"協調性が無い"と言われる事を極端に恐れる日本人3
1 :
名無しさんの主張 :
2011/07/23(土) 11:28:01.81 ID:+nILLFtW これがあるからサービス残業等変な問題が起きているのではないか。 例えば無賃労働を断れずに従うのは多くの場合、協調心・利他心から そうするのではなく目先の自己保身つまりエゴのためにそうしているに過ぎず、 決して綺麗なことではない。 寧ろ長期的・全体的に見れば社会を歪める行為なのである。 協調性に捕らわれすぎている日本人は、自分達の考え方を見直してみる 必要があるのではないか。
スターリンとか聴いてると日本人がどういう性質なのか怖いほどわかるw
>>2 スターリンってパンクバンド?
パンクバンドが協調性があるの?
異民族の間で揉まれる以外、この病気は治らないよ。
不治の病?
協調性は無意識に通わす精神作用である
協調性を重んじる人間=心身ともに資質の無い池沼なジャップ
海外に転居した日本人は恐れなくなってるから、不治の病じゃない。 風土病だな。
本心がばれるのを恐れるんだろう。保身のために形だけでも協調をしないと いけないけど、本音は真逆。
11 :
名無しさんの主張 :2011/07/25(月) 22:32:56.84 ID:fsiYmIAv
協調性ってなに? 一体感とかただの共同幻想ですよー。 他人のことなんてわかるわけないでしょ。 各々が独立した思考を持ってるんだから
人間関係が最も苦手で嫌いな民族なのに 異常に人間関係を強要する皮肉
13 :
名無しさんの主張 :2011/07/26(火) 15:51:14.21 ID:GdFyNF84
日本人=精神異常者
★日本人と中国人の会社観の違い
日本の社会が集団主義であることは、既に多くの文献によって明らかにされているし、ホフステードの
調査によると、日本の経営文化が集団主義型であることも明らかにされました。日本人は集団の力を評価し、
自己の集団の利益を守るのに対し、中国人は個々人の力を評価し、個人の利益を重視します。
つまり、中国の経営文化は個人主義型です。
日本の人事制度を見ればよく分かることです。新卒採用であれ、中途採用であれ、多くの企業でもっとも
重要視されるのは協調性です。それは、集団主義は協調性なしでは語れないからです。例えば、日本で
転職活動をする人が、転職回数が多いと、集団になじめない、協調性がないと思われ、転職が難しくなります。
しかし、中国では、協調性より個人のスキルがもっとも重要視されます。中国企業では、一人一人の
仕事がはっきり細かく決まっていて、他人の仕事はあまり干渉しません。中国人は個性が強く、集団主義では
ないため、個々人はすばらしいが、束ねたときに力を出せない欠点があります。
また、日本人と中国人の会社観もまったくと言っていいほど違います。日本は中国に比べると残業時間が
非常に長いです。多くの日本人は仕事に誇りを持ち、会社のために一生懸命に働きます。しかし、中国の
労働者にとって働くのは、生活のため、家族のためであり、組織のためではありません。それよりも、
自分がどれだけのスキルと時間を会社に売って、会社からどれぐらいの報酬をもらうかに関心を寄せています。
つまり、組織というものに対する日本人と中国人の見方は大きく違っています。
日本は少子・高齢化が進んでいるうえ、フリーター、ニートまで増えてきており、外国人労働力に頼る
度合いが高くなっています。価値観、会社観の違う中国人をどういうふうに扱うかによって企業の存続が
大きく変わってきます。ジョブホッパーともいわれる中国人の心をいかに掴むか、どういった会社が
中国人従業員とうまくコミュニケーションを取りつつ、企業経営を行っているか次回から何回かに分けて
説明したいと思います。
投稿者 : 李 娜 | 投稿日時 : 2008.07.27 22:24
http://blog.pasonatech.co.jp/counselor/li/7982.html
★協調性を強いる集団主義では、「異質な個人を涵養しない」 1
2011年07月17日 Jo's Labo
目崎 雅昭 (著) 幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言
http://www.amazon.co.jp/dp/4757219415 世界100カ国を10年かけて回っという著者が、各地域での経験をからめつつ、様々なアングル
から“幸福度”を分析する。
経済力のわりに日本人の幸福度は高くないという話は、以前からわりと有名だ。実際、いろいろな
調査を見ても、日本の幸福度は低迷している。
「長引く不況のせいだ」となんとなく思っている人もいるかもしれない。
だが、実は1950年代からバブル期を通じて現在にいたるまで、日本人の幸福度はほとんど変わって
いないのだという。日本人にとって、幸福とは何を意味するのだろう。
ここから、本書の幸福度を巡る旅はスタートする。
まず、世界各国を比較してみても、格差と幸福度にはそれほどの相関関係は見られない。
たとえば90年代前半の日本は世界で2番目に格差の小さな国だったが、134か国中62位に転落した
2008年も、幸福度に変化は見られない。
逆に、強い相関関係が見られるのが、多様性に対しての寛容さだ。
男女間の格差の小ささはもちろん、同性間の結婚まで認められているような国は、総じて幸福度が高い。
多様性の意味するものは、「個人の選択の自由」である。
実際に統計を見ても、自主性と幸福度との相関関係は、所得と幸福度との相関より20倍もある。
社会的地位や所得に関係なく、自分で自分の生活の管理ができる機会がある人のほうが、生活満足度
が高いことも明らかになった。(中略)自分の意思で選択し、その選択に責任を持つという精神があれば、
どのような人生を送っても幸福度は高い。結果が問題なのではない。どうやって生きるかが重要なのである。
★協調性を強いる集団主義では、「異質な個人を涵養しない」 2 その点、日本人は自分で自分の舵を取っていると言えるだろうか。 本書では本当に色々な調査結果が引用されていて、そこからは経済大国日本のもう一つの姿が くっきりと浮かび上がっている。 たとえば、以下の質問に対してYESと答えた日本人の割合は、世界最低水準だ。 楽しい時間を過ごすことは重要か? 選択の自由はあるか? 国を誇りに思っているか? つまり、日本人は、楽しい時間を過ごしてはいけないと思い、選択の自由があまりないと 感じ、自らの意思をあまり反映できない人生を過ごしているということになる。 そして著者は、ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの言葉を引用しつつ、自己の自発的な行為 が、より高い次元での精神的安定をつくりだし、世界との新しい絆をつくることが出来ると説く。 「選択の幅が無い」とか「人生が一般勝負すぎる」という点については、恐らく多くの人がうすうす 感じていることだと思われる。それを見事に一本の絵物語のように明快に解説してくれる良書だ。 日本が個人の幸福度を高めるためには、著者の提言するような社会個人主義を実現させるしか ないが、それはどこかにあるボタンを押すことではなく、我々自身が変わるしかない。 最後に著者の言葉を引用しておこう。 集団主義であるかぎりは、寛容な社会にはなりえない。 協調性を強いることは「異質な個人を涵養しない」と同じである。
★協調性を強いる集団主義では、「異質な個人を涵養しない」 3fs
ここからは私見。
実は大企業や労組が従業員の満足度調査をやると、たいてい上記のように
「楽しくない、選択の自由が無い、子供には入社を薦めたくない」というようなゲンナリするような結果
が出るものだ。
恐らく、この問題は雇用問題ともリンクしている。
社会においても企業においても「やらされている感」から「自分で選択している感」にシフトさせることが、
幸福度や満足度を向上させるうえでの目指すべき方向性だ。
規制とか正社員転換などという言葉の先に待っているのは、少なくなる椅子をめぐる
「さらなる選択肢の少ない社会」でしかないだろう。
2011年07月17日 Jo's Labo
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/3889377.html
自信を持って行動的な人間を異様に嫌うくせに 遠慮がちな人間に対して「もっと自身を持て」と矛盾した言動を平然とする。 無教養で行動力の無い 残念なことに日本人は、自称・平和主義者の無能人種
日本人=世界一陰湿かつ凶暴な精神異常者
22 :
名無しさんの主張 :2011/08/13(土) 14:47:13.16 ID:x4MLRgic
終身雇用・年功序列・新卒一括採用は、年齢や性別を超えて、 能力のある人が公平に市場にいつでも参加できる機会を失わせ、 硬直した労働市場により「世代間格差」「正規非正規格差」「企業の規模による格差」 を生み、下請け企業を多数生み出し、 不公平な格差を生み出す不平等な社会システムなので 同時に全部潰すべき。
23 :
名無しさんの主張 :2011/08/15(月) 03:02:00.83 ID:K0jTpK8Q
明日から周囲をライバル(自分の食い扶持減らす相手)とみなして孤立できんのか? 農耕村社会で数千年生きてきた普通の日本人には無理 すぐ寂しい寂しいと泣きべそかくから 日本人=メンタル世界最弱 まずはこれを自覚しないと
24 :
名無しさんの主張 :2011/08/15(月) 03:23:31.64 ID:Jvrm78MA
寂しい寂しいと泣きべそをかくだけなら害は少ないが、 寂しいあまりに、協調性より個性を重んじようとする人を攻撃しだしたり、足を引っ張ったりするから始末が悪い。 特に女はその傾向が顕著。
25 :
名無しさんの主張 :2011/08/15(月) 07:30:14.69 ID:FIMUcc1w
>>23 >>24 つか海外に出ればわかるけど、日本人ほど同胞と仲良くできない民族はいないね。
欧米人は皆仲良くパーティーやったり、知り合いをそこに誘って新しい仲間をつくったりしているのに、
日本人は、他の日本人や外来者に対して極端に冷たい。
日本人ほど、同胞同士でお互いにプレッシャーをかけあっている国民も珍しい。
今の「無縁社会」に象徴されるのは、まさに日本人が日本人同士で仲良くできないという国民性を象徴している。
ヨーロッパあたりでは隣に知らない人が引っ越してきても、コミュニティーが結構暖かく迎え入れてくれるね。
日本人は好戦的で凶暴だからな 他人を苦しめたり不幸にしたりすることしか頭にない精神異常者なんだから 仲良くなんてできるわけがない
「スルー推奨!」 「みなさんスルーでつよ!」 と言いながら その文章自体がスルー出来ていない産物であることは棚に上げる
恐ろしか。 怖いぞなもし。
29 :
名無しさんの主張 :2011/08/27(土) 04:24:52.55 ID:prJYUHiB
死んだふりしてる‘根暗野郎’が多いしどうにもならんな 一人で昼飯も食えねぇ〜片輪が普通に社会人だもんなwww
マイペースな人間だけが自らの人生を最後まで完遂できるのさ 肉親を含め、他人は全て自らのバックアップの為の必要な道具に過ぎない。
>>1 同感だ。
コメントしてる奴等は屑揃いだが、スレ主の提言は頷ける。
★村八分社会における自己呈示:相互協調性の適応基盤に関する研究
Author(s): 鈴木 直人 ・ 高橋 知里 ・ 山岸 俊男
日付: Wed, 2007-08-01
Abstract:
本研究の目的は日本人の集団主義的行動の背後にあるメカニズムを明らかにすることにある。
本研究では日本社会の 構造的特徴を集団の閉鎖性にあると仮定した上で、日本型社会構造を抽象化した
村八分ゲームを日本人の参加者にプレイさせ、彼らの相互協調的自己呈示の変化 を調べた。
実験では、39名の参加者を、相互協調性尺度への回答が他者に知らされる自己呈示条件と、そのような
教示をしない自己知覚条件の2条件に割り振 り、村八分ゲームの前後での相互協調性を測定した。
実験の結果、自己呈示条件では村八分ゲーム後に相互協調性の尺度得点が上昇し、自己知覚条件では
相互協 調性が低下した。この結果は、日本人の自己認識は必ずしも集団主義的ではないが、
集団からの排除を回避する為の社会的適法方略として謙虚な自己呈示をする ということを示唆している。
http://www.vcasi.org/sites/default/files/No64.pdf
33 :
名無しさんの主張 :2011/08/28(日) 03:09:35.84 ID:WGWN+U6y
34 :
計札裏金家族え 裏金計缶&計札系迷探偵家族 :2011/08/29(月) 22:02:04.22 ID:foVWwM5C
スレタイというより↑ね。 ビビるばかりに組織で暴走、妄想あげくのはてに しりぬぐいするのは 「民」さまの贅金 <布蚊和字件>2人が計事補償を請求 各1億3千満円 名前な方たちには ほとほと困らせられますね。 とっちゃんぼうや と じっちゃんぼうや ね。
★日本人らしさ 1 欧米諸国が個人主義の社会であるの@に対し、日本は集団志向の強い社会である。一人で行動するより、 同じ職場や学校の仲間といっしょに行動する方が安心なだけでなく楽しいと感じたり、他の人と 同じ格好、同じことをしている方が落ち着くと感じる人は多いようだ。 そして、会社員であれ、学生であれ、日本人は自分の所属する企業や大学を「ウチ」と呼ぶ。 「ウチ」ト「ソト」の区別ははっきりしていて、相手が「ウチ」の者か「ソト」の者かにしたがって 言葉遣いも行動のしかたも変わってくる。そして、その「ウチ」の中では「均質性」「協調性」 「和の精神」や「思いやり」などが美徳とされ重視されている このような集団志向の強い社会では、次のような諺がまだ生きている。 ー出る釘は打たれる(優れている人は、とかく憎まれる) ー長い物には巻かれろ(強いものに対しては言うなりなっているほうがいい) ー言わぬが花 (はっきり言わないほうが趣や利益がある) ー雉も鳴かずば撃たれまい (余計なことを言ったりしたりすると、災難をまねくことになる) 諺は世相を反映していると言われる。とすれば、これらの諺から、日本人が いかに他人に気を使い、 集団の「和」を乱さないようにしているかが分かる。自分」の意見を積極的に主張することを避け、 他の人は何を考えているのかが分かるまで黙っている。「雉も鳴かずば撃たれまい」だし、 集団の意見と異なることを言って、「ソト」の人間になることを恐れているからだと言っていい。 そのため、全体の意見が決まるまで、たとえ発言したとしても、なるべく曖昧に表現し、自分の考えを はっきり伝えようとはしない。一方、聞き手は、相手は何が言いたいのか、察しなければならない。 それができないと、日本人的ではない、仲間ではないと思われてしまう。「以心伝心」(言わなくても 気持ちが通じること)、これが日本人のコミュニケーションの神髄なのだ。極端な場合、直接的に 言うのは失礼であり、礼儀にも欠けるということになる。しかし、美徳であるはずのこの「以心伝心」も 社会が多様化し、いろいろな考えのし がち人、文化的背景の異なる人が多くなると、うまく 行かなくなる。
★日本人らしさ 2 特に外国人の場合には、相手の日本人が何を言いたいのかさっぱり理解できず、「日本人は曖昧だ。」 「何を考えているのか分からない。」「ずるい。」「うそつきだ。」と誤解で、これでは美徳 どころではなくなってしまう。 曖昧な表現のほかに、日本が集団志向の社会であることを示すものに、話し方がある。敬語の使い方だ。 敬語も相手に対する配慮を表したもので、人間関係を調整する手段として重要な役割を果たしている。 日本人は、性別(男性か女性か)、年齢差や社会的地位の上下差、親疎の程度によって敬語を 使いわける。敬語の使い方は難しい。一般の日本人でさえも、日常的に敬語を使っていないと、 正しく使えなかったりする。駅のアナウンスやデパートの案内の中には敬語を使いすぎて不自然な ものも多い。また、自分に対して尊敬語を使ったりして間違える場合も多い。それでも日本人の 大多数は、敬語を知らないと困ると考えているし、敬語を身につけていなければ教養がない、社会で うまくやっていけないと思っている。言い換えれば、日本人は自分を取り巻く集団の中で、自分を 適切に位置づけることを要求され、そして、その位置に合った言葉遣いをし、行動することが 求められている。そうすることによって、集団志向型社会の秩序が保たれるというわけだ。 しかし、最近では、「個人主義」や「独創性」を育てる必要性も強調されている。日本人全体の学力レベル、 生産性は上がっても、飛びぬけて優れた人はアメリカやドイツと比べて、少ない。ベンチャー・ビジネスも なかなか育っていかない。独創性のなさは、ノーベル賞をもらった日本人の数をみても明らかだ。 たとえ、独創的で個人主義的な考え方をする人がいても、日本の社会では「協調性」がないとされ、 認められない。自分の研究を自由にやりたいと考える研究者のなかにはアメリカへ行ってしまう 場合が多い。アメリカだったら、周りの人のことは気にせずにすむが、日本にいては、「出る釘は 打たれる」で、独創性はつぶされてしまうからだ。
★日本人らしさ 3
他の民族から侵略らしい侵略を受けたことがなく、民族宗教である神道、その中心的存在である
天皇家を中心に発展した単一国家の日本人は、大陸の他の国々とは比べものにならないほど同質である。
日本型の集団志向は、狭い空間の中で、そのきわめて同質な人々が生活するための手段でもあったのだ。
だが、経済的にも文化的にも国境という概念が薄れつつあり、日常生活のレベルから日本の国際化が
進んでいる今、狭い日本という「ウチ」から出て、一個人として、考え、行動する人が、
増えてきている。
http://www2.dokkyo.ac.jp/~japan/japanese/sub6.htm
日本は「虐めはいじめられる方が悪い」的な考えが好きだよね。 そうやって支配欲やエゴを相手を悪者にして正当化する。
39 :
名無しさんの主張 :2011/09/15(木) 10:47:42.12 ID:WzT9/FkR
アンケート「経済的弱者を政府が支援すべきか」という問いに対して、「はい」と答えた人は OECD諸国中、日本が最低。 これはアメリカ未満の水準である。 ちなみに最高はフランス
日本は力の強弱の捉え方が短絡的だからね。 強いは偉い、弱いは悪い、てな。 基本的にDQN思考なんだよ。 「強いものは弱者に舐められないように力を誇示しなきゃならない」的なところがあって、慈善事業も殆どはそれ。 力を誇示しないお金持ちはネオニート呼ばわりされる始末。
>>39 >>40 心身虚弱の2ch小僧が傷を舐めあって幸せそうだな。
いっそのこと、連れ立って何処かに逝ったらどうだい?
日本人の狂った価値観ってどこまで本気なんだろう ギャグ? わかってる奴はもう加担するなよって思う
43 :
名無しさんの主張 :2011/09/17(土) 12:28:54.48 ID:d9yT1blC
44 :
名無しさんの主張 :2011/09/28(水) 19:57:44.43 ID:tASm2O8S
協調性調べてたらここにやってきました。 自由に振舞う事の何がいけないのか分からない。 協調性って自分の気持ちに嘘ついても 相手に合わせるって事じゃん。 嘘ついてまで合わせてもらって嬉しいの? 本当の事隠してまで仲良くしてほしくないから 俺は本当の事言うし、反論あるなら聞きたいよ。 反論しないって事は分かってもらえたと思ってしまうよ。 でも違ったって最近分かってやっぱり みんな嘘つきだって思っていまった。 俺がそう思うんだから外人に思われたって仕方ないよ。
>>44 >協調性って自分の気持ちに嘘ついても
相手に合わせるって事じゃん。
これは「妥協」という表し方でいいと思うよ。
協調性は
「違う性質を持った者、もしくは意見が違う者同士等が歩み寄って譲歩し合い互いを認められる意識、言動」
と言うべきだ。
君たちの時間は限られている。 だから他の誰かの人生を生きて 時間を無駄にしてはダメだ。 定説にとらわれるな。 それは他の人々が考えた結果にすぎないからだ。 自分自身の内なる声を、 他人の意見によってかき乱されてはいけない。 最も大事なのは、 心の声、直感に従う勇気をもつことだ。 内なる声、直感は君が本当になりたいものを、 なぜだか知っているんだ。 だからそれ以外のことは、すべて二の次でいいんだ スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
47 :
名無しさんの主張 :2011/10/19(水) 09:02:24.63 ID:+jdd2zI+
東京電力叩かない奴は協調性がない。
ここで協調性を詰(やじ)っているブサ男女って単に村八分なんだろ。 何事も自分に見合った境遇って奴がある。 ここに巣くうブサ男女は、要は嫌われ者なのさ。 嫌われる、敬遠される自分が好きなら黙って一人よがりを 楽しめばいい。2chで同調者を欲しがる必要もない。 良い事も悪いことも、全ては自分の身に還る。
49 :
計札工作員え :2011/10/19(水) 11:21:19.18 ID:ihKkgH/6
協調性にも よいものもあれば だめなものもある。 だめな方の代表が↓ 「計札vs計殺漢」 裏金組織計札が勇気ある計殺漢を追い込んでいる様子が。。 全國でこんなだからね。 まだ告白がないところもあるけどね。
善悪の判断よりも協調性が望まれる社会→悪の社会 2007年10月14日
「日本は和を重んじる国」
と言えば聞こえが良いのですが、
法律やルールよりも、仲良く(協調性)が尊ばれる社会
(例えば、談合、癒着、赤信号皆で渡れば怖くない等)、
さらには、「長い物には巻かれろ!強い者には従え!」、
個性を捨て集団に従属することが求められる社会です。
一般的な日本人には、本来どうあるべきかと言った信念はありません。
ただ単に、周りに合わせているだけです。
そんな中で
「俺は偉いんだ。俺は正しいんだ。俺について来い。」
という人間がいると、周りの人たちは、その人に従ってしまいます。
これが、封建社会を作り出し、格差の固定化・拡大を引き起こしています。
人は欲望に流れ安いものです。
周りの人に合わせていると、いつのまにか、欲望に流れていることが多いようです。
欲望は悪につながります。
つまり、協調性が望まれる社会では、必然的に悪の社会になります。
大切な事は、一人一人が周りに流されず、理性を持って行動することです。
http://www.dream-think.com/data07/out1210.htm
【海外生活】日本人同士のお付き合いに疲れてしまいました。 1 Yomiuri Online 大手小町>発言小町 >家族・友人・人間関係 英語下手 2011年4月15日 7:00 20代後半の専業主婦です。子供はまだいません。 夫の海外転勤に帯同してきました。 赴任場所はアメリカの田舎町です。 英語が苦手ではありますが、 折角の機会なのでボランティア主催の英会話教室に通ったり、 スポーツジムに通ったり、一人でも外に出かけて異文化を学ぼうと頑張っていました。 今、発狂しそうになるくらい悩んでいることがあります。 それは、近くに住む日本人件の方との交流です。 私はあまり付き合いが上手くはありませんが、 全体的な日本人の集まり・挨拶だけは必ずするように心がけておりました。 他の日本人件の奥様方は 毎日どなたかの家でお茶会やパーティーをしていることもあり 何度か誘って頂きましたが、 あまりそういう集まりは好きでないこと(学歴自慢、悪口等の話題になる為)と、 毎日、英会話教室に行っていることを理由に 積極的なお付き合いはしておりませんでした。 その為、呼び出され、 「協調性がない。」 「常識が無い。」 「今後はあなたをいない人と考えるから」 と、1時間ほど6人ほどの奥様に囲まれ言われてしまいました。 (そのうちの一人は、夫の同僚の奥様です)
【海外生活】日本人同士のお付き合いに疲れてしまいました。 2
最近では、同じアパートの日本人の方からも
冷たい目で見られたり、挨拶を無視されたり、
辛いです。
唯一、仲良くしていたお隣の日本人のお友達からも
無視されて寂しいです。
楽しかった英会話教室も同じクラスの日本人の方からも
完全に無視され、最近では行けなくなってしまいました。
仲の良かった中国・メキシコのお友達や先生が心配してくれているのですが、
体調があまり良くないことにして
かれこれ3ヶ月ほど行っていません。
最近では外に出ることが恐ろしいです。
ふとした時に、一人、声を荒げてしまいたくなります。
夫は放っておきなさいと言います。
今後、私はどう対応したらいいのでしょうか。。
助けてください。
Yomiuri Online 大手小町>発言小町 >家族・友人・人間関係
英語下手 2011年4月15日 7:00
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0415/401928.htm?g=06
53 :
名無しさんの主張 :2011/10/26(水) 23:58:58.34 ID:T0+Ku7SS
よくわかります 最近工場見学会に行って来たんですが、派遣の営業の言い方の意味がわからず期間従業員が終わった後正社員になれると思い行ってみたけど、期間従業員のまま なのに断る奴は一切いない 切羽詰まってなのか?とりあえずみんなやるから断れないのか? 期間従業員なのに いつか辞めるのに 前もこういうのあって来ますと言った奴は結局勤務初日にバックレで、営業が電話しても無視 断るってのが本当に出来ないんだなと
★残業手当のジレンマ(抜粋) 1 【世相百断 第69話】(2005年2月18日) このBさん、能力には疑問符がつくが、根は真面目で、日中一生懸命仕事をしても終わらないから 時間外にがんばって何とか今日の仕事を今日中にこなそうとして、上司もそれで仕方がないかと 暖かく見守って時間外勤務を認めていれば、問題は起きない。しかしBさんが、うちの会社、仕事を きちんと終わらせても早く帰ると人事評価やボーナスに響くから、どうせ毎日8時までは帰れない。 それなら日中は適当にやって8時までに仕事を終わらせればいい、と考えているとしたら、大いに 問題ありだ。仕事が終わる終わらないにかかわらず、みんなが終業時刻になっても帰ろうとしないから 帰れない職場というのも、日本の会社のどこにでもある珍しくない現象だ。古い会社、大きな 会社にはこういう例がかなりあるだろう。 日本人の横並び意識は、会社という閉鎖的な階級社会の中では特に強い。仕事はできるけれども ほかの人が残業しているのにさっさと帰ってしまう人は、往々にして協調性のない人間と見なされ、 人事評価も下がるし、職場でも除け者にされがちだ。日本のサラリーマンはこうしたことを肝に 銘じてわかっているから、周りをみて、みんなが帰らないから自分も帰らない。結果的に、 仕事があるからやむをえず時間外勤務をする、とはいえないケースも多くなる。 こういう風土を許していたら、無用な残業はなくならない。サービス残業もなくならない。 こんな仕事の仕方に会社は時間外手当を支払いたくないし、もし青天井に支払ったら、それこそ 過重な人件費で経営が悪化する。多くの横並び社員がそれをわかっているから、残業をしても 手当が支払われないのも仕方がないかと諦めている。
★残業手当のジレンマ(抜粋) 2
これは社員だけが悪いわけではない。古いタイプの経営者や管理職が社員の評価を仕事の中味で
行なわず、姿勢や態度を重視することにも大きな原因がある。こういう経営者、こういう人事評価の
運用を行なっている会社や職場もまだまだ多い。こういう会社や職場では、早く帰る社員は意欲が
乏しい、勤務態度が熱心ではない、と見なされやすい。それがわかっている社員は、保身のために、
ほかの社員がそうであれば時間外手当が払われなくても残業もするし、休日にも職場に出てくる。
こうした風土がなくならないのは、日本の多くのサラリーマンにとって会社は仕事をする場所
であるとともに、それ以上の、自分の人格の一部、アイデンティティーやステータスを証明する
ものにまでなっているからだ。だから職場の協調関係を崩したくない。残業問題に関して言えば、
おかしいと思っても、早く帰りたいと思っても、仕事はもう終わっても、協調関係を悪化させない
程度に会社にいる、ということになる。日本の職場にあまねく存在しているこういう現象には、
"時間外労働"とはいえない所定時間外の"在社"もかなりあるだろう。
【世相百断 第69話】(2005年2月18日)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou69.html
57 :
名無しさんの主張 :2011/10/29(土) 06:02:06.09 ID:nesFnxba
協調と迎合は違うと思うし、 協調性がないとか言ってるのはほとんどが迎合を強要する奴でそれこそ協調性がない。
よく企業の上司が 『ここは学校じゃないんだから』 と言うが、学校並みの考え嫌幼稚園以下の奴らが本当に企業には沢山いる モラルが大人になればなるほど落ちてく しかしそういう奴に限って案外辞めないし、上司のめでたい部下が非常に多い 日本の企業風土は、仕事の能力より周りに合わせられる協調性 これがないと、いくら仕事してても潰される 逆に言うなら仕事出来なくても、休憩時間や忘年会新年会で活躍する奴は生き延びる
学校並でも優等生ならまだいいよ。 中には80年代のツッパリ並の常識感覚のもいるからな。 部下や後輩を舎弟と勘違いしててて、プライベートで呼び出して付き人のように使う。
60 :
計札裏金家族え 裏金計缶&計札系迷探偵家族 :2011/11/09(水) 13:40:44.87 ID:ghgMqnb4
まるで 「計札vs計殺漢」の計札組織のようなところかな???? 自分らで養えないのに「下部組織まで」つくってるしね。 ウロツキで 贅金たかれりゃ 最高だろうね!
61 :
名無しさんの主張 :2011/11/21(月) 22:52:19.75 ID:X7txafS4
>>1 で、それを恐れない好き勝手にやってきたキリギリスな国々が続々と
破産、デフォルトしまくって
ありんこの日本にたかろうとしているわけね。
リアルタイム財政赤字カウンター
http://www.kh-web.org/fin/ 日本政府の抱える国および地方の債務残高(概算値)をリアルタイムで表示しています.
「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」および「財政関係基礎データ」をもとに計算しています.
内訳など細かいことはリンク先の資料を参照してください.
