"協調性が無い"と言われる事を極端に恐れる日本人3
日本式の協調性をやめたら、大量生産大量販売大量廃棄の
経済構造も少しはマシになるんじゃないだろうか。
「三種の神器」「3C」時代からの悪しき伝統は終わりに
すべきだろう。
314 :
名無しさんの主張:2014/11/13(木) 10:14:29.22 ID:DkrvjQgY
日本式協調性って、偽装的な社会慣習のことだ。
協調というより、自己保身による同調、我欲を見せない小細工。
協調性があれば問題が顕在化した現代社会で、問題提起に対する集団的
な意思と政治や教育やしつけとか格差による悪辣な情緒で蝕まれる環境を
なんとかしようと言葉と理性による変化の機運があるはずだ。何もない。
貪欲な魚がお膳立てされた餌を求めて群れ、物質的繁栄から、性の放蕩、
見栄えや綺麗さや差異化・自己顕示欲という悪性に流れる無秩序な精神
のままの人間社会になって終わった国が現代の日本ということになる。
>>311 ほら、さっさと死ねよ、人類の底辺の腐れグックが。スレを汚すな、死ね
316 :
名無しさんの主張:2014/11/13(木) 18:45:52.42 ID:Qs9B/Jtn
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人
★「大きな和」と「小さな和」 1
菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市) 2014年03月02日16:12
私は日本人が「協調性」「協調性」ということばを使うのを聞いていると、「小さな和」だなと
思うことがたびたびあります。
あるテレビ番組で、先輩が明らかに間違った答えをしているのに、後輩が「はい、その通りです」と
先輩の顔を立てるという場面がありました。誰から見ても、この後輩が先輩の面子のためにうそを
ついていることは明らかでした。皆笑っているのです。
このように、「上の者の顔を立てる」という物事のやり方は、全体の進化に寄与しない、破壊的な
癖だと私は思っています。日本社会の欠点の1つです。
「それは違うと思います」と後輩が言えれば、先輩はそこで学べます。全体のためには利益になります。
しかし、そこで先輩のエゴを守る選択をすることで、全体としては小さく収まってしまうのです。
これを「小さな和」と私は呼びたいと思います。
「そんなことを言ったって、違うと指摘したら怒り出す先輩もいるんだよな」と反論したい人も
いるでしょう。先輩が怒り出すことの、何が怖いのでしょうか。自分の立場を失うことでしょうか。
こういうときに、真実を曲げて、相手のエゴに合わせようとするから、物事が発展しないのです。
自分が仕えているのは、果たして何なのか。先輩と自分との間の関係性だけに軸があるのか、この関係性は
より大きな目的のために仕えるものなのか。自分は何の目的のために、この関係性を保っているのか。
こういうことが問題となってきます。
先輩の間違いを指摘しない後輩ばかりいると、機嫌取りの文化が発展していきます。
先輩の間違いを後輩が指摘したら、先輩としてはそれをきちんと考慮して、適切なら受け取って判断する
というのが当たり前になれば、そういう器の人間が先輩として当然だという文化が育ちます。
それは、顔を立てるという文化よりも、もっともっと「大きな和」なのです。
★「大きな和」と「小さな和」 2
親の期待通りの道を選ばず、自分が本当にしたいことをする子供が出てきたら、「小さな和」ではなく
「大きな和」が可能になります。
親が子供の人生をコントロールすることの愚かさを学ぶ機会となるのですから。
親の期待に沿わず、子供が自分のハートを優先すれば、世の中には「大きな和」が育ちます。子供は
親の持ち物ではなく、自分自身で生き方を決めるのが当たり前という、尊重の文化が育つ方が、
全体の安寧にとっては調和的なのです。
この日本には、「小さな和」を大事に大事にして、自分を傷つけている人が大勢います。
「大きな和」は、周囲の人間がどう思うという次元とは無関係で、自分と宇宙との直接の繋がりから、
ハートに現れてくる真実です。
自己実現を果たすには、この自分の生命に脈打つ「大きな和」の波に乗ることが最も大事だと思っています。
菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市) 2014年03月02日16:12
http://blog.livedoor.jp/rsuganami/archives/1608416.html
★二十三世紀を目指して: 誰にでもわかる国造り 1
著者: 吉野道雄 文芸社 (2001/10)
https://books.google.co.jp/books?isbn=4835517180 第一章 今なぜ、国造りか
P27
次に日本人の社会生活は家庭を一歩出れば、敷居を跨げば七人の敵を覚悟し、
自己を押さえ主張は曖昧に和と協調と笑顔で何事も丸く治める社会生活がルールだ。
没個性化が社会生活システムの中に組み込まれ、そこで強く自己主張すれば、青二才、
協調性がない、付き合いが悪いなどのマイナス評価が待っている。そうした評価を
回避するには、家を一歩出たら家に帰るまで、それぞれの所属集団で、常に相手の
顔色を見ながら協調性を発揮するのが、上手な生き方であり生活の知恵でもある。
