1 :
名無しさんの主張 :
2001/02/15(木) 02:00 あえて問う! 本当に死刑は必要か? 合法的とはいえ、人は人を殺して良いものか?
お前はどう思うんや?
3 :
1だ :2001/02/15(木) 02:30
俺は倫理に反すると考える。 いかなる理由があろうと人は人を殺してはいけない・・・気がする。 スマン。
4 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 02:32
いいんじゃん? 戦争だって合法的な殺し合いじゃん。 世界じゃまだまだドンパチやってまっせ。 軍隊持たずに死刑も廃止ってなら分かるけど。 自衛隊だって外国人殺すための組織じゃん。
5 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 02:34
>>1 獣に等しい輩が、人として刑を受けられるだけでもありがたいと思いなさい。
---------------- 終了 -------------------
つーか動物は無用な殺生はしないので「等しい」ったら失礼ですね。 ×獣に等しい ◎畜生以下
7 :
名無しさん :2001/02/15(木) 02:52
有用なら可
8 :
名無しさん :2001/02/15(木) 02:52
以下は=の意味も含みます。よって、畜生未満。
9 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 03:05
人が人を殺してもいいが、体制が人を殺してはいけない
10 :
名無しさん :2001/02/15(木) 03:56
結論のでない議論はもうコリゴリ
11 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 04:13
結論が出たら「終了」になるんじゃないか?
12 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 07:11
>>6 無用の定義が曖昧だからなんとでも言える。
おもしろ半分に殺生するのは何もヒトに限ったものじゃない。
んなこと一度猫か犬でも飼えば直ぐにわかる。
13 :
名無しさんの主張 :2001/02/15(木) 07:51
自分が殺されるのはイヤだが、他人がいくら死のうとかまわん。 むしろ俺の手で殺したいぐらいだ。
14 :
ageaeg :2001/02/15(木) 13:23
ageage
日本で死刑判決受ける人って、どんなことしてなったかゆうことを 考えたらそんな疑問沸くこたねえはずじゃがのう。
16 :
8才 :2001/02/15(木) 14:07
ぼくわ刑をしっこうされてもしなない人になればいいとおもいます。
17 :
名無し魔さん. :2001/02/15(木) 14:14
>16 それができたら、娑婆に生きて戻れるけえの。 執行されても生き残っておったら、二度目ねけえ。日本では。
18 :
名無し :2001/02/15(木) 19:10
死刑と終身刑だったら時化の方がましだな、自分が受ける場合。 ただ、それも費用がかかる。 本人も楽、国家の負担もあまりせずにすむ死刑はあった方がいいだろう。
19 :
小市民 :2001/02/16(金) 03:41
ごみは処分しないと。
20 :
名無しさん :2001/02/16(金) 03:44
そうそう。
21 :
名無し産 :2001/02/16(金) 04:21
冤罪はどうするの?
22 :
九六六弐参 :2001/02/16(金) 04:25
死刑より私刑を認めろ!
23 :
名無しさんの主張 :2001/02/16(金) 05:28
でも、死刑にはある程度の犯罪抑止効果があると思う。 また、被害者の感情を考えたら、存在意義はある。 山口母子殺人事件なんて、自分が被害者で、判決が死刑で なかったら、本当に自分の手で処刑したいと思うだろうね。 冤罪のことを考えたら終身刑のほうがいいのかもしれないけれど、 今はその制度はないし、新たに設けたとしても、どこかで、抜け道 ができそうだし(恩赦とか)、税金で極悪人の面倒一生見るのも 頭にくるし、死刑制度を容認するほうが、感情的にも納得できる。
24 :
名無しさんの主張 :2001/02/16(金) 10:55
21の言っている「冤罪」が、死刑に待ったをかける1番の問題でしょう。 もちろん死刑でしか贖えないような重い犯罪はあるだろうし、それに 関しては取り敢えず積極的にどうこう言う気はない。 但し、死刑や長期投獄の「冤罪」だけは刑の性質上あってはならない。 それを防止するために、幾つか考えてみたがどうでだろうか。 1.重い判決を出す時には特に綿密な調査を行い、刑が執行された後も チェックを続ける(マスコミ等民間)。 2.重い判決を出す時には裁判官の名前を発表し、責任の所在を明らかにする。 3.冤罪が明らかになった時は、判決作成に関わった裁判官にも刑事責任が 発生する。 4.マスコミも上記の考えに則し、推測を多分に含むフライング的な報道を 控える(現在はこれによって「他に真犯人いるかも」って考えが出て 来にくい、出しにくい、偏屈扱いされやすい)。 これで大分冤罪に対する怖さが減ると思うがどうだろうか。
25 :
名無し :2001/02/16(金) 11:37
>24 3番目は問題。 そうなると無罪判決が多くなる。 自分の刑事責任が問われるとなればそれを逃れようとするのが普通でしょ。
26 :
名無しさんの主張 :2001/02/16(金) 11:47
目玉の繋がってるおまわりさんは、よく「死刑!」と怒鳴ってバカボンパパを追いかけています。 裁判もなく死刑の宣告をしています。 今こそ人権派の諸君はこの冤罪の可能性濃厚な事件について非難の声を高らかに訴えるべきです。 バカボンパパは再放送されるたびに、死刑を宣告されて追いかけられています。 私が見る限り、彼は死刑になるような犯罪を犯していません。 今こそ立ちあがるべきです。それに拳銃の発砲数も驚異的なものです。 むやみに市民に発砲してはならないはずです。 マスコミ諸氏は何故にこのような暴力警官に対して何の警鐘も鳴らさないのでしょうか? バカボンパパの人権を守ろうではないか!
27 :
名無しさんの主張 :2001/02/16(金) 11:59
死刑判決をだすのは裁判官、執行するのは被害者や遺族にして なるべく執行の方法も直接的なものにする。 その上で「やっぱ殺せません」と言うのなら終身刑にしては?
28 :
24 :2001/02/16(金) 12:05
>>25 ではどうしたら良いでしょうか。
確かに刑事責任を問えば、判決は軽い方向にいくかも
知れませんが、逆に言えば刑事責任を問われない現在は
重めになっているって事でもありますよね。
29 :
名無しさん@1周年 :2001/02/16(金) 13:59
死刑を廃止し、終身刑を導入して、 重罪はすべて終身刑にすればよい。 それから死刑を廃止したかわりに刑法全体を厳罰化。 特に罰金を十倍にすれば国庫収入が増える
30 :
山犬。 :2001/02/16(金) 15:47
死刑を廃止して,刑法全体を厳罰化。 ……囚人が増えるんだよね? 刑務所の経営にもお金がかかるよ。 罰金増額かぁ…… 道路交通法違反と不起訴事件の罰金って国庫収入の何%だろう? 経済での数字の刷り合わせは,難しいぞ。
31 :
名無しさんの主張 :2001/02/16(金) 16:46
死刑の上に人権剥奪の刑を設けよう。
>>26 「死刑!」はこまわりくん。
本官さんが叫んでるのは「タイホする〜!」でしょ。
>>28 刑事責任を問われないからといって重めになっているわけないでしょ。
そんなこと言い出したら、世界中の裁判の判決は重めってことになるぞ。
そもそも裁判官が自身の出す判決によって利益・不利益を被るような
ことはあってはならない。
>>29 死刑を廃止して他の刑を厳罰化ってことは、つまり刑罰の幅が狭くなる
ってことだけど、そうすると多様な犯罪への対応が難しくなるわけで。
33 :
> :2001/02/16(金) 20:34
つーか、死刑をこの世からなくすには、死刑になるような 凶悪犯罪を誰もがしなければ良い。簡単な話。 にもかかわらず、そんな簡単なことすらできず、自分の 自由な意思でわざわざ凶悪な犯罪をする者は死刑で何ら 構わないだろ。 「死刑にされるような行為」を欲したのだから、 死刑を欲したのと同じ。
34 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 00:50
死刑は倫理的におかしい。 「処罰」は犯罪者の社会復帰 のためにある。「死刑」は見せしめ にすぎない。「処罰」の範疇ではない。 また、衝動的殺人より計画的殺人の方が罪が重くなるのも ちょっと疑問。主に性格的問題だろ。
35 :
Tokorode :2001/02/21(水) 00:55
おかしくな〜い、人殺しの準備をして確信した奴が重罪なのはトーゼン。
36 :
一般市民 :2001/02/21(水) 01:18
死刑賛成!!自分の身内が殺されたら、そいつ殺やらないとおさまらんでしょう。 もしくは終身刑。 もうシャバには出てくるなよ。
37 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 01:22
永山則夫の例とか、問題はあると思う。
38 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 01:25
>……囚人が増えるんだよね? >刑務所の経営にもお金がかかるよ。 ある意味核心。 今、刑務所は収容定員満杯状態にあるという。 そして、受刑者の食費やその他の生活費を捻出するのが国民の払った税金。 極端な例えをすると、家族を殺され被害者遺族が、殺人犯を養っていることになる。 殺人事件の被害者サイドが加害者に死刑判決を求めるのに対し、 第三者が異論を唱えるのは、被害者の立場を軽視している事にならないか?
39 :
名無しさん :2001/02/21(水) 03:23
計画的に殺ったやつより、衝動的に殺ったやつがどう考えても危ないだろ。
40 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 04:53
>>39 そもそもそう言う輩は保安処分の対象です。
娑婆には脳に不可逆的処置を施してから戻せば問題はありません。
41 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 05:12
やっぱ、死刑は廃止できんだろ。 刑罰の王様だからな
42 :
名無しさんの主張 :2001/02/21(水) 05:33
みんなしんでしまえばいいのに BYえう゛ぁ
43 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 01:09
>34 ものを知らないとは君のことだ。 君のような無知が、人権派と呼ばれる人達を作り出すんだろうな。 まず、処罰という単語の意味から勉強しなさい。
44 :
名無しさんの主張@廃止派 :2001/02/22(木) 02:03
そもそも死刑ってのは犯罪者を社会から抹殺するためにあるんだろ。 だったら一生社会復帰できない終身刑で十分じゃん。 国家も個人も、むやみに人を殺すことはないでしょう。 それに刑務所に金がかかるといっても、実質受刑者をただ働きさせている訳だし、 江戸時代のように無人島の隔離するとか、 費用は工夫次第でいくらでも安くできるんじゃない。 あえて殺さなくてもすむのなら殺さないに越したことはない。
45 :
Tokorode :2001/02/22(木) 02:10
>44・日本に終身刑はありませ〜ん、無期懲役と米国の終身刑は別物です。
46 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 02:10
>それに刑務所に金がかかるといっても、実質受刑者をただ働きさせている訳 概ね賛成だけど、生産性低いし、職も少ないので実質職業訓練タダで受けているだけ。
47 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 02:11
>45 法律替えればいいじゃんっつーことだろ。
48 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 02:15
>実質受刑者をただ働きさせている訳だし 受刑者に仕事させなかったらって考えてみなよ。 たぶん、気が狂ったり、イライラがつのってケンカばかりになるよ。 あと、 死刑判決くらっても、執行されたってニュース滅多に聞かないよね。 執行されるまで長いんでしょ?
49 :
Tokorode :2001/02/22(木) 02:16
>44 やっぱ、死刑は廃止できんだろ。 刑罰の王様だからな 激しく同〜意!
50 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 03:08
>>48 すぐに殺しちゃつまらんだろ?
場合によっちゃ自殺志願者の安楽死の手伝いってことにも
なりかねん。
だから最低無期以上は服役して貰わんとな。
51 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 05:26
お前ら21日の「ここがヘンだよ日本人」観た?? 外国で殺人事件起こした少女が死刑判決受けて、泣き叫んでるの。 母親の名前を呼んで。俺はそれを見て、「やっぱり死刑は無くしちゃ駄目だなー」 と思ったよ。だって、あの少女は自分が殺される立場になって、初めて 命の大切さが解ったんだから。 その後の少女の母親のコメント・・・今でもあの子は大事な娘 被害者の母親のコメント・・・・・早く死刑になって欲しい 殺人犯で死刑囚の少女のコメント・・・私は刑務所で更正するべき 他人は殺しても自分の身は可愛いなんて、自分勝手だな。 記憶があいまいな上に俺も途中から観たので、 間違ってるところがあったら誰か訂正してくれ。
52 :
名無しさんの主張 :2001/02/22(木) 05:37
>51 見たよ。 被害者の母親が加害者の少女は反省していない。演技してる。 って言ってたね。よく見ぬいてる。 >殺人犯で死刑囚の少女のコメント・・・私は刑務所で更正するべき これがその証拠だよね。自分に都合の良いように物事を言うあたりが反省してない証拠。 死んでお詫びしたいって言うなら分かるけど。 しかも彼女、控訴したらしいじゃん。棄却されたって言ってたけど。 さっさと死刑にした方がいいね。同情論が起こる前に。
53 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 01:11
>>44 >そもそも死刑ってのは犯罪者を社会から抹殺するためにあるんだろ。
社会からじゃなくて「この世から」だよ。
>だったら一生社会復帰できない終身刑で十分じゃん。
前提が誤っているので終身刑では不十分。
>国家も個人も、むやみに人を殺すことはないでしょう。
むやみに殺してるのは殺人犯であって国家ではない。
>費用は工夫次第でいくらでも安くできるんじゃない。
安上がりな刑務所はさぞかし脱走が容易でしょうな。
>あえて殺さなくてもすむのなら殺さないに越したことはない。
殺すしかないから殺してると思えばよい。
54 :
Tokorode :2001/02/23(金) 01:16
>55 さんも「死刑は刑罰の王様です」に大賛成の仲間ですね? でもそのうち死刑の執行方法について反論してくる奴が出るんだろうな。
55 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 01:46
安上がりな刑務所って意味で言えば、完全な自給自足をさせればいい。 またぞろ人権団体が邪魔をするんだろうがな。
56 :
Tokorode :2001/02/23(金) 01:54
「国家保衛部政治犯収容所完全統制化区域」というのが 北朝鮮にございますので、技術指導して頂きましょう。
57 :
55 :2001/02/23(金) 02:17
>>56 ですな。
「死刑は刑罰のホームラン王です」のほうがカッコいいかも。(藁
58 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 02:25
59 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 02:48
関係ないけど昔流刑地だったところって、、 島とか。 子孫がすんでたりするんだろうか。
60 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 02:49
八丈島とか。 時代劇見すぎかな。
61 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 05:49
「世界人類が幸せになりますように」と言うような事を聞く度に思う。 どんな人類のことなのだろうかと。 例えば福田、湊、東とか、人を物のように扱い嬲り殺した奴らのことを。 彼らも死なない限り人類で人権屋のいう人権というモノに手厚く守られている。 たとえ死刑になったとしても、少しでも苦痛が少ないように刑が処せられる。 殺された人間は痛み、苦しみ、絶望の中で死んでいったのに。
62 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 06:00
殺人に対して唯一の本当に適正な刑罰って死刑だよ。 でなきゃ殺された人が浮かばれない。 とにかく人を殺したら死刑にすればいいんだよ。 そうすれば、人を殺す=自分を殺す事になるじゃん。 結局、人権屋の目を覚まさせるには 彼らの家族が被害に遭うしかないよ。
63 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 07:05
>>62 そう云う残虐性残忍性がもし遺伝するとしたらそいつのガキも長じていずれ殺人犯になる可能性がある。
この場合そいつの遺伝子を受け継ぐものをすべて根絶やしにしない限りは解決は不可能。
64 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 07:50
俺は殺人を犯したとしても死刑にはなりたくない。 みんなそうだと思う。 結局これが一人くらい人を殺しても死刑にならない本当の理由。 つまり、もし自分が殺人を犯しても死刑にならないようにしてるんだよ。 いくら酷いと言っても、死んだ人は過去の人。 みんなが守りたいのは、これから先の自分。
65 :
64だけど :2001/02/23(金) 07:52
死刑!死刑!って言うけど、 みんなもし自分が殺人を犯したらって考えてみなよ。 人を殺したからって死刑になりたくないでしょ? 死刑に賛成するって事は自分の首をしめてるんだよ。
66 :
名無しさん :2001/02/23(金) 08:11
>>64 >死んだ人は過去の人。
殺人を犯した奴の手によって過去にされたのなら
殺したそいつも過去になる必要があるのではないか?
67 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 08:16
>>64 たしかにそれは言えてる。どんなにえらそうなこと言ったって
誰でも殺す可能性があるし、誰だって死にたくない。
でも誰でも可能性があるのは喧嘩や口論のすえ感情を押さえきれず
にキレて殺してしまう時だけじゃないかな。
コンクリ犯や酒鬼薔薇など明らかな確信犯とはまったく別だよ。
だからそういう確信犯はたとえ一殺でも死刑にすべきだね。
ウームうまい言葉が見つからん・・・
私は、死刑に反対します。 なぜならば公権力が国民の自由や、人権を奪うという考え方が、 近代の民主主義国家であるとか国民主権国家という枠組みの中で、 破綻をきたしているからであります。そもそも公権力、とりわけ 行政の行為は、民主的コントロール(統制)の下にあってはじめて 正当化されうるものであります。徴税であれ、教育であれ、ある いは刑罰であれ、そのようなことが許されるのは、民主的統制下 ではっきりとした政治的責任の下に権力の行使がなされるからで あります。しかし死刑は、民主的統制のまさしくその実体である ところの、一国民を「更生の余地なし」と一方的に判断し、自由、 人権を永久にそして完全に奪う行為であります。現在の先進各国 における公権力と国民との関係の中において、この死刑の考え方が 成立しないのは明白であります。 以上のような観点から、私は、死刑に反対します。
69 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 19:45
>>64 お前危ないヤローだな。逆に殺される可能性は考えた事無いのか?
70 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 19:45
71 :
肯定派反論 :2001/02/23(金) 20:02
>>68 >なぜならば公権力が国民の自由や、人権を奪うという考え方が、
>近代の民主主義国家であるとか国民主権国家という枠組みの中で、
>破綻をきたしているからであります。
破綻をきたしているのは、無根拠でステレオタイプな人権擁護論のほうである。
人権は国家が保障するものという事実はいささかも変わっておらず、人権屋
によって捏造された似非人権論との間に生じる矛盾など知ったことではない。
>しかし死刑は、民主的統制のまさしくその実体である
>ところの、一国民を「更生の余地なし」と一方的に判断し、自由、
>人権を永久にそして完全に奪う行為であります。
だから何?って感じ。(藁
民主主義を破壊しろと言いたいのかな?
>以上のような観点から、私は、死刑に反対します。
死刑は刑罰のホームラン王です。(藁
72 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 21:30
>>68 死刑反対なのはいい、人権は公権力が個人を弾圧しないようにするための権利であるのもいい。
しかし、それだけではないでしょ?
個人が個人の尊厳を奪った訳だから、そのことに対する処置はどうするのでしょうか?
死んだ人間に人権はないというのでしょうか?
73 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 22:01
74 :
名無しさんの主張 :2001/02/23(金) 22:46
死人に口なしは世の常。人権も幻想にすぎん。戦争だって肯定できるも んでも否定できるもんでもない。仇をうとうとするものがいるならそれ もいいだろう。どうせ一度の華だから。
75 :
名無しさんの主張 :2001/02/24(土) 04:12
やはりそういう悪党共を闇で裁いて仕置きする 必殺仕置き人が必要なようです。
76 :
Tokorode :2001/02/24(土) 04:22
ここらで元死刑囚の方からコメントが欲しいところですな。 ちなみに・交通事故の死亡事故は別でしょう?凶悪殺人事件だけについて 話が進行しているのですね?
77 :
でりだ :2001/02/24(土) 04:25
>ここらで元死刑囚の方からコメントが欲しいところですな。 「元死刑囚の方からコメント」ワラタ
78 :
>62 :2001/02/24(土) 11:54
>結局、人権屋の目を覚まさせるには >彼らの家族が被害に遭うしかないよ。 確かに気持ちは分かる。 ではもし人権屋の家族が被害にあっても「NO」って 言ったら廃止でも良いですか? または人権屋でなくても被害者の遺族が「更生して欲しい」 って言えば良い? ここで言ってる人達は、99%実際には被害にあってないよね。 想像するときに「被害者になるかも」って思うか、「もしかしたら 犯罪を犯してしまうかも」、「冤罪に巻き込まれてしまうかも」って 思うか立場の違いだけですよね。 「死刑にされるかもしれない犯罪なんか絶対犯さない」って 言える人はいるんだろうか?衝動的な殺人犯とかはそう思ってたかも しれないし。 自分や家族が殺される確率も考えてみると、もっと車に撥ねられるかもって ビクビクしてなくては変だと思う。
79 :
あこちゃん :2001/02/24(土) 15:52
自分を強姦しようとした男を゛金槌で殴ったことがある。 そのまま逃げたので、殺したかそうでないか不明。 自分の家族が落ち度なく落ち度なく殺されたら、犯人を死刑にしてほしい。
80 :
Tokorode :2001/02/24(土) 16:06
あら、「あこちゃん」さんペット以外にも登場。しかし金槌が手元で 使用可能な状況って!でも私はその行為自体は大賛成ですよ私は強姦 は最も忌み嫌う行為の一つですから・・・イスラム式刑罰きぼ〜ん。
81 :
( ゚д゚) :2001/02/24(土) 17:04
強姦は死刑だな。アダルトのレイプもののビデオも俺キライ。 人口抑制のためにも死刑は必要です。どんどん殺して良い。 おれは中国みたいに窃盗でも死刑にすれば良いと考える。 この増大した人口の中でぬくぬくと生活できる社会のゴミはいりません。
82 :
名無しさんの主張 :2001/02/24(土) 17:23
>強姦は死刑だな 賛成! 誘拐も死刑! 18歳以下でも死刑!
83 :
名無しさんの主張 :2001/02/24(土) 17:31
強姦に死刑は大げさ。 それよか、とりあえずネオ麦茶公開処刑。 宮崎勤公開処刑。 酒鬼薔薇公開処刑。 ってことで、ヨロシク。
84 :
名無しさんの主張 :2001/02/24(土) 18:20
強姦は去勢すればいいんでない?
>>83 何だかヒッキー系の犯罪者ばかりだな・・・
℃キュン系も死刑にしてくれ。
85 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 01:49
>>78 >「死刑にされるかもしれない犯罪なんか絶対犯さない」って
>言える人はいるんだろうか?
言えるよ?、俺は。つーか、言えるのが普通だと思うけどな。
実際に死刑判決を受ける奴が、何をやったか知ってるの?
それと同じことを、自分もやるかも知れないと本気で思ってるん
だったら、被害者が出ないうちに一刻も早く氏んでくれ。
86 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 01:53
87 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 01:57
>「死刑にされるかもしれない犯罪なんか絶対犯さない」って >言える人はいるんだろうか?衝動的な殺人犯とかはそう思ってたかも >しれないし。 頭でっかちにいろいろ考える前に、死刑判決が出た判例を読む事をお勧めする。 計画性+残虐性+被害者の落ち度のなさe.t.cが揃わないと死刑判決は出ません。
88 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:06
>>85 でも絶対に人を殺さない。とは言いきれないだろ?
遺族にしてみればどんな過程で殺されようとも殺されたっていう事実
は変わらないだろうし。
とりあえず死刑と無期懲役の間に終身刑を設けるということで。
90 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:14
>>87 申し訳ありません。明日図書館で調べてきます。
91 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:17
社会秩序の維持のための殺人を認めるか否か、という問題だよな?
92 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:21
刑法改正で、懲役及び禁固の上限をとっぱらう! これで、いわゆる終身刑は実現できるかも。 大体、現在の刑事学では、刑罰の位置付けが「矯正」に近いものです。 つまり、「犯罪を二度と犯さないように教育し直す」って発想からきています。 もちろん、社会と隔離することで、危険を遠ざけたり、一般予防論的な考えに基づく犯罪抑止力もありますが...
93 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:26
>>90 「死刑の真実」という本がお勧め。
ただ事件のあらまし、判決文の要旨のみが淡々と綴られている。
著者のコメントは一切無いのが逆に重くのしかかってくる。
94 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:30
終身刑とか懲役200年とかアメリカ式はしない方がいいと思う。 今でさえ定員満杯状態の刑務所に、これ以上入れようとすると、 待遇面で難しくなり、暴動とか起きるんじゃないかな。 アメリカやブラジルの刑務所の一番の問題は、多すぎる犯罪者に対して 刑務所が足りないって事だね。 それが刑務所環境を悪くしてる。 これから日本も犯罪者が増加していくだろうから、満員状態の今、 死刑囚は早めに死刑執行すべきだと思う。 人権屋が無責任な事ばっか言ってるけど、そんなの相手にしてたら、 キリが無いと思う。
じゃあ、現行の無期懲役は今後死刑ということで! しかし、決定された死刑をなかなか執行しない理由は何なのだろう。
96 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:43
>95 法務大臣も、国会議員さ。 票に響くのが、嫌なんじゃない?
97 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 02:45
現行の刑罰に、「実験」とかいうのを足して、 製薬実験に使うってのは?
98 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 03:06
響くのかなあ。
99 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 03:09
そりゃ、響くよ。 市民団体から、講議行動を起こされるし。 マスコミには吊るし上げられるかも。
100 :
85 :2001/02/25(日) 03:25
>>88 >でも絶対に人を殺さない。とは言いきれないだろ?
当り前だろ。人間ってのは、それができる生き物だ。
>遺族にしてみればどんな過程で殺されようとも殺されたっていう事実
>は変わらないだろうし。
殺されたという事実は変わらんが、その過程によって感じるものは
違うぞ。でなきゃ、「残虐な殺人」という概念は必要ない。
>>94 アメリカ式の馬鹿馬鹿しいほど長い懲役刑は俺も反対だね。
あんなものは司法のオナニーだ。
101 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 03:28
死にたい奴にとって死刑ってそんなに怖いものなんか? そんなもんより真の無期刑実現した方がずっとダメージあると思うけど。 ここは皆死にたくない奴が多いんだな。
>死にたい奴にとって死刑ってそんなに怖いものなんか? 氏にたい奴は大抵自殺してしまうので心配しないでください。 もちろん懲役刑にしても獄中で自殺しまいます。
103 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 04:15
>氏にたい奴は大抵自殺してしまうので心配しないでください。 ちょっと前に池袋で無差別通り魔やった奴がいたけど 「どうせ生きててもしょうがないから何人か道連れにして死ぬか」 って本気で考える奴って結構いるんじゃないの?
>103 うん。だから死刑でいいじゃん。
105 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 04:45
>>95 すぐに死刑にしないのは、何年か引っ張って、
死の恐怖を味わわせるためではないかな。
それも刑罰の内という意味で。
>>96 日本では死刑賛成派の方が圧倒的に多いのだから、
選挙に勝ちたければガンガン死刑執行した方が、
票になるよ。騒いでいるのはごく一部だけ。
106 :
オレ :2001/02/25(日) 05:10
事件は警察がつくるモノ。 死刑制度を利用する輩もでてくるだろう。
107 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 05:57
自分の生命を守るためには、他人を殺さなきゃいけないこともある。 自分を殺しに来た人間がいても、そいつに対して抵抗しないのかね。 1のような悩みは、「人を殺してはいけない」というお題目を 本気で信じるから生じるんだよ。 誰かが殺しに来た。そいつを殺さないと自分が殺されるってときにも、 黙って殺されるのかね1は。 死刑がなくなったら、殺すだけ殺しても、殺し得ということになる。 一生衣食住の心配なくなるしね。 失う物がない状況だったらやるやつも出てくるんじゃない?
108 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 07:38
>死刑がなくなったら、殺すだけ殺しても、殺し得ということになる。 >一生衣食住の心配なくなるしね。 >失う物がない状況だったらやるやつも出てくるんじゃない? これあると思うな。死刑が無くなったとして、 本当に食いつめた奴が八方塞がったら、 飢え死にや凍死するくらいなら、何人殺してもいいから 刑務所に入っちまえって思う奴いると思うな。 そうすれば、三食食えて、風呂入れて、布団で寝れて、医者にもかかれる。 もちろん外の人と100%同等の待遇では無いにしろ、 外の世界で、一文なしで漠然とした死の不安に怯えるより、 刑務所で言われるままの生活した方がいいって考えるかも。
109 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 07:44
>死刑がなくなったら、殺すだけ殺しても、殺し得ということになる。 >一生衣食住の心配なくなるしね。 >失う物がない状況だったらやるやつも出てくるんじゃない? これ、ありえると思う。 死刑制度が無くなったとして、 もし、外の世界で食いつめた奴が、飢え死にや凍死するくらいなら、 人でも殺して刑務所に入ろうって考えたら怖い。 刑務所行けば、とりあえず布団で寝れるし、 三食食えるし、風呂は入れるし、医者にも診てもらえる。 もちろん、一般の人と100%同等の待遇では無いにしろ、 外で漠然とした死におびえるより、中で言われるがままの生活してた方が いいやって考える人が出てきそうだ。
110 :
108 :2001/02/25(日) 07:46
あれ?前の文章がちゃんと書き込まれてる。 失敗したかと思って、また書いちゃった。 みなさん失礼しました。
111 :
68 :2001/02/25(日) 13:46
まず、私の意見に対する反論をしてくださった方に感謝。
>>70 ご意見の趣旨が理解できません。具体的に述べていただけますか?
>>71 >破綻をきたしているのは、無根拠でステレオタイプな人権擁護論のほうである。人権は国家が保障するものという事実はいささかも変わっておらず、人権屋によって捏造された似非人権論との間に生じる矛盾など知ったことではない。<
具体的な反論がないのが残念です。人権屋さんがどのようなことを言っているかは別にして、私の意見のどこが捏造されているのでしょうか?少なくとも日本国憲法はあなたのような人権観のもとに成り立ってはいませんし(現在の一般的な解釈では)、それを別にしても国家権力が何の根拠付けもなく発動できるわけがありません。もちろん何らかの強いイデオロギーの下になりっている政権(例えば中国)ならば多少話は違うでしょうが。
>>72 >死刑反対なのはいい、人権は公権力が個人を弾圧しないようにするための権利であるのもいい。しかし、それだけではないでしょ? 個人が個人の尊厳を奪った訳だから、そのことに対する処置はどうするのでしょうか?死んだ人間に人権はないというのでしょうか?<
死んだ人間の人権が何より尊重されなければならないのは、ここで言うまでもないでしょう。それから、遺族がちゃんと社会の中で立ち直れるように救済措置を講ずることも重要でしょう。しかし、それと加害者を殺してもいいという話とはまったく別の問題ではありませんか。
こういったところが私なりの反論です。不十分なところがあればご指摘願いたいと思います。それから、このスレッドには真面目に書き込んでいる方がいらっしゃる一方で、ふざけているような書き込みもありますが、死刑の問題は人権観や死に対する考え方に関する非常に難しい問題なので、そういうのはいかがなものかと思います。もちろん自由にご意見をおっしゃっていただくのは結構なことなんですが。
112 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 16:40
命を奪ったその罪は、己の命を持ってあがなえ。 死刑は当然。
113 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 16:43
人殺しには、拷問で殺す法律を施行するべき。 鉄の処女の採択とか、かまゆでの刑、のこぎり引きの刑 石打ちの刑など。 人を殺したその数により残酷度はテンションアップさせるべき。 それと 犯罪者の人権を云々する似非ヒューマニストどもに言っておく。 殺された家族の人権はどうなるのか。ふざけるんじゃねえ@`、このたこ。
114 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 16:45
犯罪抑止(みせしめ)と、被害者の精神救済のために 拷問死刑を復活させるべき。 絞首刑なんぞ甘すぎる。
115 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 16:45
殺人者に人権無し。
116 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 18:40
美人だったら俺は許すね。男とおブスは殺せばよい
117 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 20:17
>>109 > もし、外の世界で食いつめた奴が、飢え死にや凍死するくらいなら、
> 人でも殺して刑務所に入ろうって考えたら怖い。
そういう人は実際にいるらしいんだが、コソドロや無銭飲食などを
重ねてムショ入りする人が大半。
よって、死刑の有無とは無関係。
118 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 20:19
最良が最善じゃない
119 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 20:27
拷問死刑は憲法で禁止されています>残虐な刑罰の禁止 矯正が、刑罰の基本です。 次に、犯罪者を社会から隔離することで、社会に犯罪の脅威が及ばないようにする。 死刑は、矯正の可能性がなく、また、重大な犯罪を今後も起こす可能性が高い者に課せられるものです。 つまり、死刑を宣告されるものは、それなりに、理由があるわけです。 感情論だけでいくなら、陪審(員)制度の是非と同じで、議論が収集のつかないものになる可能性があります。 陪審(員)制度:現在、アメリカ等で導入されている裁判形態で、陪審員と呼ばれる民間人が、量刑又は証拠の採用/不採用を判定することが特徴。 日本でも、司法制度改革で、その導入が議論されている。目下、量刑のみを民間人が判定する方式が有力。 アメリカでは、弁護士や、マスコミによる誘導が問題となり、その存続が議論されている。
120 :
ppp020.E-NET.or.JP :2001/02/25(日) 20:31
0
121 :
名無しさん :2001/02/25(日) 22:23
>>117 でも、2年くらい前にどこかの駅のホームで刑務所に入りたくて
人を殺した50位の前科者がいたよ。ニュースで見ただけなんで
ソースは無いけど。
122 :
名無しさんの主張 :2001/02/25(日) 23:52
>>119 憲法?
改正しろ<藁
被害者の人権を踏み台にして加害者の人権を保護するような
憲法はなら改正しろ。
憲法が絶対善だとおもうようでは前進は無いぜ。
123 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 00:19
>>122 加害者も、人権は守られるべきでしょう。
しかし、死刑には、反対しません。
今のところ、死刑は残虐な刑罰ではないことになってますし。>判例
124 :
( ゚д゚) :2001/02/26(月) 00:22
だいたい法律を守らない加害者が法の下で権利を守られると言うのは甚だ矛盾している。
125 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 00:23
拷問死刑を宣告されたら、多分、執行前に自殺するでしょう。
126 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 00:38
死刑を廃止して、「拷問のみ」にする、とか。(無期懲役付きで) これなら死刑廃止派の人も納得だよね。
127 :
1円 :2001/02/26(月) 00:45
>>124 尤もだとは思うが、それだと刑務所内は無法地帯で良いという極論に繋がるし
その加害者も全ての法を守ってないワケではなかろう。
128 :
71 :2001/02/26(月) 00:58
>>111 >具体的な反論がないのが残念です。
キミが具体的に書いてなかったもんでね。
>(現在の一般的な解釈では)
それが捏造だと言っている。
死刑の合憲性は最高裁が認めているし、国民の大多数も
それを支持している。つまり人権は国家によって奪われ
うるものという解釈こそが一般的だ。
>国家権力が何の根拠付けもなく発動できるわけがありません。
それをやりたがっているのが人権屋どもだ。
キミはどうやらガチガチの人権屋というわけではなさ
そうだが、彼らの主張のどこに嘘があるのかをよくよく
考えてみるといいだろう。
129 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 01:06
>>126 そりゃそうだが。。。。そこはかとなく、こわい。
世の中には冤罪もあるし。
無駄にいためつける側もきつかろう。
世の中の役に立つように
一生ガレー船で船こぎとか、刺青して佐渡の金山とか
で働かすとかは?
あるいは
特殊法人の低賃金で一生こき使うとか。
・・・つぶれないだけまし、うらやましいと評判になったりして(藁
130 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 01:27
憲法は改正する必要はない。 刑法が諸悪の根元。 日本国刑法には、刑法は国家の秩序を維持するためのものであって、被害者の復讐をするためのものではない、と書いてある。 勿論、被害者の人権救済など一言も触れられていない。 まずは、刑法が「被害者の人権を保護する」ために存在することを明記し、刑法の体系全体を改善しなければならない。
131 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 01:32
狭義の刑法のこと? 講議の刑法の事?(刑事法) 刑事政策とかで、議論すべきでは? >130
132 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 04:45
>無駄にいためつける側もきつかろう。
なんでそう思うの?
人を痛めつけるのってとっても楽しいじゃん!(w
>>125 この場合簡単に自殺を許すような管理体制自体に問題があると言えます。
死刑は場合によっては只の安楽死ともなり得ます!
133 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 07:30
少し前に何かで見たような覚えがあるけど、 死刑反対を強く唱える弁護士がいた。 ある日、その弁護士の奥さんと娘が殺されるという事件が起きたんですが、 その弁護士は犯人に対して死刑を求めたそうです。 結局、加害者の人権を訴えたり、死刑反対を訴える人達は、 自分や自分の家族が犠牲にならないと分からないと思います。 それまでは、結局被害にあったのは、自分達ではなく他人なので、その痛みが分からないんです。 少年犯罪にしても同じ。 少年の更正を固く信じて疑わない福島瑞穂弁護士なども、 自分の肉親が少年達に何日にも渡って、残虐な殺され方をしたら、考えも変わるでしょう。
134 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 07:59
>>133 地獄が何故恐ろしいところなのか知ってる?
死んでも死んでも又再び甦って苦痛を受け続けなければならない
恐ろしさを考えてみれば良くわかります。
だからすぐ殺すなんて俺は絶対に嫌だな!
最低でも二〇年は服役してもらわないと。
135 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 08:15
>>133 完全同意!
百聞は一見にしかず、 百見は一体験にしかず、
136 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 11:35
殺人犯の死刑を執行しても、殺害された被害者は戻ってこない。 被害者の遺族はこれで満足するのか? もっとも、自分の手で死刑を執行したいという遺族がいるなら話は別だけど。
満足するんでしょ、たぶん。
138 :
ななーし :2001/02/26(月) 17:40
>殺された被害者は戻ってこない そう。どんな手段を講じても戻ってこない。 だから、究極の刑罰=死刑にするしかない。 逆に言えば、犯罪による侵害結果は、本来、回復 されなければならないのだから、自分が殺した 被害者をよみがえらせることができるなら、 死刑にしなくても良いと思う。 (もちろん比喩の意味で言っているんだが)
139 :
>136 :2001/02/26(月) 17:54
「殺人犯の死刑を執行しても、殺害された被害者は戻ってこない。 だからせめてもの腹いせに犯人にやり返したい」 っていう人もいよう
140 :
人民判事 :2001/02/26(月) 18:57
「もしかして人を殺してしまうかも知れない可能性は 誰にでもある」 と、前に書いてたのがいたが、確かに、正当防衛とか 過剰防衛とか緊急避難とか、あるいは喧嘩両成敗とか 第三者に強制されたとかで人を殺してしまうことは あるかも知れない。 ただ、これらは、被害者に落ち度があるか、加害者に 同情すべき理由がある場合である。 だが、「落ち度の無い被害者を、同情すべき理由も ないのに、殺す」ということは、大半の人間にとっては 到底考えられないであろう。 また、そういう状況になった場合、自分が死刑になっても 十分納得することができるだろう。
141 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 22:23
>>140 提案なんだが
とりあえず、過失致死と殺人を分けて論議しない?
ここではあくまでも殺人に対する死刑に限定して。
過失致死についてどうするかは、そのあと。
なぜなら、そうしないと議論がさらに紛糾して
収拾がつかなくなる恐れがあるからさ。
142 :
名無しさんの主張 :2001/02/26(月) 23:12
竹ノコギリ引きの刑 股裂きの刑 釜茹での刑 火刑 復活きぼーん。
143 :
Tokorode :2001/02/26(月) 23:17
>142そんなことしたら、処理を巡り差別問題が噴出すること必死。
144 :
>136 :2001/02/27(火) 00:16
殺人犯の死刑を執行しても、殺害された被害者は戻ってこない 被害者は戻ってこないといういのは失われた生命(価値、権利)を 現状回復できないという、民事的な救済の話。 刑罰として死刑にするか否かという刑事とは別の問題だと思う。
145 :
カント(哲学者) :2001/02/27(火) 01:02
刑罰の種類や程度を定める基準は何であろうか? それは、均等の原理以外にはありえない。 だから、汝が他人に対して理由の無い害悪を加えるならば、 汝はそれを汝に対して行なうのである。 汝が他人から盗むならば、汝自身から盗むのである。 汝が他人を打つならば、汝自身を打つのである。 汝が他人を殺すならば、汝自身を殺すのである。 同害報復の法理だけが、刑罰の質と量を定めることができる。 (「人倫の形而上学」より)
146 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 01:07
>>145 難しい事は抜きにして「目には目を、歯には歯を。殺人には死刑を」。
理屈をこねると真実が見えなくなります<藁
147 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 01:11
↑お前大丈夫か? 書き込みするなよ。
148 :
147 :2001/02/27(火) 01:13
ゴメン、145のカント(哲学者)の事だよ。 しかし、カントとは(藁藁藁・・・。
>>133 オウム事件の坂本弁護士の友人弁護士達が
一斉にキティ・ショーコーの死刑を求める
死刑支持論者に転向したのはあまりにも有名。
「法曹家なめんなよゴルァ!」って感じだが。
>>136 キミのような狭視野&独善的思考の人権キティは
常に無念のうちに氏んだ被害者当人の事を忘れるから困りモンだ。
被害者が天涯孤独のホームレスだったら死刑判決が出ないと思った?
>>145 その「目には目を」の使い方はいかがでしょう?
150 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 03:23
「子曰く、直を以て怨に報い、徳を以て徳に報いん」 ハムラビ法典よりこのほうが死刑制度に合ってると思う。 昔の人はエライなぁ。
151 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 04:39
女子高生コンクリ詰殺人みたいな残虐極まりない殺人犯でも 絞首刑は呆気無く彼の世へ逝けるんだぜ! そのことには何ら疑問を感じンとはあんたらも変わってんな。 只死にゃいいのか?
152 :
花咲か名無しさん :2001/02/27(火) 04:44
極悪犯人への憎しみが消えないうちに執行だろう。
153 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 05:41
死刑反対論者廃止論者に告ぐ 法律はバランスが大事。 しかるに現在の日本はいびつなまでに犯罪者を保護しすぎ。 いいか。殺人者は死刑でも自業自得。 殺されたものは、殺される理由がないのに、何も悪いことしてないのに 殺されるんだぞ。しかも場合により残虐に。 こんな不公平は許されるのか? 死人にくちなし? おい、脳味噌プリオンの死刑反対論者廃止論者ども。よく聞け。 そんなことだから、交通事故で人を轢いたら「死人にくちなし」にするために しっかり2度ひきしたりするようになるんだ。 重ねて言う。 人殺しに、人権は要らない。 本来ならば公開処刑で石打の刑にするのが順当なんだ。 縛り付けて遠くから大勢のに石をぶつける刑だ。 似非ヒューマニストどもはいいかげん、 間接的殺人幇助行為をしている事に気が付け。
154 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 05:46
>>117 いや、刑務所に戻りたいから、駅で女子高生を刺したっていう人いましたよ。
自分の想像が及ばないような凶悪なことをする人間っているもんです。
なんでも自分の想像以内におさまるなら、結構な世の中なんだけどね。
155 :
被害者 :2001/02/27(火) 05:49
私を殺した人間がのうのうと生きてるなんて あまりにも不公平じゃありませんか。 家族の心の傷も見るに耐えられません。 この苦しみを悲しみを少しでも癒すために 私を不条理に殺した者を死刑にしてください。 一生に1度のお願いです。・・・って、すでに死んでるけど。
156 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 05:51
人を殺した者に生きる権利は無いと知れ。
157 :
名無しさん@_@ :2001/02/27(火) 06:04
大概の殺人者はそう思って殺すだろうな。 156は今まで人を殺したいと思った事はないのか。 羨ましいね。
158 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 07:48
死刑が怖くて人殺しなんかできるか!ゴルァ!!!!
159 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 07:58
↑知的障害者は逝ってください。
160 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 08:19
「死刑になると、人権そのものがなくなってしまう。死刑こそ人権 侵害の最たるもの」みたいなアホの一つ覚えの意見があるが、ムショ の中は何も人権を制限し拘束する場所ではない。24時間監視のもと 囚人の自殺する権利もまた取り上げられてるんだよな。自由意思に よる自殺もまた制限されてることに気付くべき。 死刑囚の前にピストルを置いて、自らの意思による自殺もまた 選択肢の1つとして残しておいてやることこそが、真に人権に 適ってるといえる。
161 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 08:57
死刑廃止論者は、自分が経験するまで人の痛みがわからない 想像力の欠如した人間ということですな。
162 :
名無しさんの主張 :2001/02/27(火) 09:58
日本は死刑=絞首刑。 でも、外国へ行けば射殺、打ち首またはギロチン、毒ガス、毒薬注射、etc. 日本が絞首刑を選んだのには、何らかの理由があるのか?
>>162 首が好きなんだよ。
首切りが日本の文化なんだよ。
今は切れないからさ、締めるんだよ。
>>163 違うよ。一番苦しまない方法だからということが、採用の決め手だそうだ。
高いとこから叩き落して頚椎骨折。即死だそうです。
万一のこともあるので、数十分ぶら下げておくという入念な仕上げです。
銃殺やギロチン、ホットシート、薬物は少なからず痛みや苦しみが伴うと
のことです。
だたし、ギロチンとテルテル坊主では、痛み(苦痛)を感じる時間は一瞬
みたいに思われるので、どっちがいいかということになりますが、
憲法に定められてる残虐な刑罰にひっかかりそうなので、お茶目な
イメージのテルテル坊主になったものと思います。
正義のための殺人を許すかどうかという話だ。 例えばオウム真理教のテロ行為を認めるかどうかという話だな。 俺は認める。 奴らは体制を握れなかったので負け犬だが。
166 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 02:23
厳罰は犯罪の抑止にも更正にも役立ちません。 人々に恐怖心を植え付けるだけの重大な人権侵害です。
167 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 02:33
死刑が怖くて殺人をやめるか? やめねぇよ。 知能犯罪の対策なら効果があるかもしれないが、殺人の抑止には何の効果もないよ。 死刑に問題があるのは冤罪ただ一つ。だから終身刑を導入した方がよい。
168 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 03:44
>166 クソの役にも立たん意見だな。
>>167 冤罪でも終身刑ならOKか。
アメリカの終身刑って発狂しまくりなの知ってた?
なかなか素敵なセンスしてるな
>>167 なんでそんな矛盾だらけの論理になってしまうか分かるか?
冤罪は誰の目にも悪い事だが、死刑はそうではないからだよ。
単純だろ?
我々日本国民は、皆無と言っていいほどの冤罪死刑の危険性よりも
確実に存在する凶悪殺人犯に法の鉄槌を下すべく死刑を存置している。
それがイヤだったら、外国籍取ってこの国から出ていけ。
170 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 04:07
「我々日本国民は、」なんていってる時点で169は右翼の毒電波 アメリカとしか比較できない時点で、完全なキティガイ
171 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 04:29
俺の払う税金で殺人犯に飯を食わすのは嫌です。 まさに税金の無駄使いだと思います。
172 :
ナナ・シサーン :2001/02/28(水) 04:38
アメリカは、死刑廃止州と存置州が混在する中途半端な国です。 世界のリーダーを自称する国がこの体たらくなのですから、 開いた下の口が塞がりません。
173 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 05:01
>>165 何が正義かなんて、自分の立場によって変わるだろ?
>>166 >厳罰は犯罪の抑止にも更正にも役立ちません。
その根拠は?
そんなこと、簡単に言えるわけないのに、そう言い切る頭の悪さが、
ある意味うらやましいよ。
174 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 05:08
韓国では、経済が本格的に悪化した1997年12月以降、殺人や強盗、窃盗等の犯罪が急激に増加し、98年は経済危機による生
活難を反映し、凶悪犯罪が相次いで発生するなど人命軽視の社会風潮が見られました。殺人及び強盗、窃盗、強姦、暴力の5
大犯罪の98年の発生件数は約33万件で、前年度に比べ約3万5@`000件(12%)増加しています。
タクシー等営業車両は黄色ナンバー、自家用車両は緑ナンバーです。夜間等に、いわゆる白タク(無許可営業車:緑ナンバー)を
目にすることがありますが、このようなタクシーには乗らないように注意が必要です。また通常タクシーは相乗りですが、相乗り
客を装っての強盗・強姦事件も時折発生していますので、夜間や女性だけで乗車する場合は、料金は高めですが、相乗りをし
ないことを一つの売り物にしている模範タクシー(モボム・タクシー)を利用する等の注意も必要です。
50新羅の古都で仏閣、古跡が散在する慶州は、年間を通じ日本人観光客が多数訪れています。一見平穏な地域に見えますが、
これまでに、慶州仏国寺と石窟庵を結んでいる片道50分のハイキングコースで、外国人女性が韓国人2名に襲われ、乱暴され
た上、所持金を奪われる事件が発生しています。韓国での強姦事件発生率は10万人当たり12.0件で、アメリカ、スウェーデンと
比べるとまだ低い方ですが、日本の1.3件よりかなり高くなっています。女性旅行者は特に注意が必要です。なお、91年には慶
州市内で日本人女子大生が失踪するという事件が発生していますが、事件は未だ未解決です。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/kaj/anzen/asia/003.html
175 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 05:35
元士族犯罪者に対する死刑判決は不適当。 武士には切腹する権利がある!
176 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 15:15
>>169 >皆無といっていいほどの冤罪
なんか・・・・。
オウムも宮崎勤も酒鬼薔薇聖斗も、みんな冤罪だといっている人がいるんですけど。
>>173 おいおい、それで何かまともなことをいったつもりか?
むしろそうだからこそ死刑廃止論が出てくるんだろ。
頭の悪さは五十歩百歩だな。
死刑がガシガシ行われる国より 死刑がほとんど行われない国のほうが 至極犯罪率は低い。
>178 そりゃそうでしょ。 犯罪が多いからこそガシガシやってるんだろうし。
>>179 犯罪が多いから死刑やっても
犯罪が減ったためしがない。
181 :
> :2001/02/28(水) 18:58
犯罪が減るかどうかはともかくとして、 一般市民の応報感情が満足できるぶんだけ 死刑が優れているな。 悪党を懲らしめてみんなに「納得」させる ということも刑罰の重要な機能だからね
>180 死刑やめて犯罪減ったためしもない
>>181 なんだそれ?
犯罪者は自らの罪ゆえじゃなく一般市民のために死ななければならないのか?
君が一般を騙って人が氏ぬのが好きなことを正当化しているだけじゃないの?
>>182 別に死刑に反対しているわけではないが
死刑のあまり行われない日本のほうが
死刑が行われまくる国よりもはるかに犯罪率は低い。
ちなみに史的にいえば江戸時代と今では1/100ぐらいだがね。
184 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 22:16
つまり、死刑が少ない方が犯罪の抑止力につながるということか・・・。 興味深い論点ですね。 仮にそれを肯定する場合 たとえば、「どうせ俺は死刑だ、やけのやんぱち道連れわっしょい どんどん殺せやれ殺せ」というバカな考えを抑えるのに役に立っている から、ということなのかな。
185 :
名無しさんの主張 :2001/02/28(水) 22:37
戦争と科学の進歩が一番の犯罪だ
>>184 刑罰が重ければ重いほど、
体制に造反するイデオロギーが英雄視されるのでは?
>183 そこから言えるのは日本は平和ってことだけでしょね。 法律はおろか文化も歴史も違う国と犯罪率を比較しても、 それが死刑の有無によるものかなんてわからんでしょ。
>>187 そう、まず結論としては日本は平和だ。
そして、ほかの"あらゆる文化・歴史"を持つ国と比べてもそれは際立っている。
日本よりもより死刑に近い刑罰を行っている国で、日本以上に平和な国は俺は知らない。
少なくても「死刑があれば犯罪が減る」という命題は一般化されないだろう。
ケニアでは密猟を死刑にしたら激減したそうだがな。
>>189 密猟と犯罪はちょっと違うだろう。
そもそも犯罪なんてものは極限状態に追い詰められなきゃ
わざわざ犯しゃしないもんだ。
>190 そっかなー 遊ぶ金欲しさの犯行ってよく聞くけど、奴等が極限状態に追い詰めら れていたとは思えないな。
192 :
名無しさんの主張 :2001/03/01(木) 01:04
そもそも犯罪って・・・? 一人殺せば殺人。100万人殺せば英雄・・・ という話もあるし。
>>190 その言い種なら贈収賄も犯罪でないことになるがね。
それに、守君や東君やネオむぎなんかも極限状態だったのかね。
「社会が悪い」で片付けていい問題じゃないと思うが。
>190 密猟も、密であるからには犯罪だろ。 すぐ切れるやつにとっては、極限状態も人とは違うかも。
195 :
名無しさんの主張 :2001/03/01(木) 01:21
190は、意味不明。 時代錯誤な奴が、多いね。
196 :
名無しさんの主張 :2001/03/01(木) 01:21
>>177 そこから、どうやって死刑廃止論がでてくるんだよ。
刑罰の目的は、犯罪抑止だけだと思ってるんじゃないだろうな。
197 :
深海魚 :2001/03/01(木) 01:30
相変わらず、訳がわからん連中がいるね。 なんで、犯罪率とか更正とか人権とかの言葉が出てくるの? 日本は死刑になりにくいと言う事は、みんな認めてる訳でしょ? 今時、冤罪で死刑になる人間が、日本国内にいると思う? どんなに身勝手で人名軽視で残虐な殺し方をしても、被害者が 一人なら大丈夫。 これが、今の日本だよね。それこそ、殺された被害者の人権はどうなるの?
198 :
名無しさんの主張 :2001/03/01(木) 01:37
>>197 被害者の人権なんて知ったことじゃねーよ。
現行の世界でもまれな犯罪率の維持こそ
被害者も加害者も少ないという最大の目的だろうが。
死刑はあってしかるべきだろうが、被害者の感情に依存するものは
すでに法ではなくなる。
>>198 単純にそう言い切るのはいかがなものか。
例えば和姦と強姦の差は誰の何に根拠するものかね。
200 :
和姦研究会会長 :2001/03/01(木) 03:05
>>199 加害者が被害者に使わせた1枚のハンカチ。
>199 そうそう。 親告罪ってのは明らかに被害者の感情に依存してるけど 別におかしな法だとは思わんなぁ。
202 :
名無しさんの主張 :2001/03/01(木) 03:56
>>198 どこからそんな珍説を引っぱりだしてきたの?
1. 憲法学的地平・・・・・・・・・死刑制度は憲法上許されるのか。 2.刑事政策的地平・・・・・・・死刑制度に一般予防効果(抑止力)はあるのか。 3.犯罪者処遇法的地平・・・死刑犯人は更正可能か。 4.被害者学的地平・・・・・・・死刑執行は被害者感情を慰撫するか。 5.倫理的地平・・・・・・・・・・・理由を持ち出して死刑=殺人は許容されるのか。
204 :
人民判事 :2001/03/01(木) 18:02
つーか、「犯罪抑止」だけを刑罰の目的にした場合、
「抑止力が変わらないなら、刑罰は軽いほうがいい」と
いうことになる。
「死刑を廃止しても殺人が今より増えないのなら、死刑は
廃止した方がいい」
という理屈が成り立つなら、
「殺人罪の刑を罰金刑にしても殺人が今より増えないのなら、
罰金刑にした方がいい」
という理屈も成り立つだろう。
これが不当であることは明らかであろう。
仮に抑止力が変わらなかったとしても、罰金刑では、
凶悪な殺人に対する処断として、一般国民の納得を
得られないからである。
従って、
>>183 の
>犯罪者は自らの罪ゆえじゃなく一般市民のために
>死ななければならないのか?
に対しては、「その通りである」というのが、答えだ。
205 :
180 :2001/03/01(木) 19:02
>>204 ふむ。君の論述と逆行して私が鑑みるには
「犯罪者は自らの罪ゆえではなく、一般市民のために死ななければならない」
が不当である事は明らかだと思うがね。
それと前述していることだが、私は別に死刑の存在に反対しているわけではない。
法が正義たる幻想を持つには生殺与奪の資格が必要だからな。
私が口を出しているのは、およそ「死刑を実際に執行すれば犯罪抑止効果がある」という
命題に一般性は見受けられない(むしろ逆効果か?)ということとだけだ。
刀は持つだけで抜いてはならない。
206 :
名無しさんの主張 :2001/03/02(金) 01:58
>>205 じゃあ、君は何ゆえ死刑の存在を許容してるの?
207 :
>205 :2001/03/02(金) 02:05
抜かないとわかってる刀には、何の意味も効果もないよ。 頭大丈夫?
人が人を殺す権利というものは存在するのでしょうか? よく考え抜かれ組織された方法で、冷酷に他人を殺す権利というのは 果たしてあるものなのでしょうか? 理由がどうであろうと、事実行っていることは同じ行為ではないかと 考えますが、どうでしょうか?
209 :
名無しさんの主張 :2001/03/02(金) 03:25
>>208 何度も同じ質問だけど、あなたを殺しに来た殺人者に対して、
あなたはどうするの?
少なくとも気絶するくらいの致命傷を与えないと、殺されるという
場合に、黙って殺されるの?
>>206 205に書いたじゃん。脊髄反応じゃなくてちゃんと読めよ。
>>207 何の意味も無いかい?本当に?
>208 何と何が同じなの? 簡潔すぎて言ってる意味がよくわからんのだけど
>>209 質問をどうもありがとうございます。
>>208 の状況とはちょっと違うケースであることを確認したいと考え
ますがよろしいですか?
誰かが自分やまたは自分の愛する人へ、人命を損なうような(または
全ての暴力的な)危害を加えようとした場合、それをとどめ、それが
不可能な場合には自分や愛する人の生命を守る権利があると考えます。
いわゆる正当防衛ですが、相手を殺すつもりで攻撃してはならず相手
が害を加えられない状態にしてやるべきだと考えます。
あらゆる暴力は許してはいけませんが、たとえ力によって乱暴者を取
り押さえなくてはならなくなっても、害を与えるという意図のもので
はなく、暴力をふるう者を取り押さえるという意図の、釣合いの取れ
た力を行使するべきだと考えています。
私だって、殺されるのはいやですからね。
大丈夫です。気絶くらいならたいした致命傷にならないでしょう(^-^)
死刑の問題に関しては、自分らの生命が危険に晒されているわけでは
ありませんので、加害者に対しての処置はこの限りではないと考えます。
いかがお考えになりますでしょうか?
>>211 文章が簡潔でごめんなさい。
死刑制度(司法・執行者)と、事件的な殺人(加害者)についてです。
209さんの言っておられたのは、殺人を犯そうとして自分たちに危害
を加えようとしてきた者への、正当防衛のことについておっしゃって
おられると考えます。これだけは、前者2つとは状況および被害者的
立場であるという点で異なっていますので、それぞれ区別して考える
と良いのではないでしょうか?
214 :
207 :2001/03/02(金) 09:00
>>210 何の意味があるのやら。
例えば、警官は拳銃を携帯しているけど、警官は拳銃を使わないと
わかっている場合、持ってるのも持っていないのも全く同じだよね。
犯罪者は、警官が拳銃を持っていないものとして行動するだろう。
世の中の決めごと、法の運用方法をきめる場合、それで規制を受ける側の
人間も、それを知るわけだからね。
実験系の外から条件を与えるような、学問的モデルじゃないんだよ。実社会は。
215 :
209 :2001/03/02(金) 09:15
さっそく答えてくれてありがとう。
>>212 > 大丈夫です。気絶くらいならたいした致命傷にならないでしょう(^-^)
それは、テレビの観すぎです。
作家の阿部譲二が書いていましたが、気絶させようとして頭を殴った場合、
テレビなら数分後に起き上がってきますが、現実では二人に一人は永遠に
起きないそうですよ。
殺さないで気絶させるだけなんていう障害の与え方が素人にできるわけありません。
つまり、そういう状況では、人を殺すことは認められているわけです。
殺されそうな時に相手を殺すことが認められている。しかし
殺されてしまった場合、残った人間にとっては、
> 自分らの生命が危険に晒されているわけではありませんので、
ということで、加害者を殺すことが許されないのだとしたら、
まさに弱肉強食。強い者が生き延びる社会ですね。
殺伐とした、やくざの様な者が顔をきかし、弱い者は口を閉ざす。
そういう社会になりますよ。
冤罪がある限り死刑は許されないと思う。 刑事も検察も裁判官も人間である限り過ちを犯すので 死刑制度は撤廃するべし。
217 :
名無しさんの主張 :2001/03/02(金) 15:23
>>216 冤罪で無期懲役なら許されるの?
有罪を覆すような証拠が何もない状況だったら、何十年経っても再審なんて
無理だよ。
冤罪の可能性と死刑の是非をリンクさせるなら、冤罪で無期懲役は許容できる
ということを証明しなきゃ。
218 :
結論 :2001/03/02(金) 15:58
「終身刑がない以上死刑にして欲しい。」 被害者がよく言うよね。さっさと終身刑作れや。 それか有期刑を最高200年とかにしろよ。 仮出所も100年後だ。
219 :
197 :2001/03/02(金) 16:33
>216 だからサー、冤罪で死刑なんて、今の日本じゃあり得ないんだよ。 それに、「人が人を殺す刑罰」って簡単に死刑の事言うけど、その場合の殺す側の 人って誰だよ?裁判官か?法務大臣か?執行人か?違うだろ。 日本国民の総意だろ。結局、死刑廃止論なんて、誰にも相手にされない論理なんだな。
とりあえず廃止派はルーシー・ブラックマンの父と、坂本弁護士の岳父を黙 らせてみてください。
>>213 >死刑制度(司法・執行者)と、事件的な殺人(加害者)についてです。
この二つが同じだというなら、懲役刑や禁固刑は、例えば新潟であったような
監禁事件と同じってことになるね。
するってーと、あなたは懲役刑や禁固刑もおかしいと思うわけ?
>>221 >> この二つが同じだというなら、懲役刑や禁固刑は、例えば新潟であったような
>> 監禁事件と同じってことになるね。
>> するってーと、あなたは懲役刑や禁固刑もおかしいと思うわけ?
懲役刑や禁固刑を受けている人は、おそらくその刑とは別の理由で処せ
られているのではないでしょうか?
刑罰そのものの存在の是非に関する考え方と「人が人を殺して良い権利
への疑問」の両方の問題は、それぞれ別にして考える必要がありますね。
前者は懲役刑や禁固刑が刑罰の存在としてとして妥当かということです
が、これもこれから考えていかねばならない事だと考えます。仮に妥当
だったとしても、新潟監禁事件の加害者を被害者が受けたのと同じ年数
の禁固・監禁刑に処するべきだ。という意見は、いかが考えますか?