借入金,政府短期証券を含む「日本全体の債務残高」
総額 1174兆3458億円
国民一人当たり 920万円
アリなんて種類によっては害虫なのによくそんなものを理想にしてるな。
64 :
名無しさんの主張 :2011/11/22(火) 15:41:35.63 ID:Xl3vaxNs
アリってライオンも殺すしね。 密林の蟻塚おそろしす。
65 :
名無しさんの主張 :2011/11/22(火) 15:42:33.99 ID:Xl3vaxNs
でもま、基本アリは地べたにはいづりまわってるよな。 バッタは飛んで、他国に襲来して、作物を食い尽くす。
★日本人特有の国民性とミッドウエー海戦(抜粋) 1 ミッドウェー海戦の敗因や戦訓に関しては、すでに多くの優れた研究がなされ改めて論じる余地は あまり残されていない。そこで本論ではミッドウェー海戦の敗因を、和を重視する「合せの妥協」と、 伝統墨守の「前動続行」的対応、情報軽視や攻撃偏重の民族的特性、理性よりも感情を重視する 「情の統率」など、日本人特有の国民性という視点から分析してみたい。 「合わせ」の妥協と兵力の分散 大化の改新以来、「和を以て貴しとなす」として協調性・柔軟性・淡白などの妥協的な性格が 尊重され、非妥協的人物は嫌われ最後まで反対することは忌避すべきこととされてきた。このため 反対意見も「和」を考慮し、どちらとも取れる曖昧模糊とした文章に修文し満場一致の賛成を 得るなど、日本では有史以来、人間関係が何よりも重視されてきた。この日本人の歴史的体質から ミッドウェー海戦の敗因を求めると、各部の要望を総て受け入れて「合わせ」て妥協したため、 アリューシャン列島攻略戦の追加による大部隊の編成と指揮系統の複雑化、兵力の分散と 目標の不明確化などの問題が生じ敗北した。 (中略) このような「兵力の分散」の愚を犯したのは、異なる主張を取り入れてどちらとも読める玉虫色の 文章を作り、合意を得る日本人特有の「合せの妥協」にあったが、これはミッドウェー作戦だけでなく、 開戦時に作成された「英米支蘭戦争終末促進ニ関スル腹案」や、42年3月に陸海軍が同意した 「今後採ルベキ戦争指導ノ大綱」にも見あれる妥協の産物であった。 (中略) しかし、南雲司令官がミッドウェー攻略を主目的と誤解するような曖昧な命令に、なぜ、山本 司令長官は抗議し修正させなかったのであろうか。それは山本長官のミッドウェー攻略に出撃すれば、 アメリカ艦隊も出撃せざるを得ないという仮定を前提とした作戦構想は極めて異例であり、永野 修身軍令部総長や当時の海軍中央に説明しても到底理解されないと考え、摩擦を起こすことを避け 実行段階で実現しようとしたのではなかったであろうか。
★日本人特有の国民性とミッドウエー海戦(抜粋) 2 日米海軍作戦の比較・前動続行と柔軟性の欠如 日露戦争では第1回の旅順攻撃で1万6000人、第2回に4900人の損害を出したにもかかわらず、 「日本軍は繰り返し同じ方法でやってきた」とロシアの戦史研究家は述べているが、第2次世界大戦に おいても「4年近い戦闘を繰り返しながら、日本軍の作戦には殆ど改革のあとが見られなかった」と 諸外国の戦史研究家は指摘している。日本海軍の航空部隊がハワイ・マレー沖で戦艦を撃沈し、世界に 航空機の時代が到来したことを示すと、アメリカ海軍はいち早く空母を中核とした機動部隊を編成した。 しかし、当の日本海軍は米英の戦艦部隊を撃沈したことを最初は喜んだが、しばらくすると航空部隊への 嫉妬と反感が生まれたという。そして、航空関係者は最後の決戦は敵戦艦部隊との決戦であると、 柱島沖で戦艦部隊は毎日毎日「大砲をひねくり回していた」と大艦巨砲主義から抜け出せない当時の 戦艦部隊の状況を不満げに書き残している。戦艦の砲力で勝敗を決するという時代に、砲術や水雷職域に 進んだエリート士官たちにとって、偵察や弾着観測などの補助的任務しかできない「チョウチョウや トンボ」と揶揄していた飛行機を搭載している空母を、海の王者の戦艦が守るという地位の逆転が 容認できなかったのである。このような認識から南雲部隊の後方から大和以下の戦艦群が、艦隊決戦を 待望しながらゾロゾロと付いていったのであり、ここに気付いていても容易に因習から抜け出せない 日本民族の欠陥を見る思いがする。 ミッドウェー海に敗北した1ヵ月後の42年7月に戦艦戦隊(比叡・霧島)、巡洋艦戦隊(重巡洋艦 5隻)、水雷戦隊(軽巡洋艦1隻・駆逐艦16隻)を加えて第3艦隊が新しく編成された。 (中略) このように、敗北が続いても日本海軍は戦艦部隊を最後の決戦兵力として温存するなど、旧態依然とした 編成で戦い最後まで大艦巨砲主義から脱することができなかったのである。 (中略)
★日本人特有の国民性とミッドウエー海戦(抜粋) 3 情けと温情の部下統率 軍事指揮官の必須不可欠な要素は進むべき方向を明確に示し、適時適切に判断して目的を達成する ことにある。部下に対する思いやりや配慮も大切な要件ではあるが、必要なときには温情を殺し、 信賞必罰を厳正にして戦いに勝つことである。しかし、優しさから山本長官の処置は常に甘く、 ミッドウェー海戦から帰国した南雲長官の作戦報告時に、草鹿参謀長が「大失策を演じおめおめ 生きて帰れる身にあらざるも、どうか復讐できるよう取計らっていただきたい」と述べると、山本長官は 「簡単に『承知した』と力強く答えた」という。そして、「突っけば穴だらけであるし、皆が十分 反省していることでもあり、その非を十分認めているので、今さら突っついて屍にむち打つ必要は ない」と、ミッドウェー海戦の研究会は開かず、南雲中将や草鹿少将の責任も追及することなく、 再編された第3艦隊(空母機動部隊)の指揮を再び取らせた。 この情の深さや優しさが山本長官のリーダーシップに影を与えているが、山本長官1人を責める ことはできない。日本の指揮官に要求される第1の要素は協調性や「和」であり、「思いやり」 なのである。感情に訴えなければ日本ではリーダーシヅプは成り立たないし、情に訴えなければ 部下は付いてこない。欧米では集団を導くのに必要なものは「理(理念や理想)」であるが、日本人は 「理」にかなっていても、それが「和」にかない「情(感情や温情)」がなければ受け入れない。 「正義」や「人権」などの「理」を全面にかざしても日本人は応じない。日本人が応じるのは「理」とは 対照的な位置にある「情」なのである。 それが練習艦にすべきであるとの意見もあった扶桑や山城 などの老朽戦艦を、航海手当てや戦時手当てを支給させ、士気を高揚するという「理」とはほど遠い 「心配り」の温情から太平洋の真ん中まで出動させたのであった。 しかし、この温情が南雲機動部隊の対空防御力を奪ってしまった。 (中略)
★日本人特有の国民性とミッドウエー海戦(抜粋) 4 日米指揮官の比較 (中略) なぜ、日本海軍ではこのように指揮官の意向が参謀によって阻止されるのであろうか。それは日本の 指揮官像にある。農耕民族の「ムラ」社会では毎年同じ農作業を繰り返えすため、経験が重視され 年功序列に従って指揮官が選ばれる。この社会では指揮官に要求されるのは人格であり能力ではない。 アメリカ海軍では人物としては指揮官であっても、能力がともなわなけれぱ指揮官にはなれない。 しかし、日本では下から上に意見を調整しながら上げて行く稟議制度のため、指揮官は人物さえ よければ大綱だけを握り、あとは参謀に任せ参謀が働きやすいようにするのがリーダーの理想と 考えられてきた。このため日本では人物が人格的に長官の器であるならぱ、優秀な参謀を配して 補佐するので、航空作戦には素人の水雷出身の南雲中将を航空部隊の指揮官に据えた。それが 「老けすぎて」「勝負度胸に乏しい」ため臨機応変の措置の欠如となり、緊急時の対応を誤らせ 敗北に導いたと、赤城飛行隊長の淵田美津雄中佐は書いている。 一方、アメリカでは真珠湾を奇襲されたキンメル大将は、太平洋艦隊司令長官の職を追われ査問 委員会にかけられた。また、南太平洋部隊司令官のゴームリー中将、第十一機動部隊指揮官の ブラウン中将、空母部隊指揮官のパウノール少将など、多くの指揮官が戦意に欠けたとか、作戦指揮が 不良であるとか、指揮官の若返りとかの理由で交代させられた。しかし、日本ではハワイ攻撃の際に 第2撃を加えずに帰投した南雲司令官を、山本長官は「泥棒だって帰りは怖いよ」とかばった。 (中略) ハワイ攻撃は山本長官が軍令部の反対を排して強行した作戦であった。真珠湾はそれほど強い 決心で始めた作戦であった。それなのに、山本長官は水雷出身者で航空作戦に暗く決断力に欠け、 「小心翼翼」といわれていた南雲中将から航空作戦に明るい戦争度胸も十分な、第2航空戦隊司令官の 山口多聞少将に代えなかった。それは年功序列重視の日本ではでは組織を乱し人間関係を 破壊するからであった。
★日本人特有の国民性とミッドウエー海戦(抜粋) 5
また、日本海軍の人間関係は論争を好まないためであろうか、意図を明確に示すことを避ける傾向が
見られる。たとえば、ミッドウェー海戦に関して軍令部と連合艦隊との認識は大きく異なっていたが、
山本長官は軍令部との調整も部下指揮官への説明も十分にすることなく参謀に任せた。
(中略)
おわりに
目標を不明確にし兵力を分散してしまった「合せの妥協」は、現在でも批判を浴びながら「総花的
予算編成」「ばらまき予算配分」、自民党と社会党、自民党と公明党の政策合意文書などとして
続いている。また、日本海軍は大艦巨砲主義を最後まで抜本的に改められなかったが、因習にこだわり
容易に改革ができない理由は当時も今も変わらない。それは自己の既得権を失うことをおそれ、
改革には反対する旧守派の抵抗勢力が存在し反対するからであるが、それは日本人が合理性に欠け
セクショナリズムに走るからである。熱しやすく冷めやすく、すぐに思い上がり相手を見下げ、
希望と現実を混同し漫然としてことに臨み抜本的改革ができないという欠陥も変わっていない。
このようにミッドウェー海戦は現在も日本の発展を阻害している日本民族の基本的欠陥を見事に
暴きたてた海戦であり、その敗因には多くの現在にも通じる学ぶべき点がある。しかし、わが国に
おけるミッドウェー海戦の研究は軍事面に限られ、敗北の責任を軍人のみのに求め、責任や過失を
追及する傾向が戦後長らく続いてきた。戦争から半世紀が過ぎた今日、死者の責任を追及し非難する
のではなく、広い視点から教訓を掘り起こし、ミッドウェー敗戦の教訓を21世紀の日本に生かす
べきではないか。また、それが国家のために命をささげ、ミッドウェー沖に眠る3500余の
将兵に対する何よりの慰霊ではないか。
http://www3.ocn.ne.jp/~y.hirama/yh_ronbun_senryaku_midoway.html
71 :
名無しさんの主張 :2011/11/24(木) 13:23:01.26 ID:6qU3Ht5l
そんなに協調性が大好きなくせに悪徳権力者に対して 戦う意識て絶対起きないよね 日本の協調性は奴隷であること協調性
事なかれ主義、長い物には巻かれろの精神ですから それに目先のカネをちらつかせれば喜ぶバカばかりだし
73 :
名無しさんの主張 :2011/12/12(月) 19:24:26.71 ID:ju+Xzg7j
よおく注意して感じ取ってみて下さい。 あなたが今、何か少し動いたそのすぐあとに 「ピクっ」 とかすかに床から伝わってきます。 室間添随症( しつかんてんずいしょう ): アパートや低家賃のマンションなどに住む引きこもりや準引きこもりの状態 にある人間が隣接する他の部屋の住人たちに自分の引きこもりの状態を悟 られまいとして、それら他の部屋の住人の生活パターンや動作のタイミング に自らの生活パターンや動作を極力同調させながら日々の生活を送り続け ようとする症状。 日本のアパートやワンルームマンション、ウィークリーマンションなどの入 居者、利用者の約4人に1人はこのような状態にあると言ってよい。 ビジネスホテルも例外ではない。 これを 「引きこもり」 の 「付きうごき」 と呼んでいます。 昨今のビジネスホテルはカードキー式になっており外出時もフロントを通す 必要がないため何割かの客は準引きこもり者である。
★報道に見る日本人と欧米人の違い
キンジロー 編集長ノート 2011.07.08
2011年3月11日に発生した東日本大震災を海外メディアはどう報じたか。
そこから、日本人について考えてみたい。
まず、震災初期の報道。
世界中のメディアが、暴動や略奪などの混乱もなく秩序を保って行動する被災者たちを称賛し、
「日本人は素晴らしい国民だ」と報道した。
しばらく経つと、政府や東京電力の対応の遅さや隠蔽体質を批判する内容が続いた。
また、日本のメディアはほとんど取り上げなかったが、被災地に到着したものの、上からの
指示がないので何もできず待機している自衛隊を見かねて、米軍が現場の判断で迅速に
瓦礫撤去やレスキュー活動を始めたという記事があった。
「目の前にやるべきことがあるのに、上からの指示(許可)がないと動かない日本人の
姿勢は理解できない」という批判的な記事が多く見られた。
上記2つの報道には、日本人の国民性の、よい面と悪い面の両方が表れている。
日本人は、何よりも「協調性」が大事だと学ばされてきた。
だから、自分だけ目立ったり、和を乱すことをよしとしない。
それが、最初の報道でも称賛された「秩序正しい日本人」という良き一面だ。
一方、協調性を大事にするあまり、上の指示によく従い、自己主張をしない、転じて自分で考えない。
そして表れたのが「自分の判断で行動できない日本人」という悪い一面だ。
わたしが高校、大学時代を過ごしたニュージーランド、アメリカでは、徹底して「考える
(自己主張する)」ことを学ばされた。
授業では、なにかにつけて「あなたはどう思いますか?」「自分の言葉で書いてください」と、
自分で考えることが求められた。
対して日本では、自分で考えなくても先生が答えを教えてくれる。
いわば「考えない」ことが求められているのだ。
もちろん欧米文化がすべていいと言うつもりはない。
どちらにも長所と短所がある。要は短所を知ったうえで、自分で考え行動することが大事なのだ。
http://www.g-education.com/note/2011/07/post-3.html
★「和の精神」について 1 私たちの周りを見渡してみると、次のように感じることはありませんか。 なぜいつも責任の所在がうやむやになるのだろう なぜいつも根回しが行われるのだろう なぜいつも同じようなことが繰り返されてしまうのだろう なぜいつも妥協ばかりが繰り返されて、協調できないのだろう なぜいつも原理原則が無視されるのだろう (正しいことが通用しないのだろう) なぜ「出る杭は打たれる」のだろう なぜいつも相手の同意を必要としなければならないのだろう なぜいつも会議ばかりが多いのだろう なぜいつも「和」が重視されて、正しくないことでも通用してしまうのだろう なぜ本当のことを言う人が嫌われるのだろう なぜそのときそのときで判断基準が違うことが多いのだろう(首尾一貫しない) なぜか反論できない雰囲気になってしまう なぜ正論で反論すると協調性のない人と言われるのだろう 一体だれが責任者、実権者なのだろう こんなことを感じてしまうのは、私一人なのでしょうか。 決してそうではないと思います。 これらのことには「和」という思想が、大きく影響していると思います。 「和」、多くの会社の社是や組織の暗黙の了解事項になっていますね。いや日本全体の暗黙の 基本的な了解事項なのです。とにかく和を乱すことは、日本人が一番嫌うことです。和の思想は 私たちの日常生活の隅々にまで根を下ろしているので、改めて考えることもないくらいです。 あまりにも一般化したことは、改めて考えるまでもなくその組織には当然のこととして受け入れ られてしまうのです。「和の精神」は、その最たるものでしょう。
★「和の精神」について 2 だからこそ、和を乱す人は協調性のない人として、組織からは排斥されるのです。多くの場合、 本当のことを言えば言うほど、仲間はずれにされてしまうのです、ひとりひとりが「和」の精神を 意識して反論する人を排斥するのではなくて、無意識のうちに排斥しているのではないでしょうか。 反論する人の意見の正当性は関係ないのです。 組織を乱すから排斥される。ただ、それだけです。 和の世界においては、協調することがもっとも重要なことなのです。正しいとか、正しくない ということよりも先に協調することが求められているのです。ここから本当に多くの問題が発生 しているのです。和の精神がどんなものであるかが理解できれば、日本人の日常生活の多くのことが 理解できると思っています。いままではなぜそうなるのか分からなかったことの多くを、理解 できるようになるはずだと思います。 「和」の世界においては、絶対に正しいと言うこともなければ、その逆もないのです。みんなで 話し合って決めたこと以外に、正しいことはないのですから。すべては相対的にしか考えられない 世界なのです。だからみんなで決めたことや大勢でやる暴力などは、やる人にとって見れば 恐ろしいことではなくなるのではないでしょうか。 私は個人的には、「和の精神」とは恐ろしいものだと思っています。よくよく注意して考え なければならないことだと信じています。使い方によっては、自分たちを窒息させてしまう のですから。 上に箇条書きしたようなことがなぜ起きるのか、和の精神に基づいて考えれば納得できると 考えます。 「和」の考え方は、聖徳太子の十七条憲法に書いてある精神です。そのなかの第一条と最後の 第十七条にあらわれています。ここでは条文を書くことはしませんが、最初と最後にダメを押す形で 書いてあるということは、それだけ大切だということです。
★「和の精神」について 3 第1条 和をもって貴しとなす これは、お互いが協力することが大切ということです。みんなで仲良く話し合えさえすれば、 ものごとは必ず道理にかない、必ず成功するということです。仲良くすることが最高の姿なのです。 善悪は関係なく、みんなで決めたことが最高の「善」なのです。 第十七条 ことはひとりで決めてはならない。必ずみんなとよく議論しなさい。中略。そうすれば ものごとは必ず道理にかなう と、言っているのです。 私流に解釈すれば、 話し合って決めたことが、最善であり、最良である 話し合いで決めれば、ことの善し悪しは関係なくなる 話し合いで決めたことの責任は問わない 全員一致に到達するには、根回しが必要になる 全員一致で決めなければ、必ず恨みを持つ人が出てくる 会議の席上で反論すれば、仲良くできなくなる 出る杭は打たれる 本当のことでも、和を乱すことは言ってはならない 相手を傷つけるようなことを言ったり、してはならない 和を保つためには、多数の間違った意見にでも自説を曲げなければならない みんなで決めれば、憲法さえも無視できる と、このように解釈できます。 なかには、極論じみたこともありますが、基本的には こういうことになると思います。 このことからでてくることが、いまの社会を覆っていると思うのです。結論を先に言えば、 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」となるのです。これはビートたけしの有名なブラックジョーク ですが、本当に日本人の心の内を端的に表していると思います。
★「和の精神」について 4
要するに「和の精神」の表れなのです。 みんなでやれば、責任は問われないし、罰せられない
からです。だから団体をくめば、どんなことでもできてしまうのです。
このようなものの見方で社会現象を見ると、なぜ今のような社会になってしまったのかが分かり
やすいと思います。政治家、官僚、経営者、民間の組織に至るまで、なぜこうなってしまったのか
実に明快ではないでしょうか。
「和の精神」とは個人のレベルで単純に素直に考えれば、「みんなお互いに仲良くして、争いごとが
ないようにしましょう、協力しましょう」ということであり、こんなにいいことはありません。
このような意味では、なにひとつ否定的な見方はできません。
「和の精神」にもいいところ、人間関係の潤滑油として学ぶべきことはたくさんあります。
大切なことは私が指摘したような面もあるということを、見過ごしてはもらいたくないと言うことです。
ものごとの裏表の両面を見て、そして総合的に判断して欲しいということです。この件に関しては
書きたいことはまだまだありますが、これくらいにします。
しかし組織や社会の問題となると、ことはそう簡単ではないのです。「和」ということを見直さ
なければならない時期になっていると思います。和の精神を見直さないで、いくら社会や組織の
あり方を議論しても、また元に戻ってしまうと考えます。
聖徳太子が「和」を重視しなければならない時代に生きたように、私たちは「和」を見直して
新しい「和の概念」をつくりあけなければならない時代に生きているのだと言いたいのです。
時代は常に変化しているのですから、時代に合った概念を必要とするのです。
もっと楽に生きてみないか 2002年5月作成
http://www4.plala.or.jp/k-k/rekiden001.html
★日本の過去と未来を示す2つの「恥」意識 1 at home 教授対談シリーズ 工学院大学国際基礎工学科教授 畑村洋太郎氏 (前略) 畑村 なるほど。恥とは新鮮な着眼点ですね。 では、せっかくですから、もう少し掘り下げて考えてみたいのですが、私は「恥」にも2通り あるのではないかと思っています。そしてここには、今の日本で正さねばならない姿と、 今後進むべき姿、この2つの対極ともいえる意識が隠されていると思うのです。 ──随分、重要なキーワードに気付いてしまったようですね。早速、お聞かせいただけますか? 畑村 1つは、社会規範に対しての「恥」です。日本は、組織や協調性というものを大事にする 文化が強い国。悲しいことに、いまだ従来型の「村文化」が横行しているのが現状です。このため、 何か失敗をしてしまった時に、まず会社などの組織の損得を考え、隠そう隠そうとしてしまう ケースが多いのです。今、問題視されている大企業の不祥事などはその最たる例ですね。 明らかに間違っていることなのに、組織の中でそれを指摘できずに良しとしてしまう。 ──確かに、昔はそれでも通用したのでしょうが、時代とともに価値判断も大きく変化しています。 畑村 その通り。昔に比べ、人、ものの移動の範囲が広がっていますし、今や文化さえも流通する 時代です。失敗を恥という意識で捉えるなどという小さな器の人間の集まりでは、組織の膿は ますます大きくなってしまいます。ですから、組織のためにと失敗を隠そうとせず、むしろ 今後の教材として公にするべきなんです。 最近よく耳にする内部告発なんていうのも、この文化に我慢ならない、また良心に正直な人々が 起こす行動だともいえます。ですが、思い切って公にしても裏切った、リークしたなどと 責められてしまったりする…。こんなおかしな話はないと思うのですが、そういった強制力の ようなものが、まだこの国の文化に色濃く残っているわけです。 ──分ります。如何ともしがたい現実ですよね。先生は、失敗学を世に広めることで、 このような風潮、意識を取り除いていきたいと思っているのですね。
★日本の過去と未来を示す2つの「恥」意識 2
畑村 ええ。そこで逆に広めていきたいのが、2つめの恥の意識なんです。
同じ恥の意識といっても、こちらは己の良心に対する恥の意識。自分はこうしたいと思っているのに、
その意志に反した行動をとってしまった、とらざるを得ない状況に陥った場合などに感じるものです。
いってみれば自身の志に対する失敗の恥の意識で、これは人の生き方に関わる大事なことです。
──個人の価値基準が問われるわけですね?
畑村 その通り。現代は、精神的にも経済的にも肉体的にも個人の自立が求められる時代です。
自身できちんと考えて行動する、決して人の基準で動かない強さが必要なのです。ですから逆に、
志に対する恥の意識を持っていない人は流されてしまうでしょうね。前者の「恥」とは大違いです。
──おっしゃる通りですね。自身で基準をつくり行動するのは、怖さ、辛さを伴いますが、これが「志」ですよね?
畑村 そうなんです。ですからその志に従って、失敗を恐れずに突き進んで行くべきなんです。
そして、もし失敗してしまった時には、隠すことなくその事実を直視し、そこから学び今後の糧とする、
この姿勢こそが生きていく上でとても大事なのだと思います。
──そういう人間が集まれば、自ずと組織も文化も変っていくでしょうね。
畑村 そう思います。
とはいえ、生死に及ぶような致命的な失敗は絶対にしてはなりませんよ。しかし、多少の痛みは
必要でしょう。というのも、人間は、痛みを感じた時点で初めて次への対策を考えるもの
ですから。それから、失敗学は決して「失敗しろ!」と勧める学問ではありませんからね(笑)。
──はい、よく分りました(笑)。
http://www.athome-academy.jp/archive/engineering_chemistry/0000000155_all.html
81 :
SOS・・・SOS :2012/01/06(金) 17:57:47.71 ID:XWT2Oj1k
82 :
名無しさんの主張 :2012/01/06(金) 23:44:12.99 ID:aKakTpAp
日本の協調性ってサイコパスの奴隷のことだろ なんなんだこの国は
83 :
名無しさんの主張 :2012/01/07(土) 00:38:01.81 ID:SK9/5+OW
>1 良ス乙。 日本人は徹頭徹尾、「忍耐と協調性」だからね。 これを小中高で叩きこまれる。 保守系メディアが日教組云々問題視してたって、実際に彼らが教えることはこれだからね。 戦前の軍隊教育と何ら変わらない。 サービス残業しちゃうのも、自分だけ早く帰ったら残った人に何を言われるか分からない ていう至極マイナスな思考をするからだからね。
84 :
名無しさんの主張 :2012/01/07(土) 00:45:06.64 ID:SK9/5+OW
>>83 あと、やはり学校教育における
子供たちに少しでも多く友達を作らないといけないようなイメージを植え付ける
教師の日々の言動や
これも繰り返し叩き込まれる、人は一人では生きていけませんとか
みんなで力を合わせて一つになることの大切さとかだね。
全て集団主義に通じる訳で、これ以外のことは教えられないもんだから
丁度、北朝鮮の人民には金王朝を賛美することしか語られないようなもんだね。
絆、(みんなで)頑張ろう、ニッポン! とかも同じだな。 何を筋とする絆かとか、何を頑張るのかとかよりも、とにかくくっついて、 無思考に陥るガンバ!主義一辺倒が気持ち悪い。
86 :
名無しさん@12周年 :2012/01/07(土) 01:21:16.46 ID:SK9/5+OW
学校教育における集団主義教育の代表が部活だわな。 ただタチが悪いことに、ここでの活動が高校進学や就活時の武器になっていたりする。 今でも大手企業じゃ中高大時代に部活やってた奴が採用の主流じゃないか? 結局、求めてる人材は、どう御託を並べてもいつの時代も忍耐と協調性のある者ってことで 早い話、社畜になれる人材だ。 未だに日本社会のメインストリートはこれが主流な上に、部活やってた体育会系っていうのは 基本、物を考えず、ただ命令に従順なだけなので、ビス残等悪弊はいつまでも変わらない。
87 :
名無しさん@12周年 :2012/01/07(土) 01:32:50.27 ID:SK9/5+OW
>>86 問題なのは、体育会系というのは、一見武闘派のように見えるが、
実際は、従順かつ命令を受ける専門なので、野球部とかバレーボール部とか
与えられた枠(部・競技)の中で闘えと言われると馬鹿みたいに闘うが、
枠以外のことや枠内のルールに反することについては闘えない、関心も持たない小市民だということだ。
これも上からの命令があれば動くんだろうがw
だから、ビス残なんかについても、反対することは社内的にルール違反の雰囲気だし、
他にも社内や社会に問題点があっても、改善すべく行動を起こすということはしないし、できない。
体育会系なんて所詮、中身なしの殻だけなんだよな。
88 :
名無しさん@12周年 :2012/01/07(土) 01:45:45.03 ID:SK9/5+OW
>1のテーマの原因になっているであろうことは、他には、 欧米のインテリには心に牙があるが、日本のインテリには牙がない ってことだろうな。いくらか欧米に対して盛ってるかもだが。 日本のインテリは、ただただ温厚で人当たり良く、怒りを知らないし怒れない。 要するに、極めてお行儀が良い。ただそれだけ。 だから社会の悪弊を変えるべく声を上げたり、内部告発するような行動は起こさない。
89 :
名無しさんの主張 :2012/01/14(土) 02:17:12.46 ID:2xVCXFrp
>>88 オリンパスのウッドフォード元社長の告発なんか見るとそう思うよ
社内の不正に社長として忠実に告発した人間が追放される
狂ってるよ
これで海外の投資家に日本企業の異常性が広まり
日本の株式市場を敬遠する海外投資家増えると思う。
★「シリーズ人生に必要な力その45自分力」 1 KYという言葉が世の中を席捲してからというもの、その言葉を耳にする機会こそ少なくなった ものの、相変わらず空気を読まなくてはならない風潮はいまだに強く残っているようです。 「お前空気読めよ」「あの人って空気読めないよね」 たしかに全体の雰囲気を尊重することは大切です。集団行動や組織においては自己主張より周囲に あわせるほうが得策な場合もあるでしょう。でも、この国には、空気を読みすぎてしまう人が多いようです。 島国という環境に起因するのか、仲間はずれや孤立を恐れ、自分自身を押し殺してまで空気を重んじて しまう、果たしてこれは正しい生き方なのでしょうか。 協調性とか、和とか、この国にはとてもいい言葉があります。でも本当の協調性は、いろいろな 価値観の存在を認め合うことであって、ひとつの色で統一することではないはず。自分を抑えることや 控えめになることと謙虚さは違うのです。自分の価値観を提示すること。それぞれの価値観を尊重しあうこと。 両者が備わった世界が協調性であり、和であって、ひとつの価値観で統一することや、誰もなにも 言わなくなることは、本当の平和ではないのです。 「問題は、空気を読めないことではなく、空気を読みすぎることだ」 空気を読めないことより、読みすぎてしまうこと。自分を出せずに終わってしまうこと。周囲の目を 気にしながら生きるなんて悲しすぎます。そんなもの気にしないで生きる力。生きたいように生きる勇気。 孤独、孤立を恐れていては本当の自分にたどり着きません。周囲にどう見られようと、わが道を行く。 それが本当の生きる力であって、そこに真の強さがあるのです。 たしかに空気を読む行為も軽視はできません。でも、どの価値観よりも大切なことは、自分らしく 生きること。そのだいぶあとに、空気を読むことがあるはずです。お金がなくても自分らしく生きていたら、 自分が納得する生き方をしていたら、きっと充実した日々を送ることができるでしょう。もちろん、 ときには自分を曲げなければならないこともあります。胸がいたむこと、意に反することもしなくては ならないときもあるし、聞く耳をもたなくなったらおわりです。
★「シリーズ人生に必要な力その45自分力」 2
でも、自分を曲げすぎてしまったら、ある日突然パキッと折れてしまう。人の心はそんなに柔軟には
できていないから、竹のようにある程度撓ることはできても、曲げすぎたらいつか折れてしまうのです。
自分らしく生きる、それは奇をてらったり、我侭・身勝手に生きることではありません。もちろん
迷惑をかけていいということでも。周囲への配慮と空気を読むことはまったく別物で、人への思いやりが
欠如していたら孤立が待っているだけ。自分らしさは自分だけでは手に入らない。周囲の賛同がなければ、
自分らしく生きることだってできないのです。そして、自分自身が自分を理解していなかったらなにが
「らしさ」なのかもわかりません。数々の挫折や失敗を繰り返して、自分というものが見えてくるもの。
自分らしさには時間と経験が必要なのです。
自分の価値観を人に理解してもらうことは容易なことではありません。自分の心の中にあるものを
言葉で伝える。もちろん伝え方も大事。それが独特であればあるほど、時間はかかるもの。そういう
ときこそ相手の価値観を受け入れる。そうすることで自分の価値観に耳を傾けてもらえる。空気を
読むのではなく、相手の価値観を受け入れる、それがやがて自分らしさに繋がるのです。
空気を読むことも大切、読まないことも大切。それでも空気を読みたいのなら、みんなが自分らしく
生きられる空気にするべきでしょう。みんなが遠慮しあうそれは健全な空気ではありません。皆が
それぞれの色で表現しやすい環境、それが僕たちの目指す世界。孤立や孤独・批判をおそれて空気を
読むのではなく、周囲に流されずに自分の価値観を主張する。周りを気にして生きる人生じゃ
もったいない。お互いがそれぞれの言葉を尊重しあう世界。人生には、自分力が必要なのです
ふかわりょう BLOG/TOP/第417回「シリーズ人生に必要な力その45自分力」
http://blog.watanabepro.co.jp/fukawaryo/archives/2010/09/post_51.html
★オーストラリアのナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5 1 2012/02/07(火) 01:02:53.06 ID:0 もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。 彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る 後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の 中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。 1. 「自分自身 に忠実に生きれば良かった」 「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんに よると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあった ことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を 去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。 2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」 男性の多くがこの後悔をするとのこと。仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に 過ごせば良かった、と感じるのだそうです。 3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」 世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わって しまった、という無念が最後に訪れるようです。
★オーストラリアのナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5 2
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が
途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。もっと友達との関係を大切にして
おくべきだった、という後悔を覚えるようです。
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。
旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ
「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。
以上、どれも重く響く内容でした。これを読んで、あなたは明日からどう過ごしますか。
(文=阪井亮太)
http://rabitsokuhou.2chblog.jp/archives/67301364.html
★協調性がないとなぜ攻撃されるんですか?
Yahoo!Japan知恵袋 toatoatoayさん 質問日時:2011/9/1 14:28:11
協調性がないとなぜ攻撃されるんですか?
協調性においては協調性がある人。ただ耐えて中にいる人。面と向かって出来ない人がいると思います。
日本人は協調性が大好物です。
幼稚園の頃から徹底的に叩き込みます。
で、協調性がないと叩かれますよね?
何しろ幼児の頃から叩き込まれている価値観ですからそこがダメだと人間性否定くらいの勢いです。
私自身はただ絶えて中にいた人です。
今は30も半ばを過ぎたのであまり関係ない世界にいますが。
会社や学校では個人ありきではなく、まず団体の思想や決まりがあり、そこに個人を当てはめていきますよね?
それで何が厄介かって個人がないからっぽな人ほど鼻息荒く威張ったりするのが目に付くこと。
個人がきちんとある人で学校や職場にもいる人は信用できますが、
ない人ってとにかくはみ出し者を嫌い攻撃して正す事にのみ自分の価値を高められる感じに見える。
会社自体になろうとしてるのか?みたいな。
あの人たちってAとかBって呼べば十分なくらい会社(学校)の一部です。
個人的には協調性がない人はないんだから攻撃するのは単なる嫌がらせだぞ?と思います。
そして協調性があるだけじゃ何も偉くないのにと思います。
協調性ありきで社会やコミュニティが存在してるのなら世の中なんかちっとも楽しくないですね?
協調性協調性と声高に言う人々は人生楽しいのかしら。
協調性って後付けで十分じゃないのかな。
なぜ日本では真っ先に、まず最初に協調性なのだろうか・・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1470291989
黄色い腐乱人間
★日本の常識が通用すると思うな!
「日本では考えられない」とは考えないフィリピンの多くの英語学校は韓国資本で、韓国人
スタッフが学校運営をしていることが多いです。(アメリカ人経営と言われているところは、
たいていフィリピン人が運営していますが)
韓国は、文化や習慣が日本と近いため、韓国人学生向けに整えられた学校は日本人も比較的
快適に滞在できます。 しかし、フィリピン人の先生やスタッフとの間や、外出時などに、
カルチャーギャップを感じることもあるでしょう。
たとえば、ショッピングモールなどに行って、店員のサービスが悪いと感じて、「日本では
当たり前なのに!」と思うことも少なくないかもしれません。 でも、実は、「お客様は
神様です」というのは、日本だけなのです。
なぜ、英語を学ぶのでしょうか?
