564 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/01(金) 21:57:46.95 ID:AcFK01bD
/// 自己疎外 56 /////////// ここでもまた他の働きの場合のように、誇りが責任にとって代わり、不可能なことを し損じた場合は、自らに有罪の宣告を下して追及する。このために、彼は最も大切な責任を 果たすということがほとんどできなくなる。その責任とは、根本的には、自分自身と自分の 生活についてまったく素直な正直さをもつことにほかならない。それは三通りの仕方で働く。 第一は、自分のあるがままの存在を縮小も誇張もせずに、公正に認めること、第二に、 「どうにかうまくやり過ごそう」としたり、他人に責任を負わせたりすることなく、自分の 行動や決定の結果を甘受すること、第三は、自分の困難を他人や運命や時間が自分のために 解決してくれるなどと思わず、それを克服する責任は自分にあると自覚することである。 これは他人の援助を受けること拒否するのではなく、反対に、できる限りの援助を受ける ことを意味する。しかし、外からどんなに立派な援助を受けても、彼が建設的な方向に 変わろうと自分で努力しないなら、何の役にも立たないだろう。 ///// 自己実現の闘い ///
565 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/01(金) 22:30:57.72 ID:AcFK01bD
/// 自己疎外 57 /////////// 次に示す一例は、実は多くのよく似た症例から合成したものである。ある既婚の若い男は 父からの仕送りの額が決まっているのに、いつもそれ以上につかってしまう。彼はそのこと について自分自身にも他人にもいろいろな弁解をする。例えば、こうなったのも両親が金の 扱い方を教えてくれなかったせいだとか、父親の仕送りが少な過ぎるのが悪いのだとか言う。 また逆に、こんな状態が続くのは、自分が父を怖がり、仕送りの増額を頼めないためだ、 お金が要るのは妻が金のつかい方を知らないからだ、子どもが玩具を欲しがるからだ、そのうえ、 税金や医者の支払いもある――それに、誰だって時には少しぐらい楽しむ権利があっても よいではないか、と彼は言う。 ///// 原著 1950年発行 ///
566 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/01(金) 22:53:57.49 ID:AcFK01bD
/// 自己疎外 58 /////////// こうした理由のすべてが、分析家にとっては重要な資料となる。なぜなら、これらは、 患者がもっている要求や、虐待されたと感じやすい彼の傾向を示しているからである。 患者にとっては、これらの理由は、自分のディレンマを完全に満足のいくように説明する だけでなく、単刀直入に言えば、彼はこれらの理由を魔法の杖として使って、どんな理由 からにせよ、自分が金をつかい過ぎたという単純な事実を打ち消してしまうのである。事実を 事実としてそのまま述べること、つまり、つかい過ぎはつかい過ぎとはっきり言うことは、 誇りと自己非難に支配されている神経症者にとってはしばしば不可能に近いことである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
567 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/01(金) 23:08:10.21 ID:AcFK01bD
/// 自己疎外 59 /////////// もちろんその結果は必ず現われ、彼の銀行口座の勘定は赤字となり、彼は借金をする。そして、 口座の状態を丁寧に知らせてくれた銀行員に対しても憤慨し、また、自分に金を貸したがらない 友達に対して腹を立てる。経済状態が非常に悪くなると、彼はそれを既成事実として父や 友達に示し、自分を助けに来てくれるように、多少とも強制する。彼は、この困った状態が 自分のだらしない金遣いの結果であるという単純な因果関係を直視しない。彼は将来について いろいろと決心するが、その決心はおそらくあまり重要性をもたないだろう。というのも、 彼はただ自分自身を正当化し、他人を責めるのに精一杯で、自分の計画をほんとうに実行する つもりはないからである。しつけの欠如は自分の問題であり、それが実際に自分の生活を困難に しており、したがって、それをどうにかするのは自分の責任であるという冷静な認識が彼の 心中深くにまで達していないのである。 ///// Karen Horney ///
568 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 07:18:54.48 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 60 /////////// 神経症者がどれほど頑固に、自分の問題や行動から生じた結果に目をつぶろうとするかを 示す他の例を挙げよう。自分はふつうの因果の支配を免れていると無意識のうちに確信して いるある人は、自分の傲慢さや復讐心に気づいても、そのために、他の人々が不快に思う だろうという、当然の結果をどうしても認めようとしない。もし他の人々が彼に反発すれば、 それは思いもよらぬ打撃である。彼は屈辱を感じ、しばしば、実に抜け目なく(他人のなかに) 神経症的要因を指摘して、彼らが自分の行動を不快に思うのは、その神経症的要因のためだ と言う。彼は自分に示されるすべての証拠を軽く一蹴し、そのような証拠は、それを示した 当人らが自分の罪や責任を正当化するためにたくらんだものであると考える。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
569 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 09:25:03.03 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 61 /////////// これらの引用例は、典型的なものであるが、自己の責任を回避する方法のすべてを網羅 するものではない。そうした方法のほとんどについては、先に面子を保つ工夫や自己嫌悪の 攻撃に対する防衛手段について語った際に、既に論じた。そして、神経症者がいかにして 自分以外のあらゆる人、あらゆるものに責任を転嫁するか、彼がいかにして自分自身の超然 とした観察者となるか、どれほどはっきりと自分自身と自分の神経症とを区別しているかを 見てきた。 ///// アカデミア出版会 ///