>>215 >> それは、テレビの観すぎです。
>> つまり、そういう状況では、人を殺すことは認められているわけです。
テレビ見過ぎのアルフォンスです(^^*)
おっしゃる通りです。そういう特殊な状況においてはそうですね。
ですが、例え正当防衛のためであっても、相手を殺すつもりで攻撃して
はならないのです。相手が害を加えられない状態にしてやること。
たとえば、相手をノックアウトしてしまっても、殺すつもりでしたので
なければ、たとえ自分の加えた打撃が相手に致命傷をおわせてしまって
も、とがめられることはないと思います。
つまり、必要にせまられた行動によって乱暴者を取り押さえたからです。
暴力は許しがたいものであって、たとえ力によって乱暴者を取り押さえ
なければならなくなったとしても、乱暴ではない力、つまり害を与える
という意図のものではなく、暴力をふるう者をやめさせるという意図の
バランスの取れた力を特殊な状況下においては使うことを示しています。
>> 殺されてしまった場合、残った人間にとっては、 > 自分らの生命が危険に晒されているわけではありませんので、 >> ということで、加害者を殺すことが許されないのだとしたら、 こういうケースは事件でよく見かけますね。合法的であろうと、その逆 であっても、人が人を殺すことに変わりはないと考えます。 そういった権利については、果たして正しいと言えるのでしょうか? また、遺された家族の気持ちというのが存在することも確かだと考えま す。被害者の家族は、加害者を殺すことで気が晴れるのでしょうか? 「被害者を殺しても、失った娘(息子)は帰ってこない」という被害者 の父親の話も、耳に残っています。 私が何より印象に残った言葉は、おそらく最愛の娘を殺されて悲嘆の限 りを尽くし泣き疲れ、あらゆるつらい時を通り越しておだやかさを取り 戻した表情を見せた父親が(内面ではそうではないと察するのですが) 『二度と、こういうこと(誘拐殺人)のないようにしてもらいたい。』 と、うったえかけるような力強い意志をもって話した一言でした。 彼は、加害者への復讐が家族の気持ちをなぐさめる程度のものにすらな らないことを理解し、何より今生きている人に同じような不幸をどうか 味わってほしくない…ということを訴えたかったのでは…という心情を 個人的に感じました。 これも数多くの見方の、一つではありますけれど。
225 :
215 :2001/03/03(土) 12:16
>>223 別に殺すつもりで反撃する必要もないと思いますが、要するに、
「他人を殺すことが、正当である場合もある」
ということを理解してもらえれば結構です。
ただ、くり返しますが、乱暴している人間を取り押さえるのに、
「バランスの取れた力」などを使える人間は、武道の達人か
逮捕術を訓練した警官くらいのものでしょう。
あなたにそれが出来ますか?
自分に出来もしない絵空事を言っているのではありませんか?
必死に抵抗して、相手に可能な限りのダメージを与えるというのが
現実に生じる反応じゃないでしょうか。
226 :
215 :2001/03/03(土) 12:17
>>223 また、人が人を殺すのは正しくないというのは、何を根拠にして
いますか? まずそれを御自分に問うてみてください。
私も通常はそう考えていますが、それは自分が他人に殺されたくない
という心情を根拠にしています。
例えばここに、他人を何人もひどいやり方で殺した人間が
いるとします。そういう人間、つまり、他人の「殺されたくない」
という心情を易々と踏みにじった人間が「自分は殺されたくない」
と主張することは、正しいことですか?
あなたが「人が人を殺すのは正しくない」と主張する根拠を
教えて下さい。そして、同じ主張を何人もの人を殺した人間が
するのを正当だと思うかどうかも教えて下さい。
227 :
215 :2001/03/03(土) 12:19
>>223 遺された家族の気持ちについてですが、加害者の量刑は、自分のつらさ、
悲しさを公にどの程度認めてもらえるかを測る尺度だと思います。
ある女性を強姦した人間がいたとします。加害者が1000円の罰金刑でも、
懲役5年でも、その女性の気持ちは同じでしょうか。
その女性の心の傷は消えないにしても、加害者が長期の懲役刑を科されれば
自分の悲しさ、自分の境遇の理不尽さを公に認めてもらったことになり、
少しは心の慰めになるでしょう。
1000円の罰金刑だった場合に「刑が軽すぎる」とその女性が訴える
ことは、不当なことではありません。
同じように、殺された人間の遺族が、加害者の命でつぐなってもらいたいと
言っても、それは全く正当な主張だと思います。
加害者が処刑されても被害者が帰ってくるわけではないから、死刑には意味が
がないという意見は、強姦魔が軽い罰金刑で釈放されても、被害者の心には関係
ないという主張と同じです。
228 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 13:29
死刑についての私の主張というのは単純でして、 国家権力による永久なる人権の停止が行なわれることの 非民主性の問題点なんですね。実際には国家が人権を 保障してはじめて人権の意味がある、つまり永久の ものではないという議論が公然と行なわれているところが 日本らしいなぁという印象を受けますが、仮にもし そうであったとしても、国家権力は国民の民主的統制下に あってはじめて正当化されるものという民主主義の前提が 変わるわけではなく、また「人権を保障しない」と 「積極的に人権を奪う」は同義ではありません。 それから、人を殺してはいけない理由を問うている人が いましたが、それは最終的な結論としては人が人を なるべく殺さない方が、我々にとって幸福に生存できる 可能性が高まるからでしょう。いけないというのは 絶対的な理由があるわけではありませんが、社会秩序を 安定させるためにも、よほどの場合でない限り(正当防衛 など)人を殺すべきではないのです。にもかかわらず 国家が積極的に殺人をする理由は皆さんのご意見を 伺っていても、見出せません。「殺さなければならない」 のでなければ殺すべきではないのです。
229 :
死刑容認 :2001/03/03(土) 13:50
>>228 できれば冷静な議論をしましょう。
> 死刑についての私の主張というのは単純でして、
> 国家権力による永久なる人権の停止が行なわれることの
> 非民主性の問題点なんですね。
大勢の人を殺した人間の生命が、国家権力によって保証されることは、
民主的なんですか?
> 実際には国家が人権を
> 保障してはじめて人権の意味がある、つまり永久の
> ものではないという議論が公然と行なわれているところが
> 日本らしいなぁという印象を受けますが、
他の国では、どのような議論がなされていますか?
アフリカの国で明らかに虐殺が行われていても、アメリカはその国を
見捨てて引き上げましたが、アフリカ人の人権はどのように扱われ
たのでしょうか。
> にもかかわらず
> 国家が積極的に殺人をする理由は皆さんのご意見を
> 伺っていても、見出せません。
死刑制度は、国家による消極的な殺人です。
現在では、死刑の適応範囲はかなり限定されています。
死刑が国家による積極的な殺人だと判断する理由は何ですか?
> 「殺さなければならない」
> のでなければ殺すべきではないのです。
死刑は、死刑囚を「殺さなければならない」から殺しているのです。
230 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 14:37
>>229 冷静なご判断を求めます(^^;)
>大勢の人を殺した人間の生命が、
>国家権力によって保証されることは、
>民主的なんですか?
民主的でしょう。むしろ、人を殺したら人権を奪っても
良いという考え方の根拠がよくわからないのですが。
感情的には共感しますけれどね。
それから、申し上げておきますけれど、私が問題に
しているのは、民主的統制の実体であるところの
一国民を殺してしまうことの非民主性、破綻なんです。
そういう問いの設定は論点をずらしているに
過ぎませんよ。
>死刑制度は、国家による消極的な殺人です。
>現在では、死刑の適応範囲はかなり限定されています。
>死刑が国家による積極的な殺人だと判断する理由は何ですか?
積極的ということばの定義が曖昧であった点はお詫びします。
この場合には「何が何でも殺さなくてはならない理由」
がない(あることが証明されない)にもかかわらず、
という意味でとって下さい。
>死刑は、死刑囚を「殺さなければならない」から殺しているのです。
それは、どうしても殺さなければならないんですか。
例えば、殺さなければ自分が生命の危機にさらされる
というような状況なんですか?懲役刑ではどうしても
対処できないんですか?だとすればその根拠はなんですか?
それから、人権は国家(この場合には権力の意味)が
保障するものという風に考えるよりも憲法が保障する
ものと考えるべきなのではないでしょうか。
日本国憲法第11条に書いてありますし。憲法というのは
もちろん改正はできますけれど、基本的に権力を
超越した法規です。その憲法で保障されている人権を
人を殺したら永久に奪ってもいいという考え方には
疑問を抱きます。
231 :
死刑容認 :2001/03/03(土) 15:34
>>230 > 民主的でしょう。むしろ、人を殺したら人権を奪っても
> 良いという考え方の根拠がよくわからないのですが。
他人の人権を奪ったからです。逆に聞きますが、
いかなる場合にも人権を奪っては行けないと考える根拠は何ですか?
それと、他国での議論についての質問には答えてもらっていませんが
どうなんですか?
アメリカはルワンダ(だっけ?)を見捨てましたが、ルワンダ人の
人権はどう考えられているんですか?
> それから、申し上げておきますけれど、私が問題に
> しているのは、民主的統制の実体であるところの
> 一国民を殺してしまうことの非民主性、破綻なんです。
> そういう問いの設定は論点をずらしているに
> 過ぎませんよ。
冷静に考えて下さい。(^^;
同じ事柄を逆の方から記述しただけです。それを論点ずらしと感じるなら、
その論点自体がおかしいと言うことです。
民主的統制の実体であるところの国民間の利害は常に対立しています。
一部の国民の要求を押さえることはそもそも民主的国家の日常の仕事
であって、その利害が人の生き死にに関わることなら、国家が国民の
生き死にに介入することもなんら矛盾はしません。
232 :
死刑容認 :2001/03/03(土) 15:35
>>230 > それは、どうしても殺さなければならないんですか。
> 例えば、殺さなければ自分が生命の危機にさらされる
> というような状況なんですか?
違います。しかし、殺さなければ自分が生命の危機にさらされる状況で
殺すことは認められていて、実際に殺されてしまった場合に、後で国家
が殺してはいけないのはなぜですか?その違いはなんですか?
緊急性の問題ですか?
だったら、腕力の強い者が(たとえ刑務所の中であれ)生き延びる権利を
持っているということですね。それがあなたの考える正義ですか?
> 懲役刑ではどうしても
> 対処できないんですか?だとすればその根拠はなんですか?
生命のやりとりの問題だからです。上記のような、腕力のある者が生きる
権利を得るという考え方に私は与しません。
> それから、人権は国家(この場合には権力の意味)が
> 保障するものという風に考えるよりも憲法が保障する
> ものと考えるべきなのではないでしょうか。 (以下略)
日本国憲法は、日本国という国家があってはじめて存在するものです。
それを成立させるのも、その内容を保証するのも、国家という機構です。
その理念は確かに国家の存在を超越するでしょうが、理念だけなら、
絵に書いた餅です。
人に殺されるやつなんて、 他人を殺人犯に仕立て上げるほどの非道な行為をしたから殺されたのさ。 被害者の遺族は恥じるべきだね。
234 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 21:41
言われっぱなしだとなんなので(^^;) >日本国憲法は、日本国という国家があってはじめて存在するものです。 >それを成立させるのも、その内容を保証するのも、国家という機構です。 >その理念は確かに国家の存在を超越するでしょうが、理念だけなら、 >絵に書いた餅です。 もちろんそうです。そもそも権力というのは我々個人が生活するために、 一般的に必要なものですが、その国家権力と国民の関係を示したのが 憲法であります。国家がなければ何ら意味を持ちませんし、 不要なものです。しかし憲法は、権力というものを実際に作るに あたって、じゃぁ、国家はこういうルールの範囲内で権力行使を しましょうと、いう取り決めなんです。民主的国家の前提条件として 最低限憲法に従いましょうと、こういうことなんです。国家は その憲法に従い人権の内容を保障するのです。 >他人の人権を奪ったからです。逆に聞きますが、 >いかなる場合にも人権を奪ってはいけないと考える根拠は何ですか? 国家権力が個人の自由、とりわけ生命に関する部分に 介入することの危険性でしょうか。憲法11条も おそらくそういう部分を踏まえているのでしょう。 他人の人権を奪ったら人権を奪っても良いとする 根拠はなんですか?
235 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 21:42
>それと、他国での議論についての質問には答えてもらっていませんが >どうなんですか? >アメリカはルワンダ(だっけ?)を見捨てましたが、ルワンダ人の >人権はどう考えられているんですか? 私自身それほど外国人の知人が多いわけではないので、 その範囲内での話ですが、ここにいる人たちより、 権力というものに対してもう少し懐疑的である という印象を受けますよ。人権は国家があって はじめて成立するものという考え方は聞きませんね。 人権は生まれてから永久に自身の中に内在するものだ という意識でしょう。まぁ、あくまでも印象ですから、 一般的な話ではないんですが・・・。 ルワンダ内戦のお話ですが、あれこそまさしく、 米兵士が生命の危機にさらされていたケースです。 やむをえない場合と考えていいのではないですか? >同じ事柄を逆の方から記述しただけです。 「pならばq」と「pでないならqでない」の 真偽は一般に一致しません。別の命題なんですよ。 それを、同じことであるかのように論じるのは 冷静な議論ではありません。
236 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 21:42
>その利害が人の生き死にに関わることなら、国家が国民の >生き死にに介入することもなんら矛盾はしません。 自由意志を永久に奪うという点で、他の権力行使と 決定的に違います。それは、民主主義の考えかたの 前提を逸脱した行為なのです。 >緊急性の問題ですか? >だったら、腕力の強い者が(たとえ刑務所の中であれ)生き延びる権利を >持っているということですね。それがあなたの考える正義ですか? 正当防衛が認められれば刑務所には入れられませんが・・・。 ちょっと、この質問の趣旨が分かりにくいのですが、 正当防衛かどうかはまさに緊急性の問題ではないんですか?
237 :
68@死刑反対 :2001/03/03(土) 21:44
238 :
名無しさん :2001/03/03(土) 22:48
人権って、何?
>>222 >懲役刑や禁固刑を受けている人は、おそらくその刑とは別の理由で処せ
>られているのではないでしょうか?
だったら、死刑もあなたが思うのとは別の理由で処せられているかも
知れないね。
68@死刑反対氏の最大の誤りは、一般市民と犯罪者を一括りにして「民主 的統制の実体」だと言い放っている点だね。 知っての通り、我が国は間接民主主義。しかし、死刑囚に限らず刑務所に 収監されている者は、間接民主主義の要である選挙権を有さないし、当然 被選挙権もない。すなわち、彼らは主権者たりえないのであって、これを 「民主的統制の実体」などと呼ぶことは現実無視としかいえないよ。
241 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/04(日) 04:56
> 「pならばq」と「pでないならqでない」の > 真偽は一般に一致しません。別の命題なんですよ。 「pでないならqでない」は「pならばq」という命題の裏ですね。 確かに真偽は必ずしも一致しません。だからあなたに聞いたのです。 別の命題ですが、同じ論点に関する命題です。 どうして「論点ずらし」などという言葉が出てきたんですか? そして、あなたはこの裏も真だとおっしゃった。 つまり、大勢の人を殺した人間を国家権力によって刑務所にかくまって 遺族の「殺してやりたい」とか、そこまでいかなくても「せめて一発殴りたい」 という要求を強制力を持って拒絶して、加害者の生命と安全を保証する。 これが、あなたの考える「民主的」国家だということでしょう? > >いかなる場合にも人権を奪ってはいけないと考える根拠は何ですか? > 国家権力が個人の自由、とりわけ生命に関する部分に > 介入することの危険性でしょうか。 どうしてここに国家権力が出てきますか?一般人は他人の人権を奪っても良いが、 国家権力だけは、人権を奪ってはいけないということですか? 国家権力にだけそのような規制をはめる根拠は何ですか?
242 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/04(日) 04:59
> 他人の人権を奪ったら人権を奪っても良いとする > 根拠はなんですか? 権利と義務が表裏一体をなしているからです。他人の人権を尊重する義務 を放棄し、根こそぎ奪った人間に、自分の人権を主張する権利はありません。 > 私自身それほど外国人の知人が多いわけではないので、 > その範囲内での話ですが 外国での議論をよく知りもしないのに「...が日本らしい」などと書いたのですか? > 人権は国家があって > はじめて成立するものという考え方は聞きませんね。 人権は国家に先立って存在するものですが、それを保証するのは国家ですね。 国家による保証を受けない人権にはどういう意味がありますか? > 米兵士が生命の危機にさらされていたケースです。 > やむをえない場合と考えていいのではないですか? ルワンダ人の人権よりも米兵士の人権の方が優先されるんですか? その根拠はなんですか? 「国家よってはじめて人権が保証される」 という結論以外にルワンダ人と米兵士の人権の軽重を説明できますか?
243 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/04(日) 04:59
> 正当防衛が認められれば刑務所には入れられませんが・・・。 > ちょっと、この質問の趣旨が分かりにくいのですが、 > 正当防衛かどうかはまさに緊急性の問題ではないんですか? AがB宅に強盗に入り、Bを殺そうとしたとします。Bは抵抗します。 Bの方が強く、この時正当防衛によってAを殺したとします。 このBの行為をあなたは正当と認めるわけですね。 では逆に、Aの方が強く、Bは殺されてしまったとします。 その後Aが警察に捕まり、他にも殺人をくり返した凶悪犯だったことが 判明したとします。現在の基準では死刑に相当しますが、この死刑を あなたは認めないと言う。 つまり、AとBのどちらに生きる権利があるか。それは腕力によって決まる ということになります。 これがあなたの考える正義ですか? もしそれが正義なら、私はただちに銃で武装します。
244 :
名無しさん :2001/03/04(日) 05:08
最高刑としての死刑は存続させるべきですよ。 執行するかしないかは別としても。
245 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/04(日) 05:42
あ、もう一つありました。 > 自由意志を永久に奪うという点で、他の権力行使と > 決定的に違います。それは、民主主義の考えかたの > 前提を逸脱した行為なのです。 民主主義の前提を逸脱してはいませんよ。 民主的統制の実体であるところの国民を多数殺した人間 の生存を、国家が許さないという前提があってはじめて、 国民は武装権を放棄して、それを国家に預けているのです。 アメリカのように各自が武装することを許されている社会なら 「自分の命を守るのは自分だ」といえるでしょうが、 私はそういう社会は嫌です。
246 :
名無しさんの主張 :2001/03/04(日) 05:44
>235 > 人権は国家があって > はじめて成立するものという考え方は聞きませんね。 エエッ!国家より後に人権なる概念が生まれたのは周知の事実じゃないの? 絶対王政下で王の国政に対する批判をしても、生命を奪われることのない 権利の保証こそが「人権」でしょ。「人道主義」と混同してるんじゃないかな? だから、「国家対個人」、国が加害者をどう裁くかという局面で「加害者の人権」 という概念が初めて登場するんでしょ?それで、裁判の蚊帳の外に置かれた被害者 の人権に関しては全く考慮されてないのが現状。 差別糾弾団体が人権蹂躙だのなんだので個人間にまで人権の概念を持ち込んだ からおかしくなったんだよ。
すべての権利は国家(≒暴力)によって保証されない限り機能しません。 だから、暴力を持つ者が権利の範囲を定めるのは、ある程度当然です。
>>247 同意。
68@死刑反対氏の意見は心情的には理解できるけど、理論的に間違ってるわなぁ。
249 :
名無しさん :2001/03/07(水) 08:33
あげ
> 人権は国家があって > はじめて成立するものという考え方は聞きませんね。 235さんのう、人権ちゅうのは複数の人間が存在しとらんといらんわのう。 無人島に一人で生息しとる場合、プライバシーもいらんわのう。 他者が存在せんかったら、利害関係も発生せんのじゃけえ、人権に限らず 権利ちゅうもんは発生せんじゃろ。あるとしたら、食うか食われるかの 大自然の掟ぐれじゃろうのう。 国家ゆうんは大勢の人間によって形成されるんじゃけえ、そういう意味 では国家ゆうもんが人権ゆうもんを定義して守るもんじゃねえかの? 国が人権ゆう概念持たずに野放しにしとったら、どんなんになるか考えて もらいてえんじゃ。
ルワンダ人の人権を保護するのはルワンダ政府であってアメリカ政府 じゃないんじゃないの? アメリカ政府にルワンダ人の人権を保護する義務はあるのか?
252 :
68@死刑反対 :2001/03/08(木) 19:13
いろいろと反論を頂戴いたしまして、有難い限りです。 まず人権に関する歴史的認識ですが、この点に関しては私の主張はそう的はずれではないと思いますよ。と言いますのも、現在の日本の、憲法ですとか、近代国家観といったものの基礎にある人権史観というのは、イギリスの民主主義であるとか、あるいは米仏の市民革命の頃に確立された考え方だと思うのです。もちろんそれ以前にも漠然と個人の権利と言う考え方はあったとは思います。しかし、国王といえども法に従わねばならないといった考え方(これが法の支配の基礎でしょう)や、あるいは市民革命の中の、“神から与えられた天賦の権利としての人権”という考え方は、やはり現在の個人主義の基礎にあたる部分だと考えていいと思うのです。私は246さんのおっしゃることもよくわかるのです。しかし、現在における人権というのは、もちろん国家と個人の関係を示したものではありますが、しかし人権は天賦の権利であるという考え方に基づいて、西洋的な近代国家観というのが成立しているんだというところを踏まえなくてはいけないということです。国家がなければ人権という考え方が意味をなさないというのはそのとおりですが、国家が保障してはじめて人権が成立するという考え方をなさっているのなら、それは違うのだということを申し上げておきます。 >どうして「論点ずらし」などという言葉が出てきたんですか? 別の命題なんですから問うていることが違うと言う意味です。言い方が悪かったのであればお詫びしますが、しかし私は少なくともあなたの質問に対して誠意を持って回答させていただきました。そして、その上で申し上げたことですので、こういう言い方をされるのは少々心外です。 >つまり、大勢の人を殺した人間を国家権力によって刑務所にかくまって >遺族の「殺してやりたい」とか、そこまでいかなくても「せめて一発殴りたい」 >という要求を強制力を持って拒絶して、加害者の生命と安全を保証する。 >これが、あなたの考える「民主的」国家だということでしょう? 刑務所にかくまることの是非ではないのです。国家が殺さないことが民主的なのです。
253 :
68@死刑反対 :2001/03/08(木) 19:14
>どうしてここに国家権力が出てきますか?一般人は他人の人権を奪っても良いが、 >国家権力だけは、人権を奪ってはいけないということですか? >国家権力にだけそのような規制をはめる根拠は何ですか? ???私がいつ、一般人が他人の人権を奪って良いと申し上げましたか?私はこの点については何も申し上げておりません。「どうしてここに国家権力が出てきますか?」というのはどういうご趣旨でしょうか?死刑というのは国家権力の行なうことではないんですか?その上で、国家権力が人権を奪ってはいけない理由は、何度もご説明申し上げているとおりです。 >権利と義務が表裏一体をなしているからです。他人の人権を尊重する義務 >を放棄し、根こそぎ奪った人間に、自分の人権を主張する権利はありません。 人権を本人が主張するか否かは別にして、人権そのものは「侵すことのできない永久の権利」なのです(日本国憲法)。 >外国での議論をよく知りもしないのに「...が日本らしい」などと書いたのですか? 私はあくまで印象を述べてだけであって、一般論として日本人はこうだ、欧米人はこうだ、などと申し上げてはいません。そこは、もう一度読み返していただきたいと思います。
254 :
68@死刑反対 :2001/03/08(木) 19:16
>ルワンダ人の人権よりも米兵士の人権の方が優先されるんですか? >その根拠はなんですか? 「国家よってはじめて人権が保証される」 >という結論以外にルワンダ人と米兵士の人権の軽重を説明できますか? そうではありません。まさしく正当防衛と同じ根拠でして、自分の生命が危機にさらされている場合には、「消極的」に人権を保障しないこともやむをえないのではないかということです。 >つまり、AとBのどちらに生きる権利があるか。それは腕力によって決まる >ということになります。 >これがあなたの考える正義ですか? それでは、Bは黙って殺されろとおっしゃりたいんですか?自分の生命が危機にさらされているときは、例外的に自分の生命を他人の生命より優先して良いということです。ちなみに銃を持つことは禁じられています。 >国家が許さないという前提があってはじめて、 >国民は武装権を放棄して、それを国家に預けているのです。 刑事罰は国家と個人の関係であって、個人間の関係はきわめて民事的な問題です。刑事訴訟も刑罰も決して遺族、被害者のために行なわれるのではなく、社会秩序の安定という国家の責任を果たすために行なわれている、それが基本です。訴訟に関してはむしろ被告のためのものと考えるのが一般的です。無論国家は、社会的な要請として被害者の保護、精神面でのケアとという責任も果たさなくてはいけません。しかし、それは国家と被害者の関係であり、そこに加害者は関係しません。 同じ死刑存続論でも死刑容認さんと246さんとでは人権観が随分違うので、反論しにくいですね。
「神から与えられた天賦の権利としての人権」 ではその神とやらはどこにいて、我々の人権をどう保証してくれているのですかね。 他のスレでも言いましたが、神を公理とするのはあなたの自由ですが、神を公理と しない人間にそれは通用しないのですよ。犯罪者が被害者の人権を無視するようにね。 犯罪者があなたを殺そうとしたときに、あなたはどうするのか。「俺には人権があるから殺すな」と言って、犯人はあきらめてくれますか? 否。あなたを守るとすれば それは法であり警察であり警備会社であり、それは実質的には暴力です。 百歩譲って人権が天賦のモノだとしましょう。では人権の形が国家によって異なる のはなぜなんでしょうねえ。近頃アフリカでレズのカップルが死刑になったそうです が、先進国では結婚さえ認められているところがありますね。韓国じゃ大麻は重罪で すが、インドや欧州では合法のところもあります。韓国のほうが非民主的ってことな んですかねえ。法律の全くない国が最高の人権先進国ということにもなりかねません。 「天賦のモノ」であるはずの人権って、どういう形をしてるんでしょうね。 国家は暴力保持団体であって、その暴力の用い方を国民の意見によって制限してい るのが民主主義でしょう。人にものを強要するには、損得か宗教以外にあり得ません。 民主主義が一種の宗教に過ぎないという事実に気付かれたほうが良いのではあります まいか。
256 :
68@死刑反対 :2001/03/08(木) 21:13
>>255 私が「神を公理としている」というのは曲解ですね(^^;)
「神」は昔の人が編み出した一種の知恵ですからね。歴史的認識としてそういうことであるということです。
確かに人を殺してはいけない理由を「神との約束」でかたづけられる欧米と、日本とでは多少事情が違うかもしれませんが、民主主義国家の考え方がそういうところから来ているのだということです。
なるほど、あなたのように民主主義を否定するのは勝手ですし、私も以前このスレッドで例えば極端なイデオロギー体制下などではでは別だということを申し上げました。しかし、民主主義を否定してまで死刑を執行しなくてはならないんですか?国家が個人の領域に入ってくることに対して箍をはめることは必要なんじゃないんですか?
あなたが民主主義に対して懐疑的なのは結構です。そういう意味では私も多少民主主義や人権に対して懐疑的であります。しかし、国家が人権を尊重し、民主主義の原則を厳守し、あまり大きな力を持たず、個人の領域に介入しないことが、我々にとってメリットがあるんじゃないですか?
257 :
名無しさんの主張 :2001/03/08(木) 21:40
子供の頃、素朴に思ったことがあるんだけど、「どんな軽罪でも絶対に死 刑」を適用すれば、犯罪って無くなるのかなあ? もしくは、どんな社会になるのかな?
まず、再度問いたいと思います。国によって人権の形が異なるのはどういう 理由からでしょう。これって、文化や宗教といった、いわば国民の感情論の ようなもので人権の形が定められているからではないのですかね? 「歴史的認識としてそういうことである」 それを言ったらカーストだってハムラビ法典だって一種の智慧だと思います がね。民主主義が神を必要とするなら、それはやはり宗教に過ぎません。宗教 であるなら帰依しない者に押しつけるのは「信仰の自由」に反するのではあり ませんか? さすがにこれは冗談ですが。 人権思想は絶対ではなく、良い統治のための方便でさえあれば充分ではあり ませんか。「人権という範囲に国家は暴力を用いない・用いさせない」「人権 の範囲は国民が定める」民主主義・人権思想って、こういう構造のことでしょ? 「個人の領域に介入しないことが、我々にとってメリットがある」 国家が殺人を犯さないことが民主的だとおっしゃる。では仇討ちを黙認する のはOKなのでしょうか。犯罪を放置するのも理想なんでしょうか。コストを 払う代わりに集団によるメリットを受けられれば充分だと思いますが。 それから死刑が必ずしも民主主義に反しないことを言っているだけであって、 「民主主義を否定してまで死刑を執行」しろなんて言ってませんがね。なんで 死刑or民主主義という選択肢を迫るんですかね。これって誰もが民主主義を取 らざるを得ないという、一種の誘導尋問じゃないのかしら。
259 :
名無しさんの主張 :2001/03/08(木) 21:57
>>257 昔のヨーロッパでそうしていたところ、犯行現場を見られた犯罪者が目撃者を殺害するという悲劇が続出したらしい。
「見つかってしまった、チクられたら死刑だ。どうせ死刑になるのなら・・・」ってなことで。
また目撃者殺害に限らず、「どうせ死刑ならやった者勝ち」ってことで、犯罪がどんどん凶悪化していったそうな。
以上、刑法総論の講義で聞いた内容。
260 :
257 :2001/03/08(木) 22:00
>>259 なるほどねえ〜
俺は、理科系だったもんでサンキューっす。
人間はホント深いな。
261 :
68@死刑反対 :2001/03/08(木) 23:32
気付かないうちに反論が・・・。
>>258 もう一度、私の主張を整理して申し上げますね。
1、まず、ここでの「民主主義」の定義は「国家が民主的統制下に置かれていること」である。「民主的統制」の実体はひとりひとりの国民であるので、国家権力が一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明の機会を永久に奪うことは「民主主義」と矛盾する。
2、日本国憲法をはじめ、日本における近代国家観は、こうした西洋的「民主主義」思想に基づいている。自由や平等といった思想も同じである。
3、近代国家における「民主主義」を始めとする諸概念は、英の法の支配や、米、仏市民革命によって、より明確にされ、時を経て政治の主流(こういう言い方の良し悪しは別にして)になった。
ご指摘のように「民主主義観」というのは厳密な意味での科学的根拠にはならないかもしれません。しかし、2@`3という現状において1の主張を行なうのは充分説得力を持っているように思います。
262 :
名無しさんの主張 :2001/03/08(木) 23:45
理屈はどうであれ、気持ちの問題だよな。 家族を虫けらのように殺された遺族が犯人に対して死刑を望むのは当たり前だからな。
263 :
名無しさんの主張 :2001/03/08(木) 23:51
理屈はどうであれ、気持ちの問題だよな。 家族を虫けらのように殺された遺族が犯人に対して死刑を望むのは当たり前だからな。 死刑であれ無期懲役であれ、被害者の満足いく結果を残してやりたいって思うけどね。
264 :
名無しさんの主張 :2001/03/08(木) 23:54
二重投稿してしまった。
>>261 (68@死刑反対)
「「民主的統制」の実体はひとりひとりの国民であるので、」
ここまではわかる。しかし
「国家権力が一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明の機会を永久に奪うことは
「民主主義」と矛盾する」
これは導けない。民主的統制により「一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明
の機会を永久に奪う」のなら、前記の民主主義とはまったく矛盾しない。
「日本国憲法をはじめ、日本における近代国家観は(以下略)」
1の前半の部分には基づいているが、後半にも基づいているかは実に疑問。そも
そも「犯罪者の人権を永久に奪うこと」は終身刑も全く同様だと思うのだが。
3についてはとりあえず同意。しかしそれを死刑廃止に帰納するには根拠が足り
ないし、各国とも民主主義・人権の範囲は各国で定めているので、欧米に死刑廃止
が多いから死刑廃止が正しいという結論には導けない。
三度目だが、(A)国家によって人権の範囲が異なるのはどのような理由による
ものとお考えか。(B)麻薬や覚醒剤を規制しない国家は、規制する国家より人権先
進国なのか。(C)【民主的統制により】一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明
の機会を永久に奪う(今の死刑制度がそうだ!)ことがなぜ民主主義と反するのか。
266 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 01:37
>261 同じこと何度も書かなくてもさー、キミの論はとっくに崩れてるってことが わかんないの?
267 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 01:59
公開処刑を望む!!!!!!!!!!!! 銃殺刑または、釜茹で、ギロチン>>>>>
268 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 02:04
> 別の命題なんですから問うていることが違うと言う意味です。 何に関する命題だったんですか? 現在の基準では死刑に相当する凶悪犯を、どのように扱うのが「民主的か」 という論点に関する命題だったんでしょう? 両者とも、同じ論点に関する命題ですよ。「論点ずらし」ではありません。 > しかし私は少なくともあなたの質問に対して誠意を持って回答させていただきました。 > そして、その上で申し上げたことですので、こういう言い方をされるのは少々心外です。 私もあなたと誠意をもって議論しています。これはどういう意味ですか? なぜ、このようなことを言い出すのですか? なにか、あなたにとって不都合なことでもあったんですか? > 刑務所にかくまることの是非ではないのです。国家が殺さないことが民主的なのです。 ???死刑に処するのではなかったら、どのように扱うことが「民主的」なんですか? あなたは死刑が民主的ではないと言った。それでは、どのように扱うのが「民主的」 なのか、答えていただけませんか? 結局私が書いた通りにするのでしょう?
269 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 02:05
公開処刑、見物料取るとしたらいくらぐらい取れるかな。
270 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 02:05
> ???私がいつ、一般人が他人の人権を奪って良いと申し上げましたか? > 私はこの点については何も申し上げておりません。 では、正確に問い直します。いかなる者も、人権を奪ってはいけないと考える根拠は なんですか? > 人権を本人が主張するか否かは別にして、人権そのものは「侵すことのできない永久の権利」 > なのです(日本国憲法)。 あなたは、憲法十一条をくり返し引用しますが、十二条と十三条についてはどう考えて いるのですか? *国民は、これ(この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであって 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。(十二条) *生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、 立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(十三条) ちゃんと、国民の人権に制限が加わっています。 生命に関する権利の尊重についても、『公共の福祉に反しない限り』という制限があります。 憲法の中から自分の好きな字句だけを引用しても、憲法を尊重していることにはなりません。 全ての条文を合わせて、日本国憲法なのです。
271 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 02:07
> 私はあくまで印象を述べてだけであって、一般論として日本人はこうだ、欧米人はこうだ、 > などと申し上げてはいません。そこは、もう一度読み返していただきたいと思います。 何度読んでも変です。外国での議論を良く知らないのに、どうしてある議論を指して 「日本らしい」などという印象を抱けるのでしょうか。不思議としか言い様がありません。 > そうではありません。まさしく正当防衛と同じ根拠でして、自分の生命が危機にさらされて > いる場合には、「消極的」に人権を保障しないこともやむをえないのではないかということです。 ちゃんと主語を書いて下さい。日本人の悪い癖ですよ。 だれが、ルワンダ人の人権を保証しなかったのですか? 誰が米兵士の人権を保証したのですか? まさに虐殺されそうなルワンダの一般市民を置き去りにして、米兵士を退去させたのは誰ですか? > それでは、Bは黙って殺されろとおっしゃりたいんですか? ???本気で言っているのですか? Bは反撃して、場合によっては相手を殺すことも認められている。これは、私とあなたで 合意できることです。 合意できないのは、Bが力及ばず殺されてしまった場合のことです。その後で、国家によって Aが殺されることを認めないのであれば、腕力の強い者が生きる権利を得ることになる と私は言っているのです。 > 刑事罰は国家と個人の関係であって、個人間の関係はきわめて民事的な問題です。 国家は何によって成立しているのか。民主国家は、国民の意志によって形成され運営される ものです。国民から離れたところに「国家」があるわけではありません。 法も、国民の意志を代表した議会できめられるものです。 つまり、加害者と被害者の関係は、議会および法を通して、国民によって決められるのです。
272 :
深海魚 :2001/03/09(金) 02:38
どうも@死刑反対さんは1人で悪戦苦闘しているようだが、私のようなボンクラが 読んでも、あなたの主張は苦しい。話しを近代国家観や民主主義思想にまで広げて も、説得力が乏しい。あなたの言う理想的民主主義国家より、今ぐらいの方を 日本国民の大多数が納得し支持しているのだから、これこそこの国の民主主義では ないのですか?そもそも、現在日本で死刑判決を受けるような人達は、統治国家から 逸脱している人達ではないのでしょうか?欧米各国は、国益を損なうと言う理由だけで 平気で他国にミサイルを打ち込みます。これは、その国が自国の統治下に置かれて いない国だからですよね?こんな国々より、日本の方がはるかに正しい国家ではない でしょうか?
273 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 02:49
文章が長いー
274 :
死刑容認 :2001/03/09(金) 02:58
>>272 同意します。
現在の死刑制度は、民主的に定められた法に基づいているのですから、
民主的です。
275 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 03:01
しかし2チャンネルでこんな優良スレもめずらしい、 勉強になるなあ。
276 :
68@死刑反対 :2001/03/09(金) 13:04
>誤痴鋭様 >民主的統制により「一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明 >の機会を永久に奪う」のなら、前記の民主主義とはまったく矛盾しない。 ここがおかしいと思うのです。民主的統制は、国民一人一人の自由意志が保障されてはじめて成立しうるのです。最終的な決定方法がたとえ多数決であったとしても、すべての国民が自由意志を形成することを阻まれないことこそが民主的統制なのです。従って1は成立します。 >そもそも「犯罪者の人権を永久に奪うこと」は >終身刑も全く同様だと思うのだが。 私は終身刑にも反対です。 >3についてはとりあえず同意。しかしそれを死刑廃止に帰納するには根拠が >足りないし、各国とも民主主義・人権の範囲は各国で定めているので、 >欧米に死刑廃止が多いから死刑廃止が正しいという結論には導けない。 ここは、私の舌足らずな部分があって、頭で考えていることを説明しきれていない部分もあるんですが、日本の近代国家観というのはそのルーツをたどればこういうところに行き着くのであるという意味です。そこで人権は「天賦の権利」となっているのが事実です。これもまた、2の根拠のひとつであります。 (A)国家によって人権の範囲が異なるのはどのような理由による ものとお考えか。 国家が強い権力をもつことに対して、国民がどの程度甘んじているかと、いう問題だと思います (B)麻薬や覚醒剤を規制しない国家は、規制する国家より人権先 進国なのか。 そうではない。ただし、麻薬で死刑にまでされるのであれば民主的要素は薄れると思う。その場合は西洋史観的考え方に基づけば後進国になる。 (C)【民主的統制により】一国民に過ぎない犯罪者の人権と意思表明の機会を 永久に奪う(今の死刑制度がそうだ!)ことがなぜ民主主義と反するのか。 文中で述べたとおり。
277 :
68@死刑反対 :2001/03/09(金) 13:05
>死刑容認様 わかりました。ご指摘のように「論点ずらし」という表現は不適切でした。訂正してお詫び申し上げます。 >???死刑に処するのではなかったら、どのように扱うことが >「民主的」なんですか? 無論結局は刑務所に入るのでしょう。しかし、それは死刑執行の非民主性に比べて遥かに民主的であると、いう意味であります。結果としてどうあれ、「かくまっている」という言い方には語弊があるのではないでしょうか?事実として殺人犯のうちでも死刑になるのはごく限られた人間で、その多くは刑務所に入れられています。遺族の「殴りたい」という感情は届きません。これも「非民主的」なんですか? >生命に関する権利の尊重についても、『公共の福祉に反しない限り』という >制限があります。憲法の中から自分の好きな字句だけを引用しても、 >憲法を尊重していることにはなりません。全ての条文を合わせて、 >日本国憲法なのです。 そういう反論は当然あるだろうと思っていました。しかし、その質問に対しては決り文句といいますか、一種の型にはまった反論がありまして、文献によりますと「公共の福祉」は、「人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平原理」という、内在的制約であり、内在的制約の範囲で対抗する人権は、そのものを死刑にしない場合に殺人の犠牲になるであろう生命権を示すのであります。よって、必ず殺人を犯すというものに対する殺人予防の必要性以外には公共の福祉による制約は不可であります。違憲審査基準人身の自由の重要性から、二重の基準論を用い、厳格な基準の「明白かつ現在の危険」の基準を使うと、公共の福祉による制約に死刑は含まれないことは明白なんですね。
278 :
68@死刑反対 :2001/03/09(金) 13:05
>だれが、ルワンダ人の人権を保証しなかったのですか? >誰が米兵士の人権を保証したのですか? >まさに虐殺されそうなルワンダの一般市民を置き去りにして、 >米兵士を退去させたのは誰ですか? 当然アメリカ政府でしょう。つまり、自らの生命を奪われる可能性が非常に高い場合には、他人の人権を「消極的」に保障しないことも認められると申し上げているのです。 >合意できないのは、Bが力及ばず殺されてしまった場合のことです。 >その後で、国家によってAが殺されることを認めないのであれば、 >腕力の強い者が生きる権利を得ることになると私は言っているのです。 腕力以外にどう決まるのでしょう。国家がその後AをどのようにしようともBの力が及ばなかった場合は殺されてしまいます。あなたのおっしゃるようにAを処刑したところで、Bは腕力が及ばなかったがために殺され、もう生き返ることはないのです。生きる権利を得ようにも得られないのです。この現実をあなたはどう考えますか? >つまり、加害者と被害者の関係は、議会および法を通して、 >国民によって決められるのです。 そうですね。しかしそれは刑法ではないですね。刑法はそういう性格のものではありませんから。
「すべての国民が自由意志を形成することを阻まれないことこそが民主的統制」
ほう。では例えばナチズムを規制するドイツは民主的統制がとれてないとでも?
そこまで徹底すると、どう考えても無政府主義以外に民主的統制はありえないと
思うのですがね。犯罪者が犯罪を犯すという“自由意志”をも規制できないとは、
“民主的統制”とはずいぶん難儀なものですね。
「国家が強い権力をもつことに対して、国民がどの程度甘んじているかと、いう問題」
これは上下の問いと被るので省きます。
「そうではない。ただし、麻薬で死刑にまでされるのであれば民主的要素は薄れると思う。」
麻薬を禁止するのは非民主的とはならないわけですか。でも例えば「国家主席を
悪く言ったから懲役」という国を、私は理想だとも民主的だとも思わない。たぶん
これにはあなたも同意するのではないかと思います。
ならば「麻薬の禁止」が民主的で「権力者への悪口の禁止」が非民主的だという
根拠をお聞きしたい。麻薬は人に迷惑をかけてませんが、悪口は確かに被害者ので
る行為です。行動の自由と言論の自由の差がありますが、どちらも自由意志の阻害
であることには変わりありません。
私はこの差は国民の意識の差であり、だから「麻薬=悪」という認識が共有され
ている国では禁止され、そうでない国では解禁されていると思うんですがね。
α・犯罪という自由意志を阻害することも非民主的なのか。
β・そうでないとすれば、どういう場合に自由意志を阻害することが許されるとお考えか。
γ・
>>278 で「しかしそれは刑法ではないですね」と仰るが、世界中でそのように
刑法が定められていることについてはどうお考えか。
280 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 14:10
目玉の繋がってるおまわりさんは、よく「死刑!」と怒鳴ってバカボンパパを追いかけています。 裁判もなく死刑の宣告をしています。 今こそ人権派の諸君はこの冤罪事件に非難の声を高らかにageるべきです。 バカボンパパは再放送されるたびに、死刑を宣告されて追いかけられています。 私が見る限り、彼は死刑になるような犯罪を犯していません。 今こそ立ちあがるべきです。それに拳銃の発砲数も驚異的なものです。 むやみに市民に発砲してはならないはずです。 マスコミ諸氏は何故にこのような暴力警官に対して何の警鐘も鳴らさないのでしょうか? バカボンパパの人権を守ろうではないか!
281 :
HG名無しさん :2001/03/09(金) 14:13
こないだ現実を見たよ。ルーシーで黒い人のパパは語る。 「私は死刑廃止論者です。しかしこの男には死刑を望みます」 あーだこーだいったって、こんなもんだよ。(^-^;
282 :
名無しさんの主張 :2001/03/09(金) 14:21
人権論者さんたちってさ、結局は「私はいい人です」ってアピールしたいだけなんだろ? 端から見れば偽善の塊にしか見られてないのにさ。 それを指摘されたら怒り狂うけど、結局自分の身内が凄惨な事件の被害者になれば掌返すし。 Ωの被害に遭った弁護士さんの一軒では、見事な方針変更ですね。 犯人を四系にしろって言ってなかったか? 所詮人権屋さんのやることはその程度。相手にすると、喜ぶ性質の悪い厨房です。
283 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 14:54
> 「論点ずらし」という表現は不適切でした。訂正してお詫び申し上げます。 了解しました。 > 無論結局は刑務所に入るのでしょう。しかし、それは死刑執行の非民主性に比べて > 遥かに民主的であると、いう意味であります。結果としてどうあれ、 > 「かくまっている」という言い方には語弊があるのではないでしょうか? どうしてですか? 同じことです。 同じ行為に関して、表現を変えただけで適切に感じたり、不適切に感じたりする のは、あなたの中で問題が整理されていないからです。 凶悪犯を刑務所に閉じ込めるのだって、被害者の遺族にとっては、国家権力が 加害者をかくまっていることになる。実際「今すぐ釈放しろ、俺が殺す」と 言った遺族がいました。 国家権力は、それをどのように使うにせよ、あらゆる立場の人間に対して強制力 を持っています。あなたは、権力行使によって不利益を被る人間に対しての想像力 を欠いているようですね。
284 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 14:55
> 事実として殺人犯のうちでも死刑になるのはごく限られた人間で、その多くは > 刑務所に入れられています。遺族の「殴りたい」という感情は届きません。 > これも「非民主的」なんですか? 私は非民主的だとは言っていません。凶悪犯の処遇に関して、民主的/非民主的 という形容詞をつけるなら、その元となった法が民主的裏付けを持っているかどうか だけが問題となります。民主的裏付けのある法に拠る判決であれば、死刑であれ 懲役刑であれ民主的です。それ以上でも、それ以下でもありません。 以下、私にはわからないところがあるので、指摘した点について解説をお願いします。 > 文献によりますと「公共の福祉」は、「人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平原理」 > という、内在的制約であり、 内在的制約とは、どういう意味でしょうか。 それと、この文章では「公共の福祉」=「内在的制約」という意味になりますが、 日本語としておかしいですよ。論文から前後を省いて抜粋するのであれば、 抜粋された部分だけで理解できるようにするか、然るべき解説を付けてもらえませんか?
285 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 14:56
> 内在的制約の範囲で対抗する人権は、そのものを死刑にしない場合 > に殺人の犠牲になるであろう生命権を示すのであります。 > よって、必ず殺人を犯すというものに対する殺人予防の必要性以外には > 公共の福祉による制約は不可であります。 公平原理がどうして未来の殺人にのみ適応されるのですか? 過去の殺人に適応されない理由はなんですか? > 違憲審査基準人身の自由の重要性から、二重の基準論を用い、厳格な基準の > 「明白かつ現在の危険」の基準を使うと、 > 公共の福祉による制約に死刑は含まれないことは明白白なんですね。 というわけで、公平原理がなぜ過去の殺人に適応されないのかを示さない限り、 これは明白ではありません。 あなたの示した資料よりも優位にある資料として、あなたは御承知でしょうが、 最高裁の判決を示しておきます。 憲法13条においては、個人の尊重を規定すると同時に、公共の福祉という 基本原則に反する場合には生命に対する国民の権利といえども、立法上制限 ないし剥奪されるということを当然予想しているものといわねばなない。 (最大判昭 28.3.12) 人の生命は神聖であって生存の権利は不可侵であるが、元来社会を構成する 個人の生命、人格の尊重は自他同事でなくてはならず、ひとり自己の生命、 人格などを尊重するに止まらず、同時に他人の生命、人格等をも尊重しなく てはならない。他人の生命を尊重せずして故意にこれを侵害した者は、 その 自己の所為につき、自己の生命を失うべき刑罰に処せられる責任を負担する ものといわざるを得ない。 (最一小判昭24.8.18)
286 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/09(金) 14:57
> 当然アメリカ政府でしょう。つまり、自らの生命を奪われる可能性が非常に高い場合には、 > 他人の人権を「消極的」に保障しないことも認められると申し上げているのです。 ルワンダ人の生命が、米兵士と同様に、あるいはそれ以上に危険にさらされていても、 そこから逃げられるのは米兵士だけなんですね。 つまり、人権は国家によってはじめて保証されるということです。 ルワンダ人の人権ように、国家によって保証されない人権は無惨に踏みにじられますね。 > 腕力以外にどう決まるのでしょう。国家がその後AをどのようにしようともBの(以下略) 私は社会正義の話をしています。Bは生き返りませんが、Aが死刑になることで、 「腕力の強い者に生き延びる権利がある」というヤクザ的正義感を否定することが できます。 >そうですね。しかしそれは刑法ではないですね。刑法はそういう性格のものではありませんから。 なるほど。では、刑法の場合は 「国家権力と加害者の関係は、議会と法を通して、国民によって決定される」 ということですね。 つまり、民主主義国家では、加害者をどう扱うか、その元となる法をつくり、責任を負う のは国民だということです。 民主的裏付けを持つ現刑法に、最高刑として死刑が明記されているのですから、死刑は非民主的 ではありません。 どうも、あなたのいう「民主的」という言葉は、国民から遠いところにありそうですね。
>>280 「死刑!」はこまわりくんだっつってんだろボケが
288 :
深海魚 :2001/03/09(金) 19:25
>286 激しく同意! @死刑反対さんの言い分を読んでいると、「民主主義国家は、ホンとは死刑をしては いけないんだ。だから、死刑は廃止だ。」としか解釈できません。しかし、民主主義の 根源は、国民主権、国民の総意ですよね?現在の日本国民の大多数は、死刑を容認して いるわけですよね?・・・しかし、終身刑も反対とは・・・!?これは、筋金入りですな。
289 :
深海魚 :2001/03/10(土) 01:18
少し論点を変えますが、それでは無期懲役も反対ですか? 懲役10年は?5年は? 人権には、侵害して良い程度が有るのですか? アナタの論法では、人を殺しても、加害者側の人権は守られて被害者はもういないの だから人権は存在しない、と言っているようなものですね。 アナタにもおそらく肉親は居るでしょう。最愛の人をいわれ無き暴力によって失って 精神に異常をきたした人は、大勢居ます。加害者を抹殺しても、その人達は救えない と言いますが、ホンとにそうでしょうか? 自然界には、社会を営む生物に与えられた、「淘汰」という現象があります。 社会を営む上で、その障害となるものを排除する本能です。自然界が与えた、大いなる 知恵だと私は考えています。勿論人間は社会を営まなければ生存出来ません。 つまらない法解釈や、個人の勝手な思想が入り込む余地の無い領域です。 死刑の賛否とは、その排除の方法論ではないのですか?
290 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 01:53
死刑反対を唱える人達は、自分が犯罪被害者になりうる、もしくは、なった場合を考えないで、 憲法上、最悪は己の倫理観のみで主張を続けているのだろう。 私も被害者になったことは無い。 しかし、自分を被害者に置き換えて考える事はある程度出来る。 最近では、山口母子殺害事件の、被害者の夫に自分を置き換えて考えてみよう。 もし自分が本村さんの立場だったら・・・妻を殺された上にレイプされ、 なおかつまだ赤ん坊の一人娘を殺されたら・・・ それでも加害者の人権や今後の更正を期待し、死刑を求めずにいられるか? 事件が起きた時に、最も救済されなければならないのは被害者であり、 断じて加害者ではない。 加害者の人権にばかり目を向ける人は、そこの部分を心から理解していないと感じてしまう。
291 :
68@死刑反対 :2001/03/10(土) 02:20
>死刑容認様 >国家権力は、それをどのように使うにせよ、あらゆる立場の >人間に対して強制力を持っています。あなたは、権力行使に >よって不利益を被る人間に対しての想像力を欠いているよう >ですね。 「犯人を殺せなくなること」が不利益なんですか?それによりどんな具体的な損害を被るのでしょうか?それに、あなたの意見を聞いていると、まるで遺族は皆犯人を殺したい、もしくは死刑にして欲しいと思っているかのようですが、事実は違いますよね。 あなたは、被害者の心情的な面を持ち出して、私に想像力がかけているとおっしゃいますが、では逆に死刑囚の家族はどうでしょうか?私と違い想像力豊かなあなたならば、自分の家族が例え多くの人を殺したとしても、絞首刑により首の関節は外れ、体中の筋肉のしまりはなくなり、目玉は飛び出し、口からは涎がたれ・・・そんな姿になることを思ったときのつらさは理解できるでしょう?感情論になれば、永久に結論が出ないのです。あまり建設的でないと思いませんか? >内在的制約とは、どういう意味でしょうか。 例えば、他人の名誉を毀損する言論を犯罪として処罰することは、行為者の言論の自由を制限することにはなりますが、この制限は、他人の名誉権を保護するためにはやむを得ないことであり、「公共の福祉」の考え方により説明することができます。 ただし、そもそも他人の人権との衝突の可能性のない人権については、「公共の福祉」による制限の余地はないと考えられています。例えば、思想・良心の自由(憲法第19条)については、それが内心にとどまる限り、その保障は絶対的であり一切の制約は許されないものと解されています。 さらに、人権を規制する法令等が合理的な制約であるとして公共の福祉により正当化されるか否かを判断するにあたって、判例は、営業の自由等の経済的自由を規制する法令については、立法府の裁量を比較的広く認めるのに対し、精神的自由を規制する法令等の解釈については、厳格な基準を用いています(有名な二重の基準論です)。 このように、憲法には、「公共の福祉」の内容を示す明文の規定はありませんが、「公共の福祉」の概念は、各権利毎に、その権利に内在する性質を根拠に判例等により具体化されていますから、「公共の福祉」の概念の下、国家権力により恣意的に人権が制約されることはあり得ないのです。 >あなたの示した資料よりも優位にある資料として、あなたは >御承知でしょうが、最高裁の判決を示しておきます。 ???ですから、今この判例の内容を議論しているのではないのですか?結論を用いて結論を証明しても、それは・・・。
292 :
68@死刑反対 :2001/03/10(土) 02:21
>誤痴鋭様 >そこまで徹底すると、どう考えても無政府主義以外に >民主的統制はありえないと思うのですがね。犯罪者が犯罪を >犯すという“自由意志”をも規制できないとは、“民主的統制” >とはずいぶん難儀なものですね。 犯罪を犯すことはいけませんが、「殺したい」という「意思」を持つのは自由ですよ。道徳的な問題は別として。 >ならば「麻薬の禁止」が民主的で「権力者への悪口の禁止」が >非民主的だという根拠をお聞きしたい。麻薬は人に迷惑をかけて >ませんが、悪口は確かに被害者のでる行為です。行動の自由と >言論の自由の差がありますが、どちらも自由意志の阻害である >ことには変わりありません。 > 私はこの差は国民の意識の差であり、だから「麻薬=悪」という >認識が共有されている国では禁止され、そうでない国では解禁されて >いると思うんですがね。 「麻薬」が禁止されているのは、認識の問題ではなく、間接的であれ損害を与えているからだと思います。その上であなたの説明ですが、「麻薬」と「煙草」の違いくらいならそれで説明がつくかもしれませんが、思想、言論の類の統制、規制がなぜそれ以上にいけないかという理由は、国民の認識という曖昧なものではありません。これは、経済的自由が不当に侵害された場合は、「投票箱と民主政の過程」によって、これを是正することが可能であるのに対し、精神的自由が不当に侵害された場合は、「投票箱と民主政の過程」自体が傷つくことになるので、これによって是正することが困難であるということなんですね。
293 :
68@死刑反対 :2001/03/10(土) 02:31
>深海魚様 >少し論点を変えますが、それでは無期懲役も反対ですか? >懲役10年は?5年は? >人権には、侵害して良い程度が有るのですか? 私は、懲役刑は人権侵害にあたるとは思っていません。なぜならば懲役は教育であるからです。再度義務教育(こう言うと少々語弊がありますが)を行なう必要のある人に、それを施し、それによって社会秩序の安定を図るのだと理解しています。
294 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 02:44
>293 君は死刑反対かい? じゃあ僕が、君の両親をサンドバッグにして遊び、 100数十発バットで殴り、殺して、体をバラバラにして、 君に彼女がいたら、彼女をレイプして、友達と輪姦して、 数ヶ月にわたり監禁し、熱湯をあびせたりリンチして殺し、 君の兄弟姉妹に至るまで、全て殺し、君の家に放火して全焼させて逃げたとしよう。 で、裁判中もふてぶてしい態度で、君に唾をかけたりしても、 その上でも僕の死刑に反対してくれるかい?
295 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 02:47
懲役の懲は「こらしめる」と読みます。
296 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/10(土) 03:24
> 「犯人を殺せなくなること」が不利益なんですか? 犯人に、命をもってつぐなってもらいたいと考えている遺族にとっては不利益です。 > まるで遺族は皆犯人を殺したい、もしくは死刑にして欲しいと思って > いるかのようですが、事実は違いますよね。 根拠を示して下さい。 犯人に命をもってつぐなってもらいたいと考えいる遺族が存在することは、 「遺族も極刑を望んでいる」というのが、死刑判決での常套句であること を考えれば、言うまでもないでしょう。 > では逆に死刑囚の家族はどうでしょうか?私と違い想像力豊かなあなたならば、 > 自分の家族が例え多くの人を殺したとしても、絞首刑により首の関節は外れ、 > 体中の筋肉のしまりはなくなり、目玉は飛び出し、口からは涎がたれ・・・ > そんな姿になることを思ったときのつらさは理解できるでしょう? その通りです。しかし、その死刑囚自身が他人を人権を根こそぎ奪ったのです から、そのつらさは受け入れるべきです。 > 感情論になれば、永久に結論が出ないのです。 結論は簡単に出ます。その感情が正当なものとして、民主的統制の実体である 多くの国民に受け入れられるかどうかを考えればいいのです。 死刑囚の家族の感情は、同情はされるでしょうが、甘受すべきものとされるでしょう。
297 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 03:25
@死刑反対君は世の中をあまり知らないようだから、一つ教えといて あげるよ。 君の論旨は死刑廃止論としては特に目新しいものではなく、過去に 君よりもはるかにディベート術に長けた論者によって唱えられたもの。 個人的には聞き飽きた感のある意見だが、これはすでに死刑肯定派に よって論破されていて、同じ死刑廃止派からもあまり賛同を得ていない。 知ってて二番煎じをやってるのかも知れないが、残念ながら君では明ら かに力不足。あんまり無理しないほうがいいよ。
298 :
死刑容認>68@死刑反対 :2001/03/10(土) 03:26
あと、内在的制約に関する説明ありがとうございます。 要するに、様々な権利のそれぞれに内在する制約なのですね。 つまり、犯人の生存権を制約するのは、他人の生存権しかありえないということ。 これはわかります。 そこで、前回私が質問して、答えてもらえなかったことを答えてもらえませんか? (質問A) どうして、未来の殺人だけが問題になり、過去の殺人が問題にならないのか。 殺人が、他人の生存権を奪ったと言う意味で公共の福祉に反することならば、 国家に犯人の生存権を尊重する義務はなくなります。 (質問B) 仮に未来の犯罪だけが問題になるとすれば、懲役刑はいかなる意味において 合憲なのですか? 懲役囚は憲法が保証する権利(自由と幸福を追求する権利) を奪われていますが、懲役囚は将来同様の犯罪を犯すと証明されているのですか? >「公共の福祉」の概念の下、国家権力により恣意的に人権が制約されることは > あり得ないのです。 国家権力は、憲法を厳密に適応していますよ。 恣意的解釈だというなら、あなたが示した解釈こそ恣意的です。 (質問C) 憲法十三条は、生命に関する権利が公共の福祉に反する場合を想定していますが それはどのような状況を想定しているのでしょうか。あり得ないことを想定した 意味のない条文なのですか? > 今この判例の内容を議論しているのではないのですか?結論を用いて結論を証明しても、 結論? 結論は「死刑は合憲である」ですね。その結論に至る根拠が示されていますよ。 上に示した三つの質問にお答え下さい。よろしくお願いします。
299 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 03:51
どうでもいいけど、被害者遺族の感情と刑罰の軽重って関係あるの?
なんか298で先越されちゃったので違う視点から。 「「殺したい」という「意思」を持つのは自由ですよ」 そりゃそうです。第一心の中は覗けない。しかしその意志を行動に移すことはな ぜ制限できるのですか? それから、ドイツはナチズムという「意志」すらを禁止している時点で非民主的 な弾圧国家なんですか?(再) 「「麻薬」が禁止されているのは、認識の問題ではなく、間接的であれ損害を与えて いるからだと思います。」 じゃあ禁止してない国があるのはどうなんですか。そもそも誰に何の損害をどう 与えているわけですか? 売春などもそうですけども。 「懲役は教育であるからです」 ほう。じゃあ量刑を定める根拠って何なんでしょうね。例えば殴ったら一年、殴って 怪我させて三年、死なせたら五年として、教育する内容は「人を殴るな」というこ とで変わりないと思うんですけど。これはあなたに言わせれば法制度の矛盾ですか? 確認しておきたいのですが、あなたは死刑は違憲だと言っているわけですよね。 最高裁の憲法解釈の正否って、誰がどのように判断するわけですか? 最高裁判 官は一応信任投票しているわけで、「投票箱と民主政の過程」は経ていると思うん ですが。法学者が「最高裁の憲法解釈は間違っている」と言ったとして、それがど ういう正当性を持ちうるのでしょうか。 α・ある行為が国によって禁止されていなかったり量刑にバラツキがあったりするのは何故か。 β・量刑を定めている根拠は何か。 γ・法学者が「最高裁の憲法解釈は間違っている」と言ったとして、それがどういう正当性を持ちうるのでしょうか。
300は俺です。念のため。
302 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 05:34
>299 被害者遺族ではなく国民一般の感情となら、関係は大有り。 なぜなら、そもそも善悪という概念は感情に依拠したものだから。
303 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 16:32
>302 確かに国民一般の感情は関係ありますよね 姦通罪とか今では存在そのものが無いわけですから でもここで多用されてるのは被害者(とその遺族)の感情論でしょう 刑罰の軽重というのは具体的な犯罪行為によって決めるべきだと思うのですが、違いますか?
304 :
名無しさん :2001/03/10(土) 16:40
“社会契約”のタガとしては、あってもいんじゃないかなー。
305 :
名無しさんの主張 :2001/03/10(土) 17:25
法律を学んでて思うけど一元的内在制約説はその前提として明らかな 犯罪行為をめぐる事項については除外して語っているような気がする。 だいたい人権制約が通常問題になるのは表現の自由などの精神的自由権 つまり社会に直接的な害悪を及ぼすことがあまり考えられないが権力は 制約したがるものに対してだし。 学説も表現の自由の内でも伝統的な犯罪行為概念に近いわいせつ表現なんか には二重の基準をそのままあてはめたりしないものが多いしね。
306 :
死刑容認(302ではありませんが) :2001/03/11(日) 03:50
>>303 一般国民が、被害者(とその遺族)の感情と、加害者(とその家族)の感情、
社会における正義などを考察し、その上で法が適切であるかどうかを決めるんですよね。
不適切だと思う国民が多ければ、議会を通じて法の改正をすればいい。
法を決定する主体である国民は、さまざまな事柄を考慮するわけですが、
「被害者(とその遺族)の感情」はその中でも大変大きな要因だと思います。
307 :
306 :2001/03/11(日) 04:19
もちろん
>>303 さんのように考える人も相当数いますから、現在の刑法は
単に加害者に対する復讐を基調としたものにはなっていませんよね。
ただ、少年法改正にまつわる動き等をみていると、多くの国民にとって
被害者(とその遺族)の感情は大変大きな要因だと私は感じます。
あなたがそれを良いと思うかどうかは別ですが、日本は民主主義国家ですから
しょうがないですね。
308 :
302 :2001/03/11(日) 05:37
>>303 >刑罰の軽重というのは具体的な犯罪行為によって決めるべきだと思うのですが、違いますか?