日本人以外の人と、コミュニケーションを取るためではないのでしょうか。 それは
すなわち、英語を学ぶということは、言語を学ぶというだけにとどまらず、外国人との
付き合うためのスキルを学ぶということなのです。
「日本の常識は、海外では通用しない」ということを学ぶのもまた、留学の重要な要素なのだと
私は思います。 そのあたりを理解せず、「日本と違うから」という理由で怒ってしまう方が
たまにいらっしゃいます。
そういう方は留学というより海外には向いていないので、日本から出ない方が無難です。
日本人的奥ゆかしさはグループクラスでは捨てる 逆に、英語を学ぶ上で、日本人としての
習慣が邪魔をすることがあります。
英語というのはもともと個人主義の人たちの言語なので、協調性自体は日本に比べると
それほど問題になりません。 たとえばグループクラスで、日本人は他人に遠慮したり、
気恥ずかしく感じて発言しないといったことがよくあります。
しかし、他人に遠慮してあまりしゃべらない人より、他の生徒を気にせずどんどんしゃべる
人の方が、上達は早いです。 もちろん他の学生を無視してどんどんしゃべるのはいきすぎ
ですが、積極的に発言するようにしましょう。
http://philippine.jp/pro/failure/commonsense.html
★対人恐怖症は人間関係・協調性重視の日本特有の文化依存症
対人恐怖は日本人特有といってもよいほどの症状で、欧米ではほとんど見られません。
欧米社会では個人主義が発達し、自分の個性を出して、堂々と自己主張することが望まれる
風潮があるためか、対人恐怖症という病気は、病気の存在すら認識されていません。
従って、病名もなく、精神病理学の世界でも、「Taijin kyofusho symptoms」と日本語の
ままで呼ばれるほどなのです。
この差は、欧米では幼少期から個性を大事にして育てる風土があるのに対し、日本人は
協調性を守るように教育されてきていることが原因と考えられています。
つまり、日本では古くから上下関係や近所付き合いが大切と教えて来ました。周囲との
協調性は日本人の長所とも言われます。
従って、周りの人と調和が取れない人は、それが罪悪であるかのように捉え、対人恐怖症へと
繋がってしまいます。日本では周囲への気配りや場の空気を読むことが大切にされ、
自己主張が目立つ行為は敬遠されがちなためか、対人恐怖症は決して珍しくない病気です。
日本のような集団行動を重視する社会においては、アメリカなどの個人主義の国に比べ、
人間関係(対人関係)が崩れることは、社会的な死を意味するため、この「社会的な死の恐怖」から
対人恐怖症の症状が起こりやすくなっているのではないかと考えられているのです。
つまりは、対人恐怖症は日本特有の文化依存症候群ともされています。
http://taijinkyoufu226.com/04/
★いじめの本当の原因 1 書店で哲学者の中島義道さんの新刊を手にとった。 タイトルは『人生に生きる価値はない』 相変わらず過激なタイトルだ(笑) 最初のページに興味深いことが書いてあった。 いじめの本当の原因についてである。 それは、日本人のDNAに染みついていると思われる 「みんな一緒主義」であると喝破されていた。 著者は学校時代、勉強以外の集団行動が苦手だったと言う。 登下校も休み時間も一人でいると、先生や周囲の大人から 異常者扱いされて、クラス会で「問題」にされたそうだ。 みんなと違う=協調性がないから仲間はずれになるのか。 違うと著者は言う。 いじめは協調性の欠如(いじめられる人)から生ずるのではなく、 協調性の欠如を非難する(いじめる人)態度から生ずるのである。()内は白猫 うーん。なるほど。 協調性とは言い換えれば「周囲に合わせること」である。 和を尊ぶ日本人は特にその傾向が強いが、 その協調性が時には仇になることもある。 国民の多くが日本が神国だと疑うことを知らず 戦争をしていた時代があった。 外国の魔女狩りやユダヤ人迫害なども、善良で 協調性のある人々がやったことではなかったか。
★いじめの本当の原因 2 では、いじめをなくすにはどうすればいいのか。 中島先生は、小学校の頃からの「みんな一緒主義」をなるべく薄め、 食事や行事、休み時間の過ごし方、勉強の仕方など、 多様な選択肢を子どもに与える体制をと提案されている。 以下、文中から。 いじめは、日本的集団主義にどっぷり漬かっている場で進んでいく。 その恐るべき威力には親も先生も生徒たちも気づかない。 「わがままはいけないよ」という静かな口調の裏に、 「自分だけよければいいわけじゃないよ」という軽い非難のうちに、 いじめの針は光っている。 こうして、われわれが「みんな一緒主義」を切り崩す文化大革命を 本気で推し進める気がない限り、 日本型いじめの撲滅はあきらめなければならないであろう。 そして、私見では、大多数の同胞にその気はないのである。 たしかに、日本人は強迫的なまでに人に合わせようとしますね。 出る杭は打たれる。嫌われるのがこわい。いい人に見られたい。 白猫もブログでは"ありのまま"とか書いてますけど、 外ではけっこう猫かぶってます(^▽^)ゞ笑
★妙な協調性があり、閉鎖的な日本の学校生活 1 帰国子女の高橋美紀さん ◆カナダとアメリカで育ち、英語が母国語に 高橋さんが2才のときに、自動車部品メーカー勤務の父親の海外赴任が 決まり、一家はカナダのトロントに移住した。物心つく前だったので、 日本の記憶は全くないという。 高橋さんは、自分が英語を習得していったプロセスをよく覚えているという。 それは、小さい子供が母国語をマスターしていく過程そのものだった。 初めは相手の言っていることが理解できるようになり、相手の意思が 理解できても言葉を口に出して答えられない状態が続き、次第に単語単位で 応答できるようになる。 すぐに英語で自然に会話ができるようになり、外では英語、家庭では 日本語を不自由なく使い分けられる完全なバイリンガルの子供になった。 小学校に入学してすぐの頃、父親がロサンゼルスに転勤になった。 平日は現地の学校で、米国人と同じ教育を受け、週末だけ日本人子女の ための補習校に通っていた。補習校では日本人の友達に会えるのが 楽しかったという。特に、帰国後の受験を意識するようなことは全くなかった。 ちなみに、日本語の読み書きはマンガで覚えたそうだ。 「ドラエモンを夢中になって読んでいました」 子供時代の高橋さんにとって、海の向こうの日本はマンガの国だったという。 「あの頃は毎日がとても楽しかったんです。ロスの学校はとても自由で、 一人一人の個性を伸ばしてくれました。はっきりと自分の意見を言うことが 大切だと教わったんです。みんなそれぞれ違っているのが当たり前で、 違うところを理解して受け入れるように教育されました…」 7才までロスですごす。その後父親が国内の本社に戻ることになり、家族が 帰国したのは高橋さんが小学4年の3学期のときだった。
★妙な協調性があり、閉鎖的な日本の学校生活 2 ◆ 異質な存在を受け入れない閉鎖的な日本の子供社会 すぐに日本の小学校に通い始めたのだが、日本の学校では「みんな勉強 ばっかりしている」と感じたという。米国の学校に比べると宿題が多いし、 学校の授業が終わってからも塾に通っている子が少なくなかった。 しばらくすると、日本の子供社会に妙な協調性があることに気が付き、 違和感を持ったという。クラスでなにかを決めるときでも、たいていみんなが ひとつの意見にまとまってしまう。そんな環境で、個性と自己主張が強い 帰国子女の高橋さんは、自然と浮いた存在になってしまった。 転校生というだけで仲間はずれにされるリスクが高いのが、日本の 小学校である。海外育ちで、英語風のアクセントで日本語を話す高橋さんは、 かっこうのいじめの対象になってしまった。近所の子供達と遊んでいるときも 「美緒ちゃんの話し方は変だよ」とからかわれる。もちろん、仲のいい 友達もいて、かばってくれることもあったが、均質な日本人だけの小学校で、 異質な存在を受け入れてもらうのは難しかったようだ。
★妙な協調性があり、閉鎖的な日本の学校生活 3
◆ 帰国子女をけむたがる英語教師
中学に入学すると、英語の授業が始まった。高橋さんには、当然ながら
英語は「楽勝」だった。それが面白くなかったのだろうか。いじわるな(?)
英語の先生がいて、「おまえが英語ができるのは当たり前だ」と決めつけ、
テストでいくら満点をとっても、5段階評価で3しかくれなかったという。
少し妙な話だが、「おれは努力をした生徒を評価する」と言い張る先生にも、
それなりのメンツや理屈があったのだろう。クラス一の優等生の池田くん
(仮称)も、高橋さんのことを毛嫌いしていたという。たいして勉強をしている
様子もないのに、いつも自分より英語ができる帰国子女の存在が
おもしろくなかったのだろうか。
勉強そのものは嫌いだった。国語や数学で苦労していたため、成績は
真ん中よりも少し上くらいだったという。中学でも学校生活に息苦しさを感じ、
なんとなく馴染めないと思うことがあった。美術部や広報部のクラブ活動が
良い想い出だという。
県立高校に進学。一転して、高校生活は充実していて楽しい日々だったという。
中学まで時々あった陰湿ないじめはすっかりなくなり、心を許せる友達も増えた。
ようやく日本での学校生活になじめるようになったのだ。
―いまどきの翻訳学校の生徒
http://www.kato.gr.jp/lifestyle/lifestyle7.htm
104 :
名無しさんの主張 :2012/03/11(日) 21:00:33.27 ID:XjEGoLwF
日本人の協調性=赤信号皆で渡れば怖くない 自分一人じゃ何も判断したくないんだよ
協調性を強要されて我慢している人達にとってはそうではない 自由な人が憎たらしく思えてしまうんだろ。 でも日本も自分の意見をはっきり言える人は増えてきてると思うよ。 辞表を胸に入れてバリバリ働く人もいる。 周りには悪口ばかり言われてるようだけどカッコいい。 自己主張できないってのは未熟で幼稚な事なんだよね。
日本の企業をみていて思うことがある 形式的なことが多すぎると 嘘ばっかりで人間おかしくなると思う 上っ面だけの正さを妄信してしまう 逆に本質を持っていて芯が通っているものは軽視してしまう たとえば態度がフランクな人がいると それだけの理由で不誠実だとかマナーがないとか評価を下げて怪訝な顔をする 本質そっちのけでね これって全然正しくないし頭おかしいことだと思う 日本人やばいよ
★リーダー、ヒーローが要らない日本人 1 数年前から、日本では総理大臣が頻繁に変わっている。原因のほとんどは、その人の能力や 資質によるものだと思うが(特に政権交代以降は顕著)、一方でマスコミが、ほんのちょっとした 失言でも責め立て、それに国民も同調するという事がなくならなければ、事態は変わらないと思う。 このままでは、誰が総理大臣になっても同じ、あるいは、もはや誰も総理大臣など出来ないのでは ないか。 もっとも総理大臣に限らず、その他の大臣、自治体の長、官僚のトップ、会社の社長など、 リーダーに対して、今の日本人は異様に厳しいし、リーダーそのものに、嫌悪感があるのでは ないかとさえ思える。皆と同じでいたい、皆と同じであるべきだ、という日本人独特の横並び意識により、 リーダーという存在さえ、異質なものと捉え、隙あらば叩く、という気持ちになるのだろうか。 自分が学生だった頃は、教育も世の中も結構画一的だった。それに比べれば、今は自由で、 個性も発揮しやすいはず。実際、ゆとり教育で個性重視が謳われているし、世の中的にも、 変化の激しい現代は、独創的な思考が必要だということで、やはり個性が重視されている。 このような環境なのに、日本人は、享受できる自由を、そして発揮できる個性を、異質なものを 監視することに使ってしまっているようだ(しかもインターネット等の発展で、年々強化されている 感がある)。何とももったいないことだ。 日本人の横並び意識は、この前の震災時に海外から称賛された、規律や協調性、治安のよさなどの、 プラスの面も生み出すが、行き過ぎて、ちょっとの違いも叩かれるという雰囲気は、何とも息苦しい。 いずれにしても、リーダーというものは必要なのだ。非難すべき点は非難すべきだが、リーダーの 存在さえ否定したいかのような、些細な事での揚げ足取りはやめたいものだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★リーダー、ヒーローが要らない日本人 2
以上の話に関連して、思い出すことがある。ちょっと古いが、今年1月に行われた、サッカー・
アジア杯決勝戦のことだ。(一体何の関連が、と思われるかもしれないが)
それは、対オーストラリア戦だったが、非常に緊迫した見応えのある試合で、0対0のまま、
延長戦後半に入った。そこで、李忠成という選手が、素晴らしいボレーシュートを決め、結局1対0で
日本が優勝した。試合後のインタビューで、李選手は「自分がヒーローになると言い聞かせていた」
という発言をしていたのだが、この発言が、ネットで結構叩かれていたというのだ。なぜ自分の
ことだけ言うのか、なぜ皆のおかげで勝てたといったことを言わないのかと。
このことを知って、私は驚いた。確かに自分も、李選手のインタビューを聞いた時、「日本人の
一般的な発言とは違うな」と、一瞬思ったのは事実だ。(こう思ってしまうところが、どっぷり
日本に浸かっている証拠?) でも、本当に見事なシュートを決め、まさにその1点のみで勝てた
試合なのだから、人間の素直な感情として、俺がヒーローだという発言をしても、何の不思議もない。
個人的には、皆のおかげです的な、謙虚な発言が好みなのだが、そんな私でも、この時は李選手に
対して、確かに君がヒーローだよと思ったし、いつまでもヒーローと言い続けるのは、あまり感じが
よくないが、試合直後くらい、ヒーロー感に浸らせてあげなよ、と思った。偉業を成し遂げた直後
でさえ、ヒーローになることが許されない日本。何とも息苦しくないだろうか。
英語110番のブログ 2011年9月21日 (水)
http://eigo110.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c9af.html
★本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている? 1 雨の日は本を広げて 2012-04-03 ** 「生きる力」をつけるドイツ流子育てのすすめ サンドラ・ヘフェリン ** 外国の文化に触れると、発想が柔らかくなる気がしますよね。現実を概念で切り取ってくる やり方が違っていて、こういう考え方もあったのかと気がつくことが多いです。 著者は1975年ロンドン生まれのミュンヘン育ち。小学生の頃日本で過ごしたことがあり、 大人になってからまた日本にやってきました。この本は日本語で日本人に向けてかかれたもので、 10年ほど前に出版されています。 ドイツの子育てや教育と日本を比較して、感じたことをさらりと表現してあります。 ドイツといえば、第二次世界大戦では日本と同じく敗戦を経験し、最近はユーロ圏の中では 経済的に安定した国として注目されています。生真面目で勤勉な国民性、職人に支えられた 手工業がさかんだったことなど、似ているところもたくさんあります。どのように似ていて、 どのように違うのか、興味があるところですね。 生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ 作者: サンドラヘフェリン,Sandra Haefelin 出版社/メーカー: PHP研究所 発売日: 2002/07 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る ドイツの小学校は4年生までで終わります。5年生からは、大雑把に進学コースと職業コースに わかれ、進学組はギムナジウムという小・中・高の一貫校に通い、卒業試験を経て大学へ。 職業コースは5年で終えて美容師や大工、パン職人見習いなどになるレアールシューレと、 その途中からより上級の職業学校にすすんでビジネスや福祉などを専門に学ぶハウプトシューレが あります。 10歳やそこらで進学か職業かの選択は早すぎるという意見もありますが、途中での針路変更は きくのだそうです。落第が多いので学年にいろんな年齢の子どもが混じっていることが多く、 そもそも小学校に入る年齢も6歳か7歳かを選べるということで、年齢ではなく、自分の学びの 進み具合に合った学年に属している感覚のようです。
★本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている? 2 ただし、この制度のために、ある種の職業差別のようなものが生まれているとも言います。 学校には掃除の時間がなく清掃業者がやってくれるし、ギムナジウムには家庭科の授業がなく、 掃除や料理などは教育のない人がすることだというような意識があるのだそうです。その点は 日本の方が、生活の基本的なこと、食べものの栄養や掃除の仕方などの知識を教えていて良いと、 この著者は言っています。 家庭でのしつけは、ドイツなどヨーロッパは「カップル文化」、日本は「親子文化」といっています。 ドイツでは夫婦の生活が大事なので、子どもは赤ちゃんの頃から個室が与えられ寝かしつけられる。 子どもはたいてい8時ごろに寝て、その後は大人の時間ということになっているのだそうです。 睡眠はたっぷりとらせるのが良いとされ、子どもがいつも眠そうにしていると、親が だらしないと思われるそうです。 著者自身は、日本の添い寝やおんぶの文化が好きで、ゼロ歳から1人で寝かすのは親の身勝手の ような気もするといっています。一方で、日本人は睡眠を軽視しすぎで危険に思うとも 述べています。ドイツ人は大人になっても、睡眠をとても大切に思っているようです。 また、新鮮な空気を吸うこともリフレッシュには欠かせないと考えられていて、土日はもちろん 平日でも長時間散歩する習慣があるのだそうです。赤ちゃんでも、0歳からお天気にかかわらず、 毎日30分から1時間の散歩に連れだされるといいます。 学校は、上級生になっても午後1時ごろ終わるそうなので、宿題や遊びは午後にして、夕食の あとはすぐ寝る準備というのが子どもの一日。部活はなく、10代になるとダンススクールに通い、 そこで彼や彼女ができることもあるといいます。 時間を守ることと、整理整頓は小さいうちから厳しくしつけられるようです。本に折り目をつけたり 書き込みをするのもだめ。ドイツ人は日本人よりずっと几帳面な感じがします。
★本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている? 3 繰り返し出てくるのが、日本の集団主義と横並びの平等主義についての違和感です。朝礼や ホームルームは、ファシズムのイメージがあるといいます。大きい声で「ハイ」と返事をさせるのも 同様。ドイツでは以前使われていた、命令に従う意の"Jaowl"ヤウオールという返事の言葉は 死語となり、人の意見を聞くだけでなく自分の意見を言えることが大事とされているといいます。 子どもの進路についても、なんでもできることよりも自分らしい才能を見つけていくことを親も 学校も考えていて、日本のように他の子と比べて競争させたり、苦手を克服する努力を求められたり ということは少ないといいます。 また、子育てでは、良心"Gewissen" ゲウイッセンをもつことが大事に教えていて、誰が見ていなくても、 裏表なく正直に生きることを第一にするのだそうです。けんかをしてはいけないという言いかたを されることはなくて、けんかになったら、幼稚園でもしっかりお互いの言い分を聞き、きちんと 討論させて解決するし、それでも決着がつかない場合は、しばらく距離を置くようにさせるのだ そうです。無理やり仲良くさせるというやり方はしないといいます。 そういう観点から、著者は、日本の学校、とくに中学や高校で、制服などの規則が多く内申書のために 無理をしなければならない事情を見て、静かな怒りを覚えるといいます。 日本の学校で「よい子」とされているのは、先生の言うことをなんでもおとなしく聞き、 その場の和を崩さず、自分の本性を見せない子どもだ。(33ページ) ドイツのティーンエイジャーは派手な格好をして自己主張することで大人になっていくし、 それを学校も認めているのだそうです。反発は大人になるためのステップで、これを通過することで 自立が獲得されると著者は考えています。日本の女の子は、大人になる段階を踏めず、少女から そのままおばさんになる感じがすると。 学校に支配される子どもたちはそのストレスを隣の人に返し、それがいじめの問題につながっている と著者は見ています。
★本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている? 4 上(先生、学校)からやられたことをそのまま下(同級生や弱い人)にやり返すのは、「自転車に 乗っている人シンドローム」Radfahrersyndoromラードファーラシンドロームだと。自転車に乗っている 人は、何かに怯えるように頭をかがめ、ペダルを下へ踏みつけているから、そういうのだそうです。 ドイツの教育現場ではこのような状態は避けるべきとされ、予防する努力がなされているものだ といいます。なのに、この悪い状態が、日本では学校によって行われていると著者には見えて いるようです。日本の子どもたちは、大人になる機会を学校によって奪われていると。そして、 そのやりかたには、古きファシズムの流れが見え隠れしていると見ているようです。 日本もドイツと同じく、かつてファシズムといわれるものを経験し、民主化された歴史を持つ国です。 でも、その民主化の道のりは、かなり違っていたのかもしれません。ファシズムに対する考え方、 感じ方も違います。 彼女の見え方はひとつの見え方であって、いろんな反論があると思いますが、当たり前に 受け止めていたことを考え直すきっかけにはなると思います。 ファシズムかどうかは別にして、大人も子どももだらだらと一日中集団と共に過ごすことが 習慣になっている日本人と違い、ドイツの人は、集団の中にいる時間と、家族との時間、自分と 向き合う時間を上手に切り替えているという印象を受けました。 また、睡眠と散歩によってリフレッシュし、効率を上げるという考え方はとても健康的だと 思います。日本では眠気と戦うためにコーヒーやタバコを濫用するのは当たり前、数年前までは 24時間戦えますかというCMでドリンク剤が大ヒットするような世の中でした。ドイツ人に してみれば、日本人は全員カフェイン依存症に見えるかも知れないと思いました。
★本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている? 5
最後に、この部分を引用したいと思います。
日本人が子どもに言う「責任」とは、イコール「人に迷惑をかけないこと」である。欧米人
(ドイツ人)には何が迷惑になるのかの幅がものすごく広いように感じられる。たとえば自分
1人だけ違うことをするなど、ドイツ人から見たら何でもない行動が、日本人にとっては「わがまま」や
「協調性がない」となってしまうのだから、同じ単語でもこの違いに驚く。(5ページ)
おそらく、その辺の概念の作り方が、欧米文化とアジア、日本ではかなり違っているのだろうと
思います。そこで求められる<社会性>のありかたも、おそらくとんでもなく違っているの
だろうと想像されます。
私がこのブログで追いかけている『発達障害』は、この<社会性>に関係していて、その概念は
欧米からやってきました。これを日本の文化の中で考えていくことは、実はとても難しい問題
なのではないかと思っているところです。
(『「生きる力」をつけるドイツ流子育てのすすめ』 サンドラ・ヘフェリン 2002年7月 PHP研究所 )
雨の日は本を広げて 2012-04-03
http://d.hatena.ne.jp/frog-beee/20120403/1333413671
あ
★旅行客の評価、最高は日本人、最低は? 1 ネットを見ていたら、面白いニュースが出ていました。 世界最大級のインターネット旅行会社エクスペディアが世界各国のホテル経営者や従業員らに 行った調査によると「日本人は最良の宿泊客、ネット旅行会社調査 最下位はフランス人」 なのだそうです。 この話題は以前(2年前)、本ブログでも取り上げたことがあるので、もしかして覚えている 方もおられるかもしれませんが、今回のニュースを見てのことなので、一部重複しますが また書きます。 実はこの話(日本人とフランス人)はもう15年以上も前ですが、これと同じ話を 聞いたので、ピーンと来たのです。 1990年を数年過ぎた頃でした。欧米人の投資家と中国を一緒に回っていたときのことです。 私はその頃PE(プライベートエクイティ)の会社を経営していたのですが、その関係で今後 有望となろう中国への投資視察旅行に出かけたのです。 その時のメンバーは、日本人は私一人で、ホスト役の香港人(カナダ籍中国人)との二人が アジア人で、あとはベルギー、フランス、イタリア、アメリカ、ユーゴスラビア、レバノン などの西洋系多国籍メンバーでした。(全部で12人でした) 基本的には我々の投資先及び投資の可能性を探るのが目的でしたが、同時にワールドワイドで 中国のポテンシャルを知ってもらおうとボードメンバーや株主などにも来てもらって、上海で 取締役会を開くこともしました。 今では珍しくもなんともない光景でしょうが、その当時としては上海で取締役会を開くなど 「何考えてるの?」という雰囲気もありました。 もちろん、仕事ばかりではなく、しっかり観光も組み込まれていました。北京ではお決まりの (といっても、私はその時が初めての北京でしたけど)故宮や万里の長城などへも行きました。 皆、バスで移動です。 するとその時、フランス人の一人がバスの中で「ハーッハッ!」と大声で笑い出しました。 彼はフランス語で書かれた中国人向けの案内書を読んでいたのです。
★旅行客の評価、最高は日本人、最低は? 2 彼は文章を読み上げてくれました。(もちろん、英語に訳して)「中国ツアー主催者へ。 (読者は中国人をイメージしてます)外国人は国によって行動や思考が違うので注意が必要である。」 (中略)「ツアーにおいて一番扱いやすいのは日本人である。日本人は、おとなしく、 時間を守り、協調性を持っている。ガイドの言うことを忠実に守る。」と。 笑いながら「おーい、Masami!ここに書いてあることは本当かい?本当に日本人って こうなのかい?」と。私も笑いながら「いやー、全くその通りだね。」 (中略)「ツアーにおいて、一番扱い辛く注意が必要なのはフランス人である。フランス人は、 団体で行動することを好まず、時間は守らない、ガイドの言うことを聞かない。 しかもそれは意識的にやっている一番扱い辛い人々であるので、注意が必要である。 協調性は全くない。」と。 彼はここを読んで大笑いしたのです。「全くこの通りだ。良くわかっているなー。」と。 私がその意味を聞くと「フランス人は子供の頃から、他人と同じことをするな、同じ行動を取るな、 皆の真似はするな、と言われて育っているんだ。だから、団体で同じところへ行くのはイヤ、 ガイドが言ったとおりの時間に集まるのもイヤ、とにかく集団行動が嫌いなんだ!」と、 以前別のフランス人に聞いた話と全く同じことを言ってました。 「それじゃあ、団体旅行なんてできないじゃないか?」って聞くと「そうさ、誰だって 団体旅行は嫌いさ。どうしても仕方がないときは、必ずルールを破るんだ」と。 彼ら2人のフランス人が北京の天安門前での集合に来なかったことは言うまでもありません。 他の人たちも、フランス人だから仕方ないと、バスは出発しました。もちろん、イタリア人や アメリカ人はちゃんと戻ってきました。 私はこの話を思い出して、モンゴルにおける五畜を思い出してしました。モンゴルは伝統的な 遊牧民族です。彼らは太古の昔から家畜と共に暮らしてきました。 それらは五畜と言います。羊、山羊、馬、牛、ラクダです。確かにウランバートルから遠く離れた 田舎に行くと、これらの家畜たちがのんびり草を食べているのに良く出会います。
★旅行客の評価、最高は日本人、最低は? 3 ですが、現代社会の主要な肉である豚と鶏はこの五畜に入っていません。ですので、これだけ 肉を食べる民族なのに、豚と鶏は最近の食べ物であり、しかもほとんどを輸入に頼っています。 なんで、豚と鶏をモンゴル人は飼わなかったのか? それはとても遊牧できないということです。五畜はいずれもおとなしく、ボスだけ抑えておけば、 あとは黙っていてもついてきます。そうでなければ、数百頭、場合によっては千頭を越す 家畜を一つの家族で管理できるはずありません。 時々、集団から離れるのもいますが、それは意図的に逃げてるのではなく、単に迷って しまったりした場合だそうです。 ですが、豚と鶏は草原に放った途端、どこに行くか見当もつきません。勝手に走り回ります。 なので、遊牧の対象からはずれたというわけなのです。 こう考えた後で、日本人についての記述をもう一度読むと、なんとなく褒められてるのか、 そうでないのかわからなくなります。 「ツアーにおいて一番扱いやすいのは日本人である。日本人は、おとなしく、時間を守り、 協調性を持っている。ガイドの言うことを忠実に守る。」 日本人は・・・羊なのかな? それとともに、価値観というのはやはり教育というか、社会環境で決まるんだなと改めて思いました。 「ちゃんと皆と仲良くしなさい」「わがまま言ってはいけません」「先生の言うことをしっかり 聞いて、守りなさい」というのは全ていい意味で言ってますが、これはフランス人から見たら、 全く逆になってしまうのかもしれません。 「和をもって尊しとなす」から教育が始まるわけですから、日本人が世界一扱いやすい 人間であることは間違いないのでしょう。
★旅行客の評価、最高は日本人、最低は? 4
私はこれはこれでもちろん良い文化だと思っていますが、これに当てはまらない人が日本では
生きにくいとすれば、とても大きな損失になってしまう気がしました。
モンゴル人を見ていると、日本人の「常識」で測ると、とんでもない人がたくさんいますが、
それは日本人の価値観が必ずしも世界中で普遍的でないことも原因の一つだと考えています。
フランス人のような「違うことが素晴らしい」「集団からはみ出す人に価値がある」という
考え方も、日本社会にもっと受け入れられるようになればいいのではないかと思います。
企業の横並び意識もこの辺に遠因があるのかも知れませんね。
徒然散文日記 2009/7/12(日)
http://blogs.yahoo.co.jp/uncle_summy/32644700.html
120 :
計札工作員え 裏金計缶&計札系迷探偵等 :2012/04/13(金) 14:55:22.26 ID:e4JnqZ0H
「計札vs計殺漢」「計札内部告発者」「数々の凶白まがい鳥調べ」 ↑ こういう 協調性は いらんわな
107 名ばかりの会議とかしても、誰も意見言わず意見を言うといじめの対象になりやすい でそこの主と言う人間が勝手に言い出し後はおしゃべり そういう現場をかなり見てきた 要は少数の真実より多数のウソが真実と思わせる国だから
★ムラ社会における協調性 1/2 人間集団の中で,いつもスタンスを変えることなく,思ったことを述べている人,仮に 『Aさん』がいるとしよう。 すると,Aさんに自分と反対意見を主張されたことで議論に耐えられず一人で怒って ヘソを曲げたり,あるいは「あの人は不快」だとか,「嫌いだ」と陰で言いだす人が 必ず出てくる。とにかくすぐ怒る,こちらが『Bさん』。 他の人たちは,穏便な空間に浸っていたい人たちであり,できれば集団の中でイザコザなど 起こしたくない。言葉を変えれば『事なかれ主義』な人たち である。だから, というわけではないのだが,Bさんが何かに怒ったり,ヘソを曲げて駄々こねたりすれば, 何はともあれBさんをなだめようとする。そう していつのまにかBさんの意見が集団全体を 代表する意見であるかのようになり,Bさんに嫌われたAさんの方が異端者として悪者にされていく。 こうして当初は誰に対してもオープンに暖かく迎え入れていたグループが,ちょっと毛色の 違う人が現れたことがキッカケとなって,徐々に排他的な集団へと 変貌してゆく。 そんなふうな光景を見ると,なんだかそれまで頑張って登り続けてきたものが,急に転がり 落ちてゆくのを見てしまったようで,私はすごく悲しい気持ちになる。 極端な話,国も社会も,あるいはどんな人間集団においても,スタンダードというのはどんどん レベルの低い,より動物的な 方向へと滑り落ちていくようだ。いくら人間が頑張って文明や 文化というものをより高いところへ押し上げていっても,あるピークを境に全体の退行が始まり, いつのまにか人々は自分の無智を誇り,逆に智恵ある人が嘲笑されるようになっていくような 空気ができてゆく。そこでは「私は頭が悪いけど,だから イイ人♪」などというような 奇妙なリクツがまかり通ったりする。
★ムラ社会における協調性 2/2
思うに「協調性」などというのは,じつにあやふやなものだ。
自分と同じ種類の人間としか協調できないような人達が,「協調性」という言葉を実に
独りよがりに解釈し,自分自身の心の柔軟性の欠落を「相手の非 協調性」などという虚構でもって
すり替える。そうやって異端者を集団から排斥していこうとする自称大人達。それがムラ社会
というものの本質なんじゃ なかろうか。
職場や家庭で疲弊しただけの自称大人などというのは,その実子供以上にコドモなんじゃないか
という気がしてならない。社会の荒波にもまれたなどと自慢 げに言ったところで,中身はうんと
コドモに退行していて,むしろ子供の方がずっとオトナだったりする。単に心が硬くなっただけの
狭量なだけの大人が,い かにもオトナ面して目上ぶって子供を育てているのかと思うと,
なんだか空しさすら覚える。
八咫ブログ 2009年6月 4日 (木)
http://yataman.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-0501.html
★協調性が目的だなんて・・・ 1 人間の統制の歴史の中では、人と違ったことをする人間は和を乱す存在として攻撃されてきました。 その攻撃は「真実」を乱す行為に対して行われたものではなく、「和」を乱すという行為に対する ものでした。それが事実かどうかということは問題ではなく、人々の心に不穏な動きを起こさせない ための情報操作が目的だったのです。中には、はげしい攻撃を受けながらも「それでも地球はまわる・・・」 と主張し、新しい真実を見出した偉い人もいましたが、残念ながら当時は認められることは ありませんでした。 人と同じ行動や服装をしないと"協調性"がないといわれる時代がありました。今もそうなのかも しれません。見た目をそろえることに意味を見出そうとする目的はなんでしょう。そうすることで 協調性を養うことができるというのでしょうか。同じ行動・服装をすることが協調性の象徴だと いうことなのでしょうか・・・。 その"協調性"は「さまざまな個性・価値観を持った人々が、何かひとつの目的を達成するために 一致団結する」という意味での"協調性"とは違うように思います。もちろん社会生活のルールや モラルは守ることが前提です。しかし協調するのは何かをやり遂げるための「手段」であって 「目的」ではないはずです。 人間関係だけに限ればそれが「目的」となるケースも考えられるでしょう。しかしそれは次への ステップに過ぎず、多くの場合、真の目的はその先にあるのです。そしてその「目的」を達成した とき初めてその「手段」としての"協調性"の大切さがわかるのだと思います。はじめに何のために 協調するのかということを理解しないと、単なる価値観の押し付けにしか取れなくなってしまう のです。そのうえで大いに協調し、互いの得意分野を活かしていけばいいのです。
★協調性が目的だなんて・・・ 2 逆にそういうことに慣れてしまった場合の弊害の方が心配です。協調が「目的」になってしまった 人々は、他人と同じことをすることで自分の存在を確認し、安心するようになってしまうでしょう。 つまり目的を達成するために協調性を持って行動するわけではなく、ただ漠然と理由もわからず 同じ行動をしてしまうのです。あるいは内心では何かが違うと思っているにもかかわらず、周囲と 同調することで攻撃をかわすようになっていくでしょう。閉鎖的な「村社会」の典型です。 ある意味そのような集団の中で生きていくうえでは必要な知恵なのかもしれません。しかし そういう集団からは新しいものは何も生まれてこないのです。それだけでなく間違ったことも 修正されることはないのです。まわりがこうやっているから、とか、今までこうやってきたから、 ということが価値判断の基準にあり、自分はこう思うとか、こうしたら良くなる、ということの 発想はできなくなってきます。そのような集団のなんと多いことか! もっとやっかいなことは、そのような集団が社会生活のルールやモラルに反すること(つまり 悪いこと)を行っている場合です。その集団では"悪いこと"が"協調性"をもって行われてしまう ことになるのです。現在次々と表面化し世間をにぎわせている諸問題も、そういう「慣れ合い社会」の 弊害といえるでしょう。その世界での善悪の判断基準は「やっていいこと、わるいこと」ではなく 「みんながやっていることかどうか、また、いままでやってきたことかどうか」なのです。
★協調性が目的だなんて・・・ 3
協調性が「目的」となってしまった集団は、人間の活動する分野なら政治・経済・地域社会などに
限らずどこでもありえます。規模も数人程度のグループから数万人を超えるものまでさまざまです。
そのような集団では「目的」のチェック体制が不足しており、先導者が進むべき目的の設定を
誤った場合には、もう修正がきかなくなります。極端な場合は戦争さえも起こりえるのです。
だから集団では、その末端まで「目的」を共有することが大事であり、その目的が本当に
みんなのためになっているのかを見極めるシステムをつくらなければいけないのです。
一度、自分が今どういう集団の中にいるか考えてみましょう。大抵は複数の集団に属することに
なるでしょう。協調が目的になっているようなら早く気付くべきです。抜け出すことが不可能な
場合でも、自分自身の考え方を変えることはできるはずです。
KLAFTVELK architect
http://www.klaftvelk.com/column/Rcolumn02style.html
★協調性至上主義の日本社会は、たぶん、出口なし。 1 愛と苦悩の日記 2012/03/30 組織への過剰適応が、日本社会の変化をはばんでいる、というお話。 ご承知のように日本の組織は、民間企業であれ、お役所であれ、学校であれ、いまだに 「協調性至上主義」が支配している。 その最大の理由は、下手に波風を立てると、その組織から排除されるおそれがあるからだ。 その組織から収入を得ている場合には、それはすなわち「人並みの」生活から落ちこぼれる ことを意味する。学校であれば、十分な教育を受ける機会をうばわれ、将来の就職活動が 不利になり、結果的に生活水準が低下することになる。 なので、何らかの組織に属している日本人が、その組織の「協調性至上主義」に過剰に 適応してしまうのは、ある意味、とても合理的な行動だと言える。 組織の命令なら、たとえ社会正義に反するおそれがあっても平気でしたがう。 組織の方針に反するような意見は、たとえひとりの私人として意見を求められた場合でも 口に出さない、などなど。 組織に反抗しないという行動様式が、私生活まで侵食すると、当然、一人の市民として、 一人の私人として、日本の現状を変えるために何かをしたい、というモチベーションを奪う。 日本の現状を変えるために、投票行動を変えるとか、インターネット上のブログやツイッターや フェイスブックなどで、明らかに所属している組織の方針に反する意見を表明するとか、 そういったことすべてについて、「ヘタなことはやらないほうがいい」という判断になる。 そういった、所属組織に対する過剰な適応が、日本社会のいたるところで起こると、 日本社会全体としては、変革へのきっかけを大きく損ねることになる。というより、 すでに、変革へのきっかけを失っている。 例えば、竹中平蔵や勝間和代といったタイプの論客は、日本はまだ世界経済で重要な 位置を占めつづけることができる、と信じているように見える。ただしそのためには、 大胆な何らかの改革が必要だと主張しているらしい。 しかし、彼らとは違うふつうの日本人は、自分が所属している組織の利害に反するような 行動はとれない。組織から排除されたときの安全網も何も、日本社会には存在しないからだ。
★協調性至上主義の日本社会は、たぶん、出口なし。 2
なので、ふつうの日本人は、そういった論客の先鋭的な議論を「聞くだけ」で終わる。
聞いてスッキリするだけで終わり。自分たちの行動様式を変えることはない。
結果として、日本社会は何も変わらない。
残念ながら日本という国は、生まれ落ちたときから「協調性至上主義」を叩きこまれている
市民が大半を占める。そのため、根本的な変革のきっかけや動力を、最初から失っている。
なので、おそらく年金問題を賦課方式から積立方式に変えるという大胆な変革もできないし、
戦略的な再生可能エネルギー産業の成長政策もとれない。
賦課方式の年金制度のおかげで、自分たちが支払った保険料以上の年金を、いまの若者世代
(主に保険料が天引きされる会社員)の収入からむしりとっている高齢者は、かんたんに
自分たちの既得権益を守ることができる。
この「協調性至上主義」の日本で、彼らはかつて所属した組織で高い地位を持っており、
その結果、高い経済水準を享受しており、自動的に、市民社会においても、少なくとも
非正規雇用の若者よりは発言力を持つことができる。
また、昔ながらの「非社会的勢力」が、日本各地の原子力発電所に、被ばくに対する補償を
求めるだけの社会的地位のない低賃金労働者を送りこんでくれる限り、日本の原発は
低コストで運転できる。
そうやって、日本全体としては、少子高齢化による人口オーナスとともに、確実に
21世紀の前半が終わるころまでに、没落していく。
この没落を止めるモチベーションは、ふつうに日本で生活している日本人の誰も持つことが
できない。日本社会はそもそもそういう仕組みになっているので、どうしようもない。
まさに、出口なし。
http://www.todkm.com/2012/03/post-87ee.html