570 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 10:27:45.53 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 62 /////////// その結果として、彼の真の自己はしだいにいっそう弱く、いっそう離れたものとなる。 例えば、もし彼が無意識的な力を自分の全人格の一部ではないと主張するなら、それらの 力は、彼を仰天させる一種の神秘的な力となってしまうだろう。そして、このような 無意識の責任回避によって、真の自己との接触が弱くなればなるほど、彼はそれだけ いっそう自らの無意識的な力の無力な餌食となり、そのため、実際にそうした力を恐れる のがますます当然のこととなる。これに引き換え、自分自身であるこの複合体のすべての ことに責任をとる方向に進むなら、彼は一歩進むごとに、目に見えて強くなっていく のである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
571 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 12:04:26.63 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 63 /////////// さらにそのうえ、自己の責任を回避する態度のために、どんな患者も自分の問題に直面し、 それを克服することがいっそうむずかしくなる。われわれが分析の当初にこの問題に取り組む ことができれば、その作業にかける時間も苦労もかなり削減されるだろうと思うのだが、 患者は、自分は自分の理想像であると思っている限り、自分の正しさを疑い始めることさえ できない。そして、もし自己非難の圧力が目立っている場合は、彼は自己のために責任を とると考えただけで強い恐怖の反応を起こし、それからは何も得るところはないだろう。 自己のためにどんな責任もとることができないということは、自己疎外全体のほんの一つの 現われにすぎないことを、やはり心に留めておかねばならない。だから、患者が自分自身に ついて、また、自分自身のために何らかの感情をまだもっていない時に、この問題に取り組む ことは無益なのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
572 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 14:44:21.81 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 64 /////////// 最後に、真の自己が「締め出され」たり、追放されたりしている時は、その人の統合力も また弱くなっているだろう。健全な統合は、自分自身であることの結果であり、また、この 基底に立って初めて達せられるものである。もしわれわれが自発的な感情をもち、自ら決定し、 その決定に責任をもつことができるほどの強い自分自身になることができるなら、その時 われわれは確固とした基盤に立って、統一感をもつことができる。ある詩人は、自分自身を 発見したことを、次のような言葉で、喜びに満ちた調子で語っている。 希望も行動も、言葉も沈黙も すべてのものは今融け合って 一つのものとなる。 私の仕事も、私の愛も、私の時間も、私の顔も すべてが集まって 植物が伸びるように 一つの力強い成長の姿となる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
573 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 17:29:28.99 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 65 /////////// われわれはふつう、自発的な統合力の欠如は、神経症的葛藤の直接の結果であるとみなして いる。これが真実であることに変わりはないが、そこには悪循環が働いていることも考えないと、 この統合を妨げる力の威力について完全な理解に達することはできない。多くの要因が働いた 結果として、人が自分自身を失っているなら、その場合、その人には、自分の内的葛藤を 解きほぐすことのできる確固とした基盤がないわけである。そこで、彼は内的葛藤のなすがまま になり、葛藤のもつ破壊力に対して無力な餌食となる。そして、これらの葛藤を解決するために、 利用できる限りのどのような手段にでもしがみつかねばならなくなる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
574 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/02(土) 18:56:58.38 ID:fHcWV11Y
/// 自己疎外 66 /////////// これがいわゆる神経症的解決の試みであり、この観点から見る時、神経症は一連のこうした 試みなのである。しかし、このような試みをすることにより、彼は、ますます自分自身を 失っていき、葛藤はいよいよ大きな破壊力をもつようになる。そこで、彼には自分自身を 統合するための人工的な手段が必要となる。〈べき〉も誇りという道具も自己嫌悪という 道具も、新しい機能、すなわち、心の混沌からわれわれを守る機能を獲得する。それらは 鉄拳をふるって人を支配する、が、しかし、政治的専制のように、一種の表面的な秩序を つくり出し、それを維持する。意志力と理性による厳しい統制もまた、人格のばらばらの 部分を一つに結び合わせようとするもう一つの強力な手段である。それについて、われわれは 次章で、内的緊張を緩和する他の手段と合わせて論じることにしよう。 ///// 自己実現の闘い ///
575 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 07:58:38.69 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 67 /////////// これらの障害が、患者の生活にとって一般的にはどのような意味をもつかは、かなり明白 である。彼が自分自身の生活において、積極的な決定要因になっていないということは、 表面がどれほど強迫的な硬さで包み隠されていようと、深い不安感をつくり出していく。 自分自身の感情を心もたないということは、うわべがどれほど生き生きと見えてしても、 彼を生気のないものにする。自分自身に対して責任をとらないということは、彼から真の 精神的独立を奪う。さらに加えて、彼の真の自己の不活発さは、神経症の過程に重大な影響を 及ぼす。自己疎外のもつ「悪循環」の面が最も明瞭になるのはこの事実においてである。 自己疎外自体は神経症的過程の結果であるが、それはまた以後の過程の発展の原因でもある。 なぜなら、自己疎外がひどくなるにつれ、その神経症者はますます誇りの体系の策謀に対して 無力な犠牲者となり、それに抵抗する活力をますます失っていくからである。 ///// 原著 1950年発行 ///