特に協調性は社会生活の中で法律よりも強力な力を発揮することが日常茶飯事で、
法律で許されていても協調性という曖昧な基準から許されないことは多くあり、
いわば日本の社会生活は「協調性の鎖に繋がれた社会生活」だ。自主性や個性の
尊重を口やかましく説く反面で、学校生活の隅々に張り巡らされた協調性の尺度が、
多くの若者の個性を摘み取っているなどの指摘は多い。また協調性の曖昧さは、
所属集団からその者を排除する武器になるし、組織を維持する武器にもなる。
協調性がないとのレッテルを貼られると退部、除名、村八分的扱いなどで集団から
排除される。誰それは協調性がないと言われないためには、食事も飲み屋も
スポーツも、趣味も休日のゴルフさえ協調性の鎖に繋がれる。付き合いだからの
一言で多くの個人生活が切り捨てられてきたことも承知の事実だ。それでも
この書かれざる基準を誰も不思議に思わず、個人の尊厳など臆面もなく説いて
くれるのが我らが日本の社会だ。
この間、哲学者の中島義道が
林修先生のテレビ番組で紹介されたらしい。中島義道なんて、ニートや
ひきこもりや、社会不適応な人々の
間で読まれるのかと思いきや
あのリアジュウの代表のような
林先生が中島チルドレンを自称し
番組で紹介されて以来、結構著書は多くの人に読まれているらしい。
その番組は知らないが、そういう「群れから外れた風変わりな人」を紹介しても、
珍獣かUFOでも見るように面白おかしく取り上げて結局それで終わりになりかねん。
だいたい、これほど外国の「時の流れがおだやかな」などという景色をいやほど見せ
つけても、日本を直す気が誰一人ないんだから。
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人
★日本人は集団主義でない? 1
masablog 2008年5月 5日 (月)
ちょっと前になるが、東京大学と京都光華女子大のグループが、心理学の実験の結果
「日本人は集団主義」という見方は誤りで、周りへの同調しやすさは米国人並み(に低い)、
という研究結果を発表した。近々「ジャーナル・オブ・クロスカルチュラル・サイコロジー」
という専門誌に発表されるということだ。
実験は学生に一本の線を書いた紙と、長さの違う3本の線を書いた紙を同じサークルの
学生5−9人に同時に見せ、サクラの中に1人だけ混ぜられた学生が、サクラたちの間違いに
同調するかを調べる、というやり方で行われ、同調した結果は日米ほぼ変わらず25%だった。
これをもって東大の高野教授は「日本人は和を乱すことを嫌い、近しい人の言葉には同調
しやすいという通説は誤りで、米国が異なる文化を持つ国に投影したイメージを日本人
自らが信じたと考えられる」とコメントしている。
この記事を読んで、今ひとつピンと来るものがないので、どういうことなのか考えた。
まず実験方法が適切なのかどうか。集団主義=自分の利益よりも所属する集団の利益を
優先させる、これを実証するのには適切ではないと思う。サンプリングとしてもおかしいし、
サークルがどの程度密度の濃い集団かどうかもわからないし。
そこを議論しても本質的ではないので、実験の仕方はさておき、この記事の背景には、
「米国=個人主義、日本=集団主義」という前提条件がある。
自分は日本企業、外資系企業の両方に勤務した経験があるが、どうもこの前提条件はピンと
来ない。米国人は確かに個人の利益を日本人よりも重視するが、会社全体の利益に貢献する
意識も日本人以上に強い。有事の際の団結力(一種の思考停止状態だけど)は日本人より
上ではないだろうか。
一方で日本人は集団主義というのはちょっと違うと思う。「自分ひとりくらい誤ったことを
してもいいだろう」と考える人は米国人よりもむしろ多いと思うし。
★日本人は集団主義でない? 2
この点について、北大の山岸俊男教授は面白い見解を示している。まとめるとこんな感じ。
1.日本人は自分たち日本人のことを集団主義的な傾向があると考えているが、自分だけは
例外と考えている集団である。
2.内心では「個人主義でいい」と思いながら、「周囲は集団主義的に考えているに違いない」
と思い込んで行動する結果、社会全体としては集団主義的な傾向を示す。
3.この背景には「ムラ社会」という歴史がある。つまりメンバーが相互に監視し、何か
あったときに制裁を与える仕組みが古くから存在するが、その反面監視するシステムがないと
「自分1人くらいいいだろう」と考える。
これはいわゆる伝統的な日本企業のことを考えると理解しやすいのではないだろうか。つまり
皆で遅くまで残業し、さらにはその後に飲みに行って「苦労」を共有し、そこから外れる人は
「協調性、団結心がない」として非難してきた。ただ近年は残業も減らせと言われ、会社と
個人の「公私のけじめ」が明確になるにつれ、相互監視システムがなくなり、組織システムを
欧米化したわりにはうまく機能していない、ということが起こっているのだろう。
もちろんこれは古い世代にばかり当てはまるのではない。例えば自分より若い世代でいうと、
最近就職活動の学生の服装が以前よりも画一化されていることにお気づきだろうか?以前で
あれば紺とかグレーのスーツもあったと思うが、今は皆濃紺から黒である。男子は白ワイシャツに
ストライプのネクタイに布かばん、女子は髪をとめ、白の大きな襟のブラウスを着て襟を出し、