日本人の気質は機械、ロボットに過ぎない でも日本人としては賛辞の一言のようだ。
違反を見過ごす社員に協力するなんて馬鹿だろw
★日本人に必要なのは協調性ではなく社交性 1/2 一人暮らしの高齢者が増えている、ということで、テレビが特集を組んでいます。 ある高齢男性(妻は先に死去)は、地域の集会に勇気を出して参加しましたが、「知らない人ばかりで 気おくれした。」と言って、その後自宅に引きこもりました。 どうも、日本人の高齢者は、友人とか仲間というものは、自分で探し求めるものではなく、自然に できるものとか、周囲が用意してくれるものだ、と思っているふしがあるようです。 たぶん、お見合い文化の影響があるのでしょう。 昔は、自分の配偶者は、周囲が用意してくれましたからね。 努力しなくても多くの男性は、年頃になれば、仕事についてさえいれば、何とか結婚することができました。 親戚、知人が適当な配偶者候補を紹介してくれたからです。 こういう社会環境だと、自ら努力して、他人との交際を広げようとかいう気分にはならないと思います。 2005年に世界価値観調査というものが行われ、その中で日本人の社会的孤立がOECDの中でも ひときわ高いことがわかったそうです。 「友人、同僚、その他、スポーツ、文化グループと、全く、あるいは、めったにつきあわない。」 と答えた人の割合は、 オランダ 2% 米国 3.1% 英国 5% フランス 8.1% に対し、 日本は15.3%でした。 日本人は人付き合いが悪く、孤立していることが浮き彫りになる結果になりました。
★日本人に必要なのは協調性ではなく社交性 2/2
日本人は長い間、閉鎖的な村社会で暮らしてきたので、交際相手や遊び仲間に苦労することが
なかったのでしょう。見知らぬ人と親しくなる社交性よりは、顔見知りの人たちと仲良く生きていく
協調性が何よりも重視されました。
人の移動の多い現代社会は、昔とはかなり違います。
自分から積極的に働きかけないと、人とのつながりがなくなってしまうのだと思います。
これからの日本人に必要なのは、協調性よりも社交性だと思います。
見知らぬ人とも、何とか共通点を見つけて親しい関係を築く能力が必要なのでしょう。
その訓練に、社交ダンスなんか悪くないと思うんですけどね。
見知らぬ異性に、「踊ってくれますか?」って尋ねるのは意外に勇気がいります。
日日是好色 2010-10-29 20:18:01
http://ameblo.jp/ballroomdance/entry-10691237358.html
★良いリーダーに必要な素質は「罪の意識」 米調査
2012.06.01 Fri posted at: 09:00 JST
(CNN) 日常生活の中で罪の意識を持ちやすい人は、良いリーダーになる素質があるとの
研究結果を、米スタンフォード大経営学大学院の組織行動学者らがこのほど発表した。
同大学院のベッキー・ショームバーグ氏らは、集団の中で優れたリーダーシップを発揮する人の
傾向を調べるため、一連の性格テストを実施。罪の意識や恥の意識を持ちやすいかどうか、
外向性か内向性かなどを判定した。
罪と恥は似ているようだが、心理学的にはまったく別の概念とされる。「恥の意識は問題を
回避したり他人を責めたりする姿勢、罪の意識は問題に立ち向かったり自ら責任を取ったりする
姿勢につながる」と、ショームバーグ氏は説明する。
罪の意識を調べるには、例えば買い物でおつりが多すぎたのに返さなかった場合にどう感じるか、
といった質問を設けた。
グループ活動で会話をリードしたり、課題への取り組みを主導したりする力を相互評価した
結果と、性格テストの結果を照らし合わせたところ、罪の意識を持ちやすいグループは
リーダーとして行動する傾向が強いことが分かったという。
経営学修士(MBA)課程の学生を対象に、元同僚や取引先、上司らによる評価を調べた
結果からも、同様の相関関係が明らかになった。
ショームバーグ氏によれば、罪の意識を持ちやすい人は、周囲の人々や組織への責任感が強く、
会社から課される責務を明確に意識し、全体の利益を優先する傾向がある。時には相応以上の
課題を背負い込んでしまうこともあるが、同氏らが行った別の研究では、ストレスを抱えにくく、
所属する組織への愛着も強いとの結果が出ているという。
http://www.cnn.co.jp/business/30006785.html?google_editors_picks=true
134 :
名無しさんの主張 :2012/06/06(水) 14:37:42.80 ID:rmUOMrvY
日本人は協調性があるってよく言われるけど、実は日本人って、まったくといっていいほど協調性がないんだよ。 協調って言葉の意味をみんな勘違いして使ってるの。 辞書で引くとわかるけど、 きょう‐ちょう〔ケフテウ〕【協調】 [名](スル)互いに協力し合うこと。特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。「労資が―する」「―性」 協調性っていうのは、対立している人間同士が助け合うことで、他人に合わせることじゃないんだよね。 日本人は似た人間同士でグループをつくって、グループ同士は関係を持たないことが多いじゃん? これはまったく協調と正反対の行為なんだよ。
135 :
名無しさんの主張 :2012/06/06(水) 16:30:53.07 ID:KJdFwDz2
日本人はむしろ協調性をロボットみたいな同調性と勘違いしてる人が多いと思う
136 :
上之島町南クリスタル通り :2012/06/24(日) 21:51:46.92 ID:cI9W1PyS
あなたが今、何か少し動いたそのすぐあとに「ピクッ」とかすかに床から 伝わってきます。 室間添随症(しつかんてんずいしょう) アパートや低家賃のマンションなどに住む引き篭りや準引き篭りの状態にあ る人間が隣接する他の部屋の住人たちに自分の引きこもりの状態を悟られま いとしてそれら他の部屋の住人の動作のタイミングや生活パターンに自らの 動作や生活パターンを極力同調させながら日々の生活を送ろうとする症状。 日本のアパートやワンルームマンション、ウィークリーマンションなどの入 居者、利用者の約4人に1人はこのような状態にあると言ってよい。 ビジネスホテルも例外ではない。 これを「引き篭り」の「付き動き」と呼んでいます。 これが日本の、日本国民の不の実像である。
★協調性 シュシュ 1 多数決の際に、少数の意見の方に手を挙げることがなんとなく恥ずかしい感覚を伴うことがあるが、 これは日本人特有のことである。しかし、このように個人よりも他人との協調が重んじられる 傾向があることは現代の社会の問題だ。 考えられる第一の原因に、昔から日本には唯一絶対神を信じる習慣がないことが挙げられる。 米国ではキリスト教の神が唯一の神様であり、裁判の始めにも聖書に手をおいて真実を述べることを 神に誓うなど、神の存在が人々の生活や意識の中に染み込んでいる。「Oh,my God!」や「Bless you.」 など神に関係した言葉も多い。一方日本では、神様よりも周りの人間、「世間」と呼ばれるものが 社会で大きく成長してきた。農耕による集団生活をしなければ、昔の人が生きることは困難だった からだろう。「世間体が悪い」、「世間様に顔向けできない」などの言葉がたくさん生まれた ことからもそれはわかる。世間から孤立することは、多くの一般の日本人にとって絶望的なこと なのだと思う。特に昔の村には、「村八分」という刑があったが、これはほとんど死を意味した。 最近の日本では、いじめによる自殺が大きな社会問題になっている。周囲から孤立することの 恐ろしさからひきおこされるものだろう。欧米でいじめが問題になることはあまりきかないが、 これも社会の質の違いから起こる差ではないだろうか。自分の意思を貫いて他人との関係が 希薄になっても、いつでも神が味方でいるという意識が欧米人にはあるのだと思う。
★協調性 シュシュ 2
第二の原因は、現在の日本の社会が「持ちつ持たれつ」の関係で成り立っているという点にある。
カクレクマノミという魚は、イソギンチャクに住むことで、敵から身を守っている。一方イソギンチャクは、
カクレクマノミが集めてきたえさの一部を食べることができる。(自然科学実例)このような共生は、
特定の者の間ではうまくいくが、そこへ新しいものが介入すると問題が起こることが多い。昨年、
堀江貴文前社長率いるライブドアが、法には触れないけれど、日本の株式市場では行われることが
sあまりなかった時間外取引をして騒ぎを引き起こした。昔からある会社の間にある暗黙の了解を、
ライブドアがいとも簡単に壊すことができたのは、ライブドアが新しい会社だったからである。
日本にはこのような暗黙の了解が多く存在するが、国際的な場面では通用しないため、これらに
頼りすぎることも問題である。
確かに、協調性を持つことはより良い社会を作るのに欠かせない。しかし、個人よりも集団の方が
重視される日本社会の傾向は問題である。北朝鮮に関する報道でよく見るマスゲームは、全体を見る
人は楽しいけれど、参加している人は自分のすること自体は単純で、全く面白くないものだ。
私たち日本人の中には、このようなニュースを見て、北朝鮮に対する悪いイメージを大きくする
人が多いだろう。しかし日本の社会にも、目には見えないマスゲーム式の体制がひそんでいる
のではないだろうか。今社会に必要な協調性とは、他人に何でもあわせることではなく、
社会のルールを個人が守ることである。
作文の丘から 小学生、中学生、高校生の作文
http://www.mori7.com/okap/index.php?p=535888
139 :
名無しさんの主張 :2012/06/26(火) 20:01:40.42 ID:phujFHEb
早く全員死ね
●「テレビと日本人と帰国生入試と」 日本人の本質
日本人は集団の「和」を重んじ、コンセンサスを好むと言われることがよくあります。
はたしてその通りなのでしょうか。表面的にはそのように見えても、日本人の
行動の根底にある考え方は、それとはかなり違うものであるように思えます。
この番組のルールや演出から読み解ける日本人の行動様式とその背景、つまり
日本人の本当の姿は、一言で言ってしまえば、「勝ち馬に乗れ」というものです。
これを日本における日常に置き換えると、次のようなことが言えるでしょう。
日本人は何が何でも勝ち組(多数派)の一員であろうとします。仲間や友人を
裏切ってでも、勝ち組に身を置こうとするのです。つまり、日本人は常に戦々恐々
としつつ、様々な駆け引きをしながら、負け組(少数派)に入らないよう日々行動
しているのです。そうしないと、自分が惨めな立場になってしまうし、場合によっては
この番組の罰ゲームの延長線上にある「いじめ」の対象になってしまうからです。
そして、その反動からか、いったん勝ち組に入ってしまうと、安心して強気に行動し、
さらには、多数派として、「赤信号、皆で渡れば怖くない」式の行動をし始めるのです。
ときとしては、勝ち組の一員であることの証明として、負け組をいじめたりするものです。
これが、表面的には調和を求めているように見える日本の社会(学校や職場や
地域社会)における日常の行動であり、日本におけるいじめの背景なのです。
日本人は集団の「和」を重んじて行動しているのではなく、利己的に自己保身の
ために行動しているのです。そして、極論ではありますが、日本人の生活の全てが
このようにして営まれているのです。
http://www.yozemikikoku.com/essay_24.html
142 :
名無しさんの主張 :2012/07/18(水) 17:36:06.23 ID:y+uvTQOG
需要がなければ供給もない。これは市場だけではなく、すべての国や組織に当てはまること。日本では「協調性」という名前の仲間外れ探しごっこの需要はあったが、 欧米諸国で言う「Communication」という、「understanding each other」という概念の需要は全く無かった。 では、なぜ他の国では「Communication」という概念が生まれたのか。 その概念が生まれざるを得なかった理由を考えると、すぐに解が現れる。 「社会的な問題を解決できなかった国は滅ぼされたから」 一つの国が生き残るためには、「社会的な問題を如何にして解決するか」という命題に 常に立ち向かう必要があった。そのため、「Communication」力を鍛えざるを得なかった。 逆に日本は、四方を海に囲まれていたため、大航海時代→黒船来航の時代が来るまでは、外国の脅威に直に関わってしまう ことが無かった。だから、「Communication」力が必要とされず、「同調圧力」「馴れ合い」だけで事が足りてしまうようになった。
143 :
名無しさんの主張 :2012/07/18(水) 17:38:32.35 ID:y+uvTQOG
(つづき)
日本人の本性とは、
>>141 の言うとおり、「長いものには巻かれろ」であるのは明らか。つまり、内部告発者が、国家や組織の問題を社会に訴えたとしても、
「長いものには巻かれ」たほうが楽という理由で、多数派は現状維持を選択してしまう。
つまり、「どのようにして問題を解決するか」ではなく「いかに問題を隠蔽するか」「多数派に耳障りな現実を自覚させる人間を黙らせるか」となってしまう。
(戦前、学者があらゆるデータを駆使して「日本はアメリカには勝てない」と証明したら、「非国民」として社会的抹殺を受けたのが良い例。)
そのため「どのようにして問題を解決するか」という考えの延長上にある、「互いに理解しあって問題に立ち向かう(Communicate)」「原因を見つけ出して、相手に原因があればそれを是正させる(革命・デモ)」
といった、いわゆる「Communication」という概念そのものが生まれなかったのである。
逆に、「いかに問題を隠蔽するか」「多数派に耳障りな現実を自覚させる人間を黙らせるか」という概念に基づくと、
「仲間や友人を裏切ってでも、勝ち組(多数派)に身を置く」「問題を指摘する人間をキチ○イ扱いする(非国民め!空気が読めない!など)」
「踏み絵を作り、それから離れた人間を少数派というレッテルを貼る」という行動に出るのは当たり前だと言える。
>>139 協調性やみんな一緒を強制されるから
憎む対象が「全員」になるんだよなwww
無差別通り魔事件が起きるのも当然の道理、アホ社会
145 :
名無しさんの主張 :2012/07/18(水) 22:58:25.96 ID:giUmSFBV
協調の成れの果ては恐ろしくデカイものになるよ 自動車もエレクトロニクスもコンビニもそのうち一つになるかもしれんw トヨタとソニーとセブンが三位一体化してTS7とかw
★迎合したり依存したりする事を協調性って言うのでしょうか? 上 気ままにRe-style! 2011.01.07 Friday *集団生活や組織の中で働く時に、あいつは協調性があるとか、あいつは協調性が無いという話が 良くでます。でもこの『協調性』って言葉が結構くせ者なのです。ただ単に依存しているだけでしょ? 又は、迎合しているだけでしょ?って時にもこの『協調性』という言葉を使う人がいます。 『協調する事』、『迎合する事』、『依存する事』これら3つの言葉は同じ意味なのでしょうか? 違いますよね。それどころかそれぞれ全く意味の違う言葉なのですが、意外に曖昧に都合良く 使われている場合が多いのです。今日はこの言葉の持つ意味について考えてみたいと思います。 『協調性』とは?Wikipediaによると、異なった環境や立場に存在する複数のものが互いに 助け合ったり、譲り合ったりしながら任務を遂行する素質と書いています。 『迎合する事』を調べてみると、自分の考えを曲げてでも力のあるものに気に入られる様に調子を 合わせる事、媚を売る、へつらう事等々あまり良い意味では使われていません。 『依存する事』は自立する事と対比する形で使われる事が多く、自分自身で判断したり考えたり するのではなく、他の何者かに考えを委ねる事。又は他のものを頼る事と書かれています。 協調性の中にある、譲り合ったり、助け合ったりという表現と気に入ってもらう為にへつらう、 調子を合わせる(迎合)と頼る、委ねる(依存)は意味合いが違います。 譲り合ったり、助け合ったりという表現の中には、ちゃんとした主体性や意志があります。 それらを主張し合った上で、協力し合ったり助け合って任務を遂行していく事を本来は 『協調性』があると言うのです。
★迎合したり依存したりする事を協調性って言うのでしょうか? 下
それに対して依存には、自分の意志が存在していないのです。又、迎合も自分の意志を主張せず
相手に気にいられる為に調子をあわせているだけで、その行為を『協調性』がある?と言うには
多少の抵抗感を感じます。
これらの違いを理解しないまま同じ意味合いで使っていたり、場合によってはそれぞれの違いも
理解した上で迎合している自分を、又は依存しているだけの自分を正当化する為の表現や言い訳
として、この『協調性』という言葉が使用されている場合も多いのではないでしょうか。
主体性や自分の意志を持っている自立した人間同士が、それぞれの考え方や立場を主張し尊重
しながら譲り合ったり、協力し合って任務を遂行する。それができてはじめてこの『協調性』
という言葉が生きてくるのではないでしょうか。
少なくともモノを作る事や自分を表現する事を生業として生きて行く為には、安易に依存したり
迎合したりする事のない、主体性と意志を持った自立した人間になる事が大事な事だと思っています。
http://bartack.jugem.jp/?eid=575
【和を以て】 大津いじめ自殺事件 「君が我慢したら全て丸く収まる」 【尊しとなす】
滋賀県大津市の市立中学2年の男子生徒が2011年10月に自殺した問題で、同じ学校に通っていた
女子生徒の重大証言をテレビ朝日が放送した。
いじめを受けた生徒から直接相談を受けた教員が、「そんなんどうでもいい」「君が我慢したら
全て丸く収まる」と言い放ったというのだ。本当だとすれば、大変な問題発言だが、こんな会話が
実際に交わされたのだろうか。
「生徒第一じゃなくて自分の方が大切という先生が多いですよ」
問題の証言を放送したのは、2012年7月16日放送の情報番組「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)だ。
番組では自殺した生徒と同じ学校の卒業生で、問題発生当時中学3年生だった女子生徒にインタビュー
している。その中で、
「いじめられてる子が直接(先生に)言ったらしいんですよ。いじめの相談なんですけど、『僕こうこう
されてるんです』と。でもその先生の態度は『そんなんどうでもいいから。君が我慢したら全て
丸く収まるから』と」
と話したのだ。
女子生徒はほかにも「先生は生徒第一じゃなくて自分の方が大切という先生が多いですよ」「周りの子らが、
いじめられてた子が毎日アザだらけで不信を抱いているのにそこでなぜ担任が出て行かなかったのか」など、
学校に対し厳しい口調で証言した。
この学校の校長は7月14日の記者会見で、生徒から「いじめがある」との通報があったことは知っていたが、
「いじめの認識はなかった」「残念ながらこちらの方が気が付いてなかったんですわ」などと話していた。
自殺した生徒に話を聞いたとき「大丈夫だ」と答えたのが理由だという。
しかし女子生徒の証言が事実だとすると、自殺した生徒は教員に相談していたことになる。しかも、
事実を隠ぺいし、生徒側に責任があるかのような発言は許されない重大な問題だ。
▼J-CASTニュース [2012/7/18 19:22]
http://www.j-cast.com/2012/07/18139825.html?p=all
149 :
名無しさんの主張 :2012/07/22(日) 05:07:03.20 ID:BbFjW2gJ
熊本県くまもとブランド推進課の植田康之は、 くまモン公式アカウントに不正にアクセスしていた 疑いがあるらしい。
150 :
名無しさんの主張 :2012/08/11(土) 22:14:06.30 ID:44zdIhUO
和を乱す人は困るけど それを逆手にとって 「赤信号みんなで渡れば怖くない」を押し付けるパワハラ者が同じ気分で正義面するのがヤダね。 さらに 「朱に交われない人を排他する」事を当然とする人…つまり無関心層、見てみぬ振りする派が醜いよな
151 :
才玉犬計札 裏金告白まだ? :2012/08/17(金) 22:08:28.13 ID:ex3Qr+86
「計札vs計殺漢」とか「計札内部告発者」とか「計死蝶裏ガネ担当」とかみると。。 出る杭?は うろつかれるみたいだね。 計札組織をあげて 贅金全力投入で。。。
>>146 全く同感。
嘘をついて相手に合わせる事を協調と表現するのは違和感がある。
主義主張が違う相手を理解しようとする事だよな
Yahoo! Japan 知恵袋
srri64さん
日本人は、何で協調性、集団、団体行動、常に周りに合わせ、意識するのが好きなのでしょうか?
老若男女問わずに
戦後65年も経つのに未だに基本は変わらない気がします。
潜在的に封建的な価値観が遺伝するのですか?
それとも小中高の「教育?」で飼い慣らされてしまう為でしょうか?
質問日時:2011/7/19 09:38:28
ベストアンサーに選ばれた回答
amicco_uriccoさん
まだ戦争が終わってから、たったの65年です。
実際に教育の現場にいる人達は、恐らくほとんどが戦時中に生き抜いた人達の、子供や孫達だと思います。
じゃあ、その子供や孫達に協調性や団体行動を教育してきたのが誰なのか考えると、まだまだ
日本に封建的な価値観があるのは仕方が無い気がします。
あと三世代くらい先になれば、もう少し薄れてくるかもしれませんね。
回答日時:2011/7/19 09:57:59
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166883841
Yahoo! Japan 知恵袋
srri64さん
日本人て、どうして周りに合わせるのが好きなのですか?
昔〜現在も小中高は、協調性とか教育しますよね?
質問日時:2012/5/30 09:01:02
ベストアンサーに選ばれた回答
rursus2009akiさん
「村社会」だからです。
他者と違うことをすると、疎まれたり、叩かれたり、最悪の場合“村八分”にされます。
それが怖いので、なんでもみんなに合わせるというわけです。
欧米社会の「個人主義」は、今も日本には根付いていないんですよ。
回答日時:2012/5/30 09:17:06
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1388226808
>>140 日本人って、お金とか地位なんて関係ない
集団の中にいて自分の立場を守り、気持ちよく生活する
いじめられたくない
これが全て
だから集団になると態度が変わる
創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね 創価 死ね
★コミュニケーションは、要らない (幻冬舎新書) [新書]
押井 守 (著)
内容紹介
つぶやけばつぶやくほど、人はバカになる。
ネット上にテキストを書けば書くほど文章力は落ちる……
・人間から論理的思考を奪う「話し言葉」
・コミュニケーションの肝は「マス」と「個人」の間にある
・なぜ日本人は答えを出したがらないのか
・まず「信じない」ことが、正解に辿りつく最短ルート
ただ気分を吐き出すためだけの言葉をネット上に書き散らし、真偽の不確かな情報に右往左往し、
目的もなく自分のフォロワーを増やそうとする。そんなものは、コミュニケーションではない。
高度成長期以降、日本人は「現状維持」のために協調性ばかり重んじて、本質的な問題について
真剣に「議論」することを避け続けてきた。そのツケがいま、原発問題を筆頭とする社会のひずみ
として表面化しているのだ。我々はなぜ人と繋がろうとするのか。真のコミュニケーションとは何か。
世界が認める巨匠が初めて語る、目から鱗の日本人論。
http://www.amazon.co.jp/dp/434498255X
159 :
名無しさんの主張 :2012/10/15(月) 22:21:11.72 ID:M5qP6HMg
★すごいぞ中国人! ツワモノ編 1 不思議の国の中国人 第4回 震災後、日本人の「忍耐力」「協調性」「謙譲の精神」などが海外を驚かせ、称賛の声が続々と 寄せられました。特に被災地の人々の理性的な態度には、敬服の一言しかありません。肉親や 家財一切を失いながら、パニック状態になった人は、ほとんどいなかったように思います。 このように、世界が目をみはった日本人の美徳。なかでも、いちばんカルチャーショックを 受けたのは中国人でした。ネット上には「日本人を見直した」「日本人の完璧なモラルは、中国には 存在しないものだ」「日本人を見習うべき」といった書き込みが数多く寄せられていました。 「忍耐力」「協調性」「謙譲の精神」についていえば、正直、日本人と比べ、中国人はこれらの 要素が劣るとの印象は否めません。それは、列に並ばない、列に割り込む、集合時間を守らない ――こうした行為をみれば納得でしょう。 では、逆に日本人に足りない中国人の優れた点を挙げるならば、僕は「行動力」や「自己主張」 だと思うのです。あれこれ考える前に、まずは行動してみる。どんな場面でも、相手が誰であっても、 自分の考えははっきりと主張する。この2点は、明らかに日本人に欠如した部分です。つい最近、 広州から貴陽へ移動する寝台列車の車中で、中国人のたくましい「自己主張」を象徴する場面に 遭遇しました。これから紹介するエピソードの登場人物は、ある意味、かなりの「ツワモノ」。 日本では絶対に起こり得ないであろう深夜の騒動とは――。
160 :
名無しさんの主張 :2012/10/15(月) 22:22:15.67 ID:M5qP6HMg
★すごいぞ中国人! ツワモノ編 2 12時を回ったころ、ようやく眠りについた僕は、となりのベッドの乗客が車掌に何やら抗議する 声で安眠を妨げられました。途中駅から乗車した初老の夫婦が「毛布がない。どういうことだ。 すぐに用意しろ」と要求するのに対し、車掌は「今夜は満員で予備はない。発車時には間違いなく セットされていた」と反論。しばらく押し問答が続いていたのですが、ついに車掌が折れ、消えた 2枚の毛布を捜索することになりました。ほとんどの乗客が寝息を立てるなか、車掌はひとつ ひとつベッドを点検していき、ついに姉妹らしき2人が、毛布を2枚重ねて使っているのを発見 しました。車掌が2人を叩き起こし、詰問すると、「私たちは風邪をひいて体調が悪い。車内の 暖房が低すぎるので、やむを得ず空きベッドの毛布を拝借した」と悪びれた様子もなく答え、なんと 近くにいた野次馬の僕に「返しておいて」と毛布を放り投げるではありませんか。この不遜な態度 にはさすがに腹が立ち、「非常識にも程がある。自ら謝罪するのが筋だ」と声を荒げ、毛布を 投げ返しました。気弱な日本人とはいえ、ここは「自己主張」しないわけにはいきません。 「いい加減にしろ!」車掌の一喝も右から左、姉妹は無視して背を向けてしまったので、結局、 僕が夫婦のベッドに毛布を持っていくことに。所詮、日本人は日本人でした…。 しかし、騒動はこれで一件落着ではありません。ぐしゃぐしゃになった毛布を見て、夫婦は 「高い料金を払っているのだから、きれいな毛布と交換しろ」と車掌に詰めよります。これは 正当な言い分なのですが、車掌は「予備はない。毛布を回収したのだから、これ以上はわれわれの 責任ではない」と主張。慇懃な日本の車掌とは違い、中国の車掌は、警官同様、威張りくさって いるのです。「乱七八糟(めちゃくちゃな話だ)」と悪態をつきながらも、最後は夫婦が妥協し、 どうにか車内に平穏が戻ったのでした。ちなみに、より激高していたのは夫人のほう。図々しい 姉妹ともども、「ツワモノ」は女性に多いようです。
161 :
名無しさんの主張 :2012/10/15(月) 22:23:37.23 ID:M5qP6HMg
★すごいぞ中国人! ツワモノ編 3
この騒動、車掌、夫婦、姉妹、それぞれが主張すべきことを主張していました(姉妹だけは
無茶苦茶ですが)。日本では「自己主張」するタイプを「我が強い人間」と煙たがる傾向が
ありますが、海外では日本人の曖昧な愛想笑いや事なかれ主義が誤解を生むことも少なく
ありません。僕自身、「自己主張」が苦手なタイプなので、他人の目を気にせず、堂々と
モノを言える中国人のハートの強さを羨ましく感じます。
では、中国人が「自己主張」に長けているのはなぜでしょうか。それは、13億もの人間が
ひしめく厳しい競争社会で揉まれているからです。「弱肉強食」という意味では、日本など
中国の比ではありません。そうした背景を理解したうえで中国人と向き合えば、「ツワモノ」の
鎧をまとった彼らの違った一面も見えてくるはずです。
不思議の国の中国人 第4回
http://www.iec.co.jp/fusigi/004.html
162 :
名無しさんの主張 :2012/10/18(木) 11:59:21.30 ID:WiJYS/b8
この有名な手紙、一番最初の手紙、これが私宛の最初の勧誘メール。
ダビデの星がね、綺麗にねデザインされていて、こんなのが直接来るのよ。
こういうとっても怖いのが来ちゃうわけよ、普通だったらビビるでしょ。
普通だったらパンパースかなんかなっちゃうでしょ。(笑)
ところがリチャード・コ○ミズはちょっと太り気味でパンパースが入らなかったのね。
ということで、あんたなかなか結構やるじゃんかと、そこは認めてくれてる。
で認めてくれたうえで、あんた凄いと思ったのはヒットラーの件まで分かっちゃってると。
あんたの言うとおりにヒットラーは死なないで戦後南米に逃れてガキの二人も作ってるんだよと。
で名前はフリードリッヒとオルガだということまで書いてある。
でとにかくあちら側に寝返れと、寝返ったらあんたは一生ヒットラーやロックフェラーのような、
豪華な生活を送ることができると、そういうふうに勧誘いただいたわけだ。
これほんと勧誘レターよ、この後また何通も何通も来てるんだけど。
僕はこのメールをもらってから五分以内にこれをネットに上げたね。
そして十五分以内に翻訳文を上げたね、それが彼らに対する対抗策。
向こうはビビッたと思うよ、自分達が苦心惨憺作ったメールを、あっという間にネットに上げられた。
というわけでどうやらドイツのメルケル首相はヒットラーの娘のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=eJzQm_-z0ic 【メルケルは】Merkel ist eine Tochter von Hitler.【ヒトラーの娘】
http://www.youtube.com/watch?v=weOg9Ut4GAA
163 :
名無しさんの主張 :2012/10/18(木) 18:42:10.21 ID:0g5jrQ6A
プロレタリア以下は協調性が大事♪ 中国人・朝鮮人はプロレタリア未満でさえ、協調性が無い♪
★あなたの会社の中国人社員は、社内で浮いていないか?(抜粋) 1 Nikkei BP Net 中国調査業界裏話 2007年8月9日 日本人上司は「中国人部下の自己主張が強いのを嫌う」傾向にあると思います。一部の日本企業では 「自己主張が強い=協調性がない」と考える上司も少なくないようです。確かに日本人同士でしたら 「阿吽の呼吸」という言葉の通り、主張しなくても分かり合える場合があるのでしょうが、正直な ところ、文化が違う中国人に阿吽の呼吸を求めるのは酷だと思います。自己主張強いのが当然であり、 歓迎すべきことと、考えてください。 私は12年間中国人に囲まれて仕事をしてきましたが、中国人の自己主張を歓迎していました。 自己主張があるというのは、その問題に関心があり、意見とやる気があるということです。 中国国内では、上司に何も言わずに服従するスタッフは、むしろ「やる気がない」「能力がない」と 判断される傾向にあります。よいアイディアを出すスタッフことが歓迎されるのです。やる気のある 中国人スタッフは、自分の力を伸ばしたいと考えていますから、やる気をそぐのは、上司として 得策ではありません。少々煩いと思っても、話に耳を傾け、話の問題点などを指摘し、意欲を 維持させることも必要です。 自分の意見をはっきり言う中国人ですから、他人の意見も聞きます。日本人同士の場合、全く異なる 意見を述べた場合、人によっては「自分を否定された」と感じる人もいるようですが、中国は雑多な 価値観が集まる国ですから、違う意見を述べても、違う価値観として納得してくれることが多いので 安心です。実際、私の経験では、意見を出し合うことにより、最適な方法を選べた事が多々ありました。 もちろん中国人の中にも自分の利益ばかりを考えた発言をする人もいますが、そういうケースでも 話に突っ込みを入れていけば、見分けられるというものです。
★あなたの会社の中国人社員は、社内で浮いていないか?(抜粋) 2
自己主張に関連してもう少し述べると、中国人が自己主張する理由は、社会の違いにあると思います。
日本は、近年かなり改善されたとはいえ、まだまだ「出る杭は打たれる」という社会であり、
無意識のうちに同質や共感を求めてしまう社会であるように思います。
しかし中国は、「浮かばなければ、埋もれてしまう」という社会であり、アピールが必要とされ、
アピールがなければ無視されてしまう社会であるように思います。そのあたりも考慮に入れて
あげましょう。中国人は、日本人のように同質や共感を求めようとはしていないこと、むしろ
自分の能力をアピールしないと生き残れないと思っていることを、頭の隅において置いてください。
Nikkei BP Net 中国調査業界裏話 2007年8月9日
(原 奈緒、北京衆邦創業投資顧問事務所・監修)
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/china/inside/070809_yakuwari2/index1.html
集団から外れてしまえばこれほど楽な事も無いんだけどな 特に女の人とか悩んでるなら一回集団から外れる事を検討してみたらいい
167 :
名無しさんの主張 :2012/11/08(木) 22:40:48.69 ID:Vf9a+qYI
自分に自信があるのなら、周りなどどうでも良い、何を思われたって って考えられるけど、自分にその自身が無いから、まわりと会わせ 目立たない事で妥協してしまう。その方が、自身で考え行動するよりずっと楽で 怖くないから。でも、その状態はすごく窮屈で苦しい。そして過去の自分に後悔する ああ、あの時もっと勇気があったらとか、自分を主張できたらって思ってしまう 日本人の同調圧力は幼稚園時代から叩き込まれる調教によって産まれる 先進国で未だに、こんな時代遅れな教育やってる国って日本くらいじゃないかな
幼稚園より、それこそ日本人として生まれた瞬間から同調圧力は始まるから 父母の干渉やしつけ ここから全てが始まるから 野田は、日本は平和だと言った しかし何故平和なのかは言わなかった 平和と言う、暗記マニュアルだから
169 :
名無しさんの主張 :2012/11/09(金) 13:44:48.67 ID:WYHT5yfZ
170 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 15:06:07.52 ID:tx+5ZPxW
『 室間添随症 』 ( しつかんてんずいしょう ) アパートや低家賃のマンションなどに住む引きこもりや準引きこもりの状態にある人が 隣接する他の部屋の住人たちに引き篭りの状態を悟られまいとそれら他の部屋の住人たちの 生活様態を執拗に感察、学習しその生活パターンから諸動作のタイミングにいたるまでを 極力同調、模倣することによって自分の存在性を隠蔽させながら日々の生活を送ろうとする症状。 これは日本における文化症候群であり半国民症である。 彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、依拠され、 またそれら隣人の生活様態を自らの諸行動,諸動作の契機に、 あるいはスケジュール表や時計かのごとくに借用しながらの生活を送る。 日本のアパートやマンション暮らしなどで顕著なこのようなある種の日本人たちに特有の卑小な挙動は 「引きこもり の 付きうごき」と呼ばれる。
171 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 15:08:02.99 ID:tx+5ZPxW
■卑小性日本人 戦後の日本の躍進、日本人の世界進出、活躍とは裏腹に逆に内側に萎縮、めり込んで行く かのように矮小化された精神を持つ一定の日本人。 社交を苦手とし労働意欲にも欠ける。 ■ニーホ 日本人のうち労働意欲、遊興意欲ともに乏しく、何に対しても興味が薄く消極的な人々。 これといってやるべきこと、特にやりたいことなどがなく無為に人生を送る。 夢をいだかないが鬱にもならず自殺も考えない。 これといった主義主張がなく、個性が希薄で性格的特徴に欠ける(超凡人性) これといった特技はなく、また向上心を持たない。 ニートやサイレントテロなどとは本質が異なりほぼ関係がない。
172 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 15:09:49.23 ID:tx+5ZPxW
>>167 日本人の教育方針は
「調教」
だと思う
部活や勉強も、生かすではなく調教による同調対応だから
そうしてれば、官僚や既得権益者が、無意識に利権をたらい回せるから
「政治に無関心」
も、無関心な様に既得権益者や利権者が持って行ってるに過ぎない
>>170 会社内でも
・同じように毎日同じ所で昼休みを送る従業員
・毎日薄気味悪い笑みを送り、上っ面のニコニコ状態を送る従業員
・充電なのに、充電器入れず、何時間も携帯いじりをし、携帯してる俺私かっこいいと悦に入る奴ら
自動車
・携帯の電話も、忙しいからと言うより、そうした自分にようドライバー
全ては
「同調」「調教」
175 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 20:30:37.26 ID:tx+5ZPxW
同調教
176 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 20:42:23.16 ID:tx+5ZPxW
できる生徒とできない生徒が同枠で学習することは互いに足枷であり崩れかかった二人三脚、ムカデ競走でしかない 当然日本は衰退して行く 「みんな一緒」だと適当な金太郎飴しかうまれない
177 :
名無しさんの主張 :2012/12/15(土) 20:53:41.87 ID:tx+5ZPxW
できる生徒はどんどん進めばいい できない生徒は他の事を伸び伸びやればいい みんなが揃いもそ揃って一律に勉強蟻、働き蟻になる必要はない 人間にはそれぞれ向き不向きがある 適材適所 日本人は親から自立できても皆から自立できていない
178 :
名無しさんの主張 :2013/01/01(火) 17:48:37.44 ID:UzLrA5GZ
協調性の大事さをやたらと全面に押し出すやつって、大抵人から妬まれづらいだけが 取り柄の宴会部長みたいな無能な三枚目ばっかだよな。 全ての点でわりとバランスよくデキのいい奴を目配せし合ってやんわり 場の空気作って隅っこへ追いやってやろうというゲス根性丸出しだな。
179 :
名無しさんの主張 :2013/01/01(火) 18:03:34.79 ID:UzLrA5GZ
「努力しなくてもデキる奴」ってのを日本の組織は一番嫌う。 平均的な多くの人間たちのモチベーションを維持するためにそういう突出した奴を 嫉妬のいけにえにする。 そしてそういうやつを「悪い見本」扱いして 「努力とチームワークが無ければいくら元々デキが良くても最低の人種だ」 という場の空気と暗黙の尺度を作り上げる。 少年漫画などで 「元々才能のない熱血主人公が努力と友情で生まれながら恵まれた 天才のライバルを打ち負かす」 といった筋書きの話が称賛されるのもこういった嫉妬の悪意が働いているからだ。 日本人は小さなころからすでに知らず知らずのうちに日本的協調性の美学を 刷り込まれ洗脳されている。
★なぜ日本人は自分より他人(みんな)を大切にするのか? 1 欧米人と日本人を比較すると、日本人の言っていること、やっていることに疑問を感じるようになる。 例えば、日本国内だけの狭い価値基準で考えれば、他人(みんな)に合わせて行動することが 協調的という判断になる。しかし、欧米人の言動を窺うと、行動するときの基準は他人(みんな) ではなく自分である。 日本人の多くは自分を基準にして行動することを「自分勝手」と思う傾向にあり、しばしば 「協調性がない」「和を乱す行為」として叱責の対象となる体験が、その捉え方を確かなものとして 裏付けてしまっている。 ところが、欧米人には日本人が持つような「協調性」や「和」という観念がない。だから、欧米社会で 自分を基準にして行動しても「協調性がない」「和を乱す行為」などと咎められることもない。 むしろ、他人(みんな)に合わせて行動する方が叱責の的になりやすい。 なぜならば、何か悪いことが起きたときに、その結果に対して責任を問えないからである。 例えば、子供が自分を基準にして行動するには様々な制約がある。それは、子供は自分がしたことに対して、 自分で責任をとることができないからである。だから、子供は大人に合わせて行動しなければならない。 日本人は自分の「こうしたい」「ああしたい」は我が儘であると思いがちである。しかし、欧米人は 我が儘ではなく個人の意志であると捉える。自分の意志で行動した以上、そこには責任が伴う。 だから、それで何か悪い事態に陥っても、誰かや何かのせいにすることは許されない。 にもかかわらず、自分の「こうしたい」「ああしたい」を我が儘だと咎めて排除してしまったら、 後で何か悪いことが発生したとき、その責任を問うことができない。 なぜならば、「自分の意志でやったことではないから」である。
★なぜ日本人は自分より他人(みんな)を大切にするのか? 2
日本人はこの原理を活用する。他人(みんな)の中に個人を埋没させ、「他人(みんな)が良いと
思うように」とやってきたことを大義として、個人が責任を取らなくて済むように事態を収めている。
こうして誰も責任を取らない社会は果たして健全と言えるのだろうか?
