村役人への事実上の命令・強制なしには行われ
ないであろう

なんてのは、この記事の筆者による全くの空想。83自体を読めばすぐ分かるように、
この言葉を裏付ける根拠は何一つ挙げられていない(むしろ反証になるよう
なものばかりでは…)。
まぁ「世界」に書いてる程度の人間の知能なら、こういうデタラメも
やむを得ないのかもしれんなぁ。
124眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:41
>>84 >>85
これはよくある類のエログロ話。出典も根拠もないようではお話にならない。
このテの身上話こそ、客観的な検証を要するってのが分からんかな?(それが分からんよう
な人は、物事について一家言持つ資格がないってことだが…。)

>>86
基本的には、これは意外に前線に近いところまで連れてこられて弱った、
って話。それと女性の強制連行は関係ない。
ただ、

>また日本語が喋れない小娘もいた。英語と中国語を交互に使って事情を
>聞くと、「ペナンで夕方の外出禁止命令を知らずに街を歩いていたら、
>逮捕されここに入れられた」と涙をこぼした。良家の子女のようだった

っていうのが本当で、かつ一般的な姿だってことが証明されるとしたら、これは
確かに問題だけどな。もっともこのままじゃ、これも娼婦の身の上話の聞き書きって
だけだが。
もしも、逮捕という公的手段による女性誘拐が一般的だったのなら、検証はできる
んじゃないかな? 何でそれがされてないのか、私は歴史家じゃないから
よく知らんが。
125眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:43
>>87
>それはインドネシアで日本軍が村々を襲って労務者狩りをおこない、そこで
>集められた男女が船でシンガポールに運ぱれてきた。

それって、むかしの朝ナマで高木健一弁護士が「日本軍はインドネシア上陸
後ただちに大々的な強姦作戦(笑!)を行い…」とぶち上げて、客席に並ぶ
老人たちに痛罵されたのと同種のネタだな。ちなみに、インドネシアで一人
200万円の保障をぶら下げて元“従軍”慰安婦を探したところ、当時在印した
日本軍人よりも多い数が名乗り出てもう大混乱!ってのは有名な話。

それから、シンガポールの状況:
「1942年、軍司令部の後方係りがさっそく慰安婦を募集した。すると、
今まで英軍を相手にしていた女性が次々と応募し、あっという間に予定数
を越えて係員を驚かせた。…トラックで慰安所に輸送されるときにも、
行き交う日本兵に車上から華やかに手をふって愛嬌をふりまいた。」
(総山孝雄元少尉の証言:「慰安婦と戦場の性」秦郁彦著)

…さてここで質問。一体何だって、インドネシアで人狩りまでした挙げ句、
それをシンガポールに運ぶなんて手間をかけにゃならんの?
126眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:44
>>88 >>89
ジャンヌ・オヘルネさんのスラマン慰安所の話は有名だし、これは確かに日本側の責任
だな。これについては、戦後、責任者は死刑になってる。

しかし、これを慰安婦の常態として一般化することはできないよ。
このスラマン慰安所は設置されてすぐに閉鎖されている。これは、慰安所での暴力沙汰を
知った日本軍の山本軍政監が激怒。その結果として慰安所は即日閉鎖、慰安婦たちには
後日謝罪した…ってのが経緯だ。そういう強制、暴力沙汰ってのは、日本軍側にとっても
意外な事態だったってことがよく分かる話だね。

127眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:46
もうこれ以降は、ネタが尽きたのをごまかそうとして無理に書いたのが
見え見え…(藁)。
「慰安婦」って単語が含まれてさえいれば何でもいい、ってわけじゃ
無いんだよ君ィ。

>>96
これ自体は(本当だとしたら)悲惨な話だが、慰安婦の強制連行とは明らかに
無関係な話だね。

>>97
これはありきたりの身の上話。貧困の為親に売られた女性だったんでしょう。
これもまた気の毒な話だが、強制連行云々とはまるで無関係。

>>98 〜106
長々とした体験談だが、これまた「“強制連行”の論証」という本来の目的から
見ると、まるで無意味なお話。絵に書いたように愚劣な感情論だな。
まぁ現場にいた人たちが特別な感情を抱くのは当然だが、後世の我々には、事態の
正確な把握こそが求められているんであってね。感情論を闇雲に有り難がっていても
何も理解できないよ。
128眠れぬ夜の・・・:2001/04/23(月) 03:47
以上、眠れぬ夜のつれづれに、81〜106の長々としたカキコを一通りチェックして
みました。その結果は、ほぼ全て無意味というものでした。せっかく手間をかけて
チェックしたのに…。面白くねぇ…。

こんな長文、しかも他人の文章の書き写しという下らん手作業をやってる暇があれば、
もう少し自分のアタマを使ってものを考え、判断を下す訓練をすべきだな。
カキコした君、以後精進するように。

以上

あ、それからついでに
>>110
>吉田某の話が嘘というのと、慰安婦は空想の産物であるというのを混同する
>ヴァカもいるし。

すると、「嘘だが事実である」ってことだね。おヴァカさん。
129ダイナマ伊藤:2001/04/23(月) 05:07
まずこの問題ってのは吉田清治って人の四つの証言に帰着するんだな。
これを元に日本の首相が誤るまでいったんだね。
そのうちの二つが昭和五十二年と五十八年にだした本。例えば前者で「同郷の
先輩の世話で山口県労務報国会下関支部に就職」とあるが、吉田はある裁判
の証言で「下関警察署特高へ出頭しろという刑事から呼出しがきましたので
参りましたら」「その団体(労務報国会)に入って国家のために働けと、
半ば強制的に志願するように命じられました。」と違うことを言っている。
そして後者の本で労務報国会が済州島の奴隷狩りをしたことが紹介されて
おるが、いろいろ細かい点がおかしい。その時点で「挺身隊(一発変換)」
という言葉は存在しなかったのに行政側が使っているとか、自分の結婚の時期
をずらしているとか。済州島のあたりについては
「慰安婦と戦場の性」 秦 郁彦著 新潮選書
に詳しい。秦さん大活躍だな。この人が吉田のウソを明らかにした。