黒い靴を履く。これだけ同じ格好をして「自分は人とは違う」ことをアピールするのだから、
何かブラックジョークみたいな感じだ。
★日本人は集団主義でない? 3
この記事の何がおかしいか。それは日本人は集団主義か、個人主義か、その問題設定自体が
おかしいのだろう。日本人は恐らく個人レベルでは自分の利益を優先する個人主義であるが、
集団の考え方には従って黙っているという点では「集団主義」でもある。つまりどちらかに
分けようとすること自体がナンセンスであり、もう少し違った切り口で分析しないと説明が
できないんだと思う。
まあそもそも米国人と日本人という、世界からみると「国際的でない」2カ国の比較自体が
「クロスカルチュラル・サイコロジー」というジャーナル名から考えるとナンセンスかも。
masablog 2008年5月 5日 (月)
http://keekorok.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8edd.html
日本=無責任のクズだとまた証明されたようだ
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 1
レビュー・アン・ローズ 2014年08月16日
評価:★★★★★ 5.0
日本の司法関係者は否定するだろうし、証拠が有るわけでもないが、この映画の
せいで裁判員制度が始まったとニラんでいる。
映画中で、裁判の実際や、そこに関わる法曹界の面々が、いかに実世間から遊離
しているかが白日のもとにさらされてしまった。この異常な世界がほぼ事実だ
というのが、ホントに怖い。
周防正行監督は、いままでも仏教界、学生相撲、社交ダンスなどマイナーな世界を
描いてヒットを飛ばしてきた。
この人のスゴイ所は、普通の人が知らない情報を拾い上げ、その情報が世間一般の
人にはエンターテーメントとして受け入れられると見極める、その眼力にあるように
思われる。
またその情報を、通常であればドキュメント的に提示しそうなものだが、しっかりと
映画の物語として落とし込んで、見る者にドラマとしての強さを伴って伝える
能力がすばらしい。
そういう力を持ったこの監督が、この映画ではマイナーなだけではなく、タブー
ともいうべき世界に手を広げてしまった。
恐ろしい事に国家権力である。
これほど取材が難しい世界はない。
なぜなら役所官公庁は、情報を一般に知らせない事で円滑に運営出来ている
面がある。例えば、この映画で語られているように、刑事事件の99%が有罪に
なるという情報を聞いただけで、誰もがおかしいと思うはずだ。
日本の役所組織にこういう例は山ほどあり、その内容を秘匿とまでは言わないまでも、
敢えて公開をせずに済むよう、どこが担当部署か分からなくしたり、書類関係を
煩雑にしたり、組織的な迷宮を構築して面倒事を極力減らそうとする体質があるのだ。
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 2
しかし、これは単にお役所お役人の世界と簡単に言ってすむことであろうか。
実は日本の社会構造全般、日本の全ての組織に共通することだと思えるのである。
つまり、日本人は多かれ少なかれ所属する組織の中で、組織を守る為にこの映画の
司法制度と似たような行動様式を持っていはしまいか。
たぶん大多数の日本人は、集団を守るために個人の意思を犠牲にする事で、
組織=社会を円滑に運営してきたのだ。
そのシステムが決して悪いばかりだとは思わないが、社会から敵対視された
個人にとっては絶望的なシステムである。
つまり社会全体が、組織=集団の和を乱さないという行動様式を個人に求めて
いるのに対して、真逆の行動を取るという意味を考えてみるべきだ。
たぶん日本社会で個を主張することがどれほど困難か、等しく日本人であれば過去に
経験をしているであろうし、想像するだに恐ろしい事態だと了解されるであろう。
少なくとも普通に日本社会で育って来た人間であれば、社会=集団に従いなさい、
全体の和を乱す行動は慎みなさい、自己主張をするより協調性を優先しなさい、
という教育を受けているはずだ。
そしてまた日本人はこの社会的要請に実に忠実に従う。
これほど善良従順な民族が地球上にいるかと、朝方4時に車も何もいない
交差点で赤信号を待っている日本人をみて、心の底からいじらしくなる。
この教育の行きつく先が、小はサービス残業という組織に対する奉仕であり、
その最大値こそ、第2次世界大戦時に日本軍で見られた、玉砕であり、
特攻隊であったのである。
よき日本人とは、為政者・支配者にとっては、扱いやすく、どんな要求にも従う、
従順なコマであった。
その個人というコマを、先の大戦で見るように、為政者は平然と使い捨てたし、
これからも使い捨てるはずだ。
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 3
なぜなら、組織に反抗するような日本人はいないし、正しい日本人であれば組織に
献身することこそ喜びだと感じるはずなのだから、日本の為政者は、国民を全体に
奉仕させることに、多文化ほど痛痒を感じないですむ。
こう考えて来たとき日本の組織に対する個は、旧日本軍軍人やこの映画の様に、
いつも悲劇的な結末を迎えざるを得ないのであろうか?