喩え話をする。
赤信号をみんなで渡る。個人はみんなに合わせて行動している。自分の「こうしたい」「ああしたい」
より他人(みんな)の「こうしたい」「ああしたい」を考えた結果だ。これは協調性がなければ
できないことだ。
こうして赤信号を渡る集団は自画自賛しているが、もっと大きな視野で見たとき、青信号で
渡ろうとしている側に集団で迷惑を掛け、交通事情を混乱させている。
だけど、誰も悪くない。自分の意志で渡ったわけではないから。
なぜ交通事情が混乱しているのかと問い質すと、「世の中が悪いから」などという意見が飛び交う。
日本での生活は、個人が責任を取る必要がないから、楽でいい。変に世直しをして、責任追及が
厳しくなっても困る。しかし、社会の膿はどうやって出すのだろうか?
対話ができる環境づくり 2012年08月12日の記事
http://blog.hangame.co.jp/B0001025952/article/39175491/
協調性を押し付ける片山さつきという馬鹿女
183 :
名無しさんの主張 :2013/02/08(金) 12:09:43.79 ID:vUTz8Ixu
>>181 >日本での生活は、個人が責任を取る必要がないから
起業で失敗した場合に、個人に対する責任がもっとも重くのしかかる国が
先進国では日本がダントツだけどな。
失敗して弱者になった人に対する社会保障も日本が一番貧弱。
アメリカだって、雇用が流動化しているから、日本よりは再出発は楽。
一方、欧州は、徹底した社会保障。
184 :
名無しさんの主張 :2013/02/14(木) 05:29:31.01 ID:+p6y44Dj
「集団主義」に陥りやすいのが日本人だが、これは問題だよ。 創業者が国柱会という宗教団体に属する弁護士を信用したばかりに、その家族 は崩壊、相続人兄弟による遺産相続争いが極限に達して会社は倒産寸前で廃業。 新興宗教団体にありがちだが、彼らは年老いた家庭(遺産)を狙う。そうして、 一部相続人に遺産相続で独占的に相続させることを条件に誘い、被相続人を騙して 遺産を掠めとることを画策する。その悪だくみに気がつき、それを阻止しようとする 相続人がいると、相続人兄弟の一部を抱き込み謀議をめぐらす。 敵対する相続人家族を、被相続人に合わせないようにするのだ。弁護士の肩書を利用して あらゆる策略をめぐらす。封建時代に横行した手法だ。それを防ぐ手立ては 人身保護法なのだが、日本の法曹界はその法制度の存在意義をまったく理解してない。 「協調性」という恣意的な価値観を絶対な価値観として持ち出し、悪徳弁護士と敵対する 相続人を批判しはじめるのだ。 日本の裁判官も弁護士も検察官も警察も、そういった歴史的な教訓による意義を全く理解 してない。全く無防備。スパイ防止法がない日本の「お人よしさ。」と同じ。 国柱会に属する弁護士、裁判官等を絶対に信用してはならない。彼らは オウム真理教のように、たちが悪い。その他の新興宗教団も似たようなものだ。
★日本型企業は多様大量生産に対応できない−求める人材像の破綻 1 ここのところ、日本を代表する大企業の赤字が続いている。そして、日本企業からは目立った ヒット商品が出なくなった。これには当然の理由がある。すなわち、世界規模の生産体制の中で、 日本企業が得意としてきた均一大量生産がもはや需要に応えられないものとなったからである。 日本企業が今まで発展してきた理由は、均一かつ良質なものを大量に製造するということを 非常に効率よくおこなってきたからである。その根源にあるのは、日本型の集団主義的な 企業体制にある。出る杭にならず、周囲と調和してやっていくことを良しとする集団のあり方だ。 こうした日本型の社会が、戦後の経済活動に幸運にも非常によく適合したのである。だから これだけ発展したのである。そして、残念ながら、今も日本企業はそうした成功体験から 逃れられずにいて、経済的な商機を逸しているのが現状だ。そして、今後もこうした状況が続けば、 代表的日本企業の凋落の傾向はとどまらないだろうし、実際多くは解体していくだろう。 もっと分析すれば、日本型企業は、リーダーを育成する体制にない。協調性ばかりを重視しており、 その傾向は正社員をほとんど解雇できない労働力の固定化によってより強調されている。 まさに、今や日本型企業の長所が完全に短所となっている。 前回にも触れたように、今後生き残れるのは、創造的な個人が能力を発揮できる企業である。 ところが、あろうことか、日本企業の旧い体質は、未だにそうした人材を活用できないどころか、 排除してしまう状況にある。新入社員の「離職率の異常な高さ」は、正社員の解雇が困難な ために企業文化がまったく柔軟性を欠いたまま既存の社員の既得権益を保護する方向にしか 人材を扱えない証拠である。 さらに悪いことに、日本型の企業や人材観を良しとする学者たちは、企業側の旧来のやり方や 体制が正しいという固定観念を持ちつづけていて、それが売り手市場の状況の下で正当化されて しまっている。そうした企業が凋落している理由が、実はそうした創造的な人材を活かせない 固定的、体制維持的な企業体制にあるにも関わらずである。
★日本型企業は多様大量生産に対応できない−求める人材像の破綻 2 日本型企業は今後次第に没落するしかない。少なくとも、日本国内における日本型の人材観、 協調性重視の人材観、横並びで集団主義的で均質をよしとする人材育成の考え方では、決して この大競争時代には生き残れない。そして、集団社会がほとんど変化できないという現実を 見れば、それはもう規定路線である。 青色ダイオードの発明者の追放に象徴されるように、日本企業というのは未だに横並びや 周囲との協調に異常なくらいにエネルギーを使うことで、出る杭を排除する。それは経済活動 としてはほとんど意味がないにも関わらず、評価の対象となって重視されている。それは 官公庁にもみられるた異常な「表面上の」仲間意識であり、不思議なことに日本企業では 経済活動と無関係に展開しているのだ。それは同調圧力と言ってもよく、きわめて動物的である。 そして、この変化の時代、企業内の「既得権益」である「残り者」の人材観で、せっかく 能力ある若者がやる気をなくして排除されていく。さらに旧態依然たる人材観を持った(似非) 学者がそれを若者のせいにして得意になっているといういただけない状況が日本にあるのである。 われわれは、異質なもの、ちょっと理解できないなと思うものにこそ改革の萌芽をみなければ ならない。それは当たり前のことであって、理解できるものというのは旧いものであるに 決まっているのである。新たな改革を行おうとすれば、理解できないものが当然対象なのである。
★日本型企業は多様大量生産に対応できない−求める人材像の破綻 3
日本型企業で今進行しているのは、企業内での生き残りのための既得権益としての旧い労働者
たちの抵抗が続いていることである。だから、新規雇用者の離職率が高いのである。そして、
このような低成長あるいはマイナス成長時代では、ますます企業内の「残り者」たちが抵抗し、
人材も変わらず、協調性重視の日本型均質体制が縮小再生産されるしかない。それはとりわけ、
外部との競争のない、既得権益業界(マスコミ、電力、行政等々)では非常に顕著となる。
沈みゆく巨艦に乗るか、飛躍する多様な人材を求める企業を選択するかということがまさに
問われていて。誰がどう考えても、旧来の人材観でしか人材を活用できない企業は生き残れない。
アップルに伍するような企業を選べるかどうかが全てである。
日本国防衛のための政策とは・・・直接民主制 [ 2012-02-07 22:46 ]
http://japanbouei.exblog.jp/15395446/
本来異質なものを共存させてしまう不思議な力が和の力で その力が失われて、あくまでも自分を圧し殺してまで周りに合わせる 協調第一主義が和と勘違いされ、主流になってしまった為に 生きづらい国になってしまった 欧米に対抗して強い自我を築こうとしたのだろうが、日本人に 心の安定をもたらす和の力、調和力が発揮されるためには、 本来外来の文化が必要で、和魂和才型の右翼はむしろ日本的ではなかった 多神教、和の民族日本人が無理して強い自我を築こうとした為に かえってびくびくと臆病になってしまったしまったが強い 自我をもっている1神教の欧米や、中華思想の中国に対抗 していくためには、強い自我を築かざるを得ず、しかし そうなると内的にも外的にも(八紘一宇)問題があるため それは推奨出来ない そこで俺は最近、多神教に立脚する不思議な力、調和性、 柔和性、寛容さを保証する、ある意味最強の力、和の力を 維持しつつも、1神教や中華思想に対抗できる強い力を 同時にもつことは出来ないだろうかと考えてる
★協調性 1 MIGUのスペインまったり生活回想記 2010.01.21 Thursday 先週末、マンションの自治会の会合があった。 来年度は、自治会の役が回ってくる。その担当役決め・・・ 当然、誰もが自治会の会長になどなりたくない。 素早いおばさま方は、立候補で希望の役をGET. そんなところへ、自治会の意味を問う発言が! 自治会なんかいらん、何の為の自治会や、誰もしたくないのに、云々。 「いや、そういうご意見もありますが、今日は役決めの為の集会ですので、その話は後日・・・」と旧役員。 なんと、その“おっさん” 「私の質問に答えられないような自治会なのでしたら、この場を持って自治会を脱退します!」 と逃げてしまった! 大の大人やで・・・ 嫌なら、最初から来なければ良かったのに・・・ その“おっさん”、エレベーターで何回挨拶しても無視する最悪の人。日々感じ悪いと思っていたけど・・・(激怒) その人が抜けた後も、それぞれが希望を主張し、他へ移動し、気付いたら 一人の男性と、一人の女性のどちらかがくじで会長にということになってしまっていた。 そこへきて、女性が同情を引くような甘ったるい声で 「私、そんなのできません〜。だって、できることならお引き受けしたいですけど、できないものはできないでしょ〜。」 確かに、決め方は悪かったけど、この「できません〜」にムカッ。60歳も過ぎたようなおばさんなのに、 なんなんや〜!この小学生のような発言。 主人は体調が悪いという言葉も、本当かどうか・・・ 男性のほうも、 「家内を亡くして一人ですし、不規則勤務なので」と。 そんな、各々わがまま言い出したら、何も決まらない!!! かなり高齢のおばさまが、「勘弁してください。若い人に・・・」と ここで指された「若い人」というのは、50代か60代。 築22年の、ジジババマンションなんだもの(汗) 結局、『逃げたおっさん』の後始末をどうするか決まっていないのに役は決められないということで、来月に持ち越し。
★協調性 2
1時間20分の無駄。
チビを実家にまで預けたのに!!
一晩寝たらますます腹が立ってきて、旦那に愚痴っていたら
「スペインよりまし!まし!」
「日本人は、反対意見とかあまり言わへんやろ。」
と言う。
スペインでは、自治会はないけど、Comunidadといって、修繕についてとか駐車場とかプール等の共有物について
話し合ったりする管理組合のようなものはある。代表ではなくて、住民の参加できる人が集まって決めるのだが、
絶対いちゃもんをつける人がいるようだ。
決まることも決まらない。
各々が思いつきで意見を言って、見積もりを見たとたん意見を覆す。
「私らが(マラガで)住んでた所は、誰が会長をしてたん?」
「弁護士。そしたら、何か企んでるとか、誤魔化してるとか言われるんや。」
「そりゃー何か見返りは狙ってるやろね。それでも、やってくれるだけいいやん。」
毎日、その辺をお散歩してるリタイア組のおじさま達・・・誰でもいいから、住人の為に私がやります!と
言ってくれないのかしら。(ぶつぶつ)
スペイン人は、協調性(和)=armoniaを重んじる日本人と対極にいる気がする。
今の日本人の親が子に求めるものの一位が「協調性」となっていたのに、先日驚いた。私はそんなこと全く求めていない。
かつては「個性」が流行り言葉のように言われ、今はなるだけ目立たないように、みんなと仲良くということなのか。
ダンナは、「スペインでは自分の好きなようにするのは悪いことじゃない。でも、日本ではそういうの、難しいん
やろな。」と言う。日本にいる限り、協調性という波に乗らなくてはいけないことが多いかもしれないけれど、
乗りながらも自分の考えは持っていて欲しいと思う。
ダンナのように、何を言っても聞かない頑固者(cabezon)にまではならなくてもいいけれど!
http://blog.migusto-jp.com/?eid=1325615
なんかますます、同調同化や同調圧力や相互監視が拍車かかってる気がする 何故といわれてもわからんが そこにあるのは結局「不安」なんだろう 集団の輪にいないと差別される日本社会 安倍晋三には、これを制度や法律でガツンと変えてほしい それが村社会脱却という戦後レジーム脱却だと思う
192 :
名無しさんの主張 :2013/04/19(金) 03:03:11.69 ID:kC4bLAaS
実は全体主義の国家なんだ。 全体主義というのは、協調性という美名のもとに、人を恐怖で縛る世界 なんだ。 実は、東日本大震災でおとなしいのは、逆らうと殺されるという恐怖で 縛られていることの証明なのだ。
笑顔や絆を、無意識のロボット社会に持ち込んで脅し文句にしてるマスメディア というと大概 「ニコニコ笑顔で何が悪いのさ」 とマスメディアはいう 自然体を殺し、無理に作り笑いをして、吉本やAKB48らのつまらないギャアギャア騒ぎの笑いを笑顔で元気にとは言わない でもテレビ脳に毒されてる日本人は、そういう垂れ流しが同調圧力や相互監視を作り上げ、不安を煽り、マラソンやダデマスクなどに精を出す 個性を殺し社畜になり、一つのレールの中にいないと恐い社会に染まる 外れたら死ねの社会だから
★画一性と協調性 1 メンタルトレーナー高畑好秀BLOG 2013年02月28日 学校は『みんなと同じ』という側に比重を置きすぎているように感じる。しかし社会に出て求められる のは『人と違う強み』を持ち『これができるのは君しかいない』という人材。みんな同じようで あるということは、同時に誰でもいいということでもある。協調性と画一性とは違う。本当の意味での 個性。これは本当に大切になる。出る杭は打たれる。人と違えば村八分で仲間外れ。こんなものは 協調性ではない。単なる画一性。周りの人とできるだけ同じでありたい、可もなく不可もなく。 これでは誰もが自分を殺しながら生きていかなくてはならなくなる。人間は社会で生きている。 であるなら、自分らしい個性を生かして周りと協調していく部分は協調性を発揮していけばいい。 個性とはワガママとは違う。個性を周りの人達に役立つように生かしていけばいい。あまりに画一性を 求めていくと閉塞感に溢れた社会になってしまう。お互いの、らしさと個性を尊重できる社会にして いかなくてはいけないだろう。 この記事へのコメント 個性が表に出ると、どうしても風あたりが強くなってしまいます。陰口をたたかれることもあります。 どうすればいいでしょうか? Posted by いけぽん at 2013年02月28日 05:48
★画一性と協調性 2
個性をいかせない社会、画一性で安心出来る社会、またその様な人を多く作ってしまう教育は真の
教育とは言えないと思います。むしろ大多数の人をコントロールするのが簡単だから、そうしているかの
様に感じます。個性を認めあえる社会であるべきだと思います。
Posted by バーガー at 2013年02月28日 17:38
義務教育では平均化が求められますね。単に先生が教えやすいからかもしれません。しかし、社会に
出たら個性が貴重になります。だったら、幼い頃から個性を出せるような教育にして欲しいですね。
Posted by 小田辺 at 2013年02月28日 20:45
個性を上手くまとめられれば、すごい力が生まれると思います。
Posted by きぃ at 2013年02月28日 23:21
協調しながら個性を出す。簡単なようで難しい事ですよね。失敗恐れずいい意味で個性を
出せるように頑張ります。
Posted by Pちゃん at 2013年02月28日 23:29
http://takahata-mental.seesaa.net/article/332438844.html
昨日ひさびさにテレビが病院にかかってたからみざるを得なかった 気持ち悪かった かわいい動物特集らしかったが 「今のご時世。こういう癒やしが必要なんですね」 無理やり、今の時代は厳しいんだと煽らせる印象操作や洗脳 嫌みとしか言えない で癒やしなのに 「かわいい声はこの後すぐ」 「さあかわいい声はこれだあ (過剰se) 女アナ「ハハハハハハハハ」」 視聴者が一番嫌がってるのに またぎやワイプや過剰se 相変わらずだった 嫌ならみるななんだろう 同調圧力なんだろう 吐き気がした
ラジオもそうだった 相変わらず煽りに印象操作に洗脳 わかって無いんだろうね 本人らも 組織の中だから 何となくそうだからそうするんだとしか思わない 舞妓特集 女アナ「若いのにおしとやかですね。私には全くないですから、見習わないと行けません(笑い)」 元気キャラでないと使われない無意識の脅迫観念に 作らないと恐い無意識の同調圧力 やっぱり時代が、戦前の大本営と全く変わらない いや、ますます管理や統制が厳しくなってる
パチンコ屋の出目の出し方は、上の奴らの気分次第らしい 釘も、出玉が出まくると厳しくなり、客がへりだすと甘くなると聞いた つまり店長以上の幹部クラス はっきり言えば、在日の奴らが、女タレントの枕営業の資金源に影響しないための小遣い作りにしか考えてないだけだ でも熱中するがあまり、スロットの台まで買う奴もいる 恐ろしい そいつらの奴隷だからな でわかっちゃいないから それ言ってもチンプンカンプン 夢を求め、大金を目指してパチンコ屋行くのに 在日幹部らの奴隷だから 哀れにしか見えない
199 :
名無しさんの主張 :2013/05/19(日) 12:22:27.18 ID:APKXqUwg
★決断の遅い日本人VSせっかちな中国人 上 「知中」「知日」のすすめ - 中国人在東京 2012年7月11日 林 剛 日本人の集団意識が強い。 いい意味で協調性、団結性が強いというが、悪い意味で皆あまり個人としての責任を 負いたくないと指摘されている。 ビジネス商談の場でもたいてい話を一通り進んだら「この件について、上に相談しないと いけないので、一旦持ち帰らせていただきます」と言う担当者が多いのである。 それはある意味仕方ない話である。第一線で活躍する営業マンはほとんど決裁権を持って いないため、勝手に商談の話を進めてはいけない。だからこそ、日本の会社に「根回し」、 「報連相」が大切にされている。 スポーツを例えすれば、まさに野球である。一塁二塁三塁、全員走ってチーム全体が勝ちにいく。 中国の場合、商談の場で進行しているビジネスの行方をはっきりさせ、問題(ネック)が あればその場で議論を尽くして解決方法を探る。中国人にとって物事は白か黒か二つの選択 しかないため、粘りか妥協するか辿り着きやすい。 中国の会社では上の人間はプロジェクトの方向性を指示するが、実務的な対応を担当者に 全般的に任せることが一般的なやり方である。 スポーツを例えすると、やはり卓球だろう。個人が上手ければいくらでも勝ちぬくのである。
★決断の遅い日本人VSせっかちな中国人 下
中国は個人能力を重視するに対して、日本はチームワークを重視する。また意思決定の
システムも違う。中国の会社は完全なトップダウンであるが、日本の会社ではほとんど
ボトムアップである。ボトムアップには慎重さというプラス面がある一方、意思決定までに
時間がかかるというマイナス面もあるだろう。
付き合っている中国側の担当者から「日本の会社はまず課長さんがうちに来て、日本に
戻って部長さんに報告するだろう。そして今度部長さんが視察に来る。部長さんの後また
執行役員が来るだろう。ようやく社長さんがいらっしゃるころには、もう時間が経ちすぎて
すでに欧米や韓国の企業に取られてしまいってよくあるね」「だから日本の企業って決断遅いし、
効率が悪いね」とまで言われた。 これは日中両国のビジネス慣習が違うから、どちらが
優れるかどちらが駄目かというわけでもない。それぞれの長所と短所があるから、やはり
地道にコミュニケーションを取りながら、お互いに理解し合えるよう商談を進もう。
場合によって、日本側もトップダウンで迅速に動くことが必要だろう。
http://blogs.bizmakoto.jp/t-hayashi/entry/5094.html
202 :
名無しさんの主張 :2013/06/16(日) 14:28:58.77 ID:GHpSwpEi
>>152 日本における協調性とは、同調性の事だからね
激しく同意
根が臆病だから 協調性がいくらあっても、団結して権力に立ち向かう性質は貧弱なんだよね 敵が強大なときには協調しない
《小論文》「日本の集団主義の社会」について アクトン 前高1 1 集団主義とは団体で行動することを好むことです。「日本人は集団主義の社会を形成している」 というこの文に私は賛成です。 集団主義の利点は集団で行動することによって、チームワークがうまくできるようになります。 また、一緒に働く人々の意見を聞き、仕事などに取り入れることによってよりよい結果(結論?)を 見つけ出すことができるかもしれません。それだけではなく、多くの人達と働くことによって 仕事が分割されて、一人の負担が軽くなります。責任も同じように多くの人のものとなります。 しかし、集団主義には大きな落とし穴があります。それは皆が平等であるように、協調性が 必要とされます。結果として、個性が殺されてしまいます。また「ほかの皆と違うから」と 仲間はずれにされたり、個性を認めないことも十分にありえます。それだけではなく、集団で 行動したからといって、仕事や責任が平等に分割されることはありません。団体で行動するためには、 人々が全体として行動できるようにまとめ役が必要とされます。これによって上下関係が生まれると 私は思います。 たとえば、日本の学校では先輩・後輩という関係が成り立っています。部活などでは3年生が 主役です。そして、実力は関係なく1・2年生は3年生の練習相手のためだけに夏休みも毎日学校に 通っているところもあるようです。日本では当たり前のことですが、イギリス育ちの私にとっては くだらなくさえ思えました。年もたいして変わらない人々の集まりなのに、なぜここまでの違いが 生まれるのかと疑問に思いました。日本が「集団主義の社会を形成している」のは、幼いころから そういう環境にいるからだと思います。常に「集団」の一部で上下関係が出来上がるので、 それ以外のことをするのが困難になってしまうのではないかと考えます。
《小論文》「日本の集団主義の社会」について アクトン 前高1 2
日本では、「力をあわせて」などという言葉があります。確かにチームになってやれば、同じ
立場にいる人がほかにいると思えて、心の支えになることでしょう。しかし、行動を他多数の
人達と共にしていることにより、他人に知らず知らずのうちに頼りすぎてしまったり、協調性が
ある代わりに自分の考えに自信がもてなく、判断力に欠けてひとりで行動できなくなる人もいる
と思います。
【評】集団主義の長所と短所を非常に論理的に説明しています。協調性が必要とされることになり、
他に依存したり個性が認められにくくなる反面、チームワークを築きやすくなる等、すべての
事柄がもつ長・短をよく説明していますね。次回も期待しています。
ロンドン補習授業校文芸紙 第4号 こんぺいとう 平成19年 5月12日
http://www.thejapaneseschool.ltd.uk/londonhoshuko/bungei/19nendo/0704.html
★協調性?狂調性?
日本社会は、古来より空気を読むことや和を保つことが大切にされて来た。意見の対立が、
建設的な議論やディベートに発展することなく、単なる喧嘩とみなされ、意見すること
自体が集団の和を乱す悪い事とみなされがちだ。
そこで言われる和とは、集団の権力者の発言、古くはお上の発言に、唯々諾々と従う
封建社会の上下関係に他ならない。
家庭や親族や地域や学校や職場の中で、「偉い人」や「経済力のある人」や「ボス」的な
人の発言をおかしいと思いながらも、波風立てることを恐れ異を唱えず、密かに陰口を
言いながらも渋々従い、表面的な平和を保っていることも多いだろう。
しかし、不満はくすぶり続け、矛盾は拡大し、ある日、突然爆発する。安全と言われ続けた
原子力発電所が爆発したように。
原子力の危険を感じながらも、それを口に出来ない社会。反対出来ない社会。それは、
戦時中に、戦争反対を口にすると「アカ」だとか「非国民」だとか言って村八分にしたり、
拷問したりした社会と同じではないのか?
