1 :
名無しさんの主張:
みんな仲良し教育の欠陥
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20070624/1182650511 みんな仲良し教育は、主体性を破壊し、長いものに巻かれるという気分を育てる
ために、合理的判断を主張することを控えさせるという欠点を持っている。
この欠陥は、日本社会のあらゆる場所に蔓延している。みんな仲良し教育の効果の
大きさに驚くほどだ。しかし、いまや学校教育も、その内部でカタストロフ(破局)
を迎えているのではないかとも感じる。ようやく、この教育の欠陥が誰の目にも
明らかになってきたのかもしれない。
仲間以外はみな風景。そう言ったのは社会学者の宮台真司である。
成熟社会では、「みんな仲良し」的な教育は、逆説的なことに、人を平気で差別し、
危害を加える人間たちを量産します。日本以外の先進国ではそのことが気づかれて
います。「みんな仲良し」には、成熟社会下で労働者に求められる資質の変化を
越えて、もっと根本的な問題があります。ですがそれに気づかない人たちが日本
では教員をやっています。
「みんな仲良し」というと、仲良しの範囲の外側っていうのは、
「仲間以外はみな風景」となり、「みんな仲良し」と言ったとたんに、
仲間以外は切り捨てられて、人間だろうが電信柱だろうが缶カラだろうが
同じになる。そうではなくて、むしろ、仲良くできない人間に対する創造力や
感受性を培うのかっていうことを教育していく必要がある。
ドラマなどでも仲間や友情の大切さを強調するものが多いですが
それが、日本の集団主義、同調体質、空気読め体質につながり
いじめや組織の隠蔽体質、などの弊害があるのではないでしょうか?
君が代 = 天皇万歳のキチガイ歌
日の丸 = 朝廷による日本支配の象徴
3 :
名無しさんの主張:2008/03/22(土) 16:13:49 ID:SMIapScB
日本では、「協調性」 ばかりが重視され、「個性」 ・ 「主体性」 は軽視されています。
協調性ばかりが重視される社会においては、個人の自由が尊重されず、また、各個人が自分
を見失ってしまって 「楽しく生きる」 ことができません。そして、個人の自由が保障
されていない社会は、最終的には破滅への道を歩むのです。
確かに協調性、チーム・ワークといったものは必要ですが、それらは強烈な個性と個性が
集合し、互いに火花を散らして激しくぶつかり合うような集団に初めて必要になってくる
高度な理念です。ところが、日本の教育では、子どもたちに個性を持たせるステップを
省略して、協調性だけを教育するのです。これでは 「協調性」 の教育もおかしなことに
なってしまいます。
個性を持たせずに行う 「協調性」 の教育は、「協調性」ではなく 「均一性」 の教育で
しかありません。日本には 「協調性」 を 「均一性」 のことだと勘違いしている人が
多いのです。均一性に重きを置く教育というのは、多種多様な考え方を認めない非民主的
なものであるばかりか、多数派がすべてを支配してしまう 「全体主義」 を許してしまう
危険性をはらんでいるのです。
協調性というのはみんなが同じ考えをすることもなければ、集団の中で個人が犠牲になること
でもありません。各個人が尊重され、また多種多様な考え方が共存するというのが真の協調性です。
今日までの日本において 「みんなが同じであるのが望ましい」 という教育方針は、教育をする側に
とって大変都合のよいことでした。 画一的な教育をして、子どもたちを型にはめこみ、均一化して
しまいさえすればそれでよかったのですから。つまり、今日までの日本の教育は教師本位のもので
あって、子ども本位のものではありませんでした。
4 :
名無しさんの主張:2008/03/22(土) 16:38:47 ID:SMIapScB
みんな仲良しというのは所詮ありえない幻想、、世の中には色んな人がいて
気が合わない人、分かり合えない人がいて当然で、その中でうまくやっていく事や
集団への同調ではなく、互いに個性を尊重することを考えれる人を育てることが
日本の空気の支配を弱めるには必要だと思う。