私はそうは思わない。
絶対に日本においても、個人が組織=社会と戦って勝てる道が有ると、信じる。
例えば、周防監督とこの映画が成し遂げたように、個が勇気を持って組織の不合理を
糾弾しさえすれば、組織は「裁判員制度」の如く、自ら開示せざるを得なくなる
のだと信じたい。
そして、個が社会に在るその不合理を追求しなければ、日本は容易に全体主義に
陥ることは、過去の歴史からも明らかである以上、自戒を込めて、個は社会と
対決する覚悟を持つべきなのである。
その対決の一端が、その勝利の証明こそ、この映画だと信じる。
再び期待も込めてこう言おう。「裁判員制度」を実施させたのは・・・・日本の司法
関係者は否定するだろうが、「それでもこの映画がやったのだ。」と・・・・
レビュー・アン・ローズ 2014年08月16日
http://hirahi1.seesaa.net/article/403801578.html
★日本人の集団意識について 1
豆瓣 baidengdao 2013-05-31 12:18:34
――日本人の性格をめぐる
序論
周知のように、牡丹は中国の国花であり、桜は日本の国花である。
牡丹という花は、同じ木の花でも咲く時期は一緒ではないし、形や色が微妙に違う。
同じ木の花でも巧みや美しさを競う。中国人は牡丹のように、個性が強く、独創的な
ことをするという意識が強い。
それに反して、日本人は桜そのものである。国民性といい、思考方法といい、まさに
桜である。日本人は誰でも花を聞くと頭の中に桜が浮かべている。桜はパッと咲いてパッと
散る、咲くときも一緒、散り方も美しい。一輪一輪の花はこれといった特徴はなく、
目立たないが、樹全体、林全体の花となると圧倒されるような華麗さと迫力がある。
日本人は協力のチームーワークを崇拝し、人と人の間に互いに援助し、互いに協力しあい、
互いに団結している。ひとつの桜はきれいではない。ただし、一面の桜を一緒に集めて
きれいになる。つまり、日本人は行動様式が集団主義で、規律を重んじ、集団からはみ出す
ことはしない。一人一人の個性はないが、集団では大きな力を発揮するというのである。
日本が戦後わずか二、三十年の間に、世界第二位の経済大国になった。その奇跡的な飛躍を
成し遂げるのは日本人の集団意識にあったと思う。日本人のこの集団意識は日本の社会発展と
歴史の過程に対しても巨大な影響を及ぼし、日本人のもっとも重要な民族意識の一つである。
中国と日本は一衣帯水の友好隣国であり、世界経済一体化にしたがって、中日両国は各分野に
おいても協力しあっている。両国の経済発展と友好関係を促進するため、日本人の集団意識が
わが国の社会主義建設を促進することに多少役立つかもしれないと思う。そのため、本文は
次の通りに日本人の集団意識を検討してみようと思う。
★日本人の集団意識について 2
本論
一、集団意識が成立する要因
1.1稲作文化に生まれた
集団意識の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。はるか弥生時代に始まった稲作文化は、
日本人の集団意識の成立に大きな影響を与えた。島国である日本はどこの国とも陸続きに
なっておらず、すべて海によって隔てられている。この地形によって、日本民族は古くから
定住する農耕民がその大部分を占めていて、さらに比較的狭い範囲の小さな集落に分かれて
住みついた。その村落社会では、「家が存続し、その構成員は緊密な結合関係にあり、
閉鎖的な人倫 共同体が形成された。そこでは感情的、情緒的な人間関係が形成された。
その時代には、生産性が低いし、稲刈り期が短いので、合作しなければならない。稲刈り
期には近隣同士が助けあい、共同作業を行う習慣がある。これは最初の集団意識であった。
1.2儒教思想からの影響
中国から伝えられた儒教は「仁」と「和」の思想を宣揚して、日本人の集団意識の形成に
巨大な影響を与えた。忠孝を重んずるその道徳は江戸時代以降特に広まり、「家制度」にも
つながった。たとえば、家長は絶対の権限を持ち、家族は「家」に従わなければならない。
家族の共通の目的、思考は「家」の発展するように努めることである。また、家長の判断も
「家」の発展を第一に考えなければならない。この様な集団を形成することは多数の日本人に
とって生存と生活に不可欠な古代からの方式で、時代を経るにつれて団結することが好きに
なるという社会習慣を生んだ。
では、明治維新や戦後高度経済成長を実現した要因を
丁寧に潰していこう。二度と再来させないために。
なにしろしょせん国力と国民の幸福が比例しない国だから。
★日本人の集団意識について 3
1.3危機意識に由来する
日本は、環太平洋地震帯の上にあるため、世界屈指の地震国である。1995年、兵庫県
神戸市を中心に大きな地震が起き、死者6000人以上を超え、被害を被った。また、
1923年9月1日に発生したマグニチュ−ド7.9の関東大震災もよく知られており、そのとき、
下町を中心に火災が発生し、死者、行方不明者は14万2000人を超えた。それ以外、日本は
火山、台風、豪雪、津波などの自然災害の多発国であり、「自然災害の博物館」とまで
呼ばれる。自然からの恐れだけではなく、島国の閉鎖と開国の体験として、資源の欠乏
などそれぞれの危機感を抱いて、特に競争心の強い日本人が常に危機感を感じるのは
島国根性であるといわれる。ある日本人は「日本は一つの大加工工場ですから、誰かが
首を絞めないかと心配するのです。」と言った。このような感じは日本人の共通認識を
もっている。この意識をもっている日本人は、個体の力の弱さと集団の強さを認識するし、
集まらないとできないという気持ちを持っているらしい。そのため、集団意識が思想的に
成立している。
