152 :
北行:
流れからそれますが、リクエストもあるためニュ−スを続けます。なお偽りの定期大会案については11月初めの秘密会の執行委員会で案が決められたため確認に手間取っておりしばらくお待ちください。
[ニュース その2] 「組合内部対立の発端」
2007年11月から村上氏が管理職ユニオン・関西(以下「MU関西」という)の専従者に加わり、仲村氏の組合実務の負担が大きく減った。仲村氏は連帯ユニオン関西生コン支部(以下「関生」という)の
での活動を本格的に開始し、急進的左翼労働運動家集団「革命21」にも参画し報酬ももらった。その中で仲村氏は関生の産業政策闘争(中小企業の職場労組が経営主導権を握り地域市場も制御)に心酔し、
09年からのMU関西の運動方針にも折込み始めた。執行委員会では組合重鎮の仲村氏が言っているからとその方針をろくに議論もせずに黙認した。しかし12年9月に仲村氏が関生との合併方針を出したのは唐
突であった。村上書記長(当時)は関生が急進左翼の政治色が強くかつ上意下達組織でMU関西という個人の自由を尊重し、政治色を薄くしている組合とはなじまないという理由で合併に反対した。
仲村副委員長(当時)は3年前から自分が敷いた関生路線を村上氏に阻止され、自分が関生で引っ込みがつかなくなる事を恐れてか、12年10月に村上氏に書記長から副委員長に降りるよう言い出し、自分が
書記長の返り咲くと一方的に宣言した。形の上では組合の序列では下の仲村副委員長が上の村上書記長にポストを降りろというのは下克上であって、実際仲村氏に書記長立候補を取りやめるように説得する
者もいた。しかし仲村氏は書記長返り咲きの意思を一向に変えようとはせず、村上氏も仲村氏の説得に応じるのをよしとしなかった。結局村上氏は委員長に立候補し仲村氏の宣言に反した。北村庄司当時・
現委員長は、村上氏からの出馬とりやめ要請に理解を示したが仲村氏に承諾を求めに行った。そこで北村氏は仲村氏に説得されて結局委員長に立候補することにし、去年11月25日の組合定期大会で北村現委
員長は村上前書記長に37票対31の差で勝利した。仲村氏の動員力の大きさ・うまさと、村上氏への支持者の少なさが目立ったという見方が多かった。 以上
153 :
北行:2013/12/02(月) 00:56:23.02 ID:???
[ニュースその3]「組合内部対立の本質」
去年11月の定期大会後は村上氏の処遇に組合員の関心が集まったが、12月から始まる仲村新書記長の村上氏専従解任への行動は当時の時点では意外に思われた。旧左翼的な古い労働界では組合内部対立
で敗れ去ったものは退場するか、別組合を立ち上げるという流儀がある。仲村氏の頭の中には自分は選挙戦で勝ったのだから、しかも村上氏に副委員長という専従として生き伸びるポストまで用意したの
にそれを蹴って仲村氏の書記長復帰宣言に反したのだから専従で居続けるというのは流儀から許せなかったと推測される。古い労働運動家なら理解できる行動動機だ。
もうひとつの視点はこの掲示板の投稿でもたびたび登場するが、労働者の雇用を守る労働組合が専従を解雇するという専横的経営者と同じ行動はしてならないという原則論である。少なくとも専従者が
生活をしていく上で賃金(専従報酬)が必要なのに、古い労働界の流儀で解雇などして良いわけがないというものだ。これは古い流儀などよりも労働者の実態的な利益を尊重する新しい考え方であるが、
今や個人加盟労働組合では主流の考え方である。関西エリアのほとんどの個人加盟労働組合が仲村氏の村上氏解雇行動や関生路線を異端視しているのはこのためである。
三つめの視点は、仲村氏と村上氏の対立は組合員を巻き込んだ本質的な対立ではなく、組合員不在の利己的なものだというものだ。本人たちもろくに議論せずに書記長や委員長のポストを争っただけのお
粗末な喧嘩だというものだ。そもそも産業政策闘争が個人加盟組合で実現不能なのは明白なのに執行委員会ですらまともな議論もせずに、組合方針に盛り込まれていること自体が組合員不在である。執行
委員諸氏が実現可能と思うような判断力不足な人ばかりだとは思いたくはないが、重鎮の仲村氏に反論すると組合内で不利益を被るという打算の上での行動なら、組合員の代表としてのその資質に大きな
疑問が生じる。この三つ目の両者や執行委員会に対する視点が、今までの議論で欠落しているのが残念であり、個人の評価で事態を把握しようとするのには無理がある。
154 :
dfsa:2013/12/02(月) 03:23:16.86 ID:zIMGuta7