日本を含め多くの国が採用している罪刑法定主義ってのは、つまり
そういうようなことなんだけどね。
しかしそこにおいても、ある行為がどれだけ悪いことなのかを計る
基準は社会通念や倫理という名の感情でしかないわけで、結局の
ところ法から感情を排除するのは不可能ってこと。
309 :
303 :2001/03/11(日) 19:58
「被害者が納得しないから」じゃなくて「被害者が納得できないことに国民が納得しないから」ということですか 個人的にですが、被害者感情を持ち出すのは客観性に欠けるというか刑罰に不似合いな気はしますね
310 :
名無しさんの主張 :2001/03/11(日) 20:25
俺は死刑があっても良いと思う。 殺しておかないとマズイ奴もいるでしょ。 出所して、再犯(特に殺人)を犯した場合、 死刑にしておけば犠牲者は出なかったわけだからさ。 もっと言えば、俺なんか死刑になるような犯罪犯さないから 死刑が存続してもなんら影響なし。 もしろ悪い奴が減って嬉しいくらいだけどねえ。
>309 それは気のせい。 社会学的な側面から見れば充分客観的だよ。
312 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 11:04
>309 なにが、不似合いなんでしょうか?意味がわかりません。 刑罰と言うのは、大体被害者がいて成り立つものでしょ?(一部違う場合も有る) 親告罪などは、被害者の被害者感情のみで、成立していると言ってもイイ場合も有る。 裁判自体が、客観的事実にもとずいた、裁判官の主観による裁定でしょ。
313 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 11:17
理屈っぽいことタラタラ書いてるけどさ、 死刑くらうようなことをしなければいいだけのことでしょ? 最初から、こんなことしたら、最高刑で死刑があるよ〜って宣言してるのに、やってる人に何を今更・・・。 出来心で万引きしたりする人はたくさんいる。 しかし、出来心で殺人等凶悪犯罪はできません。
314 :
世界@名無史さん :2001/03/12(月) 11:59
ってゆうか、凶悪殺人犯に対して死刑反対なんて 心底本気で考えてる人間なんて皆無でしょ。 なんらかの思惑があるに決まってるよ。 ここの板の人だって、あえて反対って立場でディベートの腕試し したいだけなんじゃん?
315 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 12:43
でも、西ヨーロッパの国は死刑廃止だよね。 よく国民がだまってるよな。何考えてんだろ。 キリスト教的価値観のせいかな?それとも、本物の終身刑があるから それでいいのかな? 日本の世論調査では、死刑容認が80%らしいね。 殺された人の恨みに強くシンパシーを示す国民性も関係あるかも。 いやなのは、先進国がほとんど死刑廃止だから、日本も死刑廃止に すべきだとかいう連中。 そんなの、倫理観が違うんだから、法制度が違って当然。 誰かも言ってたけど、他国に平気でミサイル打ち込む方がよっぽど 狂ってるよ。
316 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 12:49
>>315 キリスト教なら、凶悪犯は悪魔にとりつかれたか、魔女に違いないから、
厳正な裁判を行なった上で処刑すれば、あなたのおっしゃる問題点は
簡単にクリアできます。
中世ではさかんにやってたから、今時できないってこともなかろうし。
317 :
315 :2001/03/12(月) 12:56
>>316 レスサンクス。
そういうこと過去にやってたなら、逆にその過剰反省をしてる
可能性もあるね。
もう一つ考えられるのは、死刑廃止のメリットが大きいのかも。
逃げて犯罪をくり返すくらいなら、捕まっちまった方が楽だと
犯人が考えるとか。捕まっても死刑にはならないし。
日本の凶悪犯も、もうすこしヨーロッパ人なみにタフになって、
何人も殺しながら逃亡するようなやつが出てくれば、
死刑廃止のメリットが出てくるかもね。
318 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 16:52
>315 確かにヨーロッパには死刑廃止国が多いのは事実だけど、それらの国の 国民の多数が死刑廃止に賛同しているというような話は、死刑廃止派の 口からさえも聞いたことがないんだよね。 むしろ、それらの国では一部の人権派議員が国連人権憲章を楯に議会を 押し切った感が強く、国民の意見としては死刑復活を求める声が過半数 を上回っている、といった話は聞こえてくるわけで。 こういう現状を見るにつけ、314氏の書いてるような「何らかの思惑」 の先にあるのは、つまるところ民主主義の破壊ではないかという気が しないでもない。
319 :
名無しさん@1周年 :2001/03/12(月) 17:13
ルーシーブラックマンさんのオヤジさんが言ってることが本音だと思うぞ。
320 :
309 :2001/03/12(月) 17:43
>>312 現在軽いとされてる犯罪でも被害者が重罪を望めば重罪になるのかってこと
まあ事後法は駄目だから、将来のために刑法改正ということになるんだろうけど
2ちゃんだとよく「レイプは必ず死刑」とか言うやついるでしょう
これは極端な例だけど、被害者感情で量刑を決めるのは無理では?
321 :
309 :2001/03/12(月) 17:45
よく見ると変な表現だ ×重罪を望めば重罪になる ○重罰を望めば重罰になる
322 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 18:00
アメリカで連続強姦魔が、出所したらまた再犯しそうだから、去勢してくれと、 申し立てたんだけど、人権保護団体がものすごい勢いで反対していました。 本人が希望しても、人権屋さん達は許してくれないようです。 その後どうなったのか解らないけれど、ご存じの方おいでですか?
323 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 21:41
324 :
名無しさんの主張 :2001/03/12(月) 23:49
ところで68@死刑反対さんは、逃げちゃったの?
325 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 00:13
>>320 でも、一万円盗むより、レイプする方が罪が重いってのは、
被害者感情に基づいてるよね。
被害者感情以外で、何に基づいて量刑をきめるの?
326 :
深海魚 :2001/03/13(火) 00:48
>317 ホンとにそんな事考えてるの?それは無いでしょ。 俺なら、どうせ死刑にならないのなら、殺したい奴は全部殺してやれと思うよ。 あと、俺なら家族を残虐な方法で皆殺しにされて、そいつが死刑にならなかったら、 絶対殺してやる、どんな手段を使っても。 >324 孤軍奮闘で、疲れたのでしょう。
327 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 01:02
どんなに頑張っても死刑制は無くならないよね。 賛成多数だもん。民主主義。
>>326 >俺なら、どうせ死刑にならないのなら、殺したい奴は全部殺してやれと思うよ。
>>259 を一度参照してみては?私は事の真偽は知らないけど。
329 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 01:31
死刑制度は犯罪予防効果がないという研究があるらしいけど、 どうやって研究したんだろうね。 死刑囚に「犯罪を犯す時に死刑の事を考えたか」と質問して 全員「考えなかった」と答えたというのが、「予防効果なし」の 論拠にされてるけど、そんなの、考えないようなドキュソだから 死刑になるような犯罪を犯したといえるわけでさ。 一般の人を対象に調査しなきゃ、凶悪犯罪予防効果の否定はできないよな。
330 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 01:37
>329 正論です。 おっしゃるとおり。
331 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 01:49
果たして死刑制度に犯罪予防効果があるのか、肯定も否定も証明できないでしょう。 賛成派も廃止派も事実を自分の都合のいいように歪曲してるだけ。
332 :
>329 :2001/03/13(火) 01:54
死刑以外のパラメータを「死刑存置」期間と「死刑廃止」以後で 完全に等しくしなきゃ比較なんて何の意味もないと思う。 戦争の後遺症を引きずってた時期、衝撃的な殺人事件の模倣が 大量に発生した時期、そんな感じで不確定な要素が影響を与えて しまうんだから統計なんて出鱈目もいいところ。
333 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 02:06
死刑には反対だけど連続殺人犯が隣に引っ越してくるのはこわい し...。
334 :
332 :2001/03/13(火) 02:10
仮に、死刑を逃れて無期懲役の刑が確定した加害者が服役し出所後に 被害者遺族の手で報復のため殺害されたなら、この場合、加害者が 死刑にさえなってればこの殺人は発生しなかったことになり、死刑に よる犯罪予防効果はあったといえるだろう。
335 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 02:19
死刑の適応をかなり制限するようになったのに従って、凶悪犯罪が増えた とも言えるわけだし。日本の場合。 統計なんてデタラメだよな。つくづく。
外国で死刑廃止したとこあるんでしょ、そこの犯罪率の増減は どうなってんのさ。外国の事例は文化の異なる日本には当ては まらない!と主張もできるけど。
338 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 03:20
>329 不出来な死刑廃止論者は、よく「死刑には犯罪抑止力がない」などと 言いますが、これは大変な誤りで、「ない」のではなく「わからない」 が正しいのです。 過去に海外で行われた調査は、廃止派寄りのものであっても統計学的 には「有意な相関が認められなかった」という結論に留まるもので、 何かが明らかになったといえるほどのものではありません。 仮に説得力を持つ調査結果が出たとしても、特定の地域での調査結果が 他の文化圏に適用できるという保証もありません。 また、ご指摘のように、犯罪者ではなく普通の人に対する意識調査は、 「たとえ法律がなくても人殺しはしない」と答えるケースが多くなる と予想され、あまり意味がないと考えられます。 では、素行の悪い犯罪予備軍的な連中に絞って調査すればと思いきや、 これが実のところ非常に困難です。なぜなら、死刑があるおかげで犯罪 を思い留まったことが実際にあったとしても、本気で殺人を犯す意志が あったことを暴露することはほとんど場合自らに不利益をもたらします し、下手をすれば別の罪状で逮捕されてしまう可能性もあるからです。 従って、死刑の犯罪抑止力を限りなく正確に調査することは現実問題と して「できない」といってもよく、今のところ抑止力論争は廃止派・容 認派どちらにもプラスに働くことはないのです。
339 :
329 :2001/03/13(火) 03:47
340 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 03:52
>>325 それは被害者感情じゃなくて国民一般の感情
逆に被害者が一万円盗まれるほうが許せないとしても、レイプのほうが重罪であることは変わらない
341 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 04:07
>>340 うん?
国民一般の感情は何によって決まるの?
被害者の感情を推測することによって決まるんじゃないのかなぁ。
一万円盗まれるほうが許せないという女性の方が多かったら、
一万円盗む方が重罪になるよ。
342 :
341 :2001/03/13(火) 04:14
個々の事件で、個々の被害者の感情によって量刑を決めるって言ってる わけじゃないよ。 ここでは、死刑存続について話してるわけだから、国民が推測する 一般的な被害者感情のことを言ってるわけだ。
343 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 05:50
68は自分の頭の中で自分の理屈が通ることが一番大事なんだろ? 真に酷薄なやつだな。
344 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 07:50
>343 ていうか、その理屈も破たんしちゃったよね。 通る理屈なら通してほしかったけど。
345 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 13:00
>>342 国民感情というのは社会的にどのくらい制裁を加えるのが適当かってことだと思うけど
刑罰というのは仇討ち代理じゃなくて法律違反者に対する制裁だろ
被害者が納得できないと困るから死刑存続というのは感情的すぎるよ
346 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 14:06
だから、こういう問題が日本で真に感情を切り離して神か機械のごとく 話がすすむわけないだろ? 勘違いした理想もってないか?
347 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 14:07
山口県母子殺害事件で、嫁と娘を殺された、24,5歳の旦那さんが、 無期懲役の判決が出た時、涙ながらに 「日本の司法に幻滅しました。犯人を早く世に出して欲しいです。私が殺します」 って言ってたよね。これが多くを物語ってない? エセ人権派の方々、この板で自信満々で死刑制度反対云々と語っているようなことを この旦那さんにも言えますか?
348 :
名無しさんの主張 :2001/03/13(火) 14:27
>>347 しっかりした人権擁護主義者ではなく、だたの盲目的な人権君というのは、
自分が他人に大事にされていない腹いせに暴れているだけなんだよ。
だから山口の事件で考えたら、被害者よりも
むしろ加害者側の人間なのさ。
349 :
名無しさんの主張 :2001/03/14(水) 02:31
>>345 法律で、「これこれをやったらダメ。破ったら、こんだけの刑罰」
って決まってるわけだよね。
そのダメっていう根拠はなに? 刑罰の重さを決める根拠はなに?
何人かの人にそれを指摘されてるのに、まだわからないの?
なんか同じような質問繰り替えしてるみたいだけどさ、
ちょっと真面目に考えてみてよ。
350 :
>345 :2001/03/14(水) 02:37
おまえがクーデターでも起して、独裁者になれよ。 そして法律を自分好みに変えれば? 民主主義ってもんをわかってないね。
351 :
名無しさんの主張 :2001/03/14(水) 06:05
>>345 死刑を廃止したいわけだよね。君は。
その根拠は?
>刑罰というのは仇討ち代理じゃなくて法律違反者に対する制裁だろ その制裁の「重さ」を決めるのは、究極的には、国民一般の応報感情 の納得性しかないだろ。 同義反復みたいになるかも知れないが、結局、死刑が存在するのは 「殺人罪などのような重大な犯罪で、特に同情する理由もない 者については、刑の上限として死刑がある方が納得できる」 と国民の多数が考えているからだ。 反対にいえば、 「どんなに凶悪残忍な犯罪でも、死刑があるのは納得できない」 と国民の多数が考えるようになったなら、死刑は廃止される。 ただそれだけのことだ。 「国民を納得させるために処罰されるなんてたまらない」 という者がいるかも知れないが、国民主権の世の中、 神や機械に立法を任せることができない以上、それ以外に 原理はない。
ずっと上のほうで憲法論が出てたが、日本国憲法で 死刑を明らかに肯定していると解釈されているのは、 31条ですね
354 :
深海魚 :2001/03/15(木) 00:23
憲法議論はもうイイでしょう。あと、民主主義だの共産主義だの独裁だのと言うのも。 それより、@死刑反対さんは、終身刑にも反対だったが、死刑廃止論者はみんなそうなの? 国民の納得によって、死刑は存続されてるみたいな方向になってしまってるけど、 再犯性も重要な要素じゃないか?前に、冤罪という事で、無罪を勝ち取った死刑囚が 釈放後すぐにまた、殺人を犯したけど、無罪になった時マスコミでヒーロー扱いされていた 弁護士や支援団体の連中は、殺された被害者の遺族に、何と言い訳するのかな?
355 :
名無しさんの主張 :2001/03/15(木) 01:57
凶悪犯罪多発のご時世、死刑は必要です
356 :
名無しさんの主張 :2001/03/15(木) 02:44
>>354 >前に、冤罪という事で、無罪を勝ち取った死刑囚が
>釈放後すぐにまた、殺人を犯したけど、
これって、2度目の逮捕後の調査の結果、以前に無罪を勝ち取った
事件も冤罪ではなく真犯人だったことが判明したというアレかな?
裁判所や弁護士、そして世間がこれだけコケにされた事件も珍しい
だろうけど、疑わしきは罰せずという原則がある現在の裁判では、
同じように本当は犯人なのに証拠不十分とかで無罪放免になってし
まったケースは少なくないのではと思う。
357 :
名無しさんの主張 :2001/03/15(木) 02:46
こんなに議論しても相容れない 賛成派と反対派。 これは全国民の投票で決めるしかないね。 多数決で決まったことは、絶対だからね。 民主主義だしさ。
>354 今まで多くの死刑廃止論者をみてきましたけど、終身刑 にも反対するのは少数派ですね。 こういう、ある意味で徹底的な主張は、ここでの議論を を見ればわかるように、現実との乖離が激しすぎてすぐ に手詰まりになってしまいます。
359 :
名無しさんの主張 :2001/03/15(木) 03:13
もし死刑が廃止になったら 仇討ちの為に「必殺仕事人」を結成します。 メンバー募集。
360 :
名無しさんの主張 :2001/03/15(木) 03:46
>>354 あの件は、事件の捜査に問題があって、そのせいで小野が無罪になったん
だよね。そのおかげで、捜査方法が進歩したらしい。
小野を閉じ込めとくべきだったという主張は真っ当だと思うけど、それなら
杜撰な捜査をした警察を責めるべきで、弁護士を責めるのは間違ってる
と思う。
「冤罪をはらしたヒーロー」てのは嘘っぱちだったわけだから、
そういう文脈で報道したマスコミは「有罪」だけどね。
361 :
名無しさんの主張 :2001/03/17(土) 15:32
人権問題板で似たようなのやってる。 また理屈屋がハッスルしてるよ。
>361 覗いてみたけど、ここよりレベル低くない? 馴れ合いの匂いがプンプンしてるし。
363 :
名無しさんの主張 :2001/03/18(日) 11:45
>>362 完全になれ合いだね。気持ち悪いよ。
死刑を話題にしながら、縁側で茶を飲んでる感じ。
364 :
名無しさんの主張 :2001/03/19(月) 00:26
>360 そうかなー? ああいうのを無罪にした弁護士って言うのは、「有能」「やり手」として、 引っ張りダコになるんだよ。有罪と判っていて法廷戦術を駆使して無罪に したか、そうでなければ、被疑者の嘘を見ぬけなかった無能者だと思うの だけど・・・。警察や、何より検察は責められるべきだけど、捜査にだって限界 は有るし、裁判は水物だし、裁判官の資質の問題も有るしね。 そうなると、一番責めらて然るべきは、裁判官か?
365 :
>364 :2001/03/19(月) 06:11
う〜ん、でも弁護士は「絶対クロ」と思っても、被告が「自分はシロ」と言えば 全精力を傾けて「被告はシロ」と主張するべきだと思う。 そういう役割なんだから。そういう役割を果たす人がいて、初めて裁判が公正 たりえるわけだよね。 小野の件は、警察と検察が悪いとしか言い様がないと思う。 いい加減な仕事したから、新たな被害者を生んだわけだ。 裁判については、俺自身専門家じゃないけど、一度「12人の怒れる男」 という映画を観てみると面白いよ。(邦題に自信無し。原題は12 angry men)
366 :
名無しさんの主張 :2001/03/19(月) 15:38
デビルズ・アドヴォゲートってやつだね。 世間を敵に回してでもこういう役割を演じる人は確かに必要なんだろうけど、 弁護士としてではなく一人の人間としての本音はどうなんだろう。 クロをシロにしてしまったことに対して多少なりとも心が痛むのだとすれば、 弁護士ってのも辛い商売だとは思う。
367 :
名無しさんの主張 :2001/03/19(月) 18:20
368 :
名無しさんの主張 :2001/03/19(月) 18:47
>>365 シロと主張するのは構わないが、意味もなく裁判を長引かせるのはやめれ。
369 :
ガキデカ :2001/03/19(月) 19:23
死刑! 制度維持存続キボンヌ
370 :
名無しさん :2001/03/19(月) 21:41
「死刑には抑止力がない!」「終身刑の方が辛い!」とかではなくて、 死刑に反対する人達の反対する根本的な理由って何? やっぱ、「どんな理由を持ってしても、国家が人の命を奪うことはでき ない」という、所謂ヒューマニズム的な理由なの?
371 :
名無しさんの主張 :2001/03/19(月) 21:54
何にでも反対してみたいお年頃、天邪鬼なんだよ。 とにかくアラ探してケチつければいいと思ってるんだな。
372 :
名無しさん :2001/03/20(火) 06:34
>370 こんなのはどう? 例え如何なる犯罪においてもその実在を証明する方法は皆無である。 有効な本人の自白でもない限りにおいてはね。 それは同時に犯罪というものは冤罪の可能性を常にはらむということを意味する。 冤罪の可能性を持つ事件を死刑にするということは反論の予知を奪って決め付けるということだ。 それは民主主義の理念つまりヒューマニズムに対して著しく反する行為だよね。 死人に口なし・・いい言葉だけど このような冤罪の可能性を見た場合、本人の了承無しに死刑を執行するのは問題となるよね。
373 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 07:59
>>372 > 例え如何なる犯罪においてもその実在を証明する方法は皆無である。
違います。
強姦殺人事件で膣内に残った精子、犯行現場にある血痕などからのDNA鑑定 etc
被告のDNAと一致すれば、被告の犯行と証明できますよ。
> 有効な本人の自白でもない限りにおいてはね。
> それは同時に犯罪というものは冤罪の可能性を常にはらむということを意味する。
有効な自白がなければ犯罪を立証できないという考えが、自白の強要、ひいては
冤罪を生んだのですが、、、、、
まあそれはそれとして、あなたは、有効な自白があれば犯罪を立証できるのだと
考えているんですよね。
それでは、有効な自白のある場合には、死刑も許容されるということでよろしいですね?
> それは民主主義の理念つまりヒューマニズムに対して著しく反する行為だよね。
なんかまた民主主義がでましたね。もしかして、憲法論議で自己矛盾に陥って逃げ出した人?
374 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 08:14
>>373 膣内に精子が残っていても「証明」にはならないな。
直前に合意の性交渉があって、直後に別人が強姦未遂をしたかもしれん。
犯行現場に血痕が残っていても「証明」にはならないな。
そこでたまたま出血しただけかもしれん。
もちろん自白も「証明」にはならない。
俺は別に死刑に強く賛成でも反対でもないけどな。
375 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 08:17
>370 通りすがりだが、 人殺しをする社会、ってのが嫌なんじゃないの。 しかも冤罪だったら何もしていない人間を殺すわけだしさ。
376 :
373 :2001/03/20(火) 08:25
>>374 > 直前に合意の性交渉があって、直後に別人が強姦未遂をしたかもしれん。
強姦殺人って書いてあるから、それをいうなら、
直前に合意の性交渉があった後殺されたか、殺された後死姦されたかだね。
いずれにしても、性交渉をしたという証明にはなるわな。
現場の血痕は、それだけでは証明にならないけど、そこでたまたま出血する
可能性がのない人間の血痕だったら、現場にいたことの証明にはなる。
自白が証明になるかどうかは、秘密の暴露などの要件がいるね。
死体を埋めた場所を自白して、そこから死体が出てくれば、
死体遺棄にかかわったことの証明になる。
377 :
名無しさん :2001/03/20(火) 08:26
>373 >上 DNA鑑定は必ずしもその人個人だと断定できるものではないよ。 数千万分の一の3乗ぐらいの確立で同じDNAを持った人はいるんだよ。 もう一発、精液と体細胞でDNAが異なる人間もいるからね。科学はよく理解しとこう。 裁判でDNAのデータ提示する時もこの確率を無視して同一人物だと言いはしない。 >有効な自白がなければ犯罪を立証できないという考えが、自白の強要、ひいては >冤罪を生んだのですが、、、、、 有効な自白と無効な自白の違いが分からないからそのような見当違いの意見が出るのだよ 冤罪になる自白が有効か無効かについては再度聞く必要もなかろう。 >有効な自白のある場合には、死刑も許容されるということでよろしいですね? 俺は死刑反対ではないがこの実在の問題を考えるなら 死刑は本人の了承を経なければ執行されるべきではないだろう。 つまり自分が無実だと主張する人間の死刑は問題となるだろうね。 >なんかまた民主主義がでましたね。もしかして、憲法論議で自己矛盾に陥って逃げ出した人? ふむ、別人だが彼は民主主義を理解しきってなかったようだね。 ヒューマニズムが分からないような人間は議論する資格すらないと俺は思うからね。 370で所詮ヒューマニズムと言い放つ人間にどれほどのことが言えるのかと思っただけだ。
378 :
373 :2001/03/20(火) 08:32
>>377 情状酌量による減刑を期待して自白した(その自白は、有効なものとされた)
が、死刑判決が確定した。本人は死にたくない。
宗教的理由により、真実を述べた(その自白は、有効なものとされた)
が、死刑判決が確定した。本人は死にたくない。
こういう場合は、どうなるんですか?
379 :
373 :2001/03/20(火) 08:46
>>377 の「本人の了承」とは、死刑ではなく、犯行内容に関してと言うことかな。
だったら
>>378 の質問の答えは、両方共死刑ですね。
いずれにしろ、嘘をつき通した人間は生き延びられて、反省し自白した
人間は死んでいいわけだ。
たいした民主主義&ヒューマニズムだわ。
380 :
370じゃないが :2001/03/20(火) 08:59
結局
>>377 の意見は
>>379 が書いている通り
> いずれにしろ、嘘をつき通した人間は生き延びられて、反省し自白した
> 人間は死んでいいわけだ。
ということになるね。はぁ、なんと軽い馬鹿げた意見だろう。
そんな人間が口にするから「たかがヒューマニズム」と呼ばれるわけだよ。
わかったかい?
381 :
名無しさん :2001/03/20(火) 09:20
>>379 うむ、その通り。両方とも死刑だ。
しかし反省したから、嘘をつかなかったからと言って減刑されるのがヒューマニズムだと思って欲しくは無いね。
正当性なくして、甘ったれたロマンチズムを振りかざして減刑などは全く民主主義とは相容れんものだ。
そこらへんが安易なヒューマニズム批判に繋がった原因なのだろうがな。
382 :
372 :2001/03/20(火) 09:28
まぁ議論の本題とは関係ないからヒューマニズムについて高説する気はないが 感情論と一緒にされては困るねぇ。 民主主義とは極めて科学的に産みだされた理念なのだよ。 >いずれにしろ、嘘をつき通した人間は生き延びられて、反省し自白した > 人間は死んでいいわけだ。 んで、これだけど君は嘘をついている人間とついていない人間の差が分かるのかね? それが分かるのなら話は簡単だ。君が裁判官になればよい。 そうすれば万事うまくいく。
383 :
380 :2001/03/20(火) 09:33
>>381 嘘をつき通すことで多大な利益を得る(死刑にならずに済む)
ことが正当かどうかという話。
ヒューマニズムの名の元にこれが正当化されるとすれば、そんなものは
人類にとって害悪にしかならんね。
384 :
372 :2001/03/20(火) 09:37
>380 では、そのために冤罪の危険性を無視してよいのかということだな。 逆に冤罪にあった者は多大な損失(殺される)を被るわけだ。 これは正当なのだろうか。 同じくヒューマニズムの名のもとに正当化することではないだろう。 この論の問題は冤罪だということだけではない。冤罪で、かつ、死刑ということだ。 ただの冤罪なら冤罪を晴らす可能性はある。 しかし、死刑になった冤罪は二度と晴れない可能性がある、ということだ。
385 :
380 :2001/03/20(火) 09:41
>>382 > んで、これだけど君は嘘をついている人間とついていない人間の差が分かるのかね?
> それが分かるのなら話は簡単だ。君が裁判官になればよい。
それはわからないけどね。
じゃあ、懲役刑はなぜ許されるの?君の意見だと、
反論の機会があるって話だけど、裁判官を信じさせるような
証拠が出ない限り再審なんてまず無理だし、その可能性は限り無くゼロに近い。
冤罪(冤罪であることを証明する証拠は皆無)で懲役刑を受ける
可能性があるのに、懲役刑を許す根拠は?
386 :
380 :2001/03/20(火) 10:01
>>384 > ただの冤罪なら冤罪を晴らす可能性はある。
> しかし、死刑になった冤罪は二度と晴れない可能性がある、ということだ。
>>385 にも書いたけど、冤罪であることを晴らせないで終わる
(冤罪を晴らせないまま懲役囚が死んでしまう)懲役刑は
確実に存在するよね。
それに異論はないだろ?
それを許す根拠を示して下さいよ。
でないと、冤罪の可能性を理由に死刑(あなたの場合、本人否認の状況下での)
を禁ずることは出来ないよ。
387 :
372 :2001/03/20(火) 10:09
>386 単純に自然死かどうかだろう。 結果として冤罪を晴らしたかどうかが問題ではない。 冤罪を晴らす機会が与えられたかどうかが問題だからだ。
388 :
380 :2001/03/20(火) 10:19
>>387 死刑囚も執行までの間、冤罪をはらす機会を与えられているが。
しかし、冤罪をはらす機会というのは、実質的な利益かね。
冤罪をはらせるかどうかは、運次第であって、
結果として晴らせなかった者にとっては、そんな機会与えられても
与えられなくても全く同じだよ。
389 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 10:24
390 :
>388 :2001/03/20(火) 10:32
激しく同意
391 :
372 :2001/03/20(火) 10:35
>>388 >死刑囚も執行までの間、冤罪をはらす機会を与えられているが。
執行までの間?法務大臣の判子押しを言ってるのか?
そんなもので機会があるとは言えないのは分かるだろ?
>結果として晴らせなかった者にとっては、そんな機会与えられても
>与えられなくても全く同じだよ。
このような思想がヒューマニズムに反する思想なのだよ。
大事なのはいかに自己の責任を自己に還元するかなのだよ。
正当性や不当性と全く関係なく自己の実質的利益のみを利益と見るのがヒューマニズムの観点から見ると危険なのだよ。
さぁ議論をするならお互い無知のヴェールをかけましょう!
392 :
380 :2001/03/20(火) 11:04
>>391 > 大事なのはいかに自己の責任を自己に還元するかなのだよ。
冤罪をはらす機会は、捜査、裁判の間ずっとあるわけだよね。
刑の確定後、冤罪をはらす新たな証拠が出てくるかどうかは
>>388 にも
書いた通り全くの運次第(自己の責任とは全く関係ないところで決定される)
だね。
だから、冤罪をはらす機会を与えられても、それを有効利用できるかどうかは、
自己の責任とは全く関係ない。
393 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 11:07
すべての罪を極刑までひろげよ。
394 :
372 :2001/03/20(火) 11:22
>392 >冤罪をはらす機会は、捜査、裁判の間ずっとあるわけだよね。 この論法では冤罪そのものが成立しない。 裁判の判決までの過程を指して冤罪を晴らす機会とは呼べない。 それまでがいまだ冤罪でないからだ。 さらに380は論じてないが三審制を挙げる者もいるだろう。 しかし三審制を持って冤罪を無しとするには問題がある。 なぜなら三審制を持って自己の冤罪を晴らす責任を全うさせるには三審制そのものへの了承が必要だからだ。 この決定を被告が選択できることは法的な実行力が喪失することを意味する。 >388にも書いた通り全くの運次第(自己の責任とは全く関係ないところで決定される)だね。 残念ながらそうとは言えない。なぜなら本人の刑の了承の有無が大前提となるからだ。 確かに本人がいかに冤罪だと主張しても運が悪ければその冤罪を晴らす証拠は出てこない。 しかし、本人が冤罪だと主張しなければ運をもってしても冤罪を晴らす証拠は提示されないのだ。 それは冤罪如何でなく自己がその罪を犯したことを了承したということだ。 その了承無しに了承するしないの選択を破棄させることはできないということだ。
395 :
372 :2001/03/20(火) 11:32
>380 出かけるから議論はまた後でな
396 :
380 :2001/03/20(火) 11:32
>>394 冤罪の定義は了解。三審制への了承云々も、意味のない議論だと思うが、
言ってることはわかる。
> なぜなら本人の刑の了承の有無が大前提となるからだ。(以下略)
本人が冤罪だと終始一貫主張してるってのは、この議論の前提。
当然、その上での話。
冤罪をはらす機会を与えたところで、自己の責任を自己に還元したことには
ならない。
なぜなら、それをはらせるかどうかは、運次第だから。
397 :
名無しさん :2001/03/20(火) 12:13
確かに、どのような場合でも究極的には冤罪を孕む可能性はあるのかもしれないが、 それを言ったら全ての「罪と罰」の関係が成立しなくなるぜ。 そのために人間社会において、民主主義を担保させるには、議論(裁判)が必要な んだろ?「その議論(裁判)が問題だ!」とならば、逆に民主主義を否定している ようなところもあるぜ。 まあ、個人的には、世の中にはある人間にとったら、「生きるに値しない人間」は、 絶対にいると思っているけどね。
398 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 12:34
死刑は甘い。一生苦しめるような刑にしろ。
399 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 13:33
冤罪を恐れて、死刑を止めるというのも、変な話だな〜・・・。 死刑でさえなきゃ、かまわんっちゅーことかいな? 30年、刑務所で暮らして、出てきてから、冤罪が証明されて・・・・ で、どうするよ?責任とれるのか? 痴漢に間違われて、会社クビになって、家族ににげられ・・・・・ あげくに、間違いでした。っていわれてもね〜・・・ ま、死刑じゃないから、いいじゃん!!で済むか? 冤罪の悪さは、当然、刑の重さによるわな。 罰金1万円の冤罪なら、たいしたことないけど、死刑の冤罪は 重大だわな。 でもな、どこまでの冤罪を容認するかっちゅー話なら、 少なくとも、禁固なら、もうダメだろう。 その人間の人生が狂うからな。もう戻らんのよ。幸せな人生は。 ま、全ての刑罰廃止が理想なんだろうな。 弱肉強食、悪人天国・・・ 案外、個別の復讐がビジネスになっていいかもな。 例の山口の母子殺害事件の被害者だったら、 今の日本の制度より、喜ぶんじゃない? 死刑反対論者って、これを狙ってるのか?
400 :
深海魚 :2001/03/20(火) 16:16
確かに、冤罪の危険性は有るよ。絶対に無いなどとは言えない。 だけど前にも書いたけど、今の日本で冤罪で死刑を執行される奴なんて、いるのか? 「こいつは無罪の確立が、0.1%ぐらいはあった」と言えるような死刑囚がいたら 教えてくれ。帝銀事件の平沢死刑囚は、ついに執行されることなく、人並み以上に 長寿でした。
401 :
名無しさんの主張 :2001/03/20(火) 22:52
裁判のことはあまり詳しくないけどさ、死刑判決が下りるケースって、 実際のところ疑う余地のないぐらい証拠とか揃ってるんじゃないの? それでも可能性がゼロではないからどうこうって言うのは、駄々っ子 みたいな印象を受けるよ。 大体、冤罪に限らず「絶対にありえないとは言えない」といった性質 のものを根拠にして殊更に何かを主張すること自体おかしくないか? 絶対にありえないとは言えないものなんてほとんど無限にあるんだし、 人の生命に関わることに限定したとしても腐るほどあるわけでさ。 別にそれらを軽んじろとは言わないけど、逐一それに縛られていたら もはや世の中なんて回んないよ。
402 :
深海魚 :2001/03/21(水) 00:05
つまるところね、死刑反対論は、憲法だの民主主義だの先進国だのと持ち出して、 最後の砦が冤罪な訳。でも、それでも堂々巡りか過去レス読んでないかのどちらか。 そんで、そのうちいなくなる。 もっと、ハッとするような意見の有る人はいないのかな?
403 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 00:12
ヤクザもソウカも制御することが出来ない警察に 冤罪撤廃を求めても無理。 ダークパワーに掛かればどんな善人でも有罪。
とりあえず訊いておきたい点を。
>>377 「ヒューマニズムが分からないような人間は議論する資格すらないと俺は思う」
ネタですか? その意見をミンシュ的なものとする根拠が知りたい。そもそも
ヒューマニズムって何によって定義され、何によって明示されているんでしょうか?
>>394 そもそも個人をそんなに尊重することが理想の統治なんですかね? 義務教育なんか、
本人の意思とは関係なく強制されていて、しかもそれを改める手段を被教育者は一切
持っていないんだが、これってヒューマニズムに反するんですか? 先進国どころか
ほとんどのマトモな国では行われている制度なんだが。
ちょっとヒューマニズムには暗いので、これを機会に啓蒙してほしいんだが。
405 :
一匹狼的社員 :2001/03/21(水) 00:19
死刑は必要。 もし俺に娘がいて、誰かに強姦殺人なんかされたら、 見つけ次第殺すだろう。
406 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 00:44
冤罪の話とは大幅にずれるが、初めにもどって 刑法の目的とは(若干概念がいろいろであるが簡単にいえば) @犯罪者に刑罰を加えることで平たくいえば罪改めさること(まあ再教育) A犯罪者にサンクションを加えることでその他一般人を威嚇し社会秩序を維持 ↑これが現代刑法 が、死刑の場合@犯罪者の再教育という側面は絶対にあり得ない よって死刑の目的は専らA威嚇による社会秩序維持に求められることになる では、目的A社会秩序維持のために死刑制度が真に有用であるか? これが問題 実際に死刑を廃止したからといって凶悪犯罪が増えたという報告はない まあ、もう一点いえば(これは目的論ではなく刑罰本質論として議論されるが 悪に対する応報としての刑罰の必要性がある(目には目を、歯には歯を) 相応する悪に対しては死刑をもって望んでよいという論法 まあここらへんはカントあたりにさかのぼることになるが、 あ?何を言おうとしたんだ?忘れた… まあ適当に議論してくれ あと、上を読む限り憲法、人権、民主主義等々を軽んずる輩がいるが、論外だ まあわからんだろうが一応理論上は我々が今日あるのはこれらのおかげ 2ちゃんがあるのも表現の自由があるからにほかならぬ 日々勉強にはげめ
407 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 01:13
例えば、凶悪犯が捕まってやね、 んでもって、こいつを更生させる最良の方法が、 お小遣い100万円あげることだと証明されたとするね。 例えばね。 で、これをしても、犯罪の増加がなさそうだと、 これまた、証明されたとするね。 例えばね。 そうすると、おもしろ半分に、人間を殺しまくって 遊んだ凶悪犯に、お小遣い100万円を、税金から プレゼントするの? これが刑法の精神なの? だとすれば、刑法の考え方って、変やわ。 根本から考え直さにゃ〜〜〜〜。 やっぱりここは、 @個人の復讐には、問題があるから、国家が代わりに復讐する。 A神様がいればOKなんやけど、いないから、人間が代わりに罰を与える。 悪事には、それ相応の報いがあるんじゃ。 B更生していない人間は、絶対に許さない。 更生させてやろう、じゃなくて、オノレ、更生せんのやったら、絶対、娑婆に出さんし、 あんまり強情なんやったら、税金の無駄やから、始末したるワ!!ってことね。 ってなところが、健全な考え方みたいに思うけどね〜〜〜。 ま、現行の刑法よりは、マシな考え方やとおもうけど。 どう?
408 :
372 :2001/03/21(水) 01:30
おーすごいな。さすが社会板だ。レスのつき方が違うなー とりあえず全部にまじめに回答出来ないから適当にレスつけて回るねー >397 >それを言ったら全ての「罪と罰」の関係が成立しなくなるぜ。 >そのために人間社会において、民主主義を担保させるには、議論(裁判)が必要な >んだろ?「その議論(裁判)が問題だ!」とならば、逆に民主主義を否定している >ようなところもあるぜ。 なぜ死刑に限り問題があるのか。それは反対意見を永久に抹殺するからだ。 議論の結果一つの意見が出たとして、それが必ずしも絶対に正しいとはならないのが民主主義だ。 反論は残さなければならない。 でも冤罪で死刑にしたら反論を抹殺することになるでしょ。 >399 上に同じね。冤罪は間違った判断、それ自体はある意味仕方がない。 でも冤罪で死刑は本質的に違う。 間違った判断で「その判断は間違っている」という意見を消すことになる。 これが問題なのです。 >400 冤罪の可能性が全く無い死刑囚がいったいどれほどいるのか。 実在の問題を真摯に考えるならばほとんど皆無と言ってさえよいでしょう。 我々は所詮アイコンの中で暮らしているに過ぎないのです。 まぁそんな奴ら無視すべきだと主張するならそれで構わないですけどね。
409 :
372 :2001/03/21(水) 01:30
>401 うむ。なかなかのいい意見ですね。 そもそも今の法が実在に沿っているのかすら疑問符がつきますからね。 いっそのこと、そのアプローチ自体を放棄するのもまたよいのかも。 >402 過去レスは流し読み程度。全然真剣に読んでない。 だって馬鹿が死刑反対ってわめいてただけじゃん。 つっこみも甘かったけどな。(冗談よ 冗談) >404 長くなるから後回し >405 ほいどうぞ。でも殺す相手の許可ぐらいは取りなさいな! >406 関係ないところでレス。 カントの言う悪とは意思悪。つまり結果ではなく悪い事をしてやろうとした意思がその本質だということです。
410 :
372 :2001/03/21(水) 01:45
>404 あんたあたま良さそうなコテハンだから答えますッス。 啓蒙とまではいかないけど俺の知る限りを教えるッス。 長文スマソッス。 >その意見をミンシュ的なものとする根拠が知りたい。 逆です。民主主義の後ろ盾となるのがヒューマニズムです。 だからヒューマニズム無き民主主義はエセ民主主義ってことね。 >ヒューマニズムって何によって定義され、何によって明示されているんでしょうか? 俺の意見としては個人の共感でしょう。破棄してはならない理由はどこにもないよ。 まぁ素晴らしすぎて涙が出てしまう代物と思ってください。 エセヒューマニズムは無視すべし! >義務教育について ここで答えるより先に民主主義についてその後ヒューマニズムについて語ってから答えようと思う。 OK?否定意見がないとまじで長文書いちゃうよ。5分後ね。
411 :
380 :2001/03/21(水) 01:55
ん?結局
>>396 には答えてくれないの?
まあ、君の意見を聞いてると、偉そうに振るい舞いたいと言う子供らしい
遊び気分しか感じないんだけど、実際にその意見も子供っぽいね。
君は
>>394 で
> 確かに本人がいかに冤罪だと主張しても運が悪ければその冤罪を晴らす証拠は
> 出てこない。
なんて書いてるけど、現実を考えてごらんよ。
三審の間必死に捜した自分の無実をはらす証拠が、何年も経ってから出てくる
可能性と言うのは、限り無くゼロ。つまり、宝くじに当たるような運の良さが
なければ、冤罪ははらせないんだよ。
つまり、冤罪をはらす機会を与えたところで、自己の責任を自己に還元したこと
には ならないんだ。
つまり、君の論理では死刑はダメだが懲役刑は良いという結論は導けなかったわけ。
まあ、君の言うヒューマニズムと民主主義でもって現出するのが、
「嘘をつき通すことで多大な利益を得る(死刑にならずに済む) 」
という現象だから、お笑いとしか言い様がない。君はお笑いヒューマニストだ。
上記のような状況にならないように、冤罪をなくす努力をするという方向でしか
冤罪の問題は解決できないんだよ。
民主主義について説明入ります。 現在の民主主義は2つの理念から成り立ってます。 1民主主義の原理 2多数決の原理 民主主義の原理は国際連盟を思い浮かべてくれればよい。 充分な議論の末に全員の意見を一つにすることができたなら その理論は正しいとして実行する価値があるというものです。 しかし国際連盟を見ても分かるようにそれは現実として実行力を持たないのです。 で、実行力を持たせるための理念、それが多数決の原理です。 充分な議論の末に最多数の賛成を得た論は全員が賛成した論であることと等価とする。 これが多数決の原理です。 しかし多数決の原理ですら民主主義の束縛にあう。 つまり本当に民主主義なら多数決の原理の導入を全会一致で可決しなければならないのです。 現状では我々は産まれてからすでに多数決の導入に賛成している状態と言えますね。 続きます。
>411 悪ぃ 396の存在 思いっきり忘れてた。 まぁ自己の責任については君と俺で想像するところが違うだろうから 俺の民主主義についての説明を聞いてから反論を聞いてくれ。 この下で続きな
で、この民主主義の後ろ盾になぜヒューマニズムがくるかというと 民主主義とは議論の末に意見を一つに統一する。 これは人からその地位や裕福さを取り除いた純粋な理論だけで最高なものを求めるということだ。 つまり民主主義の前では全ての人の意見が等価でなければならない。 そしてそれは絶対に守られねばならない。 これがヒューマニズムの後ろ盾を持つといったわけ。 それは我々が議論をする時には全ての自分自身に対する知識を捨て去らねばならず 社会の中で如何なる人間として生まれるかも分からないものとして思考しなければならない。 こう言うと俺がバリバリの契約説信者だとバレるけどまぁ契約説の思考が骨組みとしてあるというわけよ。
>380 で、民主主義と責任についてだけどちと省略すると 民主主義はその責任を全ての人間に還元するシステムとして価値があるわけ。 別に全員で意思を統一したからといって必ずしも結果がよくなるわけではないからね。 でも民主主義的に決定すれば全員がその責任を負える。 逆に言えば民主主義的でなければ責任が負えないのだ。 で、話は戻って冤罪で死刑の話だけど、冤罪で死刑にするということは 民主主義的に決定したことに反論がある者を意見自体抹殺するということなんだ。 これは殺された本人は民主主義というシステムに関わってないよね。 つまり責任が負えないのだよ。OK?
416 :
372 :2001/03/21(水) 02:25
終ったからあげるよ。 恥ずかしがらずにガンガンレスつけてね。 俺の師匠の言葉。(面識ないしもう死んでるけど) どんな意見でも否定意見には価値がある。 相手が間違っているなら間違っている意見を否定する。これは良いことだ。 相手が正しいなら相手は間違った意見を理論的に退けることでその正しさがより証明される。 これはなお良いことだ。
なんかレスつかなくて寂しいや・・逝こう
418 :
>416 :2001/03/21(水) 02:36
> 民主主義的に決定したことに反論がある者を意見自体抹殺するということなんだ。 裁判の間、意見を述べる自由は保証されてるが。 三審で不十分という意見は、被告の意見開陳にはあてはまらない。 なぜなら、一つの裁判で被告は事実上無制限に意見開陳する機会を与え られるから。 というわけで、御苦労さんだったけど、無駄だったね。 何の役にもたたなかったよ。
やべやべっ
404の義務教育に対する返答を忘れていた。
>>404 義務教育が個人の尊重と反するか。答えはNOだ。
なぜなら子供は個人に当てはまらないからだ。
民主主義が語る個人は社会の責任を負える人間に限られる。
だから責任能力がない人間(老人でそういう手続きをした奴とか子供)
は責任を負わないでいい分、いくつかの権利も剥奪されるわけだ。
子供に教育が義務付けられるのは責任を負える個人にならなければならないからだ。
ヒューマニズムがいかに素晴らしかろうとそれをヒューマニズムに当てはめることはできない。
それは自己言及でしかないからだ。
そんじゃこんどこそ逝ってきます。
420 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 02:46
>>408 >間違った判断で「その判断は間違っている」という意見を消すことになる。
>これが問題なのです。
まずね、意見そのものは、他人も主張出来るから、意見は消すことにならないと
思うけど・・・・。
でね、「意見を消す事になる」という主張が正しいとしても、
意見さえ残れば、冤罪で100年刑務所にブチ込んでもOKという事?
脳だけを取り出して、生かしたまま保存する技術が確立すれば、刑として
脳のみを生かして保存するというのも、可能になるよね?
この刑罰なら、冤罪でもOKなの?
どうも、そのあたりの理屈が理解出来ないんっすけど・・・・・
421 :
372 :2001/03/21(水) 02:48
>418 三審制の裁判で充分と見るか否かは意見が分かれるところだろうね。 しかし充分とは言えないという立場に俺は立つね。 なぜなら司法のあり方に対して個人の了承を得るという方法がすでに実行力を破棄した司法にすぎないと考えるからだ。 まぁ冤罪が全く無いと主張するなら意見の交じりようが無いので それはそれで構わないのだがねー。
422 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 02:50
>>415 >で、話は戻って冤罪で死刑の話だけど、冤罪で死刑にするということは
>民主主義的に決定したことに反論がある者を意見自体抹殺するということなんだ。
>これは殺された本人は民主主義というシステムに関わってないよね。
>つまり責任が負えないのだよ。OK?
じゃ、民主主義で決定しなけりゃ冤罪で死刑もOKなのね?
江戸時代みたいな専制君主制でも、やっぱり冤罪はダメだと思う
けど・・・・・。
423 :
372 :2001/03/21(水) 02:51
>418 ごめんごめん。肝心なことを言い忘れてた。 例えどんなに自分の意見を語っても民主主義的には死刑にできないよ。 民主主義は仮に決定が出た後でも覆せる可能性が無ければいけないからね。 一回決めて、はい、それでずっと続行ではないんだな。これが。 民主主義では異なる意見を抹殺する手段は言論以外に無いのさ
424 :
372 :2001/03/21(水) 02:55
>422 江戸時代では正当性も不当性もクソもないってことさ ま、何が善くて何が悪いかなんて一概に言えない現代ってことさ
425 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 02:59
>>424 要するに、中国での冤罪死刑はOKだけど、日本での冤罪死刑はダメなわけだ。
426 :
380 :2001/03/21(水) 03:03
>372 なんだ、期待してたのにそれだけか? 全然質問に答えてないじゃないか。 何度もくり返すけど、冤罪をはらそうと努力しても、 それを実際にはらせるかどうかは、三審でも証明できなかった 自らの無実を証明する証拠が出てくるかどうかにかかってるわけ。 それは自己の責任を越えたところで決まるわけさ。
427 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 03:04
>425 >要するに、中国での冤罪死刑はOKだけど、日本での冤罪死刑はダメなわけだ。 その言葉下手に答えたら俺が中国に連れ去られてしまうではないか! ま、今のところ全ての国は民主主義を掲げてますので・・・ 中華人民共和国も人民の意思に従い・・と、のたまっているでしょ。 現実にどうかはおいといてね・・・
428 :
418 :2001/03/21(水) 03:06
>>423 >民主主義では異なる意見を抹殺する手段は言論以外に無いのさ
その民主主義の定義って、どこで決まって、何によって効力を持ったの?
一部の吉外の妄言でしかないじゃん。
429 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 03:12
>428 カール・ポパーでオーストリア人。 彼の経験的な科学観に沿って理解されるようになったね。 効力をもった理由はみんな素晴らしいと思ったからさ。 特にプラグマティックな知識観を持つ連中にはね。 まぁ西洋人独特の思想がそのおおもとさ。 そいつら全部キティなのかもしれんがね。
430 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 03:13
427=429=372だ。悪ぃ悪ぃ。
431 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 03:18
>372 あんまり、わかんないんだけど、民主主義と裁判の結果とに、何の関係があるの? 死刑囚からの主張(意見?)って、『証拠の信憑性』についてだけですよね。 採用された証拠はウソや、とか、オレが無罪の証拠がアルで、とか。 で、なんで、民主主義が関係するの? ウソっぱちの証拠でも、多数決で、信憑性有りになるの? 正当な証拠でも、多数決で、信憑性無しになるの?
432 :
428 :2001/03/21(水) 03:18
>429 なんだ。 「そいつら全員吉外です」 それで終わりなんだ。つまらん。
433 :
372 :2001/03/21(水) 03:24
>431 問題は間違った判断の可能性があるわけで 「俺はやってない」と主張する人間をいやあんたはやったんだと言って 殺すこと(その意見を封じる事)は民主主義の根本の理念に反するということさ。 彼自身が否定しているのは他でもない「あんたがやった」という意見だ。 その意見に従って「殺すね&hearts;」というのは問題が多いにあるということさ。 >432 その通り。全員キチガイだと言われたら俺には反論のしようが無いね
434 :
372 :2001/03/21(水) 03:52
もしかして俺426に答えてない? >426 責任の語のとり方だろう。 民主主義的な社会において民主主義的な正当性を受ける限りにおいては 自己の行為は自己の責任において成すことができる。 しかし不当なら責任を負えないのだ。 んで不当なわけ。OK?それともまだ〜?
435 :
401 :2001/03/21(水) 04:58
>>372 =409
誉めてもらってサンキュー(藁)だけれども、このアプローチを
放棄してどうなるものでもないんじゃない?
「全てのものは疑いうる」って言ったのは誰だったか忘れたけど、
真に正しいものなんて見つかりっこないんだし、結局どこかで妥協
するしかないんじゃないかな。
それと408についてなんだけど、
>なぜ死刑に限り問題があるのか。それは反対意見を永久に抹殺するからだ。
無罪を主張しているのが被告本人だけで弁護士も支援者も誰一人
いない、もしくは、被告の死刑が確定した暁にはそれに味方して
いた者も全員皆殺しになる、とでもいうのならわかるけど、そう
でないなら反対意見が抹殺されたことにはならないんじゃない?
民主主義の元では、何か物事が決まった後はそれに反対を唱えて
いた者でも不当な扱いを受けないことが、言論の自由を保障する
上でも重要なことになってるよね。
現に、被告は無罪を主張したという理由で罰せられたりはしない
わけで、これは個人というものと、それが放つ意見とを分けて考え
ているからこそだと思うんだけど、あなたの場合、あたかもその
二つが一体化されているように見えるんだけどなぁ。
ま、その後のレス見てあなたの言いたいことは大体わかるんだけ
ど、それって最後に行き着く所は民主主義論というよりは人権論
なんじゃない?
436 :
380 :2001/03/21(水) 05:23
>>434 > 民主主義的な社会において民主主義的な正当性を受ける限りにおいては
> 自己の行為は自己の責任において成すことができる。
> しかし不当なら責任を負えないのだ。
> んで不当なわけ。OK?それともまだ〜?
だったら死刑もOKだろうが。何言ってんだ。
437 :
名無しさんの主張 :2001/03/21(水) 09:19
>>372 >「俺はやってない」と主張する人間をいやあんたはやったんだと言って
>殺すこと(その意見を封じる事)は民主主義の根本の理念に反するということさ。
あなたの言っている民主主義とは立憲民主主義の事だと思うけど(じゃないと
説明が合わない)、殺人事件の被疑者が「俺はやっていない」といっているときに
いややっているとしてその意見を封じるのは別に民主主義に反するものではないと
いうか民主主義は関係ないでしょ。
なぜなら殺人を犯したか否かに対する判断というのは事実判断で価値判断
じゃないから。つまり学術論争なんかと同じだね。
すまんのう。昨日は寝ちゃったのです。
>372(
>>410 )
「個人の共感」というのは随分と幅が広いが、民心にかなうという意味であるなら、
民主制だろうと君主制だろうと、それが理想の統治であることには変わりない。
問題は、死刑制度の例にしても、「素晴らしすぎて涙が出てしまう代物」と民心が
一致しない場合のことだと思うのだが。究極のところ、人民裁判を肯定するのかって
話になってしまうと思うが、とりあえずそこまでは言及しない。
まず疑問なのは、納得してない行為に対して懲役という人権侵害を適用するのは、
何を根拠に許されるのか、ということ。反論する機会さえあれば何をしても許される
というのであれば、少数派に対する人権侵害政策も選挙権さえ与えていればOKとい
うことになってしまうが、さすがにそれは主張すまい。「反論する機会があってもヒュー
マニズムの見地から許されない人権侵害」があるのだったら、それと懲役とはどう
区別されているのでしょう。
あと、被告人が自供しようと、完全なる有罪の証明はできません。被告が催眠術を
かけられていないという証明が不可能だから。
義務教育について(
>>419 )
子供を「責任能力がない人間」と断定するのは何を根拠としてなのだろうか。その
見解は覆すことができるのだろうか。そもそも子供が自分に責任能力があることを表
明する機会は与えられているのだろうか。そして、「責任能力がない人間」という断
定はヒューマニズムなのだろうか。
ちょっと他の人のレスが多すぎてアレなんだが、とりあえず。
B型スレのほうも応援してます!>誤痴鋭さん
440 :
372 :2001/03/21(水) 19:00
>435、437 ちとめんどいから一緒くたにレスするねー 俺が言ってる問題は人権の問題ではない。原理の問題だ。 だから俺が言う民主主義も理念であって立憲民主ではない。 では何が原理に反するのか。 裁判官の意見「あんたは人を殺したから死になさい。」という意見に対し 冤罪死刑囚が主張するのは判決に対する「俺は人を殺してないから死ぬべきでない。」という反論は 裁判官の意見に従って抹殺されてはいけないということだ。 冤罪死刑囚が反論するものが裁判官の言葉であるからだ。 死刑にしたかったら別の人をつれて来いつーことだ。 具体例として 次のような論理は論理の構造としてすでに問題がある。 ある法律があったとしてその条文に ・この法律は正しい ・この法律に異論を唱える者は死刑 の二文が存在してはしてはいけない。論理として問題があるわけで この冤罪死刑も同じく原理に反するから問題なのである。 冤罪で死刑と冤罪で懲役とどう違うのかという質問が多かったが 死刑は懲役に比べて相手の言動と意思を抹殺するという性質を持つ。 その箇所がまさしく原理に反するのだと言える。 冤罪で懲役は所詮人権問題レベルに過ぎないということさ。
441 :
372 :2001/03/21(水) 19:04
>380 何か変化ないねー 同じこと何度も言うのは嫌いだからこっちから質問 冤罪で死刑になった人はどのように責任を負えるのですか? もしくは、冤罪で懲役を受けた人はどのように責任を負えないのですか? 議論に発展性なかったら俺はどんどん冷たくなってくからね。
442 :
372 :2001/03/21(水) 19:24
>誤痴鋭 長文レスいくよ >まず疑問なのは、納得してない行為に対して懲役という人権侵害を適用するのは、 >何を根拠に許されるのか、ということ。反論する機会さえあれば何をしても許される >というのであれば、少数派に対する人権侵害政策も選挙権さえ与えていればOKとい >うことになってしまうが、さすがにそれは主張すまい 不当な行為はもちろんよくない。きちんと取り締まるべきではあろう。 冤罪で懲役刑も許されるべきではない。 しかしそれより問題となるのは「不当な行為を受けた時にそれが不当だと主張する行為」を奪うことであろう。 俺が冤罪で懲役を議論の舞台の上に持ってこないのは例え不当であってもそれを主張できる分、死刑とは根本的に異なるということだ。 >あと、被告人が自供しようと、完全なる有罪の証明はできません。被告が催眠術を >かけられていないという証明が不可能だから。 うむ。確かにその例がある限り自自供があろうとも断定はできない。 しかし、催眠術を一般例に入れる必要性はない、と言えるだろう。 催眠術に限った事ではない。洗脳、精神異常、そしてボケから子供に至るまで言えるであろう。 たいていの場合、社会と人間を語る時、「人間」という語は責任能力を持った人間と言う前提で話される。 今回も然りだ。ここで登場する人間もまた責任能力を十二分に持つ者でなければならない。 催眠術で自白した者、さらに言えば催眠術によって他人を殺した者であろうとも、一般例として議題に挙げるべきではない。 このように責任能力の有無で対応が著しく異なるケースは昨今の犯罪情勢でみな詳しいと思う。
443 :
372 :2001/03/21(水) 19:44
>誤痴鋭 >義務教育について >子供を「責任能力がない人間」と断定するのは何を根拠としてなのだろうか。 分かりません。勉強不足です。 人間、個人差があるのが当然です。本来は年齢で区切るなどもっての他でしょう。 この責任能力の有無も一般論では概念でしかありません。 ただ個々の事象となるときっちりとした査定が必要です。 おそらくは査定をするには面倒なので便宜的に20歳未満としてるのでしょうね。 >その見解は覆すことができるのだろうか。 原理的には可能です。義務教育に関らず20歳未満の人間には基本的に責任能力は無しと見なされてます。 (近年は状況は変わりつつあるようですが) 数十年前の20歳と今の20歳では全く異なるでしょう。 年齢で区切るべきでないという意見もあるかもしれませんしね。 変わり時です。 あくまで便宜上のものなので国民全員の意思と等価の現実があれば変わるでしょう。 >そもそも子供が自分に責任能力があることを表明する機会は与えられているのだろうか。 与えられてないです。まずは身の回りにいる自分の責任を受け持つ者を説得することですね。 それができれば事実上あると言えるかもしれませんね。 >そして、「責任能力がない人間」という断定はヒューマニズムなのだろうか。 ふむ、おもしろい意見です。 責任能力が無い人間もまた責任能力がある人間に戻れる事を正当に主張できる社会でなければならないわけですね。 現在の日本社会ではそのチェック機能はありますが、正常に作動しているかどうかは分かりませんね。
444 :
372 :2001/03/21(水) 19:54
>誤痴鋭 最後にお互いにヒューマニズムに対して理解を深めようと少々意地悪をしたいと思います。 >民主制だろうと君主制だろうと、それが理想の統治であることには変わりない。 とありますがこれには同感です。 なぜなら民主制と君主制は必ずしも対立しないからです。 が、 >民心にかなうという意味であるなら〜 と民意の存在に誤痴鋭さん自身が価値を認めてます。 では、お聞きします。 なぜ民意に価値を求めるのですか? 民意がある方を良しとできるその根拠は何ですか? 機会があれば後日、私のカール・ポパー解説と合わせてこれについて論じたいと思ってます。 では長文失礼、これから私用があるので今日はこのへんで。
445 :
372 :2001/03/21(水) 20:12
追加で >437 >なぜなら殺人を犯したか否かに対する判断というのは事実判断で価値判断 >じゃないから。つまり学術論争なんかと同じだね。 俺はこの論を展開する際に、実在の問題を真剣に捉えるならば、と仮定しているから、その仮定からずれているね。 ただ論理以前に俺と437の視点の違いが明確に出ている箇所だね。 実在の壁にぶつかった俺にとっては学術論争を事実判断だとは口が裂けても言えないことだからね。 それはある意味437がうらやましいということだ。本気で。
446 :
435 :2001/03/21(水) 21:56
>>372 =440
人権論そのものとは言わないけど、結果的にせよ被告という個人の生命に不可侵
の価値を置いているという点で、親和性が高いんじゃないかと思うよ。
ま、それはいいんだけど、どうにも違和感が拭えないのが、裁判官の下す判決を
「意見」つーのは語弊がありすぎないか?ってこと。
もっぱらそれは強制力を持つ「命令」であって、被告が述べることのできる意見
とは明らかに性質が異なると思うんだよね。
裁判が単に意見交換の場だというなら、あなたの言う通りかも知れないけど。
それと、こう言うと身も蓋もないかも知れないけど、つまるところその原理的な
民主主義は、我々にとってどんな価値があるの? そしてそれはどこまでも突き
詰めなければいけないものなの?
見渡しても、そこまで純粋な民主主義が貫徹されている国って思い当たらないの
だけど、結局妥協して多数決民主主義を採用するのが関の山ってことじゃないの
かなぁ?
447 :
380>372 :2001/03/22(木) 01:45
詳しく説明しないとわからないようだね。じゃあ、説明するから良く読むように。 > 冤罪で死刑になった人はどのように責任を負えるのですか? 冤罪か、無実の罪で裁判中かの違いは、判決確定前/後ということだけ。 判決確定前/後というのは、本質的には違わない。 裁判中(身柄拘束中)でも、被告は自分の身の潔白を晴らすために、捜査官への供述、 弁護人を使っての証拠捜しを存分に行える。 つまり、結果として冤罪で死刑になったとしても、死刑囚は自己の責任を全うした ことになる。死刑囚が三審で結審することに不平を持つ可能性を君は挙げたが、 一つの裁判で、事実上無制限に反論を展開することが可能(麻原裁判を見よ)である 以上、反対意見を述べる機会が三審制によって制限されるとは言えない。 つまり、冤罪で死刑でも、自己の責任を自己に還しているわけ。 しかし不当なら責任を負えないのだ。 んで不当なわけ。OK?それともまだ〜? これに反論するには、「無実の罪で裁判中の状態」と「冤罪で服役中or釈放後」 の状態にどのような本質的違いがあるかを述べなければならない。 本質的に違うと言えるかい? > もしくは、冤罪で懲役を受けた人はどのように責任を負えないのですか? 「無実の罪で裁判中の状態」と「冤罪で服役中or釈放後」に本質的違いがないから、 冤罪で懲役を受けた人が責任を負えるといえるなら、冤罪で死刑になった人も責任を負える といえる。逆に冤罪で懲役を受けた人が責任を負えないなら、冤罪で死刑になった人も 責任を負えない。 いくら君でも今度はわかるだろ。
448 :
匿名希望さん :2001/03/22(木) 01:55
また、言葉遊びかよ。
449 :
380>372 :2001/03/22(木) 02:06
あと君は、君の言うヒューマニズムによって、 「嘘をつき通すことによって多大な利益を得る社会」 が現出するという矛盾を無視したままだね。 「嘘を見破ることはできない」といって逃げるだけ? 数々の証拠(複数の目撃証言など)から、被告の証言(無実であると言う主張) が100%嘘であることが明白な場合でも、被告が承諾しない場合は死刑にならないの?