二、日本人の集団意識は日本人の性格への影響
一人一人の人間をとってみれば、みんながそれぞれ違うと言える。よく似た人がある
だろうが、詳細に観察してみれば、一人一人どこかが違っている。顔たちが違う、性格や
趣味が違う、ものの考え方も違うというように、十人十色である。それをその人の個性
という。そのように、一方では人間としての共通の普遍的体質を持ちながら、他方では
一人一人みんな違った個性を持っているというのが、現実の人間姿である。そして、
それは単に個々人の場合だけでなく、国家とか民族といった共同体の場合でも同じこと
だと思う。やはりひとつの民族には他の民族には見られない独特の体質とか気質があり、
ひとつの民族には他の国民とは違った性格なり国民性があると思う。そして人間としての
共通性を持ちながら、その場所の気候風土、自然条件の差異によって、それぞれに特有の
個性を持った人間となったわけである。それが人種とか民族とか言われるものの始まり
だと思う。その個性はその国の特性である。
★日本人の集団意識について 4
日本人の集団意識は日本人の国民性の中に重要な意識である。それは日本社会の発展と
歴史に大きな影響を及ぼしただけではなく、日本の民族の性格形成にも影響した。
日本人の集団意識の様々な特性は自らの言動が矛盾し、複雑に入り組む日本人の
心理状態、生活様式と思惟の方式を生み出した。
2.1同一性
日本人は一般に他人とはかけ離れた行動をとることを好まない。したがって、自分の行動を
決めるにあたっては、他人がどう行動しているか、あるいは他人からどう思われるかに
気をかけたり、それに影響されたりすることが多い。日本人は仲間外れにされることを
恐れる。そのため、強く自分を主張することよりも、周囲と同調して、たとえ意見が違った
としても「丸くおさめる」ことを好む。つまり自分自身の考えを持って目立つことよりも、
人の考えに同調して「平均化」しようとする。「出る杭は打たれる」 ということわざの
言うように、日本人の強い中流意識が代表的な処世術だと端的に表されている。このような
見方、態度、行為は時の流れにしたがって、日本の国民の普遍性となっている。
たとえば、欧米人は自分の意思や意見を直接相手にぶつけて強く自己主張するに反し、
日本人は相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする
傾向が強い。さらに、日本人にはイエス、ノーをはっきり表明しない傾向がある。そのため、
日本人の同一性は、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統などに基づくものである。
日本人は第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンがたくさん
あった。また、今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果たしては
学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根が張っている。集団社会の中で同調性がもっとも
望ましい性質とされ、みんな一丸となって行動を起こすことが理想的とされてきた。
たとえば、衣服からみると、日本は一番制服が多い国かも知れない。警察、車掌、店員、
ウェーターなどが制服があるし、小学校、中学校、高校さえ統一の制服がある。これは
日本人にとって、統一の制服を着れば、集団に属する感覚が生まれて、同一性が表現
されている。
342 :
名無しさんの主張:2015/01/22(木) 15:29:58.39 ID:om8bRUJO
自己主張ってのは総合的な秩序からすれば個人的なはけ口でしかないわけども、それすらを抑え込んでしまう風潮は恐ろしいよな
★日本人の集団意識について 5
2.2序列性
日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。そして、
日本人が集まると、その集団の中での序列が重要な意味をもっている。席に着く順序が
あり、日本式の和室では、入口の反対側にある「床の間」の前が上座であり、入口付近が
下座になる。年齢の上や地位の高い人が「上座」に座る。日本人はあまり謙遜であるかも
知れない、多くの人が下座に座ろうとして、座る場所がなかなか決まらない、という
場面がしばしばある。
民主化、平等化が進む近代社会なのだから、日本の社会は疑いなく徹底した実力主義を
とっているに違いないと思われるが、実は、日本の多くの職場では個人の能力差は最小限に
考えられ、年功序列という不平等が幅をきかせている。年功序列とは同じ年次に入った
人たちが同じ階層を構成し、給料と地位ではほぼ同じ取扱いを受ける。勤続年数が長く
なるに従って、給料と地位が上昇していく慣行のことである。集団では年齢、入社年次、
勤務期間が長いか短いかなどによってタテの序列ができている。人々は自分が序列のどの
位置にいるかを常に意識して行動する。企業や官公庁などの職場はこのような序列関係が
もっとも顕著である。
また、日本語の中に尊敬語や謙遜語が存在するのもそのためであるし、結婚式の席順や
スピーチの発言順までが常に序列を意識して行われる。
日本の集団は、職場はもとより、地域の集まりや趣味の習い事のグループであっても、
その集団を構成する人々の結びつきが強く、集団の中での地位の上下関係が重視され、
それにしたがって振る舞うことを期待されるケースが多い。こうした序列社会では、
情緒的な一体感が生まれやすいのである。日本の集団主義もこれによって支えられている
と言える。このような社会現象は世界でも特異なものだとよく言われる。
