他人の個性を大切に。世評編

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すべての人が同じ考えをしている社会は、暴走し始めても誰もブレーキを踏まず、暴走をくい止めることができません。
また、個性を持たずに生きる人は、主体性のない人であるということであり、 そういう人は権力に支配され易いのです。
つまり、国民の一人一人が個性を持っていないような国は
ファシズム (全体主義) を許してしまう可能性が強いということなのです。
本来、健康的な社会にはさまざまな個性が存在しているものであり、
すべての人が同じ状態であるのは危険な社会です。
したがって、支配されることを避けるためには、国民は常日頃から個性を持つことを心がけなければなりません。
また、子どもたちに、常日頃から個性を持たせる教育をしておかねばなりません。
「自由」 と 「楽しさ」 が一体のものであるのと同様に、「自由」 と 「個性」 も一体のものです。
すなわち、自由な社会は個性を尊重し、個性を尊重する社会はさらに自由になってゆくのです。
自由のあるところにはさまざまな個性が生まれ、その多様性が織りなす織物が 「文化」 となります。
また、強烈な個性の存在は自由社会を守りさらに発展させてゆくことに貢献します。
人生を楽しんでいる人、自分が本当に欲していることを実行しながら生きている人、
自分が自分であることを楽しんでいる人はとても魅カ的です。個性的魅カを有する人々の存在は社会を豊かにします。
さまざまな文化が融合して新しい文化が生まれるのと同様に、社会に存在するさまざまな個性が融合することによって
新しい何かが生まれ、それが社会の発展を促進するのです。
ところが日本では、「協調性」 ばかりが重視され、「個性」 ・ 「主体性」 は軽視されています。
協調性ばかりが重視される社会においては、個人の自由が尊重されず、
また、各個人が自分を見失ってしまって 「楽しく生きる」 ことができません。
そして、個人の自由が保障されていない社会は、最終的には破滅への道を歩むのです。