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名無しさんの主張:
「諜報部隊」広宣部とは
「広宣部」は1988(昭和63)年頃、男子部の秘密組織として誕生したという。
当初、東京都の北区・板橋区を統括する創価学会東京第九総合本部の男子部創価班から、
選りすぐられたメンバーで編成された。創価班とは、最寄り駅から創価学会施設への誘導や
会館内の会場への誘導などを行う男子部員で構成されている組織で、任務に就く際は、青い
ブレザーと青いネクタイの着用が義務付けられている。創価班とよく比較されるのが、
創価学会会館の警備を担当する「牙城会」で、こちらは赤いブレザーに獅子柄の赤い
ネクタイが規則となっているらしい。
「広宣部」結成の目的は、顕正会の実態把握だったという。顕正会は、もとは妙信講という
日蓮正宗の信徒団体だったが、教義的な間違いを正さないとして、
1974(昭和49)年に、日蓮正宗より破門され、顕正会と称して活動を続けた。当時、
顕正会の本部が板橋区常盤台にあり、東京第九総合本部所属の男子部幹部が、その活動報告を
正木正明(現創価学会理事長)や谷川佳樹(現創価学会副会長)にしたところ、
大喜びされて、組織が編成されたらしい。これがきっかけで、「広宣部」は全国に広がり、
組織化されていった。
陳述書によれば、当時、広宣部は顕正会の実態を暴くために、次のような諜報活動を
行っていたという。
・構成員宅の郵便物などの抜き取り
・構成員の盗撮
・交友関係の調査
・構成員への尾行
・怪文書による攻撃
・構成員の出したゴミなどを持ち帰り、そのなかから情報を収集
1991(平成3)年以降、広宣部のターゲットは移行する。この年、創価学会も
日蓮正宗から破門され、日蓮正宗の講である妙観講によって多数の学会員の切り崩しが
行われるようになったためで、主として妙観講の実態把握が活動の中心となった。
ちなみに、元学会員は、かつて入手した広宣部所属の学会員が撮った顕正会の構成員の
ビデオを法廷に提出している。
( 黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録 元公明党委員長 矢野絢也 講談社 )