CTO キャリアライフ インタビュー
第13回(4)KLab CTO仙石氏「技術を本当に「好き」ということ」
2008.01.15
技術が好きでたまらないとおっしゃる、KLab株式会社 CTO 仙石氏。最終回の(4)では、技術を「好き」であるということはどういうことか、「好き」が技術者の成長に及ぼす効果についてお話を伺います。
「好き」は才能 、いくらでも努力できてしまう
■仙石さんにとって「技術が好き」って言うことはどういうことですか。
最近考えているのは、「好きということは才能」と言ってもいいのではないかということです。同じ人間なのですから、頭の構造が極端に違うことはないと思います。では、なぜ能力差がでてくるのか。
能力差とは、結局、好きでやっているか、それともそうではないかということによって出来ていくものではないかと思います。極論ですが、好きでやっている人は努力を努力と思わないですから、いくらでも努力できてしまいます。
■例えばどういうことでしょう。
私はネットワークに関しては、そこそこの知識を持っていると思っています。それは前職で、たまたま SPAC Station が手に入って、遊び尽くしてネットワーク技術を身につけたからです。でも、それは仕事ではなかったのでやっても評価されないんですね。
むしろ残業するな、早く帰れといわれるくらいで。何もモチベーションが与えられない状態で、何も評価されないけど、好きだからやってしまうという状態です。
嫌々やっていたわけではなくて、夢中になっている間に長い時間をかけていつの間にか身に付けるだけの努力をしてしまっていたということです。
■野球選手のトレーニングのようなものでしょうか。
野球選手も誰が頼んだわけでもなく、夜遅くまでトレーニングしたりしますよね。
他の人からみたら、努力は美徳だなんていわれたとしても、どんなに常人には考えられないハードな練習だったとしても、本人としては意外と努力している意識はないのではないかなと思います。
■楽しんでいるということでしょうか。
楽しんでいるというよりは、夢中なんじゃないかな。はっと気づいたら、「もうこんな時間か」、「私は何をしていたんだろう」という状態です。実際にプロ野球選手にインタビューしたことがないので実際はわかりませんけどね。
■「努力しろ」ではなく「夢中になれ」ですか。
そうです。夢中になることを見つけて欲しいです。分野を問わなければ、誰でも、何かそういうものを持っているのではないかなと思います。だから好きなことを見つけて欲しい。
■好きな事を見つけるのは簡単なことではないですよね。
ひとつ注意しておかなければいけないことは、好きになることは大事だけど、好きにさせられることは時間の無駄でしかないということです。
■「好きにさせられる」、ですか。
いわゆる、エンターテイメントです。エンターテイメントというのは、すごく頭のいい人が、みんなが好きになるように、一生懸命考えて提供しているものです。
面白い映画や小説、漫画、ゲームなど。誰かの意図通りに、提供されたものを好きになっているわけですよね。それは時間の浪費じゃないかと思います。
■他の人の意図通りに好きになったり、夢中になったりするのは意味がないということですか。
その「好き」は、その人の才能とは言えませんね。極端に言えば、操られているだけです。催眠術みたいな感じで「好きにさせられる」状態です。
■夢中になるほど好きでないとだめですか。
夢中になっているかどうかは当てになりません。誰かの意図で好きにさせられていたとしても、夢中にはなりますよ。
■それは、その事象が「好き」だとは言えないということでしょうか。
好きは好きです。でもその人の才能としての「好き」ではない。才能がなくても、ゲームは好きになりますし、ゲームに没頭して徹夜してしまった、というのもよく聞く話です。
■何をもって、才能としての好きなのか、誰かの意図で好きにさせられているかを区別したらよいでしょうか。
頭を使って作り出している人がいるかどうか、ですね。ゲームは明らかにそうですよね。みんなを夢中にさせようと、一生懸命考えて頑張っている人がいて、その人の思惑どおりに夢中になってしまっています。
いわば「操られた夢中」です。それはゲームやっている人の才能ではないです。
■誰かの意図によってではなく、純粋に自分が好きだと感じるものが才能としての「好き」ですか。
はい。それこそ才能じゃないかなと思う。世の中には天才は先天的という考えがありますが、決してそんなことはないと思います。どんな天才だって、ものすごい努力をしているように傍目からは見えますよ。それこそ寝る間を惜しんで研究したりしているわけです。
偉大な業績を打ち立てるような人は、先天的に完全な理論や考え方が頭の中にあったわけではなく、そういう状態まで自分を引き上げていくために必要な「好き」ということを最初に持っていたってことです。それが「才能」の正体じゃないでしょうか。
■自分を成長させる鍵が、「好き」であるということですね。
たとえば、小説家の場合、頼みもしないのに小説を書き続けて、初めは下手かもしれないし、周囲にも「小説なんか書いても役に立たない」と言われるかもしれないけど、好きで書き続けることでだんだん上達していく。
そんなイメージですね。それが、上達するかしないかの大きな違いじゃないかと思います。
本当に技術が「好き」なエンジニアは全体の2割しかいない?