地動説を唱えて宗教裁判にかけられたガリレイの時代と、さして変わらない状況が
続いているとは・・・
戦争は狂気であり、宗教も時には狂気=凶器となる。そのような狂気の渦中で、一人正気で
立ち向かうのは難しい。狂気にあわせてしまった方が、とりあえずは安泰だろう。しかし、
皆がそのような狂った協調性を発揮してしまっていたら、人類の発展は無く、とっくに
滅びてしまっていたに違いない。ほんの少数の正気の人の、真っ当な発言、勇気ある発言が
あればこそ、人類は戦争や原爆で滅びることなく、今日まで続いて来れたのだ。
狂気に組する危険な協調性に気づき、少数派の意見に耳を傾け、尊重すること無くして、
真の平和や安寧は有り得ない。
2011年4月 2日 (土) revolution
http://resist.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-4990.html
日本の民度は世界最低最悪
★つきあい残業の大切さを教えて下さい
アロエ 2012年4月8日 18:1
トピを開いて頂いて有難うございます。
アラサー独身の女性です。
昨年5月に正社員として中途採用されました。
とてもアットホームな会社なのですが、つきあい残業が多く戸惑っています。
定時は18時ですが、全員が外出先から戻るまで、あるいは全員の仕事が
終了するまで皆で残ります。
残業代はつきません。
自分の業務が終了したあとはお菓子を食べたり雑談しながら時間を潰します。
時には事務所内で飲酒もします。
会社を出れるのは大体20〜21時です。
私はこれがとても時間の無駄なような気がして、自分の仕事が終了し、手伝える
仕事があれば勿論手伝いますが、それも終了したら極力帰る様にしていました。
その結果、ボーナス査定は最低ランク、4月の昇級も見送られてしまいました。
まだ入社して1年。
失敗したり、理解できない用語も多いので仕方ない評価だと思っていました。
ですが、上司に「仕事の能力は高いが協調性がない。認めて欲しかったら皆と
一緒に残るように」というような事を言われもやもやしています。
仕事を円滑に進める為に、職場の人達との交流や時間の共有が重要だ、という
事なのだと思うのですが、なんだか割り切れなくて・・・。
恥ずかしながら今までバイトや派遣といった時間給での労働しか経験がありません。
そのせいか、つきあい残業の重要性を理解できずにいます。
どのように気持ちを持ったらいいのか、ぜひともご教示下さい。
宜しくお願いします。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0408/497648.htm?g=02
日本人種がコミュニケーション能力皆無の人種である事は 議論の一部始終を聞いていてよく理解できる。 人型の猿といえる。
だいたい、モンゴリアンは肉じゃがの塊みたいな顔つきしてんだもん んな土人に人間の真似など無理
●学校「協調性を大事にしろ!」みんな「はい!」ぼく「は?」
2013/08/16(金)
学校「みんなと同じ事しろ!列を乱すな!」
みんな「はい!」
ぼく「キモくね?」
ー10年後ー
会社「休まず働け!有給なんか取るな!上に楯突くな!」
社畜「はい!」
ぼく「ちょっと1週間休みもらって台湾いってきます!」
ー10年後ー
政府「年金廃止!払い戻しなし!消費税20%!」
みんな「ぬぐぐ・・・まぁいいか」
ぼく「デモだ!デモで革命だ!」
バカども「ぼくって奴自己中過ぎ・・・」
ぼく「^^;」
洗脳されすぎだろ、バカかよ
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1376643667/l50
何一つオリジナリティーがないから嘘ばかり 日本の土人に未来はない
心が貧しい僻み症な日本
クールJAPANといい最近のテレビといい 日本の自画自賛が増えたよな やっぱこの国行き詰まってるんだなw
かなり昔から行き詰まってる
★南通大学日本文化祭り 1 ららぴっとのブログ:中国江蘇省南通市の生活 2013-05-12 22:59:13 今日は、南通大学日本語学科の学生たちによる、日本文化祭りに行ってきました。 10時半に開会式が始まって、12時頃まで見学していました。 小学園祭という雰囲気で、大学構内にテントを並べて、食べ物や日本風品物を売ったり、 ゲームや表演がありました。 中国の学生が、日本のことをどんな風に見ているのか、興味深かったです。 売っている商品は、アニメのキャラクターのうちわ・アイドルの写真(主にジャニーズ。山P多し) ・東京の写真や日本の風景のポストカード・げた・箸など。 こんなのどこで仕入れたの?と聞くと、「インタネットで買いました。 ネットは、すごいです。何でもあります」って。 作っていた食べ物は、カレーライス・ポテトサラダ・普通のサラダ・天ぷらなどでした。 「日本のカレーは、有名です。インドと日本のカレーは、世界2大カレーです」と、 マジな顔して言ってました。 天ぷらを食べた学生が、「油っぽいです」って。 中華料理を毎日食べてる人に言われると思わなかったわ。 でも、なるほどと思ったのが、「日本料理は味がないから、油の味がする」って言ってた事です。 たしかに、中華料理は味が濃いので、油のそのものの味はしないかも。なるほどねえ。
★南通大学日本文化祭り 2 また、ボードに日本紹介が書かれて貼られてました。 日本の現在の服装では、女子高生の制服姿と、原宿のなんていうのかな、原宿に行くと独特の おしゃれしてる人いますよね、そういう服装が紹介されていました。 また、日本人の特徴が、 1、横並び意識が強く、協調性を重んじる。「出る杭は打たれる」。最近薄れつつあるようだが、 サッカーを見ていても、国民性がでる。 2、執念深くない。執着心が薄い。 3、もったいないという倹約心がある。 4、造語が好き。 5、自己主張が苦手。 6、問題先送りは、得意中の得意。 7、衆愚政治に陥りがち。 8、なんでも小さくきれいに仕上げるのが得意! 9、仕事が丁寧。 10、時間厳守。 11、日本語はノーとイエスの間に、たくさんのいい回り(原文のまま)がある。 12、洗脳されやすい。 13、危機管理が甘い。 14、・・・忘れた・・・・
★南通大学日本文化祭り 3
どうですか? この日本人の特徴。面白いでしょう。
南通は日本人が少なくて、みんな本当の日本人(大学の先生)以外と話す機会がないみたいで、
わたしが日本人だとわかっても、なかなか言葉がすぐに出てこないみたいでした。
そうですよね、緊張しますよね。
日本語学科以外の学生も、「暑いから、こっちのテントに入ってください」と声をかけてくれたり、
みんなやさしかったです。
日中間いろいろあるけど、楽しい時間でした。
ららぴっとのブログ:中国江蘇省南通市の生活 2013-05-12 22:59:13
http://ameblo.jp/lalapit/entry-11529390563.html
日本人は人間と猿の中間にいる猿真似人種
虚構の文化と歴史しかない日本 真実がない国ww
★日本人が協調性と言っているのは猿真似のことか?
対話ができる環境づくり 2009/09/29 09:39
「みんな同じ、みんな仲良し」
これは日本人にとってモットーのようなものである。
日本人が行動を決めるとき、周囲の人がどうしているのかを基準にする。例えば、ゴミが
散乱している公園があるとする。みんなその辺に捨てているので、それに従って平気で
ポイ捨てをするようになる。ひとりだけマナーを守ってポイ捨てをしなかったり、
ポイ捨てを注意したりすると、周囲から村八分を受ける。
「みんなと違うは、みんなの敵」
これは「みんな同じ、みんな仲良し」の裏論理である。
この裏論理は「協調性がない!」という表現で日常に顔を出すことが多い。
日本でもディベート教育や個性を伸ばす教育が叫ばれている。しかし、これは欧米でそれが
行われているのは権威主義態勢による失敗があったからだ。日本で欧米と同じような失敗が
あったのかどうか私はよく知らないが、もし失敗がないのにディベート教育や個性を伸ばす
教育を叫んでいるとしたら、ただの猿真似である。
大手スーパーに目を向けても、イトー○○○堂が衣料の値下げをすると、その他のスーパーも
一緒になって値下げをするという現象が見られる。私にはただの猿真似にしか見えないが、
日本ではこれを協調性というらしい。
私には日本人の考えていることが全くわからない><
http://blog.hangame.co.jp/B0001025952/article/24
日本は二心を恥としない、姑息な民族
224 :
名無しさんの主張 :2013/12/16(月) 17:45:11.03 ID:CcFipZfH
★英作文の考え方[前編]
英作文が不得意な人は多い。「日本人は英語の読み書きはできるが…」と言っていた時期もある
(このこと自体の妥当性も疑わしいものはある)が,今はそんなことはない。大学入試では,
一部の国公立大学の2次試験で出題されているが,ぼくの大学時代の先生に話を聞くと「最近の
受験生の英作文のできはきわめて悪い」らしい。
大学院入試の場合,英作文が出題されるのは,主に文学系研究科と,一見意外に思えるかもしれないが,
理工系である。実は意外ではないだろう。というのも,理工系の場合,読む文献も英語である割合が高く,
成果発表も英語が多い。文学系研究科の場合には,英語・英文学系以外では,英語の論文を読み書き
する必要性は,理工系に比べると低いのではないだろうか。
英作文の上達法ということになると,これはもう「とにかく書いて直してもらう」しかないだろう。
ぼく自身の経験で言うと,大学入試の時にけっこう勉強したのと,大学1年の時にEssay Writingに
近い授業があり,この経験は今の英語力のベースにもなっていると思う。さらに,予備校の英作文の
授業を,アメリカ人教師とペアで担当した時の経験も大いに役立っている。
たとえば以下の問題を考えてみよう。大学入試の問題である。
日本は万事全体主義の国で,イギリス的個人主義はどうも協調性がないとか,偏屈であるとかいう
汚名のもとに忌避される傾向がある。私自身は,子供の頃から,団体で何かをしたいとか,皆が
そうするから自分もそうする,とかいう考えは全くなかった。それゆえ,日本の団体社会では
どうも暮らしにくいところがあったけれど,イギリスに渡ってみると,この国が非常に住み易い,
気持ちのよい国であることにすぐ気がついた。そして,その気持ちの良さは,景色の良さや気候の
快適さといったような表面的なことに依るのではなく,じつはこの国の個人主義的社会の風通しの
良さによるものだったと気づくまでに,いくらも時間はかからなかった。
http://homepage1.nifty.com/inshi/i/column/c_12_a.html
★「パワー・ハラスメントとは」(その2) 1 株式会社クオレ・シー・キューブ代表取締役 岡田 康子 人権問題としてのセクハラとパワハラ セクハラ研修の中で「食事に誘ってはいけないのか」とか「肩に触れてもセクハラか」などの質問を よく受ける。個々の言動を一つ一つ取り上げて何がセーフで何がアウトなのかを議論していてはキリがない。 改正均等法が成立するまでの流れを見ると、米国では1964年に米国公民権法が制定され、性別・ 人種・国籍・宗教等による差別を禁止、セクハラはこの法律の違反行為として位置づけられ、人権侵害 であると規定されている。 さらに、1991年のグラスシーリング法(ガラスの天井)が女性やマイノリティの昇進を促進し、 女性の社会進出を後押ししている。このように、セクハラ問題は基本的人権の尊重をベースに発展してきたと 言える。日本ではセクハラへの配慮義務は均等法で定められており、働く者としての権利として位置づけ られている。今、職場で起きているパワハラ問題も人権問題として捉えると非常にわかりやすい。男女を 問わず職場での基本的な人権は守られなければならない。それには「就業時間外の飲み会への参加を 拒否する権利」も「セクハラという人権侵害に抗議する権利」も当然含まれる。 日本の企業集団には「上司の誘いを断るのは失礼だ」とか「みんなと違う意見を言うと集団の統率が 乱れる」など、日本人が大切にする協調性を履き違えた「有形無形の圧力」が明らかに存在している。 これは人権というものに対する考え方が、残念ながらまだまだ成熟していないことを物語っているのでは ないだろうか。しかしこのようなことは、多種多様の価値観が混在するこれからの職場では通用しない。 一人ひとりの生き方や暮し方を尊重することが求められ、これを達成して初めて皆が気持ちよく働く ことができる。
★「パワー・ハラスメントとは」(その2) 2 諸外国のパワハラ問題 ヨーロッパでは国によってそれぞれ呼び方や定義は異なるものの、パワハラに相当する研究や規制の 法制化が進んでいる。ドイツのレイマン博士は1984年に「モビング〜職場での心理的暴力とその防衛術」 という論文で、「周りからやりにくいと思われる人」を作り出すのは職場環境であると指摘している。 スウェーデン国立労働安全衛生委員会は1993年に「職場での虐待に関する規則」を採択、モビング (職場いびり)を法的に定義し従業員サポートを義務づけている。 フランスでは精神科医フランス・イルゴエンヌ博士が「精神的な暴力」の臨床的研究を重ね、1998年に 「モラル・ハラスメント - 人を傷つけずにはいられない」を発表しモラル・ハラスメントの法制化を訴え、 2002年に労働法にモラル・ハラスメント規制が加えられた。 このように国により呼称に違いはあってもハラスメントが存在するということは興味深い。 これは世界中の職場集団で、ある特定の人を標的にした「心理的攻撃」が存在することを意味している。 些細な意見の違いで自分がのけ者にされたり、逆に自分が誰かを攻撃するということは私たちの身の回りで 日常的に起こり得る。それが職場全体の雰囲気を悪くし、仕事の効率を低下させ、本来は十分に力を発揮 できるはずの人の健康を阻害し、ついには退職という人材の流出につながってしまうのである。
★「パワー・ハラスメントとは」(その2) 3
どこにでもあるパワハラ
2001年に始めた私たちの実態調査によると、パワハラ被害を訴えるのは20〜30歳代が最も多く
(図1)、背景に価値観の世代間格差もあると思われるが、少なくとも若い力が職場で十分に発揮されている
とは言いがたい。また、50歳代の人からの訴えには最近のリストラの影響が窺えた。男女の比率はほぼ同じで
(図2)、組織規模別には大きな差は見られず、大組織でも、従業員50名未満の中小規模の組織でも
パワハラが起きている(図3)。業界別ではサービス業が最も多いが、官公庁や病院、学校などからの
相談も多く、業界を問わずパワハラが存在することを物語っている(図4)。職種としては事務職の比率が
高い。これらのことから、パワハラは権力構造がはっきりした比較的閉鎖的な空間で起こっていることが窺える。
また、相談者の多くは「パワハラを受けるのは自分の責任」という自責の念にとらわれており、ハラスメントで
受けたダメージを一層深刻化している。パワハラを訴えた4割近くの人が身体的、精神的な不調を告げている
(図5)。また、特に異常はないと言っている人でも、やりきれなさや怒りを強く感じており、パワハラが
長期化すると心身に不調を来す人が増えていくことが予想される。
今後の対応については「我慢する」という人は1割以下で、公的機関に相談したり、訴訟を起こすという
ような行動に移る人も増えつつある。しかし、4割以上の人が「退職する」と答えており(図6)、パワハラ
さえなければ力を発揮できた人材の流出は組織にとって大きな損失と言えるであろう。
次回に続く
(c)東京人権啓発企業連絡会
http://www.jinken-net.com/close-up/0308.html
日本は卑怯な行為を誇る民族
★人とは違う、が私にとっての最大の褒め言葉 1 Decent Point 2013年7月23 価値観は人それぞれです。 そのことについて、誰も批判できないし、そもそもする必要もないでしょう。十人十色という 言葉を子どもの頃習いましたが、これって、価値観はいろいろということですよね。能力差ばかりに 目がいくと気分が悪くなりますけど、ものの見方や感じ方、考え方、だと思うと、素直にそう あるべきだよねと、納得していまいます。 私が一番の価値を感じるポイントは、「人とは違う」ということです。 人とは違う 日本は、みんなと同じであることを、暗に強いる社会です。 だいたい、学校の教育からしてそうです。人と違うことばかりやっていると、「協調性がない」 と悪く評価されます。 なぜ、いつも群れてないといけないのだろう? なぜ、みんなと一緒でないといけないのだろう?
★人とは違う、が私にとっての最大の褒め言葉 2 常にこうした疑問を抱えていた私は、いつも協調性がない、と言われ続けていました。かといって、 自分勝手な行動をして迷惑をかけたことなど、ほとんどありません。それにもかかわらず、悪い 評価を受けるというのは、要は同じ価値観、同じ行動基準、同じ能力の規格品としての人間を 作り出そうとしていたのではないか、という疑念が湧いてきます。 なぜ同じでなくてはならないの? 私が感じる疑問の最たるものが、「なぜ人を気にするの?」というものであり、「なぜ同じように 振る舞おうとするの?」ということです。 正直、横並びに、みんなと同じであろうとすることが大嫌いです。人まねをして一体何が楽しいの? と思うのです。だって、じぶんの人生でしょ。 世界にたった一つの、、、 などという流行歌がありましたが、そう歌っていながら、画一さに安住する人いるんじゃないですか? 自分は特別な存在だ、って口では言うけど、リスクをとるのが怖くて、人まねして紛れ込もうと しているんじゃないですか?
★人とは違う、が私にとっての最大の褒め言葉 3 リスクとをって、自分が自分であるために独自性を貫こうとすればするほど、世間の風当たりが 強くなるのが日本という社会です。そういう当たり前のことは分かっていますが、やはり自分を 持っていたいと思うものです。できもしない願望かもしれません。 だからこそ、「ユニークですね」とか、「人とは違いますね」という言葉をもらえるのが一番 うれしいのです。そういう言葉をかけてくれた人が、自分を守ってくれるわけではないけれども、 慰めにしかならないかもしれないけれども、自分が自分であることを認めてもらえたわけで、 うれしくなるのですね。 自分がなくては多様性は認められない 多様性を認めることができるには、自分という「個」が確立していないと、どだい無理な話でしょう。 「同調」を求める意識が強くて、没個人になっている人には、「多様性」というものがそもそも 理解できないだろう。単に「調和を乱すもの」としか見えないのではないだろうか。
★人とは違う、が私にとっての最大の褒め言葉 4
懸命に、自分ならどうするか、自分はどう考えるか、そこにオリジナリティはあるのか?と考え詰める
作業を日々繰り返してこないで、自分のなかにはなかった新しい考え方を持つ人を認めることが
できるものだろうか?たいていの人は、「同調圧力」の根源とも言える「常識的なモノサシ」
という非常識で、異質なものを判断しようとするのだろう。
いつまで日本は続けるのだろうか、鎖国的な偏狭なものの見方を。
戦争で敗れ、経済戦争で敗れ去ろうとしている、日本。
戦国の世に一種のあこがれがあるのは、そこに日本の多様性が存在していたからだろう。伝来した
鉄砲を独自に改良し、新しい戦術を作った、戦国時代末期。開放的で、大らかさがあったことだろう。
それに引き替え、今ときたら、、、
多様性を認めることができなければ、日本は立ち直れない。それにはまず、一人ひとりの「個」が
確立することであり、他人の目を気にしている場合ではないだろう。
Decent Point 2013年7月23
http://tirrano.com/?p=3414
1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。 1:2アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 1:3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、 1:4アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、 1:5サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、 1:6エッサイはダビデ王の父であった。 ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、 1:7ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、 1:8アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、 1:9ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、 1:10ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、 1:11ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。 1:12バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、 1:13ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、 1:14アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、 1:15エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、 1:16ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
悪を正当化する欠損遺伝子日本民族
236 :
名無しさんの主張 :2014/02/11(火) 20:08:00.77 ID:e34myFJ3
>>1 漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた!
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/09/post_cc21.html 漆間巌(うるま・いわお)警察庁長官(60歳)が愛知県警察本部長時代
(1996年8月20日〜1999年1月8日)、「捜査費」(国費)で宴会を開いていたことが、
筆者が情報公開法により入手した「3月分捜査費明細書」という文書からわかった。
「捜査費」はその名前のとおり、「捜査」に使う費用。それが漆間本部長(当時)らの飲み食いに
使われていたとなれば、国民から強い批判が巻き起こるのは必至だ。
漆間本部長(同)が「本部長激励慰労」なる宴会を開いていたのは、
「平成9年(1997年)3月6日」。場所は「名城会館」(名古屋市北区・現在は存在しない)で、金額は「150,000円」。
このような宴会が「捜査費」でまかなわれているのは違法ではないのか。
愛知県警総務部会計課は、次のとおり説明する。
「捜査費の激励慰労費は、捜査活動に要する経費のうち、長期にわたる重要事件および
困難な重要事件の捜査等に従事する捜査員等に対する簡素な激励のための経費です」
あくまでも「捜査」にかかる「経費」だから、違法ではないということらしい。
しかし、いくら「激励」という名目があっても、身内の飲み食いが税金で支払われなければならない理由はない。
財務省主計局は、こう話す。
「警察庁から『激励慰労費は、単純な飲み食いとは違い、現場の捜査員の率直な意見交換に必要な経費』と説明されています」
だから「経費」として認め、予算をつけているということらしい。
しかし、「飲み食いしながらでなければ、率直な意見交換ができない」などという理屈は、税金支出上、
絶対に認めるべきではないし、そのような組織が捜査しているから、検挙率が26.1%(2004年)と低迷しているのである。
筆者は漆間長官にもインタビューを申し込んだが、
「個別案件についての長官へのインタビューは応じておりません」(警察庁広報室)と拒否された。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 1
2011年02月14日 自分で考えて行動する「自律型人材(自律型人財)」が育つ組織って?
http://blog.next-strategy.com/article/185812211.html 「イマドキの若者は、飲みに誘っても付き合おうとしない協調性のないヤツが多いよなー (;´д`) 」
「ウチの会社で働くのは、協調性がある人じゃないと困るよ〜ん ~ヽ('ー`)ノ~ 」
「お前は協調性って言葉を知っているのか???それで協調性がある行動って言えるのか???o(`ω´*)o」
「社会人としての協調性ってもんがないのか? ( ̄□ ̄;) 」
「協調性がないヤツは、会社を辞めてもらうしかないねー q( ̄3 ̄)p 」
「協調性がないと言っているヤツの方が、よっぽど協調性がないと思うんだけど・・・ σ(^◇^;)。。。」
「人に協調性を要求する前に、自分が協調性を持てばぁ? Ψ(`∀´)Ψケケケ 」
「協調性があることを強制するから、主体性ってもんがなくなっちゃうんじゃん o(><;)(;><)o 」
「協調性ばっか重視するから、多様性ってもんがなくなっちゃって、画一的になっちゃうんじゃん o( ̄_ ̄|||)o--- 」
などなど・・・
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 2 「協調性」って、なんだかんだとよく使ったり聞いたりする言葉の一つだと思いません? 「協調性 = みんなに合わせる」 「協調性 = みんなと一緒」 のような使い方をされることが多いのかも〜??? なーんて感じません? 「協調性がある」のが当たり前で美徳!のような前提で使われていて・・・ 「協調性がない」と、ワガママで自己主張のカタマリのような使い方をされていることもあるのかも〜? なーんて感じません? 「協調性」とやらが・・・ 「主体性」やら「自律性」やら「自主性」なんかを阻害しているみたいな使い方をされている こともあるのかも〜??? なーんて感じません? でも・・・
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 3 「三方よしの経営相談」や、「自律型人材育成」、「組織力の強化や向上」、「経営に 役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」のお手伝いを行なっているせいか・・・ 日本を含む世界各国の方々への、自律型人材育成(自律型人財育成)のお手伝い経験があるせいか・・・ 「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるせいか・・・ 「協調性」とやらについて、いろんな意味で考えさせられる機会も多々あるんですが・・・ (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン そもそもの話・・・ 「協調性」って、何なんだろーか? 「協調性がある」って、どーゆーことなんだろーか? 「協調性がない」って、どーゆーことなんだろーか? 「協調性がある」と、主体性とかって本当になくなっちゃうもんなんだろーか?
240 :
名無しさんの主張 :2014/03/01(土) 22:54:07.69 ID:nez2ArXp
協調性と同調性を履き違える人が多すぎて困る。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 4 どんな時に、「協調性」とやらって必要とされるもんなんだろーか? どんな仕事だったら、「協調性」とやらって必要とされるもんなんだろーか? 何のために、「協調性」とやらが必要になるんだろーか? 誰のために、「協調性」とやらが必要になるんだろーか? 組織の中で「協調性」とやらを養うには、何が必要なんだろーか? どんな組織だったら、「協調性」とやらを持ちたくても持てなくなっちゃうもんなんだろーか? どんな組織だったら、「協調性」とやらが自然と育つもんなんだろーか? などと、改めて聞かれると・・・ 「うーん、うーん、うーん・・・ (-''-) 」
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 5 なーんて、唸っちゃいません? (;´・ω・`) そんなワケで・・・! 「協調性」とやらについて、一緒に考えてみません? (^^)/ あ、モチロン、「自律的に」という意味で。 ちょっと興味あるかも〜? って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^) えーと・・・ まずは、こんなのから考えみるのはどーでしょう?
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 6 ■ 協調性とは? ○ はてなキーワード 協調性とは、 他人を理解しうまく物事を進める性質。能力。 チームプレイで目標を達成する組織においては、個人の能力だけでなくチームへの協調も求められる。 「和をもって尊しとなす」というように、日本では伝統的に「和」が尊ばれ、協調性が重視される国民性がある。 高度経済成長の原動力のひとつとも言われている。 「主体性を捨て相手に迎合する態度」等とネガティブな解釈もあるが、 主体性や自主性が、必ずしも協調性と対立するとは言えない。 ○ ウィキペディア 協調性とは、 ・異なった環境や、立場に存する複数の者が ・互いに助け合ったり、譲り合ったりしながら ・同じ目標に向かって ・任務を遂行する素質 -----
244 :
名無しさんの主張 :2014/03/02(日) 19:21:49.07 ID:usDTpuc3
統治している偽装暴力団が、統治しやすくする為に工作している精神 現在も金銭暴力による封建社会
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 7 で・・・ 次に、こんなのからも考えてみるのはどーでしょう? (^^)/ ■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」 日本の企業社会は、一種のセレモニー化した規範を確立して協調性を大切にしてきた。 そして、こうした企業内の協調性を土台にした人間関係が集団主義を支えてきた。 しかし、この一見まさに集団主義的で協調的に見える行動も、その基準は実は自分の打算に よっている。 一見企業へのロイヤリティを軸にした統一した行動に見えても、その原理となっているのは、 その行動が己の打算にかなうかどうかである。 つまり、個人としては嫌であっても、出世や仕事にいい効果をもたらすということで参加してきた。 自分だけが仲間と違う行動を取るのはまずいという判断で、自分を殺して参加していることが 多かった。 日本人の多くは、実は自分自身は集団主義的な人間だなどとは思っていないという不思議な現実がある。 むしろ、個人個人に聞けば、「日本的集団主義には辟易していて、何とかそういう呪縛から 自由になりたかった」などと語ることが多い。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 8 それどころか、「日本人全体が集団主義である」ことは認めても、「自分は、そうした生き方に 仕方なく従っているが、本当は違う」と感じている人のほうが多いのが現実であろう。 今、職場に起きていることは、集団主義の揺らぎに対しては「以前から望んでいなかったこと だから」と肯定しつつも、今度は「そうは言っても個人主義的に飛び出した行動をすることが 本当に利益なのかどうか」を見定めている状態なのだと言ってもいい。 まさに、職場は今、集団主義から個人主義、そして年功序列から成果主義を典型とする変化を前に、 自らがどのように協調性を発揮すればいいのか分からず、立ちすくんでる状態なのだ。 古い価値観の集団主義や協調性というしがらみを捨てようとしながらも、なお、その一方で しがみつくという混乱と矛盾の中にいるのだと言ってもいい。 終身雇用と年功序列というシステムが確固たるものであった時代には、「就職」ではなく「就社」 するものだと言われたように、その会社に一生を捧げるという考え方が当たり前になっていた。 つまり、就職することは、その会社に忠誠をつくすことで、一生安定した生活を保障される というバーター的な考え方で成立していたのである。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 9 したがって、その反対に会社へのロイヤリティを失い、それが理由で会社から放逐される ことにでもなれば、まさに路頭に迷わなければならない。 そうした危機に陥らないために企業と個人の間には、まさに自発的に見えながらも、暗黙に 働くいくつもの強制力が働いていたと言える。 その強制力とは、具体的には、上司の言うことは絶対であり、絶えず上司の意向を忖度して 行動することや、同僚との協調性を最優先して、出しゃばったり目立ちすぎることは避ける などといったことである。 更に、集団としてのルールを破らないように気を使い、極力集団の利益に貢献することで、 個人の意思を押し殺す、などである。
不平不満、憤怒、嫉妬、他罰主義、怨念、執念が複雑に混ざり合ってできる日本特有の思想。 これほどまでにコンプレックスを抱えた輩は、土人日本人だけwwwwwwwwww ダサwwwwww
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 10 日本企業では建前はともかく、本音では企業利益のためにウソをついたり、隠し通すという 悪しき集団主義は根強く残っている。 不祥事の対応などでの、こうしたロイヤリティの高さは依然として求められているからである。 まさしく、企業のために自らの良心を殺す場面はあっても、その企業を告発することなどは 考えられない風土が依然としてある。 こうした仲間意識が強い集団は、凝集性の高い集団となって、メンバーが互いにその集団に 深く関与しすぎることになってしまいがちである。 そのために、メンバーは集団から仲間はずれにされたり、自分への支持を失うことを極端に 恐れるようになる。 この時、メンバーの関心は、自分がことを荒立てて騒ぎにするよりも、メンバー同士の関係を 重視する方向に目が向けられてしまうのである。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 11 ■ 日本の学校は軍隊か刑務所 日本の旧態依然とした会社の特徴として、とにかく多様性を認めないというものがある。 みんなが残業をしているのであれば、自分も残業をしなければいけない。 みんなが有給をほとんど使わないで仕事をしているのであれば、自分も私用で有給を 使うわけにはいかない。 本来であれば人それぞれ価値観や考え方も違うわけだが、そういう事情は一切考慮されない。 たとえ法律で認められている権利を主張したとしても、他人と違う行動を取ろうとする人は 協調性がない、自分勝手な人間だとみなされてしまう。 こういう価値観が作られるようになった背景のひとつに日本の学校教育があると考えても たぶんそれほどおかしくはないと思う。 日本の学校は、正直なところ教育機関よりも刑務所や軍隊に近い。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 12 一度登校したら下校の時間まで敷地の外に出ることは許されないし、先生の言うことには 従わなければならない。 軍隊同様、「命令は絶対」なのである。 これらが一体なんのために存在しているのか、昔から疑問で仕方がなかった。 どうやら集団のルールを学ぶとか規律を学ぶとかそういうところに理由があるらしいが、 そう言われても未だに納得できないものがある。 たしかに、「集団のルール」や「規律」は重要だ。 自分勝手が許されない場面は当然ある。 しかし、学校教育ではそういったことを強調するあまり、「多様性の尊重」が蔑ろに されてはいないだろうか。 バランスの問題なので、学校教育で「集団のルールを学ぶ」側面が全否定されるべきだとは 思わない。 ただ、「個人の好み」を尊重するようなことはもっとあってもいい。
252 :
名無しさんの主張 :2014/03/06(木) 01:05:16.24 ID:PgLIrC5Z
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 13 ■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」 日本では「責任」という言葉をよく耳にするが、それは、「上」の人が「下」の人に対して (先生が生徒に対してとか上司が部下に対して)のみ使っている言葉に思えてならない。 ドイツの場合、「上」へ行けばいくほど「責任」が問われるという考えが強いため、「下」の 人が「上」の人に対して「責任、責任」とうるさく言うことはあっても、逆はあまりない。 日本の場合、自分や組織のやり方を「下」に押しつけるために、「下」の人に「責任を とってくれ」云々と言っているように思えてならない。 ドイツの場合「義務」と「権利」はセットになっていると言っていい。 一方日本の場合は、義務が多く権利主張は立場の上の人や目上の人から「ワガママ」と 片付けられてしまうことが多い。 ドイツ的な考えでは、「上」へ行けばいくほど義務も多くなるのは当たり前だが、それに 「下」の人を巻き込もうとはしない。 例えば、社長は残業しても部下は17時には帰ってしまう。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 14 ところが日本は「下」の人に「義務」をたくさん押しつけたがる。 (社長が帰るまで部下が帰れないなど) 「義務」や「責任」というのは一応は訳すことはできても、その意味合いは両国でかなり違う。 意味合いというより使われる場面が違う、と言ったほうがいいのかもしれない。 これは教育現場でも明らかだ。 日本人が子どもに言う「責任」とは、イコール「人に迷惑をかけないこと」である。 欧米人には何が迷惑になるのかの幅がものすごく広いように感じられる。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 15 例えば自分一人だけ違うことをするなど、ドイツ人から見たら何でもない行動が、日本人にとっては 「わがまま」や「協調性がない」となってしまうのだから、同じ単語でもその違いには驚く。 ドイツ語で言う「権利」は、「あるもの」そして「通すもの」である。 例えば、有給をとる権利が法律上あるならば、必ず有給を全部とる、ということだ。 日本の場合、「権利」とは名ばかりで、立場や複雑な人間関係が優先され、使えない(通せない)ことがよくある。 また、日本では、「権利なんていう言葉は、一人前になってから言え」というお説教もよく聞く。 ----- んでもって・・・ こんなのからも考えてみるのはどーでしょう? (^^)/
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 16 ■ 同調とは? ○ はてなキーワード 判断・態度などを含む広義の「行動」に関して、他者、あるいは集団が提示する標準や 期待にそって、それらの標準と同一あるいは類似の行動をとること。 集団成員による同調は結果として集団内に斉一性をもたらす。 ○ ウィキペディア 社会に通用している規範や行動様式にそのまま従い、大多数の人々のとる態度や意見に 順応していくことをいう。 社会と成員との双方の安定のための基本的な機能であり安全弁であるという側面と、 社会の柔軟性と成員個人の主体性とを失わせる危険性を含む側面とを有する。 日本の社会には個人に同調を求める大変強い社会的圧力(同調圧力)がある事は、 多くの欧米人に指摘されている。
★協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って? 17
■ 同調圧力とは?
○ はてなキーワード
自らの所属する集団から被る、その所属集団の多数が支持する意見や行動に対し、
同調を迫る明示的、もしくは非明示的な圧力。
○ ウィキペディア
同調圧力とは、職場などにおいて意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して
暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。
多数決ではなく、全会一致を求められる場面で発生する。
少数意見を有する者に対して強制的に態度変容を強制する手段はさまざまな方法がある。
少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な強制から、
多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、少数意見を有する者に対するネガティブ・
キャンペーンを行い風評被害を与える、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と
主張する、意見の根拠を問い質す、同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなど
暗黙の同意を要求する場合がある。
(後略)
自分で考えて行動する「自律型人材(自律型人財)」が育つ組織って? 2011年02月14日
http://blog.next-strategy.com/article/185812211.html
258 :
名無しさんの主張 :2014/03/14(金) 20:22:01.94 ID:lso7Ncev
大地震起きてみんな死んじまわないかな
★日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク 1
2010年12月13日月曜日 KODOMOのこと ibg
学校で「協調性がない」と言われたら?