576 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 08:17:34.91 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 68 /////////// ここで、いくつかの場合に、次のような重大な疑問が起こってくるだろう。すなわち、 この最も生き生きとしたエネルギー源はまだ完全に枯渇していないのだろうか、それとも、 永久に静止してしまっているのだろうか。私の経験からは、それをどちらか一方に決めて しまわない方が賢明であると思う。分析家の十分な忍耐と熟練によって、真の自己が追放から 戻ってきたり、「よみがえってくる」ことがしばしばある。例えば、エネルギーが自分の 個人生活のためには利用されなくても、他人のための建設的な努力に注がれている時は、 それは有望な徴候である。言うまでもなく、このような努力は、よく統合された人々が なすことができ、また実際にしている。 ///// Neurosis and Human Growth ///
577 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 08:29:12.58 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 69 /////////// しかし、今われわれに関心があるのは、他人のためには無際限とも見えるエネルギーを 費やすのに、自分の個人生活に関しては、建設的な興味や関心を欠き、この二つの間に 著しい食い違いを示す人々のことである。彼らが分析を受けている時でさえ、その分析から 本人よりも親戚や友人や生徒の方がいっそう利益を受けるということがよくある。そうで あっても、われわれは治療者として、成長に対する彼らの興味は、たとえかたくなに外在化 されていても、なおそれが生き残っているという事実に期待をかける。とは言え、彼らの 興味を自分自身に向けさせるのは容易なことではないであろう。彼ら自身のなかに建設的な 変化を妨害する強い力があるうえに、外に向かっていることが一種の均衡状態をつくり出し、 それが自分自身を価値あるものだという感情を与えているので、彼らはこのような建設的な 変化のことをあまり熱心に考えないのである。 ///// Karen Horney ///
578 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 09:44:28.93 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 70 /////////// 真の自己の役割は、それをフロイトの「自我」の概念と比較してみると、いっそう明瞭に 浮き彫りにされる。私はフロイトとはまったく違った前提から出発し、まったく違った道を たどっているが、「自我」の弱さを仮定している点でフロイトと一見同じ結果に達している ように見える。しかし、理論では明らかな相違があることは確かである。フロイトにとって 「自我」とは、働きはするが、何の主導性も執行力ももたない使用人のようなものである。 私にとって真の自己とは、感情的な力や建設的なエネルギーや指導力や判断力の源泉である。 しかし、もし真の自己がこれらの潜在力のすべてをもっており、健康な人においてはこれらが 実際に働いているとしても、神経症に関する限り、私の立場とフロイトの立場との間にどれほど 大きな差異があろうか。一方は、神経症の過程によって自己が弱められ、麻痺され、「見えなく なっている」のだと言い、他方は、自我は生まれつき建設的な力をもっていないのだと言って みたところで、実際上はその二つは同じことではなかろうか。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
579 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 17:33:12.13 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 71 /////////// たいていの分析の最初の段階を見ている限りでは、われわれはこの問いに肯定的な答えを しなければならないだろう。その段階では、真の自己の非常に小さい部分しか働いていない ように見える。われわれはある種の感情や信念がほんとうのものであるという可能性は認める。 また、自分自身を発達させたいという神経症者の欲動には、外に目立った華やかな要素の ほかに、純粋な要素も含まれているということ、彼は知的に支配したいという欲求のほかに、 自分についての真実に関心をもっているということも推測できる――しかし、それはなお 推測にとどまっている。 ///// アカデミア出版会 ///
580 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 18:52:59.71 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 72 /////////// しかし、分析を進めていくうちに、この姿は急激に変化する。誇りの体系にメスを入れて いくにつれ、患者はそれまで自動的にとっていた防衛姿勢をやめ、自分自身についての真実に 興味をもつようになる。彼はこれまでに述べてきた意味で自分自身に対する責任をとり、 決定を下し、自分の感情をもち、自分自身の信念を発達させ始める。既に見たように、誇りの 体系によって奪われていた機能はすべて真の自己の力に復帰すると共に、しだいに自発性を 回復してくる。要因の再配置が行なわれる。そして、この過程において真の自己はその建設的な 力を携えて、今までよりもいっそう強力な味方となるということが分ってくる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