現代の子どもたちは幼稚園や保育園時代から「友達をたくさん作ろう」という教育
を受けている。親も友達の数は多い方がいいという幻想を持っているのだろう。
『友だち100人できるかな』なんていう歌があるほど、みんな仲良し、みんな友だち
が金科玉条のようになっている。
しかし、大人だって交友関係が広い人もいれば、狭い人もいるだろう。狭くても本当の
親友を持っている人の方が豊かな友人関係を築いているかもしれない。
子どもだって、多くの友達を作るのが得意な子と、そうでない子がいる。
それは個性であって、友達作りに全く興味を示さないような極端なケースを除いて、
友達が少なくても心配する必要はない。
「友達力」とは、友達を作る力ではなく、友達との人間関係をうまく調節する力
である。思いやりを持って相手に接すると同時に、ときには友達から離れて
「一人でいる力」を身につけることも大切だ。
「みんな仲良く」主義が強すぎると、一人でいることに親も本人も不安を抱くことになるが
必要に応じて友達から離れる力がないと、集団的ないじめに加担することになる。
友達から誰かをいじめようと誘われると断れず、気が進まないまま一緒にいじめてしまう。
いじめないと自分が逆にいじめられる、仲間はずれにされるという不安が強い。
これが現在のいじめ問題の背景にある。
一人でいる力のある子は人をいじめるようなグループから離れても不安を感じることなどない。
だが、実際にそれができる子どもはとても少ない。そもそも、一人でいることも大切だと
教わったことがないのだから。
一人で過ごし、自分のやりたいことに熱中する時間は子どもにとって必要不可欠だ。
そこで、自分の得意分野を伸ばし、内面を豊かにし、個性を磨き、自分の世界を作ること
ができる。
5 :
名無しさんの主張:2008/03/22(土) 19:32:17 ID:H/2lK3IN
>>1〜4
<みんな仲良し教育>とは、何か、<主体性>とは何か
<合理的判断>とは何か、<協調性>とは何か
<個性>とは何か、<個人の自由の保障>とは何か
<チームワーク>とは何か、<均一性>とは何か
<全体主義>とは何か、<画一的>とは何か
<友情>とは何か
このように、オカルト文系の議論は、初っ端からけつまずいている
個人的主観の発露にかっこづけの風味を味付けて、それがさも全員の了解事項
として議論をおっぱじめる。また、このような雰囲気に飲み込まれて
上手い<浪花節>をうなる者が現れればそれに靡いていく・・・・・・・・
だ・か・ら、オカルト文系どもの議論は、本当に不毛なのだろうね
さあ、俺を宇宙人だとでも思って、その第一定義から構築してもらおうかな
7 :
名無しさんの主張:2008/03/22(土) 22:50:33 ID:eJGTMNK5
少数意見は強引に抹殺する暴力的な体制、無自覚だけど
>>5 なにいい気になってんだか・・・
「とは何か」ってつけただけじゃんw
<オカルト文系の議論>とは何か、<初っ端>とは何か、<けつまずいている>とは何か、
<個人的主観の発露>とは何か、<かっこづけの風味を味付けて>とは何か、
<全員の了解事項>とは何か、<何か>とは何かw
あほらしくて話にならん
9 :
名無しさんの主張:2008/03/23(日) 13:02:13 ID:2xLyU/Rk
>>1 >>3 >>4 みんな仲良しの「みんな」が曲者なんだと思うよ。
日本社会での「みんな」とはあくまでも「身内」なんだよね。
人類全体はおろか日本人全体ですらない。
感情的に人を敵:味方に分ける幼児的世界観。
味方である「身内」以外はもちろん敵であり「風景」だから、どう扱ってもかまわない。
「みんな仲良し」とは敵をやっつけるために「身内」の団結を強固にすることなんだよね。
今本当に必要なのは「仲の悪い相手も一応仲間なんだ」という理性的意識だと思う。
それこそがあるべき「みんな仲良し」であり正しい意味での「協調性」。
拝金主義に陥って勝つか負けるかの格差社会を生む資本主義を乗り越えるためにも
そういう意味での「みんな仲良し」は無くてはならない。
10 :
成仏出来んぞ:2008/03/23(日) 13:09:57 ID:???