130ダイナマ伊藤:2001/04/23(月) 05:07
朝日ジャーナルの平成元年五月十九日号に「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式謝罪
せよ」との意見広告が大分の主婦・青柳敦子によって出された。この広告は
これ以降隔週で十五回掲載された。この女平成元年に韓国を訪問して賠償を求める
原告探しをやっている。成果は上がらなかったがソウルの遺族会から連絡があり、
翌年再度韓国に行って説明会を開いた。かくして東京地裁に提訴となるわけ。
しかしその直後何故か遺族会は弁護士・高木健一グループに乗り換えた。そして翌年
また提訴となった。

かくしてホラ話が事実になって収拾がつかないこととなった。
131名無しさんの主張:2001/04/23(月) 08:02
>>130
やはり朝日が絡んでるのか。
132名無しさんの主張:2001/04/23(月) 12:50
>>110
>コヴァ板とか歴史板とはまた違った展開が見られそうではあ
>りそうだから、

それはどうやら見られそうもないな。
その代わり、勝敗の帰趨は早くも見えてきたけど。(藁
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1@`p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1@`p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1@`p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。[2@`p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
る。一体、どちらが真実に近いのか?
134■2.慰安婦問題の経緯■:2001/04/24(火) 05:14
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
た」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
点を検証する。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
いる。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
的犯罪となる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
かった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
たという。[1@`p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。
137■5.名乗り出た慰安婦■:2001/04/24(火) 05:16
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2@`p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2@`p275]
139■7.軍の関与とは■:2001/04/24(火) 05:18
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
婦等募集に関する件」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、
A従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、B誘拐に類する
方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
[2@`p267]

と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
である。

 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示
募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
っかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
を繰り返した。(続く)
140■ 参考 ■:2001/04/24(火) 05:20
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面
141名無しさんの主張:2001/04/25(水) 00:17
あのねぇ、前から疑問に思っていること。慰安婦(というよりお女郎さんか)
にはもちろん日本人もいたし韓国(北を含む)の人もいた。
台湾の人はいなかったのかな? いても不思議ではないと思うんだが。
もちろん「強制連行」でなく。

板の趣旨と違うので恐縮だけど、
植民地という意味では、かつての台湾も韓国と同じなのに反応が
あれほど違うのはなぜだろう? 統治にしても細かなところには
違いがあるだろうが、サヨ風にいえば、やっぱり植民地支配だよね。
でも台湾では日本統治へのうらみつらみはそれほどいわれていない。
親日という点では断トツだとか。
(戦後の国民党の暴政とか霧社事件のことは承知しています)
142名無しさんの主張:2001/04/25(水) 00:26
>>141
「植民地支配」はちょと違うような。
イギリス人はインド人に英語教えなかったでしょ?

「台湾は中国から逃げてきた人たちの集まりだから日本寄り」
と言う話もあるけど、わたし的には
「中国や韓国は国民をまとめる為に日本を敵として利用している。」
に一票かな。いくらなんでも「悪人ばかりの国」とまでの
言われようは何かしらの意図を感じざるを得ない。
143名無しさんの主張:2001/04/25(水) 00:55
>>141
>台湾の人はいなかったのかな?

いや、同種の騒ぎは一応あるよ。例によってバカNGOや日本の
サヨ連中(吉見教授等)が行って、火ィつけて回ったから。

まぁ要するに、あまり盛り上がらずに終わったってだけじゃないかな。
144名無しさん@1周年:2001/04/25(水) 00:59
台湾の人は恥を知っているのさ。
フェミニストの見地から反対すればまだ馬鹿にされないのにね。
その際、他国の慰安婦制度にも噛み付かなければならないが。
あと、20年もすれば絶滅するでしょう。
ほっときゃいいさね。
慰安婦が消えたのはつい最近の戦争からなんだし。
146名無しさんの主張:2001/04/25(水) 01:17
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=987038930&ls=50

このスレなんか見ると結構、腑に落ちると思う・・・

今は昔で、慰安婦問題については明確なことがわからなくなってしまったが
まだこんな状況だというのは驚きだ。
147>146:2001/04/25(水) 04:04
韓国の「幼児売買」 世界一の幼児輸出国


1 名前: 名無し 投稿日: 2001/04/12(木) 10:28
韓国では公然と幼児を売買する「人間市場」があり、幼児輸出世界一位の国です。
このように女性(韓国は強姦世界3位の国です)や子供に対する人権意識が無い国なのですね。

「ソウルの都心で、堂々と幼児を売り買いする「人間市場」が開かれるほどに堕落したのか。金のためならば何をしても良いという、
拝金主義がのさばる社会に未来があるのか。人間生命の番人である病院が、幼い生命を売り買いする「奴隷商人」に化ける背理。
自分の子どものような幼児をガム売りに育てた後に、成長すれば廃棄処分する背理が日常化する社会は終末を早めるだけだ。

キーセン観光を助長してでも外貨を稼がなければならないと騒いだ朴正煕ファッショ政権以後、価値観の転倒現象が甚だしくなった。
政治指導者が国家権力を利用し、女性を外国の観光客に売り渡しても「キーセン観光が愛国行為」だと言い放った社会雰囲気のもとで、
人身売買―幼児売買の芽が育ったのだ。」

http://www.korea-htr.com/jp/841850/jp84907ns.html


148通りすがり:2001/04/25(水) 04:09
>>141-144

アジア経済危機の時、日本は韓国に30億ドルの援助しましたが、
日本は韓国から全く感謝されていません。
韓国は日本の援助に感謝するどころか、
日本のせいで金融危機になったと批判しましたよね。

日本の韓国に対する資金援助など諸外国にとっては他人の事。
自国に関係ないことは評価などしてくれません。
国際社会が『日本は朝鮮半島に親切だ』なんて間違っても思いません。

自分達に都合の良い様に国際社会を見ている“甘い日本人達”だけが、
そういう無根拠な希望的観測を信じているのです。

アジア経済危機での韓国への30億ドル援助は、
「日本はいつでも金を出す、援助を受けても反日的態度をとった方が得だ。」
と、諸外国にも知らせただけです。
149通りすがり:2001/04/25(水) 04:10
>>141-144

例えば台湾は戦後一貫して親日国でした。
しかし近頃の台湾では、「親日的な態度を止めろ!」
という意見が出始めているのをご存知でしょうか?