581 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 20:21:13.36 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 73 /////////// この治療過程にとって必要な個々の段階については、もっと後で論じよう。ここではただ こうした治療過程が起こるという事実を示すにとどめた。もしこの事実を示さなければ、 自己疎外についてのこの議論は、真の自己についてあまりに否定的な印象を与え、つまり、 真の自己は、取り戻したいが、永久につかまらない幽霊であるかのような印象を与えることに なろう。われわれは、分析のもっと後の段階をよく知って初めて、真の自己が潜在的な力を もっているという主張が、単なる憶測ではないことを認識できる。建設的な分析のような 有利な条件の下では、真の自己は再び生き生きとした力となることができる。 ///////// 対馬忠監修 ///
582 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/03(日) 22:01:34.08 ID:tPTlGkf0
/// 自己疎外 74 /////////// こうしたことが実際に起こる可能性があるからこそ、われわれの治療は症状を軽くする だけにとどまらず、個人の人間的成長を助けるという希望がもてるのである。また、こうした 現実の可能性を見通してこそ、前章で述べたように、偽りの自己と真の自己との関係は、 二つの敵対する力の間の葛藤関係であることが理解できる。この葛藤は真の自己が再び活発 になり、人があえて闘いの危険を冒そうと思うようになった時、初めて公然とした闘いとなる ことができる。そのような時がくるまでは、人はただ一つのこと、つまり偽りの解決法を 見つけて、葛藤のもつ破壊的な力から身を守ることしかできないのである。そのことについては、 次章以下で論じることにしよう。 ・・・・ ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
583 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 06:42:34.25 ID:4b/p2LUB
584 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 09:01:57.15 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 1 /////////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第7章 緊張緩和の一般的手段 以上に述べてきたすべての過程は、心を引き裂くような葛藤、耐えられないほどの緊張、 潜在的に恐怖に満ちた心の状態をつくり出す。このような状態では、いかなる人も十分に 機能することも、さらには、生きることさえもできなくなる。そこで、人はこれらの問題を 解決するために、自動的に、葛藤を除去し、緊張を和らげ、恐怖を静める試みをしなければ ならず、実際にそうすることになる。 ///// アカデミア出版会 ///
585 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 10:02:03.85 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 2 /////////// ここでは、自己理想化過程において働くのと同じ統合力が作用し始める。自己理想化過程は、 それ自体が最も大胆で過激な神経症的解決の試みであって、すべての葛藤やその結果起こる 障害を超越することによって、それらを取り除こうとするものである。しかし、こうした 努力と、これから述べられる試みとの間には、一つの違いがあるが、われわれはこの区別を 正確に規定することはできない。というのは、それは質的な相違ではなくて、「より多く」 とか「より少なく」とかいった量的な違いだからである。栄光の追求も、同じく強制的な 内的要請から生じているが、より創造的な過程である。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
586 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 11:14:19.67 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 3 /////////// 結果においては破壊的であるが、それにもかかわらず、それは自己の狭い限界を超えて 拡大したいという人間の最善の欲望から発している。これと健康な人の努力との相違は、 結局は、栄光の追求が途方もない自己中心性をもっている点にある。栄光の追求による 解決と次に述べる解決との相違について言えば、栄光の追求は空想力の枯渇によって生じる のではない。そこでは空想力は働き続けている。しかし、それは心の状態を損なう方向に 働き続けるのである。こうした心の状態は、人が初めて太陽に向かって飛翔した時から 既に危険性をはらんでいたが、今では(既に述べたような葛藤や緊張の心を引き裂くような 衝撃のもとで)精神的な破滅の危険が目前に追っている。 ///////// 対馬忠監修 ///
587 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 12:26:11.00 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 4 /////////// 解決の新しい試みを述べるに先立って、緊張を和らげるためにいつも働いているいくつかの 方法をよく知っておかねばならない。それらは本書においても、私の以前の著作のなかでも 論じられており、次の各章でも要約されるだろうから、ここではそれらを簡単に枚挙するだけで 十分であろう。 この観点から見る時、自己疎外は緊張緩和の一つの方法であり、しかもおそらく最も重要な ものである。われわれは自己疎外がどのような理由で生じ、強化されるかを既に論じた。 繰り返して言えば、自己疎外は、一つには神経症者が強迫的な力によって駆り立てられることの 単なる結果であり、一つには、真の自己から逃れ、それに反抗する積極的な動きから生じる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