でも、最近は変化しつつある。日本経済は低成長期に入っているので、多くの企業が
昇進や給与を決める場合、能力重視の傾向を一層強めている。さらに、従業員の高齢化や
定年延長などによって人件費がかさむことから、年功序列型の給与体系を見直す企業も
増加している。
★日本人の集団意識について 6
2.3組織性
日本人は自分の属している組織との一体化を図り、自分を犠牲にしてもその組織の
ために懸命に尽くす。このような組織との一体化、組織への忠誠は端的に日本人の
集団意識を表現している。
日本人は組織の中で泳ぐという言葉がある。自分がどこの所属をしているかを常に意識
する。この組織の中で自分の位置づけや役割を明確しないと落ち着かない。それで自分の
位置づけにしたがって行動する。集団主義といわれるように、集団では、異を唱えたり、
背をむけたりするものには「村八分」 という処罰がある。これは「内」と「外」という
意識が強いという表現である。個々の人々はこの「うち」を離れると、うまくいかないと
意識し、周りの人々は、誰でもこの「内」を守らなければならないと意識している。
「旅の恥はかき捨てて」 という言葉があるが、これは「外」の社会に入った時の日本人の
意識をよく表している。「外」の社会では、自分を暖かくするので、周りに対して勝手な
行動が許されると思う傾向がある。「内」の人関係では絶対にしないことが「外」の人に
対して平気で行われたりするのである。
日本の企業も集団主義といわれるように、人間関係の和を重視する。そのために、
企業ではフォーマル及びインフォーマルなさまざまな催し物が行われる。一般に人生の
大半を一つの会社で過ごすためにおのずとつきあいは会社中心となり、こうした人間関係を
円滑にすることはビジネスマンにとって重要な条件でもある。多くの会社では、定期的に
組織全体、あるいは各セクションごとの行事が行われる。それは従業員の家族も参加する
運転会であったり、社員旅行、転勤者に対する送別会、あるいは歓迎会、年末の忘年会
などさまざまである。このような行事は日本の会社の家族主義的慣習で、人間関係を緊密に
するとともに、組織は運命共同体であるという意識を持たせ、組織の活性化を図るという
効果もある。
345 :
名無しさんの主張:2015/01/23(金) 12:22:32.80 ID:k7LzgHWh
西洋的な自我を持つ者にとって、この国の国民性に馴染むのは自分の顔にクソを塗るのに等しい感覚なのである
★日本人の集団意識について 7
三、集団意識の両面性(プラス、マイナス)及び日本人のこのような性格が日本の
社会経済、生活への影響
日本人の集団意識は歴史の発展に従って変遷し、同時に歴史の発展に巨大な作用を及ぼした。
しかし、その作用には消極的な面を見過ごすことができない。日本人の集団意識は歴史の
発展の動力になる場合もあれば、抵抗力になる場合もある。つまり、「功罪相半ばする」
と言えるだろう。
3.1肯定的な影響
(1)、日本の集団意識はグループの中の成員を粘着できるし、協調できるし、このような
粘着力はまさに日本の民族の活力の源の一つだと言えるだろう。日本人は個人の利益を
犠牲し、集団の利益を守り、会社の経営者にしても従業員にしても、彼らはすべて会社を
自分の家として、会社の利益のために一生懸命働いている。
日本では、普通は人々がいつもその会社員と彼の勤めている会社と同一体に見るのである。
相手に自己紹介するとき、「私はII」といわず、「私はII会社のII」という。そんな
心に潜んだ集団意識が根強い。そのため、日本人が自分の勤めている会社に深い感情を
持って、彼らが個人の前途と幸福を会社に託して、運命のつなが彼たちと会社を結びつけて
いるようである。日本人にとって、仕事は苦しいことではないし、ある種の神聖な意味を
持っている。会社が家庭のようで、一番大切なのは全体の繁栄を実現することである。
会社のために生活し、個人の希望が第一ではない。いわゆる「会社を愛する精神」
「新家庭主義」「企業は大家庭」などはすべて集団主義の表れである。このように、
日本式会社は内部の人間関係が親密であるため、成員は上司の要求に従って、最大限に
マンパワーの潜在力を発揮することができる。
特に戦後日本の発展の歴史から見れば、このような集団意識は日本の民族文化の力量の
核心であり、大和民族が多くの困難を克服して、巨大な発展をとげるうえで大切な伝統的な
意識だと言える。
★日本人の集団意識について 8
(2)、日本人の集団意識には内部での「競争メカニズム」があって、それは一定の具体的な
形を伴っている。近代の日本企業では、企業は「年功序列」と「終身雇用制」という安定
した基盤と「学歴主義」に基づく平等のスタートラインで、日常の仕事の中で更に従業員に
一つの長期的で有効な競争の機会を作りあげている。このような構造の下で、企業の収益と
発展は従業員の個人の努力と奮闘にかかっておる一方で、個人の生活の保障は企業の収益の
向上と発展に連動する。同時に企業は各種の活動を通じて、努めて「家」の雰囲気を醸成し、
従業員に緊張を強いる競争と安定した家庭生活の間で心理的平衡を維持させ、そして社会を
比較的安定させることによって、国家に更に大きい貢献をし、企業はもっとも多い利益を
獲得するのである
3.2否定的な影響
日本人の集団意識は肯定的な影響があるが、角度を変えてみれば日本人のこのような
集団意識には軽視してはならない盲目的な方面もある。
(1)、大陸侵略はさることながら、現代でも時には排斥を被ることを免れ、「大勢順応
主義」の誤りを犯しやすく、個人にとって理非曲直は集団の決める事で、自分が命令に
従って済ますことだけが必要で、たとえ危険な犯罪を犯しても、みんながいっしょにすれば