台湾の対日政策は戦後一貫して日本を重視して親日的でしたが、
「日本に対しては物分かりの良い態度ではダメだ。」
「韓国は反日政策を取ったおかげで随分得をしてる。」
「台湾も韓国を見習って植民地支配への補償などは反日で行くべきだ。」
という様な強硬意見が無視出来なくなって来ています。

これもそれも外務省の愚かな政策によるツケでしょう。
親日国を反日国に変えてしまうような外交政策に、
なんでお金を注ぎ込みたがるのか理解出来ません。

悪い奴、悪意や敵意を持っている奴にお金を与えて取り敢えず宥める、
という愚行が最終的にどういう結果を招くかを如実に示しています。
一般の日本人が漠然と信じているほど、実際の国際社会は甘くはありません。
150名無しさんの主張:2001/04/26(木) 01:33
重要なスレにつきage

無能な政治家、腰抜け官僚どもを誅殺すべく、
いまこそ、平成維新を起こすべき。
152名無しさんの主張:2001/04/26(木) 03:48
確かにその通りですね、自分もなるほどと思いました。
153名無しさんの主張:2001/04/26(木) 04:07
私の兄は孫呉で戦車師団の経理将校をしていまして、休暇で日本に帰っ
てきたことがありました。一晩話したときに兄から聞いたことです。
  終戦間近のことですが、兄は「内地」防衛の命令を受けて日本に帰らなけ
ればならなくなりました。親しくなった一人の朝鮮人慰安婦にそれを話しまし
たら、帰る途中で、京城にいる自分の家族に手紙を渡してほしいと頼まれたと
いうのです。
  渡された住所を頼りに探したところ、高級住宅街にある立派な家でした。
家族は大変驚かれ、とうとう上がりこむことになってしまったのです。兄は思
いきって、「娘さんはどうして軍隊にきたのですか?」と尋ねました。
  「私こそ知りたいのです。ある日、買い物に出したのですが、それっきり
帰ってきません。翌日になり、日本の憲兵がきて、おたくの娘さんは軍隊で働
くことになったから、ここに判を押せというのです。何を聞いてもそれ以上は
話してもらえませんでした。娘は一体何をしているのですか?」
  兄は返答に困ったと話しましたが、こうした無茶な集めかたをしたという
ことを、私はそのとき初めて知ったわけです。おそらく、判を押させられたと
きも、天皇陛下の命令だと言われたのではないでしょうか
154名無しさんの主張:2001/04/26(木) 10:22
↑マジ?
155名無しさんの主張:2001/04/26(木) 13:17
>>147
くだらん。
156名無しさんの主張:2001/04/26(木) 18:34
>>153

はい根拠無しにつき一件落着、と。

憲兵に誘拐されたなんて筋書きは、一番ありきたりな作り話の典型じゃないか。
そのテの告発してる奴はくわるほどいるが、客観的に実証された例なんぞ
一つも無い。それが現実。
157156:2001/04/26(木) 19:42
そのテの告発してる奴はくわるほど → くさるほど

鬱だ・・・。
日本兵に化けた現地の人買いもたくさんいただろうよ。
商売するには、一石二鳥だろうし。
根拠も証拠もない推論だけど。
159今でも・・・:2001/04/27(金) 03:24
飛行機の中で騒いで注意された韓国人の一団、
スッチーに注意されると、「ウリナラは日本人だ」と逆に反撃する始末。

60〜70年も同じようなことしてたんじゃないの?
160>158@`159:2001/04/28(土) 01:11
>>158
>>159

いやだ。鬱だ。
161極左朝日に全面広告を出した企業:2001/04/28(土) 10:46
162>161:2001/04/28(土) 17:45
ユニクロのところ「httpS」になってるぞ。
163名無しさんの主張:2001/04/28(土) 19:13
>>156
この手の話は裁判で証拠としていくらでも事実認定はされております。
ただ事実ではあっても法的な根拠がないとするのが現在の判例。
164>1:2001/04/29(日) 04:03
165名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 14:34
>>163
つまらんこと言ってんじゃないの。

少なくとも現時点では、慰安婦裁判の事実認定なんて、せいぜい本人(あるいはその
取り巻き連中)の陳述書内容を、これまた本人尋問で確認しました、って程度のこと
ばかりでしょうが。それ以前の問題として補償請求権のところでハネる、ってのが定石
になってるからね。事実認定の段階で、わざわざ手間かけて精査した(つまり歴史学的
検証に耐えるレベルで検討した)判例なんぞ一例だってないよ。

今必要とされているのはそんないいかげんな代物じゃない。客観的証拠に裏付けられた
歴史的事実としての“実証”なの。その点を踏まえて、既存の判例での事実認定が金科
玉条の如く振り回してよいものかどうか、アタマ冷やしてもう一度よく考えるようにね。
166名無しさんの主張:2001/04/29(日) 16:31
>>165
事実認定の杜撰さについてはおっしゃる通りなんだけど、
>>163に書いてある様なやり口って日本であれ他国であれ、
ごく一般的な軍隊の在り方だと思うんだけど、どうでしょう?