588 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 14:48:29.64 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 5 /////////// この文脈でさらに付け加えねばならないのは、彼が内心の闘いを避け、心の緊張を最小限に とどめるために、真の自己を拒否しようとするはっきりとした関心をもっている点である。 そこに働く原理は、内的葛藤を解決する試みのすべてに作用する原理と同じものである。 心の内外のどんな葛藤も、もしその一面が抑圧され、他の面が支配的になってくると、外から 見えなくなり、そして、実際にも(人為的にではあるが)減少することになる。このことを、 相反する欲求や関心をもつ二人の人間または二つの集団について言えぼ、そのどちらか一方の 個人ないし集団が制圧されると、あらわな葛藤は消える。威嚇する父親と威圧される子ども との間には目に見える葛藤はない。同じことが内的葛藤にも当てはまる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
589 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 21:36:02.54 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 6 /////////// われわれは他人に対する敵意と、好かれたいという欲求との間に激しい葛藤をもつことが ある。しかし、敵意と好かれたい欲求とのどちらか一方が抑えられると、対人関係は単一化 される傾向がある。これと同じように、もし自分の真の自己が追放されるなら、真の自己と 偽りの自己との間の葛藤が意識から消えるだけでなく、力の配分も非常に変わるので、実際に 葛藤もなくなる。もちろん、こうした緊張緩和は、誇りの体系の自律性が増すという代価を 支払ってのみ達成されることができるものである。 ///// 自己実現の闘い ///
590 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/04(月) 23:00:37.03 ID:4b/p2LUB
/// 緊張緩和の一般的手段 7 /////////// 真の自己を拒否することは、自己防衛のために命令されたものであることが、分析の 最終段階になって特に明瞭になる。既に示したように、真の自己が以前より強くなると、 心の内部の闘いが激しくなることが実際に観察できる。自分の心や他人の心のなかにこうした 闘いの激しさを経験した人なら誰でも、真の自己がより早い時期に行動の場から退却するのは、 生き残りたい欲求、葛藤によってずたずたに引き裂かれたくないという願いによって命令された ものであることが理解できるだろう。 ///// 原著 1950年発行 ///
591 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/05(火) 20:46:22.19 ID:qpmmCqCk
/// 緊張緩和の一般的手段 8 /////////// この自己防衛過程は、主として患者が問題を曖昧にしようとする気持をもっていることに、 はっきりと現われている。彼は表面的にはどれほど統一されているように見えても、心の底 では混乱している。彼は問題を不明瞭にすることにかけては、実に驚くべき能力をもっている だけでなく、そういう態度を容易に捨てようとはしない。この曖昧にしようとする関心は、 不正直な人、例えば、自分の正体を隠さればならないスパイや、自分の態度を正直なように 見せねばならない偽善者や、偽りのアリバイをつくらねばならない犯人などでは、意識的な レベルで働くのであるが、神経症者の場合にも、それは同じような働きをしなければならない ものであり、実際にそのように働いている。 ///// Neurosis and Human Growth ///
592 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/05(火) 20:57:16.89 ID:qpmmCqCk
/// 緊張緩和の一般的手段 9 /////////// しかし、神経症者は自分でもそれと気づかずに二重生活を送っており、自分が何であり、 何を欲し、感じ、信じているかについての真実を、無意識のうちに曖昧にしなければならない。 彼のもつ自己欺瞞は、すべてこの基本的な自己欺瞞から発している。その力学をはっきり させると、次のようになる。彼は、自由、独立、愛、善良さ、強さなどの意味について単に 知的に混乱しているだけではない。自分自身に取り組めるようになるまでは、彼はこの混乱を どうしても維持しようと強い主観的な関心をもっているのである。しかも、彼はこの混乱を、 自分がすべてに透徹した知性をもっているという偽りの誇りをもっているために、覆い隠して しまうであろう。 ///// Karen Horney ///
593 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/05(火) 21:16:52.94 ID:qpmmCqCk
/// 緊張緩和の一般的手段 10 /////////// 次に重要な緊張緩和の方法は、内的経験の外在化である。繰り返して述べると、これは、 内的過程をそのままの形で経験しないで、それを自己と外界との間に起こったものとして認め、 感じるという意味である。これは心の体系の緊張を緩和するためのかなり過激な方法であり、 そのため、精神は貧しくなり、人間関係における障害が増加するという犠牲が常に支払われる。 私はまず最初に、外在化とは、自分の理想像に合わない欠点や病気の責任をすべて他人に 負わせることによって、理想像を維持する方法であると述べた。次に、それは、自己を破壊する いろいろな力の存在を否定したり、自己破壊力間の内的な闘いを和らげたりする試みである ことを見た。そして、「私は自分自身に対してではなく、他人に対して行なっている。その やり方は正しいのだ」とする能動的な外在化と、「私が他人に敵意をもっているのではなくて、 他人の方が私にいろいろやっているのだ」とする受動的な外在化とを区別した。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
594 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/05(火) 22:28:15.41 ID:qpmmCqCk