平気でいられるのである。
集団活動、集団感情、集団観念の長期的な影響で、すべての成員はおおよそ同じモードを
形成して、みんなが一緒にいれば、心強く何でもできる。つまり、日本人は個人的には
小心翼翼としているのに、集団になると大胆になって突っ走るという悪い癖がある。80
年代に入るころ、一世を風靡した流行語に、「赤信号、みんなでわたれば怖くない」と
いうのがあった。このキャッチフレーズは日本人の集団になれば図太くなり、普段しない
悪事でも平気でしでかす心理をもっともうまく表現している。普段、わたしたちには礼儀
正しく、道徳的で立派な日本人のイメージが留められる。それは儒教の教えの理念を大事
にする日本人が個人的には自己抑圧の念が強い一面である。しかし、集団になるとセルフ
コントロールの箍が緩み、どんな悪事も平気で仕出かすことになる。
★日本人の集団意識について 9
(2)、個人に自立性を育てにくい傾向がある。
一方で、厳しい個性としての責任感に裏打ちされない「甘え」の態度を育てやすいと
ともに、他方ではまた新しい理想に生きようとする個性を周囲が抑圧する傾向がある。
それで、多くの日本人はいつも他人と同じ生活を送っている。彼たちは仲間外れにされる
ことを恐れる。自分を強く主張することや周囲の意見と違うことや個性を発展すること
などを好まない。そのため、言葉の曖昧や意見の婉曲などいろいろな日本人の特有な
現象が表わされる。
外国人はよく「日本人は、自分の考えていることをあまりはっきり表現しない」、
「なるべく間接的な言い方をするので、その人の本心がわかりにくい」などと文句を
言う。確かに、日本人はこういう一面を持っている。もちろん、これは日本人の国民性に
関連している。
近年、国際的な場面での話し合いが多くになってくるに従って、政治、ビジネス、
あらゆる分野で、日本人の話す態度について、批判の声があすがっている。言葉は、
人と人とが理解しあう道具である。それを利用して分かり合おうとするとき、「相手が
察してくれるだろうから、全部説明しなくても良いだろう」、「そこまではっきり
言わなくてもわかってくれるだろう」などという、日本人同士の習慣は国際的にはもう
通用しないようである。
(3)、集団エゴイズム である。自分に属する集団の外の広い社会に対しては、無関心で
無責任な態度をこれまでは生みやすかった。
日本の集団意識の特性は「全体一致」の原則と「ひそかな合意」の方式で一致協力する
ことができるが、しかしその弊害は表面上の一致と集団で責任を負うことで、実際には
責任を負う人がいない「無責任体制」を形成する。このような「一致」は不一致な意見を
無視する状況で形成され、異なった意見を持つ者は集団の「和」と自分が排斥されること
を免れるため、および「義理人情」のため賛成するのであって、必ずしも自らの意志では
ない。成功した場合は別として失敗した時、個人は責任を負わないで、特に日本は伝統的に
厳しく個人の責任を追及しないので、「無責任体制」つまりは集団全員で責任を負って、
結局、個人個人が責任を負わないのに等しくなる。
★日本人の集団意識について 10
四、日本人の集団意識が薄れている
日本人の生活において集団意識が最高の地位を占めているということは、団結を深刻に
感じる国民が全てそうであるかのように、各人が自己の行動に対する世評に気を配ると
いうことを意味する。彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測
しさえすればよいのであって、その他人に判断を基準にして自己の行動の方針を定める。
みんなが同じ規則に従ってケースを行い、お互いに支持し合っている時には、日本人は
快活でやすやすと行動することができる。彼らはそれが日本に「使命」を遂行する道で
あると感じる場合には、ゲームに熱中することができる。
しかし、ずっと日本人の行動を支配してきたその集団意識は今の若い人にとって、だんだん
消えていった。時代が進み、世代が変わる中で「桜」の日本人は変わりつつある。
世界経済一体化に伴って、多くの日本の若い人は観念が変わって、西欧人のように問題を
考えて、他人の意見を無視して、自我を追及する。集団主義を日本人の永久不変の特性と
する見方が見直される時代も来るかもしれない。
たとえば、会社というのは一つの集団ですが、古い世代はこの集団のために個人や家庭を
犠牲にしてまで粉骨砕身働いてきた。公休を取るのもなんとなく後ろめたさを感じるほど
「会社人間」が多かったのである。今の若い社員は組織に縛られるのを嫌がっている。
公休を権利として堂々ととっている。
★日本人の集団意識について 11
結論
以上の通りに、本文は四つの部分に分けて、日本人の性格をめぐって、日本人の集団意識の
成立の要因、集団意識が日本人の性格への影響、集団意識の両面性、現代の日本人の
集団意識の薄れなどの検討を通して、日本人の集団意識についていろいろ述べてみた。
いずれにしても、日本人の集団意識は日本人のもっとも重要な民族意識の一つである。
積極的であろうと、消極的なであろうと、日本人の集団意識には参考になる値打ちがある
と思う。国際文化が日ごとに頻繁になるに従って、積極的に優れた外来文化を取り入れる
のは、わが国の経済の発展に大切な役割を果たすことができる。そのため、どのように
日本人の集団意識の美点と欠点に対応するのは極めて重要である。
日本人の集団意識は今日まで依然として日本の経済と道徳などの分野でその積極的な
作用を発揮している。私たちは積極的にその精華の部分を吸収して、不用の部分を
排除し、つまり、長所を取り入れ短所を補うべきである。
日本人の集団意識はさまざまな要因と複雑に絡みあっていると言える。拙文はただこの