常識レベルで考えて、当時慰安婦なるものが実在したのであれば、
>>163 みたいな事例が1つや2つ存在しても不思議でもなんでもない。


あと、慰安婦への補償問題に関して事実認定云々とか論じている
人が多いけど、そもそも講和条約締結後に話を蒸し返す方がおかしい
という理屈で一蹴すれば済むことではないのか?
167名無しさんの主張:2001/04/29(日) 16:35
取りあえず、>>153 のコピペに対する日本史板の反応:

「基礎からわかる従軍慰安婦問題」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=987321269&st=304&to=313&nofirst=true

↑によると 「孫呉に戦車師団はなかった」 そうだ。
これが事実なら、ほぼ完璧な捏造。
168名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 18:38
>>166
163に書いてある様なやり口って日本であれ他国であれ、
ごく一般的な軍隊の在り方だと思うんだけど、どうでしょう?

「163に書いてある様なやり口」ってのは、憲兵による婦女子拉致の
ことを言ってます? だとしたら、それが「ごく一般的な軍隊の在り方」
であるはずがないでしょ。

それこそ常識で考えて下さい。どこの世界に、一般市民を誘拐して歩くの
が常態化した軍隊がいますか? 山賊や中国軍閥の私兵などとは違うん
ですよ。まがりなりにも近代化・組織化された国家の軍隊なんですからね。

>常識レベルで考えて、当時慰安婦なるものが実在したのであれば、
>163 みたいな事例が1つや2つ存在しても不思議でもなんでもない。

なにが言いたいのかよく分からないな。
そりゃ個人の犯罪としてそれが生起した可能性も、理論上は否定しきれないよ。
理論上はね。
だけど「1つや2つはあったかもしれない」→「だから憲兵に誘拐された
という話は真実だ」という理屈は、どう考えても飛躍がすぎるでしょ。

>そもそも講和条約締結後に話を蒸し返す方がおかしい
>という理屈で一蹴すれば済むことではないのか?

それは支援派の連中に言ってやってくださいな。


169名無しさんの主張:2001/04/29(日) 21:50
従軍慰安婦は、親と女衒(人買い)に騙されて、日本軍に引き渡された
ということのようですが、
日本軍は、その辺の事情を知っていて彼女たちを雇っていたのでしょうか?
「騙されて来たのはかわいそうだが、金払ったんだから、仕事しろ」
って感じだったのかなぁ?

知っていたとしたら、道義的には責められるかも知れませんね。
でもあの時代なら仕方ない?
170名無しさんの主張:2001/04/29(日) 22:28
>>169
人買いが当たり前の時代に、個々の事情まで考慮するはずがないし、する余裕もない。

あと 「日本軍に引き渡され」 てはいない。
治安、公衆衛生の観点から、軍が管理することはあっても、
あくまで慰安婦は女衒に属する。

軍の上層部が、個々の慰安婦の事情を知ることはないし、
買いに来る軍人は客でしかない。

今だって売春している人たちの、個々の事情なんて誰も考慮しないでしょ?
そんなもの。
171169:2001/04/29(日) 22:36
なるほど。
女衒が勝手に軍の近所で商売をしていたと考えればよいのですね。
(違う?)
172ポチ:2001/04/29(日) 22:50
 日本は官僚による支配が長く続いていたというが、そうなるとオタクによる支配が長く続いていたということになる。そうなると秋葉原こそが官僚王国にとっての心臓部と言うことか・・
173名無しさん@1周年:2001/04/30(月) 01:25
>>171
>女衒が勝手に軍の近所で商売をしていたと

違うような違わんような・・・。
とりあえず、民間の慰安所が軍の近くに店を開き、それを兵士が金払って利用した
わけだから、まぁ基本的理解としては、民間業者が“勝手に商売”してたという
図式でいいと思うけどね。(だから“従軍”ではない。)

ただ実際には、衛生面等々について、軍の側である程度業者の選定を行っていたのも
確か。補償派の中には、その点をついて“日本側の責任”を云々する連中もいるな。

でもよく言われている通り、日本軍による関与ってのは、あくまで良心的な業者を
選ぶためのものだね。最近の資料でも知られているとおり、「悪質なやり方で娘を
調達する業者もいるから注意すべし」っていうのが、日本軍の基本スタンスだから。
その点は、例えば >>126 にあるスラマン慰安所営業停止の一件でも明らかになってる。

要するにね、女衒なんてものは日本だろうが韓国だろうがヤクザ者に決まってるわけだ。
そんな連中の行為について、単なる“女郎屋の客”にすぎない日本軍が責任取るなんて
のはそもそも筋違いでしょ。そんな連中の行動なんて、客が日本軍兵士であろうが朝鮮人
市民であろうが同じなわけだからさ。
174名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/30(月) 02:15
もしも、今政府が謝罪して(超豪華!!日王の土下座付き)
そして当時の物価で保証し、現在の数百から数千円渡したら?

さて、民族の誇りとやらとカネどっちの秤が傾くかな?(藁
175名無しさんの主張:2001/04/30(月) 03:23
>もしも、今政府が謝罪して(超豪華!!日王の土下座付き)
 そして当時の物価で保証し、現在の数百から数千円渡したら?