/// 緊張緩和の一般的手段 11 /////////// 最後に今、外在化の理解をもう一歩進める。私がこれまでに述べた内的過程のうち、外在化 されないものはほとんどない。例外は、神経症者は自分に同情を感じることが全然できない 時でも、他人には同情を感じることがある。自分自身の心の救済を願う心は強く否定されるが、 それは他人の成長の行き詰まりを目敏く見つけ、時には彼らを助ける驚くべき能力となって 現われる。内的命令の強制に対する反発は、契約や法律や支配力に対する無視となって現われる。 自分自身の傲慢な誇りには気づかないが、他人のなかにそれを見出すと、それを嫌悪する―― あるいは、それに魅了される――こともある。自分の誇りの体系の専制の前では畏縮して しまいながら、他人のなかにそれを見つけると軽蔑する。自分が自己嫌悪のむごい残忍さを ごまかして生きているとは気づかずに、人生一般に対して楽観的な態度を発達させ、人生には、 どんな苛酷さ、残忍さ、あるいは死さえもないかのように考えている。 ///// アカデミア出版会 ///
595 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/06(水) 23:05:22.87 ID:z+lQu7eW
/// 緊張緩和の一般的手段 12 /////////// 緊張緩和のもう一つの一般的方法は、神経症者が、あたかもわれわれ人間とは無関係な部分の 集合体であるかのように、ばらばらの仕方で自分を経験する傾向である。それは精神医学の 文献では隔壁づくりまたは精神の断片化として知られているものであり、これは、自分自身が 有機的全体、つまり各部分は全体に関係し、また、あらゆる他の部分と相互に作用するもの であるという感じをもたないことを単に言い換えたにすぎないように思われる。確かに、疎外され、 分裂した人だけがこのような全体感を欠くことができる。しかし、私がここで強調したいのは、 神経症者がこのようにばらばらであることに積極的な関心を示す点である。彼はある関係が 示されると、それを理性的には把握することができる。しかし、その関係は彼にとっては一つの 驚きであり、心の奥深くまでは浸透せず、すぐに消えてしまうものである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
596 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/06(水) 23:20:17.53 ID:z+lQu7eW
/// 緊張緩和の一般的手段 13 /////////// 例えば、彼は無意識的に、因果関係を見ないようにする。すなわち、ある心理的な要因は 他の心理的な要因から結果し、また、他の要因を強化する、ある態度をどうしても維持しなければ ならないのは、その態度が、ある大切な幻想を守ってくれるからである。ある強迫的傾向は 自分の人間関係や生活一般に影響を与えている、といった関係を見たがらない。彼は最も単純な 因果関係すらも見ないだろう。自分の不満は自分のもつ要求と関係があるとか、どんな神経症的 理由からにせよ、他人をあまりに必要とするため、他人に依存するようになるのだ、とかいった 関連性は彼には不思議なことに思える。自分の朝寝坊は夜更かしと関係があるということも、 彼には驚くべき発見であろう。 ///////// 対馬忠監修 ///
597 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/06(水) 23:47:45.25 ID:z+lQu7eW
/// 緊張緩和の一般的手段 14 /////////// 彼はまた自分のなかに矛盾する価値が同時に存在していることに気づかぬようにすることにも、 同じように強い関心を示す。彼は自分のなかに、互いに矛盾した、いずれも意識的な二つの 価値観を容認し、それをはぐくみさえしていることを、まったく文字通り全然見ようとしない だろう。例えば、彼は自分が、一方では、聖なるものに価値を置きながら、他方では、自分の ために他人を利用することに価値を置いていることは矛盾しているという事実や、自分の正直さと、 「どうにかうまくやり過ごしたい」という自分の強い願いとは、相容れないという事実について、 心を悩ましたりはしないだろう。彼は自分自身を吟味しようとする時でも、まるではめ絵遊びの ばらばらな部分を見ているように、臆病さ、他人への軽蔑、野心、マゾヒズム的な幻想、好かれたい 欲求などを静的な姿でとらえるだけである。個々の断片は正確にとらえても、それらの相互の 関係や過程や動態については何の考慮も払わず、文脈から切り離して見るので、何事も変える ことはできない。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
598 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 00:04:32.88 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 15 /////////// 精神の断片化は、本質的には、崩壊する過程であるが、その働きは、現状を維持して、 神経症的均衡が崩壊しないようにすることにある。神経症者は、心の矛盾に悩むことを 拒否することによって、そこにある葛藤に直面せずに済み、そのため、心の緊張を低く 保っておくことができる。彼は葛藤に対してわずかの興味さえももたないから、葛藤は 彼の意識に上らない遠いところにとどまったままである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
599 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 20:37:51.86 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 16 /////////// これと同じ効果は、もちろん原因と結果を切り離す仕方によっても得られる。原因と結果を つなぐ橋を断ち切ることによって、彼は心内のいくつかの力のもつ強さや関連性に気づかずに 済む。ある重要な、よくある引用例では、この人は一連の復讐的衝動を時々強く経験して いたが、その復讐的衝動の動因力になっているのは、自分の誇りが傷つけられたことと、その 傷ついた誇りを回復したいという欲求とであることを、理性の上でさえ理解することがむずかし かった。そしてこの関係がはっきり分っても、それはやはり何の意味ももたないままである。 ///// 自己実現の闘い ///
