●日本人だけど、日本のここが問題だね 二の舞●

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99名無しさんの主張
 十九世紀が終ろうとするとき、日本の官僚と政治家の間では争いが頻発した。日本の議会
は予算を拒否する権利を与えられた。政党がその権利を行使すると、省庁は前年度の予算
でなんとかやりくりしなければならなくなり、官僚は政治家と交渉する羽目に陥った。
 山県有朋は国の将来に弊害をおよぼしかねないもの、政治家を弾圧するための措置を講
じた。日本の内閣から政党の政治家に対して、次官や局長、県知事の任命権を剥奪し、政党
による政策決定の影響を一切受けないように、官僚機構を隔離したのだった。
 そして自分が定めたそうした規則が将来、修正されることのないよう、彼はそこに天皇を持ち
出した。彼は枢密院を自分が講じた仕組みの監視役としたうえで、内閣は枢密院の決定を遵
守するべきものと定めた。そして枢密院にはかられるべきいくつもの「勅令」を天皇に出させた。
そうしたなかには官吏登用試験、任命、規律、解任、序列に関するあらゆるものがすべて含ま
れていた。天皇の個人的な通達を覆すことは不可能であった。
 しかも将来、政治家がその仕組みを変えるかもしれないと危ぶんだ山県は、天皇の勅令を保
護する最良の方法として、彼はそれを秘密に伏すことにしたのである。
 山県が講じた措置によって、官僚はその後も日本の政治システムを支配するもっとも重要な
勢力でいることができた。
 第二次世界大戦後の日本では、法律上は、日本国民を代表する選挙された者が、国家を統
治する権力を与えられることになっている。そして憲法によれば主権は国民にあるとされている。
しかし、日本の場合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のなかで実際に利用される
やり方が、法律によって決められているわけではないのである。それを決定するのは慣習であ
る。さらには現状維持をはかる勢力である。
 ちなみに個人やグループにみずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序を
維持する為に用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかねない人間を、辱め、世間の見せしめ
にすることで、超法規的な秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる人々に
警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本の検察である。