戦時中、島嶼では玉砕と称して日本兵はお互いに足を引っ張り合いながら団子になって死んでいった訳だが、
生き残った人が「彼らの死を無意味だったとは遺族には言えない」と言っていた。
どうすれば彼らの死を無駄にさせないことが出来るか、思い悩んでいる様でもあった。
日本では、未だに戦争の張本人、責任者である天皇の戦争責任が問われていない。
これを明らかとし、二度とこの様なことが起きない様に天皇制を廃棄する事こそが、彼らの死に報いることではないだろうか。
そうして初めて、戦争で死んでいった数百万の日本人の死が無駄ではなくなるのである。
11 :
名無しさんの主張:2008/03/23(日) 16:25:38 ID:JGAqEziE
みんな同じでみんななかよし毎日平和で何もなければ先生ラクチン。親もラクチン。課長も部長も社長も大臣もラクチンだな。
つけに利息があほみたいについてるぞ。
12 :
名無しさんの主張:2008/03/23(日) 18:20:53 ID:unX3ggDg
>>8 議論の第一歩からひっくり返ってしまいましたね(大爆笑)
ただの思いつきばっかり。その後はアホ、なんだってさ〜
さらに追加、そもそも<みんな>とは、誰と誰と誰の事だって?
14 :
名無しさんの主張:2008/03/23(日) 20:30:05 ID:JGAqEziE
話をそらそうが、ごまかそうが借りは減らんぞ。
15 :
史上最大の論破大魔王:2008/03/23(日) 20:39:36 ID:unX3ggDg
>>13 小生は、ここ、社会・世論板にすでに数年も寄生しているので
御用とお急ぎでない方は、論破、と叫べは
ただちにはせ参上つかまつるぞよ
日本の協調性=無責任。
「みんな」という不特定多数に迎合することで、自己の責任も、誰か特定の人間の責任も問われない。
わたしは悪くない、みんな悪くない、誰も悪くない。
何も変わらない、成長もしない。
行き詰るだけ。
それが現在。
>>15 じゃあ論破してよちゃんと
>>1-4を ロンパリでもいいけどさw
もしかして
>>5が論破なの? へー勉強になったわ流石だな
18 :
日本党党首 (野望:日本を盗る):2008/03/23(日) 21:33:15 ID:FjQuDxwM
私なら、出来ない子は出来ないクラスで学問をさせます。
出来る子といっしょでは授業についていけず、授業内容が分からないのでありますから、
まったくつまらなくなり、ますます落ちていくという悪循環となってしまいます。
逆に出来るものはどんどん伸ばすために出来るクラスで学ばせます。
これが真の平等な教育というものではなかろうか?
19 :
日本党党首 (野望:日本を盗る):2008/03/23(日) 21:36:03 ID:FjQuDxwM
さすれば、出来ない子は自分でも分かる内容の授業でちゃんと学べます。
学ぶ喜びを知れば、それから伸びるかもしれません。
これで学校からも見放されたと感じ非行に走る傾向も減るかもしれません。
一度「できない子クラス」に入ってしまったら
そこから這い上がれない様なキガス
上のクラスはクラスでカリキュラム進んでるのに
それより劣るカリキュラムを消化しただけの奴が
途中参加して対応できるのか?
底辺のクラスに回されたら
一生下流なんじゃないの?
