●日本人だけど、日本のここが嫌い●33ヶ所目

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860名無しさんの主張
米中会談録の要旨 【ワシントン1日共同】 2002-07-01

一九七一年十月二十二日に行われた周恩来・キッシンジャー会談の
日本関連部分の会談録要旨は次の通り。
【対日本人観】
周恩来首相 ものの見方が狭く、とても変わっている。島国の国民だ。
キッシンジャー補佐官 中国は伝統的に普遍的な視野があるが、
日本は部族的な視野しかない。
日本人はほかの国民がどう感じるかに何の感受性もない。
日本に何の幻想も持たない。
【日本経済】
首相 日本は第二次大戦の賠償も払わず戦争から利益を得た。
経済拡大は軍事拡大につながる。米国は日本を今の状態に太らせた。                        
補佐官 日本を経済的に発展させたことを今は後悔している。
【日本の防衛政策】
首相 日本は過去二十五年余り防衛に必要以上の金を使ってきた。
今や羽が生え飛び立とうとしている。
一度日本が軍事拡大に走ればどこまで行くか分からない。
補佐官 日本が米軍撤退を希望すればいつでも出ていく。
日本が自主防衛すれば周辺の国にとって危険だ。
米国は米国のために核兵器を使うより
日本のために使う可能性は実際は少ない。米軍が撤退すれば、
日本は平和利用計画で得た十分なプルトニウムで、核兵器を造ることもできる。
日本が大規模な再軍備に走るような事態になれば
伝統的な米中関係が再びものを言う。
米国は日本の拡張を抑えるために、他国と協調しできることをする。
日本についてわれわれは同方向の利害を持つ。
861名無しさんの主張:2011/01/17(月) 23:38:59 ID:???
塩川正十郎「岸信介 決意を断行するのが政治家である」文芸春秋 2010年3月特別号
…その中で、先生が徹頭徹尾言われたのは、「日本が孤立したら生きていけないよ。
孤立したとき一番危ないんだ」ということだった。日英同盟を破棄して、日本は苦しくなった。
そこに昭和の恐慌が起き、事変を起こして満州へ向かった、
…日米安保について一番言われていたのは、「みな軍事上の問題ばかり取り上げたが、
あれは単に防衛問題だけではなく、日本の経済復興の基礎を創るために非常に大切だったのだ。
日米の間に軍事的協定のみならず経済や文化等の面でも協力し合う必要がある…
そこで私は、アメリカから産業の基盤となる技術や特許をどんどん入れてもらうこと、
そして、IMFやGATTといった国際機関での日本の地位をバックアップしてほしい、
という了解をとりつけた。同盟関係でなければ、こうした協力は得られない。
安保条約改定の騒動の際、そうした経済的な側面が顧みられなかったのは残念だ」
ということだった。そこで私が、「一番最初に特許として入ってきたのは何ですか」と尋ねると、
「ナイロンだよ」と即座に返ってきたのも覚えている。
862名無しさんの主張:2011/01/17(月) 23:39:42 ID:???
塩川正十郎「岸信介 決意を断行するのが政治家である」文芸春秋 2010年3月特別号
海洋国家である日本の経済発展のために何が必要か、と考え、
造船、石油化学、製鉄といった産業の育成を大事にしたのも、忘れられがちであるが、
岸先生の重要な功績と言っていい。
そのためには、原料となる鉄鉱石や石油を、
オーストラリアやインドネシア、イランなどから引っ張ってこなくてはならない。
その工作に岸先生は、いわばアメリカを日本の保証人につけたのである。
863名無しさんの主張:2011/01/17(月) 23:40:46 ID:???
堀田善衛「上海日記」

三人で、渡辺さんを加へ話したことだが、どうも僕は、
日本はアテネやスパルタのやうに滅びるのではないかと思ふ。
この大東亜戦争が恐らく第一弾のものではないのか。
何しろ日本人ほど何かをやりたい、やりたい、やりたいといふ
慾情につかれた人民ばかりで成り立つている
国家といふものはないであらう。
……「かつて東方に国ありき」……と。ともあれ、もはや
世界には日本と戦争をしなかったといふ国はないのである。
いはゝ゛世界の札つきである。
上海に来て僕の感じたことのうちで大きいことは、
日本人といふものは、余程特異な存在であるといふことだ。
その風俗習慣、物の考え方に、
国際的に共通、意識共通なものは殆どないといふこと。
しかも世界の如何なるものをも理解出来るらしいといふこと。
これはともあれ余程特異な人間の集まりである。余程?特異なのだ。
864名無しさんの主張:2011/01/17(月) 23:43:04 ID:???
NHK特集「警世」松下幸之助と日本経済 1975年9月12日放送

だいたいその、戦後30年というものはね、高度成長に経済が発展してきました、
復興といいますか。それはその通りに違いはないけれども、
それはやはり外国の援助というものによってね、やったわけですわな。
だからね、日本国民の自力によって戦後の復興したんやないんですね。
結局、30年間の間には、そのー、自力更生というようなことを言う人も有りますけども。
3年も4年も戦争して負けたと、普通であれば、昔であれば民族が奴隷になったり、
或いはつまり非常に苦しみを味わいますわな。
…ところが日本は戦争に負けたその日から救済されてるでしょう、早く言えば。
まあ一つその、技術もあげましょうと、まあ一つ食べ物も援助しましょうと、
政治の方も教えましょうと。そういう結構なねえ、負け方というものは無いでしょう、
昔からずっとねえ。要はね。そこにそもそも甘えがあったわけですわな。
その甘えが積もり積もって今日そのつけを払わなくてはいけなくなったわけですわな。
30年のつけを今支払いせんならんという状態ですな。そう考えますな。
今は精神的な貧困を持っているわけですな。国民の考えが一致しないです、
みんなお互いにね、精神的なエゴというか、そういう考え方が強いですな。
そこで、これからは精神的なエゴとエゴが衝突して国民がバラバラになってきたと。
そこから今度はものを失うという状態にまでなってきたわけですわ。
戦後30年にしてようやく日本は精神的な敗北をしたんですな、早く言えば。