でも、支援派?の主張している決着はそれだよね。
その場合アジア各国に存在している被害者に平均一千万程度の
賠償金を払うとして莫大な金額になるわけだ。それに金が出ると
なったら中国も黙ってないし。そうなれば国民は非常に重い税負
担を背負うことになるが、いったい五十年以上も前におこった自
分に直接の責任が無い問題に対して、具体的な負担をすることを
どうやって国民に納得させるつもりなのか?どうも支援派という
のは浅はかなバカとしか思えないのだが。
176166:2001/04/30(月) 03:29
>>168
> だけど「1つや2つはあったかもしれない」→「だから憲兵に誘拐された
> という話は真実だ」という理屈は、どう考えても飛躍がすぎるでしょ。

そういうことは、そういう主張をしている奴に対して言ってくれ。
相手を選ばず怒り口調でまくしたてる君の様な奴は、どんな自説を持って
いようが馬鹿だよ。
177名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:10
M・R・L・ヘンソン『ある日本軍「慰安婦」の回想』(岩波書店)p46〜

二月のある日、私は母に「叔父さんたちといっしょに出かけたい」とせがみ、許しを得まし
た。家で便う薪を採りたかったのです。母は行かせたがりませんでしたが、常々私がせがんで
いたので、願いを容れてくれたのです。それから一週間、毎日のように叔父や近所の人たちと
いっしょに薪採りに行くようになりました。草木をかきわけて行くのでたくさん切傷やあざが
できましたが、料理の燃料が手にはいるのでご機嫌でした。
ところが、そんなある日のこと、叔父や近所の人たちと離れて、乾いた木片を束ねる準備を
していたときでした。突然二人の日本兵が私の両腕を掴みました。私は仰天して悲鳴をあげま
したが、彼らはやみくもに私を連れて行こうとします。そのとき、「バカ!」という叫び声が
聞こえました。フィリピンの言葉で「バカ」は「牛」を意味するので、私は牛のことかと思い
ました。「バカ!」と叫んだ日本軍将校が近寄ってきて、私を捕まえていた二人の兵隊を殴り
ました。将校だと分かったのは、その軍人が長くてカーブしたサーベルを下げていたからです。
その将校は私を二人の兵隊の手からもぎとって、レイプしました。その後、彼は二人の兵隊に
私を与えました。その兵隊たちは順番に私をレイプし、立ち去りました。
思いもよらない痛苦な体験でした。身体は血まみれになり、激痛のために立つこともできま
せん。幸い、あたりに暮らしている農夫が通りかかり、助けてくれました。その農夫は自分が
住む小屋に私を連れて行ってくれ、おかみさんが私に自分の服を着せてくれました。私のスカ
ートはすっかり血だらけになっていて、起こった出来事を隠しようもなかったからです。
親切な農民夫婦に休ませてもらい、二日後、列車の線路に沿って歩き、家にたどりつきまし
た。アンドとフアンはまだ私を捜しまわっていました。叔父たちは、私が道に迷い帰り道が分
からなくなった、と思っていたのです。
母に自分がどんな目に遭ったかを話しました。母は、「殺されなかっただけでも幸運だった」
と泣きました。この事件について誰にも言わないように、母は忠告しました。
悲しくてたまりませんでした。身体の内側の痛みを感じ、「どうしてこんな目に遭わなきや
いけないの」とふるえる思いでした。地主にレイプされた母の運命を連想しました。「母さん
の運命を受け継いだのだろうか?」暗い考えが頭をよぎりました。私は、まだ生理もない少女
だったのです。
178名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:12
それから約二週間、私は家で休んでいました。母の言いつけを守り、その事件のことは誰に
も知らせませんでした。いっしょに薪を採りに行った近所の人々も知りません。叔父たちも私
が道に迷ったと思い込んでいました。
けれども、二週間がたち、元気が出てきた私は、「叔父さんや近所の人の見えないところに
は行かないわ」と、母の許しもなく、薪採りに出かけました。しかし、薪の採れる場所に着く
と、そこでまたあの日本軍将校に出くわしてしまったのです。
その将校は、叔父や近所の人たちが見ている目前で私を拉致しました。殺されるかもしれな
いので、誰も抵抗できませんでした。私を助けることができなくて、叔父たちは泣き叫んでい
ました。レイプした後、その軍人は立ち去りました。
二度も性的虐待の悲運におちいるとは……。どうしてそんな目に遭わなくてはならないので
しょう。
私がまたレイプされたと知った母は、恐ろしいマニラを逃れ、パムパンガ州アンヘレスの故
郷に私を連れて帰る決心をしました。フェリノとアンドとフアン、それにコンスィンもパサイ
に残り、母と私とエミルがアンヘレスに引っ越しました。一九四二年三月の末のことでした。
母と私とエミルは、アンヘレス郊外の村、パムパンに住むことになりました。私たちの暮ら
した家は、母の従兄弟に借りた、小さな小屋でした。森のまんなかにあり、屋根は草葺で、竹
で作ってありました。親戚たちもいっしょに暮らすようになりました。

抗日人民軍フクバラハップ

一九四二年三月二九日、日本の侵略に抵抗する人民の軍隊としてフクバラハップ(Hukubalahap
「抗日人民軍」、通称フク団)が誕生しました。
家を貸してくれた母の従兄弟は、新しく生まれたフクバラハップの第四九中隊の議長でした。
彼は私にフクバラハップに参加するよう誘い、私の意志を問いました。私は応諾しました。そ
うして私は自分の意志で進んでフクバラハップに参加しました。辛い体験をした私は日本軍に
怒りをいだいていたからです。でもその体験は組織の誰にも話しませんでした。
179名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:12
捕われた密使