450 :
437 :2001/03/22(木) 02:43
>>372 あなたの意見を372から読んでみたら私は勘違いをしていたようですね。
そこで新たに反論します。
社会の構成員が責任を負う(負わねばならない)事柄として
「自分たちが決めたこと」ってのがあってこれが民主主義の原理と結びつきますけど
もうひとつ
「その社会において歴史の中で熟成されてきた客観的な価値らしきもの(以後社会的価値と称)」
ってのもありこれは例えば法の支配と呼ばれるものに結びつくでしょう。
そして例えば立法府の判断は「自分たちが決めたこと」を表現する場合と
「社会的価値」を表現する場合があり、前者はもちろん後者も論議を尽くせる
環境がありそして論議を尽くせば多数決で一応の決定が可能であります。
なぜなら大多数の価値基準と「社会的価値」はこの基準を満たした上ならば一致
することが多いことが経験則からも歴史的に確かめられているからです。
それで例えば立法府が行った「冤罪をなくすことは不可能だがそれでも死刑制度を存続
させるべき」という決定は「自分たちが決めたこと」であると解釈するなら民主主義の原理
に反する可能性があるかもしれませんが、現在の日本社会において「何が社会的価値か」を
判断したものであったなら、民主主義の原理とは関係ないので民主主義の原理に反すること
はないでしょう。
現在我が国の死刑制度は「社会的価値」の一つとされている法の支配の中でも刑事手続
において一番重要となる法の適正つまり法の内容・手続の適正に合致していると立法府
及びその背後にある大多数の国民が判断しています。
よって立法府が死刑制度を廃止することが法の支配に反し更に他の「社会的価値」に
反すると判断すれば別ですが、そうでない今死刑制度がこの意味で存続できないと
いうことはないでしょう。
では反論はお手柔らかに…
>実在の壁にぶつかった俺にとっては学術論争を事実判断だとは口が裂けても言えないこと
>だからね。
>それはある意味437がうらやましいということだ。本気で。
あれは
あなたの仮定を見ていなかったこともあるのですが、学術論争というとさすがにあれですが、
自然科学における論争を念頭に書いたので、このスレの議論においては別に厳密に詰める必要
はないと思ったからです。
実存に関する疑問は別に哲学をやっていない普通の人でも考えることだと思うのですが…
当然私も疑問を持ったことはいくらでもあります。
451 :
437 :2001/03/22(木) 03:28
>よって立法府が死刑制度を廃止することが法の支配に反し更に他の >「社会的価値」に を >よって立法府が死刑制度を存続することが法の支配に反し更に… に訂正です。 あと立法府について書いたところは一例です。他には司法府は憲法の規定その ものからあるいは憲76条の「良心」つまり裁判官としての客観的良心などから 「社会的価値」を導くことになるでしょう。
>372 >死刑とは根本的に異なるということだ。 冤罪だと訴えることは認めてやる。だが刑には処する。それが許されるならば、死後に 再審を行うなら冤罪で殺しても良いとはならないか? 流石にこれは冗談だが。 有罪であるとする合理的な証拠があり、それを覆すことができないならば、冤罪であろ うと有罪なのだ。こうした制度の不条理は、被告にはたまったものではなかろうが、その 割合が充分に低ければ、それは人間の限界として受け止めざるを得ないだろう。むろん、 自分が冤罪に合ったとき、その不条理に異を唱えることはなんら不条理ではない。ただ、 こうした僅少の出来事を以て「○○に反する」と教条を振り回すのは、少なくとも日本で は民心に適っているとは言えない。 子供の責任能力について 子供が親に訴えることを「機会」とするなら、百姓が代官様に陳情するのだって「機会」 と言えるのではなかろうか。 それから、どう言い繕うても、子供に判断能力がないと断定し、義務教育を課す行為は、 あなたの言うところのヒューマニズムに適うものではない。そもそも、判断能力がない者 には周りが強制して良いという考えは、どこまでが許されてどこまでが許されざるものな のか。その線引きが明確かつ公正でないならば、神聖にして侵すべからざる建前を恣意的 に振り回していると思われても仕方あるまい。 まわりくどくなったが、公理よりも優先されている現実がある以上、ヒューマニズムは 普遍の公理であるとは言い難い。 前のレスでも書いたが、「正義」とされる概念と民心が矛盾を起こしたときに、どう軟 着陸をさせるかが、プラクチカルな問題だと思う。俺は人民裁判までは肯定しないが、少 なくとも、不可侵の正義を振りかざす人間達がやがて民をも殺すようになった時代や国々 を知っている以上、少なくともそんな宗教的とも言える独裁(ただし彼らにとっては正義 としか思えまい)を、許容する気にはなれない。
>372(
>>444 )
まず単純に数は力。民忠の高いほうが治安も高い、外敵にも団結する。前者は秩序の維
持で、後者は自己防衛機能であり、これらが保たれていたほうが集団を維持しやすいし、
その結果、個人も生存しやすい。利己遺伝子説にも適っている。進化倫理学とかなんとか
いう分野でそんな研究があったような気もする。ともかく社会集団内での秩序は、その集
団に利することになるからであり、究極的には種の存続などにも優位に働く。
どれだけ近代国家といっても、最終的には人を従わせるのは利害関係であり、もっと根
元的な部分では暴力でしかない。もちろん宗教的な服従というのもありますが。核弾頭で
も死なない奴が憲法を守らなかったら、誰がどう裁き、強制できるのか。藤子F不二雄の
「ウルトラスーパーデラックスマン」という話がありましたな。
憲法であれ何であれ、開き直られたときに決着をつけるのは暴力でしかないのです。
正義だの普遍だのというのは、それだけ人心を長期的に掴むのに都合が良いから存在す
る価値があるのであって、民心に適わない正義なんてのは無用の長物でしかない。つうか、
そんなのは人間の正義ではないから相手にしない。
まあ、目標とか理想とかいう価値は認めなくもないけれども、共産主義のように「実現
させてはいけないが、政体としては理想」なんていうねじれた理想は嘘だと思う。
ここまで来ると明らかにスレ違いなのでsage。
454 :
名無しさんの主張 :2001/03/22(木) 11:01
>>452 冤罪に関してだが
民心に適った冤罪というものはあり得ない
被告人の利益から言っても社会的利益から言っても
これに有罪の判決を下すことは多大なるマイナスの効果を生む
被告人についてこれが圧倒的に不利益を受けるのは想像に易いだろうが
それに劣らず社会の受ける不利益が大きい
「司法の信頼性への打撃という点」
のみならず
「同判決が真犯人が社会に放たれた状況を確定させるという点」
は正義という観念を越えてより実存的な社会秩序の維持という
一般に死刑の必要性の根拠として引用される利益と完全に背反するのである
この点が合理的疑いを越えない無罪と冤罪の有罪を同一視出来ない所以であり
「冤罪は犯罪よりも犯罪的である」という言葉の真意である
尚スレから離れてしまうが、我が国の刑事法全般はこの危険性に鑑み
冤罪を徹底的に排除する体裁は取っている
しかし実務的に見れば杜撰な捜査、証拠の自白偏重、証拠開示、
判検交流等の諸問題に代表されるように
冤罪の温床になっていることは周知の事実である
455 :
454 :2001/03/22(木) 11:05
後、ここでの議論で死刑と冤罪を関連させている方がいるようだが それは誤った考え方だ 冤罪そのものが認容出来ないものであるから これの存在を必要悪として公認し それゆえに 「死刑は再審による冤罪死刑囚の救済の手段を断つので反対」 というのはそもそも本末転倒である 冤罪そのものを社会が認容しない以上 冤罪の問題と死刑の是非の問題は切り離して考えるべきである さもなくば380の云うように 「再審があるから懲役刑の冤罪は許すのか?」 ということになる
>>454 もちろん冤罪が民心に適うとは俺も思ってないし、そう読めたんなら俺の筆足らずだ。
冤罪が犯罪以上に犯罪的なのも充分に同意する。
「冤罪を生じる可能性のあるシステム」が「冤罪は生じないが応報感情を満たさない
システム」よりも(今のところ)民心に適っていると言っているのだ。こうした、
政治的・道徳的理想と民意が相反した場合、民意を無視することがなぜ【民主】主義
なのか、ということを訊いているのです。
>>456 >「冤罪を生じる可能性のあるシステム」が
>「冤罪は生じないが応報感情を満たさないシステム」よりも民心に適っている
このような意見は寡聞にして聞きません
応報感情とは
「犯罪行為者にその罪に相応しい罰を与えよ」ということ
そして冤罪とは
「犯罪行為者でない者に罰を与え犯罪行為者には罰を与えない」ということ
ゆえに応報感情を充足する冤罪などあり得ない
これは実に簡単な理屈です
「貴方が仮に殺人事件の被害者遺族であったとして真犯人でない人間に罰を与え
真犯人が社会で平然と暮らすことが貴方の応報感情を満たすか?」
貴方の意見ではこれにYESと答えるということになりますが
果してそれは民意に適った答えでしょうか?
458 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 00:26
>454 こりゃ驚いた!!日本て冤罪の温床になってるんだ???? すみませんネ、そんな、「周知の事実」も俺は知らなかった。 念のため聞いときますけど、まさか今流行の痴漢冤罪事件とかの事では 無いですよね?死刑判決の話ですよね?フゥー・・・・。
459 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 00:32
だから、最近は誰が冤罪で死刑執行されたの?
460 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 00:35
>>459 オウム関係が臭いね。
ソウカの仕業って話をそこかしこで聞くからね。(第七は覚醒剤プラント)
サリン自体存在しなかったらしいし。(他の毒ガス)
461 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 00:50
長野サリン事件のあと ガサ入れされてたナントカさんが居たでしょ? あのときの警察発表覚えてる? 「このバケツで彼はサリンを作りました。」 こんな国で死刑が許されると思う? マスコミが騒がなければ彼は間違いなく死刑になってたよ。 臭いものに蓋をするためにね。
462 :
454 :2001/03/23(金) 01:12
>>458 私は殊更死刑制度へのアンチテーゼを提出したわけではない
冤罪一般についての誤解があり
議論が変な方向に向かっていることを指摘しただけ
>すみませんネ、そんな、「周知の事実」も俺は知らなかった
知らないというよりは思考が停滞しているだけ
日本の刑事裁判の有罪率が99.9%は知っている?
これは先進国においても異常過ぎる数字だ
すなわち起訴されたらほぼ100%有罪が確定することを意味するからだ
「日本の警察は優秀であり日本の検察は無謬である」と仮定しなければ
この数字が冤罪をかなりの割合で含むというのは当然の帰結だ
そして、その仮定を否定する根拠は存在する
454で述べたような刑事手続ないし司法手続における諸問題がそれだ
万が一にも上記の仮定が妥当する余地があるのであれば
そうした諸問題を生じさせるハズがないのは想像に易いことだろう
463 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 01:19
>>457 >ゆえに応報感情を充足する冤罪などあり得ない
当り前じゃん。
つーか、冤罪が応報感情を充足するなんてトチ狂ったこと
誰も書いてないぞ? ちゃんと読もうぜ。
>>463 >「冤罪を生じる可能性のあるシステム」が
>「冤罪は生じないが応報感情を満たさないシステム」よりも
>(今のところ)民心に適っていると言っているのだ
では
(本人でないかもしれないので聞いても意味が無いかもしれんが)
上の456は何を言っているんだ?
冤罪を生じさせる余地がある時点で応報感情を満たさない可能性を内包する以上
そうしたシステムが
冤罪を発生させないシステムよりも
応報感情において(今のところ)民意に適うとはどういう意味だ?
465 :
>461の阿呆へ :2001/03/23(金) 01:37
>「このバケツで彼はサリンを作りました。」 >こんな国で死刑が許されると思う? >マスコミが騒がなければ彼は間違いなく死刑になってたよ。 >臭いものに蓋をするためにね。 どうしてそんないい加減な嘘をつくの? マスコミが彼に間違いないとしつこく報道している時から、 彼は実質的捜査対象から外れたんだよ。 (もちろん一部の現場の刑事は引き続き疑っていたらしいが。) その後、例の怪文書が出て、オウムへの疑いが濃厚になって行った。 君リアルタイムで事件を追ってなかっただろ。 あとから物語りを構築するなよ。 ちなみにいっておくけど、彼は警察に逮捕すらされてないんだよ。
466 :
465 :2001/03/23(金) 01:40
あと一言つけくわえるけど、彼が最も怒っていたのは 「マスコミに拠る人権侵害」だからね。
>>465 どういう反応があるか見たかっただけ。
ごめんね。
468 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 01:50
469 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 01:52
>>462 物知りさんみたいだからついでに教えて欲しいんだけど、
>日本の刑事裁判の有罪率が99.9%は知っている?
>これは先進国においても異常過ぎる数字だ
じゃ、どれくらいなら「正常」といえるの?
それと、刑事犯罪における起訴率ってのは他国に比べて
どうなのかな。
ちとスレから外れるけど、知ってたらよろしく〜。
470 :
465 :2001/03/23(金) 02:02
>>467 確信犯か。たちが悪いな。
まあ、普通の人間は、お前程アタマが悪いわけじゃないということを
知っただけでも有意義だったろう。
感謝しろよ。
471 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 02:21
>>464 そ。俺は誤っちゃんじゃないけど、お節介と知りつつ勝手に
答えとくよ。
「冤罪を生じる可能性のあるシステム」ってのは要するに
現行のシステム。
「冤罪は生じないが応報感情を満たさないシステム」は
372氏が述べてきたような原理的民主主義、とでもいう
べきもののことだと思う。
確かにここだけ読むとヘンな文言かも知れないけど、対話
の流れを追ってれば意味は掴めるんじゃないかな。
472 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 04:33
>>471 >「冤罪は生じないが応報感情を満たさないシステム」は
>372氏が述べてきたような原理的民主主義、とでもいう
>べきもののことだと思う。
372氏は、冤罪での懲役は容認していますよ。
>「冤罪は生じないが応報感情を満たさないシステム」は
人類の科学力で実現可能な、冤罪が生じないシステムは、
罪を発生させないシステム以外にはあり得ません。
暴力団によって支配される世の中のみが、そのシステムです。
473 :
戦争被害者遺族 :2001/03/23(金) 04:43
戦争で人を殺した人を死刑にしてください
474 :
ニーチェ :2001/03/23(金) 04:48
権力をより強い権力が裁き、これを殺す
475 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 04:52
>>471 「どのぐらいの有罪率なら正常か?」という問いは
この問題への無理解を示すものだ
仮に「70%ぐらい」が各国の平均として
現状、それよりも有罪率が高いからと
判事がこの水準に近付けるために無条件で無罪判決を出す等
最高級の喜劇であり悲劇である
私が問題にしているのは我が国の国家訴追機構の能力が
他国のそれよりも圧倒的に高いという根拠が存在しないのに関わらず
「異常」な程、有罪率という数字が高いという点だ
ここで私が454で述べた実務における冤罪の原因となる諸問題が
全く存在しないのであれば、その数字は単なる偶然や
逆に、警察官や判事が理由は不明だが他国のそれらに比べ
優秀である可能性を示唆するものとなるだろう
現実に実務における諸問題を克服し
それでも有罪率を十割に近く保てるならば
これほど素晴らしいことはない
後、何のために知りたいのか知らないが聞かれたので
起訴率も答えておく
手元に最新の資料がないから正確な数字ではない
刑法犯殺人の場合だと40%、刑法犯強盗は50%ぐらいだったかな
>>471 現行のシステムはシステムとしてなら
冤罪はまず生じさせないようになっている
その理由は454で述べた通り
(その具体的な方策は列挙すると大変であるので
刑事訴訟法を扱った本でも読んで欲しい)
一方で、その運用については杜撰な面が多々あり
ここにシステムからの乖離がある
民意というものが
立法によって定められた法にあるという観点に立つならば
>「冤罪を生じる可能性のあるシステム」ってのは要するに
>現行のシステム。
という帰結は妥当でない
またそうでなくとも上で散々述べてきたように
「応報感情を充足する冤罪などあり得ない」以上
応報感情の充足と冤罪が発生する可能性を
民意として結び付けることは出来ない
現行のシステムで応報感情が充足されているというなら
システムそのものに問題がないわけであるし
システムの運用上冤罪が発生する可能性があるならば
当然これを正す必要はある
また冤罪の発生させないための運用改善によって
応報感情が充足されなくなるということもあり得ない
応報感情の充足とは
「犯罪行為者が罪に相応しい罰を受けること」にあるからだ
それ以外によっても満たされるべきでないし
満たされないということは御理解いただけるだろう
477 :
471じゃないが :2001/03/23(金) 05:42
>>475 > 私が問題にしているのは我が国の国家訴追機構の能力が
> 他国のそれよりも圧倒的に高いという根拠が存在しないのに関わらず
> 「異常」な程、有罪率という数字が高いという点だ
まず質問。
我が国の国家訴追機構の能力が他国のそれと同等だと言う根拠はあるのか?
有罪率が高いことに不信があるなら、個々の判決の問題点を追求する
あるいは、個々の裁判で被告を弁護することで100%解決できる。
それをしないのはなぜか。弁護士が間抜けで怠慢だからか?
それをしないで、有罪率などという値を根拠に日本の司法制度に疑問を呈する
のは、
>>471 がいう「適度な有罪率」というナンセンスなものの存在を前提とする
議論であるという非難を免れない。
ついでに言っておくと、471も「適度な有罪率」などナンセンスだと
十分わかっているように思うが。ナンセンスな言葉を示して、君の議論が
ナンセンスだと言っているだけだろう。
478 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 05:47
>>476 世論調査では、調査対象の80%が死刑制度の存続を容認している。
この事実を、君はどう解釈するの?
80%の国民は冤罪の可能性に考えが及ばない愚か者だと思ってる?
479 :
小岩井 :2001/03/23(金) 06:34
>>478 ニュース番組やワイドショーや週刊誌がえん罪の恐怖を
少年法改正と同じくらいの意欲と熱情をもって
大々的にキャンペーンすれば、数値は案外動くものだよ。
480 :
小岩井 :2001/03/23(金) 06:39
事実、少年法なんかは、今より少年の凶悪犯罪率が高かった 過去から現在までそれなりにずっと受け入れてきたのだから。
481 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 06:55
>>479 オウム事件の前って、かなりそういう風潮でしたよね。
平沢画伯の件が、よくテレビで取り上げられていました。
しかし、実際は
『99年9月に行われた世論調査によれば「死刑もやむを得ない」が
前回94年9月調査時の73.8%から79.3%、
「死刑は廃止すべきである」が同様に13.6%から8.8%。
死刑容認が5.5ポイント増である。』
とのことです。風潮、報道などで変動する幅はこの程度らしいね。
482 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 07:08
>>475 君がいってるのは
1. 我が国の国家訴追機構の能力が他国のそれよりも圧倒的に高いという根拠が存在しない
2. 我が国の有罪率が他の先進国のそれに比べて高いのは問題だ
ということだろ。
2.については、結局の所、我が国の有罪率が先進国のそれと同レベルであるのが
相応しいと言ってるのと全く同じだ。
要するに「適度な有罪率」を念頭においた議論であるに他ならない。
つまり、何の意味も為さない議論だということ。
そもそも、1.は何の根拠があって言ってるのかね。
483 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 08:36
>>476 > 応報感情の充足とは
> 「犯罪行為者が罪に相応しい罰を受けること」にあるからだ
> それ以外によっても満たされるべきでないし
> 満たされないということは御理解いただけるだろう
そうじゃないでしょう。ある人の応報感情は、
「その人が犯罪行為者だと信ずる人間が、罪に相応しい罰を受けること」
によって充足されるのです。
多くの人が犯罪行為者だと信ずる人間が、相応しい罰を受ければ
多くの人が納得するということ。
この場合、その人間が犯罪行為者だという推定が正しいかどうかは
本質的な問題ではなく、多くの人に正しいと思わせるための手続き
を踏んだかどうかが問題なのです。
つまり、冤罪で死刑でも多くの国民の応報感情は満足するのです。
だって冤罪であることを多くの国民は知らないんですから。
これはもちろん、正当なことではありませんが、この不当性は冤罪をゼロ
にする努力を続けるという方向でしか解決できません。
484 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 09:02
冤罪かどうかってのは又別問題でしょ。 一緒にはぎろんできない。 ここではあくまで、 「間違いなく犯人である場合」の死刑について語るべきだよ。 冤罪かどうかってのは、特異な例でしょ?
485 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 09:18
>>462 >日本の刑事裁判の有罪率が99.9%は知っている?
>これは先進国においても異常過ぎる数字だ
と断定しておいて、
>>469 >じゃ、どれくらいなら「正常」といえるの?
と聞かれれば、
>>475 >「どのぐらいの有罪率なら正常か?」という問いは
>この問題への無理解を示すものだ
と答える。
つまり、正常な値が不明であるにもかかわらず、
ある値を取り上げて、異常すぎると断定しているわけである。
>>457 なんで人の書き込みを捏造するのかね。
「冤罪死刑の出る可能性と応報感情を比較して国民が後者を選んでいる」という話を、
強引な解釈で誰も言っていない「応報感情を充足する冤罪」なんていう奇妙なものに結
びつけて。
あのさあ、冤罪が民意に適わないから死刑がいけないと言うなら、懲役は何によって
許されてるの? 冤罪による懲役は民意に則するという調査でもあるなら話は別だけど。
487 :
372=ポパ :2001/03/23(金) 11:33
議論に拍車がかかることはいいことなのですが俺自身誰が誰か分かりにくいので
固定ハンドルをつけることとしました。「ポパ」です。よろしく。
で、いろいろな意見が出ているけどとりあえず、俺は誤痴鋭さんをメインに相手にしたい。
とりあえず、民主主義の価値についてかなり長い弁説をふるって、その後、いくつかのレスへ返答していきたいと思う。
目次
・前置き
・プラグマティックな知識観
・「経験的」という概念
・民主主義の価値
・民主主義の致命的な欠陥
という感じで論じたい。ここで語る民主主義については
>>412 を参照してくれ。
民主主義の理念とはあくまで全員一致の意思に沿って行動するというものだ。
では長文入ります。
488 :
ポパ :2001/03/23(金) 11:35
・前置き
我々は常に良い結果を求めてきた。全てに置いてである。
しかし、良い結果を求める最良の方法を我々は理論化することは未だできていない。
我々個人は何が良いか判断できる。しかし、その正しさを証明する方法が無いからである。
・プラグマティックな知識観
哲学史の中に登場したプラグマチズムと呼ばれる思想、彼らのとる態度を良し悪しとするかは別に置いておくとして
彼らの功績の一つに知識の構造への解明を挙げたいと思う。
彼らの語る知識とは以下のようなものだ。
知識とは丸い円のようなものである。知識は現実の困難を回避を目的として作用する。
知識が現実の困難とぶつかり、それに何らかの結果(困難を回避した結果、艱難を回避できなかった結果)があった場合
その結果に応じてさらに上位の知識が創りあげられる。(困難にあった箇所がより大きくなり楕円になる)
さらに参照として
>>416 、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=soc&key=982527519st=289&to=290&nofirst=true を挙げる。共にカール・ポパーの言葉で前者は議論に関して、後者は科学に関しての言葉だ。
カール・ポパーは否定からさらによい理論を構築することを良しとした。
彼の科学哲学に関する著書で、それまでの「検証」に対して「反証」という言葉を出してきたのもその特例だろう。
彼の人間観とは失敗を糧に成長していく過程にこそあると言えるだろう。
これを「espe〜」(スペル忘れた)とか言う単語で表すのだけど語を忘れたので
俺は日本語に訳して「経験的」という概念で顕すこととする。
489 :
ポパ :2001/03/23(金) 11:36
・民主主義の価値とは 民主主義とは前述したように属する全ての人間の意思を持って行動するということである。 これは同時に属する全ての人間に等価に責任を負わせるということだ。 ではなぜ全ての人間が責任を負う社会が良いのか、ということである。 全ての者が責任を負えずとも良い結果を齎す社会であった方がより良さそうなものである。 しかし、仮にそのような社会があったとしてその社会が良い結果を齎すかどうか我々は知りようがないということである。 そのような知識の光が無い闇の状態を明るくする方法はまさしく前述の「経験的」という概念を使用して 知識の光を大きくしていく他に方法が無いのである。 話は戻って責任についてであるが、全ての者が責任を負うということは失敗した時にその成果を著しく発揮する。 我々はその責任に従って何らかの代償を支払わなければならず、その「失敗」という事柄から 次に失敗しないように何が悪かったのかを真剣に反省し、新たなる理論を創り出す。 そこに知識の成長があるわけだ。 民主主義という理念は、小さかろうが確実に成長する理念であり、永続なる時間がある限り 最良の理念であると言えるものなのである。 そして民主主義とは現実的なシステムではなくその態度に依存するところが最も大きい、 言うなれば、民主主義とは態度なのである。
490 :
ポパ :2001/03/23(金) 11:36
・民主主義の第一歩 民主主義の理念は態度であると言ったがそのような民主主義の第一歩目はまさしく民主主義自体に関する事だった。 私は前に君主制(独裁)と民主制は対立しないものであるといった。 民主主義が態度の表明である限りは君主制と対立することはないからだ。 しかし、独裁ですらその責任を我々は負うことができるが、我々に確実に負わせることはできなかったのである。 君主制の欠陥、それは失敗した時にその責任を君主一人に負わせることで国民全員がその責任を負わない可能性があるということである。 つまり成長しない可能性があるのだ。 これでは上で挙げた民主主義の態度そのものに反するのである。 現在の民主主義という現実的なシステムはそこを考慮して、 我々全員がその責任を確実に負えるシステムとして成立しているのである。 ここに態度としての民主主義から、システムとしての民主主義にその第一歩を踏み出したのである。 ・民主主義の致命的な欠陥 については後日に展開したいと思う。 では私へのレスに対して答えてゆきたいと思う。
491 :
ポパ :2001/03/23(金) 11:44
492 :
ポパ :2001/03/23(金) 12:20
>誤痴鋭 >452 >上 冤罪の可能性があっても殺すべき価値があるというのは正論だ。 しかし、その拠り所を民心に求めるべきではない。 議論とは言うなれば啓蒙のし合いだ。 あなたの言う正論も私を啓蒙してはじめて意味があるのですよ。 >子供に判断能力がないと断定し、義務教育を課す行為は、あなたの言うところのヒューマニズムに適うものではない。 >そもそも、判断能力がない者には周りが強制して良いという考えは、どこまでが許されてどこまでが許されざるものなのか。 責任能力がない者の責任はどこにあるのか それは決して消えてしまったのではない。代行して責任を受ける者がいるのだ。 ここが根本的に異なるのだ。 そして責任代行者がその責任者として不適ならその不当性を訴える機会は仮に責任能力が無くても、あるのだ。 >その線引きが明確かつ公正でないならば、神聖にして侵すべからざる建前を恣意的 >に振り回していると思われても仕方あるまい。 >ヒューマニズムは普遍の公理であるとは言い難い。 線引きである限り、つまりはセンスデータである限りは恣意性など払拭のしようがない。 また、ヒューマニズムは普遍どころか公理ですらない。 公理としての資格を兼ね備えていないからだ。 しかし、ヒューマニズムを公理とすることに我々は同意しているのだ。 なぜならヒューマニズムの否定は全体意思の否定に他ならないからだ。
493 :
名無しさんの主張 :2001/03/23(金) 12:35
そろそろアウヘーベン。
494 :
ポパ :2001/03/23(金) 12:44
>誤痴鋭 >492 >前のレスでも書いたが、「正義」とされる概念と民心が矛盾を起こしたときに、どう軟 >着陸をさせるかが、プラクチカルな問題だと思う。俺は人民裁判までは肯定しないが、少 >なくとも、不可侵の正義を振りかざす人間達がやがて民をも殺すようになった時代や国々 >を知っている以上、少なくともそんな宗教的とも言える独裁(ただし彼らにとっては正義 >としか思えまい)を、許容する気にはなれない。 さて『民意』と言う語だが、これを誤痴鋭氏はどのように使用しているのか図りかねる。 しかし私は主張する。全ての人間の意思に沿ったものはいかなる「正義」よりも「正義」としての価値が高い。 それは誤痴鋭氏が語る「民意」よりもだ。 しかし、逆に言えば一人でもその意思に反するものがあればそこに「正義」としての純正さは消え去るものなのである。 もし、誤痴鋭氏が「民意」を大多数という意でしか使用していないならそんなものはいかなる言葉にも劣るものに過ぎないのである。 誤痴鋭氏個人を誤痴鋭氏の何も見ずに消去するという「民意」に誤痴鋭氏は入ってないだろう。 そんなものは『民意』ですらないのだ。 なぜなら誤痴鋭という名前をとったらそこにあるものは誰だか分からない一人の人間、自分であるかもしれないからだ。 not in my back yard 「nimby」が叫ばれつつある今、ヒューマニズム思想がやっと観念ではなく知識として浸透してきた気がする。 あなた自身ヒューマニズムはとうの昔に理解しているはずだ。 ただそれがヒューマニズムだとは分からないだけなのだ。 ちと傲慢な文章になってしまった。
495 :
ポパ :2001/03/23(金) 13:05
>493 >そろそろアウヘーベン アウフヘーベンではないのか? ゴミ箱行きだと言いたいのか? それともアゲということなのか? >453 >誤痴鋭 >まず単純に数は力。民忠の高いほうが治安も高い、外敵にも団結する。前者は秩序の維 >持で、後者は自己防衛機能であり、これらが保たれていたほうが集団を維持しやすいし、 >その結果、個人も生存しやすい。利己遺伝子説にも適っている。進化倫理学とかなんとか >いう分野でそんな研究があったような気もする。ともかく社会集団内での秩序は、その集 >団に利することになるからであり、究極的には種の存続などにも優位に働く。 軽く聞いてみよう。 では、秩序が維持でき自己防衛機能が高いが、民意に沿ってないものがあったとしたら それは民意に反してでも実行すべきとお思いですか? 民衆全員を洗脳させることで最高の秩序と防衛機能を持ったシステムは実行する価値がありますか? ドーキンスの利己的遺伝子説についても未だ反論がありますが、 将来、種の存続と民意が対立するという学説ができたら民意に背いてでも種の存続を優先させますか? >どれだけ近代国家といっても、最終的には人を従わせるのは利害関係であり、もっと根 >元的な部分では暴力でしかない。もちろん宗教的な服従というのもありますが。核弾頭で >も死なない奴が憲法を守らなかったら、誰がどう裁き、強制できるのか。藤子F不二雄の >「ウルトラスーパーデラックスマン」という話がありましたな。 >憲法であれ何であれ、開き直られたときに決着をつけるのは暴力でしかないのです。 まぁここらへんは言い切ることが難しい要素ですが、 民主主義国ですら武力を完全放棄はしません。 しかし民主主義というシステムの中では武力には一切の考慮も齎されません。 これは武力を否定するわけではないのです。 民主主義というシステムにおいては言論より武力を優先すべきという思想においても 言論によって導かれねばならないのです。 そして武力によって言論が塞がれることは何にも増して恥じるべき行為なのです。 まぁ決して恥じることを強制はしませんが。 しかしロルカのような生き様は私には最高ですね〜。
496 :
ポパ :2001/03/23(金) 13:35
>>446 >「意見」つーのは語弊がありすぎないか?ってこと。
>もっぱらそれは強制力を持つ「命令」であって、被告が述べることのできる意見
>とは明らかに性質が異なると思うんだよね。
>裁判が単に意見交換の場だというなら、あなたの言う通りかも知れないけど。
裁判官の言葉が命令となるのは裁判官の言葉を命令とするとことを了承してないといけないわけです。
これは我々が社会に生きている事でその了承を得たとしてもいいんですけど
問題は命令が命令としての効果を発揮するのはそれを命令とする社会に属してない限りは通用しませんよね。
先に言った多数決制民主主義が多数決によって可決されては問題ありなのです。
仮に私が「私一人の意見は何よりも重い。これは私の意見だから重いのだ。俺はお前を殺してよい」などという論理はおかしいですよね。
同じように多数決制民主主義ですら全会一致で可決されねばその効力を発揮しないのです。
基本的に被告は「自分が犯罪を犯したときにその罪に服役する事」は了承していても
「犯罪を犯したか否かに関らず裁判官の言葉に従う事」は了承していないですよね。
で、彼が懲役刑になったら「自分はやってない」と自分の正当性を立証する機会を得ることができますが、
彼が死刑になったらもう終わりです。ここが問題なのです。
別に死刑でなくてもいいですよ。彼の表現手段を封じた後の懲役や、洗脳などは同じく許されるべきではないですよね。
497 :
ポパ :2001/03/23(金) 13:57
>447=380
>判決確定前/後というのは、本質的には違わない。
裁判中はあくまで被告、被疑者に過ぎず、裁判後は疑いが確定しますよ。
司法における扱いそのものが違いますよ。
それとも「本質的」とはまた別物なのですか?
>三審で結審することに不平を持つ可能性を君は挙げたが、
>一つの裁判で、事実上無制限に反論を展開することが可能(麻原裁判を見よ)である
>以上、反対意見を述べる機会が三審制によって制限されるとは言えない。
俺は三審制に不平を語らせる気はさらさらないよ。もちろん俺自身が語る気もないけど。
別に一審でもよいんだけどさ。そこらへんは回数の問題ではないんだけど、
問題はそれを被告が了承したかどうかに掛かってしまうからね。
被告が自分に有利にならない限りは了承しないという法的実行力が無い状態のほうが俺は怖いから。
だから裁判の進行に被告はタッチできる状態であるべきではないと思うわけ。
そんだと裁判の結果への了承を得たとは言えないでしょ。
>>449 =380
>あと君は、君の言うヒューマニズムによって、
>「嘘をつき通すことによって多大な利益を得る社会」
>が現出するという矛盾を無視したままだね。
まぁその矛盾は俺一人が答えを出す問題ではないだろう。
俺自身が逆に矛盾を指摘もしているわけだし
この問題がすでに矛盾ある選択しか残されていないのわけだ。
単純に考えて三択だろうね。
「冤罪でも死刑」、「了承付きで死刑を認可」、「死刑制度を撤廃」
まぁ俺はこの「冤罪でも死刑」が一番ひどい問題を孕むと言ってるのだ。
>数々の証拠(複数の目撃証言など)から、被告の証言(無実であると言う主張)
>が100%嘘であることが明白な場合でも、被告が承諾しない場合は死刑にならないの?
100%嘘であることが明白になるなら俺は死刑にしてもいいと思うよ。
できれば死刑より重い罰のほうがよいね。
問題は100%明白な嘘ってどうやって判断するの?ってことだよね。
498 :
ポパ :2001/03/23(金) 14:01
>>450 =437さん
俺もう時間ないから後日でいい?
ごめん。
次多分日曜になると思う。
499 :
469=471 :2001/03/23(金) 15:41
469=471
>>472 >>476 だから話の流れを読みなさいって言ってるじゃん。
ここでは単に冤罪っていってるけど、それはつまり372氏が
問題にしてきた冤罪による死刑のことを指してるはずだよ。
お節介はやめるからこれ以上は本人に聞いてくれ。
>>475 477サンがあらかた代弁してくれてるんだけど、俺が何のために起訴率を
聞いたのかわからないってとこが、有罪率というものしか念頭にないこと
を物語っていると思うんだけどね。
要するにさ、起訴しなきゃ有罪も無罪もないわけでしょ?
嫌疑不充分とかで不起訴となった中に、もし強引に起訴されていれば冤罪
になりえたケースが含まれている可能性は十二分に考えられるけど、それ
は「有罪率」という数字に表れるはずもないよね。
それと、例えば起訴率100%・有罪率50%ってのと、起訴率50%・有罪率100%
ってのとでは、最終的に有罪を宣告される人の数は同じであっても意味合い
が違ってくると思うんだけど、検挙率とか犯罪発生率とかも絡めると話は
さらに複雑になるわけで、単に有罪率のみで何かを語れるほど単純な問題
じゃないと思うよ。
500 :
380>ポパ :2001/03/23(金) 16:13
>>497 > 裁判中はあくまで被告、被疑者に過ぎず、裁判後は疑いが確定しますよ。
> 司法における扱いそのものが違いますよ。
> それとも「本質的」とはまた別物なのですか?
自分がやってもいないことをやったとされた。それを間違いだと反論する
責任が自己に還されているかどうかが問題になってるんだよ。
結果的に冤罪で死刑判決を受ける人間にも、裁判中は十分に反論する機会
が与えられている。それはわかるよね。だったら、それでいいんじゃないの?
ことさら判決確定後の反論権に固執するためには、判決確定後の反論に
裁判中の反論には根本的にあり得ないなにかが必要だと言ってるわけ。
それがなければ、三審中に十分反論の機会が会ったのだから、
『自己の責任が自己に還されている』と言える。でしょう?
司法上の呼び名が違うなんてお茶を濁してもダメだって事はわかってるんだろう?
> そんだと裁判の結果への了承を得たとは言えないでしょ。
裁判の結果への了承が得られなくても、裁判中に出来うる限りの反論を行った
つまり、反論権は十分に行使したという了承は得ているね。
裁判官は被告人、弁護人に対して「これ以上言うことはない」と言わせるまで
裁判を続けるわけだから。
ところで、君が再三問題にしているのは「反論権」だ。
冤罪で懲役刑が許容されるのも、君の論理では「反論権」があるから。
つまり、反論権を十分に行使させ、しかも十分に行使したことが了承されている
のだから、冤罪で懲役刑が許容できるなら、冤罪で死刑も許容できるわけ。
501 :
380>ポパ :2001/03/23(金) 16:14
> まぁその矛盾は俺一人が答えを出す問題ではないだろう。 ヒューマニズムというのは、人間が性善であることに依存した思想だ。 君のいう「本人が罪を認めれば死刑も可。罪を認めなければ死刑は不可」 という滑稽な状況が端的に示しているように、性善で嘘をつかない人間 が集まった社会において最もうまく機能する思想だね。 しかし、その思想の帰結として現実に現れるのは、正直であることに価値が なくなる社会だ。嘘をつけば死なずにすむわけだから。 この矛盾はヒューマニズムが内包する根本的な矛盾だよ。 そこで性善であるとは言い切れない人間は、嘘を見破るシステムを構築する という難作業に挑戦せざるを得ないわけだよ。 こんなこと、千年以上前の中国で議論され尽くしたことだがね。 > 「冤罪でも死刑」、「了承付きで死刑を認可」、「死刑制度を撤廃」 「冤罪でも死刑」の可能性は、冤罪をなくす努力を続けることによって 限り無くゼロに近づけられる。 「了承付きで死刑を認可」は、嘘つきが得をするという、最悪の事態だ。 こんなのがダメなのは、幼稚園児にだってわかる。 「死刑制度を撤廃」 は、その時代、社会の思想しだいだね。 というわけで、「了承付きで死刑を認可」が最悪。 > 問題は100%明白な嘘ってどうやって判断するの?ってことだよね。 例えば、二つの証言が食い違う場合は、どちらかが嘘を言ってることは 100%明白だね。 死刑判決の可能性のある事件としてオウム裁判を例にとるよ。 実行犯は「麻原が命令した」と証言する。 麻原は「そんな命令出していない。実行犯が勝手にやった」と証言する。 どちらかが嘘を言ってるってのは、100%明白だ。両立しないんだから。 さて、どっちを信用するの? 現実にはありえないこと、つまり両方の 言うことが正しいという判断をするのがヒューマニズム?
502 :
437>ポパさん :2001/03/23(金) 18:46
>>450 において書いた内容が自分で見ても訳が分からない事を書いている部分
があるのでとりあえずバージョンアップさせました。
以下は450のバージョンアップ版と考えてください。反論はこちらの方に
よろしくお願いします。
超長文なので分けます。すみません>All
人間は「幸福」になりたいと願う存在であるとする。
とすると
人類社会が現在目標とすべきであるのは「個人の尊厳の確保」である。
なぜなら人類社会が歴史をもってから今まで「個人の尊厳の確保」なくして
人間の「幸福」はないということがはっきりしてきたからである。
「個人の尊厳の確保」を原理化したものとして自由主義、平等主義、福祉主義、
平和主義などがある。
では民主主義の原理はこれらの原理とならぶ人間社会の目標であるのか。
私は違うと考える。
私は民主主義の原理は「個人の尊厳の確保」及びそれを原理化したものに
達するための「方法又は形態」に関する原理であると考える。
民主主義の原理はある目標特にその目標に達する手段に客観的な意味での正解が
見いだしがたい目標に達する手段を選択する手段として優れている。
なぜなら「自己が決定・選択した」ということで自己の選択について全ての人間が
責任を持ちやすいからである。
全ての人間が責任を持ちやすいということは「自己が決定・選択する」時に設定目標
を指向するような決定・選択をするよう全体が義務づけられやすく、特にある手段が
「失敗」したときにそれを回避する新たな決定・選択をするよう全体が義務づけられ
やすいため同じ失敗を繰り返すことが少なく、徐々に設定目標に近づく可能性が高い。
気をつけなければいけないと思うのが「自己が決定・選択した」ということで
論理必然として決定・選択した主体が確実に責任を負うことにはならないという
ことである。
自己が決定・選択したからといって自己が責任を負わなければいけない
根本的な理由は何もない。複雑な要因が絡まっているものについては
「自己が決定・選択」する前提であるところの、特にまずある選択に失敗
したときに必要不可欠となる選択の成功不成功の判定、選択の際の判断材料の
収集が困難な事が多く、更に人間はそもそも完全に自己が決定・選択するという
ことはありえるのであろうかという疑問もつきまとう。
完全に自己が決定・選択できなかったものについては仮に「自己の決定・選択には
責任を負わなければならない」を公理として受け入れたとしても完全に責任を負う
必要はないわけである。
つまり民主主義の原理とはあくまで責任を負わせ易くするだけだということである。
しかし「個人の尊厳の確保」を目標としてそれを実現するシステム特に政治的な
それを構築しようとすれば現時点では民主政を選択する他ない。
だから政治システムとしては民主政を採用する以外に「個人の尊厳の確保」という
目標を達成する「方法又は形態」はないといってよい。
ここに民主主義の原理の価値がある。
反対にいうならば政治システムの構築というところ以外では民主主義の原理を
採用することが「個人の尊厳の確保」の為に絶対の「方法又は形態」であると
言うことはない。
503 :
437>ポパさん :2001/03/23(金) 18:48
>>502 の続き
民主主義の原理の他に「個人の尊厳の確保」という目標を達成する
「方法又は形態」として次のものが考えられる。
まず人間が動物であり、動物として生きなければならないということに
価値基準をおく考えがある。
人間が食事をとる行為。これは別に民主主義の原理で正当化される必要はない。
食事をとらなければ、それが自己の選択であろうがなかろうが、死という形で
確実に責任を負うことになってしまう。
ある人間が食事をとる/にとらせることは「個人の尊厳の確保」に寄与する
可能性が非常に高いことは当然であろう。
次に人間が人間であるというなら、絶対的に正当化しなければならないものが
あるというところに価値基準をおく考えがある。
基本的人権の尊重などはこの種のものであると考える。
次に社会の相互作用によって生まれてくる「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」
が確かに存在すると考え、それに価値基準をおく考えがある。
私は「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」が存在するに至る過程
は複雑系に言う自己組織化現象に似たものであると考える。
人間は社会性を持つ動物であり不可避的に他者と接触を持つ、そしてある人がある人
と相互に交流し、社会をつくり、ある社会がある社会と交流し、更には歴史的に過去の社会
とも文字記録等を媒介として交流するといった具合に相互に交流していくうちに人間個々/社会個々
の価値が相互作用を起こし、ついには「ある客観的に正当らしき価値」が生まれるのではないか。
この「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」で正当化されたものは「個人の尊厳の確保」
に直接的に寄与する訳ではないものもある。しかし個人の存在が先とはいえ個人は不可避的に社会を作りだす、
その社会がある客観的な価値観を作り出したときそれを否定することは間接的に個人を否定することにならない。
個人の否定が「個人の尊厳の確保」を害するものであることはいうまでもない。
よって通常「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値観」に従うことは
「個人の尊厳の確保」に寄与するものである。
又、「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」は根本的には
「相互作用により生まれた歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」
であるからその正当性や、社会の構成員の責任負担が担保されるべきというしかないもので、
功利的な説明や民主主義の原理に当てはめた形での説明は一応できるものの、
それはある価値観が客観的に正当なものであると認識された後の、後づけの説明に過ぎないのが
通例である。
そして社会が歴史を積み重ねていくにつれほぼ全人類にとっての客観的に正当な価値
といっていいほどのものがうまれることもある。
「殺人はしてはいけない」、「盗みはしてはいけない」、「近親相姦はしてはいけない」
これらはもちろん完全に客観的に正当な価値であるということはできない。
あくまで「客観的らしき」、「正当らしき」である。
しかし「殺人はしてもよい」、「盗みをしてもよい」、「近親相姦をしてもよい」
よりは遙かに正当なものであり、「串カツをたれに2度づけしてはいけない」
よりははるかに客観的なものである。
そしてそこまでの価値とはいえないが
「冤罪は現時点ではなくすことはできないがそれでも死刑制度を存続させる」
というのは現在の日本社会においての「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」
であるといっていいのではないか。
似たようなものとして
「交通事故は現時点ではなくすことはできないがそれでも交通制度を存続させる」
というのもあげられる。
「歴史の中で熟成されてきた客観的に正当らしき価値」を確認するのはなかなか
難しいが、多数の人間がその価値を支持しているということ、より上位の全人類に
とっての客観的に正当らしき価値といっていいものに反していないこと、
等からある程度判断可能であると考える。
長文失礼しました。>All
504 :
437>ポパさん :2001/03/23(金) 18:56
3連書き失礼。>>All
なんかまだ変なことを書いている/書き足りないような気もしますけど、
時間的にもポパさんの書き込む日曜まではもう直せませんので、
複数の人を相手に大変でしょうが
>>502 >>503 に反論もしくは間違いの指摘をよろしく願います。
では…
>>477 我が国の国家訴追機構の能力が他国のそれと同等だと言う根拠はあるのか?
結論から言えば無い
ただこの場合、同等であるを証明する必要はない
決定的に差が「ない」ことを証明するで足る。
一方個人の能力差は兎も角、一般に国家規模の集団の持つ総合的な能力に関して
決定的な能力差などというものは存在しない。
それゆえに日本の国家訴追機構が捜査方法など
テクニカルな面を含め決定的に優れているという根拠が存在しない以上
(もし存在するなら是非お教え願いたい)
決定的な差はないと解釈するのは自然なことであろう
私は有罪率の高いことから冤罪の可能性を導いているのではない
「有罪率の高さ」と「現行の刑事司法システム運営の内包する問題」から導かれる
冤罪が発生している可能性、危険性を指摘し、その点を非難しているわけだ
当然、必要であることは「有罪率を下げる」ことではなく
「現行の刑事司法システム運営に内包する問題を改善する」ことだ
無論、結果的に有罪率も低下する可能性は多いにあるが
この冤罪有罪判決減少による有罪率低下は問題とすべき点ではない
そもそも冤罪の犯人を裁くことを社会は要求しておらず
不要であったものが排除されるだけの話である
>>478 私は一言も死刑反対とは述べていない
むしろ賛成派に近い
自己の見解を述べておくと
死刑は法定刑として存在して良いと考える
確かに死刑は「苦を以って更生を為す」という刑罰の原則からの例外であるが
起訴猶予処分、執行猶予処分等、罪の態様が軽いことによる上記原則の例外が
承認されていることからの当然の帰結として
罪の態様が重いことによる例外が承認されて
いるのは論理上不自然なことではない。
またこの例外が国民の多数が必要と感じているならば
感情論的にも否定する必要はない
以上
>>482 ほとんど内容が477に被っているようなので
477への反論である
>>505 を読んでいただきたい
有罪率が他の先進国よりも高いのは多いに結構だが
応報感情を満たさない(=冤罪の可能性を含む)高有罪率であれば
これは非難の対象に当たる、ということ
>>483 そのような応報感情の定義は初耳
「ある人が信じる…」などという抽象的概念は
現行の刑事訴訟システムに合致するものではない
>>486 捏造しているのは貴方でしょう
私は「冤罪は認容すべきでない」という前提の下
「死刑の問題は切り離して考えろ」と述べている
冤罪があるから法定刑に死刑を認めるな、など一言も言っていない
貴方に質問したいが、
>「冤罪(死刑)の出る可能性と応報感情を比較して国民が後者を選んでいる」
国民が冤罪の発生を認容しているという根拠は?
(ちなみに立法府の定める刑事法は冤罪発生を否定するシステムである)
そして重要な確認点であるがそこで比較されている応報感情とはいったい何?
冤罪発生の可能性(応報感情が充足されない可能性)を超えて
国民が選択したというものは何?
510 :
483 :2001/03/24(土) 01:19
>>508 阿呆か、君は。
応報感情の定義などに頼らずとも、常識で考えてみよ。
私が犯人だと思う人間が処罰されれば、わたしの応報感情は満足なのだよ。
その程度のことがわからんでどうする。
511 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 01:33
日本に限って言うなら、「終身刑」がないから死刑は廃止すべき ではない、と思う。 無期懲役といったって、何年かすれば出てこられる。 死刑になるような犯罪者がだれにも知られずに社会に戻ってくる 不安というのは、憲法の言う「公共の福祉」に反すると思うから。
512 :
477 :2001/03/24(土) 01:34
> 決定的に差が「ない」ことを証明するで足る。 はぁ。だから、決定的に差がないことを証明できるのかって聞いてるんだけど。 差を生み出す要素が見つからないからと言って証明にはならないよ。 中学生でもわかってることだ。 > 一般に国家規模の集団の持つ総合的な能力に関して決定的な能力差な > 決定的な能力差などというものは存在しない。 また根拠無しの独創的珍説が出てきたね。証明する方法はあるの? > テクニカルな面を含め決定的 (下らないので略) 有罪率を決定する要素を挙げて御覧よ。捜査テクニックだけの問題じゃ ないことは、中学生にもわかるぜ。 社会思想、人々の倫理観等、定量的比較の困難なものの占めるウェイトは高い。 定量的比較が出来そうな要素だけを取り出して、とりあえず比較検討した ようなそぶりを見せても、学者の自己満足に過ぎないことはわかるだろ。 > 「現行の刑事司法システム運営の内包する問題」 それを具体的に示せばいいのに。 そもそも、有罪率が低くなることと冤罪が減少することがリンクする と考える根拠は何? 他の先進諸国が、日本に比べて冤罪率が低いと言う根拠でもあるの?
>475(
>>509 )
あなたの捏造ヵ所。(
>>457 )
「ゆえに応報感情を充足する冤罪などあり得ない」
何が「ゆえに」なのか。すぐ上に「冤罪が民心に適うとは俺も思ってないし、そう読
めたんなら俺の筆足らずだ。」と書いてあるんだが。
>国民が冤罪の発生を認容しているという根拠は?
なんか、どーしても俺が「冤罪の発生を認容」と言ったように取りたいようだね。
俺が「そうでした、誤ってましたスミマセン」とでも言えば君は満足するのかね?
「冤罪によって死刑がでる可能性だってあり得る。しかし凶悪犯が生きてのうのうと
暮らすことは許せない」これが7割以上の死刑容認派の論理だろ? そうでないとする
なら、死刑容認派はどう考えて賛成していると思ってるんだ? そしてこれをどう読め
ば冤罪そのものに対する認容と取れるんだ?
>そして重要な確認点であるがそこで比較されている応報感情とはいったい何?
坂本弁護士の岳父が「麻原はもちろん、オウムのやつらは、殺した人数分の回数だけ
絞首台に立たせてやりたい。単純な絞首刑で許されるものじゃない。殺した人数分の
“死ぬ恐怖”を味わわせて殺りたい」と公の場で発言しているあたりが参考になるかと。
ルーシー・ブラックマンの父親も、本当なら死刑にしてほしいと言ってたと思うが。
まあ「冤罪はいけない」で終われそうな話なので、この件に関してあなたとの議論は
これ以上望みません。
>Dr.ポパ
>民主主義の前では全ての人の意見が等価でなければならない。(
>>414 )
まあこれは原則とも言える概念だわな。しかし
>>419 の
>責任能力がない人間は責任を負わないでいい分、いくつかの権利も剥奪される
これはおかしいではないか。「責任能力がない」とは、「社会の責任を負える人間」
とは、一体誰がどのように定めたのか。それの回答は恐らくこれだろう。
>(きっちりとした)査定をするには面倒なので、便宜的に20歳未満としてるのでしょう(
>>443 )
ここで疑問。
1.「面倒」という何とも恣意的な理由で個人の責任能力の有無を定めるのは言語道
断の感があるが、どのような理由でそのような“判断”が許されているのか。
2.どういう水準があれば責任応力があると言えるのか。
3.責任能力がない者の責任を誰かが「代行して責任を受ける」ことは正当なのか。
3−a.大衆に「責任能力」があることは誰によって証明されているのか。
>責任代行者がその責任者として不適ならその不当性を訴える機会は仮に責任能力が無くても、あるのだ。(
>>492 )
「革命権」を国民に与えるなら民主主義でなくてもいいということにはなりはしないか。
これは呉智英氏の喩えだが、足を踏まれたときに「あなたは私の人権を侵害しています」
と言うだろうか。「痛てえな! 足どかせよ」と言えば足はどかすのだ。それでもどか
さない奴がいれば殴り合いになるだろう。
>民主主義的に決定すれば全員がその責任を負える。逆に言えば民主主義的でなければ
責任が負えない(
>>415 )
4.全員が責任を負う必要があるのだろうか。そもそも全員が責任を負った結果、そう
でない場合と比べ、どのような利点があるのだろうか。
>Dr.ポパ
>「民主主義の理念とはあくまで全員一致の意志に沿って行動するというものだ」(
>>487 )
とは思えない。それは全体主義以外の何者でもない。「結果として決められたものに
は、異論があっても(行動は)従わねばならない」というならわかるが。
>ヒューマニズムを公理とすることに我々は同意しているのだ。
>なぜならヒューマニズムの否定は全体意思の否定に他ならないからだ。(
>>492 )
やはり民主主義はファシズムに陥るものなのであろうか。
>全ての者が(中略)方法が無いのである。(
>>489 )
論語にすら「過ちて改めざる、これを過ちという」という言葉がある。「失敗を糧に
成長していく過程」なんて人間観は、民主主義と無関係に存在する。何のことはない。
単に「学習能力」というだけの話。学習能力のない民主主義と、それがある非民主主義
では、あなたはどちらが正しい政体だと思うのかね?
>全ての人間の意思に沿ったものはいかなる「正義」よりも「正義」としての価値が高
>い。それは誤痴鋭氏が語る「民意」よりもだ。
そりゃあ、満場一致と過半数では前者のほうが受け入れられ易いに決まってますがな。
残念ながらここで言う民意は大多数の意だし、「いかなる言葉にも劣るもの」によって
政権が選ばれ、法律や法令が決まり、憲法さえ変えられる、という点をご考慮頂きたい。
>逆に言えば一人でもその意思に反するものがあればそこに「正義」としての純正さは
>消え去るものなのである。
そんな正義を誰も求めていないし、それを求めるのは全体主義以外の何者でもない。
>誤痴鋭氏個人を誤痴鋭氏の何も見ずに消去するという「民意」に誤痴鋭氏は入ってな
>いだろう。
悪法もまた法なり。そのときは亡命するか革命を起こすよりなかろう。そもそも、法
の恣意的な適用は、民主主義でなくても良いこととはされまい。
質問への回答 >秩序が維持でき自己防衛機能が高いが、民意に沿ってないものがあったとしたら >それは民意に反してでも実行すべきとお思いですか 実行すべきだ。むろん、不満を抑えつけることのコストと比較してだが。 逆に問いたい。大政奉還以降、日本は近代化を急速に進めるにあたり、国民の間から 不満も出た。何が起こったか。義務教育反対一揆であり、差別廃止反対一揆である。 俺は民意に即することは良いことだと思うが、それが絶対だとは思わない。そして、 その態度を民主的だとも思わない。結果として責任を取る者があれば充分だと思う。 >民衆全員を洗脳させることで最高の秩序と防衛機能を持ったシステムは実行する価値 がありますか? 論理的にあり得る仮定ではないので答えない。ところで民主主義やヒューマニズム・ 近代化教育に基づく「洗脳」には、あなたは同意してはいまいか? 責任能力のない者 に思想や知識を植え付けるのは洗脳以外の何者と言えるのだろうか。 で、直截に訊きましょう。輿論調査では死刑賛成が圧倒的に多数だ。これを非とする にあたって、どのような論理を見せてくれるのか。 1.民主主義を否定する 2.死刑制度は「本来の民主主義」ではないから、この「民意」を無視しても民主主義 の否定にはならない このどちらかしかない気がするのだが。繰り返すが「民意」が本来の民主主義やヒュー マニズムやその他の近代的正義に準拠するという理由は全くない。
518 :
446 :2001/03/24(土) 02:59
>>496 ポパ氏
>「犯罪を犯したか否かに関らず裁判官の言葉に従う事」は了承していないですよね。
例えば俺がポパさんに「百万円おくれ」と言ったとするね。でも、
ポパさんは俺の言葉に従う事は了承しない。(してくれると嬉しい
けど 藁)そこでポパさんは俺に言う。「誰がやるかボゲェ!」
以上、「○○の言葉に従う事を了承しない」とはこういうこと。
なんでこうなるかつーと、俺の言葉には強制力がないからだよね。
ポパさんは大事なことを忘れちゃってるみたいだけど、前も書い
たように、命令には強制力があるからこそ命令たりうるわけで。
裁判官の言葉に従う事を了承してようがしてまいが、強制的に
従わされることになるのを被告は承知してるし、だからこそ裁判官
に「命令の撤回」を求めるのであって、決して「命令に従わない
事」の正当性を訴えてるんじゃないんだよね。
これ、言い回しだけの違いに見えるけど、意味合いは全然違って
くるよ。前者を認めても命令の強制力そのものは保たれるけど、
後者を認めるとそれを失うことになるからね。
てなわけで、前後するけど
>命令が命令としての効果を発揮するのはそれを命令とする社会に属してない限りは通用しませんよね。
これは通用してしまう。いや、無理にでも通用させようとするよ。
それが「命令」ってものの本質だし、だからこそ裁判は単なる意見
交換の場じゃないっていってるの。
で、それが看過できない問題とするならば、現行の裁判制度を破棄
してまったく新しい裁判制度(判決に強制力がない)を構築する
しかなくなるわけだけど、残念ながら俺にはそれが一体どんなもの
なのか見当もつかない。
519 :
446 :2001/03/24(土) 03:14
ちなみに土日はいません。あしからず。
520 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 04:25
ヒューマニズムは言い換えれば「人間中心主義」 つまりエコロジーなんてのとは真っ向からぶつかる考え方。 なんでも人間にとってよければいいこと、っていうこと。 その傲慢さがもたらしたものが何だったのか、考えてみるべき。 人間こそが世界の中心だというのは何の根拠もない。 むしろ民主主義とは、人それぞれに異なる価値観や利害を勝手に ぶつけ合うことから生じる摩擦や闘争を仲裁し、調整する機能で あって、決して絶対的正義などではなく、あくまで「次善の策」 でしかない。 だから、人を殺してはならない、といいつつ、他の人間に対して 降りかかると予想される迷惑や損害を防ぐために、やむを得ず 殺す必要が、民主主義の中には含まれている。 それは完璧ではないけれど、他に道がない選択、とも言える。 しかしながら、であるがゆえに、相当な慎重さと厳重な手続きや 手順、法制度によって規定がされている。 それも完璧とは言えない。だけど完璧はどうあがいても得られない。 あくまでも次善策として、法制度による死刑は存在せざるを得ない。
521 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 06:29
一生強制労働で良いじゃん。 一日20時間くらい単純労働させれば? 国家の黒字になるんとちゃう?
522 :
森喜朗くん :2001/03/24(土) 06:35
___ //⌒  ̄ヽ .|Ξ /⌒~~~~~~⌒ヽ . |Ξξ ー - .| |Ξξ  ゚̄  ゚̄ | |(6 ~ _| ) | | /、__ @` | < 日本は神の国だから、神が人を殺すのだよ! |  ̄ | | /ヽ\ ゝ_____/  ̄∨ ̄ ̄ ̄ .| @`@`) Y | ヽ @` .ゞ ト___ __.|_(Φ. .∧ ∧ |ソ. ゚゚ \. | .(@`@`゚Д゚). |____ト、_@`\ ./ | (____)(____) 〜(___ノ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
523 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 06:35
>>521 残念ながら日本には「終身刑」がないよね。
もしあれば、ぼくもそのほうがいいと思う。それなら死刑を廃止
しても問題がないと思う。
さらには服役中に再審請求ができれば冤罪もかなり減るだろうし。
524 :
韓国人 :2001/03/24(土) 09:14
525 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 18:11
「疑わしきは罰せず」 疑う余地がなく非道なのは死刑。
526 :
名無しさんの主張 :2001/03/24(土) 18:42
>>1 ばかかおまえは? おまえの家族や恋人が殺されたらどーするよ? 犯人殺したいと思うだろ。
527 :
深海魚 :2001/03/25(日) 01:16
誰かも言ってたけど、もう言葉遊びはいい加減にしようぜ。 >475 あまりに、陳腐だ。有罪率が高い事と聞きかじりの知識で、あたかも冤罪大国のように 自己完結してしまって、それを「周知の事実」と言いきってしまっていては、イタ過ぎる。 >520 これも、面白い意見だ。エコロジーなどは、人間の傲慢の象徴でしょう? 人間が暮らしやすく、住み良くする為の「環境」であって、それが「自然」なんだよ。 >ポパ氏 アナタこそ、人間の「死」と言うものを、軽く考えてやしませんか? アナタは、「民主主義や憲法を軽く考えてないか」と言うけれど、人間の死と いうモノをそんなモンにあてはめて決定している事こそ、「死」を軽く考えてないか? アナタは、アナタの言う「民主主義」を絶対的なものではないと述べている。 それはそうだろう。現在世界で一番まともだと考えられている「主義」の一つで、 今のところ、ほかにもっと良いものが無いというだけの事。 アナタは死刑制度を、民主主義の根源に係る問題のように述べてるけど、民意が 反映しない事より重大な事なのか? >誤痴鋭氏 常にアナタの意見には、おおむね賛成なのですが、大政奉還前後の混乱と、ココで言う 「民意」とはちょっと意味が違うと思うが。 「人間は、パンさえあればネガティブである。」と誰かが言ってたが、衣食住が充足さ れていた日本で、他国の主義主張を受け入れるのはそれはさぞかし混乱したでしょう。 結局、最後はみんな死刑制度に明確に反対しない。 誰か反対意見が無いと、(もっと純粋に、死刑は悪いと言う意見)別の議論になっちゃう。 冤罪も主義主張もこの際置いといて、刑罰として死刑は許されるのかを議論すべき。
528 :
ポパ :2001/03/25(日) 02:10
先に
>>527 =深海魚に一言
言葉遊びかどうかは言葉を放つ者のその言葉の裏に何があるか読み取れるかどうかということだ。
最初分からなくても何度も読めば次第に見えてくる。
俺に限らず全ての人の言葉がだ。現に俺自身そうやって読み込んでいるつもりだ。
これも修行と思って気長に読みつづけることをすすめるよ。
あるものに対して良いか悪いかを論じるのは難しい。たいてい水掛け論に終る。
俺はこの議論が建設的な方向に向いて動いている事を喜んでいる。
俺の主張は死刑制度に対して明確な反対ではない。
しかし死刑制度に対してもう一度考え直すいい機会になるはずだ。
原理的に死刑制度が抱える問題点を浮き彫りにするはずだからだ。
そしてそれを説明するためにバックグラウンドを語る必要性があるのだ。
多分かなりの量のレスをつけるのでとりあえずsageで行きます。
529 :
ポパ :2001/03/25(日) 02:33
今回は誤痴鋭氏と380氏をメインに相手にしたいと思う。
他は議論の価値が無いと言ってるわけではない。
難しい議論になってしまうであろうから後回しにしたいということだ。
とりあえず各レスに対する返答を優先して答えたいと思う。
>>475 さん 他の方との議論に対して
あなたの意見はごもっともです。
死刑制度に対して明確な姿勢は全く見せていませんが
法的な見地から見る限りあなたの言葉になんら非は見当たりません。
あなたが私に対した反論「冤罪を持ってして刑を語るべきではない」との言葉も
その通りでしょう。
法的には裁判による結果はまぎれも無い事実であり実在なのですから。
しかし、実在と法的事実は必ずも一致はしない。
その空隙をどうやって埋めるのか?ということです。
埋めようが無いとしてそれでも死刑を容認すべきでしょうか?