喜びましょう。
逆に、幼稚園や小学校の先生から、「お子さんは、協調性があってよい子ですよ」と
言われたら、危機感を感じたほうがいいかもしれません。
「協調性」って注意を要する言葉です。
日本の学校や会社組織では、「協調性」が重要視され、「和」がチームワークの基本であるかの
ように言われます。しかし、「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他の人と協調することなのです。
学校の先生を含む多くの日本人は、この「和」の意味を誤解していると思います。「和」の前提は、
個人の主体性です。主体性がないと「同じる」ことになる。つまり、「付和雷同」というわけです。
これが、孔子の言うところの「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、
小人同而不和)の意味するところなのです。夏目漱石は、主体性を軽視して西欧に迎合した
明治時代の日本を死ぬまで憂いたのでしょう。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html (夏目漱石の「自己本位」に
関する過去のブログ)。
★日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク 2 仕事をする上でチームプレーヤーであるかどうかは重要な点です。だから、就職の面接で 「チームプレーヤーだと思いますか?」と言うのはよく聞かれる質問です。しかし、 「チームワーク」に関しても、「協調性」や「和」と同じで、多くの日本人の認識は、少しばかり 世界とギャップがあるように思います。 「チームワーク」というのは、チームメンバーが同じて和せず、つまり、メンバー全員が単に 協調することではありません。本当の協力や協調というのは、一人ひとりが自分の個性を尽くして、 同じ目的を貫くということです。個性や技量は違っても(それぞれに「技がある」ことは大切ですが、、) 、同じ目的のために全力を尽くすということであって、だから、ベクトルを合わせるために、 または、わかり易くするために「Vision(ビジョン)」が重要になってくるわけです。 「付和雷同」の意味: 自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。「付和」は定見をもたず、 すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに 他人の言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。 投稿者 三鷹の隠居 時刻: 11:13
★日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク 3
1 件のコメント:
カブ2011年11月29日 3:20
アメリカでは多くの友人が「多様性がアメリカのパワーであり強さである」ということを言っていましたが、
日本では「多様性」という言葉自体あまり聞かないですね……孔子は「人能(よ)く道を弘(ひろ)む。
道の人を弘むにあらざるなり」と言い、福沢諭吉は「一身独立して、一国独立す」と説いています。
二人が言っていることは、個人が主体性をもち、かつ他と異なる能力とをもってこそ、組織や社会そして
国家を良くしていけるということではないかと思います。
2010年12月13日月曜日 KODOMOのこと ibg
http://ibg-kodomo.blogspot.jp/2010/12/blog-post_13.html
263 :
名無しさんの主張 :2014/04/05(土) 13:19:47.41 ID:UqSfJGah
五洋建設=卑劣なセクハラで被害女性社員が退社(於大阪支社)→パワハラで隠蔽、強制猥褻容認法人
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
265 :
名無しさんの主張 :2014/04/24(木) 14:10:45.84 ID:Gr8tI0qI
日本というよりは人口密集地に当てはまる事だね 群れで暮らすんだから当然個性なんかは必要ないからね 比較的人口が多い世界各国の首都なんかも協調性重視が基本だからね 人とは違う才能の持ち主が地方の田舎出身が多い事も個性が開花できるのが要因
なーんか変なコピペ荒らしが住み着いてるけど、あーいうのって少し前騒がれてた アンネの日記関連書籍を破りまくってたキチガイと同類なんだろ?w
それにしても、日本土人の琴線って分からないな。 「法律を遵守する精神」ではなくて、協調性なのかね。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
★協調性を強いる感覚が残っているから 1 職場ストレスbye-byeサロン 投稿日:2013.07.07 こんばんは、西橋です。 これは日本人独特の感覚だと思うのですが、大多数の人と異なる特徴を持つ人や歩調を合わせない 人に排他的になる傾向が強くあります。 代表例として、日本には昔「村八分」というものがあって(いまだに一部の村ではあるそうですが)、 村の規則を守らなかったり全員参加の行事に参加しないような人を排除していました。 ですので、排除されないため、村人は周りと協調することを良しとして、周りの目を気にして 自分の意見を押し殺す日常を強いられていたわけです。 この感じ、あなたもどこかで感じたことがありませんか? そう、これって学校や職場での強いられた協調性と似てるんですよね。 みんなと同じじゃないと仲間はずれにされ、個性が強いと鬱陶しがられ、空気が読めないと嫌がられ、 仕事ができないと邪魔者扱いされ、コミュニケーション能力が低いと別世界の人間だとからかわれたり、 いじめにあったり、孤立させられたり…
嘘つきの日本人が嫌い
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
奇形顔 ホラ吹き 貧乏人 見栄張りバカ日本
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 1 Darkness 2014年1月4日土曜日 日本人は組織至上主義なので、トップが乗っ取られたらその組織全体が乗っ取られたも同然になる。 トップが無理難題を押しつけても、日本人は意思に反してそれを行おうとする。 自分よりも組織を優先する。組織が乗っ取られ、組織が理不尽な動きをするようになっても変わらない。 ずっと、その組織に帰属し続ける。 組織が反社会的なものになっても、反日的なものになっても、ずっと組織の意向に沿った動きをする。 その組織が世の中のためにならなくても、日本のためにならなくても、そうなのだ。 それほど日本人は組織を優先する。 これは日本が農耕民族であり、村社会の民族だったからでもある。村社会の中では協調性が非常に 重要視される。そこから排除されると、生きていくことができない。 そうなったら村を捨てればいいのだが、自分の生活の糧を生み出す土地は持って行けない。 だから、縛られてしまう。 そうであるならば、組織に従順になるしかない。それが、日本人の伝統になってしまっているのである。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 2 最後まで組織に忠実であろうとする日本人の特質 だから、組織が乗っ取られ、「お上」がおかしな人間になっても、それに従うしかないと日本人は 無意識に考える。自分の意見よりも、常に組織の意見を尊重する。組織の総意には逆らえない。 もちろん、世界中どこでも、組織とはそのような性質を持っている。組織の総意で各人が動く というのは、別に日本だけの特質ではない。 しかし、他の国の多くは、トップダウンの命令におかしなものを感じたり、違うと感じたら 反発する。もしくは組織を離れることを厭わない。 諸外国で離職率が高いのは、彼らが飽きっぽいからではなく、組織に日本人ほど重きを置いて いないからだ。他の国では、概して組織よりも自分を尊重する。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 3 すべてがそうだとは言えないが、そういう傾向が強い。組織優先ではないのである。 しかし、日本人は仕事に飽きても組織に執着する。その組織が時代に合わなくなって衰退して いっても、最後まで組織に忠実であろうとする。 組織の中で、追い出し部屋に放り込まれたり、窓際に追いやられて「お前は不要だ」とあからさまに 言われるような状況になっても、組織から離れようとしない。 そういった意味で、日本人は集団主義であり、組織主義であり、組織民族である。 誰もが自主独立よりも、組織依存の人生を考える。起業よりも、就職をしたいと考える。 独立するよりも、定年までひとつの会社に所属したいと思う。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 4 組織を間違うと、自分が犯罪の片棒を担がされる だから、日本の企業のトップが反社会的な動きをしても、組織は、そのままトップの 意向を汲んで突っ走るという危険な状態になってしまう。 2013年の後半には、日本の有名ホテルのレストランや、大手流通会社で、次々と 食品偽装が発覚した事件があった。 それは、反社会的な行為であっても、組織がそれを命じたらそのまま偽装に手を染める 社員がいるということを如実に示した事件だった。 これらの食品偽装は、現場に責任が負わせられている。しかし、現場の人間がトップの 意向とは関係なく、意図的にそれをやったのではない。 上からの命令や黙認があって現場は動いていた。最初から組織ぐるみだったのだ。 組織がするなと言えば、彼らはしない。 組織がしろと言えば、彼らはする。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 5 だから、トップがおかしくなると、組織全体がそのままおかしなものになる。 真面目な人であっても、組織の反社会的な命令に逆らえず、悪事をそのまま実行する。 そういう体質になっているのである。 だから、組織が乗っ取られると、末端がそのまま犯罪組織の手先になることを意味している。 日本人の集団主義というのは、そのような一面がある。 組織が乗っ取られると、組織全体が犯罪集団になる。自分の所属する組織を間違うと、 自分が犯罪の片棒を担がされる。 悪いことだと分かっているものであっても、組織の無言の強制と圧力に抗しきれない。 そして、最後に自分の人生が台無しになってしまう。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 6 いろいろなものが暴露される時代になっている 現在、朝日新聞や毎日新聞ような大手マスコミが、完全に反日的な集団になっている。あるいは、 フジテレビやNHKのようなメディアが日本よりも中韓の意向に沿って日本を貶めている。 これは、トップが反日ロビーに取り込まれてしまって、その反日のトップの意向に沿って、 末端の社員が動かされているということでもある。 日本には、日本の国益に反する組織が、あぶり出されてきているのである。 最初は気づかなかったとしても、その組織に所属しているうちに、そこがおかしな 組織であることに気づく人もいるはずだ。 犯罪的な仕事をしていたり、犯罪的な言動をしているトップが君臨していたりする組織は、 日本に山ほどある。 多くの日本人は今まで、トップがそうであっても見て見ぬふりをしてきたかもしれない。
★組織が乗っ取られると組織全体が犯罪集団になるという恐怖 7
しかし、情報化がさらに突き進んでいくこの時代に、犯罪的なトップの言動は、いつまでも
隠しきれるわけでもない。いろいろなものが暴露される時代になっている。
犯罪的な組織であると分かったら、その時点でその組織を捨てる決断するくらいの気概を
持たないと、自分が共犯者になってしまう。
そうしなければ、その組織に所属していることが負い目になり、最終的に自分の人生を誤らせる。
自分よりも組織の方が重要だと考えるのであれば、尊敬できるトップのいる、尊敬できる
組織にいなければならない。
そうでないのであれば、その組織から全力で逃れなければならない。組織にこだわる
のではなく、自分の人生にこだわらなければならない。
Darkness 2014年1月4日土曜日
http://www.bllackz.com/2014/01/blog-post_4.html
★飲食チェーンの労働環境問題について 1 松田公太 オフィシャルブログ 2014-08-02 11:25:43 先日、シンガポールのMc Cafe(マックカフェ)でラテを飲みました。 日本と違ってセミオートマシンを使ってエスプレッソを一杯一杯抽出し、ミルクもしっかりと スチームされていて、美味しかったです。 私が住んでいた6年前から同様のスタイルで展開をはじめ、スタバやコーヒービーンズなどの競合が ひしめく中で、今も尚続けているのは立派だと思います。 第三者委員会の調査報告書による「すき家」の労働環境改善策が話題になっています。 24時間勤務や深夜に1人で営業する「ワンオペ」など、皆さんが聞いたら驚くべき内容ばかりだと 思います。しかし、正直に言うと、タリーズも創業して2年ぐらいはそのような時代がありました (と言うか、私自身がずっとそのような状況で仕事をしていました)。 飲食業の立ち上げにはよくある話だと思います。 しかし、2000店舗を展開する上場企業がそれで良いはずがありません。小川会長は「成功体験を 体の中にもった幹部の意識は変えられなかった」と言っているようですが、その何十分の一の店舗数の 時には既に方策を変えていた私の経験からすると、言い訳にしか聞こえません。
★飲食チェーンの労働環境問題について 2 どうしても、安い・早い を志向するチェーンは、店舗従業員への過度なプレッシャーをベースに 成り立っているところが多すぎます。日本以外の国では絶対に続かないビジネスモデルです。日本が 協調性を重視して教育(家でも学校でも)を行う結果、従業員が「他の社員も頑張っているんだから、 自分も休めない」というピア・プレッシャーに陥ってしまうのでしょう。 大分前の話しですが、日本マクドナルドが24時間化をすると聞いた時は前社長に止めるべきだと 提言したことがあります。 例えば夜10時‐朝6時は24時間の1/3ですが、売上全体の1/6程度にしかならないでしょうから、人件費や 光熱費を考えると利益はマイナスの可能性があります。そして、夜間特有のトラブル(強盗、不良少年、 酔っぱらい)の対処は、店長や従業員にとって大きな負担となります。 これも、喜ぶのは売上増加によってロイヤリティ収入が増えるアメリカサイドやフランチャイズ本部だけ なのです(2006年に始まったマクドナルドの24時間営業は、現在、削減の一途を辿っています)。
★飲食チェーンの労働環境問題について 3
有効求人倍率の改善と共に時給が上がり、デフレ脱却の兆しが見える中で、「安い・早い」を前面に
出したビジネスモデルは今後さらに厳しくなってきます。
先月の中国鶏肉問題もそれを物語っています。
今後、ファーストフード各社はどのように変革していくのか。
まずは人件費や原材料費を削減する戦いから、メニュー開発、ライフスタイル、ホスピタリティー
(五感や空間も含む)、そしてディスクロージャーの戦いへとシフトすることが最低限必要に
なってくるでしょう。
シンガポールのマックカフェも一つのヒントになるのかもしれません。
*関連するブログです。是非こちらもお読みください!→ 「人材不足に直面するチェーン店」…その解消法
松田公太 オフィシャルブログ 2014-08-02 11:25:43
http://ameblo.jp/koutamatsuda/entry-11903570721.html
286 :
名無しさんの主張 :2014/09/02(火) 17:46:27.34 ID:kr21IgWA
協調タイプが7割を占める国だからな ただ協調タイプって発達アスペ多くない? こっちがいちいち1から10まで説明しないと理解しないし くどくど説明長いし、愚痴多いし 協調したがって面倒臭いし、断ったら今度は急に冷たくなるし こんな面倒臭いタイプないわ 完全に発達アスペでしょ協調タイプって
287 :
名無しさんの主張 :2014/09/02(火) 23:41:08.87 ID:PcAxvsCR
>>286 ハイコンテキスト社会の日本社会では、ある物事について話し手と聞き手の間で理解のミスマッチがあった場合、聞く方に問題があると考えられる。
ローコンテキスト社会の欧米では、反対に話し手の説明に問題があると考えられる。
一から十まで細かく教える必要性が問われるのはむしろ欧米で、様々なバックグラウンドや価値観の垣根の低い欧米では、むしろそういう説明をしないと理解してもらえない。
それが受け入れられない限り、日本はオープンな移民社会になれない。
288 :
名無しさんの主張 :2014/09/02(火) 23:44:21.40 ID:PcAxvsCR
全く異なる価値観の人間がいる、ということに対する心の準備ができていない人間が一番問題。
★箱庭円舞曲 第七楽章 「みんな私のことが好き」 1 INTRODUCTION 日本人は、集合体としての「和」を重視すると言われます。 「和」を保ちましょう。 「和」を乱さないようにしましょう。 協調性を持ちましょう。 少数意見は潰しましょう。 出る杭ならば打ちましょう。 危険因子と見做しましょう。 ワガママだよと罵りましょう。 エゴイストだと疎んじましょう。 陰口叩いて結束しましょう。 マイノリティは差別しましょう。 出世するのは、媚びへつらうことに何のためらいも無い奴。 世渡りの上手さとは、自分をカメレオンの様に塗り替える能力の高さ。 自分を押し殺し、多数派に合わせ、事を荒立てないように、荒立てないようにと生きる。 そんな国、日本。 でも本音を言ってしまえば、 誰でも、他人からは好かれたい。 誰でも、他人からは嫌われたくない。
★箱庭円舞曲 第七楽章 「みんな私のことが好き」 2
ただ、それだけ。
何のことはない、自己保全ですよ。
結局一番大切なのは、「和」なんかじゃなくて、自分、自分なんですよ、誰でも。
それを「協調性」とはまた、昔の人は巧いこと言ったもんだ。
好かれたい、嫌われたくない、から、協調する。
自分を安全な場所に置く為に、協調する。
そんなネガティブなエゴで作られた協調性なんて、たいしたもんじゃありません。
そのうちきっと、破綻します。
誰かのエゴを全うすべく出来た集団には、我慢している人が必ず存在します。
上手く回っているように見える世界には、耐えている人が必ず存在します。
それで良いのか。
そんな人生楽しいか。
どっちみちエゴなんだから。
それなら辛く苦しい自己保全なんかより、楽しいワガママを満喫しようじゃないか。
今は、そういう時代ですよ。
http://www.hakoniwa-e.com/past07.html
292 :
名無しさんの主張 :2014/09/22(月) 12:35:43.43 ID:slJ45AvY
協調性は大事だよ 提案に対してしっかり反対意見を出す 自分が休みたいならしっかり伝える されて嫌なことは嫌という 人に何かするときは口に出してからする こういう風にしっかり協調していかないとチームワークは成り立たないからね 何も言わずにホイホイ従って裏で愚痴愚痴言うような協調性のない人間は日本には要らないよな
293 :
名無しさんの主張 :2014/09/22(月) 14:24:51.19 ID:5mQpbYvn
ドラマなどでも上のおかしな命令に黙って従うのが普通で 異論反論唱える人が何か特別な人の様に映るが、普通の事をやっているだけだろう 客観的に見れば多くの日本人が異常なのであってだな〜
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
295 :
名無しさんの主張 :2014/09/22(月) 21:52:25.36 ID:mzluAsyE
日本人を見下したコピペだろうが、しつこい
日本人、日本文化には『場の空気』という群集心理に精神的に依存する文化があるということだが、それは非常にいけない。 ただの思考停止でしかない。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
日本人のことか?
日本にあるのは協調性ですらなくて妬み僻み憶測自己承認と過剰な同調意識 評価をめぐって不幸を撒き散らす疫病神 関わったら共依存 キモイ
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
★ホームステイ
ここではホームステイについて説明していきます。
ホームステイとは
ホームステイとはオーストラリアの文化、習慣、言葉を現地のファミリーの中に実際に入って、経験できる
機会です。ホームステイはホテルのような宿泊施設の一種ではなく、ファミリーも単なるお客さんではなく、
留学生を家族の一員として対応します。皆さんの家族にも一定のルールがあるように、各ホームステイ先にも
生活上のルールがあります。他文化の人種と協調性を持って、相手側の習慣を理解し、分からない部分があれば、
はっきりと聞くようにしましょう。始めから流暢にコミュニケーションが取れる人はなかなかいませんが、
紙に書いて尋ねれば、中学英語程度の内容は皆さん理解できるはずですので、意思疎通も十分に出来ます。
ホームステイでは、食事の時間は何時に取るのか、遅くなる場合には必ず電話を入れる、シャワーの時間は
10 分以内で使う、お部屋は常識の範囲内できれいな状態を保つなどは、基本的なマナーですし、どの
ファミリーであっても一般的ルールです。
また、日本人は黙ってしまいがちですが、オーストラリア人に限らず、自分の意思は自分で意思表示が
出来なければ、相手は分かってくれません。間違っても相手が察してくれるまで、我慢し続けていることが
無いように、遠慮をせずに自分の気持ちを伝えるという事が大事です。また初期段階において、ファミリー側から
言われるメッセージは、簡単な単語しか聞き取れません。ですから、自分で聴いていた内容が実は全く違っていた
ということも良くあります。大事な内容であればある程、何度も聞き直し、どうしても理解出来なければ、
紙と鉛筆を通じての書面会話で確実に内容を理解するようにしましょう。
ファミリーが言っている事が分からないのは当然のことですし、ファミリーも当然理解していますので、何度も
聞き直すことは、決して失礼な事ではありません。ホームステイ先では、自分から進んで会話を持ち掛ける
必要性はありませんが、聞かれた事は単純に『 Yes 』 『 No 』だけではなく、会話のキャッチボールを
しようという積極性が必要です。
留学ドットコム
http://www.ausbiznet.com/life/accom_homestay.html
真面目な話、ホントは保守派の日本人だって、心の奥底では、協調性とか場の空気に従うとかじゃなくて人に自分を理解されたいの。 心理学で言うところの承認欲求ってものがあるからね。 しかし、日本文化が個人の意見を認めるようにできてないから、 日本文化にひたっている人間は承認欲求が認められないし、ジレンマから生涯脱却できない。 だから、日本人、日本文化的な人間は苦しみから抜けられないし頭がおかしくなるんだな。 まともなのは日本的でない人だけということにもなるが・・・ま、だいたい本当のことだろうね。
正しくは「日本的」協調性、「日本的」コミュニケーション力ですな。 空気読めとかいう。
アーセン・ベンゲル 「日本人はヨーロッパを美しく誤解している、実際のヨーロッパは全然違う」 日本人はヨーロッパを美しく誤解している。しかし実際のヨーロッパは全然違う。 日本が東京のような大都会とすれば、ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。 治安が悪いのはもちろんのこと、日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く 日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。 日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。 私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、精神に異常を来たしてしまうのではないか? と心配することがよくある。欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、 都会の快適な場所に住んでいる人間を、ライオンがうようよいるアフリカのサバンナに丸裸で放り込む のと変わらないだろう。悲惨な結果になるのは目に見えている。 日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。これは私の確信であり事実だ。 問題は、日本の素晴らしさ・突出したレベルの高さについて、日本人自身が全くわかっていない事だ。 おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。最初は冗談で言っているのか と思ったが、本気とわかって心底驚いた記憶がある。信じられるかい? こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、誇ることすらしない。本当に奇妙な人達だ。 しかし我々欧州の人間から見ると、日本の現実は奇跡にしか思えないのである。 だから、私はいつも、欧州に行きたいという選手がいたら、よく考えて決めるべきとアドバイスしている。 日本でレベルアップできるなら、日本より(国の発展が)遅れている欧州諸国に行く必要は全く無い。 欧州では人種差別もあるので、力があっても出場すらさせてもらえないかもしれない。
皮肉じゃなくてますます欧州に憧れる。
白人コンプ乙 メディアの洗脳が効いてるね
★「異」を許さない日本の協調性とお互い助け合う海外の協調性 1 ニートのガラパゴス日本脱出日記 2013-10-18 社畜が好きこのんでよく使う言葉に「協調性」がある。ところが、この協調性という言葉が、日本と 海外では解釈の仕方が異なっていて、日本の「協調性」はガラパゴス化しているように見える。 協調性ってそもそも何? 協調性という言葉を辞書で調べてみた。広辞苑には「周囲の人とうまく協調できる性質」とあったので、 さらに協調という言葉を調べてみたら、次のように書いてあった。 ---------------------------------- きょう‐ちょう【協調】 (協同調和の意) @利害の対立する者同士がおだやかに相互間の問題を解決しようとすること。「労資―」「国際―」 A性格や意見の異なった者同士が互いにゆずり合って調和をはかること。「―性に欠ける」 広辞苑 第六版 c2008 株式会社岩波書店 ---------------------------------- ところが、社畜がよくいう協調性は、上記のいずれにも当てはまらない。社畜のいう協調性とは「少数派が 有無を言わず、おとなしく空気を読んで多数派に従う性質」である。つまり、「協調性=同調性」であり、 他人に協調性を求めることは、ただの同調圧力に他ならない。 独自形式の履歴書をPCで作成したら「協調性がない」、自分の仕事をがんばって定時までに終わらせて 上司より先に帰ったら「協調性がない」、会社の飲み会に参加しなかったら「協調性がない」、会議のような 議論する場所で多数派に反対する意見を述べたら「協調性がない」などなど日本的協調性の例を挙げると、 枚挙に暇がない。
★「異」を許さない日本の協調性とお互い助け合う海外の協調性 2 慣習に従わない人や反対意見を言う人などの、少数派や一匹狼を非難するための言葉が「協調性がない」 だろう。この「協調性がない」を若者言葉で言っているのが「空気読めない」(KY)であろう。 海外で見た本来の意味での協調性 協調性海外の職場では連日定時退社・休日出勤なし・有給完全消化が一般的となっているが、残業が まったくないわけではない。一例を挙げよう。 あるクリスマス前の日のことだ。私が、Amazonで注文した商品が、いつまでたっても届かない。追跡番号で、 配送業者のサイトからトラッキングしてみると、集配所で止まったままだ。その上にお知らせページへの リンクがあって、見てみると「大雪のため、配送が遅れています。クリスマスまでにお届けできるように スタッフ一同最善を尽くします。」とあった。この時は、クリスマスまで1週間しかなく、臨時スタッフを 雇う時間的余裕など存在しなかっただろう。おそらく残業や休日出勤が行われていたであろうし、従業員の 多くが時間外労働に協力したであろうことは容易に想像がつく。当然、残業が嫌な人もいたことだろう。 だが、多くの従業員は次のように考えたはず。 「クリスマスまでに荷物を届けることはできなくなれば、多くの消費者はがっかりし、苦情がAmazonにも 殺到する。そうなれば、大口取引先であるAmazonに契約を打ち切られ、売り上げにも大きな影響が出る だろう。その結果、従業員の減給や解雇をしなければならない可能性がある。」 「自分が子を持つ親だったら、年に一度の特別な日に、子供たちが悲しむ顔を見たくない。」 このケースでは「仕事」と「プライベート」という利害が対立したが、仕事を優先した方が、結果として自分に とって利益になる(不利益を被らない)と考え、多くの従業員が残業に協力したのではないか。
★「異」を許さない日本の協調性とお互い助け合う海外の協調性 3
ちなみに、海外で残業が発生するのは、このように例外的な時だけである。一部のエグゼクティブと呼ばれる
上級管理職をのぞき、日本のように残業が常態化しているなんてことはない。
「必要なときには、団結して力を合わせる」これこそが、世界共通の協調性の考え方である。ところが、日本の
協調性はガラパゴス化していて、「オレ達が苦労しているのに、お前だけ楽しているのは許せない」のように
単なる足の引っ張り合いになっている。このことが、前回のエントリーで取り上げた「病気でも休めない
日本社会」を生み出しているのではないか。
国際的協調性ゼロの日本企業
社畜は何かにつけて協調性協調性とバカの1つ覚えみたいに連呼するが、それなら日本的解釈の「協調性」という
言葉を使って、社畜に言ってやるよ。
サービス残業や有給なしを平気で強要する企業の方が、よっぽど国際的協調性が欠けているよ。そんな企業が、
「これからはグローバリゼーションの時代だ」などと言って、「TOEICスコアxxx点以上」を社員や新卒に
求めたり、公用語を英語にしたりする姿は非常にこっけいだ。社畜が、(日本的な意味での)協調性に欠ける人と
働きたくないように、外国人も国際的協調性に欠け、まともな労働環境を提供しない日本企業なんかで
働きたくないから。(笑)
ニートのガラパゴス日本脱出日記 2013-10-18
http://ga.hatenablog.com/entry/0027
翼をくださいどころか異をくださいと祈らなければいけない国。 そんな国をデフォルトで好きになって当然という腰巾着勢力。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人
日本式の協調性をやめたら、大量生産大量販売大量廃棄の 経済構造も少しはマシになるんじゃないだろうか。 「三種の神器」「3C」時代からの悪しき伝統は終わりに すべきだろう。
314 :
名無しさんの主張 :2014/11/13(木) 10:14:29.22 ID:DkrvjQgY
日本式協調性って、偽装的な社会慣習のことだ。 協調というより、自己保身による同調、我欲を見せない小細工。 協調性があれば問題が顕在化した現代社会で、問題提起に対する集団的 な意思と政治や教育やしつけとか格差による悪辣な情緒で蝕まれる環境を なんとかしようと言葉と理性による変化の機運があるはずだ。何もない。 貪欲な魚がお膳立てされた餌を求めて群れ、物質的繁栄から、性の放蕩、 見栄えや綺麗さや差異化・自己顕示欲という悪性に流れる無秩序な精神 のままの人間社会になって終わった国が現代の日本ということになる。
>>311 ほら、さっさと死ねよ、人類の底辺の腐れグックが。スレを汚すな、死ね
316 :
名無しさんの主張 :2014/11/13(木) 18:45:52.42 ID:Qs9B/Jtn
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人
★「大きな和」と「小さな和」 1 菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市) 2014年03月02日16:12 私は日本人が「協調性」「協調性」ということばを使うのを聞いていると、「小さな和」だなと 思うことがたびたびあります。 あるテレビ番組で、先輩が明らかに間違った答えをしているのに、後輩が「はい、その通りです」と 先輩の顔を立てるという場面がありました。誰から見ても、この後輩が先輩の面子のためにうそを ついていることは明らかでした。皆笑っているのです。 このように、「上の者の顔を立てる」という物事のやり方は、全体の進化に寄与しない、破壊的な 癖だと私は思っています。日本社会の欠点の1つです。 「それは違うと思います」と後輩が言えれば、先輩はそこで学べます。全体のためには利益になります。 しかし、そこで先輩のエゴを守る選択をすることで、全体としては小さく収まってしまうのです。 これを「小さな和」と私は呼びたいと思います。 「そんなことを言ったって、違うと指摘したら怒り出す先輩もいるんだよな」と反論したい人も いるでしょう。先輩が怒り出すことの、何が怖いのでしょうか。自分の立場を失うことでしょうか。 こういうときに、真実を曲げて、相手のエゴに合わせようとするから、物事が発展しないのです。 自分が仕えているのは、果たして何なのか。先輩と自分との間の関係性だけに軸があるのか、この関係性は より大きな目的のために仕えるものなのか。自分は何の目的のために、この関係性を保っているのか。 こういうことが問題となってきます。 先輩の間違いを指摘しない後輩ばかりいると、機嫌取りの文化が発展していきます。 先輩の間違いを後輩が指摘したら、先輩としてはそれをきちんと考慮して、適切なら受け取って判断する というのが当たり前になれば、そういう器の人間が先輩として当然だという文化が育ちます。 それは、顔を立てるという文化よりも、もっともっと「大きな和」なのです。
★「大きな和」と「小さな和」 2
親の期待通りの道を選ばず、自分が本当にしたいことをする子供が出てきたら、「小さな和」ではなく
「大きな和」が可能になります。
親が子供の人生をコントロールすることの愚かさを学ぶ機会となるのですから。
親の期待に沿わず、子供が自分のハートを優先すれば、世の中には「大きな和」が育ちます。子供は
親の持ち物ではなく、自分自身で生き方を決めるのが当たり前という、尊重の文化が育つ方が、
全体の安寧にとっては調和的なのです。
この日本には、「小さな和」を大事に大事にして、自分を傷つけている人が大勢います。
「大きな和」は、周囲の人間がどう思うという次元とは無関係で、自分と宇宙との直接の繋がりから、
ハートに現れてくる真実です。
自己実現を果たすには、この自分の生命に脈打つ「大きな和」の波に乗ることが最も大事だと思っています。
菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市) 2014年03月02日16:12
http://blog.livedoor.jp/rsuganami/archives/1608416.html
★二十三世紀を目指して: 誰にでもわかる国造り 1
著者: 吉野道雄 文芸社 (2001/10)
https://books.google.co.jp/books?isbn=4835517180 第一章 今なぜ、国造りか
P27
次に日本人の社会生活は家庭を一歩出れば、敷居を跨げば七人の敵を覚悟し、
自己を押さえ主張は曖昧に和と協調と笑顔で何事も丸く治める社会生活がルールだ。
没個性化が社会生活システムの中に組み込まれ、そこで強く自己主張すれば、青二才、
協調性がない、付き合いが悪いなどのマイナス評価が待っている。そうした評価を
回避するには、家を一歩出たら家に帰るまで、それぞれの所属集団で、常に相手の
顔色を見ながら協調性を発揮するのが、上手な生き方であり生活の知恵でもある。
特に協調性は社会生活の中で法律よりも強力な力を発揮することが日常茶飯事で、
法律で許されていても協調性という曖昧な基準から許されないことは多くあり、
いわば日本の社会生活は「協調性の鎖に繋がれた社会生活」だ。自主性や個性の
尊重を口やかましく説く反面で、学校生活の隅々に張り巡らされた協調性の尺度が、
多くの若者の個性を摘み取っているなどの指摘は多い。また協調性の曖昧さは、
所属集団からその者を排除する武器になるし、組織を維持する武器にもなる。
協調性がないとのレッテルを貼られると退部、除名、村八分的扱いなどで集団から
排除される。誰それは協調性がないと言われないためには、食事も飲み屋も
スポーツも、趣味も休日のゴルフさえ協調性の鎖に繋がれる。付き合いだからの
一言で多くの個人生活が切り捨てられてきたことも承知の事実だ。それでも
この書かれざる基準を誰も不思議に思わず、個人の尊厳など臆面もなく説いて
くれるのが我らが日本の社会だ。
この間、哲学者の中島義道が 林修先生のテレビ番組で紹介されたらしい。中島義道なんて、ニートや ひきこもりや、社会不適応な人々の 間で読まれるのかと思いきや あのリアジュウの代表のような 林先生が中島チルドレンを自称し 番組で紹介されて以来、結構著書は多くの人に読まれているらしい。
その番組は知らないが、そういう「群れから外れた風変わりな人」を紹介しても、 珍獣かUFOでも見るように面白おかしく取り上げて結局それで終わりになりかねん。 だいたい、これほど外国の「時の流れがおだやかな」などという景色をいやほど見せ つけても、日本を直す気が誰一人ないんだから。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人
★日本人は集団主義でない? 1 masablog 2008年5月 5日 (月) ちょっと前になるが、東京大学と京都光華女子大のグループが、心理学の実験の結果 「日本人は集団主義」という見方は誤りで、周りへの同調しやすさは米国人並み(に低い)、 という研究結果を発表した。近々「ジャーナル・オブ・クロスカルチュラル・サイコロジー」 という専門誌に発表されるということだ。 実験は学生に一本の線を書いた紙と、長さの違う3本の線を書いた紙を同じサークルの 学生5−9人に同時に見せ、サクラの中に1人だけ混ぜられた学生が、サクラたちの間違いに 同調するかを調べる、というやり方で行われ、同調した結果は日米ほぼ変わらず25%だった。 これをもって東大の高野教授は「日本人は和を乱すことを嫌い、近しい人の言葉には同調 しやすいという通説は誤りで、米国が異なる文化を持つ国に投影したイメージを日本人 自らが信じたと考えられる」とコメントしている。 この記事を読んで、今ひとつピンと来るものがないので、どういうことなのか考えた。 まず実験方法が適切なのかどうか。集団主義=自分の利益よりも所属する集団の利益を 優先させる、これを実証するのには適切ではないと思う。サンプリングとしてもおかしいし、 サークルがどの程度密度の濃い集団かどうかもわからないし。 そこを議論しても本質的ではないので、実験の仕方はさておき、この記事の背景には、 「米国=個人主義、日本=集団主義」という前提条件がある。 自分は日本企業、外資系企業の両方に勤務した経験があるが、どうもこの前提条件はピンと 来ない。米国人は確かに個人の利益を日本人よりも重視するが、会社全体の利益に貢献する 意識も日本人以上に強い。有事の際の団結力(一種の思考停止状態だけど)は日本人より 上ではないだろうか。 一方で日本人は集団主義というのはちょっと違うと思う。「自分ひとりくらい誤ったことを してもいいだろう」と考える人は米国人よりもむしろ多いと思うし。
★日本人は集団主義でない? 2 この点について、北大の山岸俊男教授は面白い見解を示している。まとめるとこんな感じ。 1.日本人は自分たち日本人のことを集団主義的な傾向があると考えているが、自分だけは 例外と考えている集団である。 2.内心では「個人主義でいい」と思いながら、「周囲は集団主義的に考えているに違いない」 と思い込んで行動する結果、社会全体としては集団主義的な傾向を示す。 3.この背景には「ムラ社会」という歴史がある。つまりメンバーが相互に監視し、何か あったときに制裁を与える仕組みが古くから存在するが、その反面監視するシステムがないと 「自分1人くらいいいだろう」と考える。 これはいわゆる伝統的な日本企業のことを考えると理解しやすいのではないだろうか。つまり 皆で遅くまで残業し、さらにはその後に飲みに行って「苦労」を共有し、そこから外れる人は 「協調性、団結心がない」として非難してきた。ただ近年は残業も減らせと言われ、会社と 個人の「公私のけじめ」が明確になるにつれ、相互監視システムがなくなり、組織システムを 欧米化したわりにはうまく機能していない、ということが起こっているのだろう。 もちろんこれは古い世代にばかり当てはまるのではない。例えば自分より若い世代でいうと、 最近就職活動の学生の服装が以前よりも画一化されていることにお気づきだろうか?以前で あれば紺とかグレーのスーツもあったと思うが、今は皆濃紺から黒である。男子は白ワイシャツに ストライプのネクタイに布かばん、女子は髪をとめ、白の大きな襟のブラウスを着て襟を出し、 黒い靴を履く。これだけ同じ格好をして「自分は人とは違う」ことをアピールするのだから、 何かブラックジョークみたいな感じだ。
★日本人は集団主義でない? 3
この記事の何がおかしいか。それは日本人は集団主義か、個人主義か、その問題設定自体が
おかしいのだろう。日本人は恐らく個人レベルでは自分の利益を優先する個人主義であるが、
集団の考え方には従って黙っているという点では「集団主義」でもある。つまりどちらかに
分けようとすること自体がナンセンスであり、もう少し違った切り口で分析しないと説明が
できないんだと思う。
まあそもそも米国人と日本人という、世界からみると「国際的でない」2カ国の比較自体が
「クロスカルチュラル・サイコロジー」というジャーナル名から考えるとナンセンスかも。
masablog 2008年5月 5日 (月)
http://keekorok.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8edd.html
日本=無責任のクズだとまた証明されたようだ
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 1 レビュー・アン・ローズ 2014年08月16日 評価:★★★★★ 5.0 日本の司法関係者は否定するだろうし、証拠が有るわけでもないが、この映画の せいで裁判員制度が始まったとニラんでいる。 映画中で、裁判の実際や、そこに関わる法曹界の面々が、いかに実世間から遊離 しているかが白日のもとにさらされてしまった。この異常な世界がほぼ事実だ というのが、ホントに怖い。 周防正行監督は、いままでも仏教界、学生相撲、社交ダンスなどマイナーな世界を 描いてヒットを飛ばしてきた。 この人のスゴイ所は、普通の人が知らない情報を拾い上げ、その情報が世間一般の 人にはエンターテーメントとして受け入れられると見極める、その眼力にあるように 思われる。 またその情報を、通常であればドキュメント的に提示しそうなものだが、しっかりと 映画の物語として落とし込んで、見る者にドラマとしての強さを伴って伝える 能力がすばらしい。 そういう力を持ったこの監督が、この映画ではマイナーなだけではなく、タブー ともいうべき世界に手を広げてしまった。 恐ろしい事に国家権力である。 これほど取材が難しい世界はない。 なぜなら役所官公庁は、情報を一般に知らせない事で円滑に運営出来ている 面がある。例えば、この映画で語られているように、刑事事件の99%が有罪に なるという情報を聞いただけで、誰もがおかしいと思うはずだ。 日本の役所組織にこういう例は山ほどあり、その内容を秘匿とまでは言わないまでも、 敢えて公開をせずに済むよう、どこが担当部署か分からなくしたり、書類関係を 煩雑にしたり、組織的な迷宮を構築して面倒事を極力減らそうとする体質があるのだ。
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 2 しかし、これは単にお役所お役人の世界と簡単に言ってすむことであろうか。 実は日本の社会構造全般、日本の全ての組織に共通することだと思えるのである。 つまり、日本人は多かれ少なかれ所属する組織の中で、組織を守る為にこの映画の 司法制度と似たような行動様式を持っていはしまいか。 たぶん大多数の日本人は、集団を守るために個人の意思を犠牲にする事で、 組織=社会を円滑に運営してきたのだ。 そのシステムが決して悪いばかりだとは思わないが、社会から敵対視された 個人にとっては絶望的なシステムである。 つまり社会全体が、組織=集団の和を乱さないという行動様式を個人に求めて いるのに対して、真逆の行動を取るという意味を考えてみるべきだ。 たぶん日本社会で個を主張することがどれほど困難か、等しく日本人であれば過去に 経験をしているであろうし、想像するだに恐ろしい事態だと了解されるであろう。 少なくとも普通に日本社会で育って来た人間であれば、社会=集団に従いなさい、 全体の和を乱す行動は慎みなさい、自己主張をするより協調性を優先しなさい、 という教育を受けているはずだ。 そしてまた日本人はこの社会的要請に実に忠実に従う。 これほど善良従順な民族が地球上にいるかと、朝方4時に車も何もいない 交差点で赤信号を待っている日本人をみて、心の底からいじらしくなる。 この教育の行きつく先が、小はサービス残業という組織に対する奉仕であり、 その最大値こそ、第2次世界大戦時に日本軍で見られた、玉砕であり、 特攻隊であったのである。 よき日本人とは、為政者・支配者にとっては、扱いやすく、どんな要求にも従う、 従順なコマであった。 その個人というコマを、先の大戦で見るように、為政者は平然と使い捨てたし、 これからも使い捨てるはずだ。
★それでもボクはやってない それでもこの映画がやったのだ。 3
なぜなら、組織に反抗するような日本人はいないし、正しい日本人であれば組織に
献身することこそ喜びだと感じるはずなのだから、日本の為政者は、国民を全体に
奉仕させることに、多文化ほど痛痒を感じないですむ。
こう考えて来たとき日本の組織に対する個は、旧日本軍軍人やこの映画の様に、
いつも悲劇的な結末を迎えざるを得ないのであろうか?