一九四三年四月のある日、組織の指示があり、近くの町、マガランに乾燥トウモロコシを集
めに行く密使の一人に加わりました。男性ゲリラニ人といっしょに行きました。一人は「ラピ
ド」、もう一人は「バト」というニックネームでした。本名は分かりません。二人とも、私と
同じ第四九中隊に属する同志でした。けれどもかれらと行動をともにするのは初めてでした。
私たちはカラバオの曳く荷車に乗って出かけました。四月はフィリピンでは乾季です。屋根
のない荷車に日ざしがたいそう熱く照りつけました。
マガランで乾燥トウモロコシ四袋を積み込み、パムパンに帰る途中、日本軍の検問所があり
ました。荷車が検問所に近づいて行くとき、そばに座っていた同志が、「気をつけろ、トウモ
ロコシの下に銃と弾薬があるんだ」とささやきました。私は神経がはりつめました。検問所の
警備兵が銃を見つけたら、すぐさま殺されてしまうでしょう。
私は荷車を降りて、警備兵に通行証を呈示しました。当時、人々はどこの誰かを示す通行証
を携帯しなければならなかったのです。警備兵がトウモロコシの袋をさわったり押したりして
検査し、通ってもよい、と言いました。
ところが検問所から三○メートルほど通りすぎると、警備兵が口笛を吹き、戻ってくるよう
合図するではありませんか。私たちは青ざめて、お互いの顔を見合わせました。警備兵が袋を
開けたら、銃が見つかってしまいます。たちまち命はなくなってしまうでしょう。
けれども、その警備兵は私だけに戻ってくるよう手をあげて合図し、他の同志たちは行って
もよいことになりました。それで銃は無事でしたが、私は自分の身が危うくなったことを感じ
ながら、検問所に戻りました。レイプされるかもしれない、と思いました。
警備兵は私をある建物の二階に連行しました。現在でもその建物がありますが、今ではヒル
クレスト・タイル・ストアになっており、昔の面影はありません。日本軍の占領の前は、病院
でした。北部ルソンに続く国道、ヘンソン通りに面していて、そのときには日本軍の司令部兼
駐屯地に転用されていました。そこに六人の女性がいるのを見ました。警備兵は私を竹の寝台
がある小さな部屋に連れて行きましたが、その夜には何も起きませんでした。
180名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:13
日本軍「慰安婦」にされる

その翌日、自分がたくさんの兵隊たちに性の相手をしなければならないのだと知りました。
最初に一二人の兵隊がたてつづけにレイプしました。それから三○分くらい間があり、またも
や一二人の兵隊です。私はひどく出血し、身体がめちやめちやに傷つけられたと感じました。
翌朝には、立ち上がることすらできませんでした。
一人の少女が朝食を運んでくれました。彼女に質問したかったのですが、警備兵がさえぎり、
言葉さえ交わせません。食事は喉を通りません。性器が腫れ上がっているのでしょう、痛くて
たまりません。ひとり、泣いて泣いて泣き続け、母の名を呼びました。日本軍に殺されるかも
しれません。抵抗しようがありませんでした。
昼の二時から夜の一○時まで兵隊たちが行列をつくって私をレイプする日々が始まりました。
他の六人の少女の部屋にも、兵隊たちが行列をつくっていました。
どうしようもありませんでした。日本兵の性的欲求に従うより仕方がなかったのです。
181名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:14
慰安所の日々

朝、目をさますと朝食をとり、「慰安婦」にされた少女たちの一日が始まります。少女たち
がみな青白く弱って見えるので、そのうち一週間に二度、全員が階下に降ろされて日光浴をさ
せられるようになりました。朝のうちに、私たちはそれぞれの小さな部屋を掃除して、階下の
水浴び場に降りて着物を洗い、水浴ぴをします。駐屯している兵隊たちの面前です。裸の私た
ちを見て、大勢の兵隊が面自がり、笑っていました。私たちのなかの二人はまだ陰毛も生えて
いなかったからです。洗濯した服を持って二階に上がると、それを部屋に干して、長い髪をと
かします。
午前一一時に少女たちの部屋に昼食が運ばれ、正午には皿が片付けられます。そして警備兵
が背の高い室内便器やお湯、そして精液を拭き取るための布きれを運んできます。
私たち七人に砂糖が配給されることがありました。パヌサという茶色の砂糖の一塊です。そ
れをコメと混ぜると飴玉みたいになるのが嬉しく、部屋にとっておいたものです。部屋には湯
呑があり、お茶が欲しいときは警備兵に頼みました。警備兵がお茶で顔を洗ったら顔の色艶が
良くなると教えてくれたので、お礼を言ったことを思い出します。
警備兵は、一週間で三回交代しました。かれらは少女たちに親切でした。少女たちが自分の
小部屋を掃いたり片付けたりしていると、寝台を整えるのを手伝ったり、濡れ雑巾に何か液体
をつけ、床を拭いたりしました。警備兵はその液体を「クスリ」だと言いましたが、その言葉
の意味は分かりませんでした。後になって、それは部屋を衛生的にするための薬品、つまり
「薬」のことだと分かりました。
182名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:14
午後の二時になると、大勢の日本兵がトラックでやってきて、各部屋の外に並びます。レイ
プされるという「仕事」のスタートです。我慢のならない苦しいことですが、性的サービスの
提供が私たちの「仕事」にされたのです。
私はお産をするときのように膝を立て、脚を高だかとあげてマットに横になっています。行
列をつくった兵隊たちが、後から後からレイプするのです。
部屋の外の兵隊たちは自分の順番を待ちかねて壁をドンドンとたたいてせかしたものです。
兵隊たちはずいぶん若く見えました。一八歳くらいでしょうか。髪の毛は短く刈り込んで、
たった半インチ(約一・三センチ)くらいしかなく、こぎれいにしていました。三○歳くらいの兵
隊はわずかだけでした。
兵隊が息せききって部屋に駆け込んでくることもありました。
やみくもに私に襲いかかり、脚の間や肛門に挿入してしまう兵隊もときどきいました。兵隊
たちの乱暴な扱いのため、腟やクリトリスが三日間も腫れ上がり、湯で洗うと激痛が走りまし
た。
やってきて一分もたたないのに射精してしまう兵隊もいました。そんな兵隊はひどく腹を立
てて、暴力を振るったものです。
ある兵隊はセックスをしないうちに射精してしまったのに怒り、私の手をひっぱって自分の
性器を愛撫するように求めましたが、勃起しないうちに、部屋の外で次の兵隊がどんどんと戸
を叩きました。部屋を出なくてはならなくなった彼は、私の胸を殴り、髪をわしづかみにして
乱暴をしました。そんなことはしょっちゅうでした。
私の身体の外で射精し、ズボンが精液で汚れてしまったと憤慨し、部屋から出て行くまえに
私の脚や腹を殴りつけていった兵隊もいました。まだ満足していないうちに部屋の外で待ちか
まえている他の兵隊にじやまをされて、その腹いせに、私を殴ったり蹴ったりしてゆくのです。
頭を叩いたり、脚を殴ったりされ、どんなに私は惨めで、痛かったでしょう。
183名無しさんの主張:2001/04/30(月) 06:15
性器を握ると兵隊が満足し、早く出て行ってくれることを知り、あるとき私は兵隊の性器を
握ろうとしました。ところが、その兵隊は、私が彼の性器をつぶしてしまうとでも思ったので
しょうか、私を殴りつけて暴行しました。
竹を編んだ仕切りだけが、隣の部屋と私の部屋を隔てていました。ときどき、隣の部屋の少
女が悲鳴をあげているのや、バタンバタンと大きな音がするのも聞こえました。その少女も、
日本兵にレイプされ殴られていたのでしょう。
それでも他の女性たちは、生理のとき、一力月に四、五日の休日がありました。でも生理が
まだない私には、そんな休みすらもらえないのです。
夕方六時から三○分だけ、タ食を食べるための休憩がありました。けれども、駐屯地には十
分な食料供給がありませんでした。私たちに与えられる食事は、一杯のコメとひどく塩辛い黒
い豆と保存用の大根のかけらくらいのものでした。ときどきフライド・チキンの小片が出てく
るのが、楽しみでした。警備兵はこれを「カラゲ」(唐揚)と呼んでいました。かたゆで卵を食
べられるのはまれでした。ひもじく、もっと食べたいのですが、私たちの割当はあまりにも少
ないのです。
三○分がたつと、またレイプされ続けるのです。昼の二時から夜の一○時まで、毎目一二人
から二○人の兵隊が来ました。ときどき兵隊の数が少なく、八時に終わりにできることもあり
ました。
兵隊がいる間は自分の身体を洗うことさえできません。性器や腟を浄められるのは、ようや
く兵隊たちが全員帰ってしまった後です。そんな「仕事」が終わった後は、目をつぶり、泣く
ばかりでした。
水曜日ごとに、私たち七人とも日本人医師の検診を受けました。彼はとても慣れ慣れしく私
たちの身体を見、検診が終わるとレイプしました。彼の性器はひどく大きく、私は痛さのあま
りに悲鳴をあげ続けたことを思い出します。日本人医師のかわりにフィリピンの医師が検診す
ることもありました。
184168:2001/04/30(月) 12:57
>>176
>> だけど「1つや2つはあったかもしれない」→「だから憲兵に誘拐された
>> という話は真実だ」という理屈は、どう考えても飛躍がすぎるでしょ。
>そういうことは、そういう主張をしている奴に対して言ってくれ。