600 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 20:45:38.39 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 17 /////////// また、彼は自分が厳しい自己叱責を行なっていることをかなりはっきりと感じており、このような 破壊的な自己軽蔑が表現されるのは、自分が自らの誇りの幻想的な命令にそえないためである ことを、多くの詳しい例を見て知っていただろう。しかしここでもまた、彼の心は無意識の うちにこの因果関係を分離する。その結果、自分の誇りの強さも、誇りと自己軽蔑の関係も、 せいぜいのところ、漠然とした理論的考察にとどまり――そのため、彼は自分の誇りに取り組む 必要がなくなる。誇りは依然として勢力を保ち、何の葛藤も現われないので、緊張は高まらず、 彼は見せかけの統一感を保つことができる。 ///// 原著 1950年発行 ///
601 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 21:06:45.00 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 18 /////////// 以上、心の見せかけの平静さを保つための試みとして三つのものを述べたが、それらに 共通するものとして、神経症的構造を破壊する可能性のある要素を、取り除こうとする性質 がある。すなわち、真の自己の除去、あらゆる種類の内的経験の除去、(もし気づけば) 均衡を破壊するような関係の除去である。今一つの手段である自動的統制にも部分的には これと同じ傾向がある。その主な機能は感情を制限することである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
602 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 22:04:23.08 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 19 /////////// 今にもばらばらになりそうな構造においては、感情はわれわれの内部の、言わば抑制の きかない基本的な力であるから、危険の根源である。私がここで語っているのは、衝動的 行動や怒りや興奮の爆発を、もし抑えようと思えば、抑えることができる意識的な自己統制の ことではない。自動的統制体系は、単に衝動による行動や感情の表現を抑制するだけでなく、 衝動や感情そのものを抑える。それはちょうど盗難や火災の自動警報器のように働き、 望ましくない感情が起こった時に(恐怖の)警報を鳴らすのである。 ///// Karen Horney ///
603 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/07(木) 22:26:42.27 ID:ufrqFF5+
/// 緊張緩和の一般的手段 20 /////////// しかし、この試みはこれまでの他の試みとは対照的に、その名の示すように、やはり 統制体系である。もし自己疎外や精神の断片化のために、有機的な統一感情が欠けている とすれば、われわれ自身の矛盾した諸部分を統合するために何らかの人為的な統制体系が 必要なのである。 このような自動的統制は、恐れ、心の傷、怒り、喜び、愛情、興奮など、あらゆる衝動や 感情にまで及ぶことができる。広範な統制体系に対応する身体的な表現は、筋肉硬直であって、 便秘、歩き方、姿勢、表情の硬さ、呼吸困難などに現われる。統制そのものに対してどのような 意識的な態度をとるかは人によって様々である。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
604 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/08(金) 23:25:30.40 ID:4AzMOn71
/// 緊張緩和の一般的手段 21 /////////// ある人々はかなり生気があって、統制が加えられると苛立だしく思い、少なくとも時々は、 はめをはずし、心から笑い、恋愛し、何かに熱中してわれを忘れることができればどんなに よいだろうと心から思う。また、他の人々は、いろいろな仕方で示される、多少ともあからさまな 自尊心によって、統制をいっそう強めている。それは威厳、平静、禁欲主義、仮面をかぶっている、 ポーカーフェイスである、「現実的だ」、「感傷的でない」、「感情を外に表わさない」という ように呼ばれるだろう。 他の型の神経症では、統制がもっと選択的な仕方で働く。この場合、ある感情は統制されずに、 奨励されることさえある。そこで、例えば、自己縮小的傾向の強い人では、愛やみじめさの感情が 誇張される傾向があり、統制は、主として、疑惑、怒り、軽蔑、報復といった敵意の感情の 全領域に加えられる。 ///// アカデミア出版会 ///
605 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/08(金) 23:36:00.77 ID:4AzMOn71
/// 緊張緩和の一般的手段 22 /////////// もちろん、感情は、他の多くの要因、例えば、自己疎外や、感情を禁じる誇りや、自己欲求阻止 などのために、平板になったり、抑制されたりするだろう。しかし、感情を監視する統制体系は、 これらの要因よりさらに強く働いており、このことは、多くの場合に、統制が弱まりそうだと 予想するだけで恐怖の反応が起こることを見てもよく分る。例えば、眠りに落ちる時、麻酔を かけられる時、酒に酔う時、寝椅子に横になって自由連想をする時、スキーで丘を自由に滑り 降りる時などに恐怖を感じる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
606 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/08(金) 23:47:36.64 ID:4AzMOn71
/// 緊張緩和の一般的手段 23 /////////// 感情――同情、恐怖、暴力のいずれであっても――が統制体系に浸透してくると、恐慌状態が 引き起こされるだろう。これらの感情は、神経症的構造に特有なあるものを危うくするもの であるから、人はこれらの感情を恐れ、拒否しようとして、このような恐慌状態を引き起こす のであろう。しかし、単に自分の統制体系がうまく働いていないと気づくだけで、恐慌状態に なることもある。このことが分析されれば、恐慌状態はおさまり、その時初めて、それぞれの 感情や、それらの感情に対する患者の態度について研究が可能になる。 ///////// 対馬忠監修 ///