これは475さんを法治国家に属する者として聞いているのでは無く一人の人間として聞いてますよ。
>>527 いま日本でバカ主婦たちが熱中してる「エコロジー」、つまり
ゴミの分別がどうこうとか、リサイクルが、というようなレベル
のものについてはあなたがおっしゃる通り。
わたしが言った「エコロジー」というのは、人間の意図的営為
によって地球全体の循環や摂理のチェーンを断ち切ることを
いっさいやめよ、という、本来的な意味でのもの。
老荘思想的、と言えばご理解いただけるだろうか。
531 :
ポパ :2001/03/25(日) 03:38
>>502 、
>>503 =437さん
反論の余地が無いでしょう。
倫理学専攻の方とお見受けします。
私は哲学専攻なので少々的外れかもしれませんが、いくつか感想を。
>つまり民主主義の原理とはあくまで責任を負わせ易くするだけだということである。
この言葉にすら反論することはできません。まぁこれに関しては別でまた触れますが。
>「自己が決定・選択」する前提であるところの、特にまずある選択に失敗
>したときに必要不可欠となる選択の成功不成功の判定、選択の際の判断材料の
>収集が困難な事が多く、更に人間はそもそも完全に自己が決定・選択するという
>ことはありえるのであろうかという疑問もつきまとう。
これは私見ですが東洋ほどそのような傾向が強いと思います。
カントは「人間は皆全ての責任を自分に還元できる(可能である)」という意の言葉を語ってたと思いますが
確かにその明確な区分はありません。
しかし西洋思想では理性的にそれができるという信仰が充満してます。
私も西洋思想にどっぷり浸された人間ですので信仰してますが。
>完全に自己が決定・選択できなかったものについては仮に「自己の決定・選択には
>責任を負わなければならない」を公理として受け入れたとしても完全に責任を負う
>必要はないわけである。
これもその通りなのですが、それを言ったら元も子もないというのが私の感想です。
仮に心でそう思っても決して口に出すべきではないというのが私の心情です。
532 :
ポパ :2001/03/25(日) 03:39
>>502 、
>>503 =437
>私は民主主義の原理は「個人の尊厳の確保」及びそれを原理化したものに
>達するための「方法又は形態」に関する原理であると考える。
私はここで反論しますね。確かに民主主義の原理はそのようなものでしょう。
しかしそれでは多数決の原理の導入が困難だと思います。
多数決の原理の導入は「個人の尊厳の確保」なくしてはできないのではないでしょうか。
そして民主的に多数決が採択された(完了形)とする今の位置付けは「個人の尊厳の確保」を公理
つまりはヒューマニズムを公理として掲げること抜きには語れないと思います。
「個人尊厳の確保」を目指す社会が「個人の尊厳の確保」を必要としてはやはり問題なのではないでしょうか。
言い忘れましたが「個人の尊厳の確保」をすることが「自己の尊厳の確保」につながるという思想が
私はヒューマニズムであると考えるのです。
:本論
私が冤罪を理由に法に価値が無いと主張するならあなたの言う通りかもしれません。
しかし私の主張は冤罪だと主張する者を冤罪でないと確実に決定してしまうべきではないというものです。
その具体的な案として冤罪だと主張する者を死刑にすべきではないと言うのです。
冤罪だと主張する者と裁判官の死刑命令とで裁判官の死刑命令が勝るのは問題でしょう。
終身刑なら刑の執行後仮に冤罪だと認められなくても未だ反論の余地は残されてます。
しかし死刑なら反論の余地すら残されていません。
冤罪そのものはもちろん倫理に反しますが、
冤罪かどうか分からないのであれば(法的にではなく実在として)刑を優先させてもよいでしょう。あなたが503で展開した通りに。
しかし冤罪かどうか分からない者(法的にではなく実在として)を死刑にするのは早計ではないのでしょうか。
533 :
ポパ :2001/03/25(日) 05:41
>誤痴鋭氏
先に一言、私はまだマスターです。
おそらくご冗談でしょうがドクターではありません。
>>515 >1、「面倒」という何とも恣意的な理由で個人の責任能力の有無を定めるのは言語道
>断の感があるが、どのような理由でそのような“判断”が許されているのか。
恣意的と言うよりはむしろ現実的でしょう。
しかし、このような判断に公正さはかけらもありようがないのです。
なぜならヒューマニズムにおいても「人間」の語の指すものがいかようにも変化するからです。
過去の歴史を振り返るなら
ギリシャ人のみ、白人のキリスト教徒のみ、白人のみ、将来キリスト教徒になる可能性を持つ人間のみ
と人間のくくりですら未だヒトと一体化してはいません。
来る将来「人間」の括りに犬や猫のペット、アトムみたいにロボット、果ては宇宙人まで入ってくるかもしれません。
我々が社会を構築する人間を語るときはたいてい理性的な人間を指します。
産まれてきた赤子に対して理性的人間という語が不適なことは理由ではなく明らかなことです。
>2.どういう水準があれば責任応力があると言えるのか。
基本は判断能力です。まず善悪の判断、道徳ですね。そして一般常識、社会常識の有無。
そして状況を見て未来を予測できる能力の有無、日常的な変化の中で健全な精神状態を維持できる能力などです。
具体的にはその専門家によるテクニカルなものになると思います。
私はそこまでは知りません。
>3.責任能力がない者の責任を誰かが「代行して責任を受ける」ことは正当なのか。
う〜ん、分かりません。
例えば、親が子供の行動の責任を負う、飼い主がペットの行動の責任を負う、これらは本当に正当なのでしょうか。
しかし我々ですら政治的代行者の行動の責任を負っているではありませんか!という言い逃れは通用しませんか?
>3−a.大衆に「責任能力」があることは誰によって証明されているのか。
誰にも証明されてません。しかし逆に言えば無いことも証明されてません。
どちらの証明もまた不可能でしょう。
一人の人間が出現し彼が「大衆は愚劣で何が善いか判断できない。唯一それを判断できるのは俺だけだ!」と語ったとき
彼が間違っていることを証明することは100%不可能でしょう。
>「革命権」を国民に与えるなら民主主義でなくてもいいということにはなりはしないか。
「革命権」では話は違うでしょう。私は最初の一人を説得すれば事実上あると言っても過言ではないと述べている。
逆に言えば最初の一人が全く聞く耳を持たず不当な抑圧を続けるならそれを訴える権利があるのだ。
変な例えなら上司に直訴して上司がダメだと分かったらそれ(上司がダメ)を上司の上に叩きつけろということだ。
>4.全員が責任を負う必要があるのだろうか。そもそも全員が責任を負った結果、そう
>でない場合と比べ、どのような利点があるのだろうか。
前述した通り、誤痴鋭氏自身の言葉を借りるなら学習効果が高いということだ。
534 :
ポパ :2001/03/25(日) 05:42
>>516 >それ(民主主義)は全体主義以外の何者でもない。「結果として決められたものに
>は、異論があっても(行動は)従わねばならない」というならわかるが。
その通り、民主主義とは基本は全会一致でなければならない。
要は全体主義だ。しかし、誤痴鋭氏が語る民意と一体どの程度差があるというのだろうか?
>やはり民主主義はファシズムに陥るものなのであろうか。
いかなる主義、制度もファシズムに陥る危険性はある。
その中で民主主義はその危険性が最も低いといえる。
ファシズムの元凶、それは全体意思、国家意思と評して何を表すかだ。
民主主義が掲げる全体意思は全会一致である全員意思を踏まえた多数派の賛同を得られた意見だ。
>学習能力のない民主主義と、それがある非民主主義
>では、あなたはどちらが正しい政体だと思うのかね?
学習能力の無い民主主義の原理は存在しようがないから誤痴鋭氏の語る民主主義は制度上の民主主義だととらえる。
ならば学習能力の無い民主主義だ。
理由はこうだ。
学習能力のある非民主主義はそれが現在学習能力があるだけで将来的にも学習能力を維持できるとは限らない。
しかし民主主義は異なる。原理的にその責任が国民に還元されるシステムである民主主義はいずれ国民が気づく。
そして国民が思考し理性的な判断を下す生き物である限り、民主主義の経験的な成長(学習能力)は止めようがないのである。
>悪法もまた法なり。そのときは亡命するか革命を起こすよりなかろう。そもそも、法
>の恣意的な適用は、民主主義でなくても良いこととはされまい。
あげあしをとるなら「悪法もまた法なり」と言うからにはソクラテスの如く黙って殺されるべきでしょう。
法ではないと思うから逃げるのでしょう。
さて、ではなぜ法の恣意的な適用が悪いのか?、私はこの答えこそがヒューマニズムだと考える。
具体的にパターンを3つに分けて語るならば
A「民意」
B「全員意思」民主主義の原理
C「過半数の意見ただし民主主義に沿ったもの」
ただし、民意は誤痴鋭氏を殺す方向に向いているとする。もちろん誤痴鋭氏に罪は無い。
A、誤痴鋭氏自身の意見に関らず誤痴鋭氏は殺される。
B、誤痴鋭氏自身が「殺してよい」なら誤痴鋭氏は殺される。
誤痴鋭氏自身が「殺してはいけない」なら誤痴鋭氏は殺されない。
C、誤痴鋭氏の意見に関らず誤痴鋭氏の身柄は決定する。
しかし、多数決採択の前に充分な議論をしなければならない。
民主主義の原理によりこれに誤痴鋭氏は参加できる。
ここで誤痴鋭氏は自らの意見、主張を述べれる。
殺されたくなければ自分を殺すことが全員にとって悪であることを諭すべきだろう。
その後、多数決の結果、誤痴鋭氏自身の身柄の扱いが決定する。
ここで、誤痴鋭氏の意思とは別の結果が出ても語痴鋭氏は多数決での結果を全員意思とすることに了承しているので問題はない。
となる。ここで誤痴鋭氏がいかなる主張を繰り広げるか、それはヒューマニズムに訴えるしかないだろう。
誤痴鋭氏はこう言う「私を殺すということはあなたたち自身を殺すということですよ。それでもやりますか?」
彼らは誤痴鋭氏ではない。しかし、無知のヴェールを被った彼らが誤痴鋭氏と変わらないなら
それは彼ら自身を殺すことに他ならないのである。
そこで仮に殺してしまったとしても、そこから来る彼らの反省は
「誤痴鋭氏を殺すべきではなかった」ではなく「何の罪も持たない者を殺すべきではなかった」となる。
535 :
ポパ :2001/03/25(日) 05:45
>>517 >実行すべきだ。むろん、不満を抑えつけることのコストと比較してだが。
>逆に問いたい。大政奉還以降、日本は近代化を急速に進めるにあたり、国民の間から
>不満も出た。何が起こったか。義務教育反対一揆であり、差別廃止反対一揆である。
>俺は民意に即することは良いことだと思うが、それが絶対だとは思わない。そして、
>その態度を民主的だとも思わない。結果として責任を取る者があれば充分だと思う。
民主的に行うことは必ずしも最良の結果を齎すとは限らない。
得てして最悪の結果を齎す場合もある。
しかし民主的に行うことは前の失敗の反省が必ずどこかに残る。
明治維新は成功した。しかし、失敗してたらどうなるか。
明治維新の全てが否定される。
現に大戦の失敗からその全てに目を背けるケースを多々見てきたであろう。
その原因は何か、国民が責任を取れていないからである。
自分達の行いでないからしっかりと観察できないのだ。
我々は破滅的な行為をすべきではない。もちろん極力不毛な行為をすべきでもない。
最も生産的な手法、それを科学的手法に求めた結果、最大限の価値を得たのが民主主義だろう。
>ところで民主主義やヒューマニズム・
>近代化教育に基づく「洗脳」には、あなたは同意してはいまいか? 責任能力のない者
>に思想や知識を植え付けるのは洗脳以外の何者と言えるのだろうか。
確かに洗脳している。洗脳されるな、と。理性的な人間であれ、と。
つまりは洗脳にかからない自分の理性で判断できる能力を身につけろと。
しかし論理的には矛盾しない。その反論が自己言及だからだ。
>で、直截に訊きましょう。輿論調査では死刑賛成が圧倒的に多数だ。これを非とする
>にあたって、どのような論理を見せてくれるのか。
>1.民主主義を否定する
>2.死刑制度は「本来の民主主義」ではないから、この「民意」を無視しても民主主義
>の否定にはならない
どちらかと言えば2に近いかな。
答えは簡単だ。
民主主義の原理を用いれば一度了承したことを再度民主主義で変更することが禁じられはしないのだ。
いや、むしろ当然の判断だ。
なぜなら民主的な決定は最良の結果を齎すものではない、間違えうると言ってるではないか。
間違いはきちんと思考して(議論して)直す。これが民主主義だ。
ここでそれはおかしいのではないか?と反論を挙げれることが民主主義なのであり、
民意を盾にその主張を封じることが非民主主義なのだ。(つまりは所詮多数決主義)
536 :
名無しさんの主張 :2001/03/25(日) 05:50
小学生の頃、自営業を営んでいた父を、ませたクラスメイトが ミナちゃんのお父さんは低学歴だからお豆腐屋さんなんだね!と 馬鹿にした。私は深い意味も考えずに少しづつ父に対して、低学歴 だから…と見下すようになっていった。 せめて自分は、高学歴の男と一緒になろうと思った。子を持った とき、自分の父を尊敬してもらいたかったからだ。それが愛情だと 信じた。 結婚した相手はミナの望み通り、高学歴の男だった。結婚前の漠 とした不安はあったものの自分では上出来だと思っていた。 数年経ち、男は仕事のストレスを全て家に持ち帰ってはミナに当り 散らした。厭味をいうのは日常茶飯事だった。「ただの飯炊き女」 「俺がいなければ生きていけないのだから、せいぜい奉仕しろ」など 外面の良さとは裏腹なだけにミナには耐え難いものになっていった。 結婚前の不安は的中した。 ミナは母にも愚痴をこぼす日が多くなった。離婚さえ頭をよぎっ た。 ある日。普段は酒を飲まない父が珍しく泥酔し、ミナの家を訪れ た。そしていきなり夫の前に土下座すると「この子は、本当に大切に 育てた可愛い娘なんです。頼む、幸せにしてやってください」と頭 を垂れた。夫は激怒した。 足元の覚束ない父を担ぐように夜の町をミナは実家への道のりを 歩いた。「ミナは、本当にいい子なんだ、大切な娘なんだ…」父の つぶやきがミナの耳を何度も打つ。 お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい。 ミナは人目もはばからずに涙を落とした。 ミナは、離婚に踏み切った。心配顔の父に、久しぶりに屈託 のない 笑顔を向けながらミナは言った。 「心配しないで。私、今幸せだから。今度はお父さんみたいな、家族 想いの優しい人と結婚しようかな」
537 :
ポパ :2001/03/25(日) 06:06
>>518 =446
ちょっと疲れ気味、見当違いの反論かもしれんが
>「命令の撤回」を求めるのであって、決して「命令に従わない
>事」の正当性を訴えてるんじゃないんだよね。
で、「命令の撤回」を求める理由だよね。
それが「死ぬのがいやだから懲役にして(了承を得た死刑と俺がするもの)」なら正当性のかけらも無い要求だけど
「そもそもそんな犯罪やってないんだ]と言うなら問題だよね。
懲役なら「んじゃ証拠もってこいやゴルァ!」でまだすむけど
死刑なら「お前どうせ死んじゃうから何言っても無駄&hearts;」なわけよ。
これは問題なのよ。
>深海魚
>>527 >アナタこそ、人間の「死」と言うものを、軽く考えてやしませんか?
私は「死」についてまだ何も規定できず語れる身分ではない。
だから「死」が軽かろうと重かろうと語れる分野でのみ語るだけだ。
>アナタは死刑制度を、民主主義の根源に係る問題のように述べてるけど、民意が
>反映しない事より重大な事なのか?
民意は全員意思を持ってはじめて民意である。
一人の(正常な)人間を殺さない限り民意を保てない民意はすでに民意ではない。
100%確実で犯人も罪を認めてる場合なら死刑でいいんじゃねぇの?
>民意は全員意思を持ってはじめて民意である。 >一人の(正常な)人間を殺さない限り民意を保てない民意はすでに民意ではない。 もしあなたの妻と娘が数日にわたって監禁、輪姦された後殺害されたとして、 あなたはその犯人を(正常な)人間といえますか? それとも身体的機能面で正常と判断してるんですか?精神は抜きで。 この文理解不能なんですけど。 あと、生命の意味、価値なんて考えてもわかるんですか? たまたま人間が地球に生まれただけなんだと思うんですけど。 そんな哲学的で答えの見つからないような考えで判断するより、 現実に即したより社会ルールを維持する為のものさしで物事決めてった方がいいョ。 理想好きの人権派は山へこもってろ!
540 :
ポパ :2001/03/25(日) 06:52
>>539 こういう馬鹿がいるから誰も死刑に反対と言う奴がいねーんだよ
>あなたはその犯人を(正常な)人間といえますか?
正常なはずないだろ。
刑法レベルの犯罪犯した人間で正常な奴なんて一人でもいるかよ
誤読する馬鹿はどっか別のとこ逝け!
541 :
ポパ :2001/03/25(日) 06:54
やべっ今のやりとりで380へのレスどっかいっちったよ クソ!
542 :
ポパ :2001/03/25(日) 06:55
>>500 、
>>501 =380
380は面白いことを言ったのでそこをとりあげたいと思う。
私の意見は、たいていの者が社会で生活していく上でする契約は
「犯罪を犯したら罰を受け、それは裁判所の判断に従う」というものだ。
だから私は犯罪を犯してない者は裁判所の命令に反対を表明することができる
と展開したが
社会との契約が「実在がどうであろうとも裁判の結果が実在とし、法に従い罰を受けること」とするなら話は変わる。
そこを了承したとするかしないか、であろう。
この思考に従うなら冤罪そのものを訴えることができない。
仮に冤罪であったとしてもそれが裁判の結果、そう判断されたものなら
冤罪であることを証明できなかった自身にその責任を還元せよということである。
これなら論理として全くの問題はない。
では380氏に質問する。本当にそれでよいのか?
現実に冤罪にあったと100%言い切れる者を前にして君はそう語れるのか?
一昔前のナチ警のありさまを見てそう語れるのか?
我々は今健全な国家で産まれ健全なる社会で生活している。
その裕福さが取り払われてもそう語れるのか?
と、論理ではなく人の心に訴えてみた。
>この矛盾はヒューマニズムが内包する根本的な矛盾だよ。
>そこで性善であるとは言い切れない人間は、嘘を見破るシステムを構築する
>という難作業に挑戦せざるを得ないわけだよ。
>こんなこと、千年以上前の中国で議論され尽くしたことだがね。
ヒューマニズムが性善とはピンと来ないが確かにヒューマニズムは矛盾を内包する思想だ。
しかし、嘘を見破るシステムなるものも完全なわけではない。
その隙間をどうするか?というのが問題だ。
我々と実在との間にどうしようもない隔たりがあった時、
それでも死刑にする理由とは一体なんなのだ?
>「冤罪でも死刑」の可能性は、冤罪をなくす努力を続けることによって
>限り無くゼロに近づけられる。
>「了承付きで死刑を認可」は、嘘つきが得をするという、最悪の事態だ。
>こんなのがダメなのは、幼稚園児にだってわかる。
>「死刑制度を撤廃」 は、その時代、社会の思想しだいだね。
>というわけで、「了承付きで死刑を認可」が最悪。
では聞こう。冤罪の可能性が無視できない以上、死刑制度は原理的な問題を有する。
従って死刑は全廃すべきだ。
という意見に対して君はどう反論するつもりなのか?
>死刑判決の可能性のある事件としてオウム裁判を例にとるよ。
>実行犯は「麻原が命令した」と証言する。
>麻原は「そんな命令出していない。実行犯が勝手にやった」と証言する。
>どちらかが嘘を言ってるってのは、100%明白だ。両立しないんだから。
>さて、どっちを信用するの? 現実にはありえないこと、つまり両方の
>言うことが正しいという判断をするのがヒューマニズム?
ヒューマニズムは判断そのものはしない。
冤罪の可能性だって冤罪とも冤罪で無いとも言わない。
どちらが本当でどちらが嘘か我々は本質的に(実在として)知りようがないというのが実情である。
543 :
437 :2001/03/25(日) 07:01
自分にも経験があるのだがポパさんの様な立場に立つと非常に 辛い。 ポパさんの様な立場とは1人で論点が違う複数の人を相手に しなければいけないような立場のことだ。 ポパさんへの反論をする際には現状がポパさんの時間的能力的 処理能力を越えていないか考えてすることが必要でないかと 自戒をこめて思うのだがどうだろう。>>All とりあえず私(437)は特にポパさんの要望がない限りこれをもって 反論を控えたいと思う。
544 :
ポパ :2001/03/25(日) 07:33
>>538 >100%確実で犯人も罪を認めてる場合なら死刑でいいんじゃねぇの
その通りです。少なくともこの実在の問題から言えば死刑にすることに何ら非はありません。
あとは別の死刑反対派を説得してください。
>>511 >日本に限って言うなら、「終身刑」がないから死刑は廃止すべきではない、と思う。
私もそう思います。現状で死刑のみを廃止するのはとても危険です。
刑罰に関して一度徹底的に思考しなおして再度つくりかえるべきでしょう。
>>543 =347
お気遣いありがとうございます。
処理能力は超えてますが私としてもこのような議論は勉強になるのです。
今まで自分に見えてなかったもの、論理として不足していたものが分かりますので。
できれば私としてはある程度参加して欲しいと思っております。激論はちときついかな。
自分は倫理学はそれほどやっていないので学の足らないところがあれば教えてください。
私は本当に処理能力に限界がきたらコテハン捨てて逃げ出す人間ですので。
気を使われるより2ちゃんで暴言吐きあってるほうが好きだからこんなところにいたりするのです。
どうぞお気使いなく。気が向けば反論、向かなければ無視すればいいのです。
「民主主義はベストではない」、「民主主義の致命的な欠陥」はまた後日。
次は火曜の深夜か水曜になると思います。では長文、連続カキコ失礼しました。
545 :
こまわり君 :2001/03/25(日) 07:50
シケイ!
546 :
名無しさんの主張 :2001/03/25(日) 16:43
下らない小理屈たれてんじゃねえよ。 理屈でアタマががんじらめになってんじゃねえのか?
>>1 バカかてめーは??
ムカツク殺人者どもはなァ、全員死刑にすればいいんだよ。
あいつら生きてるだけでストレス溜まる。あんまイライラしたくねーんだよこっちは。
> 私の意見は、たいていの者が社会で生活していく上でする契約は > 「犯罪を犯したら罰を受け、それは裁判所の判断に従う」というものだ。 「裁判所の判断に従う」という契約がなされているなら、それで十分ですが。 > だから私は犯罪を犯してない者は裁判所の命令に反対を表明することができる 「裁判所の判断に従う」という契約がなされているなら、契約通り判決に従えばいいと 思うけど。 > 社会との契約が「実在がどうであろうとも裁判の結果が実在とし、法に従い罰を受けること」 > とするなら話は変わる。 実在と裁判の結果は質的に別物ですね。実際は殺人犯でも裁判所が証拠不十分とすれば 無罪でしょう。実在は実在。判決とは独立して存在し変えようがありません。 裁判所が事実に反する判断をした場合「裁判の結果が実在と」することなんてできないし、 また、する必要もないのです。 くり返しますが、「裁判所の判断に従う」という契約があるなら、それで十分ですよ。 冤罪でも死刑です。手続き論的にはね。 ただ、判決を覆すような証拠が出たと裁判所が認めた場合には、再審が行われます。 「冤罪で死刑」と「冤罪で懲役刑」の違いを述べるなら、判決を覆すような証拠を 捜すタイムリミットを裁判所が設定するかどうかですね。 このタイムリミット設定が不当かどうかは、判決を覆すような証拠が出る可能性に かかっています。つまり、この可能性を限り無くゼロに近付けることによって タイムリミット設定が不当とは言えない状態にできる。と私は考えます。 > 現実に冤罪にあったと100%言い切れる者を前にして君はそう語れるのか? 「100%言い切れる」程の証拠があるなら、再審請求が通ると思いますよ。 実際は死刑判決が確定してから、法務大臣がハンをつくまで、かなりの時間が ありますね。数年に及ぶ様です。判決に疑問がある場合には再審請求が行われて いますが、そういうケースでは大臣はなかなかハンをつかない様です。 いい証拠があれば、タイムリミット前に再審無罪を勝ち取れるでしょう。
> 一昔前のナチ警のありさまを見てそう語れるのか? ナチ警については詳しくありませんが、先に述べた「判決を覆すような証拠が出る可能性」 が高い場合には、死刑は不当だと思います。 社会契約的な文脈で語れば、「裁判所の判断に従う」代わりに、国民は「裁判中に自由に 反論ができる」等様々な条件をつけることができる。そのようにして「判決を覆すような 証拠が出る可能性」を引き下げれば良いのです。 > と、論理ではなく人の心に訴えてみた。 冤罪そのものが不当であることは、当然です。上の議論は「冤罪で懲役刑は許容範囲内である」 という前提の上での話です。 > 我々と実在との間にどうしようもない隔たりがあった時、 > それでも死刑にする理由とは一体なんなのだ? 裁判所は、実在を100%知ることは出来ません。だからといって、それを探る努力を放棄 することも出来ません。現実生活で不当な目にあったとき、それを裁判所は認めてくれ、 処罰してくれるという幻想があって、初めて人々は法を守ることができるわけです。 その幻想がなくなれば、不安をかかえる人々はヤクザの親分に頼ることになるでしょう。 死刑については「死をもってつぐなうべき罪」が存在すると、人々が考えているなら、 それを認定し、執行する責任が裁判所にあるわけです。 > では聞こう。冤罪の可能性が無視できない以上、死刑制度は原理的な問題を有する。 > よって死刑は全廃すべきだ。 > という意見に対して君はどう反論するつもりなのか? 冤罪そのものが不当であることは当然ですが、その主張は「冤罪で懲役刑は許容範囲内である」 という前提の上に立っていますね。くり返し述べたように「冤罪で懲役刑が許容できるのなら、 冤罪で死刑を許容できない理由はない」というのが私の反論です。 > ヒューマニズムは判断そのものはしない。 > 冤罪の可能性だって冤罪とも冤罪で無いとも言わない。 > どちらが本当でどちらが嘘か我々は本質的に(実在として)知りようがないというのが実情である。 ポパ氏は、ヒューマニズムを司法制度に適用しようとしているのだと思っていましたが。 「実在として知りようがない」がヒューマニズム的結論だとすれば、ヒューマニズムと司法制度は 相容れないということですね。
550 :
名無しさんの主張 :2001/03/26(月) 13:11
>深海魚さん(
>>527 )
逆ではありますまいか。混乱期のこれらの行為こそ、むしろ本来の姿として捉うべき
ものなのでは?
>ポパ氏
なんか本題が380氏と盛り上がってる感じなので控えめに。
あなたの言う正しい民主主義とは、政治学・哲学的には正しいことなのかもしれない。
しかし大衆の支持のないその「正しさ」はどのように保証されるのか。
ヒューマニズムを国民が支持しているようなことを書いておられるが、現に死刑制度
は事実上信任されている。いわば国民はあなたの言うような(理想の)民主主義は支持
していないと思うのだが。
>法ではないと思うから逃げるのでしょう。
否。法だと思うから、法の及ばぬ地域に逃げるか、法の効力を保証する国家を倒すの
です。私を殺そうとする物理的な力を個人で妨げることは事実上不可能であり、法によ
る制御がなければ、民意という事実上の最大の暴力機構に抗することができないからだ。
>間違いはきちんと思考して(議論して)直す。これが民主主義だ。
これが怪しい。実際問題として過ちが改められているかというのもともかく、民主主
義でなければ「間違いはきちんと思考して(議論して)直す」ことができないというのは
何を根拠にしての話なのか。「反論を挙げれること」というのは「衆知を集める」ある
いは「寛容」などの概念で吸収できないのだろうか。
ナチスと言えば、ドイツでは研究目的以外ではナチ文書を読めないそうだし、ホロコ ーストはなかったという類の発言も禁じられている。「マルコポーロ」もそれに絡んで ユダヤ系外資企業の圧力もあってか、廃刊に追い込まれた。 それから、死刑廃止国であるはずのイスラエルで、アイヒマンは吊されている。 これらはやはりヒューマニズム・民主主義の立場からはあってはならないことだと思 うのだが、こうしたユダヤ人の心情についてあなたはどう思われるか。 俺は許されると思う。ただしそれはユダヤ人の正義として。そしてその価値を我々が 負う必要はないと思うのだが。
553 :
深海魚 :2001/03/27(火) 01:21
>551 誤痴鋭氏 そうでしょうか?当時の時代背景を考えれば、大衆が不安や不満を持つのは当たり前 だと思うのですが・・・。先にも書いたとおり、安定は変化を求めないと思うのです。 >ポパ氏 私は哲学も倫理も勉強した事無いので良くわかりませんが、アナタの主張する民主主義 は、民主主義の常識なのですか?それは、我々のような無知な人間が立ち入る事の許され 無い不変の原理なのでしょうか?
554 :
名無しさんの主張 :2001/03/27(火) 02:12
死刑賛成。 もし死刑が廃止されたとして 身内がかくたる落度なく コンクリ女子高生のように無惨に殺されたら 草の根わけても探し出し復讐する。 決意がなれば法律など頭から消える。 邪魔する奴は誰であろうといかなる事情が あろうと容赦しない。
555 :
ポパ :2001/03/29(木) 07:23
>ALL 寝てしまいました。 レスが遅くなってすみません。 ちょっと流し読みをして少々語弊が生じたと思うので少しまとめたいと思います。 私がヒューマニズムを強く言い過ぎたためにヒューマニズムとポパーの思考が混同されたと思うので整理します。 私の論理の段階を分類するなら 1、ヒューマニズム(自分と他人は等価という思想、で信仰でしかない) 2、理性主義(カール・ポパーの人間観「人間は理性的生き物であり科学的手法がベターな手法である」という思考)(注) 3、民主主義の理念(ヒューマニズムと理性主義を基盤に構築された理念) と分けられると思います。 (注:「理性主義」という語は語弊があるがこの議論の場では最も理解しやすいと思われるためこの語で通します) では長文レスをつけたいと思います。
556 :
ポパ :2001/03/29(木) 08:31
>誤痴鋭氏
>>551 、
>>552 前文は後回しにします。
>否。法だと思うから、法の及ばぬ地域に逃げるか、法の効力を保証する国家を倒すのです。
>民意という事実上の最大の暴力機構に抗することができないからだ。
ふむ、では誤痴鋭氏は法の強制力に対して反対するならば、革命権以外にありえないとお考えなのですね。
確かに革命権がある限り、我々が属する社会とは無関係に自然状態に属する一人間として行動可能です。
しかし、革命はまさしくそれまでの社会が積み上げたものを壊す行為です。
革命権を多いに認める社会よりは革命権を行使する必要が無い社会のほうがより良い社会であると言えるのではないでしょうか。
>民主主義でなければ「間違いはきちんと思考して(議論して)直す」ことができないというのは
>何を根拠にしての話なのか。「反論を挙げれること」というのは「衆知を集める」ある
>いは「寛容」などの概念で吸収できないのだろうか。
確かに民主主義でなかろうとも間違いを改めることはできる。
しかし、民主主義ほど間違いを改めることができるシステムはない。
民主主義は原理的にたった一人でも疑問が生じればその疑問を解決せねばならないシステムです。
反論があれば議論によってその反論を打ち破る必要性があるのです。
前回のレスのように民意を持ってきて反論をつぶす社会は間違いを改める社会とは言えないでしょう。
なぜなら間違いを改めるには「間違いではないのか?」という意見そのものを制限する社会であってはならないからです。
ここはカール・ポパーの科学観が強く現れる箇所です。
カール・ポパーの科学観は正しさとは反論を乗り越えてきた経験によって大小するものなのです。
如何なる反論に対してそれを論理的に退けてきた理論は(仮に将来その誤りが認められたとしても)
その時点で最も正しさの価値がある理論なのです。
557 :
ポパ :2001/03/29(木) 08:31
>誤痴鋭氏
>>552 >ナチスと言えば、ドイツでは研究目的以外ではナチ文書を読めないそうだし、ホロコ
>ーストはなかったという類の発言も禁じられている。「マルコポーロ」もそれに絡んで
>ユダヤ系外資企業の圧力もあってか、廃刊に追い込まれた。
>それから、死刑廃止国であるはずのイスラエルで、アイヒマンは吊されている。
>こうしたユダヤ人の心情についてあなたはどう思われるか。
彼らユダヤ人は民族的遺恨によってそれらを成すのではない。
仮に建前であろうともそれらをヒューマニズムに反するものとして吊るし上げている。
しかし基本的には民主主義の理念に極めて反する行為だ。
・焚書は人間的に最も忌むべき行為の一つ。
人間が理性的な生き物である限り、本の存在自体消すということはある知識を存在自体消すことに変わりいため、
最も忌むべき行為の一つである。それはいかなる理由があろうともである。
例えその本が間違っていたとしても、間違いを間違いであると論じることで正しいことの正しさがより証明されるためである。
(しかし悲しいことに例外がある)
しかし例外がある。
それは本(知識)自体が理性を超えて訴えてくるもの。つまりは洗脳効果をもつもの。
知識自体が上の原理に反するもの、つまりは理性主義に反し、かつヒューマニズムに反する本。
仮にある本(知識)を読むことでその本(知識)以外の本(知識)全てを焼き捨てる行為に及ばせる本(知識)であるなら
その、ある本(知識)は焼き捨ててもよいとなる。
しかし人間の理性を信じるならばユダヤ人の行為は極めて良くない行為である。
>俺は許されると思う。ただしそれはユダヤ人の正義として。
>そしてその価値を我々が負う必要はないと思うのだが。
後文はその通りだが、私は民族的正義などというものの存在自体を認められない。
というよりも民族的正義は全くもって正義とは呼べない。
私的正義という言葉が持つ矛盾は正義とはかけ離れたところにある。
558 :
ポパ :2001/03/29(木) 09:11
>誤痴鋭氏
>>551 >あなたの言う正しい民主主義とは、政治学・哲学的には正しいことなのかもしれない。
>しかし大衆の支持のないその「正しさ」はどのように保証されるのか。
大衆に力を与えたのはヒューマニズムであり民主主義だ。理念無き民主主義は力の意味を知らない力でしかない。
そのようなものは力としてもその強さを維持できない。いずれさらに大きい力につぶされるのが落ちだ。
しかし、それよりもはやく力の意味に気づくであろう。
なぜなら大衆が強い力を維持しようと考えるならばヒューマニズムや民主主義の理念を知る必要性があるからだ。
>ヒューマニズムを国民が支持しているようなことを書いておられるが、現に死刑制度
>は事実上信任されている。いわば国民はあなたの言うような(理想の)民主主義は支持
>していないと思うのだが。
私の語る民主主義の理念を知れば死刑制度は撤廃されるかというと必ずしもそうではない。
死刑制度を撤廃しないで解決する方法もある。
私は実在の問題から迫っているのであり、その問題が解決するなら死刑もまたヒューマニズムに縛られることはない。
日本以外でも死刑制度そのものを撤廃した国もあれば別の制度を組み込むことで実在の問題を解決した(死刑可)国もある。
私の主張もまた了承つきの死刑でしかなかったわけだ。
誰かが言ってたが冤罪が無ければこの問題は生じないのである。
しかしその選択の全てにおいてデメリットがあることだけは確かだ。
そして我々はそのデメリットを理解して行動しなければならないのである。
それが理性的な生き物である人間のとるべき態度ではないのだろうか。
我々が思考し選択しうるのは司法制度における刑罰として死刑が是か否かである。
これすら充分な議論、思考の末に選択していかなければならない問題であるが、
ヒューマニズムや民主主義はその問題には触れない。
なぜならそれらの原理自体は至極簡単なものであり具体的な個々の事例に対して判断をするものではないからだ。
私が攻めた場所は実は司法制度としての死刑として語ってはいない。
そこを475氏に反論されたが、はっきり言えば卑怯な戦法である。
私がなぜこのような戦法を取ったかと言うならば、
「所詮ヒューマニズム」という言葉に煽られたということだ。
559 :
ポパ :2001/03/29(木) 09:53
>深海魚氏
>>553 >アナタの主張する民主主義は、民主主義の常識なのですか?
常識をベースにそれを論理立てて説明するのに、カール・ポパーの解釈を使用して
私自身が解析しています。
従ってカール・ポパーの誤り、私自身の誤り、私のカール・ポパー解釈の誤り、の三点が存在する可能性はあります。
が、民主主義が全会一致で多数決を採択した制度であること(民主主義の原理)は事実であり、常識です。
>それは、我々のような無知な人間が立ち入る事の許され無い普遍の原理なのでしょうか?
民主主義の原理、多数決の原理自体は普遍の原理です。(定義ですから)
1足す1が2であるのと同じように。
問題はなぜ民主主義というシステムを我々は支持するのか(そのシステムに縛られねばならないのか)ということです。
その説明、つまり民主主義の価値に対する説明としてヒューマニズムと理性主義を私は挙げたのです。
理性主義はあくまで人間観にすぎませんから、否定して新たに何かを構築することはできるでしょう。
しかし、それ自体、理性的、理論的に行わなければならない(理性主義に沿わねばならない)という問題が生じます。
ヒューマニズムは信仰です。それを公理とできる論理性はかけらもありません。
これが昨今の哲学者、倫理学者の頭を悩ませる箇所でしょう。
ヒューマニズムとは一言で言えば次のようなものです。
「同じ人間(この語は定義せず)なら自分(一人称)と他人(三人称)は同じ(等価)である。」
という思想です。
ですからどのような人間でもヒューマニズムを捨てることで民主主義を破棄することは可能です。
あぁ民主主義の原理は定義ですが、
もちろんどのような人間でもこのような思考に参加すべきでしょう。
そして納得がいかない箇所があれば否定、批判すればよいのです。
そしてそれに対し返答する。
それを理論的に行えば、カール・ポパーが論じた科学的な進展がそこにはあるのです。
560 :
ポパ :2001/03/29(木) 10:25
>380氏
>>548 >> 私の意見は、たいていの者が社会で生活していく上でする契約は
>> 「犯罪を犯したら罰を受け、それは裁判所の判断に従う」というものだ。
>「裁判所の判断に従う」という契約がなされているなら、それで十分ですが。
>> だから私は犯罪を犯してない者は裁判所の命令に反対を表明することができる
>「裁判所の判断に従う」という契約がなされているなら、契約通り判決に従えばいいと
>思うけど。
結ばれた契約はあくまで「犯罪を犯したら」の条件付きであり
「如何なる時、如何なる不当なものに対しても」であるべきではならない。
それは悪法(悪裁判所)に対しても反論できない(それがおかしいと言えない)というものは危険であるからだ。
>実在と裁判の結果は質的に別物ですね。実際は殺人犯でも裁判所が証拠不十分とすれば
>無罪でしょう。実在は実在。判決とは独立して存在し変えようがありません。
>裁判所が事実に反する判断をした場合「裁判の結果が実在と」することなんてできないし、
>また、する必要もないのです。
我々は実在を知る由もない。
時折、実在はアイコンと同じでしかない。いや、全てにおいてそうかもしれない。
問題は実在と記号との間隙をどうするかということだ。
完全に同等と見なしてよいのか?という問題だ。
>くり返しますが、「裁判所の判断に従う」という契約があるなら、それで十分ですよ。
>冤罪でも死刑です。手続き論的にはね。
もちろんそうだ。死刑にしてよい。ただし、「冤罪である。」という冤罪死刑囚の声は残さねばならない。
>ただ、判決を覆すような証拠が出たと裁判所が認めた場合には、再審が行われます。
>「冤罪で死刑」と「冤罪で懲役刑」の違いを述べるなら、判決を覆すような証拠を
>捜すタイムリミットを裁判所が設定するかどうかですね。
>このタイムリミット設定が不当かどうかは、判決を覆すような証拠が出る可能性に
>かかっています。つまり、この可能性を限り無くゼロに近付けることによって
>タイムリミット設定が不当とは言えない状態にできる。と私は考えます。
ここが私と意見が異なる。私はタイムリミットを設けるべきではないと思う。
いや、設けようがないのだ。
我々は時間的な概念に対して判断の基準を持ちようがないからだ。
そして、これは今まで私が語ってきた民主主義の持つ致命的な欠陥なのだ。
561 :
ポパ :2001/03/29(木) 10:59
>380氏
>>548 、
>>549 >> 現実に冤罪にあったと100%言い切れる者を前にして君はそう語れるのか?
>「100%言い切れる」程の証拠があるなら、再審請求が通ると思いますよ。
>実際は死刑判決が確定してから、法務大臣がハンをつくまで、かなりの時間が
>ありますね。数年に及ぶ様です。判決に疑問がある場合には再審請求が行われて
>いますが、そういうケースでは大臣はなかなかハンをつかない様です。
>いい証拠があれば、タイムリミット前に再審無罪を勝ち取れるでしょう。
助かった彼に対してもそう言えるかということだったのだが。
しかし、法務大臣の判押しは本当に個人の感情と運が作用する局面だ。
有名なケースで新たに就いた法務大臣が「判押しは大臣の仕事、職務放棄はいかん」と
たまってた文書全てに判を押したという話がある。
その判押しに際してタイムリミットと称するのは問題があるのではないか。
私自身はタイムリミットに関しては何も語れない(時間的な判断を下せない)が
仮にタイムリミットを設けるとするなら裁判所とは別の機関をつくり
その機関で特定の基準に従って設けるべきではないのだろうか。
>ナチ警については詳しくありませんが、先に述べた「判決を覆すような証拠が出る可能性」
>が高い場合には、死刑は不当だと思います。
しかしそれ自体(将来的な新証拠出現性)を判断する能力を裁判所に持たせてもよいのだろうか。
>社会契約的な文脈で語れば、「裁判所の判断に従う」代わりに、国民は「裁判中に自由に
>反論ができる」等様々な条件をつけることができる。そのようにして「判決を覆すような
>証拠が出る可能性」を引き下げれば良いのです。
可能性を低くすることはできる。しかし全く無きにできないのがこの実在の問題だ。
可能性が低いものを全く無いとしていいのであろうか。
>裁判所は、実在を100%知ることは出来ません。だからといって、それを探る努力を放棄
>することも出来ません。現実生活で不当な目にあったとき、それを裁判所は認めてくれ、
>処罰してくれるという幻想があって、初めて人々は法を守ることができるわけです。
>その幻想がなくなれば、不安をかかえる人々はヤクザの親分に頼ることになるでしょう。
いい意見であり、確かにその通りだ。しかし、幻想を維持するために冤罪可能性そのものに目をつぶるのはさらに危険だ。
冤罪の可能性についても真剣に観察する姿勢があるからはじめて信用と幻想を得れるのだ。
幻想は確かに大切であり幻想があるからこそ社会は回っていく事実はある。
しかしそれを前にして幻想を維持することに翻弄されては幻想も消え去るのである。
一昔前の神奈川県警を見れば分かるはずだ。
>死刑については「死をもってつぐなうべき罪」が存在すると、人々が考えているなら、
>それを認定し、執行する責任が裁判所にあるわけです。
良い意見だ。
しかし、実在の問題、つまりは「冤罪である可能性」を無視してでも死刑にする必要性とはなんなのだ。
人々が死をもって償うべき罪と考えているものは冤罪の可能性を無視してでも優先されるべきものであるのか。
562 :
ポパ :2001/03/29(木) 11:16
>380氏
>>549 >冤罪そのものが不当であることは当然ですが、その主張は「冤罪で懲役刑は許容範囲内である」
>という前提の上に立っていますね。くり返し述べたように「冤罪で懲役刑が許容できるのなら、
>冤罪で死刑を許容できない理由はない」というのが私の反論です。
冤罪は確かによくないことだ。
冤罪の可能性をもって司法制度そのものを否定するのは現実的とは言えない愚かな行為である。
そのため冤罪の可能性もまた「冤罪だ」という発言をさせることで現実的に両立させればよい。
しかし死刑判決は異なる。その「冤罪だ」という言葉自体を消すのである。
誰かが言ってたが「死刑にして、脳だけ取っておいてしゃべらせたらそれでよいのか」という意見があったが
極論を言えばその通りだ。
事実かどうか分からないあいまいなものを事実と確定することは危険なことこの上ない。
>ポパ氏は、ヒューマニズムを司法制度に適用しようとしているのだと思っていましたが。
>「実在として知りようがない」がヒューマニズム的結論だとすれば、ヒューマニズムと司法制度は
>相容れないということですね。
私の意見はヒューマニズムそのものではない。
死刑制度そのものはヒューマニズムと直接相反するわけではない。これは事実である。
私が問題視しているのはそこに「実在」という要素を加えていることである。
「実在」もまたヒューマニズムとは無関係だ。
そして「実在」と司法制度は相容れないものである。
が、ヒューマニズムに沿えば司法制度は必要不可欠なのである。
そこで私は死刑制度以外の司法制度を認めた。
司法制度そのものを否定するのはヒューマニズム自身を否定することに他ならないからだ。
問題は死刑制度だ。
実在の問題を真摯に問うた場合、死刑制度もまたヒューマニズムに反するというものだ。
そこで出る解決案がそのようなケースは死刑にしない
つまり、了承つきの死刑制度というものだ。
563 :
ポパ :2001/03/29(木) 11:25
564 :
ポパ :2001/03/31(土) 10:14
レスがつかなくてさびしーからアゲる もう一日たってレスがつかないなら哲板に帰るから その後マターリと議論してくれ
565 :
仕置き人 :2001/03/31(土) 13:44
「死刑には抑止力があるかないか?」という議論が よくなされます。 仮に「抑止力がある」ならば、抑止目的という意味では、 死刑に存在意義がありますね。 仮に「ない」ならば、それは、「死刑制度があっても 気にせずに殺しをする奴がいる」ということです。 つまり、そのような危険な殺人犯が存在するということです。 だとすれば、そのような危険な殺人犯は、事前抑止は できないとしても、事後に、社会から永久に抹殺する必要が あるでしょう。 終身刑でも良いのですが、コスト等を考えるならば、 死刑が有効です。 つまり、「死刑に抑止力がない」のならば、「死刑でさえも 抑止できなかったような危険な殺人犯を除去するために、 やっぱり死刑は有効」だということになり、どっちにしても 死刑は必要なのです。
566 :
ってゆうか :2001/03/31(土) 14:12
他人を殺しちゃうことが絶対無いとは ほとんどの人間、言えないだろ。 俺だってそーだよ。 そんなとき、死刑にされちゃたまんねえだろ。
567 :
>566 :2001/03/31(土) 14:29
>そんなとき、死刑にされちゃたまんねえだろ。 おまえヴァカか? 「たまんねえ」って思わせるからこそ、刑罰の 意味があるんだよ。 「もしかして人殺すかもしれない。死刑じゃやだ。 懲役3年ならいいけど」 とでもいいたいのか? 犯罪者(予備軍)に「たまらん」と思わせる程度の刑罰で なければ効果がないだろ?「この程度の刑なら平気だ」って 思われたら無意味だろ?
568 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 16:01
死刑は絶対に必要だ。 日本で犯罪をおかす中国人は、全員死刑にすべし。 日本でスパイ活動をするロシア人と北朝鮮の奴らも死刑にせよ。
569 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 19:14
>>566 死刑になるのははっきりとした意志を持って、独善的な理由の
もとに殺した場合とか、同じ犯罪でも同情の余地のないケース
のみです。
まあ、内乱罪とかだと死刑か無期懲役しかないけど。
うっかり殺しちゃった、で死刑にはならんと思うし、自分が
しっかりとした倫理感を持っていれば死刑になるような犯罪を
犯すことはないでしょ。
570 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 21:47
冤罪だったら大変だけど、ほんとにやったやつなら、ただの死刑じゃ甘いと思う。
571 :
名無しさん :2001/03/31(土) 21:56
死刑制度のマイナス面として、 (1)冤罪の場合の害悪が他の刑よりも圧倒的に大きい (2)何人殺しても死刑は一度だけなので、「どうせ 死刑なら何人も殺してやる」という開き直りの 大量殺人を誘発する危険がある という2点だけは、死刑賛成派も認めないわけには いかないだろう。 (その他、「国家が悪人とはいえ国民を殺すのは 不当かどうか」とかいう論点は、結局価値観の違いだが)
572 :
名無しさん@ :2001/03/31(土) 21:58
>565 同意!
573 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 21:59
>という2点だけは、死刑賛成派も認めないわけには >いかないだろう。 全然認められませんが(藁
574 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 22:10
>>571 「どうせ死刑だから革命起こしてやる」っていうやつがいたら
日本は内戦状態。
575 :
七氏 :2001/03/31(土) 22:34
死刑反対!
なぜ国家というものが人間の生命を奪えるのか!
死刑は戦争と同じである。
(何か『絞死刑』そのまんま(笑))
>>526 むかついたら自分で殺しましょう。>って言えたら凄い!
576 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 22:37
> なぜ国家というものが人間の生命を奪えるのか! 国家は国民そのものだからだよ。 少なくともタテマエとしてはね。
577 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 22:38
>何人殺しても死刑は一度だけなので、「どうせ >死刑なら何人も殺してやる」という開き直りの >大量殺人を誘発する危険がある そんな外基地がいるのなら、ますます死刑制度の必要性を強く感じますが(笑)
578 :
名無しさん :2001/03/31(土) 23:38
> なぜ国家というものが人間の生命を奪えるのか! 「(凶悪な)人間の生命を奪っても良い」という 価値観に基づいて、法律が定められ、国家が機能して いるから、としか究極的には答えられない。
579 :
名無しさんの主張 :2001/03/31(土) 23:56
だからさ。。 国家が人の命を保証してやってるんだよ。分かる? 国家が保証しなけりゃ、人の命を守る法的根拠は何処にもないんだよ? 生存権ってのは国家が与えてやってる人権の範疇の一つだけど、 それは「公共の福祉に反しない限り」保証されるもの。 これが大前提ね。 それを反故にする「犯罪」を犯した輩に対して、国家がそれを 保証してやる必要がどこにある? 窃盗をすれば、「身体の自由」という権利が保証されなくなるのさ。 だから、逮捕ってことが合法となる。 計画的な殺人をすれば加害者の「生命の尊重」が保証されなくなると。 だから、死刑ってことが合法になるわけ。
580 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 00:02
勿論等級があって、万引きごときでは生存権の保証を放棄するような ことはしないけどさ。優しいね。
581 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 00:44
おお、いいかんじ。 こっちは正常だね。人権板の類似スレは頭にくるやつらが 多かったんで安心するよ。
人権板ってアレだろ? 「まあ、オレ(ワタシ)ってば、他人の人権に配慮できる 優しくて立派な人間だなぁ〜」っていう人間の集まりだろ(w
死刑になりたくなければ、死刑になるようなことをしなければよろしい。 何もしてないのに死刑にされることはないのだから。 死刑になる者、その責任はすべて自分自身にあるのであって、決して 国家や法律が悪いわけではない。
584 :
七氏 :2001/04/01(日) 11:45
>>583 >決して国家や法律が悪いわけではない
何でそんなことがわかるんだ。よく考えろ
585 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 11:55
いつも考えるが、死刑は楽すぎないだろうか。 現行制度において、無期懲役か死刑を選べといわれれば、 私はためらうことなく死刑を選ぶ。 死刑囚は労働する必要はないからだ。 無期懲役で20年も塀の中で過ごし、その後の生活を考えれば、あきら かに死んだ方がましである。 また、止めの方法も首つりと「人道的」であり、イスラーム圏の鞭打ち のような責め苦を負わされる心配もない。 死刑を宣告される人間がしたことに比べれば、死刑はあまりにも安楽で 到底刑罰と呼べるものではないと考える。 そんなわけで、私は現行の方法での死刑に反対である。
586 :
380>ポパ氏 :2001/04/01(日) 12:23
まだポパ氏がいることを望みつつ、、、
>>561 > 完全に同等と見なしてよいのか?という問題だ。
実在を100%知ることは出来ないのですから、判決と実在が同等かどうかという
問題は、不可知論ですね。
問題はそこではないのです。「冤罪であることを主張する権利の保証」という観点
からみて、冤罪で死刑と、冤罪で無期懲役(終身)刑の間にどのような差があるか
が問題だと思います。
> ここが私と意見が異なる。私はタイムリミットを設けるべきではないと思う。
> いや、設けようがないのだ。
> 我々は時間的な概念に対して判断の基準を持ちようがないからだ。
> そして、これは今まで私が語ってきた民主主義の持つ致命的な欠陥なのだ。
裁判所がタイムリミットを設けなくても、タイムリミットは存在しますよ。
冤罪で懲役刑を受けた人が死ぬまでがタイムリミットですね。
「冤罪であることを主張する権利の保証」という観点からみると、
死刑にしろ無期懲役(終身)刑にしろ、権利を行使できる時間の長短
という違いしかないので、私には本質的な違いだとは思えないのです。
> 助かった彼に対してもそう言えるかということだったのだが。
助かったんだから、いいんじゃないですか?
> 仮にタイムリミットを設けるとするなら裁判所とは別の機関をつくり
> その機関で特定の基準に従って設けるべきではないのだろうか。
国民に選ばれた代表である法務大臣が最終決定するわけですよね。
最終決定に際して、様々な事柄が考慮される(事実十年以上執行されない
死刑囚も居ます)のですから、事実上別の機関によるタイムリミット設定
が行われていると思います。
587 :
380>ポパ氏 :2001/04/01(日) 12:24
> しかしそれ自体(将来的な新証拠出現性)を判断する能力を裁判所に > 持たせてもよいのだろうか。 将来的な新証拠出現の可能性を裁判所が判断する必要はありません。 そもそも、裁判の時点では誰にも判断できないから問題になるのですが、 裁判中に弁護側がベストを尽くすことによって下げられます。 > 可能性を低くすることはできる。しかし全く無きにできないのがこの実在の問題だ。 > 可能性が低いものを全く無いとしていいのであろうか。 確かに全く無いとは言えません。しかし、繰り返しになりますが、その問題は、 その可能性をゼロに近付けるという方向で解決すべきだと考えます。 その理由は、死刑制度存続に、被害者あるいは国民の応報感情の充足というメリットが あるからです。この応報原理を抜きにして刑罰を語ることはできません。 「悪いことをすれば同等の報いを受けるべきだ」という黄金律は古来より人々の心の中 にあって、これを捨てることは出来ないと思います。 以前このスレで誰かが述べましたが、自動車事故による死亡の可能性があるからといって 自動車が禁止にならない理由は、「自動車のメリットを人々が手放せないから」と 「努力によって自動車事故の可能性を下げられるから」ですね。 死刑についても同様だと思います。 > 幻想を維持するために冤罪可能性そのものに目をつぶるのはさらに危険だ。 > 冤罪の可能性についても真剣に観察する姿勢があるからはじめて信用と幻想を得れるのだ。 冤罪の可能性を低くするような努力がなされれば、十分幻想を維持できると思います。 > 了承つきの死刑制度というものだ。 本当にこれを制度化すれば、凶悪犯罪の容疑をかけられた人間は、たとえ真犯人であろうと、 絶対に真相を告白しないようになるだろう。 真相を語れば死、語らなければ生きられるという条件を与えられれば、特別な宗教的理由でも ない限り、誰も真相を語らない。 しかし、これは社会にとって大きな損失となる。理由は、 1. 事件の真相解明が著しく困難になる。よって、冤罪の可能性が高くなる。 例えば二人の容疑者がいる場合を想定しよう。もし、片方が真相を語って、自分が犯人だと 告白すれば、もう片方の容疑者の容疑は晴れる。 しかし、真犯人の告白が得られない場合は、他の証拠によって犯人を推定するしかなく、 間違って犯人ではない方を懲役刑にしてしまう可能性がある。 2. 起きてしまった凶悪犯罪は、取り返しがつかないが、被害者の遺族にとって大きな心の癒し になるのは、犯人が真相を語って心からの反省を示すことだ。 そうして、犯人を許すことによって、遺族の心の傷も癒される。新宿バス放火事件の犯人と 生き残った被害者との間に、そういう心の通い合いがあったらしい。 「真相を告白し反省を示す」という行為は是非とも必要なのだから、この可能性をなくすような 制度は間違っている。 というわけで、今現在採用されているもののように、真相を語ることが真犯人にとって利益となる ような制度でなければならない。というわけで、「了承つきの死刑制度」は非現実的です。
588 :
437 :2001/04/01(日) 12:29
横レス失礼
>ポパさん
急にレスがつかなくなったのは私が
>>543 で変なレスをつけたからですかね。
だとしたらよけいなことをしてしまいました。
私自身忙しくなってしまったのでこれ以上議論できそうにありません。
少しの間でしたが有意義な議論ができて楽しかったです。
ではでは。
589 :
437 :2001/04/01(日) 12:58
あとちょっと気になったレスがあったので簡単に指摘を
>>579 >国家が人の命を保証してやってるんだよ。分かる?
>国家が保証しなけりゃ、人の命を守る法的根拠は何処にもないんだよ?
>生存権ってのは国家が与えてやってる人権の範疇の一つだけど、
>それは「公共の福祉に反しない限り」保証されるもの。
>これが大前提ね。
あなたの論理も大昔だったら別に成り立つとは思いますけど、
とりあえず現在では生存権が前国家的な権利であるというのは
死刑廃止派にも存続派にも共通して理解されていることです。
「公共の福祉に反しない限り」ってのもこのスレのずっと前に
でてきているようですが、とりあえず憲法学説の通説では
「公共の福祉」は内在的制約つまり人権相互が衝突したときに
その矛盾を調節する原理であるとされています。 判例では
外部にあって人権を制約するものとされているようですが、
重要な人権については「公共の福祉」で乱暴にばっさり切る
といったことはしていないようです。
というか自由権としての生存権が「公共の福祉」で制限される
こともあるという判例って存在しているのでしょうか?
590 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 14:55
↑「権利」はそれを保証する機関があって初めて機能するのでは? 前国家的権利と言うのであれば、その権利を誰が保証するのですか? >というか自由権としての生存権が「公共の福祉」で制限される >こともあるという判例って存在しているのでしょうか? 死刑判決が正にそれなんじゃないですか?
591 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 15:06
示すという字のなりたちをご存知ですか? Tの字は台。一は罪人。点々は血です。 重罪人を裁き、死刑にすることで世に対する「示し」がつく という発想によるものです。それが健全な社会だと感じます。
592 :
名無しさんの主張 :2001/04/01(日) 15:20
昨日の飯はまずかったけど、 今日はちょっとうまく感じる。ちょっとうれしい。 生きていれば、些細であれ楽しみを見つける人はいます。 それが死刑制度が廃止され、終身刑になった囚人だったら? 殺された人はそんな些細な楽しみすらも享受できないのですよ? やっぱり不公平かなと思います。
593 :
437 :2001/04/01(日) 18:17
え〜と
>>579 =
>>590 ということでよろしいでしょうか?
>自由権としての生存権が「公共の福祉」で制限される
>こともあるという判例
最判昭23.3.12にしっかり存在していました。
なんどもみているはずなんですが…すみませんぼけていました。
存在しないというつもりではなく「あったけ?」という感じ
だったんですけどね。
ということで
>重要な人権については「公共の福祉」で乱暴にばっさり切る
>といったことはしていないようです。
>というか自由権としての生存権が「公共の福祉」で制限される
>こともあるという判例って存在しているのでしょうか?
は撤回です。
というかこの時代の判例は何でもかんでも「公共の福祉」で
ばっさりですからね〜学説の批判も多いところです。
個人的にも好きではありません。
それで本題ですけど、
「生存権ってのは国家が与えてやってる人権」
これは現代国家において絶対正しい理解ではないですよ。もしこれ
が正しい理解だとしたら死刑に関しての議論は無茶苦茶簡単になる
はずです。上記最判もこんな事は言っていません。
あと「生存権」っていうと普通25条の生存権をいうんで「生命権」
っていった方がいいかもです。
その意味では私が書いた「自由権としての生存権」っていうのも
誤用なんですけどね。
>「権利」はそれを保証する機関があって初めて機能するのでは?
>前国家的権利と言うのであれば、その権利を誰が保証するのですか?
詳しく説明する時間がないので簡単な説明で勘弁してください。
権利というとなんなんで人権であるとして話を進めます。
一般的に憲法で〜権が保障されるというのは国家機関がその権利に
ついて国民にちょっかいをださないっていう事です。
つまりその人権を国家が規制しないということです。
その人権が守られるように国家が保護するということではありません。
じゃあだれが人権を守るのかというと乱暴な説明ですが「みんなで」
って事です。
で当然強制力が必要となりますが、みんなで強制力を担保するのは
色々面倒なので、国家に最低限の強制力を預けているのです。
594 :
>593 :2001/04/01(日) 21:00
>国家に最低限の強制力を預けているのです。 だとしたら、結局、「国家が預けられた強制力を用いて 人権を保護している」ということになるのでは ないですか?
595 :
437 :2001/04/01(日) 22:07
>>594 >「国家が預けられた強制力を用いて人権を保護している」
要するに主体はあくまで「みんな」の方にあって国家の方には
ないんです。国家は「みんな」が預けた強制力を「みんな」が
決めたとおりに行使するだけ。それを「国家が強制力を用いて
人権を保護している」と見るのは勝手ですが、普通そうは
いいません。
もっと正確に説明しようとすると非常に長くなってしまうので
よかったら憲法に関する本を何冊か読むか、あるいはこの程度の事
でしたらある程度法律を学んだ人であればいくらでも説明できると
おもうので誰か適当な人に説明してもらってください。
正直言って「生存(生命)権は国家が与えてやってる人権なのか」、
「人権(自由権について)を保護する主体は国家なのか」ということに
関しては現在ほとんど争いのない所でもあり、これ以上議論をする実益
が私には感じられないので。時間もないのですみません。
596 :
579=590 :2001/04/01(日) 22:28
「みんな」の代表が国家でしょうが?