■エンジニアとして成長するにはどうしたらよいでしょう。
残酷なようですけど、「好きじゃないなら目指すな」ということですよ。コンピュータエンジニアとして成長したいと本当に考えている人が、家ではコンピュータとは縁のない違うことをしているなんて、私からしたら考えられないです。
家に帰った時くらいコンピュータのことは忘れていたい、なんて思う人はコンピュータエンジニアとして成長しようと思ってはいけません。
■寝食を忘れるくらい夢中になる人であれば、当然いつの間にかスキルアップするはずということですね。
どんどん成長していきたいと思うのなら、努力を努力と思わないくらい好きじゃないといけませんね。好きで(特に意識することなく)努力する人と、嫌々努力する人、どっちのほうが伸びるかは自明でしょう。
もちろん、生活のために働くというのもひとつの生き方だとは思います。言われたことをやるという、単に労働力を提供するだけの人生を選びたいのであれば、それは止めません。でも、そういう割り切った人生を歩む場合は、自分と「好きでやってる人」を比べてはいけません。
そもそも勝負になるわけがないのですから。
■それはその通りですね。
そういう意味では、現代はプログラマを目指すには適していない時代だと思います。
■なぜですか。
好きだってことを自覚するのが難しいからですよ。私がプログラマを目指そうと思った時代は、プログラムがお金になるなんて誰も考えていない時代でした。
役に立つかとか、お金になるかとかそういうことを一切考えずに、好きという気持ちだけで、コンピュータを続けてきました。
それに、コンピュータを続けるには、お金も必要でした。自分がお金出してもやりたいかどうか、自分の「好き」を試される状況が何度もあったわけです。
■今はもっとお手軽ですね。
今なら、好きじゃなくてもコンピュータは十分便利ですし、プログラムが書ければお金になります。今コンピュータの技術者をやっている人のうち、本当に「好き」な人はどれくらいいるでしょうね。八割方の人は、本当は「好き」じゃないと思いますね。
■八割もですか。
本当にコンピュータがなんの役に立たなくても、お金にならなくても、やるって言い切れる人ですよ。さらに、ただプラスにならないだけではなくて、周りから「やめとけ」、「無駄だ」とか言われたり、さらには怒られたりしたとしても好きだと言える人ですよ。
■それは少ないかもしれませんね。
本当の意味で「好き」じゃないから、技術者としては邪道なことで満足しようとするのではないでしょうか。「お客様の喜ぶ顔がみたい」とか。
■それが、技術者として本当にやりたいことなのかということですね。
本当にお客様の喜ぶ顔が見たいのであれば、プログラミングより適した仕事があると思いますよ。
「好き」を見つけたければ、「好き」にさせられるな
■技術者にとっての「好き」「夢中」とは何でしょう。
「とまらない」「とめられない」ほど、やりたいということじゃないでしょうか。技術者に限らず、何かを極めた人や第一人者はそうじゃないでしょうか。
■確かにこのインタビューでお話伺うような方にも「嫌でした」という話はお聞きしませんね。
同じく、血がにじむような努力をしましたっていうのもあまり聞かないですね。
■辛かったともおっしゃらないですね。肉体的に極限だったとはお聞きしますが。
2日連続徹夜しましたとかね。それも納期が迫っているからとかじゃなくて、気がついたら2日目の朝を迎えていたとか。それは「夢中」ですね。私は、今でも、何かやり始めたらとまらないですよ。さすがに今は終電を意識しますけれど、とにかく、とまりません。
■仙石さんにとっての「好き」はコンピュータだったんですね。
プログラムが考えたとおりに動いて何が嬉しいのか、分かるように説明してくれと、問われたら返答に窮してしまいます。客観的に考えれば、嬉しいことなんて何もありません。でも夢中になってしまうわけです。「好き」に理由はありません。
単にやりたいからやる、作りたいから作る、という気持ちがとまりません。
■読者の方へメッセージをお願いします。
できたら自分の「好き」なことを見つけて欲しいと思います。好きなら伸びます。伸びればお金にもなるはずです。自分が夢中になっているのは、本当に自分が「好き」なことか。それが何の役に立たなくても、お金にならなくてもそれでも好きか。
さらには、みんなに止められても好きでいられるか、を考えて欲しいです。
■どうしたら「好き」を見つけられますか。
努力じゃないですね。いろいろ試してみるとも違います。夢中になれるものは努力して探すものではないと思いますが、誰かの意図で何か別なもの (例えばゲームとか) を好きにさせられていて夢中になっていると、
自分が本当に「好き」なことで夢中になるチャンスを逃すでしょうね。だから、「好きにさせられるな」「操られるな」ということがすごく重要だと思います。
■「好き」を見つけるのは、以前より困難になってきていますか。
そうですね。半世紀前は、本当に生活に必要なもの (だけ) を購入しようという社会です。生活必需品を湯水のように提供して、それを必要とする人に行き渡らせることがビジネスの中心でした。だから消費者を何かに夢中にさせる必要はなかったんです。
生活必需品は夢中にならなくても必要ですし、それが好きでなくても必需品なら購入しますよね?現代は世の中が豊かになって、ほとんどの人が生活必需品はもう既に持ってしまっているので、いかに無駄なお金を使わせるかということがビジネスの中心になってきています。
お金を無駄に使うだけならまだいいんですが、「好きにさせられる」と時間まで無駄に使ってしまいます。 お金は無駄遣いしても稼げば取り戻せますが、若い時の時間は二度と戻りません。「操られた夢中」は、「好き」を見つける上で最大の障害となるでしょう。
■技術者として成長するにあたっても同じことが言えますね。
技術者に大事なのは、技術的才能より「好き」かどうかでしょう。技術者としての成長を語る前に、まずは自分が何を「好き」かということを把握することのほうが大事です。
とはいっても、「好き」を探しに自己探求の旅に出たりするのは、あまり意味がないと思います。見つけようとして見つかるものではないでしょうから。
じゃ、どうすればいいかというと、まずは、自分が「好きにさせられている」ものに気づくことが重要でしょう。そういった「操られた夢中」に時間を浪費しない生活習慣を作ることによって、真に好きなものに巡り合うチャンスを逃さないようにする、ということです。
「チャンスは備えあるものだけが掴みとれる」って言いますよね。
■今日は「好き」について考え直しました。お話ありがとうございました。
http://blog.pasonatech.co.jp/special_contents/cto_interview/cto-87/5974.html