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三蔵法師玄奘:
観音菩薩が、深遠な知恵を完成するための実践をされている
時、人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的
なものではないと見極めて、すべての苦しみを取り除かれたの
である。そして舎利子に向かい、次のように述べた。
舎利子よ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体
がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。
したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体
がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。残りの、心
の四つの働きの場合も、まったく同じことなのである。
舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がな
い、という性質があるから、もともと、生じたということもなく、滅し
たということもなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、
増えることもなく、減ることもないのである。したがって、実体がな
いということの中には、形あるものはなく、感覚も念想も意志も知
識もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、形
・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する
対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
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三蔵法師玄奘:2012/09/09(日) 20:03:26.88 ID:???
分野もないのである。さらに、悟りに対する無知もないし、無知が
なくなることもない、ということからはじまって、ついには老と死もな
く老と死がなくなることもないことになる。苦しみも、その原因も、そ
れをなくすことも、そしてその方法もない。知ることもなければ、得
ることもない。かくて、得ることもないのだから、悟りを求めている
者は、知恵の完成に住する。かくて心には何のさまたげもなく、さ
またげがないから恐れがなく、あらゆる誤った考え方から遠く離れ
ているので、永遠にしずかな境地に安住しているのである。
過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は知恵を完
成することによっているので、この上なき悟りを得るのである。した
がって次のように知るがよい。知恵の完成こそが偉大な真言であ
り、悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するも
のがない真言なのである。これこそが、あらゆる苦しみを除き、真
実そのものであって虚妄ではないのである、と。
そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のよう
な真言である。
往き往きて、彼岸に往き、
完全に彼岸に到達した者こそ、
悟りそのものである。
めでたし。
知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。
三蔵法師玄奘訳 般若心経より