私はそうは思わない。
絶対に日本においても、個人が組織=社会と戦って勝てる道が有ると、信じる。
例えば、周防監督とこの映画が成し遂げたように、個が勇気を持って組織の不合理を
糾弾しさえすれば、組織は「裁判員制度」の如く、自ら開示せざるを得なくなる
のだと信じたい。
そして、個が社会に在るその不合理を追求しなければ、日本は容易に全体主義に
陥ることは、過去の歴史からも明らかである以上、自戒を込めて、個は社会と
対決する覚悟を持つべきなのである。
その対決の一端が、その勝利の証明こそ、この映画だと信じる。
再び期待も込めてこう言おう。「裁判員制度」を実施させたのは・・・・日本の司法
関係者は否定するだろうが、「それでもこの映画がやったのだ。」と・・・・
レビュー・アン・ローズ 2014年08月16日
http://hirahi1.seesaa.net/article/403801578.html
★日本人の集団意識について 1 豆瓣 baidengdao 2013-05-31 12:18:34 ――日本人の性格をめぐる 序論 周知のように、牡丹は中国の国花であり、桜は日本の国花である。 牡丹という花は、同じ木の花でも咲く時期は一緒ではないし、形や色が微妙に違う。 同じ木の花でも巧みや美しさを競う。中国人は牡丹のように、個性が強く、独創的な ことをするという意識が強い。 それに反して、日本人は桜そのものである。国民性といい、思考方法といい、まさに 桜である。日本人は誰でも花を聞くと頭の中に桜が浮かべている。桜はパッと咲いてパッと 散る、咲くときも一緒、散り方も美しい。一輪一輪の花はこれといった特徴はなく、 目立たないが、樹全体、林全体の花となると圧倒されるような華麗さと迫力がある。 日本人は協力のチームーワークを崇拝し、人と人の間に互いに援助し、互いに協力しあい、 互いに団結している。ひとつの桜はきれいではない。ただし、一面の桜を一緒に集めて きれいになる。つまり、日本人は行動様式が集団主義で、規律を重んじ、集団からはみ出す ことはしない。一人一人の個性はないが、集団では大きな力を発揮するというのである。 日本が戦後わずか二、三十年の間に、世界第二位の経済大国になった。その奇跡的な飛躍を 成し遂げるのは日本人の集団意識にあったと思う。日本人のこの集団意識は日本の社会発展と 歴史の過程に対しても巨大な影響を及ぼし、日本人のもっとも重要な民族意識の一つである。 中国と日本は一衣帯水の友好隣国であり、世界経済一体化にしたがって、中日両国は各分野に おいても協力しあっている。両国の経済発展と友好関係を促進するため、日本人の集団意識が わが国の社会主義建設を促進することに多少役立つかもしれないと思う。そのため、本文は 次の通りに日本人の集団意識を検討してみようと思う。
★日本人の集団意識について 2 本論 一、集団意識が成立する要因 1.1稲作文化に生まれた 集団意識の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。はるか弥生時代に始まった稲作文化は、 日本人の集団意識の成立に大きな影響を与えた。島国である日本はどこの国とも陸続きに なっておらず、すべて海によって隔てられている。この地形によって、日本民族は古くから 定住する農耕民がその大部分を占めていて、さらに比較的狭い範囲の小さな集落に分かれて 住みついた。その村落社会では、「家が存続し、その構成員は緊密な結合関係にあり、 閉鎖的な人倫 共同体が形成された。そこでは感情的、情緒的な人間関係が形成された。 その時代には、生産性が低いし、稲刈り期が短いので、合作しなければならない。稲刈り 期には近隣同士が助けあい、共同作業を行う習慣がある。これは最初の集団意識であった。 1.2儒教思想からの影響 中国から伝えられた儒教は「仁」と「和」の思想を宣揚して、日本人の集団意識の形成に 巨大な影響を与えた。忠孝を重んずるその道徳は江戸時代以降特に広まり、「家制度」にも つながった。たとえば、家長は絶対の権限を持ち、家族は「家」に従わなければならない。 家族の共通の目的、思考は「家」の発展するように努めることである。また、家長の判断も 「家」の発展を第一に考えなければならない。この様な集団を形成することは多数の日本人に とって生存と生活に不可欠な古代からの方式で、時代を経るにつれて団結することが好きに なるという社会習慣を生んだ。
では、明治維新や戦後高度経済成長を実現した要因を 丁寧に潰していこう。二度と再来させないために。 なにしろしょせん国力と国民の幸福が比例しない国だから。
★日本人の集団意識について 3 1.3危機意識に由来する 日本は、環太平洋地震帯の上にあるため、世界屈指の地震国である。1995年、兵庫県 神戸市を中心に大きな地震が起き、死者6000人以上を超え、被害を被った。また、 1923年9月1日に発生したマグニチュ−ド7.9の関東大震災もよく知られており、そのとき、 下町を中心に火災が発生し、死者、行方不明者は14万2000人を超えた。それ以外、日本は 火山、台風、豪雪、津波などの自然災害の多発国であり、「自然災害の博物館」とまで 呼ばれる。自然からの恐れだけではなく、島国の閉鎖と開国の体験として、資源の欠乏 などそれぞれの危機感を抱いて、特に競争心の強い日本人が常に危機感を感じるのは 島国根性であるといわれる。ある日本人は「日本は一つの大加工工場ですから、誰かが 首を絞めないかと心配するのです。」と言った。このような感じは日本人の共通認識を もっている。この意識をもっている日本人は、個体の力の弱さと集団の強さを認識するし、 集まらないとできないという気持ちを持っているらしい。そのため、集団意識が思想的に 成立している。 二、日本人の集団意識は日本人の性格への影響 一人一人の人間をとってみれば、みんながそれぞれ違うと言える。よく似た人がある だろうが、詳細に観察してみれば、一人一人どこかが違っている。顔たちが違う、性格や 趣味が違う、ものの考え方も違うというように、十人十色である。それをその人の個性 という。そのように、一方では人間としての共通の普遍的体質を持ちながら、他方では 一人一人みんな違った個性を持っているというのが、現実の人間姿である。そして、 それは単に個々人の場合だけでなく、国家とか民族といった共同体の場合でも同じこと だと思う。やはりひとつの民族には他の民族には見られない独特の体質とか気質があり、 ひとつの民族には他の国民とは違った性格なり国民性があると思う。そして人間としての 共通性を持ちながら、その場所の気候風土、自然条件の差異によって、それぞれに特有の 個性を持った人間となったわけである。それが人種とか民族とか言われるものの始まり だと思う。その個性はその国の特性である。
★日本人の集団意識について 4 日本人の集団意識は日本人の国民性の中に重要な意識である。それは日本社会の発展と 歴史に大きな影響を及ぼしただけではなく、日本の民族の性格形成にも影響した。 日本人の集団意識の様々な特性は自らの言動が矛盾し、複雑に入り組む日本人の 心理状態、生活様式と思惟の方式を生み出した。 2.1同一性 日本人は一般に他人とはかけ離れた行動をとることを好まない。したがって、自分の行動を 決めるにあたっては、他人がどう行動しているか、あるいは他人からどう思われるかに 気をかけたり、それに影響されたりすることが多い。日本人は仲間外れにされることを 恐れる。そのため、強く自分を主張することよりも、周囲と同調して、たとえ意見が違った としても「丸くおさめる」ことを好む。つまり自分自身の考えを持って目立つことよりも、 人の考えに同調して「平均化」しようとする。「出る杭は打たれる」 ということわざの 言うように、日本人の強い中流意識が代表的な処世術だと端的に表されている。このような 見方、態度、行為は時の流れにしたがって、日本の国民の普遍性となっている。 たとえば、欧米人は自分の意思や意見を直接相手にぶつけて強く自己主張するに反し、 日本人は相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする 傾向が強い。さらに、日本人にはイエス、ノーをはっきり表明しない傾向がある。そのため、 日本人の同一性は、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統などに基づくものである。 日本人は第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンがたくさん あった。また、今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果たしては 学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根が張っている。集団社会の中で同調性がもっとも 望ましい性質とされ、みんな一丸となって行動を起こすことが理想的とされてきた。 たとえば、衣服からみると、日本は一番制服が多い国かも知れない。警察、車掌、店員、 ウェーターなどが制服があるし、小学校、中学校、高校さえ統一の制服がある。これは 日本人にとって、統一の制服を着れば、集団に属する感覚が生まれて、同一性が表現 されている。
342 :
名無しさんの主張 :2015/01/22(木) 15:29:58.39 ID:om8bRUJO
自己主張ってのは総合的な秩序からすれば個人的なはけ口でしかないわけども、それすらを抑え込んでしまう風潮は恐ろしいよな
★日本人の集団意識について 5 2.2序列性 日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。そして、 日本人が集まると、その集団の中での序列が重要な意味をもっている。席に着く順序が あり、日本式の和室では、入口の反対側にある「床の間」の前が上座であり、入口付近が 下座になる。年齢の上や地位の高い人が「上座」に座る。日本人はあまり謙遜であるかも 知れない、多くの人が下座に座ろうとして、座る場所がなかなか決まらない、という 場面がしばしばある。 民主化、平等化が進む近代社会なのだから、日本の社会は疑いなく徹底した実力主義を とっているに違いないと思われるが、実は、日本の多くの職場では個人の能力差は最小限に 考えられ、年功序列という不平等が幅をきかせている。年功序列とは同じ年次に入った 人たちが同じ階層を構成し、給料と地位ではほぼ同じ取扱いを受ける。勤続年数が長く なるに従って、給料と地位が上昇していく慣行のことである。集団では年齢、入社年次、 勤務期間が長いか短いかなどによってタテの序列ができている。人々は自分が序列のどの 位置にいるかを常に意識して行動する。企業や官公庁などの職場はこのような序列関係が もっとも顕著である。 また、日本語の中に尊敬語や謙遜語が存在するのもそのためであるし、結婚式の席順や スピーチの発言順までが常に序列を意識して行われる。 日本の集団は、職場はもとより、地域の集まりや趣味の習い事のグループであっても、 その集団を構成する人々の結びつきが強く、集団の中での地位の上下関係が重視され、 それにしたがって振る舞うことを期待されるケースが多い。こうした序列社会では、 情緒的な一体感が生まれやすいのである。日本の集団主義もこれによって支えられている と言える。このような社会現象は世界でも特異なものだとよく言われる。 でも、最近は変化しつつある。日本経済は低成長期に入っているので、多くの企業が 昇進や給与を決める場合、能力重視の傾向を一層強めている。さらに、従業員の高齢化や 定年延長などによって人件費がかさむことから、年功序列型の給与体系を見直す企業も 増加している。
★日本人の集団意識について 6 2.3組織性 日本人は自分の属している組織との一体化を図り、自分を犠牲にしてもその組織の ために懸命に尽くす。このような組織との一体化、組織への忠誠は端的に日本人の 集団意識を表現している。 日本人は組織の中で泳ぐという言葉がある。自分がどこの所属をしているかを常に意識 する。この組織の中で自分の位置づけや役割を明確しないと落ち着かない。それで自分の 位置づけにしたがって行動する。集団主義といわれるように、集団では、異を唱えたり、 背をむけたりするものには「村八分」 という処罰がある。これは「内」と「外」という 意識が強いという表現である。個々の人々はこの「うち」を離れると、うまくいかないと 意識し、周りの人々は、誰でもこの「内」を守らなければならないと意識している。 「旅の恥はかき捨てて」 という言葉があるが、これは「外」の社会に入った時の日本人の 意識をよく表している。「外」の社会では、自分を暖かくするので、周りに対して勝手な 行動が許されると思う傾向がある。「内」の人関係では絶対にしないことが「外」の人に 対して平気で行われたりするのである。 日本の企業も集団主義といわれるように、人間関係の和を重視する。そのために、 企業ではフォーマル及びインフォーマルなさまざまな催し物が行われる。一般に人生の 大半を一つの会社で過ごすためにおのずとつきあいは会社中心となり、こうした人間関係を 円滑にすることはビジネスマンにとって重要な条件でもある。多くの会社では、定期的に 組織全体、あるいは各セクションごとの行事が行われる。それは従業員の家族も参加する 運転会であったり、社員旅行、転勤者に対する送別会、あるいは歓迎会、年末の忘年会 などさまざまである。このような行事は日本の会社の家族主義的慣習で、人間関係を緊密に するとともに、組織は運命共同体であるという意識を持たせ、組織の活性化を図るという 効果もある。
345 :
名無しさんの主張 :2015/01/23(金) 12:22:32.80 ID:k7LzgHWh
西洋的な自我を持つ者にとって、この国の国民性に馴染むのは自分の顔にクソを塗るのに等しい感覚なのである
★日本人の集団意識について 7 三、集団意識の両面性(プラス、マイナス)及び日本人のこのような性格が日本の 社会経済、生活への影響 日本人の集団意識は歴史の発展に従って変遷し、同時に歴史の発展に巨大な作用を及ぼした。 しかし、その作用には消極的な面を見過ごすことができない。日本人の集団意識は歴史の 発展の動力になる場合もあれば、抵抗力になる場合もある。つまり、「功罪相半ばする」 と言えるだろう。 3.1肯定的な影響 (1)、日本の集団意識はグループの中の成員を粘着できるし、協調できるし、このような 粘着力はまさに日本の民族の活力の源の一つだと言えるだろう。日本人は個人の利益を 犠牲し、集団の利益を守り、会社の経営者にしても従業員にしても、彼らはすべて会社を 自分の家として、会社の利益のために一生懸命働いている。 日本では、普通は人々がいつもその会社員と彼の勤めている会社と同一体に見るのである。 相手に自己紹介するとき、「私はII」といわず、「私はII会社のII」という。そんな 心に潜んだ集団意識が根強い。そのため、日本人が自分の勤めている会社に深い感情を 持って、彼らが個人の前途と幸福を会社に託して、運命のつなが彼たちと会社を結びつけて いるようである。日本人にとって、仕事は苦しいことではないし、ある種の神聖な意味を 持っている。会社が家庭のようで、一番大切なのは全体の繁栄を実現することである。 会社のために生活し、個人の希望が第一ではない。いわゆる「会社を愛する精神」 「新家庭主義」「企業は大家庭」などはすべて集団主義の表れである。このように、 日本式会社は内部の人間関係が親密であるため、成員は上司の要求に従って、最大限に マンパワーの潜在力を発揮することができる。 特に戦後日本の発展の歴史から見れば、このような集団意識は日本の民族文化の力量の 核心であり、大和民族が多くの困難を克服して、巨大な発展をとげるうえで大切な伝統的な 意識だと言える。
★日本人の集団意識について 8 (2)、日本人の集団意識には内部での「競争メカニズム」があって、それは一定の具体的な 形を伴っている。近代の日本企業では、企業は「年功序列」と「終身雇用制」という安定 した基盤と「学歴主義」に基づく平等のスタートラインで、日常の仕事の中で更に従業員に 一つの長期的で有効な競争の機会を作りあげている。このような構造の下で、企業の収益と 発展は従業員の個人の努力と奮闘にかかっておる一方で、個人の生活の保障は企業の収益の 向上と発展に連動する。同時に企業は各種の活動を通じて、努めて「家」の雰囲気を醸成し、 従業員に緊張を強いる競争と安定した家庭生活の間で心理的平衡を維持させ、そして社会を 比較的安定させることによって、国家に更に大きい貢献をし、企業はもっとも多い利益を 獲得するのである 3.2否定的な影響 日本人の集団意識は肯定的な影響があるが、角度を変えてみれば日本人のこのような 集団意識には軽視してはならない盲目的な方面もある。 (1)、大陸侵略はさることながら、現代でも時には排斥を被ることを免れ、「大勢順応 主義」の誤りを犯しやすく、個人にとって理非曲直は集団の決める事で、自分が命令に 従って済ますことだけが必要で、たとえ危険な犯罪を犯しても、みんながいっしょにすれば 平気でいられるのである。 集団活動、集団感情、集団観念の長期的な影響で、すべての成員はおおよそ同じモードを 形成して、みんなが一緒にいれば、心強く何でもできる。つまり、日本人は個人的には 小心翼翼としているのに、集団になると大胆になって突っ走るという悪い癖がある。80 年代に入るころ、一世を風靡した流行語に、「赤信号、みんなでわたれば怖くない」と いうのがあった。このキャッチフレーズは日本人の集団になれば図太くなり、普段しない 悪事でも平気でしでかす心理をもっともうまく表現している。普段、わたしたちには礼儀 正しく、道徳的で立派な日本人のイメージが留められる。それは儒教の教えの理念を大事 にする日本人が個人的には自己抑圧の念が強い一面である。しかし、集団になるとセルフ コントロールの箍が緩み、どんな悪事も平気で仕出かすことになる。
★日本人の集団意識について 9 (2)、個人に自立性を育てにくい傾向がある。 一方で、厳しい個性としての責任感に裏打ちされない「甘え」の態度を育てやすいと ともに、他方ではまた新しい理想に生きようとする個性を周囲が抑圧する傾向がある。 それで、多くの日本人はいつも他人と同じ生活を送っている。彼たちは仲間外れにされる ことを恐れる。自分を強く主張することや周囲の意見と違うことや個性を発展すること などを好まない。そのため、言葉の曖昧や意見の婉曲などいろいろな日本人の特有な 現象が表わされる。 外国人はよく「日本人は、自分の考えていることをあまりはっきり表現しない」、 「なるべく間接的な言い方をするので、その人の本心がわかりにくい」などと文句を 言う。確かに、日本人はこういう一面を持っている。もちろん、これは日本人の国民性に 関連している。 近年、国際的な場面での話し合いが多くになってくるに従って、政治、ビジネス、 あらゆる分野で、日本人の話す態度について、批判の声があすがっている。言葉は、 人と人とが理解しあう道具である。それを利用して分かり合おうとするとき、「相手が 察してくれるだろうから、全部説明しなくても良いだろう」、「そこまではっきり 言わなくてもわかってくれるだろう」などという、日本人同士の習慣は国際的にはもう 通用しないようである。 (3)、集団エゴイズム である。自分に属する集団の外の広い社会に対しては、無関心で 無責任な態度をこれまでは生みやすかった。 日本の集団意識の特性は「全体一致」の原則と「ひそかな合意」の方式で一致協力する ことができるが、しかしその弊害は表面上の一致と集団で責任を負うことで、実際には 責任を負う人がいない「無責任体制」を形成する。このような「一致」は不一致な意見を 無視する状況で形成され、異なった意見を持つ者は集団の「和」と自分が排斥されること を免れるため、および「義理人情」のため賛成するのであって、必ずしも自らの意志では ない。成功した場合は別として失敗した時、個人は責任を負わないで、特に日本は伝統的に 厳しく個人の責任を追及しないので、「無責任体制」つまりは集団全員で責任を負って、 結局、個人個人が責任を負わないのに等しくなる。
★日本人の集団意識について 10 四、日本人の集団意識が薄れている 日本人の生活において集団意識が最高の地位を占めているということは、団結を深刻に 感じる国民が全てそうであるかのように、各人が自己の行動に対する世評に気を配ると いうことを意味する。彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測 しさえすればよいのであって、その他人に判断を基準にして自己の行動の方針を定める。 みんなが同じ規則に従ってケースを行い、お互いに支持し合っている時には、日本人は 快活でやすやすと行動することができる。彼らはそれが日本に「使命」を遂行する道で あると感じる場合には、ゲームに熱中することができる。 しかし、ずっと日本人の行動を支配してきたその集団意識は今の若い人にとって、だんだん 消えていった。時代が進み、世代が変わる中で「桜」の日本人は変わりつつある。 世界経済一体化に伴って、多くの日本の若い人は観念が変わって、西欧人のように問題を 考えて、他人の意見を無視して、自我を追及する。集団主義を日本人の永久不変の特性と する見方が見直される時代も来るかもしれない。 たとえば、会社というのは一つの集団ですが、古い世代はこの集団のために個人や家庭を 犠牲にしてまで粉骨砕身働いてきた。公休を取るのもなんとなく後ろめたさを感じるほど 「会社人間」が多かったのである。今の若い社員は組織に縛られるのを嫌がっている。 公休を権利として堂々ととっている。
★日本人の集団意識について 11
結論
以上の通りに、本文は四つの部分に分けて、日本人の性格をめぐって、日本人の集団意識の
成立の要因、集団意識が日本人の性格への影響、集団意識の両面性、現代の日本人の
集団意識の薄れなどの検討を通して、日本人の集団意識についていろいろ述べてみた。
いずれにしても、日本人の集団意識は日本人のもっとも重要な民族意識の一つである。
積極的であろうと、消極的なであろうと、日本人の集団意識には参考になる値打ちがある
と思う。国際文化が日ごとに頻繁になるに従って、積極的に優れた外来文化を取り入れる
のは、わが国の経済の発展に大切な役割を果たすことができる。そのため、どのように
日本人の集団意識の美点と欠点に対応するのは極めて重要である。
日本人の集団意識は今日まで依然として日本の経済と道徳などの分野でその積極的な
作用を発揮している。私たちは積極的にその精華の部分を吸収して、不用の部分を
排除し、つまり、長所を取り入れ短所を補うべきである。
日本人の集団意識はさまざまな要因と複雑に絡みあっていると言える。拙文はただこの
問題にちょっと触れただけである。これからは、社会的、経済的、文化的から、日本人の
集団意識について検討し続けようと思う。
謝辞
なお、この論文は紙幅や日本語の語学力不足で、日本語の表現及び考え方などには検討
不十分なところ、不適当なところがまだたくさんあると思うが、先生からのご教示を切に
お願いする。
また、本論文作成中、指導教官袁静文先生からは、お忙しいにもかかわらず、課題の
定めから論文の構成まで、いろいろとご指導、ご助言をお賜りいただき、間違ったところや
日本語表現における誤用をご丁寧に添削してくださった。ここで、心を込めて感謝の意を
申し上げる次第である。
豆瓣 baidengdao 2013-05-31 12:18:34
http://www.douban.com/note/279688408/
351 :
名無しさんの主張 :2015/01/25(日) 10:41:07.94 ID:Dvp85bAR
小さい島国だから当然煮詰まるのも早い
352 :
名無しさんの主張 :2015/01/25(日) 11:10:02.40 ID:tgNWkE6f
>>"協調性が無い"と言われる事を極端に恐れる日本人3 ↑だから、空気が読めない(その場の状況が理解できない)人が、異常なほどバッシング されるという、ゆがんだ社会風潮が蔓延したんだろうな。職場でのパワーハラスメントも、 ごく些細なミスに対して「空気が読めない!」と大げさにまくし立てる、言うなれば「KY ハラスメント」が、ダントツで多いとさえ言われてるんだよ。
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
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★日本人という国民性 1 心をふわりと癒すエンジェルブリーズヒーリング 2014-04-08 先日フランス人の友達夫婦と共に時間を過ごしながら、感じました。 自由で正直、自然とそれを自分自身にも周りにも許可している事を。 例えば、彼らのように生後1年未満の赤ちゃんを、祖父母が喜んで預かってくれる からと言って預けて海外旅行に行こうものなら、 「え〜、子供が可哀想!正気?!」と、当人にとっての事情がOKであっても、多くの 日本人は思うかもしれません。 手作りのご飯でもてなすと、これは好きじゃないから悪いけど食べられない、と笑顔で 幾つかのおかずへの箸をとめました。 少々苦手でも、気を遣って食べようとする日本人も多いかと思います。 観光施設に入ろうという事になり、4人のうち1人だけ「自分はあまり入りたい気分 じゃないから3人で楽しんできなよ、自分は外で適当に過ごしてるから」と言うと、 皆で行くのに何であなただけ?と日本人は感じがちです。 多くの日本人は特にこんな時、とかく自分(又は相手)のわがままと捉えてしまいます。 周りや集団にあわせないといけないという、自由が制限された観念。本意でなくても、 周りがそうするから、〜しないといけないと無理にあわせたり、一人だけ好き勝手を 言っちゃいけないと自分にも他人にも求めたり。自分の意思や気持を表現する事が 何となくわがままと捕えられたり。そんな目に見えないルール。それを自分だけでなく 周りにも求めがちです。 欧米では日常の、「自己責任ありきのそれぞれの自由」「自由な表現やスタイルを許可 する」「個人の自由意思を尊重する」という感覚。留学中や海外旅行中はそれを できても、日本ではなかなか難しく感じていました。
★日本人という国民性 2
今回のフランス人夫婦も、自分にも相手に対しても自由で正直です。
でもそれはわがままというのではなく、自分と同じように相手の自由意思を尊重して
います。そして、周りに対する思いやりや愛を積極的に表現しています。自分がどう
思うか、どう感じるか、に焦点を当てると同時に、周りに気遣い尊重しているんだと
改めて感じました。
自分の事を決めるのは自分自身でしかない。そして他の人においても当人の事を決める
のはその人自身でしかない。フランスの夫婦はそう本来の姿を教えてくれました?
昔から継がれてきた私達日本人の親や代々からの根っこは急速に変化しなくても、
周りとの協調性や和合を重んじる私達日本人本来の良さをいかしながら、それぞれが
自分自身を自由にしていければいいですよね天使の羽
周りが、、、じゃなく、自分自身がどうしたいのか?どう感じるのか?
自分に責任を持った上で、自分へも他人へもその時の意思や気持を認めるという
自由と愛。
そう、真実は、もっと自由なものだから
心をふわりと癒すエンジェルブリーズヒーリング 2014-04-08
http://ameblo.jp/hanonroom/entry-11817462934.html
グックは 醜い。汚い。臭い。気持ち悪い。障害者。奇形。背が低い。体格が貧弱。体力が無い。 頭が大きい。顔の彫りが浅い。貧相な顔。鼻が低い。目が小さくて細い。視力が低い。 手や足が短い。胴長。寸胴。歯並びが悪い。出っ歯。尻が垂れている。O脚。原始人。 黄色い猿。金の亡者。白人の奴隷。他国(中国やアメリカなど)の文化を猿真似する。 謝罪も賠償もしない。自国民が優秀だと勘違いしている。戦犯者を擁護する。ださい。 野蛮。幼稚。下品。無個性。残酷。根暗。陰湿。変態。鯨殺し。閉鎖的。英語が下手。 怒り顔が猿そのもの。人より動物に近い。他国の言語(中国語や英語)を猿真似する。 他国の島を横取りする。低能。異常。気違い。土人。田舎者。劣等人種。地球の害悪。 死ねグック。
グック=日本人