607 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/08(金) 23:57:32.06 ID:4AzMOn71
/// 緊張緩和の一般的手段 24 /////////// ここで最後に挙げる緊張緩和の一般的手段は、精神の至上性を神経症者が信じていること である。感情は――気まぐれであるから――統制されねばならぬ危険なものであるが、それに 引き換え、精神――空想や理性――は小瓶から現われ出た魔王のように拡大される。こうして 実際に、もう一つの二元論が創造される。この二元論はもはや精神と感情ではなく、精神対 感情である。精神と自己ではなく、精神対自己である。しかし、この断片化作用も、他の 断片化作用と同じように、緊張を緩和し、葛藤を隠し、見せかけの統一を確立するのに役立つ。 それは三つの方法で行なわれる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
608 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/09(土) 07:46:38.80 ID:UFjGa+qz
/// 緊張緩和の一般的手段 25 /////////// 第一に、精神は自己の傍観者になることができる。鈴木大拙が言うように、「知性は結局は 傍観者であって、知性が何かの働きをする時、それは良かれ悪しかれ、雇われた者として 働くのである」。神経症者の場合には、精神は決して自分のことを心配してくれる親切な 傍観者ではない。精神は多少とも彼自身に興味をもち、多少ともサディズム的であるが、 まるで偶然落ち合った見知らぬ人を眺めているように、常に彼とは隔絶した存在である。 時には、この種の自己観察がまったく機械的、表面的なこともある。その場合、患者は出来事や 活動や症状の増減については多少とも正確に報告するが、こうした出来事が自分にどういう 意味をもつか、また、それに対して自分がどういう個人的反応をするかには触れない。 ///// 神経症と人間的成長 ///
609 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/09(土) 08:02:19.56 ID:UFjGa+qz
/// 緊張緩和の一般的手段 26 /////////// 彼はまた、自分の精神過程に強い興味をもっており、あるいは、分析期間中に、興味を もつようになることがある。しかし、彼のそうした興味は、むしろ昆虫学者が昆虫の働きに 魅せられる時のように、自分の観察の機敏さや自分の精神過程の働きの仕組みを眺める 喜びなのである。分析家は、患者のこの熱心さを見て、自己に対して真に興味をもって いるものと誤解して、同じように喜んでしまうことがある。しかし、しばらく経った後で 初めて、分析家は、患者が、自分の発見が自分の人生に対してどんな意味をもつかに全然 関心をもっていないことに気づく。 ///// 自己実現の闘い ///
610 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/09(土) 08:20:55.10 ID:UFjGa+qz
/// 緊張緩和の一般的手段 27 /////////// 自己から切り離されたこのような関心は、また、公然とあら探しをしたり、陽気で、 サディズム的なものになることもある。こうした場合には、この関心は能動的と受動的との 両方の仕方で外在化されることが多い。彼は言わば、自分自身に背を向けながら、他人や 他人の問題を――やはり同じく切り離された、無関係な仕方で――観察するのにきわめて 機敏である。あるいはまた、自分が他人から嫌悪と喜びの入り混じった目で観察されている ように感じる場合もある。この感情は、偏執狂的な状態にある人に特に目立って見られるが、 決してそういう人だけに限られるわけではない。 ///// 原著 1950年発行 ///
611 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/09(土) 16:55:02.40 ID:UFjGa+qz
/// 緊張緩和の一般的手段 28 /////////// 自分自身の傍観者であるということがどのような性質のものであろうと、彼はもはや 内的葛藤には参加せず、自分の内的な問題から自分自身を切り離してしまっている。「彼」 とは、観察している彼の精神であり、そのようなものとして統一感をもっているものなのだ。 つまり、その時彼のなかで生き生きと感じる唯一の部分は彼の脳なのである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
612 :
◆4otEyhoCdw :2013/11/09(土) 17:13:54.80 ID:UFjGa+qz
/// 緊張緩和の一般的手段 29 /////////// 第二に、精神はまた調整者としても働く。この機能についてはわれわれは既によく知って いる。われわれは、空想が、理想像を創造すること自体にも、また、こちらを消し、あちらに スポットライトを当て、欲求を徳に変え、可能性を現実性に変えるという誇りの絶えざる 働きにも作用していることを見てきた。同じように、理性も、合理化過程においで誇りの ために役立つことができる。この時、どんなものも、道理にかなった、もっともらしい、 合理的なものに見えたり、感じられたりする。――神経症者が無意識のうちに行動の前提 としているものから見れば、確かにそうである。 ///// Karen Horney ///
613 :
◆4otEyhoCdw :
2013/11/09(土) 18:00:30.63 ID:UFjGa+qz /// 緊張緩和の一般的手段 30 /////////// 精神のこの調整機能はまた、何らかの自己疑惑を取り除くことにも作用し、構造全体が 不安定になるにつれて、いっそうこの働きが必典となってくる。そこにあるのは、患者の 言葉を引用して言えば、「狂信的な論理」、つまり、ふつう絶対に誤りがないという揺るぎない 信念にともなう論理である。「私の論理の方がまさっている。なぜなら、私の論理こそ唯一の 論理なのであるから。同意しない人は愚か者だ。」このような態度は、対人関係においては、 傲慢な独善に見える。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///