597 :
437 :2001/04/01(日) 22:43
>「みんな」の代表が国家でしょうが? 違います。君主制の国家のことを考えてみてください。 後は本当に本を何冊か読むか、誰かに説明してもらってください。
598 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 00:06
>>All 芦部「憲法」を読んでくれ。 1 国民それぞれの権利を、一旦国家に預ける 2 国民が、国家がその権限を使ってやることを決める 3 国家が、法令(決めごと)に基づいて権限行使する ってこと(緻密な説明は、長くなるのでしません)
599 :
七氏 :2001/04/02(月) 02:20
「昭和42年の、法務省の世論調査では、死刑廃止反対が71%、賛成が16%。 日本人の間では、死刑廃止論ということは全く評判が悪いわけだ。つまり日本人は、 みんな死刑を肯定してるわけだ。しかし、ここで死刑を肯定してる連中は、本当に、 死刑執行を見たことがあるだろうか。あるいは死刑場を見たことがあるだろうか。 この連中は、全くそんなこと、全然見たことなしに、ただ、人を殺した悪い奴は、 死ぬのが当たり前だ、なんて簡単な理由で死刑廃止に反対してるに決まってると 俺は思う。この映画は、昭和33年、小松川女子高校生殺しといわれた、朝鮮人青 年・李珍宇の犯罪をモデルにして。李珍宇はその後、助命運動の高まりに水をかけ るようなやり方で、あっというまに死刑に処せられてしまった。彼が獄中で達した 考え方の高さというものは、日本の戦後青春のピークに立つものだと俺達は思う。 (中略)国家は何故、国家の名の下に、合法的に人を殺すことが出来るのか。何故、 人を殺す権利があるのか。」 「たとえ死刑に処せられたって俺達は死ぬわけにはいかない」 「又、戦争。国家が国家利益の下に大量の人間を皆殺しにする。そういう戦争があ る限り俺達は死ぬわけにはいかない」 「国家がある限り、俺達は何をすることも許される。常に国家には罪があり、俺達 は絶対に無罪なんだ。」 「そういうことを言うために、俺はこの映画を作った。(以下略)」 映画「絞死刑」の予告編で監督・大島渚がナレーションした言葉。 に同意
600 :
>599 :2001/04/02(月) 03:00
> しかし、ここで死刑を肯定してる連中は、本当に、 > 死刑執行を見たことがあるだろうか。あるいは死刑場を見たことがあるだろうか。 殺人の犯行現場もみなきゃね。 両方見たら、普通の人は死刑執行を当然だと思うんじゃない?
601 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 04:58
↑イヤ、ただの絞首刑じゃ軽すぎると思うだろうね。 世田谷の一家4人惨殺事件など、ベテラン刑事でさえ正視できないほど 酷い惨状だったらしい。
602 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 17:33
コンクリ事件の宮野が出てきたそうだが、死刑反対派の方々、 どうぞ、懇切丁寧に面倒見てやって下さい。 よろしく!
>深海魚
それは「国民も常に正しい選択をするとは限らない」ことの証明でしかないと思うのだが。
>ポパ氏
>革命権を多いに認める社会よりは革命権を行使する必要が無い社会のほうがより
>良い社会であると言えるのではないでしょうか。
そもそも革命を起こすのに権利が要るのかという疑問もありますが、革命権があろう
となかろうと、皆が納得する政策を行うことが理想であることは前述の通りです。
>>557 の言い種はかなり苦しそうです。ポッパーにならうなら、ヒューマニズムや民
主主義の正しさを疑う言説さえ認めなければならんはずでしょう。それに、ガス室への
懐疑の禁止は、死刑問題で準えるなら、被告の無罪を主張することさえ禁じているんで
すよ? 理性を信じる云々以前の問題じゃないですか。
>私は民族的正義などというものの存在自体を認められない。
個人的正義は個人にしか通用しない。ユダヤ人の正義はユダヤ人にしか通用しない。
ヒューマニズムの正義はヒューマニストにしか通用しない。それだけのことですが何か?
あなたの言い種は、ひとつの価値観以外この世に認めないと言っているのと同じです。
ヒューマニズムが信仰でしかないのなら、それを個人に押しつけるのは憲法違反です。
まあ冗談はともかく、世界中のほとんどの民主主義国は、あなたの言うヒューマニズム
のない民主主義だとおもうのだが、それで何が悪い? と言われる、急にアジ演説のよ
うな口調になってしまうあたりが説得力に欠けている点だと思う。
あなたのヒューマニズムも行き着くところは共産主義以外にはなり得ない気がするが、
共産主義がいかに理想として正しい思想だろうと、実現はできなかった。あなたのいう
ヒューマニズムもそれと似たようなものではなかろうかと思うのだが。
ところで、反論の機会さえ与えれば実質的な損害を与えてもかまわないというなら、
死刑を執行した後でも(名誉挽回的な)再審を行うという制度を導入すれば良いのでは
ありませんか?
604 :
579=590 :2001/04/02(月) 19:15
>437の方 >主体はあくまで「みんな」の方にあって国家の方には >ないんです。国家は「みんな」が預けた強制力を「みんな」が >決めたとおりに行使するだけ。 「みんな」の代わりに強制力を行使してるわけでしょう?便宜上。 それを、代表と称しただけです。 >君主制の場合 民主制の場合はどうなのですか? 日本の場合、天皇を君主と見立てる見方もありますが、 彼らが国家機関への発言権を持たない以上、民主主義と言って 差し支えないでしょう。 >598の方 >芦部「憲法」 と言うのが、どの程度の位置付けの本なのか経済学部の私は知りません。 少なくともあなたの「人権」と「国家」のかかわりの解釈が、 その本のまんま、ということでよろしいのかな? それはスタンダードな解釈なのでしょうか?
605 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 19:35
死刑が合「法」か否かについて。 人権=権利 権利と言う概念自体、法により保証されることで初めて機能します。 法の運用機関=国家 国家が保証しなければ、人権は機能しません。 繰り返し言いますが人権が「公共の福祉」に反しない限り保証される 権利であることは、明文として記されています。 公共の福祉に反した人間が処罰されること(人権の一部を失う) ことは、全く違「法」ではありません。 死刑囚に対し、国家は生命権を剥奪したということです。 生きる「権利」を死刑囚は失ったわけです。 この場合の権利は、日常口語的に使う「権利」ではなく、 法によって保証されている「権利」であります。 ちなみに「生命権」が人権の全てかと言うと、そうではありません。 「著作権」などは死語も守られますな。
606 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 20:46
死語→死後ね
607 :
人民判事 :2001/04/02(月) 21:12
>>437 氏
>「国家が強制力を用いて人権を保護している」と
>見るのは勝手ですが、普通そうはいいません。
「普通そうはいわない」というより、「憲法学者の
世界ではそうはいわない」という方が正確でしょう。
ちなみに、私は芦部・佐藤幸治・伊藤正己・戸波を
読んでいますので、「教科書的憲法学の枠組みの中
での論争」にも乗ろうとすれば乗れますが、
ここでは、あえてその枠に必ずしもとらわれずに
語ってみようと思います。
それにより、「教科書憲法学的な意味での『人権』」と
「庶民用語での『人権』」との違いもあきらかになってくる
でしょう。
忙しいのであまり頻繁に書けないかも知れませんが、よろしく。
ところで、憲法解釈論としては、31条の文理解釈により
日本国憲法は死刑の存在を前提としている、というのが自然
でしょう。31条の「法律に定められた手続によらなければ
科されない刑罰」の中に死刑も含むのです。
608 :
人民判事 :2001/04/02(月) 21:20
437さん等が前提として語っている教科書的憲法学の世界を 極度に単純化すると、 「人権は国家や法律以前に存在するものである。 国家権力による人権の(不当な)侵害を防ぐのが 憲法の努めである。 憲法の人権規定はそのためにある」 ということになります。 という発想が根底にあります。 すなわち、 「国家権力を抑制するのが憲法(の人権規定)」 ということです。 ここから、死刑のみならず、刑罰一般に対しても マイナス方向の評価が基本になることは、容易に 理解できるでしょう。 「本来自由であるべきなのに、国家の力で刑務所に 入れられたり、命を奪われたりする」という視点に なるからです。
609 :
人民判事 :2001/04/02(月) 21:30
こう書くと、誤痴鋭さんその他、教科書的憲法学のパラダイムに 必ずしもとらわれていない方たちは、「おや?」と思うこと でしょう。 「国家や法律・刑罰で、秩序が保たれ、治安・安全衛生・ 環境が保たれてこそ、庶民は安心して暮らせるのではないか。 国家がなければ強盗強姦放火殺人やり放題の世界になって しまうのではないか?国家によってこそ人権が保たれている のではないか?」と。 ここがポイントです。教科書的憲法学は、(社会権など 一部の例外を除いて)「国家権力に侵害されない権利」 のみを扱っているのです。すなわち、庶民的な感覚では 当然の「(国家権力によって)他人の犯罪から守られる権利」 等は、教科書的憲法学では、正面からは人権とは位置づけ られていないのです。 なぜなら、そもそも、国家権力を制限する「マイナスの 方向の力」が教科書的憲法学の(ほとんどの場合の) 「人権」だからです。 ここにおいて、教科書的憲法学の言う意味での「人権」と 庶民的な意味での「人権」とのギャップが生じます。
法解釈にいくと泥沼だ。ほとんどの大衆にその言葉は 届かないだろう。 それとも知的エリート主義か? 情理をつくすという言葉がある。理だけでは言葉遊びに すぎない。 理屈好きの人はもっとバランスとってね!
611 :
人民判事 :2001/04/02(月) 21:42
ちなみに、「庶民的な意味でいう人権」= 「国家・法があって他人の害悪から守られる権利」 にニュアンス的に一番近い法律用語を探すならば、 刑法学でいう「法益」という言葉が、それにあたると 思います。 全体的に考察すれば、 A.国家権力がなければ弱肉強食の犯罪横行状態 B.それを阻止するために国家権力をつくり、秩序を 守る C.だが国家権力が横暴になれば、国民が害される D.国家権力のいきすぎを抑えるために、憲法の人権 規定を定め、権力の働きにブレーキをかける ・・・ということになります。 437さんの論理を見ればわかるように、教科書的憲法学の 人権観は、上記のCとDの局面しか扱っておらず、AとBの 「国家によって他者の危害から守ってもらえる権利」は 憲法学の世界からは放逐もしくは放置されているのが 実状です。(刑法学・刑事政策の世界では違いますが) しかしながら、「あんたが国家の力で犯罪から守って もらうことは『人権』ではない。むしろ国家の力から 人権を守るのが憲法の役目だ。くわしくは芦部教授の 『憲法』を読んでくれ」といわれて納得するのは、 憲法学者か司法試験受験生だけでしょう(苦笑)。
612 :
名無しさんの主張 :2001/04/02(月) 22:07
>>611 A@`Bは、憲法学というよりも、法律論というか、法学入門辺りでやってる「はず」なんですけど...
というのは、やっぱり、法学部の思い込み?
>> 611 A@`Bは、憲法学というよりも、法律論というか、法学入門辺りでやってる「はず」なんですけど... というのは、やっぱり、法学部の思い込み?
614 :
深海魚 :2001/04/03(火) 00:46
>人民判事 だから・・・・、結局アンタは死刑反対なの、賛成なの? 法律や哲学や主義主張の言論大会じゃないんだからサー、 最初に意思表示しようぜ。 >死刑疑問派 一つ質問なんだけど、無差別殺人の現行犯逮捕で、本人も死刑を望んでる場合は 民主主義でも死刑はイイのかな? あと、警察によって狙撃されて死んだ場合、それは仕方ない(運がなかった)と いう事で、民主主義に反しないのかな?それとも、狙撃しなければ、被害者が増大 するという状況でも、狙撃はいけない事なのか?
「公共の福祉」っていう概念から言えば(上のほうの細かい憲法解釈論は おいといて)、生かしてシャバに出すと再犯の可能性も高いし、周囲に 大きな不安を与える、というほどの犯罪者なら、それら将来被害を受ける であろう人々の権利を守るために、やむなく死刑にすることもよしとせざるを 得ないでしょ。 警察による現場での狙撃についても、それをしなければどうしても仕方がない 状態、「やむを得ざる」の状態なら、人質やら周辺住民やら、そういう他者の 権利を守るためにやるべきでしょ。 ただ、それが濫用されないために、いろんな法律的な手続きとか、責任とか あるんだと思う。 令状があり、3審制度があり、再審もあり、という2重3重の手続きで死刑に なるまでにはチェックがあるわけだから、人間が完璧でない以上はそれで よしとする、妥協するしかないんじゃないかな。
616 :
437 :2001/04/03(火) 04:43
なんか事態が複雑になってきましたね。
>>人民判事さん
あなたのいっていることは理解できるのですが、
正直あなたが私に何を言いたいのかがいまいち分かりません。
>「国家によって他者の危害から守ってもらえる権利」は
>憲法学の世界からは放逐もしくは放置されているのが
>実状です。(刑法学・刑事政策の世界では違いますが)
では具体的に「国家によって他者の危害から守ってもらえる権利」
は憲法のどの条文によって保障されているのでしょう?13条でしょうか
?25条でしょうか?条文にこだわるのも教科書的憲法学なのでしょうか。
その権利はどんな場合に国家に請求できる権利なのですか?具体的に裁判で
「国家によって他者の危害から守ってもらえる権利」が侵害されたとして国に
作為請求もしくは損害賠償を求められる権利なのでしょうか?
私が思うに、「国家によって景気をよくしてもらう権利」の様に
国家に作為を求める権利の多くが憲法の問題ではなく政治の問題
であるように「国家によって他者の危害から守ってもらえる権利」
もほとんどは憲法の問題ではなく政治の問題でしょう。
治安維持は政治の問題って事ですね。
>A.国家権力がなければ弱肉強食の犯罪横行状態
別にそんなことはないでしょう。たぶん国家がなかったであろう
縄文時代は弱肉強食の犯罪横行状態だったのでしょうか?
秩序を守るのは何も国家権力の専権事項ではありません。
個人一人一人の道徳心、地域の共同体、更には前国家的な公共のルール
によっても守られるものです。
そして
>B.それを阻止するために国家権力をつくり、秩序を守る
という歴史的事実はあるのでしょうか?
>あんたが国家の力で犯罪から守ってもらうことは『人権』ではない。
憲法上の人権ではないでしょうね。別に国家に対する要求を通すのに
それが人権である必要はありませんよ?政治参加を通じて要求を通して
いけばよいのです。
>>579 =590さん
そもそもあなたのいう国家が保障している生命権とはいったい
何のことでしょうか?
あなたは国家が生命権を与えているといいますけど人間は国家から
生命権を与えられなければ生きてはいけないのでしょうか?
無国籍者はどうなるのですか?外国人は?生命権が与えられていないから
死ななければならないのでしょうか?
そんな訳ありませんよね?
つまり生命権は国家によって保障されるものではなく、
人間が人間であることによって既に権利として持っている訳です。
たぶん
>>579 さんは積極的に人間の生命が国家によって保障される事、
例えば警察があって治安活動をすることで私の生命が殺人者から守られる
というような事と、ごっちゃになさっているのだと思います。
しかし考えてみてください。積極的に人間の生命が国家によって保障されることが
権利だとして、その権利が奪われるとは、積極的に人間の生命が国家によって
保障されないということだけです。
ある人間を死刑にするにはそれよりもう一歩踏み込んで、その人の持っている
生きる権利である生命権を何らかの正当化事由を持って否定しなくてはいけません。
この場合、生命権は国家が与えたものだから奪うのも自由だという正当化の仕方は
できません。生命権が先に述べたもののようなものであるからです。
>>と言うのが、どの程度の位置付けの本なのか経済学部の私は知りません。
芦部信喜の本、特に岩波書店の「憲法」は法学部の人間はみんな一度は
読むはずです。
ひとまずこれで終わりにさせてください。ROMはすると思いますが、
時間の余裕ができない限り論争に参加することはもうしません。
617 :
437 :2001/04/03(火) 05:14
>>502 >>503 でだいたいわかって頂けるとは思いますが、
最後まではっきりとは自分の立場を明らかにしていなかったので
ここで明らかにしなくてはならないと思います。
私は死刑肯定論者です。
肯定する理由としては「凶悪殺人者がのうのうと生きているなんて
許せん!!」ってのがなんだかんだ言って一番大きな理由です(^^;)
ちなみに自分の大切な人が悲惨な殺されかたをしたら、絶対復讐
に行きます。絞首刑なんて軟弱な死に方はさせません(^^;)。
あっ、あと専門は民法の不法行為法です。実はあんまり憲法について
偉そうには語れないのです。
ではでは。
また時間ができましたらこっそり参加させていただくかも
しれませんが…
618 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 05:27
人間のルールを破った人間に人権もクソも無いと思うし とにかく気に食わないね
619 :
名無しの執行人 :2001/04/03(火) 06:07
私は死刑に反対です。 なぜなら、裁きには誤りがあり得るからです。 実際、冤罪で死刑を言い渡され、危うく殺されそうになった人は 少なくありません。 懲役刑以下の刑なら、冤罪でも再審の可能性はありますが、 死刑では執行後は被告人は既に死んでいるのでそれは不可能です。 つまり死刑とは、公権力の誤った判断で個人を殺す可能性を許容する制度です。 私は、人の命というものは軽くないと思います。
620 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 06:31
死刑判決でも再審無罪を勝ち得た例があるんだよね。君も言う通り。 それでいいんじゃないの? 人の命は軽くない。確かに。だからこそ、その軽くない命をもって償うこと に意味があるのです。
621 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 06:36
>>620 >その軽くない命をもって償うことに意味があるのです。
冤罪の人が償わなければならない理由を教えてください。
622 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 06:40
>>620 >死刑判決でも再審無罪を勝ち得た例があるんだよね。君も言う通り。
>それでいいんじゃないの?
死刑執行後に無罪を勝ち得ても意味ないと思うんですけど。
623 :
620 :2001/04/03(火) 07:00
>>621 -622
死刑執行後に無罪を勝ち得た例はあるの?
冤罪の人が償わなければならない理由はない。
でも君は冤罪で無期懲役刑はおかしいと思わないの?
624 :
621 :2001/04/03(火) 07:24
>>623 >死刑執行後に無罪を勝ち得た例はあるの?
死んだら訴訟能力はなくなるでしょうね。
>冤罪の人が償わなければならない理由はない。
ならば、冤罪の可能性がある以上、死刑はあってはならないですね。
>でも君は冤罪で無期懲役刑はおかしいと思わないの?
だから、まだ命があれば、受刑中でも再審の可能性があるでしょ。
625 :
620 :2001/04/03(火) 07:34
>>624 再審の可能性があれば、それでいいの?
再審って、原審の判決を覆すような証拠が出たと裁判所が認めない限り
行われないんだよ。
そんな証拠がでる可能性がどのくらいあると思ってんの。
たいていの人は、冤罪でも名誉回復されないまま死んで行くんだよ。
そういう人に対して、再審の可能性があるからいいなんて言えるの?
627 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 14:08
またかよ、冤罪君。もう・・・ウンザリだ。 絶対的に少数の方にばかり目をむけてんじゃねえよ。 現実に強く冤罪を主張してて死刑が執行されるやつは現在ではいないだろ? そっちにばかり目をむけてその他大勢の凶悪犯を見逃せっていうのか? フザケたこというな!ヘソで茶をわかすぞ。
628 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 17:16
>冤罪の可能性がある以上、死刑はあってはならないですね。 こうゆう主張をする人には、例えば「医療ミスの可能性がある以上、 外科手術はあってはならないですね」という主張に同意するのか聞いて みたいな。もちろん同意するんだろうねぇ。(w 冤罪も医療ミスも、共にあってはならないこととされているし、それで 命を奪われてしまった人やその家族にとってたまったものではないよね。 人間のやることである以上、その可能性はゼロにできないという点でも 同じだし。 ま、それらは関係者による不断の努力とシステムの改善によって、ゼロ にはならないまでも最大限回避していくべき、と考えている普通の人に とって、上記の主張がいかにナンセンスなものかは言うまでもないけど。
629 :
名無しさんの主張 :2001/04/03(火) 17:25
重箱の隅で水掛け論するなや! って誰か言ってやってくれ。
630 :
621 :2001/04/04(水) 00:24
>>625 >再審の可能性があれば、それでいいの?
「いい」ってなんでしょうか。意味がよく分かりません。
>>628 >こうゆう主張をする人には、例えば「医療ミスの可能性がある以上、
>外科手術はあってはならないですね」という主張に同意するのか
>聞いてみたいな。もちろん同意するんだろうねぇ。(w
はぁ? 2chだからしょうがないんかなあ。
人の行為はすべて失敗しうるから、「失敗してもいい」んだというわけですか。
神のごとき寛容さですねぇ(w
死刑は被告人が受けたくないと意思表示しても行われますね。
外科手術は患者が受けたくないと意思表示すれば基本的に行われませんね。
この違いが分からなければこれ以上説明のしようがありませんね(w
631 :
名無しさんの主張 :2001/04/04(水) 00:45
>621 交通制度との比較ではどうですか?
632 :
625 :2001/04/04(水) 01:13
>>630 > 「いい」ってなんでしょうか。意味がよく分かりません。
何度も説明しているんですが、「冤罪の可能性があるから死刑廃止」という
主張は、「冤罪で無期懲役刑または終身刑は許容範囲内である」と言っているに
等しいんですよ。わかるでしょ?
だって、死刑になるような罪を着せられた冤罪囚は、死刑廃止なら無期懲役刑か終身刑
に処せられるわけですから。
「いい」というのは、許容範囲内であるという意味です。
冤罪で無期懲役(終身)刑も、再審の可能性(実は非常に低い)があるから
許容範囲内だと、あなたは主張している。そうですよね。
ホントにそう思うの?と聞いているのです。
冤罪による強制労働はイケナイことだから、刑務所なんてなくしてしまへ! 冤罪による逮捕・監禁はイケナイことだから、留置所なんてなくしてしまへ! そもそも犯罪を定めるから冤罪が生まれるのだ。刑法をなくしてしまへ! 人権万歳! 人間万歳! ばんざぁ〜い!
634 :
621 :2001/04/04(水) 01:21
>>632 それはしかたないよー。「許容」はしないけどね。
で、あなたはどうあるべきだと言いたいの?
635 :
632 :2001/04/04(水) 01:33
>>624 「しかたない」というのは「許容している」ということです。
私は冤罪で死刑も、冤罪で無期懲役(終身)刑も、どちらも同様に許容できません。
したがって、冤罪の可能性があるから死刑廃止という意見に説得力を感じないのです。
冤罪は許容できない。したがって、冤罪をなくすようなあらゆる努力をする必要が
あります。その上で、死刑は可。というのが、私の考えです。
636 :
634 :2001/04/04(水) 01:47
>>635 >「しかたない」というのは「許容している」ということです。
まあ、そうですね。それでもいいです。
>冤罪をなくすようなあらゆる努力をする必要が
>あります。その上で、死刑は可。というのが、私の考えです。
論理がおかしいです。
それなら、あなたは無期懲役どころか
「死刑を許容」しているということになりますね。
つまり、あなたは「冤罪は許容できない」としながら、
冤罪で死刑になることは許容しているわけです。
この展開の仕方は苦しいですねえ。
私は死刑になるくらいなら無期懲役になりたいですが、
あなたはやっぱり死刑になりたいですか。
637 :
635 :2001/04/04(水) 03:48
>>636 どちらも許容できません。
冤罪で死刑も、冤罪で無期懲役もダメです。
冤罪で死刑も冤罪で無期懲役も、どちらも嫌です。同じくらいにね。
638 :
名無しさんの主張 :2001/04/04(水) 03:57
なんですぐ受刑者の側に思い入れがいくかなあ? あんた自分でそんな凶悪犯罪おこしそうな予感でもあるわけ? それともヒト一倍感受性がユタカに育っちゃったのかな? そうだったら大変だよな。 この世はつらいことだらけで。 くれぐれもへんな宗教や運動にひっかかるなよ。 もうハマってるなら・・・・・・御愁傷様。
639 :
635 :2001/04/04(水) 03:58
もう一つ。
>>636 >>「しかたない」というのは「許容している」ということです。
> まあ、そうですね。それでもいいです。
どういう理屈、どういう理由で、冤罪で無期懲役(終身)刑が許容されるのですか?
是非聞かせて下さい。
殺されるのもイヤですが、酒も女もタバコもない場所で強制労働させられるのは 一週間だってイヤです。一週間以上の懲役はなくすべきです。
>>637 の補足をさせてください。
確かに、冤罪で捕らえられ、今すぐ死刑か懲役か選べと言われたら、懲役を
選ぶでしょう。
しかし、何十年も無実の罪を着せられ、懲役の苦しみを味わった後なら、
「殺されていた方がましだった」と思うに違いありません。
そういう意味で、どちらも同様にいやです。甲乙つけがたいですね。
642 :
名無しさんの主張 :2001/04/05(木) 07:36
被害者感情を考えると必要。 仇討ちが認められれば不要。
643 :
579 :2001/04/05(木) 19:30
>437 >人間は国家から >生命権を与えられなければ生きてはいけないのでしょうか? >無国籍者はどうなるのですか?外国人は?生命権が与えられていないから >死ななければならないのでしょうか? 別に死ななくてもいいけど、 法律が保護する義務がない、と言っているのです。 外国人に対す殺人を現に裁いている以上、 国家は彼らに人権を与えているはずですが? 死刑囚は殺すこと自体が「違法」ではない。と言う事です。 ただし、死刑囚の生命は刑執行の瞬間まで守られます。 執行の瞬間において、国家は死刑囚の生命権利を剥奪するということ。 それ以降の殺人は、違「法」ではないでしょ?
644 :
634 :2001/04/06(金) 01:47
>>639 >どういう理屈、どういう理由で、冤罪で無期懲役(終身)刑が許容されるのですか?
繰り返しになりますが、私が死刑に反対する理由は、執行中(この場合「後」
しかないけど)受刑者の再審可能性がないことです。死刑の「残虐」性や犯罪
抑止性の低さなどを論拠とする巷の死刑廃止論には与しません。ですから、私
が無期懲役刑を「許容」するのは、あくまで再審可能性が保証されているかぎ
りにおいてです。終身の無期懲役刑もそれなりに厳しいものであることは分か
りますが、その刑の処断には全く根拠がないということはありえず、その時点
で提出されたすべての証拠に基づいて下された合理的判断であるはずです。そ
の判断が合理的でない、あるいはそれを覆す新たな重大な事実が判明すれば、
再審を請求すればいいわけ。死刑にはこの過程が保証されないかぎりにおいて
私は反対するわけです。
645 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 01:55
相変わらず冤罪君は粘着質だな。
>634(
>>644 )
つまりは、冤罪による懲役は「死ななかったんだからいいでしょ?
こうしてあんたの無罪を認めてやったんだから」ってことでしょうか。
再審されようとも不当に長期間強制労働をさせられて人生を浪費するコトには
変わりないので、そもそもの刑事罰をなくしてしまえと私は言っているわけです。
647 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 02:08
死刑であろうがなかろうが、冤罪の可能性というのは人間がやっている 以上ゼロにはならんでしょ。 罰金5000円だって、本人がやってなければそれも「冤罪」ですよ。 冤罪を極力なくすために三審制度、その他いろんな手続きや制限がある わけでしょ。 懲役で冤罪が証明されて、訴訟を起こして賠償金を取ったとしても、懲役 で過ごした何年間、何ヶ月間は帰ってこないわけですから、死刑でも他の 刑でもその点は同じことだと思いますよ。 ただ、死刑を執行された受刑者の遺族や支援者による死後の再審による 名誉回復、という道が作られれば、それはいいことかも知れない、とは 思うんですが。
648 :
634 :2001/04/06(金) 02:45
>>646 あなた支離滅裂だよ。
>>635 で「死刑は可」と言っておきながら、
こんどは「刑事罰をなくしてしまえ」ですか。私にはさっぱり理解できない。
>>647 死刑とそれ以外の刑では再審可能性の保証度が決定的に異なる。
死刑は執行されたらそれまで。それ以外の刑は執行中でも再審可能性
がある。下される刑がなんであろうと冤罪があるのは当たり前。
私の死刑反対論では、冤罪を避けることは二次的で、
あくまで再審可能性の保証が一次的な理由です。
>>648 煽りを間に受けんでくれよ。冤罪を言い出すなら刑事罰をなくすことまで
視野に入れる必要があるだろうってことを言ってるだけなんだから。
650 :
647 :2001/04/06(金) 02:54
>>648 わたしは終身刑があるなら(今の日本にはないけど)、死刑を
廃止しても構わないだろうと思っているのです。
「シャバに出すと他の人の権利を侵害する恐れがある」から
死刑にするのだと思っているので(異論があることは承知のうえ)、
それならば再審無罪にならない限りシャバに出られない終身刑なら
よいだろう、と。
いまの日本のような無期懲役=途中で出所の可能性ありでは死刑の
代替にはならないと思うのですね。
そういう意味では、たぶんあなたのお考えと近い部分もあるのかも。
651 :
考える名無しさん :2001/04/06(金) 03:11
>>650 >わたしは終身刑があるなら(今の日本にはないけど)、死刑を
>廃止しても構わないだろうと思っているのです。
私の死刑廃止論はその議論とは独立ですね。
終身刑(改悛があっても仮出獄を認めない無期懲役)はあってもよい
と思うけどね。
652 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 13:43
犯罪人に、弁護士がつくこと自体が気に入らん。
653 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 20:08
犯罪を犯した奴はみな死刑! 刑法、軽犯罪法に触れた奴は全員この世からいなくなれ!
654 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 20:51
死刑廃止論者は、宗教やっている人が多いように思いますが? 「人が人を殺すのは…」という主張には、宗教臭がプンプンするが? 廃止論者のみなさん、どうなんでしょう?
655 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 22:49
だいたい廃止だとか言ってる奴は、 変な宗教にかぶれてる奴。議論の余地なし。 廃止論者は所属する宗教団体を明記してから 書き込むように。
656 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 22:56
死刑廃止賛成。唯物論者。
657 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 22:57
死刑反対。アレフ信者。
658 :
名無しさんの主張 :2001/04/06(金) 22:58
>656 それがどうした!
660 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 02:02
>>652 > 犯罪人に、弁護士がつくこと自体が気に入らん。
いや、犯罪人かどうかわからんから弁護士がつく、って場合もある
でしょ。「犯人」「犯罪者」って決めてるからそう思えるんじゃない?
「容疑者」でしかない場合もあると思うよ。
661 :
635 :2001/04/07(土) 05:40
>>644 (634)
> 私が無期懲役刑を「許容」するのは、あくまで再審可能性が保証されているかぎ
> りにおいてです。
再審可能性つまり、原審の判決を覆すような証拠を見つける可能性が、
どの程度あると思いますか?
繰り返しになりますが、ほとんどの冤罪懲役囚は冤罪を晴らせないまま
死んで行くんですよ。そういう人に、再審の可能性をあげたんだから
懲役刑を甘んじて受けるべきだとは、私には言えませんね。
そのような哲学で司法制度を構築するべきではありません。
human errorの可能性があるから死刑は不可という論理を使うなら、懲役刑も不可です。
662 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 10:09
懲役と死刑の違い それは確定かそうでないかではないのか? 懲役はまだ反論の余地がある。現実的に。 だけど死刑には反論の余地が無い。イタコでも呼ばない限りにはな
663 :
635>662 :2001/04/07(土) 12:48
う〜ん。だから、原審の判決が確定した時点で、確定なんだよ。 反論の余地があったからどうなるっていうんだろう。 反論したって、証拠が見つからなきゃ何にもならないんだけど。 いかなる刑罰も、冤罪がないという前提に立たないと正当化できないんだ。 冤罪で懲役刑->冤罪をはらせずに死ぬ人に対して「反論の余地をやったんだからいいだろ?」 って言えるの? 冤罪の問題は冤罪をなくす努力をすることでしか解決できないんだ。 繰り返すけど、冤罪があるから死刑は不可なら、懲役刑も不可。
664 :
635>662 :2001/04/07(土) 12:52
ついでにもう一つ聞くけど、例えば犯行現場がテレビ中継されてて 現行犯逮捕されたっていうような、冤罪の可能性が100%ないような 状況だったら、死刑でもいいわけ?
665 :
樹海 :2001/04/07(土) 13:36
ここ最近私は思うのだが。 裁く主体が国家である今の現状なら、死刑なぞあってもなくても いいのではないかと思い始めている。理論的に考えればだが。 日本でも20年以内に死刑が廃止される事はありうるだろう。 もっとも感情では復讐を前提にした殺人である死刑を支持する。 昔も今もそしてこれからも。 個人的な希望として、気がつくと密かに死刑を執行している今の姑息な やり方は問題だ。人の集まる場所で公開処刑を希望する。
666 :
大審院 :2001/04/07(土) 14:16
価値観としては死刑支持だね。 ただ、本質とは違う話だけれど、いつもいつも、 死刑囚を英雄や聖者みたいに持ち上げる奴等が いるだろう?あれが気に入らんな。 ある種のキリスト教団体とか、死刑廃止主義団体とか。 だとしたら、生かしたまま痛苦と悲惨に満ちた廃人的 生活をおくらせる刑罰の方がいいような気もする。
667 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 14:45
まともに刑法を学んだ人は、死刑は刑法的に認められないという結論に達するはずだが。
668 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 15:00
>>667 じゃあ最高裁判事はまともに刑法を学んでないわけだ。
まともなのは君だけ。
幸せそうだね。
669 :
大審院 :2001/04/07(土) 15:42
>>687 刑法に定められているものが、どうして刑法的に認められない
のか、あなたの脳の秘密を教えてください。
670 :
瓶 :2001/04/07(土) 15:57
『死刑全集』って本の巻末に載ってんだけど、 日本って殺人以外の罪でも死刑にできるみたい。罪名を挙げると、 加重窃盗、強姦、厳重建造物破壊、国事犯、反乱、ハイジャック、 爆発物使用、反逆、って事らしい。 だいたい反乱とか反逆って何なの? こんなのっておかしくない?
671 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 16:00
672 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 16:29
日本では革命を起こすと死刑です
673 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 16:48
674 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 18:06
675 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 18:25
>>670 > だいたい反乱とか反逆って何なの?
> こんなのっておかしくない?
正確には「外患罪・内乱罪」ね。
他国を動かして日本を攻めさせるようなことをしたら外患罪。
革命を起こそうと武力蜂起したら内乱罪。
そりゃそうでしょ。殺人や放火よりよっぽどやることがひどいんだから。
死刑もしくは無期であたりまえです。
ちなみに適用例は聞いたことがないんだけど。
刑法第77条1
「政府ヲ顛覆シ又ハ邦土ヲ僭窃シ其他朝憲ヲ紊乱スルコトヲ目的トシテ
暴動ヲ為シタル者ハ内乱ノ罪ト為シ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 首魁ハ死刑又ハ無期禁固ニ処ス
(略)」
刑法第81条
「外国ニ通謀シテ日本国ニ対シ武力ヲ行使スルニ至ラシメタル者ハ
死刑ニ処ス」
676 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 18:39
日本で革命を起こす方は、必ず天皇から関白あるいは 征夷大将軍の地位を受けてください。
677 :
名無しさんの主張 :2001/04/07(土) 19:03
662>635 別に死刑でもいいんじゃないの? んじゃ君は冤罪の人に「冤罪をなくす努力はしたからいいだろ?」て言うの? 基本的にどちらが良いか判断できない場合は保守的なほうを選ぶというのが主流だよね。 国会でもさ。意見同数なら保守でしょ。 それは大きな誤りはできるだけ回避して、時間をかけてより良い方を模索するといった感じだよね。 これもそういう意見じゃないの? 殺した後、間違いが分かっても後の祭りだし 殺したらそれが間違いであることも闇に葬るかもしれないわけだよね。
678 :
635 :2001/04/07(土) 21:38
>>661 (635)
>human errorの可能性があるから死刑は不可という論理を使うなら、
>懲役刑も不可です。
>>663 (635)
>いかなる刑罰も、冤罪がないという前提に立たないと正当化できないんだ。
そうすると、あなたの論理では、すべての刑罰は不可になるよ。
たとえば万引きも冤罪の可能性はあるかぎり処罰できないことになる。
ただでさえ苦境の小売り業界にとっては存亡の危機だね(笑)。
「そのような哲学」では実効的な「司法制度を構築」できるとは
私には到底思えませんね。
何度も言うけど、冤罪を少なくする条件は再審可能性を高めること。
そして、死刑廃止は当然、死刑が確定した者の再審可能性を高める。
したがって、あなたが死刑の冤罪は少なくなるべきだとするなら、
あなたは死刑廃止を認めざるをえないはずだよ。
何年に一人しかいない冤罪死刑囚が、盲亀の浮木的に冤罪をはらす証拠が見つかって 死刑を免れることの社会的利益と、凶悪犯が吊されることによる応報感情の充足などの 社会的利益を比較して、後者のほうが大きいと思う人が多ければ死刑存続も良かろうて。 そもそも、再審なんていう例外的な制度を持ち出すってことは、今の三審制度がアテ にならないと言っているようなものだと思うが。再審可能性云々を言い出す人はどういう 形態が実効的でかつ理想的な司法制度と言うつもりなのだろうか。
681 :
大審院 :2001/04/07(土) 23:47
>冤罪を少なくする条件は再審可能性を高めること。 言いたいことはわかりますが、ちょっと表現が不正確ですね。 「冤罪のまま終わってしまう者を少なくする条件は、 再審可能性を高めること」 と言うべきでしょう。 >死刑廃止は当然、死刑が確定した者の再審可能性を高める。 「死刑確定から執行までの時間を極限まで延ばせば、 その間に、再審の材料を発見できる可能性がある」 ということが言いたいのだと思いますが、それが目的ならば 死刑の「廃止」まで踏み込む必要はありません。 死刑制度は残したままで、再審請求者に十分な時間を与える 制度を作れば良いからです。 (現在でも、一部は配慮されていますが=刑事訴訟法475条)
682 :
大審院 :2001/04/07(土) 23:50
>冤罪を少なくする条件は再審可能性を高めること。 言いたいことはわかりますが、ちょっと表現が不正確ですね。 「冤罪のまま終わってしまう者を少なくする条件は、 再審可能性を高めること」 と言うべきでしょう。 >死刑廃止は当然、死刑が確定した者の再審可能性を高める。 「死刑確定から執行までの時間を極限まで延ばせば、 その間に、再審の材料を発見できる可能性がある」 ということが言いたいのだと思いますが、それが目的ならば 死刑の「廃止」まで踏み込む必要はありません。 死刑制度は残したままで、再審請求者に十分な時間を与える 制度を作れば良いからです。 (現在でも、一部は配慮されていますが=刑事訴訟法475条)
683 :
634 :2001/04/08(日) 00:11
>>682 >死刑確定から執行までの時間を極限まで延ばせば、
それが目的なら、死刑を廃止するしか方法はありませんよ。
「極限」なんだから。
>死刑制度は残したままで、再審請求者に十分な時間を与える制度
死刑確定者が再審請求をするのに十分な期間の長さとその根拠
を教えてください。
684 :
深海魚 :2001/04/08(日) 00:20
なんでまた冤罪論争なのかな? 過去レス読んでないのか? ヒューマニストやら、政治学者?やら、憲法学者?やら、挙句哲学者? まで出てきて論争したのに、また冤罪かい?ヤレヤレ・・・。 そんで、麻原ショーコーは無罪だと?
685 :
麻原ショーコー :2001/04/08(日) 00:23
私をポアして下さい。
686 :
深海魚 :2001/04/08(日) 00:27
もう一度聞こう。 ・戦後、明らかに冤罪で死刑を執行されたのは、誰? ・現行犯逮捕なら、死刑をしてもイイのか? ・警察の狙撃による射殺は容認? ・本人も罪を認め、死刑を希望している場合は? 上記から理解していただきたいのは、「冤罪があるから」と言う理由で は、死刑反対の理由にはならんのですよ。
687 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 00:29
>>684 >なんでまた冤罪論争なのかな?
それに行き着くからだよ(笑)
読んだけど大した議論してないじゃん。
>>687 それはつまり現在の三審制はダメだと言うことですか?
689 :
634 :2001/04/08(日) 00:48
>戦後、明らかに冤罪で死刑を執行されたのは、誰? 分からない。というか「明らかに冤罪」と分かる人って どんな人でしょうか(笑)。 だいいち私の主張は、そのような人がこれまでにいたか どうかとは独立です。言ってる意味、分かりますよね? >現行犯逮捕なら、死刑をしてもイイのか? 現行犯で逮捕された者も、裁判を経ずして死刑にはなりません。 そして、裁判での判断も誤る可能性があります。 あとは…、分かりますよね(笑)。 >警察の狙撃による射殺は容認? は? >本人も罪を認め、死刑を希望している場合は? 証拠主義って知ってますか?
690 :
634 :2001/04/08(日) 00:51
>>688 ダメというか訴訟経済の面からも仕方ないでしょうね。
十審制でやるわけにもいかんだろうし。
だったら
>>680 の前半についてはどうお考えでしょう。
692 :
634 :2001/04/08(日) 01:01
>>691 680に挙げられたような事柄は比較すべきではないし、
比較のしようがないと思います。
>634(
>>692 )
死刑制度の是非の本質とはまさにこの問題なんですけども。
法哲学だので言ったら廃止が正しいのかも知れないが、それに
国民がNoと言っているからこそ死刑制度が廃止されないわけでしょ?
>>693 >国民がNoと言っているからこそ死刑制度が廃止されないわけでしょ?
そうでしょうね。
じゃあ比較せざるを得ないんじゃありませんか? そして、 「法学的には正しくないが、国民感情を考えると容認せざるを得ない」 という結論を出すしか(現段階では)ないのではありませんか? むろん法学者が“啓蒙”するのは間違っていると言う気は毛頭ありませんが。
696 :
634 :2001/04/08(日) 01:40
>>695 >法学的には正しくないが、国民感情を考えると容認せざるを得ない
じゃあ、死刑制度の存続理由は、現在の「国民感情」にしかないと
認めるわけですね?
>634(
>>694 )
法学的にどうかは知らんよ。そういうのは法学の神学界でやっておくれよ。
その結論に矛盾はないか検証することはできるが、神学者相手に議論を
するほど法学には明るくないので。
698 :
635 :2001/04/08(日) 02:13
>>678 (634)
>そうすると、あなたの論理では、すべての刑罰は不可になるよ。
冤罪がないという前提に立つから、全ての刑罰(死刑を含めて)
可能です。司法制度はそのように構築されています。
刑罰を科すにあたって、冤罪の可能性を考慮するなら、(あなた
の考えがそうですね)全ての刑罰は不可。罰金1000円でも、
冤罪の可能性があるから合理的理由はなくなる。
>再審可能性を高める
これって、具体的にどうすることをいってるの?
三審の間に見つけられなかったような証拠が出てくる可能性なんて
どうやったら高められるの? 答えてね。
もう一つ、あなたにも聞くけど、犯行現場がテレビ中継されてて
現行犯逮捕された凶悪殺人犯がいるとする。犯人も犯行については
自供している。
このような場合でも、死刑は不可なの?冤罪の可能性はないけど。
答えてね。
699 :
635 :2001/04/08(日) 02:18
>>667 >んじゃ君は冤罪の人に「冤罪をなくす努力はしたからいいだろ?」て言うの?
その通りだけど。
死刑執行直前に「冤罪だ」と訴えている死刑囚に対しては、あらゆる証拠を
考慮した結果君が犯人だと断定する合理的な理由があり、冤罪だと推定する
理由はない。と言うしかないだろう。
あと、言い忘れてました。 法律ってのはそもそも「国民感情」に由来して決められるもの だと思うんだが。そうでないなら何か聖典のようなものがあって、 それを基準にして法が定められるんだろうか。 前にも書いたんだが、例えば大麻が許される国と許されない国 があるのは、「国民感情」以外の何が理由なんだろうか。
701 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 03:18
>695 同意。 634は比較できないとかいってるが、現実として法学的理論と 国民感情が衝突する以上、二者択一を避けることはできない。 最終的に、死刑制度の存廃については政治的な問題となる。
702 :
634 :2001/04/08(日) 04:00
>>698 (635)
まず確認するけど、635=誤痴鋭 と判断していいですね。
内容が同じだし、
>>648 でその前提で問いかけても反論がなかったので。
>冤罪がないという前提に立つから、全ての刑罰(死刑を含めて)
>可能です。司法制度はそのように構築されています。
そうですか。それは初耳です。
では、現行の刑事訴訟法で再審制度が採られている理由を教えてください。
>刑罰を科すにあたって、冤罪の可能性を考慮するなら、(あなた
>の考えがそうですね)全ての刑罰は不可。
というか、それは私があなたの主張について書いたことですね(笑)。
あなたの考えでいくと、すべての刑罰は不可になるから、当然、死刑も不可
になるはずだよ。
それと、あなたの主張は支離滅裂だから、
まず自分の考えをまとめてから書いてくださいな。
何度も同じことを繰り返しますが、私は、冤罪の可能性があるという理由だけで
刑罰を否定することはしません。
>>再審可能性を高める
>これって、具体的にどうすることをいってるの?
だからー、死刑制度を廃止すること。生きている期間が長ければ
再審事由が生じる可能性は高くなるでしょ。ちゃんと読んでくれよ。
>犯行現場がテレビ中継されてて現行犯逮捕された凶悪殺人犯がいるとする。
>犯人も犯行については自供している。 このような場合でも、死刑は不可なの?
要するに、決定的証拠だと言いたいのでしょうが、
司法制度を前提とするかぎり、それは証拠資料の証明力の程度の差に過ぎません。
逆に聞きますが、決定的証拠を条文でどう規定するおつもりですか?
>635=誤痴鋭 と判断していいですね 全然違います。
>>703 それは失礼しました。でも、レスがぴったりリンクしてるんだよなあ(笑)
ごちえいはここでえろを含めた雑談をしつつ しっかり戦っているんだね>死刑スレ。尊敬。
(笑)は勝手だが、誰でも同じようなことを考えるというだけの
ことなんじゃないですか?
ログを読み返してみたが、
>>648 の時点で635と同一視してる
わけですか。上のほうで死刑賛成してるから、いちいちリンクは
辿らなかったんだが。まあこれは当方のミスです。
707 :
635 :2001/04/08(日) 04:51
>>702 >そうですか。それは初耳です。
>では、現行の刑事訴訟法で再審制度が採られている理由を教えてください。
原審の判決を覆すような証拠が出た場合に限って再審が行われます。
これは、その証拠が出た時点で、冤罪の可能性が生じたということ
であり、証拠が出るまでは、冤罪はないという前提に立っています。
>というか、それは私があなたの主張について書いたことですね(笑)。
>あなたの考えでいくと、すべての刑罰は不可になるから、当然、死刑も不可
>になるはずだよ。
私は、あなたの考えでいくと、全ての刑罰は不可になると言っています。
あなたは逆に勘違いしている。
>それと、あなたの主張は支離滅裂だから、
>まず自分の考えをまとめてから書いてくださいな。
私の主張が支離滅裂だと思うのは、あなたの頭のなかが整理されていないからです。
私の主張は首尾一貫していますよ。
1. 刑罰(死刑も含めて)は冤罪がないという前提に立って初めて正当化できる。
2. 冤罪の可能性を考慮に入れるなら、全ての刑罰は不可。
>何度も同じことを繰り返しますが、私は、冤罪の可能性があるという理由だけで
>刑罰を否定することはしません。
要するに、再審の可能性があるから、冤罪で懲役刑は許されるということですね。
しかし、私が何度も指摘しているように、再審の可能性なんて、すなわち、
三審の間必死に捜した無罪を証明する証拠が後から出てくる可能性なんて
どの程度あると御考えですか?
3. 再審の可能性があるから、冤罪で懲役刑は可とする主張は、その再審の可能性が
極めて低いため、現実には意味を為さない。
(もし、冤罪を証明する証拠が出てくる可能性が80%くらいあるならわかりますが
現実には0.1%以下でしょう)
>だからー、死刑制度を廃止すること。生きている期間が長ければ
>再審事由が生じる可能性は高くなるでしょ。ちゃんと読んでくれよ。
生きている期間が、死刑の場合5年、懲役の場合30年としましょう。
5年の場合と30年の場合で、再審事由が生じる可能性が有意に違うと思いますか?
いずれにしても、ほとんどの冤罪囚は冤罪を晴らせないまま死んで行くのです。
つまり、再審の可能性を残したからと言って、冤罪で懲役を受ける人間の救済措置
にはならない。なぜなら、その可能性が極わずかだから。
>司法制度を前提とするかぎり、それは証拠資料の証明力の程度の差に過ぎません。
その通り。「冤罪の可能性」を理由にするなら、証拠の証明力が高い場合は
(冤罪の可能性が100%ない場合は)死刑を禁ずることはできませんね。
>逆に聞きますが、決定的証拠を条文でどう規定するおつもりですか?
簡単ですよ。「犯行現場を写した映像があり、なおかつ現行犯逮捕された場合」
という主旨の条文を書けば済みます。
この場合は、死刑は可ですね。あなたの主張に拠れば。
708 :
628 :2001/04/08(日) 04:56
>>630 =621
数日ぶりにアクセスしたんで遅レスでスマソけど、予想通りの反論を
してくれてるみたいだから、用意してたレスを返してあげませう。(w
>外科手術は患者が受けたくないと意思表示すれば基本的に行われませんね。
じゃー、意識不明の患者には手術を行えませんねぇ。(w
意識が戻るまで待ってる間に死んじゃっても仕方ないってことね。
で、意識のある患者が手術をOKすれば、医療ミスがあっても
許される?まさかそこまで寛容じゃないよねぇ。(w
どうして素直に「医療ミスの可能性がある以上、外科手術はあっては
ならないですね」と言ってくれないのかなぁ?
709 :
大審院 :2001/04/08(日) 08:55
>634 >死刑確定者が再審請求をするのに十分な期間の長さとその根拠 >を教えてください。 それは(仮に冤罪だったとして)事案によって違うでしょう。 立法論としては、たとえば、再審請求をしている間は 執行そのものの1〜2年程度の停止(現在のような執行期限の 6ヶ月の期間進行の停止ではなく)も考えられます。 それを繰り返し可能にしても良いでしょう。 そうなると、それを濫用する者が出てくることも考えられ ますが、それはそれである程度やむを得ないと思います。 それでも、制度そのものを廃止するのとは違う。 制度自体は残すべきです。
710 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 09:21
安部は国民感情によって死刑! 麻原も国民感情で死刑! 国民感情>裁判所 これは絶対!
711 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 09:31
>>709 マジレスすると制度そのものを廃止するよりマシだと思うのは
あんたが大審院というHNをつけてるからだよ。
法の奴隷に法は否定できんよ。
ただただ啓蒙するだけ。だろ?俺も同じ穴だから分かるのさ!
712 :
364 :2001/04/08(日) 16:12
>>707 (365)
>原審の判決を覆すような証拠が出た場合に限って再審が行われます。
>これは、その証拠が出た時点で、冤罪の可能性が生じたということ
>であり、証拠が出るまでは、冤罪はないという前提に立っています。
判決確定後、新証拠が提出されるまで冤罪の「可能性」がないなら、
再審を認める必要があるわけないですね。
確定判決を覆すような証拠が実際に出ようが出まいが、冤罪の「可能性」
があるからこそ、刑事訴訟法で再審が認められているわけです。
>1. 刑罰(死刑も含めて)は冤罪がないという前提に立って初めて正当化できる。
>2. 冤罪の可能性を考慮に入れるなら、全ての刑罰は不可。
1.は誤り。なぜなら、冤罪がありうるという前提に立っても刑罰は正当化
できるから。たとえば判決確定後はどんな新証拠が提出されても再審を
一切認めないという法は制定可能。したがって、2も誤り。
>再審の可能性があるから、冤罪で懲役刑は可とする主張は、その再審の可能性が
>極めて低いため、現実には意味を為さない。
すごいですねえ。実際に再審になる割合が低いということから、再審の可能性を
保証すべきでないということがどうやったら演繹できるんでしょうか。
確定判決を受けた者に対して再審可能性を平等に保証するということは、
実際にこれまでどれだけの者に対して再審が認められたかということとは別の話
だよ。
>5年の場合と30年の場合で、再審事由が生じる可能性が有意に違うと思い
>ますか? 再審の可能性を残したからと言って、冤罪で懲役を受ける人間の
>救済措置にはならない。なぜなら、その可能性が極わずかだから。
生きている期間が長ければ、再審の「可能性」が高くなるのは当然だよ。
逆にそうならないという根拠を教えてください。
>「犯行現場を写した映像があり、なおかつ現行犯逮捕された場合」
>という主旨の条文を書けば済みます。
残念ながら映像も決定的ではないんだなーこれが。平成11年民法改正
においても、音声と映像による遺言が認められなかった理由は、それが
容易に加工できるからです。最近のCG技術を使えば、そこにいない人
でのいるように見せられます。永瀬まさとしをベルリンの壁の上に乗せ
ることもできますから。
713 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 16:18
犯罪被害者を苦しめてもうけた金で食う飯は美味いと抜かす死刑廃止主張勢力 死刑廃止のためならどんなに卑劣な手を使っても一切恥じない死刑廃止主張勢力(例:麻原彰晃の卑劣な裁判引き伸ばし) 犯罪被害者に卑劣な嫌がらせを加える方法を昼も夜も妄想して愉しむ死刑廃止主張勢力 佐賀バスジャック犯を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 合法的な死刑は非難するくせに不法な殺人は手を叩いて慶ぶ死刑廃止主張勢力 日本国憲法を改悪し犯罪被害者の人権を一切剥奪する事を夢想する死刑廃止主張勢力 死刑廃止は世界の趨勢と大嘘をつく一方で時代おくれの少年法を頑迷に死守する精神分裂症の死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族に自殺を強要する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者を支援する良心的学者や弁護士の集会に殴り込みをかけ妨害する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の奴隷化をもくろむ死刑廃止主張勢力 死刑判決を下すなと裁判官に卑劣な脅迫を加える死刑廃止主張勢力 強姦殺人犠牲者を「売春婦」「淫乱女」と口汚く罵る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の自宅近くで中傷ビラを巻く死刑廃止主張勢力 犯罪被害者が生き地獄で苦しむのを見て愉悦に浸る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族の家に毎日夜中にいやがらせ電話をかける死刑廃止主張勢力 犯罪被害者保護法の無条件廃止を主張する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の葬式に殴り込みをかけた死刑廃止主張勢力 凶悪殺人犯の利益を守る為にあらゆる犯罪被害者保護に徹底的に反対する死刑廃止主張勢力 死刑判決は大声で非難するくせに無期懲役判決にはバカ猿みたいに狂喜乱舞する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者に無条件の泣き寝入りを暴力で強要する死刑廃止主張勢力 山口母子強姦虐殺犯福田孝行を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 宇都宮宝石店員虐殺犯篠沢一男を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 女子高生コンクリ詰虐殺犯宮野一派を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 栃木リンチ虐殺犯荻原一味を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力
714 :
364 :2001/04/08(日) 16:18
>>708 まだそんなこと言ってるのか。とほほ。
>じゃー、意識不明の患者には手術を行えませんねぇ。(w
>意識が戻るまで待ってる間に死んじゃっても仕方ないってことね。
だから、「基本的」と書いたでしょ。基本的じゃない事例のひとつが、
危急時に患者の同意を得られない場合。それが正当化される理由は後述。
>意識のある患者が手術をOKすれば、医療ミスがあっても許される?
許さない人が増えてるからこそ、医療訴訟がこれだけ増えてるんでしょうねえ。
で、それが何か?(w
要するに、あなたは死刑と手術では目的ということが分ってないんですよ。
死刑は受刑者に(罰として)不利益を与えるもの(しかも最悪のね)であり、
それを行うほうが行わないより受刑者に不利益を与える予見可能性が高い
(「可能性」どころか、まさに「致命的」だね)。一方、手術は患者を利する
目的でなされるものであり、それを行うほうが行わないよりも患者に利益を
与える予見可能性が高い(少なくとも名目上はね)。つまり、どんな人に
ついても正当な事由なく害を受ける予見可能性はより低くくあるべきだという
前提に立てば、死刑の場合は、再審可能性を制度的に保証(すなわち、
死刑廃止)すべきであり、手術の場合は、たとえ患者が「意識不明」で同意
を事前に得られなくても、また、手術ミスで結果的に患者を害したとしても、
手術前の時点ではそれを行うほうが患者が利益を受ける予見可能性が高
かったならば、手術は正当化されるということになるわけ。
繰り返すが、私は冤罪、つまり「判決ミス」を直接の論拠として死刑制度
に反対しているわけではないですから。まあ、よく考えてみてちょうだい。
あぼーん
716 :
364 :2001/04/08(日) 16:19
>>709 >再審請求をしている間は執行そのものの1〜2年程度の停止
>(現在のような執行期限の6ヶ月の期間進行の停止ではなく)も
>考えられます。
それは再審請求後の話ですよ。確定後6カ月以内に再審事由が
見つからなければ、法的には執行可能なんですよ。死刑が他の
刑罰に比べ再審の保証可能性は低いことに変わりはないんですよ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>714 の
「死刑と手術では目的ということが」
は
「死刑と手術では目的が全く異なるということが」
に訂正。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
729 :
↑ :2001/04/08(日) 16:33
死刑存続論者のほうが粘着質であることがよくわかるね(藁
あぼーん
あぼーん
732 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 16:34
がんばれ
あぼーん
あぼーん
735 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 16:37
もちろん、レス1000までやるんだろーね?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
739 :
馬鹿野郎。何消してんだよ。 :2001/04/08(日) 17:24
てめえクソ削除屋、アムネスティからいくらもらってるんだ?? 犯罪被害者を苦しめてもうけた金で食う飯は美味いと抜かす死刑廃止主張勢力 死刑廃止のためならどんなに卑劣な手を使っても一切恥じない死刑廃止主張勢力(例:麻原彰晃の卑劣な裁判引き伸ばし) 犯罪被害者に卑劣な嫌がらせを加える方法を昼も夜も妄想して愉しむ死刑廃止主張勢力 佐賀バスジャック犯谷口誠一を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 合法的な死刑は非難するくせに不法な殺人は手を叩いて慶ぶ死刑廃止主張勢力 日本国憲法を改悪し犯罪被害者の人権を一切剥奪する事を夢想する死刑廃止主張勢力 死刑廃止は世界の趨勢と大嘘をつく一方で時代おくれの少年法を頑迷に死守する精神分裂症の死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族に自殺を強要する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者を支援する良心的学者や弁護士の集会に殴り込みをかけ妨害する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の奴隷化をもくろむ死刑廃止主張勢力 死刑判決を下すなと裁判官に卑劣な脅迫を加える死刑廃止主張勢力 強姦殺人犠牲者を「売春婦」「淫乱女」と口汚く罵る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の自宅近くで中傷ビラを巻く死刑廃止主張勢力 犯罪被害者が生き地獄で苦しむのを見て愉悦に浸る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族の家に毎日夜中にいやがらせ電話をかける死刑廃止主張勢力 犯罪被害者保護法の無条件廃止を主張する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の葬式に殴り込みをかけた死刑廃止主張勢力 凶悪殺人犯の利益を守る為にあらゆる犯罪被害者保護に徹底的に反対する死刑廃止主張勢力 死刑判決は大声で非難するくせに無期懲役判決にはバカ猿みたいに狂喜乱舞する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者に無条件の泣き寝入りを暴力で強要する死刑廃止主張勢力 山口母子強姦虐殺犯福田孝行を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 宇都宮宝石店員虐殺犯篠沢一男を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 女子高生コンクリ詰虐殺犯宮野一派を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 栃木リンチ虐殺犯荻原一味を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力
740 :
馬鹿野郎。何消してんだよ。 :2001/04/08(日) 17:24
犯罪被害者を苦しめてもうけた金で食う飯は美味いと抜かす死刑廃止主張勢力 死刑廃止のためならどんなに卑劣な手を使っても一切恥じない死刑廃止主張勢力(例:麻原彰晃の卑劣な裁判引き伸ばし) 犯罪被害者に卑劣な嫌がらせを加える方法を昼も夜も妄想して愉しむ死刑廃止主張勢力 佐賀バスジャック犯谷口誠一を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 合法的な死刑は非難するくせに不法な殺人は手を叩いて慶ぶ死刑廃止主張勢力 日本国憲法を改悪し犯罪被害者の人権を一切剥奪する事を夢想する死刑廃止主張勢力 死刑廃止は世界の趨勢と大嘘をつく一方で時代おくれの少年法を頑迷に死守する精神分裂症の死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族に自殺を強要する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者を支援する良心的学者や弁護士の集会に殴り込みをかけ妨害する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の奴隷化をもくろむ死刑廃止主張勢力 死刑判決を下すなと裁判官に卑劣な脅迫を加える死刑廃止主張勢力 強姦殺人犠牲者を「売春婦」「淫乱女」と口汚く罵る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の自宅近くで中傷ビラを巻く死刑廃止主張勢力 犯罪被害者が生き地獄で苦しむのを見て愉悦に浸る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族の家に毎日夜中にいやがらせ電話をかける死刑廃止主張勢力 犯罪被害者保護法の無条件廃止を主張する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の葬式に殴り込みをかけた死刑廃止主張勢力 凶悪殺人犯の利益を守る為にあらゆる犯罪被害者保護に徹底的に反対する死刑廃止主張勢力 死刑判決は大声で非難するくせに無期懲役判決にはバカ猿みたいに狂喜乱舞する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者に無条件の泣き寝入りを暴力で強要する死刑廃止主張勢力 山口母子強姦虐殺犯福田孝行を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 宇都宮宝石店員虐殺犯篠沢一男を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 女子高生コンクリ詰虐殺犯宮野一派を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 栃木リンチ虐殺犯荻原一味を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力
741 :
馬鹿野郎。何消してんだよ。 :2001/04/08(日) 17:25
アムネスティ系のバカ削除屋、ここに書いた事は全て事実だから消したんだな。 犯罪被害者を苦しめてもうけた金で食う飯は美味いと抜かす死刑廃止主張勢力 死刑廃止のためならどんなに卑劣な手を使っても一切恥じない死刑廃止主張勢力(例:麻原彰晃の卑劣な裁判引き伸ばし) 犯罪被害者に卑劣な嫌がらせを加える方法を昼も夜も妄想して愉しむ死刑廃止主張勢力 佐賀バスジャック犯谷口誠一を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 合法的な死刑は非難するくせに不法な殺人は手を叩いて慶ぶ死刑廃止主張勢力 日本国憲法を改悪し犯罪被害者の人権を一切剥奪する事を夢想する死刑廃止主張勢力 死刑廃止は世界の趨勢と大嘘をつく一方で時代おくれの少年法を頑迷に死守する精神分裂症の死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族に自殺を強要する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者を支援する良心的学者や弁護士の集会に殴り込みをかけ妨害する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の奴隷化をもくろむ死刑廃止主張勢力 死刑判決を下すなと裁判官に卑劣な脅迫を加える死刑廃止主張勢力 強姦殺人犠牲者を「売春婦」「淫乱女」と口汚く罵る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の自宅近くで中傷ビラを巻く死刑廃止主張勢力 犯罪被害者が生き地獄で苦しむのを見て愉悦に浸る死刑廃止主張勢力 犯罪被害者遺族の家に毎日夜中にいやがらせ電話をかける死刑廃止主張勢力 犯罪被害者保護法の無条件廃止を主張する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者の葬式に殴り込みをかけた死刑廃止主張勢力 凶悪殺人犯の利益を守る為にあらゆる犯罪被害者保護に徹底的に反対する死刑廃止主張勢力 死刑判決は大声で非難するくせに無期懲役判決にはバカ猿みたいに狂喜乱舞する死刑廃止主張勢力 犯罪被害者に無条件の泣き寝入りを暴力で強要する死刑廃止主張勢力 山口母子強姦虐殺犯福田孝行を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 宇都宮宝石店員虐殺犯篠沢一男を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 女子高生コンクリ詰虐殺犯宮野一派を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力 栃木リンチ虐殺犯荻原一味を無条件で賛美する死刑廃止主張勢力
742 :
名無しさんの主張 :2001/04/08(日) 19:05
おお!すげぇな こいつの死刑には死刑反対派も反対しないだろうな
743 :
635 :2001/04/09(月) 01:16
>>712 > 判決確定後、新証拠が提出されるまで冤罪の「可能性」がないなら、
> 再審を認める必要があるわけないですね。
新証拠が出なければ再審は行われないでしょう?