問題にちょっと触れただけである。これからは、社会的、経済的、文化的から、日本人の
集団意識について検討し続けようと思う。
謝辞
なお、この論文は紙幅や日本語の語学力不足で、日本語の表現及び考え方などには検討
不十分なところ、不適当なところがまだたくさんあると思うが、先生からのご教示を切に
お願いする。
また、本論文作成中、指導教官袁静文先生からは、お忙しいにもかかわらず、課題の
定めから論文の構成まで、いろいろとご指導、ご助言をお賜りいただき、間違ったところや
日本語表現における誤用をご丁寧に添削してくださった。ここで、心を込めて感謝の意を
申し上げる次第である。
豆瓣 baidengdao 2013-05-31 12:18:34
http://www.douban.com/note/279688408/
351 :
名無しさんの主張:2015/01/25(日) 10:41:07.94 ID:Dvp85bAR
小さい島国だから当然煮詰まるのも早い
352 :
名無しさんの主張:2015/01/25(日) 11:10:02.40 ID:tgNWkE6f
>>"協調性が無い"と言われる事を極端に恐れる日本人3
↑だから、空気が読めない(その場の状況が理解できない)人が、異常なほどバッシング
されるという、ゆがんだ社会風潮が蔓延したんだろうな。職場でのパワーハラスメントも、
ごく些細なミスに対して「空気が読めない!」と大げさにまくし立てる、言うなれば「KY
ハラスメント」が、ダントツで多いとさえ言われてるんだよ。
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
★日本人という国民性 1
心をふわりと癒すエンジェルブリーズヒーリング 2014-04-08
先日フランス人の友達夫婦と共に時間を過ごしながら、感じました。
自由で正直、自然とそれを自分自身にも周りにも許可している事を。
例えば、彼らのように生後1年未満の赤ちゃんを、祖父母が喜んで預かってくれる
からと言って預けて海外旅行に行こうものなら、
「え〜、子供が可哀想!正気?!」と、当人にとっての事情がOKであっても、多くの
日本人は思うかもしれません。
手作りのご飯でもてなすと、これは好きじゃないから悪いけど食べられない、と笑顔で
幾つかのおかずへの箸をとめました。
少々苦手でも、気を遣って食べようとする日本人も多いかと思います。
観光施設に入ろうという事になり、4人のうち1人だけ「自分はあまり入りたい気分
じゃないから3人で楽しんできなよ、自分は外で適当に過ごしてるから」と言うと、
皆で行くのに何であなただけ?と日本人は感じがちです。
多くの日本人は特にこんな時、とかく自分(又は相手)のわがままと捉えてしまいます。
周りや集団にあわせないといけないという、自由が制限された観念。本意でなくても、
周りがそうするから、〜しないといけないと無理にあわせたり、一人だけ好き勝手を
言っちゃいけないと自分にも他人にも求めたり。自分の意思や気持を表現する事が
何となくわがままと捕えられたり。そんな目に見えないルール。それを自分だけでなく
周りにも求めがちです。
欧米では日常の、「自己責任ありきのそれぞれの自由」「自由な表現やスタイルを許可
する」「個人の自由意思を尊重する」という感覚。留学中や海外旅行中はそれを
できても、日本ではなかなか難しく感じていました。
★日本人という国民性 2
今回のフランス人夫婦も、自分にも相手に対しても自由で正直です。
でもそれはわがままというのではなく、自分と同じように相手の自由意思を尊重して
います。そして、周りに対する思いやりや愛を積極的に表現しています。自分がどう
思うか、どう感じるか、に焦点を当てると同時に、周りに気遣い尊重しているんだと
改めて感じました。
自分の事を決めるのは自分自身でしかない。そして他の人においても当人の事を決める
のはその人自身でしかない。フランスの夫婦はそう本来の姿を教えてくれました?
昔から継がれてきた私達日本人の親や代々からの根っこは急速に変化しなくても、
周りとの協調性や和合を重んじる私達日本人本来の良さをいかしながら、それぞれが
自分自身を自由にしていければいいですよね天使の羽
周りが、、、じゃなく、自分自身がどうしたいのか?どう感じるのか?
自分に責任を持った上で、自分へも他人へもその時の意思や気持を認めるという
自由と愛。
そう、真実は、もっと自由なものだから
心をふわりと癒すエンジェルブリーズヒーリング 2014-04-08
http://ameblo.jp/hanonroom/entry-11817462934.html
グックは
醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。
頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。
手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。
黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。
謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。
野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。
怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。
他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。
死ねグック。
グック=日本人