あれ、そうなの?
じゃあ悪いけど、166のカキコで一体何が言いたかったのか、もう一度説明して
くれるかな? 何が趣旨なのかさっぱり分からん。 自分の言語での作文ぐらい
きちんとしてね。

>相手を選ばず怒り口調でまくしたてる君の様な奴は、どんな自説を持って
>いようが馬鹿だよ。

176は“怒り口調”ではないよ。趣旨すら明らかでない文章を書く君に対して、
多少は説教じみた感覚を持って書いたのは認めるが。
自分の文章レベルを棚にあげて、馬鹿だの何だのと知った風な口を利いても
説得力がないな。

185名無しさんの主張:2001/04/30(月) 13:29
趣旨すら明らかでない相手に説教してる時点でアウト
186168:2001/04/30(月) 15:52
>>185
その言い分もまるで意味不明だがね。

とりあえず答えておくと、分からないから、こっちでそれなりに解釈してあげたって
ことだよ。
そうしたら、それが違うって相手が言ってるもんだからさ。ややこしくなってるわけだ。
187眠れぬ夜の・・・:2001/04/30(月) 16:32
>>177 〜 183

フィリピンに関して言われているのは、ほぼ全て強姦等の性犯罪被害に
関するもの。ヘンソン証言の前半部分はその典型だね。真偽はともかく。
(とくに、後から来た将校があらためてレイプしたってところが嘘臭いな。
「バカ!」って、どう考えても兵士たちへの叱責の声だろ・・。)

まぁ、これ自体については何とも言えないな。組織的なものでなく、
末端の兵士たちの犯罪だから、今からでは立証も反証も不可能に近い。

ただフィリピン方面では、そういう事件防止のため早急な慰安所設置が
検討されていたそうだから、その種の問題は比較的多かったのかも知れ
ないな。フク団等によるゲリラ攻撃に手を焼いて、日本側もかなりイラ
イラしてたともいうし。

ただし、後半 >>180 以降の慰安所っぽい話の部分は信憑性が薄い。当時の
フィリピンは、慰安所設置の話を持ち出したとたんに「生活に困っていた
その道の経験ある婦女子」がワンサカ押し寄せるような状態だったはずだ
から。すでに供給過剰なのに、わざわざ手間かけて誘拐・監禁する理由は
無いよ。

それに、ヘンソンの言うようなゲリラ部隊を捕虜にした記録も日本側には無い
し、ヘンソン側の証言にも肝心の部隊名、人名等がまるで無い。それに慰安
所の女性たちの描写も、「その道の経験ある婦女子」の応募が多すぎるほど
多かった、という事実にまるでそぐわない。

確証はないけど、まぁこの部分は作り話の可能性が強いな。
188眠れぬ夜の・・・:2001/04/30(月) 16:33
ともあれ、整理しておかなきゃいけないポイントは次の2点。

まず、性犯罪被害はいわゆる従軍慰安婦問題とは性質の違う問題だし、
現在の日本政府が国家賠償するような類の問題でもないな。基本的に個人の
犯罪だから。だから補償するとしても、せいぜい以前やったような民間の
“償い金”程度が限度。それを国家レベルに持ち上げる理由はない。