新証拠が出て、はじめて再審を行うかどうか検討される。
> 確定判決を覆すような証拠が実際に出ようが出まいが、冤罪の「可能性」
> があるからこそ、刑事訴訟法で再審が認められているわけです。
この文章はかなり無理がありますね。新証拠が実際に出て、初めて再審が
認められるんですから。出なければ再審も、冤罪の可能性もないのです。
> 1.は誤り。なぜなら、冤罪がありうるという前提に立っても刑罰は正当化
> できるから。たとえば判決確定後はどんな新証拠が提出されても再審を
> 一切認めないという法は制定可能。したがって、2も誤り。
冤罪による懲役刑が許されるかどうかと再審があるかどうかは独立した問題
です。再審無罪を勝ち取ったからと言って、刑罰によって失われた時間は
戻りませんよ。
冤罪で長期懲役刑を受けた人間に対して、再審で無罪を言い渡し方からといって
冤罪囚に対する懲役刑が正当化できると考えるのはなぜですか?
> すごいですねえ。実際に再審になる割合が低いということから、再審の可能性を
> 保証すべきでないということがどうやったら演繹できるんでしょうか。
誤解しています。
私が言っている問題は、なぜ「冤罪で懲役刑が正当化されるのか」です。
あなたは、再審の可能性があるから正当化できると言う。つまり冤罪囚に対して
再審制度を救済措置として位置づけているわけですが、私はそれは救済措置になって
いないと言っているのです。
744 :
635 :2001/04/09(月) 01:19
>>712 > 確定判決を受けた者に対して再審可能性を平等に保証するということは、
> 実際にこれまでどれだけの者に対して再審が認められたかということとは別の話
> だよ。
再審可能性が高いか低いかは、再審制度が冤罪囚の救済措置として機能しているか
どうかという問題には大いに関係ありますね。再審可能性が低いのですから、救済
措置にはならないと言っているのです。
(たとえ再審無罪を勝ち取っても、懲役によって失われた時間は戻らないからダメですが)
つまり、冤罪の可能性を刑罰の是非を考える要素にするなら、冤罪で懲役刑も許さ
れるものではないという結論に達しざるをえない。
> 生きている期間が長ければ、再審の「可能性」が高くなるのは当然だよ。
> 逆にそうならないという根拠を教えてください。
事件が起こってから、時間が経てば経つほど、新証拠が出てくる可能性は低く
なりますよ。人々の記憶もあいまいになり、現場も風化していく。
死刑囚の場合、事件から判決確定まで+5年として、その間に見つけられなかった
ものが、さらに時間が経過したその後20〜30年で見つかる可能性は極めて低い
と考えられます。
> 残念ながら映像も決定的ではないんだなーこれが。平成11年民法改正
> においても、音声と映像による遺言が認められなかった理由は、それが
> 容易に加工できるからです。最近のCG技術を使えば、そこにいない人
> でのいるように見せられます。永瀬まさとしをベルリンの壁の上に乗せ
> ることもできますから。
現行犯逮捕という項目を無視していますが、わざとですか?
現行犯逮捕され、その様子を写した映像があり、その映像は直ちに裁判所に
提出された。だったら、死刑は可ですね。
このように、証拠証明力の高い場合を法に列挙すれば済みます。
745 :
しばこ :2001/04/09(月) 17:43
>>670 名前:瓶投稿日:2001/04/07(土) 15:57
『死刑全集』って本の巻末に載ってんだけど、
日本って殺人以外の罪でも死刑にできるみたい。罪名を挙げると、
加重窃盗、強姦、厳重建造物破壊、国事犯、反乱、ハイジャック、
爆発物使用、反逆、って事らしい。
だいたい反乱とか反逆って何なの?
こんなのっておかしくない?
おかしくない、国家は一般犯罪より上記の犯罪を重く見ている。
その手のことに対する、監視は見えないところで常にされている。
人権とは国家からの過大なる圧力より個人を守るためにあるものなので、
一般犯罪は、まぁ、付け足しみたいなもの。
だから、人権の意味を取り違える無かれ。
国家が治安維持の見せしめに行う、凶悪犯罪者に対する死刑はなくなりはしないし、
国家の決めたことを、覆そうとする者は大逆罪に問われることもあり得る。
ということを忘れるなかれ。
746 :
708 :2001/04/09(月) 21:44
>>714 =364
>許さない人が増えてるからこそ、医療訴訟がこれだけ増えてるんでしょうねえ。
なーんかまるで他人事みたいだけど、許す人なんかいるのかい?
いくら2ちゃんだからって、ずいぶんテキトーな言い種だねぇ。(w
んで、キミが630で書いた意思表示云々は、この問題において争点にならない
ことについては理解してくれたんだろーか?
>要するに、あなたは死刑と手術では目的ということが分ってないんですよ。
悪いけど、俺よりキミのほうが分かっているとは思えないのよ。
>死刑は受刑者に不利益を与えるもの(しかも最悪のね)であり、
↑これなんかまさにそうだね。自ら「目的」に焦点を当てておきながら、
「受刑者に不利益を与える目的」についてはすっぽり抜け落ちてる。
まぁ、その中身については置いとくとして、目的を設定する側にとって、
それが達成されるということは即ち利益となるはずだよね。
だったら、キミの書いた手術に関する文脈をそのまま使って死刑の正当性
も主張できるってことだよ。
>患者が利益を受ける予見可能性が高かったならば、
医療ミスによって患者が死亡するケースが現実として起こっていること
ぐらいキミも知ってると思うけど、対して、冤罪による死刑の実例は依然
として報告されない。
この状況において、可能性を拠所に手術を肯定し、死刑を否定するという
のなら、医療ミスによる患者の死亡よりも、冤罪による死刑の可能性のほう
が実際には高いと言い切れるだけの根拠でもって、それが単に死刑に反対
したいがための方便でないことを示せるのかっつー話になるわけでね。
>手術は正当化されるということになるわけ。
その通り。手術という医療行為の存在は正当化できる。けど、医療ミスは
正当化できないよね。
ならば同じ文脈で、死刑という制度の存在は正当化できるが、冤罪は正当化
できない、と主張することに何か矛盾がある?俺はないと思うな。
>繰り返すが、私は冤罪、つまり「判決ミス」を直接の論拠として死刑制度
>に反対しているわけではないですから。
あ?俺はキミが624だと思ってレスしてんだけど、違うんだったら無理して
付き合わなくてもいいよ。
747 :
深海魚 :2001/04/09(月) 23:46
>635 ダメダメみたいだよ、364は・・・・。 なにしろ、現行犯逮捕で、その映像が全国放送されても、その映像がCGかもしれない と言っちゃう人だもの(!) 織原が「ルーシーブラックマンさんの死体は、警察が埋めたものだ」と言ってるのと、 大差無いね。これじゃ、議論にならんわ。
>>742 -743
>新証拠が出なければ再審は行われないでしょう?
>新証拠が出て、はじめて再審を行うかどうか検討される。
当たり前。
>新証拠が実際に出て、初めて再審が認められるんですから。
>出なければ再審も、冤罪の可能性もないのです。
私はそこに「刑事訴訟法で再審が認められている」と書いた。
つまり判決確定後、新証拠が提出されるまで冤罪の「可能性」
がないなら、刑事訴訟法が再審請求権を制度として事前に
保証する必要はない、という意味。ちゃんと読めば分かるでしょ。
>
>>1 . 刑罰(死刑も含めて)は冤罪がないという前提に立って
>>>初めて正当化できる。
>
>>2 . 冤罪の可能性を考慮に入れるなら、全ての刑罰は不可。
>>1 .は誤り。なぜなら、冤罪がありうるという前提に立っても
>>刑罰は正当化できるから。たとえば判決確定後はどんな新証拠
>>が提出されても再審を一切認めないという法は制定可能。
>>したがって、2も誤り。
>冤罪による懲役刑が許されるかどうかと再審があるかどうかは
>独立した問題です。再審無罪を勝ち取ったからと言って、刑罰
>によって失われた時間は戻りませんよ。
上記を見ても明らかなように、論点ずらしの典型。
私の
>>712 での、あなたの「1.」と「2.」の主張に対する論駁について
の反論になっていない(「>>」で示した部分が私の主張)。
>>742 -743(つづき)
>冤罪で長期懲役刑を受けた人間に対して、再審で無罪を言い
>渡し方からといって冤罪囚に対する懲役刑が正当化できると
>考えるのはなぜですか?
正当化できないから、刑事補償法に基づく補償請求権が認め
られているわけです。
>あなたは、再審の可能性があるから正当化できると言う。
>つまり冤罪囚に対して再審制度を救済措置として位置づけている
>わけですが、私はそれは救済措置になっていないと言っているの
>です。
私は「再審の可能性があるから正当化できる」などと書いていない。
私が
>>644 で「無期懲役刑を「許容」する」と書いたのは、再審開始
が決定されるまでは刑に服さざるを得ないという意味。また、再審
制度が冤罪囚に対する「救済措置」のすべてだとも一言も言って
いない。繰り返すが、再審で無罪が確定したなら、刑事補償法に
基づき補償請求をすればいい。ところが死刑の場合、補償請求は
相続人ができても本人はできない。この点でも死刑制度には問題
があるわけ。
>再審可能性が高いか低いかは、再審制度が冤罪囚の救済措置
>として機能しているかどうかという問題には大いに関係ありますね。
>再審可能性が低いのですから、救済措置にはならないと言っている
>のです。
実際にこれまで再審になる割合が低いということを根拠にして
再審制度を否定するわけですか。冤罪囚はたまったもんじゃない
ですねえ(笑)。再審で無罪をかちとることが「救済」の一部(すべて
ではないよ)にもならないという理由を教えてください。
>>742 -743(つづき)
>つまり、冤罪の可能性を刑罰の是非を考える要素にするなら、
>冤罪で懲役刑も許されるものではないという結論に達しざるをえない。
何回同じことを言わせるの。私は冤罪の可能性を論拠にして刑罰
を否定する立場は採らないと言ってるでしょ。ちゃんと読んでくれ。
>事件が起こってから、時間が経てば経つほど、新証拠が出てくる可
>能性は低くなりますよ。人々の記憶もあいまいになり、現場も風化
>していく。
それは各時点で区切って考えた場合で、当たり前のこと。しかし、
生きている期間全体において再審事由が生じる確率は、期間が長い
ほうが高くなるのは必然だよ。
>現行犯逮捕という項目を無視していますが、わざとですか?
また同じことを言わす気?(笑)
現行犯逮捕の場合は上訴も認めないわけですか? 怖いですねえ。
検察官や裁判官は喜ぶでしょうけどね(笑)。
じゃあ、聞きますが、
逮捕した者の捏造の可能性を否定できる根拠は何ですか?
「おまわりさんが嘘はつくはずがない」ということではないですよね?(笑)
751 :
364 :2001/04/10(火) 01:19
>>746 >悪いけど、俺よりキミのほうが分かっているとは思えないのよ。
悪いけど、俺よりキミのほうが分かっているとは思えないのよ。
こんな単純なことをいちいち説明するのは実にバカバカしいが、
粘着質くんがまた無内容なことを言ってまとわりついてくるのは
鬱陶しいから、バカていねいに解説してあげるよ。
キミが言っていることは次のC1で表される。
任意の人をPとし、
A1:「Pが<無実>ならば、Pは死刑を執行されるべきではない」
B1:「ある手術がPを死亡させる可能性があるならば、Pはその手術を受けるべきではない」
とすると、
C1:A1→B1。
そしてA1、B1、C1はそれぞれA2、B2、C2と同値だ(あなたは
冤罪可能性を論拠とした死刑廃止論を対象としているようなので、
ここで「無実でないこと」は、殺されることについての「正当な事由」
だとする。繰り返すが、私はこの立場ではない)。
A2:「Pは、正当な事由なしに、殺されるべきではない」
B2:「Pは、死亡する可能性がある行為を受けるべきではない」
C2:A2→B2。
しかし、C2は偽。なぜなら、A2が真でもB2は偽となる場合があるから。
つまり、A2は「Pは、正当な事由があれば、殺されてもよい」(A3)を
含意する。そして、このA3は「Pは、正当な事由があれば、死亡する
可能性がある行為を受けてもよい」(A4)を含意する。だが、このA4は
B2と明らかに矛盾する。したがって、C2は偽。すなわち、キミの主張は
間違っている。(Q.E.D)
分かりましたか? もう駄レスよこさないでね(笑)。
752 :
364 :2001/04/10(火) 01:53
>>747 >現行犯逮捕で、その映像が全国放送されても、
あのねぇ、あなたと違って、
裁判官はいつも茶の間でTV見てるほどヒマじゃないんですよ(笑)
753 :
635 :2001/04/10(火) 02:28
>>748 -750
> 私はそこに「刑事訴訟法で再審が認められている」と書いた。
> つまり判決確定後、新証拠が提出されるまで冤罪の「可能性」
> がないなら、刑事訴訟法が再審請求権を制度として事前に
> 保証する必要はない、という意味。ちゃんと読めば分かるでしょ。
結審後、判決を覆すような証拠が出てきた場合に備えて、
刑事訴訟法が再審請求権を制度として事前に保証しているんですよ。
> 上記を見ても明らかなように、論点ずらしの典型。
> 私の
>>712 での、あなたの「1.」と「2.」の主張に対する論駁について
> の反論になっていない(「>>」で示した部分が私の主張)。
じゃあ、あなたの反論レベルに合わせた反論をしましょう。
全ての有罪確定囚に対して、一定期間後再審を行うという法は制定可能。
それが制定されていないのは、決定的新証拠が出ない限り冤罪の可能性
が考慮されていないからである。
> 正当化できないから、刑事補償法に基づく補償請求権が認め
> られているわけです。
なるほど。じゃあ
「冤罪で長期懲役刑を受けた人間に対して、再審で無罪を言い
渡し、補償したからといって冤罪囚に対する懲役刑が正当化できると
考えるのはなぜですか? 」
> 再審 制度が冤罪囚に対する「救済措置」のすべてだとも一言も言って
> いない。
その他には、補償制度ですか。でもそれは再審無罪を勝ち取った冤罪囚
に対してだけですよね。
754 :
635 :2001/04/10(火) 02:29
>>748 -750
> 繰り返すが、再審で無罪が確定したなら、刑事補償法に
> 基づき補償請求をすればいい。ところが死刑の場合、補償請求は
> 相続人ができても本人はできない。この点でも死刑制度には問題
> があるわけ。
私が何度も問題にしているのは、再審の可能性が低いと言うことです。
それに対して、再審無罪を勝ち取った冤罪囚には補償がありますと
言っても、反論にならないというのは、わかるでしょう?
補償してもらえるのは、再審を受ける幸運に恵まれた人間だけなんだ
から。
> 実際にこれまで再審になる割合が低いということを根拠にして
> 再審制度を否定するわけですか。冤罪囚はたまったもんじゃない
> ですねえ(笑)。再審で無罪をかちとることが「救済」の一部(すべて
> ではないよ)にもならないという理由を教えてください。
再審は、三審中に捜しても見つからなかった決定的証拠が出てきた時に
認められるわけですよね。再審の可能性が低いのは、その決定的新証拠を
見つけることが困難だからです。この可能性は、未来永劫これまで通り
低いままでしょう。
それと、私は再審制度を否定しているわけではありません。
再審制度(&その後の補償)は、その可能性が低いのだから冤罪囚の救済措置
にならないといっているのです。
死刑を容認するからと言って、再審制度を否定しているわけでもありません。
実際に再審無罪を勝ち取った死刑囚もいます。
755 :
635 :2001/04/10(火) 02:31
>>748 -750
> 何回同じことを言わせるの。私は冤罪の可能性を論拠にして刑罰
> を否定する立場は採らないと言ってるでしょ。ちゃんと読んでくれ。
冤罪の可能性を論拠にして死刑を否定しているんじゃなかったの?
>>624 でそう書いてあるけど。
>>644 では「受刑者の再審可能性がないこと」と書いてあるけど、
再審可能性がないことが不当なのは冤罪の場合でしょう?
冤罪の可能性を論拠に死刑を否定しているのと、どこが違うの?
あと、もう一つ。死刑囚に再審可能性がないというのは、嘘ですね。
再審無罪を勝ち取った死刑囚もいるわけだから。
> それは各時点で区切って考えた場合で、当たり前のこと。しかし、
> 生きている期間全体において再審事由が生じる確率は、期間が長い
> ほうが高くなるのは必然だよ。
事件から何年も(場合によっては10年以上経過した)死刑執行以降に
再審事由が生じる確率が、かなり低いということには同意してもらえる
わけですね。
> また同じことを言わす気?(笑)
> 現行犯逮捕の場合は上訴も認めないわけですか? 怖いですねえ。
> 検察官や裁判官は喜ぶでしょうけどね(笑)。
> じゃあ、聞きますが、
> 逮捕した者の捏造の可能性を否定できる根拠は何ですか?
> 「おまわりさんが嘘はつくはずがない」ということではないですよね?(笑)
私が言ったのは、現行犯逮捕かつ、その様子を写した映像かつ、
直ちに裁判所に提出という条件です。「直ちに」は、逮捕日時と逮捕場所と
提出日時がわかれば、判断可能ですね。この条件では、死刑は可ですね。
それと、もう一つ。被告人が裁判で犯行を自供した場合はいかがですか?
もちろん、その自供は秘密の暴露などの条件をクリアーする有効な自供だと
します。
756 :
635 :2001/04/10(火) 02:53
>>750 あと、一つ気になるんだけど。
> 現行犯逮捕の場合は上訴も認めないわけですか? 怖いですねえ。
別に上訴を認めないなんて言ってないんですけど。
争点は色々あり得るし。
なんか、あなたの書き方は必要以上に攻撃的に感じられます。
それがお好みだったらそれでもいいんだけど、追い詰められて、あがいている
ような印象をあたえますよ。
別にここでの結論がどうであれ、誰かが死ぬわけじゃないんですから気軽にやりませんか。
私は、あなたの主張に説得力がないと思うから反論しているだけであって、
あなたが憎いわけではないのですが。
>>748 における364の見解を逆に読んでみよう!
(635)1. 刑罰(死刑も含めて)は冤罪がないという前提に立って初めて正当化できる。
>>1 .は誤り。なぜなら、冤罪がありうるという前提に立っても刑罰は正当化できるから。
つまり、「お前は怪しいから冤罪かも知れないが刑務所に入っておれ」はオッケーだと。
推定無罪という考え方は鉄則ではなくなってしまったらしい。
(635)冤罪の可能性を考慮に入れるなら、全ての刑罰は不可。
>>判決確定後はどんな新証拠が提出されても再審を一切認めないという法は制定可能。
ならば死刑も同じ理由から制定可能だと思うのは素人のあさはかさなのでしょうな。
で、
>>680 の問はなんだかんだ言ってお茶を濁していただいて回答を頂いていない気が
しますが、
>>700 についてはどうお考えでしょうか。
758 :
437 :2001/04/10(火) 05:11
ども、ROMしていましたがすこし確かめさせて下さい。
>>364 さんの死刑廃止論は
>>644 から
刑罰制度は冤罪可能性を必然的に含むものであるが、この制度を
正当化するには判決後のあらゆる局面で再審可能性が保障されて
いなければならない
よって刑罰制度の中で唯一執行後の再審可能性が保障されえない
死刑は正当化されないので廃止すべきである。
ということでだいたいよろしいでしょうか?
なんとなく私がポパさんと交わした議論に似ているように思いますが、
ところでもしこのような刑罰制度を正当化しうる事情が再審可能性の保障
以外にも存在し、それが死刑にも適用できるものであったなら死刑を存続
させることも可能としてもよろしいでしょうか?
お手数ですが、このような事情があるかないかということはおいてお答え
いただけたらと思います。
759 :
635 :2001/04/10(火) 09:17
>>748 -750
間違い発見。怒られる前に訂正します。
>>755 の9行目と10行目
>あと、もう一つ。死刑囚に再審可能性がないというのは、嘘ですね。
>再審無罪を勝ち取った死刑囚もいるわけだから。
は削除します。
執行後の再審可能性がないということを問題にしていたんですよね。
失礼しました。
760 :
635 :2001/04/10(火) 10:22
あと、私へのレスじゃないけど、私にレスしてくれた深海魚さんへのレスだから、
一言。
>>752 > あのねぇ、あなたと違って、
> 裁判官はいつも茶の間でTV見てるほどヒマじゃないんですよ(笑)
裁判官が茶の間でTV見てたらOKなの?
社会党淺沼委員長刺殺事件とか、豊田商事社長殺害事件とか、カメラの前で
起った殺人事件もあるよね。
裁判官がそういうTVを見ていたら死刑OKなの?
>>760 (>635)
豊田商事事件はダメだッ! 刺す瞬間は撮してないからだッ!
浅沼事件は、駆け寄った身内が浅沼に毒薬を飲ませたのだッ! そして
警察も検察もグルだから、少年に罪を被せたのだ! 浅沼事件は冤罪だ!
オウムの村井事件も、刺された傷は実は致命傷ではなく、病院に行くまでの
課程で何者かが殺した!
ていうかこの世の全ての犯罪は、悪の秘密結社が催眠術で善良な市民を
操って生じているので、つまりはすべて冤罪だッ! 秘密結社の技術が
あまりに高度すぎて、裁判所も検察も、被告自身も見抜けないのだッ!
762 :
746 :2001/04/10(火) 22:13
>>751 =364
またもやミョーなことを書いてるねぇ。
キミは、俺が「冤罪可能性を論拠とした死刑廃止論を対象としていること」
について念を押しておきながら、
>A1:「Pが<無実>ならば、Pは死刑を執行されるべきではない」
って、おいおい大丈夫か? 無実だったら冤罪ってことじゃんよ。
冤罪ならば刑は執行されるべきでない、という当たり前のことについて争う
余地なんかあるのかい?(w
キミはここで、冤罪可能性(無実である可能性)の話から勝手に「可能性」
というものを取り払って、冤罪か否か(無実か否か)という単純な二元論に
すりかえちゃってるわけだ。(わざとやってんの?)
で、可能性論であるB1と並べて「C1:A1→B1」だって? 二元論と可能性論
が同値?? こんな珍説を誇らしげに書いてくれちゃって、俺のほうが赤面
しちゃうよ。
言ったでしょ、無理して付き合わなくてもいいって。
763 :
>762 :2001/04/11(水) 01:18
確かにねぇ。 死刑で殺された人のうち、誰が冤罪だったかは、誰にもわからない。 手術を受けるひとのうち、誰がミスで死ぬかは、誰にもわからない。 だから、死刑制度と手術を同列に語る価値があるわけで。 死刑の場合だけ、冤罪であることを知りうる「神の目」を設定しておいて、 手術の場合は、死ぬかどうかわからない「人間の目」で見たって、 比較したことにはならんわなぁ。
764 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 11:13
くだらないあげあしとりをするなら 意識不明で重態の患者が運び込まれて手術をするかしないかという事態。 手術ではミスで人が死ぬかもしれんな。 肝心の本人の意思も不明。 で、手術をしないことでどのような事態が起こりうるか予測する A手術しない→即死、もしくは重態 B手術しない→自然回復で治癒する 仮にBの状態、手術をする必要性が特に無くて それで本人の許可なく手術を決行して、それでミスはなくて無事だったとして これ正当? 仮にAの状態、手術をしなければ危険な状態で、手術を決行して、 その結果、ミスで死亡して、これ不当? このスレが700超えても歩み寄らない一因が見えた気がするねw
765 :
う〜ん :2001/04/11(水) 12:23
>>764 > 仮にBの状態、手術をする必要性が特に無くて
> それで本人の許可なく手術を決行して、それでミスはなくて無事だったとして
> これ正当?
不当。これは当たり前。そもそも、患者の意識のない状況で特に必要性のない
手術をするわけがない。手術しないという選択があり得るなら、手術は絶対しない。
> 仮にAの状態、手術をしなければ危険な状態で、手術を決行して、
> その結果、ミスで死亡して、これ不当?
不当。通常の技量をもって行えば救い得た命をミスによって失ったのなら
医療ミスとして、遺族は病院および医師を訴えることが出来る。
患者の意識があろうがなかろうが、同じこと。
何が言いたいのか、見えないんだけど。解説してもらえませんか。
もし、結果に対してじゃなくて「手術すること」に対してなら、
前者は不当。後者は正当(もちろん、ミスは不当)。
766 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 12:52
もしも死刑が無くなって、あなたの家族が惨殺されて犯人が捕まっても 死刑にならなくても、あなたは平気ですか。私だったら絶対死刑にして 欲しい。だから死刑は必要なの。
767 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 15:13
>>765 Bは正当
Aは不当
条件に応じて差はでるもんだ。
例え手術の例えを出したところでそれが相手との共通意識の上で語られなければ意味がない
しかし議論において盲目になり
死刑肯定派は一律に正当
死刑否定派は一律に不当と主張して議論が平行線だったわけだ。
その平行線を解消できるよういい具体例を出しただけさ
これで手術の例えの議論も先に進むだろ?
768 :
76 :2001/04/11(水) 15:40
うん?どちらも不当なんだけど。 >Bは正当 >Aは不当 これどういう意味ですか?
769 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 16:48
>>768 >うん?どちらも不当なんだけど。
>>Bは正当
>>Aは不当
>これどういう意味ですか?
AとBが逆になったんだよ。それぐらい気づいてくれ
本人も手術自体は正当だと言ってるだろうが
ちなみにAは正当だよ。
Aのケースでの手術ミスの不当さはミスしたという一点。
しかも結果ではなく、その過程に誤りがあった時(過失)のみだ。
結果的に死亡したから不当などというのは馬鹿げた意見に過ぎないことは分かるだろ?
770 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 16:56
>>761 >秘密結社の技術が
>あまりに高度すぎて、裁判所も検察も、被告自身も見抜けないのだッ!
仮にそうだとしたら誰も見抜けないからその思考自体が出現しないよね
それを語るあんたはどうやってその事実を知ったの?という一言で終わり。
しかし、仮に誤痴鋭さんが言うような被告が出てきたとして
問答無用でそいつを死刑にするよりは
徹底的に反論を聞いて警察と裁判所の信用を回復したほうが良いように思えるね。
それならばそいつには死刑よりも終身刑の方が良いのかもしれないね。
771 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 17:00
ここまで続いているけど、 >1って、”合法的とはいえ、”と、しっかり合法と書いてるし、 誰もこのことにツッコミ入れていない。 要するに、合法であると全員一致で認めてるってことだろ? じゃあ、議論するまでもない。いいってことだろ?
772 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 17:07
>>771 殺してよい、殺してはいけない
この二択か
殺さなくてはいけない、殺さなくてもよい
この二択か
あるいは
殺したほうがよい、殺さないほうがよい
この二択か
もちろんこれぐらいの思考はしてるんだろ?w
773 :
伊藤英明 :2001/04/11(水) 17:13
合法だからラリってもいいのでし
774 :
由美子 :2001/04/11(水) 17:20
女のこを死刑にしたらいけないと思う。 攻撃的なのは男性であることは生物学的にも証明されてるし女のこは力も無いし最初からそんなことができないですから。 もともと女のこは男性を精神的サポートして影から支えるように生まれてるんだから。 その証拠にニュースや新聞に女のこが悪いことしたって出てこないでしょ? それより、他板でスレ立てたりしてきたんだけど、どこに行ってもみんな救いようのない男性ばかりで嫌になちゃった。 どうして女のこを守ってあげようとか養おうって考えもってない人がここには多いのかな。
775 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 17:34
>>774 >どうして女のこを守ってあげようとか養おうって考えもってない人がここには多いのかな。
俺はそのような思考を持ってるよ
この板は君みたいなか弱い女の子には危ない
精神的に毒で汚染されてるので、か弱い女の子はすぐ頭をやられてしまう
ここは俺たちみたいな男にまかせて他の安全な板に避難するんだ
二度と書き込まないようにな!
おや?懐かしい名前が
>>774 に来ておったんじゃのう。
777 :
えーでー :2001/04/11(水) 18:25
俺は俺だけの国家を勝手に作り、おまえを国民にして、死刑を合法とする。俺がおまえを殺しても、俺にとって合法だからおまえには何も言えない。
>>770 >それを語るあんたはどうやってその事実を知ったの?という一言で終わり。
というのは、悪魔の証明に属することではなかろうか。もちろん「催眠術をかけた
奴はいない」というのも悪魔の証明なのだが。「疑わしきは被告人の有利に」なのでは?
>徹底的に反論を聞いて警察と裁判所の信用を回復したほうが良い
それは三審制では無理なのか? 裁判所で「徹底的に反論」をする機会はあると思う
のだが。
>それならばそいつには死刑よりも終身刑の方が良いのかもしれないね。
これは明らかにオカシイ。「徹底的に反論」をしている間は未決囚なのだから、
終身刑も死刑もない。判決確定後(つまり「終身刑」に服してから)も無制限に上訴
できるようにしろというなら、少なくともその懲役は「無罪推定」に基づいていない。
779 :
名無しさんの主張 :2001/04/11(水) 23:45
>>778 >「疑わしきは被告人の有利に」なのでは?
裁判に限らず手続き上は、つまり法の上では人間には論理的一貫性を求められる。
仮に人間から論理を奪ったとしたらそこにある全ての責任が消失し、罪というもの自体が無くなってしまう。
論理性が根本から無い者に疑わしさなどありようが無い
本当に疑わしいと主張するなら当然論理的に語るべきだ。
裁判は検事と弁護士の対論の形をとる。ならばその形式に対応するべきだ。
でなければ「疑わしきは被告人の利益」とはならない。
>それは三審制では無理なのか? 裁判所で「徹底的に反論」をする機会はあると思う
のだが。
無理だろ。その被告は裁判所もグルだと言ってるのだろう?
ならばいかに三審制を用いて反論の機会を与えようとも裁判終了後にそれ自体が悪いと語るだろう。
そしてその意見を無視して殺してしまえば、それは他ならぬ被告の答弁を後押しすることになってしまう。
そのような反逆的な思考は仮に死刑囚一人を殺さないでも徹底的に叩き潰すべきだ。
>「徹底的に反論」をしている間は未決囚なのだから、
>終身刑も死刑もない。判決確定後(つまり「終身刑」に服してから)も無制限に上訴
>できるようにしろというなら、少なくともその懲役は「無罪推定」に基づいていない。
別に刑に服させなくても再犯さえ起こさせなければ構わないんじゃないの
ただ現実的に三審終了後にもう一度裁判などするべきではない。
三審制そのものが崩壊するからだ。
しかし死刑にすることは他ならぬ被告の主張にとって有益に進む。
被告の主張を否定する機会を失うからだ。
ならば終身刑が望ましいかも。
>>779 うーん、つまりはどんな明確な証拠があろうと冤罪たりうるという364の
主張に基づけば、「催眠術云々」の主張も正当である可能性が否定できない
わけで。上のようなトンデモな極論と、364の主張は連続していると言いたいので
あります。ちなみに裁判所や検察がグルだというのは流石に2ちゃん的な誇張。
俺は、充分に有罪であると疑いうる証拠があり、かつ無罪であることを示す
可能性が極端に低い場合、実際がどうであれ、それは司法的に事実であると認定して
いいと思うし、また「その断定は正しい」という社会的了解があれば、実は無罪の者を
【社会的に】有罪とすることもやむを得ないと思う。(陪審制とはその断定の正当性を
国民に求めるものではなかろうかと思うのだが、違いますか?。)
ただしその「社会的了解」が恣意的であっては、ただの人民裁判になってしまう。
これは難問題だし話がそれて深海魚さんに叱られそうなので、とりあえず擱いておく。
然るに、この断定が正しくない可能性があるから(訂正の機会のない)死刑は
許されないというなら、刑罰全般は正しくないかも知れない判断に基づいて行われて
いるわけだ。これは明らかに「無罪推定」と相容れない考えだと思うのだが、訂正の
機会さえ与え、補償さえすれば、何をしても許されるのだろうか。
ところで
>死刑にすることは他ならぬ被告の主張にとって有益に進む。被告の主張を否定する機会を失うから
これはどうだろう。被告の主張の正しさを証明する機会も失うし、それに加えて
被告に死を齊らす事が利益だとは到底思えない。「殉教」ということだろうか。
もしかしたらこれを言わせたくて書いたのかも知れないが、「疑わしくない」と
判断したから被告人への人権侵害が正当化されるのであって、無罪であることが
導ける証拠が出たとき(=断定が再び「疑わしき」へ戻ったとき)に初めて再審が
行われるわけでしょう?
781 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 01:12
>>780 >(陪審制とはその断定の正当性を国民に求めるものではなかろうかと思うのだが、違いますか?。)
その通りです。
782 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 01:33
>>780 >訂正の機会さえ与え、補償さえすれば、何をしても許されるのだろうか。
許されるべきではない。しかしどちらの利益を優先するかということだ。
ならば司法制度を優先するのは保守的な立場であり普通である。
ただし司法制度が間違えていた可能性を考慮するなら死刑は避けるべきである。
日常社会で暴力は許されるべきではない。
しかし現実社会では誰一人傷つけない配慮と社会の利益とを折半して行われる。
が、誰一人死ぬことがないような配慮は最大限に行われている。
それは暴力に対して声を挙げて批判でき、それによってより改善できるからであり
死は時としてその声すらなく、現状を認識できないからである。
>これは明らかに「無罪推定」と相容れない考えだと思うのだが
裁判により決定したことは手続き上は紛れも無い事実だ。
全ての手続きはその事実に基づく。
仮にノックがセクハラをしてなくても裁判で有罪ならノックはセクハラをしたのだ。
「推定無罪」は冤罪の可能性を極力おさえる思考だが冤罪を完全に失くせる方法ではない。
当然ながら刑は冤罪の可能性が全く無いことを踏まえて行われるが
冤罪の可能性を全くもって否定することはできないのは誤痴鋭氏自身理解していることだろう。
これは法に問題があるのではない。
結局我々は事実すら知りようがないという根本的な問題なのだ。
>>757 >>判決確定後はどんな新証拠が提出されても再審を一切認めない
>>という法は制定可能。
>ならば死刑も同じ理由から制定可能だと思うのは素人のあさはかさなの
>でしょうな。
私は制定「可能」としただけで、制定「すべき」とはしていない。
死刑も制定「可能」だし、現実に日本では採用されているわけです。
>「お前は怪しいから冤罪かも知れないが刑務所に入っておれ」は
>オッケーだと。 推定無罪という考え方は鉄則ではなくなってしまったらしい。
ちがうちがう。
刑務所に入れられるのは、裁判所が「推定無罪」としなかったからだよ。
もし「推定無罪」とされた場合は当然に無罪となり、冤罪にはなりえない。
「冤罪」というのは結局、本人以外にとっては「実在論」的な概念なんだよ。
つまり、たとえ再審でも有罪が確定したとしても、それはあくまでその時点
までに提出された証拠に基づいてなされた判断でしかない。だから、その
時点(厳密には違うけど)までに発見されていない証拠によれば、
真犯人が別にいることが立証できるかもしれない。それが発見されて
いないがために、再審でも有罪が確定してしまっただけなのかもしれない
わけ。要するに「真実は本人しか分からない」ということです。
だから、
>>635 さんが「刑罰(死刑も含めて)は冤罪がないという前提に
立って初めて正当化できる」とするのは、無理なわけ。なぜなら、「冤罪が
ない」という前提に立てるのは本人だけから。
>
>>700 についてはどうお考えでしょうか。
>法律ってのはそもそも「国民感情」に由来して決められるもの
だと思うんだが。
法律は国会という間接民主主義のシステムの下で決められる。だから、国民の
多数が同意しても国会議員の多数が同意しなければ、原則として法律は成立し
ない。実際の首相が必ずしも「首相になってほしい人」の1位ではないのと同じ。
>>753 -756
結局、あなたは何が言いたいの? 支離滅裂でさっぱり分からん。
次の点についての態度をはっきりしてください。
1.すべての刑罰について冤罪可能性(現実に無実である者が受刑
することがありうること)を認めるか。
2.冤罪は存在してはならないとするか(「少なくすべき」という意味で
はなく)。
3.1と2を認めるなら、死刑を含めたすべての刑罰を否定するしかない
と思われるが、同意するか。
4.死刑の存続を認めるなら、その理由は何か。
------------------------------------------------
>全ての有罪確定囚に対して、一定期間後再審を行うという法は
>制定可能。それが制定されていないのは、決定的新証拠が出な
>い限り冤罪の可能性が考慮されていないからである。
私の
>>712 での反駁に対する答えになっていないし、意味不明。
「一定期間後再審を行う」? なぜわざわざ期間を置く必要がある?
それが制定されていないのは、期間を置くことに合理性がないから。
>冤罪で長期懲役刑を受けた人間に対して、再審で無罪を言い
>渡し、補償したからといって冤罪囚に対する懲役刑が正当化できると
>考えるのはなぜですか?
再審で無罪となった者への国による補償で、その者が受けた刑を
「正当化」できるなどと私は書いていない。「正当化」できないから、
その「償い」として「補償」するわけです。
>>783 -784 の筆者は「364」ではなく「634」です(汗)
>>753 -756(つづき)
>再審無罪を勝ち取った冤罪囚には補償がありますと言っても、
>反論にならないというのは、わかるでしょう?
>補償してもらえるのは、再審を受ける幸運に恵まれた人間だけ
>なんだから。
では、どうしろというのですか? 国家補償があなたの言う償いと
しては不十分だというなら、あとは刑罰自体を否定するしかないですよ。
>私は再審制度を否定しているわけではありません。
>再審制度(&その後の補償)は、その可能性が低いのだから冤罪囚
>の救済措置にならないといっているのです。
だから、どうしろというの? もう疲れさせないでくれ(笑)
> 冤罪の可能性を論拠にして死刑を否定しているんじゃなかったの?
>
>>624 でそう書いてあるけど。
あなたが
>>623 で「冤罪の人が償わなければならない理由はない」
と書いたから、私は
>>624 で「ならば、冤罪の可能性がある以上、
死刑はあってはならないですね。 」と書いたまでです。つまり、あな
たの主張を前提にすると導き出せることを書いたまでです。
>私が言ったのは、現行犯逮捕かつ、その様子を写した映像かつ、
>直ちに裁判所に提出という条件です。「直ちに」は、逮捕日時と
>逮捕場所と提出日時がわかれば、判断可能ですね。この条件では、
>死刑は可ですね。
「捏造おまわりさん」(笑)の事例への反論になってない。
同じことをまた言いますが、警察官が無実の人を脅して他人を殺させ、
「現行犯逮捕」したと捏造し、「その様子を写した映像かつ、直ちに裁
判所に提出」という可能性を否定できる理由を教えてください。
>被告人が裁判で犯行を自供した場合はいかがですか?
>もちろん、その自供は秘密の暴露などの条件をクリアーする有効な
>自供だとします。
「秘密の暴露」が第三者(真犯人など)によって教唆されたものである
可能性を否定できる根拠を教えてください。
>>758 前半ついては、けっこうでございます。
>もしこのような刑罰制度を正当化しうる事情が再審可能性の保障
>以外にも存在し、それが死刑にも適用できるものであったなら死刑
>を存続させることも可能としてもよろしいでしょうか?
それはどのような事情か逆に伺いたいです。
788 :
634 :2001/04/12(木) 01:45
>>762 -763
だから、「無理し」なくていいって(笑)。痛々しいから。
>>A1:「Pが<無実>ならば、Pは死刑を執行されるべきではない」
>キミはここで、冤罪可能性(無実である可能性)の話から勝手に
>「可能性」というものを取り払って、冤罪か否か(無実か否か)という
>単純な二元論にすりかえちゃってるわけだ。
では、あなたのご要望どおり、A1の「無実」を「冤罪可能性(無実である
可能性)」に置き換えましょうか(置き換えてできた文をA5とする)。
A1:「Pが<現実に無実である>ならば、Pは死刑を執行されるべきではない」
A5:「Pが<無実である可能性がある>ならば、Pは死刑を執行されるべきではない」
すると、A1→A5 は明らか。なぜなら、「現実に無実である」の外延は
「無実である可能性(冤罪可能性)」の外延の一部であり、前者は後者
を意味論的に含意するから。分かりやすく言うと、現実に無実である人
はすべて、無実である可能性がある(あった)から。
そして、A5は「Pが死刑を執行されてもよいためには、Pが<無実である
可能性がない>ことが必要である」(A6)を含意する。ここで<無実である
可能性がない>ことを、Pが殺されることについての「正当な事由」のすべ
てだとすると、A6は「Pは、正当な事由なしに、殺されるべきではない」(A2)
を含意する。そして、A2は「Pは、正当な事由があれば、殺されてもよい」
(A3)を含意し、A3は「Pは、正当な事由があれば、死亡する可能性がある
行為を受けてもよい」(A4)を含意する。そして、B1(「ある手術がPを死亡さ
せる可能性があるならば、Pはその手術を受けるべきではない」)の根拠と
なるB2(「Pは、死亡する可能性がある行為を受けるべきではない」)は、
このA4と矛盾するので、A4とB1も矛盾する。 (Q.E.D)
要するに、結論は同じということだね。
すなわち「冤罪可能性を論拠とした死刑廃止論者は、必然的に外科手術
も否定しなければならない」といった主張は、論理の初歩さえ理解でき
ていないあなたの謬見です(ちなみに、冤罪可能性を論拠としない死刑
廃止論についても結論は同じ。理由は既に説明済み)。
しかし、ふつうのレベルの死刑賛成論者いないのか、ここは(呆)。
789 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 01:47
>>786 一発反論
>「秘密の暴露」が第三者(真犯人など)によって教唆されたものである可能性を
>否定できる根拠を教えてください
それは被告を舐めすぎ
裁判に立つなら一人間として理性的な言動を取れるという前提は踏まえるべき
だからできれば了承つきの死刑がよい
790 :
634 :2001/04/12(木) 02:04
>>789 >一発反論
一発却下(笑)。
>裁判に立つなら一人間として理性的な言動を取れるという前提は踏まえるべき
それは人間というものを知らないすぎ(笑)
791 :
深海魚 :2001/04/12(木) 02:07
みんな優しいな。634は自分に酔ってるだけだよ。 理論だって、都合の良い事だけ言って、後は理論のすり替え。 肝心な事は、何も答えてない。しかし、普通のレベルの死刑賛成論者って・・・?? あなたのレベルが普通に達してないんですよ。
792 :
634 :2001/04/12(木) 02:11
>>791 はいはい。そんなこと言うんだったら、具体的に反論してみれば?
793 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 02:12
>>790 人間が理性的な生き物でないとするなら
あんたの言う死刑否定を採用する必要性はない。
理性的に良いと判断できても感情が優先されるなら
死刑はあったほうがよい
人間基本は自分以外の誰が死んでも構わないものだよ
感情的にはね
>>793 ちょっと違うな。
「自分と自分に近しい人間以外は」だね。
自分の子供と、どこか知らない国の100万人と、どちらか
選んだほうだけ生き残って、もう片方は死ぬ、ということに
なったら、たいがい自分の子供を選びますな。
さて、「自分自身と自分の子供」だったらどうかなぁ。
795 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 02:17
>>634 とりあえず質問
あんた論理学をやってた形跡があるけど
もしかして哲学板の住人?
>>780 結局のところ、間違えないようにするという努力を最大限になすよりないと思う。
(冤罪死刑−冤罪終身刑)の差は、死刑による国民の応報感情の充足に対するコスト
だと思うわけにはいかんのだろうか。
普段死刑に賛成しているからって冤罪で囚われて我慢なる“人格者”など居ない
だろうし、冤罪死刑囚にだって応報感情はあると思う。
>>783 >「冤罪」というのは結局、本人以外にとっては「実在論」的な概念なんだよ。
というか「すべての有罪は」、でしょ? だから社会的な了解を以て(事実がどうで
あろうと)有罪/無罪と【決めつける】わけでしょ? そして決めつけたからこそ
行為に対する罰として刑を科せるわけでしょ。
冤罪の証拠云々を言い出したら、三審制をやめて青天井に上訴できるようにする
のが筋でしょう。それじゃ司法制度が成り立たないって言ったのは誰だか忘れたが、
制度によって未決囚を強制労働させるのが可で、国民のニーズによって未決囚を殺す
ことを不可とするのは何故ですか。
>法律は国会という間接民主主義のシステムの下で決められる。だから、国民の
>多数が同意しても国会議員の多数が同意しなければ、原則として法律は成立しない。
これこそ回答になっていないと言うか、論点ずらしと言うか……。
死刑は法律として成立しているし、大多数の国民の支持も得ている。仮に法学界で
死刑制度は正しくないという結論が出たとして、それがなぜ民意や議員を上回る発言力を
持ちうのか、ということだ。哲人政治の社会であればそれは当然である。だが法学者の
意見も大衆の感覚も、同じ一票というのが民主主義ではないのだろうか?
上でいう「コストを払っても応報感情を充足すること」を国民が選んでいるのだから、
冤罪死刑による不利益は国民の責任とすべきでしょう。むろん、実際にそれが生じたら
イギリスみたいに世論が変わると思うけども。
797 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 03:53
>>796 >結局のところ、間違えないようにするという努力を最大限になすよりないと思う。
これだよね。間違えないようにする最大の努力は間違えた事例を真剣に観察することだよね。
そうすればより間違えにくいものができる。
これに反論はないと思う。
ならば間違えている可能性のあるものはできる限り疑いの目で見る。
それで間違えてないと確信するものだけ刑罰に処するわけだけど
その確信が絶対に正しいものではなく間違えである可能性は否定できないことは見つめるべき。
現代科学の発展の中、近代科学の礎自身もまた間違いであることは解明された。
その中で現代の科学を盲信することはその歴史を何も踏まえていないわけだ。
現代の常識とされる知識もまた普遍的なものではなく変わる可能性があることを理解すべきである。
そしてその知識を普遍的なものと見なし盲信する行為は新たな知識の出現を阻害する行為に他ならない。
最も有用な科学理論は数多くの実験と反論から成り立つ。
最も冤罪の少ない司法制度は最も冤罪を見つめてきたものにこそ創られる。
それは冤罪可能性があれば例え冤罪でないと確信していても盲信しないという態度に表れる。
798 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 04:00
>>797 そこまで言っちゃうと、何一つとして証明なんてできないことに
なるんだよな。実際そうなんだけどね。
そこまで厳密でないといけないわけじゃないと思うよ。
たとえば人間の生まれつきの感覚でいえば、地球が丸くて太陽の
周りを回ってるってことが直感的にわかる人間なんていないよね。
でもいろんな人がいろんな証拠から論証して現在はほぼすべての
人が地動説を受け入れているわけだ。
でもさ、自分が宇宙に飛び出して地球を目の当たりにしたわけ
じゃないんだから、疑おうと思えばいくらでも疑う余地があるでしょ。
宇宙から撮影した地球の写真だって「ウソだ」と言えば言える。
なんでもかんでも疑っていったら、結局自分自身の五感で感じたもの、
いやそれでも錯覚や幻視もあるんだから、それすらも疑うことに
なるよ。
いまはCG合成でアメリカ大統領が「たったいま日本に向けて核
ミサイルを撃った」ってホワイトハウスで記者会見してる映像だって
作れるんだから。
じゃあ、「だれにでも納得できる、絶対に間違いのない事実」って
だれがどういう手段で決めることができるの?できないよね。
だからどこかで「まあ疑えばキリがないけど、ここまで証拠が揃って
いればまず間違いないよね」っていうところで線を引くしかない
んじゃないのかな?
799 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 04:14
>>798 >だからどこかで「まあ疑えばキリがないけど、ここまで証拠が揃って
>いればまず間違いないよね」っていうところで線を引くしかない
>んじゃないのかな?
だから冤罪可能性があっても刑罰は許される。
しかし死刑は異なる。死刑とは反論する人間を殺すことになる。
反論を抹殺して勝ち得た理論はすでに科学ではない。
科学とは反論を受けきった時間を持ってその正しさの価値がつくからだ。
彼の口は残しながらも刑に処するのが最も最善の方法だ。
死刑は被告自身が犯罪者であることを確信ではなく盲信していないとできない行為である。
800 :
798 :2001/04/12(木) 04:24
>>799 言いたいことはわかるし、確かにそう言えるとは思うんだ。
ただね、それを原理原則の部分まで敷衍していくと、結局は
「事実なんてだれにもわからないんだから、そもそも人間が
人間を裁いちゃいけないんだ」ってところに行き着いてしまう。
それは、本質的にはそうだとぼくも思ってるんだけど、そう
言い切ってしまったら人間社会は成り立たなくなる。
で、そこで視点を変えると、「死刑にする必然性があるのかどうか」
にかかってくると思うわけね。
あなたがおっしゃるような危険性や背徳性というか、そういうものを
わかったうえでもなお、それでもやっぱり「この人は死刑にしなけれ
ばいけない」という強烈な理由と必然性があるかどうか。
そこは意見が割れると思うんだけど、ぼく個人としては、いま現在の
この社会においては、必然性があるケースもあるだろう、と思うわけ。
つまり「生かしておいてはいけない」人が確実にいるだろう、と。
ベストの選択ではない、それはよくわかっているけれど、どちらかを
選べといわれたら、そちらを選ぶよりないじゃないか、という感じだ
と思う。
801 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 06:00
>>800 うむ、素晴らしい意見です。
634は知りませんが私はレベルが高い死刑肯定派の意見を聞いたと思います。
さらに話を発展させて
>つまり「生かしておいてはいけない」人が確実にいるだろう、と。
具体的にどのような人が、どのような理由でいるのでしょうか?
一つ訂正
>>799 >彼の口は残しながらも刑に処するのが最も最善の方法だ。
「最も最善」と、被ってしまいました。
「何よりもベターな方法だ。」と訂正します。
802 :
635 :2001/04/12(木) 06:57
>>784 -786
最初に私がいいたいことを、言っておきます。
「刑執行後の再審請求権および再審無罪確定後の補償請求権」を保証しても
極一部の冤罪囚への部分的救済にしかならない。
したがって、それを保証しても保証しなくても刑罰の正当性に有意な差はない。
つまり、その権利が保証されていないことをもって、死刑を廃止させる理由
にはならない。
次に質問から。
>1.すべての刑罰について冤罪可能性(現実に無実である者が受刑
>することがありうること)を認めるか。
認めます。
>2.冤罪は存在してはならないとするか(「少なくすべき」という意味で
>はなく)。
その通り。存在してはなりません。(しかしゼロにすることはできないでしょう)
>3.1と2を認めるなら、死刑を含めたすべての刑罰を否定するしかない
>と思われるが、同意するか。
その通り。同意します。
>4.死刑の存続を認めるなら、その理由は何か。
まず、全ての刑罰は冤罪が存在しないという前提に立たないと(そう仮定し
ないと)正当とはなりえないから、そう仮定します。
そのような仮定をしてまで、刑罰を肯定するのは、被害者および国民の
応報感情を充足させるという利点があるからです。
死刑の存続を認めるのも、懲役刑の存続を認めるのも、同じ理由です。
803 :
635 :2001/04/12(木) 06:58
>>784 -786
>私の
>>712 での反駁に対する答えになっていないし、意味不明。
>「一定期間後再審を行う」? なぜわざわざ期間を置く必要がある?
>それが制定されていないのは、期間を置くことに合理性がないから
なるほど。これはわかりました。
あなたは、冤罪による懲役刑も、再審請求権、補償請求権の保証によって
正当化できると言っているのだと思っていましたが、それは私の勘違い
でしたので、この点は私が間違っていました。
>再審で無罪となった者への国による補償で、その者が受けた刑を
>「正当化」できるなどと私は書いていない。「正当化」できないから、
>その「償い」として「補償」するわけです。
要するに、あなたは正当な刑罰は存在しないと言っているのですね。
国家は、不当なことを不当だと知りつつ行っているというわけですか。
だったら、死刑も不当だと知りつつ行うってことでいいんじゃないですか?
>では、どうしろというのですか? 国家補償があなたの言う償いと
>しては不十分だというなら、あとは刑罰自体を否定するしかないですよ。
私が言いたいのは(最初から言っていることですが)冤罪による死刑も、
冤罪による無期懲役刑も同じく不当だと言うことです。したがって、
死刑を廃止してもその結果生じる状況が同じく不当なのだから、
廃止する意味がないと言っているのです。
804 :
635 :2001/04/12(木) 06:59
>>784 -786
死刑と懲役刑の違いは、死刑の場合刑執行後の再審がないことです。
これはあなたの言う通り。しかしこの「刑執行後の再審請求権」が
どれほど重要な物かという問題があります。
あなたは「刑執行後の再審請求権」を不当な刑罰を許容するための条件と
とらえている様ですが(
>>644 )、それはあなたが勝手にそう思っている
だけであって、再審事由となるような証拠を見つけられない冤罪囚に
してみればたまったものじゃないでしょう。
「刑執行後の再審請求権および再審無罪確定後の補償請求権」を保証しても、
その権利から冤罪囚が受ける利益が極小さいものであれば、それを保証して
もしなくても、刑罰の正当性に有意な違いはないと言うことが出来ます。
私がくり返し述べているのは、以下の二点。
1. 事件から数年、場合によっては10年以上経過した死刑執行後に再審事由の
生じる可能性は、極めて低い。
2. 再審無罪によって冤罪囚の名誉回復および補償を行っても、冤罪囚の受けた
損害の一部しか保証し得ない。
したがって、死刑と懲役刑の間には、冤罪囚への救済という意味において実質的な
差はないのです。
極わずかな差があり得ることは認めますが、被害者および国民の応報感情の充足
という死刑のメリットを考えれば、無視できる程度の差です。
代わりに、再審無罪を勝ち得た死刑囚の場合は、補償金額を懲役囚の場合の10倍
にするとでも決めておけば良いでしょう。
あと、自供の件、ビデオの件、わかりました。その可能性は否定できませんね。
じゃあ、以下の場合はどうでしょう。
ある被告の裁判中に、傍聴席にいる人間が被告に機関銃を渡し、被告が乱射。
10人の人間が被弾し死亡した。この被告が起した新しい殺人事件も、同じ
裁判官によって裁かれる。この場合、死刑は正当ですか?
あり得ないなんて、いわないでね。あなたも随分あり得ないことを論拠にして
反論してきたわけだから。
それから、
>>760 への反論は?
裁判官がTVで事件を目撃したら、冤罪の可能性はゼロになるんですか?
もしならないんだったら、
>>752 はどう言う意味で書いたのですか?
805 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 08:38
>>635 >そのような仮定をしてまで、刑罰を肯定するのは、被害者および国民の
応報感情を充足させるという利点があるからです。
NO!刑罰が正当化されるのは応報感情ではない。
確かに応報感情も理解されるべきであり、報われないよりは報われるべきである。
しかし刑罰を設定する際に気を使う点は応報感情ではない。
1、犯罪抑制効果
2、再犯防止
3、更正
が優先される。応報感情はこれらと比較して優先されるべきではない。
1、犯罪抑制効果、
最高刑を終身刑ではなく死刑にすることで犯罪はより抑制される。
2、再犯防止
終身刑は脱獄の可能性が永久に残されている。
死刑は死刑執行までしか残されていない。
この点でも死刑の方が優位である。
3、更正
終身刑は更正可能である。
対して死刑は一切の更正を認めていない。
この点において死刑は圧倒的に不利である。
応報感情は報われないよりは報われたほうがよい。
しかし、応報感情に委ねた刑罰はたいていその責任と関係なく設定される。
手ごろな例として薬害エイズの阿部被告を例に取ろう。
被告が彼に望むこと、それは死刑であろう。少なくとも殺人罪と同等のものを求めているのは確かである。
それは彼らは「殺された」という認識をしているということである。
我々の感情は結果に左右される。
しかし法とは基本的には責任を追及するものである。
その当時においてその状態でその行為を取ることがどうだったのか
ほぼこの一点に集約されると言っても過言ではない。
以上、上の三点で理性的に判断し、かつその結果が応報感情も報われるのがなお良い。
806 :
反論>788 :2001/04/12(木) 09:12
>ここで<無実である 可能性がない>ことを、Pが殺されることについての >「正当な事由」のすべ てだとすると 「無実である可能性がない」ことを「正当な事由」の全てとするのは なぜですか? 「犯罪抑制効果」「応報感情の充足」(もちろん、これには国民が 死刑囚を真犯人だと信じ得る合理的な理由が必要です。) も「正当な事由」です。 したがって >「Pは、正当な事由があれば、殺されてもよい」 死刑執行は可能です。
807 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 09:50
>>806 その論理を使用するとこうなる。
・Pは仮に無実であろうとも犯罪抑制効果、応報感情の充足のためには殺されてもよい
同意できるか?
冤罪でも死刑にすることを認めるということは
死刑の意義をパフォーマンスだけだと語るに過ぎない
誰でも構わん、一人の人間が死ねば国民が満足するわけだ。
ではその一人には君がなるべきだろう。
808 :
806 :2001/04/12(木) 10:11
>誰でも構わん、一人の人間が死ねば国民が満足するわけだ。 >ではその一人には君がなるべきだろう。 私が真犯人だとする合理的な理由があれば、その通りですね。
809 :
806 :2001/04/12(木) 10:18
もう一つ。
>>788 の「死刑」を「懲役刑」に、「殺される」を「拘禁され強制労働に従事させられる」に置き換えたら、そのまま懲役刑の否定になりますよね。
再審請求権、補償請求権を与えても正当化できない(
>>784 )なら、結局その論理で刑罰全てが否定されてしまう。
結局のところ刑罰否定論ですね。
810 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 10:28
>>808 >私が真犯人だとする合理的な理由があれば、その通りですね。
合理的な理由て何?
どういうふうに合理的なものなの?
>>805 上でも書いたんだが、刑罰の範囲・量刑が国ごとに異なるのは何故だと思われますか?
中近東では「鞭打ちの刑」があったり。同性愛で死刑になる国もあります。これって、
その国の価値観で罪の範囲やその軽重が定められるということでしょう?
「刑罰を設定する際に気を使う点は応報感情ではない」とするなら、一般に詐欺より殺人が
重い罪とされているのは、応報感情以外のどのような理由によるものとお考えですか?
安部英については、殺人ではなく業務上過失致死で起訴したのは検察の「法廷戦術」だと
思うのだが。あの事件で殺意を立証するのは難しいが、過失を立証することならできそうだ、
という(まあ一審ではそれも無理だったんだが。)
それはともかくあの事件で「被告」は安部英ですよ。
812 :
806 :2001/04/12(木) 10:39
>合理的な理由て何? >どういうふうに合理的なものなの? 現時点で死刑判決の根拠となるような理由です。 現場に私の指紋があったとか、被害者の膣内にのこった精液をDNA鑑定で 私の精液である確率が99%以上だとか。犯行当時の私のアリバイがないとか。 そういう理由で私が被告となり、死刑判決が出されるなら、しょうがないですね。 それ以外の選択肢としては、無期懲役か終身刑でしょう? どっちもどっち。生きて辱めを受けるくらいなら、冤罪だと叫びながら 死刑台をのぼりますよ。
813 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 11:00
>>811 >一般に詐欺より殺人が重い罪とされているのは、応報感情以外のどのような理由によるものとお考えですか?
1、犯罪抑制効果
社会に蔓延すべきでない犯罪はより重くし、その犯罪自体を起こさせなくすべき
2、再犯防止
再犯した場合に危険なものはより再犯が起こりにくいように配慮すべき
3、更正
人間にはやり直しのチャンスが与えられるべき
二度と犯罪を犯さない人間となったなら社会人として世に出るべき
その更正にかかる時間は再犯しないラインで可能な限り短くすべき
逆に言えば更正しないならば長期間拘束すべき
殺人が詐欺より重い罪とされるのは人の口を封じるからだ。
社会において個人を抹殺することは何にも増して許されるべきではない。
社会の存続にかかわるからだ。
殺された本人がそれを望んでいたとしても確かめようがない。
まさに死人に口なし。
仮に応報感情に由来して詐欺が殺人より重い罪である政府があったとしても
それは近代的な政府とは語れないだろう。
さらに言おう
殺人で応報感情は発生しない。
なぜならば殺された人間は感情を発しない
また感情を持ったとしてもそれを知る術を持ちようが無い
現在言われる応報感情は被害者の親族が被害者を失った感情
あくまで便宜的なものに過ぎん
>それはともかくあの事件で「被告」は安部英ですよ。
被告→被害者
814 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 11:06
>>812 どういうふうに合理的なのか述べてくれ
冤罪だと叫ぶ理由も語ってくれ
815 :
名無 :2001/04/12(木) 11:32
被害者が死んでしまったと仮定するからややこしくなるのでは? 例えば、超凶悪犯の犯行、被害者の症状は以下のとうり。 →被害者は約50人、両手足を切断され、片目、両目を潰され 鼓膜も破られ、肋骨、骨盤砕かれ、皆、かろうじて生きてるようなもので あり、ほぼ廃人状態である。 被害者は当然犯人を憎み、自分で復讐したいが 体を滅茶苦茶にされた為、出来ない。一生苦しみ続けるしかない。 『せめて司法がこの恨みを晴らしてくれ』 誰が無念を晴らすんだよ?やっぱ死刑にすべきだろう犯人を。
816 :
806 :2001/04/12(木) 11:43
現時点の技術で、犯罪を犯した者を特定する有効な手段として認知されている 方法により、私が特定されたということ。 そうじゃなきゃ、誰も私が真犯人だと信じられないから、私が死んでも応報感情 の充足にはならないよね。 合理的という言葉、定義がわからないから、撤回します。 冤罪だと叫ぶのは、その方法によって犯人を特定するには至らないという ことを知らしめたいから。捜査技術の向上を期すために。 実際に犯行を犯していたら、死刑より絶対無期懲役か終身刑の方がいいね。 だってそうすることによって、罪を償うという癒しの効果がある。 癒されるんだから、死ぬよりは生きていた方がいい。 でもやってないんだったら、無期懲役、終身刑は地獄だと思うよ。
817 :
名無しさんの主張 :2001/04/12(木) 11:45
>>815 仮にその被告が更正して絶対に再犯を起こさない確証があり、
事件が社会に全く知られずそのため類似した犯罪が起きないのならば
死刑でなくともよい。
結果責任で刑を食らっても死刑にはならないだろう。
>>817 いやいや、この犯人には何らかの肉体的な罰が必要だろ
全身を切り刻み、焼き、殴打し、それを何度も繰り返す。
食事は昆虫、ネズミ、腐敗食品(滅菌済み)に限る
ありとあらゆる苦痛を味あわせなければ。
>>813 誠意のある回答はありがたいが、一例を以て答えても原則の説明にはなりません。
では強姦の量刑が暴行より重いのは何故ですか? 放火の量刑が立ち小便より重い
のは何故ですか? これって国民の価値基準が強姦>暴行(悪の度合)であり、
その度合に【応】じる【報】いとして刑罰が定められているんじゃないの? (騒擾などの
「国家に対する反逆へ」の処罰が、国民の価値基準に適うかという疑問はあるにせよ)
というか「近代的な政府」では刑法における量刑は、どのような観点から定められて
いると言うのです?
応報感情というのは、「罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるべき」という
感情のことであり、必ずしも被害者にのみ発生するわけではないし、「度合」というのが
身近な人と他人では違ってくるので、それが極端に大きくなる「親族」のみが持っている
ように見えるだけだ。「愛する人を失った云々」という、ある意味利己的なものではなく、
むしろ人倫とか義といった域に属するものだと思うのだが。その「便宜的なもの」が
法学上意味のないものだと言うなら、法学は人倫に基づいてもいなければ、国民に
必要とされるものでもないと思う。
むろん、刑罰の再犯防止だの教育だのといった面は限定的に認めるものではあるけれども。
821 :
う〜ん :2001/04/12(木) 14:44
「無罪の可能性」と「冤罪の可能性」の違いが明確じゃないね。 無罪の可能性があったら、推定無罪のはずだが。 その違いを明確に定義しない限り、何の意味もないと思うがどうよ。
822 :
800 :2001/04/12(木) 21:57
>>801 遅くなってスマソ。 さて・・・
> 具体的にどのような人が、どのような理由でいるのでしょうか?
いくつか考えうる要因があると思うが、まず第一は「公共の福祉」
という観点において、非常に凶悪かつ自己中心な犯罪を犯した人間は
更正しうる可能性が極めて低く、再犯の可能性が非常に高い。
そうでなかったとしても(つまり完全に別人間になって更正しても)、
その人の存在が周囲に与える恐怖感、不安感というものは消えないと思う。
そのような人がどこかで生きている、ということが、他の多くの人間に
とって苦痛や恐怖、不安、その他「文化的な最低限度の生活を営む権利」
を侵害する可能性を孕む。
第二に、不平等感・不公平感の問題。
自分の勝手な欲望のために、見知らぬ一家を子供も含めて惨殺したような
人間がいるとして、その関係者や遺族、あるいは一般の人々に至るまで、
非常な苦しみと痛みを感じるだろう。
しかし一方でその犯人が、税金で雇われている人たちに守られ、税金で建て
られた建物に保護され、三度の食事と適度な娯楽、清潔な住環境を保証されて
一生を送る(懲役刑を指している)のはあまりにも不平等ではないか、と
考えられるのだ。もちろん、外出の自由も奪われているし、労働から逃げる
ことも許されないが、それは残された人々の苦しみと比べていかに低いもの
かはだれでもわかることだろう。
働かなくてはいけないのは非犯罪者でも同じなんだから。
他にもいろいろあるんだけど、だいたいそんなようなところから、
「どうしても死刑にしなければいけない犯罪者」というのは確実にいるんだ
と思うわけ。
もちろん冤罪可能性がないわけじゃないことも、冤罪を極力減らす努力を
続けなければいけないことも、じゅうぶんわかったうえで、だ。
823 :
763 :2001/04/12(木) 23:37
>>788 はぁ、全然反論になってないんですけど。
どうして死刑の場合だけ、「実在としての無実」という神にしか判別不能なもの
が出て来るんだ?って聞いてるんだけどね。
> ここで<無実である可能性がない>ことを、Pが殺されることについての
>「正当な事由」のすべてだとする
って書いてるけど、「実在としての無実」かどうかなんて、被告以外の人間には
知り得ないんだから、こんな問題設定はナンセンスだということくらいわかるでしょ?
「正当な事由」を設定するなら、人間に判別可能な内容を元に設定しなきゃ。
つまり「死刑判決を受けるに足る合理的理由がある」が「正当な事由」なわけ。
人間の目で見ればね。手術の事例と比べるなら、視点を同じにしなきゃ意味ないよ。
わかった?
824 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 00:20
>>820 いきなり無能な反論するなよ
俺は結構あんたを買ってたのに
>その度合に【応】じる【報】いとして刑罰が定められているんじゃないの?
その度合いとは?
応報感情が結果からではなく被告の行動を真摯に見てその責任を問えるなら
裁判所がそもそもいらん。
というかそうでないから私刑は厳禁。
>というか「近代的な政府」では刑法における量刑は、どのような観点から定められて
いると言うのです?
近代国家たるものが成立する条件、自由主義、平等主義、平和主義、博愛主義、後はヒューマニズムか?
我々の思考の基盤となるもの、それは法ではない、憲法でもない、国家でもない
このようなイデオロギーの土壌だ。
はじめに国家ありきではない。はじめにイデオロギーがありそれに合わせて国家が建立された。
しかし日本だけは別かもね。自らの血を流して勝ち取ってはいないから
はじめからすでに国家があったのかもしれぬ。
> 応報感情というのは、「罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるべき」という
>感情のことであり、
ここが一番おかしい箇所だ。
仮に応報感情を「罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるべきという感情」
とするなら、死刑の必要性に応報感情を持ってくること自体がおかしい。
死刑の意義の理由付けになってないのだ。
>その「便宜的なもの」が法学上意味のないものだと言うなら
それは悪意を持って読みすぎ。
法学上の意味はある。
そもそも便宜的なものが無意味だとしたら法自体無意味。
>むしろ人倫とか義といった域に属するものだと思うのだが。
近代社会は他者との共感を強制させられる社会だけど
それは決して恣意的に選択はできない。
まさしくその社会に属する全ての個々人に共感できる能力を強制させられる。
男のみがダメだったり白人のみがダメだったりするのはその極端な例だね。
しかし誤痴鋭さんからこのような言葉が出るとは以外。
人倫や義も押し付けるものではないと思考してると思ってたよ。
とりあえずこの死刑スレでは誤痴鋭さんに他スレほどのキレが感じられない。
感情的な感じがする。それだけ死刑に強く肯定ということだろうけど。
俺が挙げた三点を考慮するなら死刑は是なんじゃないのか?
2対1で死刑のほうが終身刑より勝っているわけだよな。
あとは個々の程度の差だろ。
825 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 00:29
追加
>>820 >一例を以て答えても原則の説明にはなりません。
俺は質問に答えただけなんだけど
なんかむかついてきたな
>>824 うーん、死刑の何についてどういう議論をしているのかわからなくなってきたが。
>その度合いとは?
強姦を暴行より重い罪だと思わないか? あなたが思わないとしても、世間では
そう考えている人が多いと思わないか? そういう意識の平均で決まるのではないのか?
>近代国家たるものが成立する条件……
それはやはり回答になっていない。自由主義でも平等主義でも構わないが、量刑の
序列は何によって決められたのか。それから、同じように「近代的」な国でも、
アメリカは銃の所持が合法だが日本では違法。オランダでは大麻解禁だが、韓国では
かなり重かったと思う。この“解釈”の差は何によって生じているのか。
「国ごとに、民意によって「罪」とそれに相応する「罰」が定められているから」
という以外の説明があるなら示してほしい。
>仮に応報感情を「罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるべきという感情」
>とするなら、死刑の必要性に応報感情を持ってくること自体がおかしい。
>死刑の意義の理由付けになってないのだ。
「死を以て償え」とは、裁判官ですら言う言葉なのだが。重罪に対し、死という重罰を
以て報いる。応報刑を認めない立場でなければ、充分な理由付けだと思うが。
>人倫や義も押し付けるものではないと思考してると思ってたよ。
じゃあ法律が「道徳」とされるものに基づいていないとするなら、何に根拠して
成り立っているのか。そもそも自由主義や平等主義に基づけば押しつけても良いと
いうのは、それこそ恣意的ではなかろうか。
>>796 >>「冤罪」というのは結局、本人以外にとっては「実在論」的な概念なんだよ。
>というか「すべての有罪は」、でしょ? だから社会的な了解を以て(事実がどうで
あろうと)有罪/無罪と【決めつける】わけでしょ?
認定されるものとしての「有罪」という概念は、客観的事実とは独立に
(それに近づくよう努められるが)、裁判官が行うという意味で「非実在論」的な概念。
>冤罪の証拠云々を言い出したら、三審制をやめて青天井に上訴できるようにする
>のが筋でしょう。
だから、再三書いてきたとおり、私は冤罪可能性を理由に刑罰を否定する立場は
採りません。
>制度によって未決囚を強制労働させるのが可で、国民のニーズによって未決囚
>を殺すことを不可とするのは何故ですか。
私は「制度によって未決囚を強制労働させるのが可」などという趣旨のことを書いた
覚えはございません。確定囚ならともかく、未決囚をどんな法的根拠で強制労働
させられるのでしょうか? 死刑については私は廃止論だから当然、確定囚につい
ても死刑は不可。
再三書いてきたとおり、私が死刑に反対するのは、死刑確定囚に対して法的に
保証されている再審可能な期間が他の刑に比べて極めて短いから(死刑は再審
事由等がなければ確定判決直後でも法的には可能。他の刑は生きているかぎり
可能)。
>「コストを払っても応報感情を充足すること」を国民が選んでいるのだから、
>冤罪死刑による不利益は国民の責任とすべきでしょう
だれかさんも指摘してるように、
刑罰が「国民感情」を「充足」するためのものなら、
裁判官は不要ということになりますわね。
提出された証拠を国民に示し、「アンケート」でもすればいいわけだから(笑)。
>>802 -804
>「刑執行後の再審請求権および再審無罪確定後の補償請求権」を保証しても
>極一部の冤罪囚への部分的救済にしかならない。
>したがって、それを保証しても保証しなくても刑罰の正当性に有意な差はない。
>つまり、その権利が保証されていないことをもって、死刑を廃止させる理由
>にはならない。
そうか、あなたは「神」だったんですね(笑)。
だって、冤罪かどうかという、当事者しか知りえないことを知っているからです。
早く言ってくださいよ(笑)。
冤罪囚が「極一部」であると言える、「人間にも分かる」証拠を示してください。
>>4.死刑の存続を認めるなら、その理由は何か。
>まず、全ての刑罰は冤罪が存在しないという前提に立たないと(そう仮定し
>ないと)正当とはなりえないから、そう仮定します。
あなたはそういう前提に立てません。なぜなら、1.〜3.をあなたは認めているから。
あなたの矛盾の原点は、やっぱりここですね。
>そのような仮定をしてまで、刑罰を肯定するのは、被害者および国民の
>応報感情を充足させるという利点があるからです。
>死刑の存続を認めるのも、懲役刑の存続を認めるのも、同じ理由です。
それなら、これまでの話はなんだったんだよ(笑)。
あなたが言っているのは「人が実際に死刑に当たるようなことをしてようが
していまいが、『被害者および国民の応報感情を充足させる』なら、その人
を死刑にしていい」ってことだよ。まさに「人民裁判」ですね。
私は、死刑確定囚とそれ以外の刑の確定囚との間で、法的に保証されて
いる再審可能な期間は同一であるべきだと考えます。これが同一でない
ことが、死刑廃止を求める私の理由です。あなたの主張は、この期間に
差をつけてもよいとするものですが、その合理的理由を説明していただ
けますか。
>>802 -804(つづき)
>>再審で無罪となった者への国による補償で、その者が受けた刑を
>>「正当化」できるなどと私は書いていない。「正当化」できないから、
>>その「償い」として「補償」するわけです。
>要するに、あなたは正当な刑罰は存在しないと言っているのですね。
>国家は、不当なことを不当だと知りつつ行っているというわけですか。
>だったら、死刑も不当だと知りつつ行うってことでいいんじゃないですか?
あなたはふつうの読解力もないんだね。私が「正当化できない」のは、
「再審で無罪となった者」「が受けた刑」だと書いてあるだろうが。レベル低すぎ。
>私が言いたいのは(最初から言っていることですが)冤罪による死刑も、
>冤罪による無期懲役刑も同じく不当だと言うことです。したがって、
>死刑を廃止してもその結果生じる状況が同じく不当なのだから、
>廃止する意味がないと言っているのです。
もういいかげんにしてくれ(笑)。冤罪は不当であり、冤罪はあっては
ならず(上記であなたは認めている)、すべての刑罰について冤罪可能
性を認める(上記であなたは認めている)というのなら、すべての刑罰を
否定するしかなく、したがって、死刑も廃止するしかないでしょうが。
「冤罪は少なくなるべき」としても、結論は同じ(理由は再三説明した)。
>あなたは「刑執行後の再審請求権」を不当な刑罰を許容するための条件と
>とらえている様ですが(
>>644 )、それはあなたが勝手にそう思っている
>だけであって、再審事由となるような証拠を見つけられない冤罪囚に
>してみればたまったものじゃないでしょう。
死刑にされら、もっと「たまったもんじゃない」でしょうが(笑)。
>>828 -830 は「364」ではなく「634」によるものです。またかよ(笑)。鬱だ。
>>802 -804(つづき)
>「刑執行後の再審請求権および再審無罪確定後の補償請求権」を保証しても、
>その権利から冤罪囚が受ける利益が極小さいものであれば、それを保証して
>もしなくても、刑罰の正当性に有意な違いはないと言うことが出来ます。
冤罪囚にとって、再審が保証されないまま死刑執行されることよりも、
再審で無罪が確定し国から補償を受けることのほうが、「受ける利益」は
「格段に大きい」と思うのは私だけでしょうか。
>2. 再審無罪によって冤罪囚の名誉回復および補償を行っても、冤罪囚の受けた
> 損害の一部しか保証し得ない。
何度も言いますが、たとえ「一部」でも「名誉回復」や「補償」があるほうが、
ないよりかはマシです。
>したがって、死刑と懲役刑の間には、冤罪囚への救済という意味において実質的な
>差はないのです。
何度も言いますが、「冤罪囚」にとっては、法的に保証された再審可能期間
が長いほど「救済」の可能性は高まります。そして、これまで実際に「救済」された
割合という事実から、再審可能期間を保証すべきではないという価値判断は
導出できません。
>極わずかな差があり得ることは認めますが、被害者および国民の応報感情の充足
>という死刑のメリットを考えれば、無視できる程度の差です。
「冤罪囚にしてみればたまったものじゃないでしょう。 」(笑)
>代わりに、再審無罪を勝ち得た死刑囚の場合は、補償金額を懲役囚の場合の10倍
>にするとでも決めておけば良いでしょう。
死刑執行されたため再審を請求できる機会を逸した「冤罪囚にしてみればたまった
ものじゃないでしょう。 」(笑)
>>802 -804(つづき)
>ある被告の裁判中に、傍聴席にいる人間が被告に機関銃を渡し、被告が乱射。
>10人の人間が被弾し死亡した。この被告が起した新しい殺人事件も、同じ裁判官
>によって裁かれる。この場合、死刑は正当ですか?
まだやるのかい(笑)。
実は悪い人が他にいて、機関銃を渡した人間も被告も催眠術を掛けられて
いたんですよ(笑)。
>それから、
>>760 への反論は?
>裁判官がTVで事件を目撃したら、冤罪の可能性はゼロになるんですか?
>もしならないんだったら、
>>752 はどう言う意味で書いたのですか?
「カプリコン1」って映画知ってる? おもしろいから観てごらん(笑)。
失礼ですが、あなた小学生?(笑)
834 :
634 :2001/04/13(金) 02:43
>>823 もういいもういい(笑)。苦しすぎ。
私が
>>751 や
>>788 で書いた論証は、元はといえば、あなたが
>>628 で
冤罪可能性を論拠とした死刑廃止論を対象にして書いたことに対する
反証にすぎない。だが、再三言うように、私は冤罪可能性を死刑廃止の
直接の論拠としない。そして、
>>788 に「(ちなみに、冤罪可能性を論拠と
しない死刑廃止論についても結論は同じ。理由は既に説明済み)。」と書
いた。(Q.E.D)
ここすごいな
836 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 03:42
すごいね
そろそろ次スレ立てるかどうか考えておいたほうがいいかも
ワラタ
>634(
>>828 )
冤罪死刑がどれぐらいの割合で起きるのか知らないが、その程度の身の危険など省みず
悪者が吊されることの快哉を叫ぶのが今の輿論なわけでしょう? まあ
「そは汝がために鳴るなれば」ってやつなのだろうが。
というか、あなたは1・死刑制度を廃したいんですか? 2・法学的に正しくない
ことを証明したいんですか? 3・事実認定の確度を高めるには死刑は宜しくない
と言いたいのですか? 4・その他ですか?
1.なら「じゃあ世論を変えな」としか言いようがない。
2.なら「法学板に逝け」といったところか。法学界の正義が社会になるわけでは
ないのだし。
3.なら「青天井に上訴できるほうが事実認定の確度は高まります」
ところで
>刑罰が「国民感情」を「充足」するためのものなら、
>裁判官は不要ということになりますわね。
どういう電波を受信すればこんな論理が導けるのかな。随分アンタカラーナ伸びてるね。
「量刑を定めるのは国民の価値基準である」という意見を否定すれば良かろうに。
あなたにも訊く。量刑は何を基準として、誰がどのようにして定めたものだと?
して、裁判官は何に基づいて判決をくだす/くだすべきだと?
ついでにもうひとつ。死刑廃止国のイスラエルがアイヒマンを吊したのは何故だと思う?
840 :
635 :2001/04/13(金) 05:44
>>829 -833
>そうか、あなたは「神」だったんですね(笑)。
>だって、冤罪かどうかという、当事者しか知りえないことを知っているからです。
>早く言ってくださいよ(笑)。
>「冤罪囚が「極一部」であると言える、「人間にも分かる」証拠を示してください。
1. 死刑執行された死刑囚の中に冤罪囚が含まれていたかどうかも、当事者と神にしか
わからないことですよ。あなたの論理が根底から崩れますが。
なぜ、刑執行後の再審請求権にこだわっていたのですか?理由がなくなりますよ。
2. 冤罪囚が一定の数いると推定しましょう。その囚人は、三審の間、自分の無実を
証明しようと全力を尽くしたが、無駄に終わった。そうですよね。
その後、その囚人が判決を覆すような新証拠を発見する可能性はどのくらいいある
と推定できますか? しかも数年〜十年以上経過した後で。
常識的に考えれば、その可能性はかなり低いと言わざるを得ません。簡単にみつかる
ものなら、三審の間、さらにその後の生存期間中に見つけていたでしょうから。
というのが、「極一部」であると推定できる合理的理由。
>あなたはそういう前提に立てません。なぜなら、1.〜3.をあなたは認めているから。
>あなたの矛盾の原点は、やっぱりここですね。
前提にたてるのは、被告のみということですか? 確かに実在としての無罪かどうか
を判断できるのは被告のみですね。しかし、そう仮定することは誰にでも出来ます。
>それなら、これまでの話はなんだったんだよ(笑)。
>あなたが言っているのは「人が実際に死刑に当たるようなことをしてようが
>していまいが、『被害者および国民の応報感情を充足させる』なら、その人
>を死刑にしていい」ってことだよ。まさに「人民裁判」ですね。
応報感情を充足させるためには、被告が真犯人であると推定する合理的理由が必要です。
その上での話ね。
もう一つ。あなた自身は「人が実際に懲役刑に当たるようなことをしてようが していまいが、
その人を終身懲役刑にしていい」と言っているということをお忘れなく。
不当な立場に立っている人に、同様の不当性を指摘されても困るんですが。
841 :
635 :2001/04/13(金) 05:45
>>829 -833
>私は、死刑確定囚とそれ以外の刑の確定囚との間で、法的に保証されて
>いる再審可能な期間は同一であるべきだと考えます。これが同一でない
>ことが、死刑廃止を求める私の理由です。あなたの主張は、この期間に
>差をつけてもよいとするものですが、その合理的理由を説明していただ
>けますか。
何度も説明しました。再審可能な期間が20〜30年延びても、冤罪囚が受ける利益は
極少だと推定できるからです。
逆にお尋ねしますが「再審可能な期間は同一であるべきだ」と考えるのはなぜですか?
再審可能な期間がどんなに長くても、冤罪囚が受けた懲役刑を正当化できないんでしょう?
「再審可能な期間」が同一であることによって、何が保証されるんですか?
それを保証することが一つの刑罰(死刑)の利点(応報感情の充足)を相殺できるほどの
利点だと考えるのはなぜですか?
>あなたはふつうの読解力もないんだね。私が「正当化できない」のは、
>「再審で無罪となった者」「が受けた刑」だと書いてあるだろうが。レベル低すぎ。
懲役制度は冤罪の可能性を含むんでしょ?
つまり「再審で無罪となった者が受けた刑」を正当化する方法がないなら、懲役制度全体
を正当化する方法がないということじゃないの?
正当化できない状況を含む制度全体を、どのような理屈で正当化するつもりですか?
>もういいかげんにしてくれ(笑)。冤罪は不当であり、冤罪はあっては
>ならず(上記であなたは認めている)、すべての刑罰について冤罪可能
>性を認める(上記であなたは認めている)というのなら、すべての刑罰を
>否定するしかなく、したがって、死刑も廃止するしかないでしょうが。
>「冤罪は少なくなるべき」としても、結論は同じ(理由は再三説明した)。
刑罰を肯定するのは、冤罪囚を産む危険性よりも、刑罰の有益性の方が社会全体
としてはるかに高いからです。従って、懲役刑も死刑も可。
どちらも不当な状況を生じる危険性はありますが、その不当性は同等だと
言っているのです。
国家としては、その不当性に目をつぶって、冤罪がないと仮定して刑罰制度
を維持するしかない。
もちろん、判決を覆す新証拠が出現した時点で、その囚人に対して仮定が
崩れたということになりますから、再審->補償となります。
842 :
635 :2001/04/13(金) 05:45
>>829 -833
>死刑にされら、もっと「たまったもんじゃない」でしょうが(笑)。
どうして死刑にされたら「もっと」たまったもんじゃないんですか?
結局、冤罪囚にとっては、終身の無期懲役刑の方が、死刑よりもましだ
と言いたいわけですか。その根拠はなんですか?
>冤罪囚にとって、再審が保証されないまま死刑執行されることよりも、
>再審で無罪が確定し国から補償を受けることのほうが、「受ける利益」は
>「格段に大きい」と思うのは私だけでしょうか。
冤罪囚の全てがその利益を受けられるわけじゃないですよね。
だいたい何%の冤罪囚が受けられると推定していますか?
その推定なくして、冤罪囚全体が受ける利益を「大きい」とか「少ない」
とか判断することはできませんよ。
私は、極小だと推定し、その根拠を示しました。あなたは「大きい」
と推定する根拠を示して下さい。
>何度も言いますが、たとえ「一部」でも「名誉回復」や「補償」があるほうが、
>ないよりかはマシです。
その利点と、死刑制度維持の利点とのどちらが大きいかという問題ですね。
これは結局国民の総意によって決まるのでしょう。
>何度も言いますが、「冤罪囚」にとっては、法的に保証された再審可能期間
>が長いほど「救済」の可能性は高まります。そして、これまで実際に「救済」された
>割合という事実から、再審可能期間を保証すべきではないという価値判断は
>導出できません。
それは、死刑制度維持の利点を無視した議論です。
死刑廃止によって社会に損失が生じるわけですから「再審可能期間の保証」
が死刑制度維持の利点を凌駕すると証明しなければならない。
そのためには「再審可能期間の保証」によってどの程度の利益があるのかを
測る必要があります。そうでしょ?
実際に救済された割合なんて、神にしかわからないことですが、極少ないと推定し
「再審可能期間の保証」による利益は死刑制度維持の利益を凌駕しないというのが
私の意見。
843 :
635 :2001/04/13(金) 05:46
>>829 -833
>「冤罪囚にしてみればたまったものじゃないでしょう。 」(笑)
終身の無期懲役も、冤罪囚にしてみればたまったもんじゃないでしょう(笑)
>死刑執行されたため再審を請求できる機会を逸した「冤罪囚にしてみればたまった
>ものじゃないでしょう。 」(笑)
そういうほとんどあり得ないと推定できる例は、無視。
>まだやるのかい(笑)。
>実は悪い人が他にいて、機関銃を渡した人間も被告も催眠術を掛けられて
>いたんですよ(笑)。
催眠術によって、自傷行為、他傷行為は誘発できません。却下。
君が論破できなければ、「死刑は証拠証明力が高ければ可」という結論になるよ。
>「カプリコン1」って映画知ってる? おもしろいから観てごらん(笑)。
逃げ? マトモに答えられないの?
>>760 への反論をどうぞ。裁判官がTVで事件を目撃したら、冤罪の可能性は
ゼロになるんですか? もしならないんだったら、
>>752 はどう言う意味で書いたのですか?
>失礼ですが、あなた小学生?(笑)
あなたは幼稚園児?
何だ、小学生と幼稚園児の争いだったんだ。 納得。
そうか、勘違いしていたんだね。 >「冤罪囚が「極一部」であると言える、「人間にも分かる」証拠を示してください。 元々の私の文章は、冤罪囚が、囚人の中の極一部だと言ったのではありません。 冤罪囚人のうち、救済を受けるのが極一部であるといったのです。
846 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 11:40
>>826 > 強姦を暴行より重い罪だと思わないか? あなたが思わないとしても、世間では
>そう考えている人が多いと思わないか? そういう意識の平均で決まるのではないのか?
強姦は暴行より罪は重い。れっきとした理由がある。それは文化的に許されない罪が付属するということだけど
拳銃もそう。他国における戒律に基づいたものもそう。文化的な側面を考慮しているにすぎない。
日本では豚を原料にしようが販売可能だ。
で、文化=民意=応報感情か?残念だからそれは違う。
「被告が死刑にならないのならはやく出所して欲しい。この手で殺せるからだ。」というのが文化なら
法自体最初からいらないではないか。
>「国ごとに、民意によって「罪」とそれに相応する「罰」が定められているから」
まず、民意=応報感情ではない。
応報感情とはその名の通り被害にあった者の感情だ。一言で言えば敵討ちをしたいと願う感情を充足させることだ。
そしてこれを無視した司法制度もまた民意にはずれるのは確かである。
しかし、応報感情を最優位にとらえる司法制度が民意からはずれるのも明らかに確かなことだ。
それは民意は常に被害者だけしか見ないわけではないということだ。
> 「死を以て償え」とは、裁判官ですら言う言葉なのだが。重罪に対し、死という重罰を
>以て報いる。応報刑を認めない立場でなければ、充分な理由付けだと思うが。
「死刑は応報感情を充足させるためにも必要なものだ。」という文章がある。
それは死刑でなく終身刑では被害者の感情が充足しない。
そして被害者の感情は充足したほうがよい、ということだ。
仮に誤痴鋭さんの語る、「罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるべき」を応報感情としよう。
ならば「死刑は、罪を犯した者はその度合に応じて罰を受けるためにも必要だ」となる。
これでは
1、最高刑が終身刑ではなく死刑であるとする理由になってない。
2、最高刑が死刑であり、それ以上の刑を設けない理由にもなっていない。
ということだ。
> じゃあ法律が「道徳」とされるものに基づいていないとするなら、何に根拠して
>成り立っているのか。そもそも自由主義や平等主義に基づけば押しつけても良いと
>いうのは、それこそ恣意的ではなかろうか。
自由主義や平等主義が無ければ押し付けが悪いという根拠がなくなる。
それは「『押し付けが悪い』というのも押し付けではないか」という反論だ。
つまり反論のための反論、しっかりと目を見開いて読め!
誤痴鋭さんの目的は何なのだ!自分の気に食わない意見を封じることか?
ロジックとパラドクスを手に議論を破壊することか?
それとも死刑肯定のためには手段は選ばないということか?
もしそうならば俺は死刑肯定派だ。別人に対してやることだな。
847 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 11:41
>誤痴鋭
>>826 >>839 あんたがこの板ではちょっと変だと感じた理由が分かった。
>2.なら「法学板に逝け」といったところか。法学界の正義が社会になるわけでは
ないのだし
> どういう電波を受信すればこんな論理が導けるのかな。随分アンタカラーナ伸びてるね。
「量刑を定めるのは国民の価値基準である」という意見を否定すれば良かろうに。
あなたにも訊く。量刑は何を基準として、誰がどのようにして定めたものだと?
して、裁判官は何に基づいて判決をくだす/くだすべきだと?
ついでにもうひとつ。死刑廃止国のイスラエルがアイヒマンを吊したのは何故だと思う?
結局、誤痴鋭さんは法学の専門家つまりはそれに属する裁判官や検事、弁護士よりも
えたいのしれない民意とかいうやつを重んじてるんだよね。
それは根底に人民裁判を認めている。私刑(リンチ)は全然正当だという思考が流れてるんじゃないのか?
でも、俺から言わせればそれは民意じゃないよ。
現実に裁判の判決が甘くてなかなか死刑にならなくてそれが民意とズレているじゃないかという議論がある。
でも誤痴鋭さんに言わせれば刑法も民意だし、裁判官の判決もそれにそった民意じゃないか。
民意と民意が対立するという変な構造になっているぞ
それは誤痴鋭さんが保守的なものに民意を見出しているからだよ。
過去に決まったことが民意なら恣意的に民意を変化させていると避難されて然るべきだ。
過去に誤痴鋭さんはポパさんに全体主義だと言ったけど
ポパさんはまだ全員主義だ。誤痴鋭さんこそほんものの全体主義なのでは?
誤痴鋭さんが語るように民意が絶対でしかもその民意が感情論で左右されるなら言葉に何の意味も見出せないんじゃないのか。
せめて民意が議論を通して変化するから意味があるのでは。
誤痴鋭さんは朝生や選挙前の議員による議論までやる必要がないと言っているにすぎない。
とりあえず誤痴鋭さんは民意が死刑に肯定だから死刑否定意見そのものを否定している。
でも例えば森さんがサクッと改正して死刑がなくなったら
誤痴鋭さんは民意が死刑に否定だから死刑肯定意見そのものを否定することになるだろう。
そんな誤痴鋭さんの態度はここで議論する死刑肯定派をも侮辱している。
つまり俺を含めた635さんや437さんも侮辱してるんだ。
言葉がきつくなったけどそれだけ誤痴鋭さんの言葉が他の否定意見より許せなかったということだ。
>>846 >それは文化的に許されない罪が付属するということ
「文化」はどういう理由でそれを「罪」と定めたのかというのがまずひとつ。
それから、法がどの文化に基づけばいいのかを誰が決めたのか。
>応報感情とはその名の通り被害にあった者の感情だ。
応報感情と復讐心は、別物とまではいかないが、それなりに程遠いものだと考えている。
私が言っている「応報感情」とは、言うなれば義憤に類するものだ。
むろん「応報感情を最優位にとらえる司法制度が民意からはずれるのも明らかに確かなこと」
かもしれん。だがそれをどの程度に優先するかを決めるのは、国民(の請託を受けた者)だ。
少なくとも今の制度上は。
>民意は常に被害者だけしか見ないわけではないということ
もちろん。陪審制が恣意的な判決にならないという保証もない。
>これでは/1、最高刑が終身刑ではなく死刑であるとする理由になってない。
>2、最高刑が死刑であり、それ以上の刑を設けない理由にもなっていない。/ということだ。
量刑も、制度的に・建前上は国民が決めているのだから、1・国民が死刑制度を望むなら
最高刑を死刑にしても問題ないし、2.とりあえず憲法によって拷問等は禁止されている。
しかし国民の2/3の賛成で憲法は変えられるのだから、「市中引き回しの上打ち首」が
復活する可能性は、制度的には否定できない。
849 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 14:47
>誤痴鋭 とりあえずこれでは水掛け論だ。 誤痴鋭さんは民意という言葉を重要視する。 俺も民意は大事だと思う。 でも二人が指す民意が違うんだよ。 誤痴鋭さんのいう民意は国民の感情の統合 そして俺のいう民意は国民の判断の統合、つまりは知性の統合なんだ。 応報感情はその名の通り結局は感情なのだ。 感情が全く無視されるのはよくない。 しかし感情のみによって決定するのもよくないのだ。 それで感情を含めた要因全体を見て判断してはじめて民意でしょ。 だから再犯防止も更正も犯罪抑制も基本は民意なの。 民意の判断としてどう思考して結果どうなのかというのがあるわけ。 だから「なぜそうなるのか」がない民意は民意じゃないわけ。 結局、「違うんじゃないか?なぜそうなるの?」という質問に「民意」で答えることこそ 議論が成り立たないと言われる箇所なわけ。 死刑が民意に沿うものであるならその民意に沿う理由があるわけ。 それは何かと聞かれてるからその要因を俺が挙げて説明したわけだ。 そしてその判断には応報感情の取る割合が少ないのも事実であり、それが民意(現在の司法の方針)なのだ。 誤痴鋭流の反論をするなら、 応報感情よりも更正を重んじているのが今の民意だ。 あんたがいかに応報感情の割合を民意に委ねようと叫ぼうとも それが民意に反するから認められはしないのだよ。
>>849 は、しばしお待ちを。
>>847 >結局、誤痴鋭さんは法学の専門家つまりはそれに属する裁判官や検事、弁護士よりも
>えたいのしれない民意とかいうやつを重んじてるんだよね。 (中略)
>そんな誤痴鋭さんの態度はここで議論する死刑肯定派をも侮辱している。
民主主義で「えたいのしれない民意」を無視することが許される根拠は何かということを
反対派に問うているのです。前にも言ったが、帝政なりなんなりであれば、法学者という「客」
の意見を汲み、帝の判断でそれを正しいとすることは可能だが、民主主義はそういうものじゃ
ないんでしょう? と。まあ帝にしても民心を無視していいというものではなかろうが。
>それは根底に人民裁判を認めている。私刑(リンチ)は全然正当だという思考が流れてるんじゃないのか?
復讐だの私刑だのという物理的な暴力はとりあえず国に請託しているわけだが、それを国民が
「返せ」と言ったらどうすれば良いのか。これが上で人民裁判に言及しなかった理由です。
>裁判官の判決もそれにそった民意じゃないか
一応、最高裁判官には信任投票があって、民意に添わない裁判官は制度上拒否できるが。
民意で選ばれた森総理が民意に適わないということもある。それは「正しい」ことなのか?
それが正しくないなら、死刑判決を出し渋る裁判官も正しくなかろう。まあ、政治家の政策と
裁判官の判断を一緒くたにしていいものかという点はあるが。
>それは誤痴鋭さんが保守的なものに民意を見出しているからだよ。
「保守的≠民意」「進歩的=民意」というのは硬直しきった考えだと思うのだが……。
>ポパさんはまだ全員主義だ。誤痴鋭さんこそほんものの全体主義なのでは?
私は民主主義そのものに賛成ではない。だが、民主主義を厳密に運用するならこうなる
だろうという矛盾を示しているのだ。だからこのスレでの言説が「ほんものの全体主義」
に見えるなら、民主主義のいきつくところが「ほんものの全体主義」ということなのだろう。
>朝生や選挙前の議員による議論までやる必要がないと言っているにすぎない
「固定票」の人には必要ないね。どの議員が自分の理想と合うかを毎回確認しながら
投票する人には必要。それに私は、民意を変えるよう努めることを否定していません。
平等というのは、識者の意見も大衆の意見も同じ一票として扱うことでしょう。だからこそ
選挙権は一人一票なわけだし。近代国家が平等主義によって立たねばならないのだとしたら、
識者の意見で「えたいのしれない民意」(しかし多数の)を無視する不平等は、何によって
説明されるのか、ということを訊いているのですよ。
真実を求めることのみを裁判の目的とするなら、検察も被告も無制限に上訴できるように
するのが筋ではないか。もしそれが司法制度的な理由から否定されるなら、裁判の目的は
真実の追求を最優先にはしていないということ。真実の追究より司法制度を優先させるなら、
を優先させるのはなぜ許されないかと
851 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 15:09
>誤痴鋭さん 続き このような引っかかりの原因、それは誤痴鋭さんが構築する世界観に原因がある。 おそらく誤痴鋭さんは「民意」という語に沿ってその世界観を構築しているだろう。 俺の経験からの感じでは、それの完成度は他の人よりは高いほうだと思う。 でも一つ突っ込みを入れる。 「民意」は時代と共に変化するの?変化しないの? 答えは「変化する」だろう。 ならば時代と共に変化した民意がそのまま顕れるような手法がベストでしょ。 「民意」は確かに絶対だ。 でも「過去の民意」は絶対とは成りえない。「現在の民意」が絶対であるからだ。 では「現在の民意」とはどのように顕れるか? それは選挙なり、国民投票なりを実施した時にはじめて明確になるわけだ。 その時にきちんと議論をして問題点を整理し理論化することで民意があいまいなものからきっちりとした判断に変化する。 現在の民意が過去の民意とズレているといった問題点は この議論に新たな視点が加わること、判断の基準が変化することではっきりとあらわれる。 つまり「民意」の語をもって議論の相手の口を塞ぐことは「民意」を阻害することになる。 「民意」の持つ最大の権力は相手が何を語ろうともそれを現実に実行できることにすぎない。
852 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 15:43
>>850 >誤痴鋭
待てないので書きます
>民主主義で「えたいのしれない民意」を無視することが許される根拠は何かということを
>反対派に問うているのです。
民主主義では「民意」は無視できない絶対のものだ。
しかし誤痴鋭さんがいう民意は民意ではないものだ。
だから「えたいのしれない民意」なのだ。
例えば小渕さんが通した通信傍受法案
あれは通る寸前まで民意ではなく、通った瞬間から民意だったのか?
仮に民意が通信傍受法に賛成であっても民意が上のような変化をしたわけでないのは確かだ。
>法学者という「客」の意見を汲み、帝の判断でそれを正しいとすることは可能だが、民主主義はそういうものじゃ
>ないんでしょう? と。まあ帝にしても民心を無視していいというものではなかろうが
いいえ、民主主義も帝が国民になっただけで一緒です。
法学者という「客」の意見とそれに対立する意見を聞き、自分で判断してこそ民主主義です。
> 復讐だの私刑だのという物理的な暴力はとりあえず国に請託しているわけだが、それを国民が
>「返せ」と言ったらどうすれば良いのか。これが上で人民裁判に言及しなかった理由です。
国家自体を消失すべきでしょう。ホッブズのアレに逆戻りということです。
>まあ、政治家の政策と裁判官の判断を一緒くたにしていいものかという点はあるが。
>他云々
これこそ誤痴鋭さんが言う民意が「えたいのしれない民意」である証明になるのでは?
民意は民意。民意→現実と反映させるべきではあるが、現実→民意と戻すべきではない。
>「保守的≠民意」「進歩的=民意」というのは硬直しきった考えだと思うのだが……。
当然ながらどちらも民意とは無関係だ。
>だが、民主主義を厳密に運用するならこうなるだろうという矛盾を示しているのだ。
はっきり言えば違います。民主主義に対する理解不足です。
お互い勉強し、精進しましょう。
>平等というのは、識者の意見も大衆の意見も同じ一票として扱うことでしょう。だからこそ
>選挙権は一人一票なわけだし。近代国家が平等主義によって立たねばならないのだとしたら、
>識者の意見で「えたいのしれない民意」(しかし多数の)を無視する不平等は、何によって
>説明されるのか、ということを訊いているのですよ。
一人一人の意見は平等だからこそ大多数の民意に従わない意見の存在が許されるのではないですか?
識者は国民の代表ではないのは明らかでしょう。
むしろ大多数の声というもので識者から識を奪う行為こそ一人一票の理念に反する行為でしょう。
>真実を求めることのみを裁判の目的とするなら、検察も被告も無制限に上訴できるように
>するのが筋ではないか。
真実に即し、かつ現実的な対応も求める、それが現在の司法制度だ。
どちらかのみというのは馬鹿ない意見でしかない。
さらに真実に即するならば現在の民主主義制度が現実に対応したものである事実をどう受け止めるというのか
>もしそれが司法制度的な理由から否定されるなら、裁判の目的は
>真実の追求を最優先にはしていないということ。
>真実の追究より司法制度を優先させるなら、 云々
同時に求める。それは大前提だ。いや、むしろ真実のほうが趣きが高い。
真実を求めるために無制限上訴を導入し、結果、被告が自然死したら真実は解明されるのか?
解明されはしない。現実に人の生死に限界がある以上、それに対応した現実的対処こそが
より真実を探求できる行為なのではないか?
853 :
. :2001/04/13(金) 15:54
最大限に「個の尊重」を謳いあげてる憲法と被害者の応報感情を 最大限に汲み取らない刑法とはやっぱ相反するもんだってことか。
>>849 >>851 (ペース早いっての。こっちは業務中なんだから。)
そもそも俺は「国民の判断」が「知性の統合」であるとは信じていない。(ここでいう
「知性」は理想的な判断という意味なんだろうが) すべての人間が(というより殆どの
人間は)理性的であるとも思いがたい。
判断とは、感情と理性が混ざったものだろう。どちらに偏るかは人次第だが、感情的で
あるからという理由を以てその人の判断を否定することは、それこそ非民主的だ。
感情は個人的なものだから、他人と共有するに難がある。だから社会生活の上では理性的
であることが望まれるのだろうが、人間が常に理性的に振る舞えるなら、世の中もっと良く
なってるはずだし、そもそも殺人なんか起きないって。
死刑制度は「違うんじゃないか?なぜそうなるの?」という問いに対して、「刑罰は国家が
定めるものであり、国家は(少なくとも名目上は)民意によって成立している。だから法的に
改正されない限りは持続するべきである。」この回答でなんで議論が成り立たないの?
>ならば時代と共に変化した民意がそのまま顕れるような手法がベストでしょ。
当たり前。しかし
>「現在の民意」とはどのように顕れるか? それは選挙なり、国民投票なりを実施した時にはじめて明確になるわけだ。
では選挙の間の議員活動やら法律やらは何によって根拠を得ているのか。次に民意を
伺うまでは「ひとつ前の民意」が継続されているものと考える以外にないでしょう。
だからこそ、リコール・解散等の手続きで「現在の民意」を至急上書き更新するわけで。
ところで死刑制度は「過去の民意」なのか? 人々は松本智津夫にさえ更正を求めるのか?
(まだ未決囚だが。)
>>852 「えたいのしれない民意」とは何事か。輿論調査では死刑に高い支持率が出ているが、
国民投票でないからダメだというのか。
>仮に民意が通信傍受法に賛成であっても民意が上のような変化をしたわけでないのは確かだ。
立法の委任をしたものだから、残念ながらそれは民意だ。もし民意と反するというなら、
次の選挙で共産党や社民党(反対だったよね?)にでも投票して、廃止させるのが道理です。
>いいえ、民主主義も帝が国民になっただけで一緒です。
>法学者という「客」の意見とそれに対立する意見を聞き、自分で判断してこそ民主主義です。
然り。そして帝が識者の意見を飲む保証はない。同様に、大衆が識者の意見を飲む保証もない。
>これこそ誤痴鋭さんが言う民意が「えたいのしれない民意」である証明になるのでは?
ではあなたの言う「えたいのしれない民意」でない民意で国家を運用するには、一体
そうすればいいというのか。
>一人一人の意見は平等だからこそ大多数の民意に従わない意見の存在が許されるのではないですか?
許されないのは意見の存在ではなく、少数意見によって多数が動かされる逆転現象です。
識者の声が大衆の罵声に掻き消されると言うなら、もっと大きい声で啓蒙する以外に
手段があるのですか?
>真実に即し、かつ現実的な対応も求める、それが現在の司法制度だ
ならば「現実的な対応」はどの程度まで許されるのか。
>真実を求めるために無制限上訴を導入し、結果、被告が自然死したら真実は解明されるのか?
真実が求まるものなのかはともかく、少なくとも制度上冤罪は発生し得ないし、冤罪に基づく
懲役等も受けずにすむ。裁判所の求める真実とは冤罪を出さないことであって、真犯人が有罪に
なることではないでしょう。まあこれは素人考えなのだが、そうでないなら検察側が再審請求を
できない理由がわからない。
856 :
名無しさんの主張 :2001/04/13(金) 19:33
決着は如何?
オメエら昼間っから暇そうだっぺな “業務中”はわらった(藁
858 :
762=628 :2001/04/13(金) 21:33
>>834 =364
知らない間に別人と勘違いしてるみたいだけど、823は俺じゃないよ。
ま、似たような意見が交錯してるから無理もないかもね。
でさー、最近どうにも忙しくて、しょっちゅうここに来れないんだよね。
このスレのペースもえらく速くなってるし、ヒマだったらキミの子守り
をやってあげたいとこなんだけど、断腸の思いで一旦ROMに戻るよ。
キミもさー、無理は体に毒だからほどほどにね。(w
あ、そうそう、788に対しては「相変わらず代わり映えしないね」とだけ
いっとく。じゃーまたね。
859 :
深海魚 :2001/04/13(金) 22:59
なんでもイイから、自分に名前を付けてくれー! ここまで話しがこんがらがると、誰が誰だか判らん。 みんなもこんがらがってるみたいだし・・・。
860 :
見学者 :2001/04/14(土) 14:22
文化という言葉が出てたけど、日本って「死者の恨み」に大きなシンパシーを 示す文化だよね。 平安時代の災害も、恨みを持って死んだ誰それのしわざだとかいって、怒りを鎮める ために神社つくってたり。 『もののけ姫』を観たアメリカ人に聞かれたよ。 憎しみを持って死んだものが超能力を持って復讐するっていう話しは 日本ではポピュラーなのかって。 日本では良くある話だけど、確かに西洋の話でこういうのないよね。 何が言いたいかというと、死者は天国で幸せに暮らしていると考える西洋人と 違って、日本人は、死者(殺人被害者)に深く同情し「死者の恨みを晴らしてやらなきゃ」 と考える。 だから、世論調査でも死刑容認が圧倒的なんだろうということ。
861 :
名無しさんの主張 :2001/04/14(土) 14:46
どうしてこんなに分かりにくい展開になるのかな?もっと整理し てくれないと余計にこじれると思ふ。
862 :
死刑肯定派識者 :2001/04/14(土) 18:39
深海魚さんに言われてコテハンをつけました。 誤痴鋭さんによる皮肉がその裏にあるので識者を自称しています。 >誤痴鋭さん 誤痴鋭さんの文章を読ん実感したが私と誤痴鋭さんとではその裏の世界観自体が大きく異なる。 最も大きな違いは民主主義に対する解釈の差だ。 前提条件として一つ、これから我々は民意について思考する。 従ってその思考の中では民意自体を使用すべきではない。 神の言及に対して神の語を使用することが論理的に誤りであるように民意についても同様に対処すべきである。 ではレスを追うことから開始する。 > そもそも俺は「国民の判断」が「知性の統合」であるとは信じていない。(ここでいう >「知性」は理想的な判断という意味なんだろうが) すべての人間が(というより殆どの >人間は)理性的であるとも思いがたい。 いきなりすごい前提を持ち出しましたね。 > 判断とは、感情と理性が混ざったものだろう。どちらに偏るかは人次第だが、感情的で >あるからという理由を以てその人の判断を否定することは、それこそ非民主的だ。 では裁判で現実に国民が理性的な対応を求められるのはなぜですか? 法治国家で我々が理性的な対応を求められるのはなぜですか? それが民意だからでしょうか? しかし誤痴鋭さんの言葉には最初に致命的な問題がある。 それは感情と理性は相容れないものであるという思考である。 この位置付けが根本から異なるのだ。 感情と対立するものがあるとすればそれは知識なり論理なりであり、 この双方を総合的に見て判断を下すのが理性である。 従って感情のみに流されるのは理性ではなく 同じく、感情に一切の目を向けないのも理性的な行為とは言えないであろう。 それは感情を理論化することにより判断要素の一つとすることが理性的であるとも言えるだろう。 >〜〜〜それこそ非民主的だ。 >人間が常に理性的に振る舞えるなら、世の中もっと良く >なってるはずだし、そもそも殺人なんか起きないって。 では人間が理性に従わないなら法は入りませんね。 もし、理性的な判断を国民に押し付けることが非民主的であるならば 法治国家がすでに非民主的であることを意味するのではないでしょうか? それは言い換えれば民主主義自体が非民主的であることを指し示す。 この文の持つ論理性の誤りは確かであり、それは仮定が誤りであることを意味する。 > 死刑制度は「違うんじゃないか?なぜそうなるの?」という問いに対して、「刑罰は国家が >定めるものであり、国家は(少なくとも名目上は)民意によって成立している。だから法的に >改正されない限りは持続するべきである。」この回答でなんで議論が成り立たないの? このような議論とは目的は「法を改正するべきか、改正しないべきか」という箇所にあるのはまず確かである。 少なくとも私はそれを自覚していたし、他の方もそうであろう。 では、「法は改正すべきか、改正しないべきか」という論題に「改正されない限りは持続すべきである」という意見を持ち込むことで 一体どのような議論の進展がありえるのか? > では選挙の間の議員活動やら法律やらは何によって根拠を得ているのか。次に民意を >伺うまでは「ひとつ前の民意」が継続されているものと考える以外にないでしょう。 >だからこそ、リコール・解散等の手続きで「現在の民意」を至急上書き更新するわけで。 その通りである。 続く
863 :
死刑肯定派識者 :2001/04/14(土) 19:01
続き
>ところで死刑制度は「過去の民意」なのか?
死刑制度は過去の民意であるだろう。そして現在までの民意であることは変わりない。
>人々は松本智津夫にさえ更正を求めるのか?
>(まだ未決囚だが。)
ここの死刑否定派は今現在の死刑囚を助けるために意見を述べていることでないのは確かである。
しかし将来的な第二の松本智津夫に対して更正を認めないのが民意であるとは言えないだろう。
その前に一つ、法の恣意的な運用が許されないと言った誤痴鋭さんの言葉とは思えないな。
私だからあなたの言いたいことを理解するのですよ。
そもそも、ここで議論をした結果、仮に死刑否定派が勝っても、その結果死刑が即刻中止されないのは確かであるし
また正当な手続きを持ってしなくても死刑を否定するべきだと思考しているなら
議論をせずに武力に訴えるでしょう。
否定派は死刑に対する啓蒙を実践してるのであり同時に説得しているのである。
それに対して我々が否定派の意見の誤りを正し、否定派を論理的に退けることが
正当な、紳士的な否定であり対応なのだ。
そしてそれは「過去の民意」が今もなお「現在の民意」として通用することを指し示すのだ。
>>852 > 「えたいのしれない民意」とは何事か。輿論調査では死刑に高い支持率が出ているが、
>国民投票でないからダメだというのか。
誤痴鋭さんの意見を借りるなら、輿論調査で高い死刑不支持の数字が出ても
法が死刑続行である限りは民意は死刑肯定なのでしょう?
だとしたら誤痴鋭さんの語る輿論調査は誤痴鋭さんにとっては民意なのですか?
それとも民意ではないのですか?
きつい言葉を放つなら、誤痴鋭さんが民意を恣意的に操るから「えたいのしれない民意」なのだ。
私が「死刑肯定派の裏には民意がついてない」と主張しているわけでないことぐらいはお分かりでしょう?
>立法の委任をしたものだから、残念ながらそれは民意だ。
私の発言の意図を理解していない。
私はそれが民意であるか、ないか、を問題にしているのではない。
いったい民意がどのように変化したか、を聞いているのだ。
例えば法案があり、それを委任する直前、委任する行為は「民意」に反する行動であろう。
しかし委任した瞬間から「民意」と化したわけだ。
委任されていないのに「委任しようとすること」は誤痴鋭さんに言わせれば明らかに民意からはずれているのではないのか?
>然り。そして帝が識者の意見を飲む保証はない。同様に、大衆が識者の意見を飲む保証もない。
そしてそれは同時に大衆が識者の意見を全く必要としない保証もない。
> 許されないのは意見の存在ではなく、少数意見によって多数が動かされる逆転現象です。
それは少数意見によって現実の法が決定されるのが許されないということか?
ならばそれは許されるべきではない。
法の決定を専門家にのみまかせるのはよくない。これは公平な分配に違犯する。
それともプロパガンダが許されないということか?
これも許されるべきではない。プロパガンダは洗脳であり理性的な判断を奪い去るからだ。
それとも多数意見に反する少数意見には存在自体が許されないということか?
これは大きな誤りである。
少数意見を少数意見だからという理由で排除するものは全体主義であり
それは非民主主義に他ならないからだ。
>識者の声が大衆の罵声に掻き消されると言うなら、もっと大きい声で啓蒙する以外に
>手段があるのですか
罵声に対して啓蒙することは不可能である。
啓蒙を認めるならば罵声は認めるべきではない。
識者の声が届かないならすでに彼は識者ではない。ただの電波だ。
識者の声が大衆の罵声に掻き消されない現状があるからこそ、識者は識者足りうるのだ。
続く
864 :
死刑肯定派識者 :2001/04/14(土) 19:33
続き 一つ抜かしてしまいました。 > ではあなたの言う「えたいのしれない民意」でない民意で国家を運用するには、一体 >どうすればいいというのか。 それが民主主義でしょう。 はっきりと言えば誤痴鋭さんは民主主義に対する理解に誤りがあるから 民意が民意でなくなってしまうのです。 民意はあくまでも民意でありどこまでいっても民意でしかない。 そして民意はある限られた時、つまり選挙や国民投票の際にしか明確に顔を出さない。 この事実である前提だけははっきりとさせましょう。 民意は国民の意思の総意ですからこの前提には誤りはないはずです。 >ならば「現実的な対応」はどの程度まで許されるのか。 例えば、民主主義であるならば 1、過半数の意見を民意とする点 2、民意が秒単位で更新されるわけではない点 などが現実的な対応として存在する。そしてそれは許されている。 それは 1、全員の意見を民意とする 2、すべての判断は国民投票で決定する が、仮に論理的に正しくともそれが直感で最良の方法でないと分かるからこそ 導入していることにある。 例えば嘘をつく行為はその行為自体が悪であるとする。 家にはアンネ・フランクをかくまっている。 彼女らがそこにひそんでいた間に兵士や警官がやってきたかもしれない。 そして彼らは家主の人にこう尋ねたであろう。 「ここにユダヤ人がいるか?」 尋ねられた店主は完全な平静さで答えなくてはならない。 「おりません。」(キケロ『義務について』) >裁判所の求める真実とは冤罪を出さないことであって、真犯人が有罪に >なることではないでしょう。 残念ながら異なります。 検察制度を含めた司法制度の目的は真犯人を捕らえ、そして処罰することです。 冤罪とは真犯人ではない別人を捕らえ処罰することです。(真犯人が処罰されない) ですから裁判において冤罪とは決してあってはならない行為なのです。 そして冤罪可能性を高らかに歌い上げる死刑否定派の言動は 司法に対して極めて失礼な意見でもあるのです。
865 :
死刑肯定派識者 :2001/04/14(土) 19:40
個人的には634と635の議論を楽しんでいたのでここらへんで俺も引くことにします。 短い間だったけどこのコテハンももう終わり
866 :
名無しさんの主張 :2001/04/14(土) 19:40
クッキー取り
>感情と対立するものがあるとすればそれは知識なり論理なりであり この辺の日本語の対立関係は複雑だから言い換えましょう。 「多くの人は、感情的な判断をしないとは限らない。そして現状では、それが感情的な 判断であろうと何であろうと、一票は一票として数えるシステムである」 >裁判で現実に国民が理性的な対応を求められるのはなぜですか それは理想だからです。感情は個人的なものであり、他者にとって価値のあるもの ではないから。しかしながら「社会的な感情」とでも称すべきものがないとでも? 「残虐」「冷酷非常」などの概念は理性によってどう定義されるのでしょうか。 >人間が理性に従わないなら法は入りません 理性に因ろうが感情に因ろうが、行為を規制/許可するのが法律でしょう。それに、 「こういうことすると痛い目に遭うからやめとこう」は理性と言えるんでしょうか。 犬でも猫でもそういうのはありますけども。 >理性的な判断を国民に押し付けることが非民主的であるならば 「感情的な投票」と「感情的な犯罪」を一緒にしないでください。そういう例を 引いた自分も悪いんですが、あなたは「感情的な投票」をも否定するのですか? >では、「法は改正すべきか、改正しないべきか」という論題に「改正されない限りは >持続すべきである」という意見を持ち込むことで一体どのような議論の進展がありえるのか? 「改正したければ国民の支持を得ろ」と言っているのと同義ですな。そもそも すべて議論の意義を否定してしまっている。少し反省。 >誤痴鋭さんの意見を借りるなら、輿論調査で高い死刑不支持の数字が出ても >法が死刑続行である限りは民意は死刑肯定なのでしょう? だとしたら誤痴鋭 >さんの語る輿論調査は誤痴鋭さんにとっては民意なのですか? 国民投票をしても多数だろう、という意味で使ったつもりだったが、確かに恣意的 ですな。反省。 現在ある法案はすべて、(実際に支持されていようといまいと)「民意」です。 輿論調査で逆の結果が出たら、それもやっぱり民意です。それも、ヨリ現在の。 ということは「民意と反する法律を維持するのが民意」とでも言うほかないですね。 >しかし委任した瞬間から「民意」と化したわけだ。 立法の委任というのはつまり選挙の投票のことです。上と同様に所謂「盗聴法案」も 「民意と反する法律を制定するのが民意」と言うよりほかない。 確かにそれが好ましいとは思わない。でも「次に共産党等に投じる」以外の解決が あるんでしょうか。 >それともプロパガンダが許されないということか? これも許されるべきではない。 プロパガンダと啓蒙はどう違うのだろうか。どのようなプロパガンダであれ、 主観的には啓蒙だと思うのだが。嘘やデマがいけないというならともかく。 >将来的な第二の松本智津夫に対して更正を認めないのが民意であるとは言えないだろう。 然り。同時に民意でないとも言えない。ついでに言うなら、それはその時点での 問題であり、現在の問題ではない。 >識者の声が届かないならすでに彼は識者ではない。 というより人に届かない声は、発してないと一緒でしょうね。だから無駄だとは 言わないが。 >それが民主主義でしょう。 私は具体例を訊いているのです。選挙をして民意を問う。それによって選ばれた議員は 「民意」である。その議員が通した法案等は、国民がどんなに反対していようと「民意」 である。でなければその法律はどういう根拠を持つのか。 >検察制度を含めた司法制度の目的は真犯人を捕らえ、そして処罰することです。 そりゃそうなんだが、再審請求の可能性云々を言うときの「真実」というのは、 被告の利益となることしか考えられていないだろうという点です。 検察に再審の権利がないのも、時効という制度があるのも納得できない。時効は、 一定期間を過ぎたら証明能力が疑わしくなるからという理由であると思うのですが、 だとすれば再審はなぜ同じような状況で認められているのでしょう。
ほっといたら、いつの間にか番号の位が上がっとるではないか(愕)
>>840 -843
投稿時間帯から察するに、あなた終日2chに傾注してない?(憫)
>2. 冤罪囚が一定の数いると推定しましょう。その囚人は、三審の間自分の
>無実を証明しようと全力を尽くしたが、無駄に終わった。そうですよね。
> その後、その囚人が判決を覆すような新証拠を発見する可能性はどのく
>らいいあると推定できますか? しかも数年〜十年以上経過した後で。
> 常識的に考えれば、その可能性はかなり低いと言わざるを得ません。簡
>単にみつかるものなら、三審の間、さらにその後の生存期間中に見つけて
>いたでしょうから。というのが、「極一部」であると推定できる合理的理由。
仮にその「推定」に「合理的根拠」があったとしても、どこまでいっても「推定」
にすぎないよ。
>>845 の意味だとしても、結論は同じ。冤罪囚の数が特定でき
ないかぎり、そのうち「救済」を受けた人数も分かりません。それに、「常識的
に考えれば」の「常識」ってなんですか?(笑)
事実判断からは価値判断を導出することは「自然主義の誤謬」であることを分か
ってください。
>あなた自身は「人が実際に懲役刑に当たるようなことをしてようが していま
>いが、その人を終身懲役刑にしていい」と言っているということをお忘れなく。
ただし、終身懲役刑は死刑に比べれば、法的に保障された再審期間は長く
(途中で殺されないから)、冤罪囚が再審で無罪を得る可能性も高いという
ことをお忘れなく。
>「再審可能な期間は同一であるべきだ」と考えるのはなぜですか?
逆に、それが同一でなくてもよいという理由が聞きたいわ。
「冤罪の死刑確定囚が自分の冤罪を晴らす機会は、その他の刑の冤罪の
確定囚に比べてほとんどなくてもよい」ということの根拠は、「死刑に問われ
るような奴に対しては、たとえ冤罪だとしても冤罪を晴らす機会を制限しても
いい」ということ以外にありますでしょうか?
869 :
名無しさんの主張 :2001/04/15(日) 06:34
舞台はごく普通の、一般家庭。 日曜夜6時半すぎ一家そろってのだんらん中、以前から借金問題でもめてた 知人の男性が計画的に家に押し入り、妻と子供をご主人の目の前で刺し殺したとする。 さいわいご主人はその場を逃れることが出来、犯人は、通報によって取り押さえられたとする。 ごく普通の、典型的な死刑直行型ドキュソ殺人事件である。 その上で死刑廃止派の方々の意見と、死刑を望むご主人との対話と言う形に置き換えて見てみよう。 (本来なら裁判で刑の確定で有罪となるが、この場合有罪が確定したとしてその刑の重さについて論議すると仮定) ご主人「最高裁でも有罪と判断されました、わたしは極刑を望みます」 反対派「どうして死刑でなければいけないの?その理由がないと納得いかない。 だって刑法って言うのは犯罪の抑制、防止、更生(更正は誤字)のためにあるんだよ、 それならば、この更生に当てはまらないんじゃない?」 ご主人「目の前で家族を殺された者の気持ちが、わかるのか? そんな犯罪者に更生を求めること事態が間違ってる」 反対派「それならあなたは死刑者の家族の気持ちになれるの?それこそ傲慢だよ 大体家族が死んだんならその家族はもういないわけでしょ、犯人を死刑にしても 死んだ人は帰ってこないよ」 ご主人「おっしゃる意味がよくわからないのですが・・、犯人が法を犯したのに何故その罪を 極刑で裁けないのですか?これでは私の妻と子供が浮かばれません。」 反対派「犯人にだって人権はあるんだ、だから命まで奪うのは不当な行為なんだよ。 それは民主主義を逸脱してる。」 ご主人「・・・自分がしたことに対して、責任を持つことは当然だと思います。少なくとも 凶悪な事件に対して厳罰を望むと言う意見は、被害者と国民の大部分が合意しています」 反対派「ちょっと待って、落ち着いて。そんなこと言って、もし犯人が冤罪だったらどう責任取るの? 死刑が執行されたら、もう冤罪者だった場合はもう遅いんだよ?」 ご主人「、、、最高裁できちんと公正な裁判が起こされて有罪が決定したんですよ、 なのにいまさら何を言ってるんですか?!」 反対派「だからその裁判が公正だったかどうかは、神様以外誰にもわからないでしょ?」 ご主人「きちんとした証拠が合ってそういう判決が出たんだし、私達家族にも何の落ち度も無かった。 そのうえでいってるんだ。もし間違いだったらきちんと証明してくれ。」 反対派「その証拠自体、捏造かもしれないじゃん?ほんとの事は神様以外・・(以下略 」 ご主人「私の目の前で刺されたんだぞ、その上で状況証拠もそろってると言ってるんだ。」 反対派「私や裁判官が実際見たわけじゃないし、、もしかしたら催眠術かも知れないじゃん? もしそうだったら、勝手に死刑されて冤罪を晴らすことが出来ないんだよ? それなら、とりあえず懲役にしておけばあとで保障請求できるし。ほんとの・・(以下略」
870 :
名無しさんの主張 :2001/04/15(日) 06:36
ご
===このスレはPart2に引き継がれました。アゲないでください===