それから、犯罪を犯す兵士がいる一方で、それを食い止めようとする力も
また日本軍内部には働いていたということ。これは、例えばこうした事件の
発生を防ぐために慰安所設置を急ぐという軍の行動にも表れている。また、
そうした行為を犯した兵士を日本軍側で逮捕・処罰し、かつ被害者への謝罪と
補償を行ったという記録なども残っているそうな。

これはつまり、組織としての日本軍がその種の行動を容認していたわけでは
ない、ということを意味するわけね。この辺のけじめはちゃんとつけておく
べきだな。補償云々の判断に関わる重要なポイントだから。
189眠れぬ夜の・・・:2001/04/30(月) 16:37
それから、>>177 〜 183 の人さぁ、

おれ、>>128

>こんな長文、しかも他人の文章の書き写しという下らん手作業をやってる暇があれば、
>もう少し自分のアタマを使ってものを考え、判断を下す訓練をすべきだな。
>カキコした君、以後精進するように。

と書いたんだけど。

しかし残念ながら、君はその後まったく精進しとらんようだねぇ。

おれ、「こういう問題について手前勝手な同情心だけで判断下しちゃう人って、
よっぽど考え無しな連中なんだろうなぁ」ってず〜っと思ってたの。
君のやることを見てると、その考えに間違いないことが確信できて安心したよ。

くどいようだが(で、効果ないだろうってことは自分でも分かってるけど)、
自分のアタマで何も考えず、とうの昔に知れ渡ってるような古い情報をムキに
なって書き写してるだけでは、何も得られないよ。自分も、周囲もね。

ただ自分の無能ぶりをさらけ出してるだけってことに、早く気づいてね。
190名無しさんの主張:2001/04/30(月) 17:24
>>189

どうも君は自分と議論する相手は誰も彼も「事実確認もせずに
同情心だけで慰安婦補償に賛成する人に違いない」と思い込んで
いる様だね。
191名無しさんの主張:2001/04/30(月) 18:17
>>190
>>177-183みたら、>>189の言うとおりだと思うが?
192名無しさんの主張:2001/04/30(月) 20:29
「慰安婦補償に賛成する人」 が
「事実確認もせずに同情心だけ」 であるというのは、
周知の事実では、なかったのか…
193:2001/05/01(火) 01:29
164 名前:>1投稿日:2001/04/29(日) 04:03
http://www.melma.com/mag/15/m00000115/a00000035.html

これ読めって。


165 名前:名無しさん@1周年投稿日:2001/04/29(日) 14:34
>>163
つまらんこと言ってんじゃないの。

少なくとも現時点では、慰安婦裁判の事実認定なんて、せいぜい本人(あるいはその
取り巻き連中)の陳述書内容を、これまた本人尋問で確認しました、って程度のこと
ばかりでしょうが。それ以前の問題として補償請求権のところでハネる、ってのが定石
になってるからね。事実認定の段階で、わざわざ手間かけて精査した(つまり歴史学的
検証に耐えるレベルで検討した)判例なんぞ一例だってないよ。

今必要とされているのはそんないいかげんな代物じゃない。客観的証拠に裏付けられた
歴史的事実としての“実証”なの。その点を踏まえて、既存の判例での事実認定が金科
玉条の如く振り回してよいものかどうか、アタマ冷やしてもう一度よく考えるようにね。


194174:2001/05/01(火) 04:45
>>175
ちょっと、解ってくれなかったみていなんで・・・
あくまで、被害者自身には数百円しか手に入らない訳よ。それぽっきり。
何人いるかわからないけどさ。
多くみても一国一千万よ。合わせて数億で済むわけ。
もっとも、レートが違うからその国ではどれほどの価値があるかは
解らないけどさ。
被害者個人の本音を聞き出せるいいチャンスだし、
保証してしまえば、諸外国に対して公然と「過去がどうこう」って言われて
干渉されることも無いんじゃないの?

それぐらいの金額だったら、国会議員の定数10人くらい削減すれば
数年で取り戻せるし。

超豪華謝罪までして、一人一千万の保証なんて誰も認めないし
やったならば国家としてのプライドを疑うね。
あくまで、俺は被害者の本心が聴きたくて、
(どうせ一番の目当ては金だろうから)
こういう両極端な保証を提案してみたまで。
195名無しさん:2001/05/01(火) 07:10
196 :2001/05/01(火) 07:34
オ`ハヨk
197名無しさんの主張:2001/05/01(火) 09:23
>>191-192

このスレには、慰安婦補償には賛成しないが、その理由として
組織としての日本軍の公正さを挙げる論陣はおかしいと考えている
人もいるんだよ。
198名無しさんの主張:2001/05/01(火) 10:03
>194
本気でそう思ってる?
一度謝罪したら、また何度でも口実をつけて賠償を要求されるよ。
こいつはゆすりそのものなんだから。
何十年も前に国家間の条約で賠償問題は決着してるのに、
今賠償を要求されていることをお忘れなく。
199194:2001/05/01(火) 10:22
そういえば、ドイツは今も豚たちに賠償しているんだよね・・・
ってことは、結局カネか。
民族の誇りという前に人としてのプライドを問題視するべきだね。

どちらかの国家が消滅した場合はこの問題ってどうなるの?
例えば、民族の全く違う第三国(アジア以外の国)に合併されるとか。
200 :2001/05/01(火) 18:35
その怒りはこちらへどうぞ。ぼくも書き込みました。
●外務省 代表電話03-3580-3311 ファックス03-3593-0800(国内広報課直通)
     ご意見入力 http://www2.mofa.go.jp:8080/mofaj/mail/qa.html
201:2001/05/02(水) 15:34
167 名前:名無しさんの主張投稿日:2001/04/29(日) 16:35
取りあえず、>>153 のコピペに対する日本史板の反応:

「基礎からわかる従軍慰安婦問題」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=987321269&st=304&to=313&nofirst=true

↑によると 「孫呉に戦車師団はなかった」 そうだ。
これが事実なら、ほぼ完璧な捏造。


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