21 :
日本党党首 (野望:日本を盗る):2008/03/24(月) 20:54:38 ID:+4bVmqqP
人に遅れたるもの、人の倍やるくらいの努力がなければ這い上がってこれぬのです
なにくそ 今に見ておれ精神で這い上がらせる 人生はマラソン競争とはよくいったものです。
人間の、いや自然界では勝ち負けというものは普遍的なものです。
誰でも負けることはあるわけで、誰も負けにさせないようにしようという配慮は、むしろ不自然と思う
努力もさせない教育、甘やかす教育は人のためにはなりません。
人に厳しく優しく。日本男児と大和なでしこ育成を
22 :
名無しさんの主張:2008/03/26(水) 15:34:28 ID:mz38KZZt
共同体の中で、よく知り合った仲間が阿吽の呼吸ですごすというのは、その中で
何も問題が生じない時は、非常に幸せな気分をもたらしてくれるだろう。
少々貧乏であっても、助け合って生きていくことに喜びを感じ、何が価値あるもの
であるか、何が善であるかがはっきりと決まっているという安心感を感じながら
生きていくことが出来るだろう。
しかし、このような幸せな共同体は、前近代的な社会で過ごす場合にしか残らない。
近代社会を構成する原則は、このような共同体を形式的には破壊してしまうことに
なる。近代社会は、さまざまな自由が認められ、もはや、生まれてから死ぬまで、
一つの共同体の中で暖かい雰囲気の中ですごすということが出来なくなっている。
共同体の中で安定してすごせる時代ではなくなってしまうのが近代社会というものだ。
みんな仲良し教育は、「みんな仲良し」という規範を強制する教育になる。つまり、
道徳的規範である「みんな仲良し」というものを、ある意味では法的規範のように
強制するという形態を取る教育である。道徳を強制することの弊害がここには現れる。
一般論から導かれる結論としては、この道徳の強制は、より小さな共同体を破壊し、
すべてを学校共同体というものの恣意的な規範に従うように働きかける。
より小さな共同体というのは、気の合った仲間同士という子どもの共同体だ。
本当の意味での仲良しの共同体は、学校共同体的な意味での「みんな仲良し」の中
では存在できない。気の合った仲良しで共同体を作り、その中である種の道徳的規範
に従って、お互いに気持ちのいい遊び方をしていたとしても、その共同体は、気の
合わない仲間は排除するという面をどうしてももたざるを得ないだろう。しかし、
学校共同体の規範である「みんな仲良し」は、この「気の合った仲間集団」という
より小さい共同体の規範を認めないので、これを破壊することになる。
23 :
名無しさんの主張:2008/03/26(水) 15:35:28 ID:mz38KZZt
道徳的規範を破っただけで処罰されるような社会では、そこではどのような道徳が
支配しているのかという「空気」を読むことが重要になってくる。道徳であるのなら
それは違う共同体では規範となっていないこともありうるのに、それが法律のように
守らなければならないものになってしまえば、「長いものに巻かれる」という気分も
生まれてくるだろう。個人の主体的な判断が尊重されないというのは、日本社会の
欠点として指摘する人も多い。
小室直樹氏や宮台真司氏は、旧日本軍における議論において、誰もが結果的に負ける
と分かっているような作戦でも、それに負けるかもしれないなどということを言い出す
ことが誰もできなかったということを語っていた。負けるということを言うことが
許されないという道徳が支配していたのだ。負けるかもしれないということは、可能性
として語る限りでは、善悪の範疇にあるものではない。しかし、この道徳が絶対視されて
誰もそれが言えないということになれば、カタストロフ(破局)が訪れなければその間違い
に誰も気づかないということになってしまうだろう。
他者性の欠如。
26 :
名無しさんの主張:2008/03/29(土) 16:18:13 ID:GLHGLJ3a
ルーマンなどの社会学者の視点は、人々は本来わかり合えないものなのであり
コミュニケーションが成立することのほうがむしろ驚くべきことなのだ、という
視点に立ちます。
コミュニケーションギャップのない社会を極端に想定するならば、それはすべて
の人々が同じ価値観をもち、同じように考え、同じライフスタイルを選択している
社会ということになります。しかしそんなことはまずありえませんし、それを
望む人も少ないでしょう。そんな社会を無理に実現しようとすれば、容易に
全体主義につながると想像できてしまいます。
多様な価値観が摩擦を起こさず、お互いに理解し共存し合う社会ならばいいのでは
ないか、という人はいるかもしれません。ただ、これもやはり多様な価値観が
お互いに理解可能であればの話です。しかしこれも幻想に近いといわなければ
なりません。むしろ必要なのは理解できない相手とどう共存するか、だと
思われます。
ギャップの解消が可能であり必要だと考えるのではなく、むしろある程度の
ギャップの存在を受け入れギャップと共存していく道を模索するべきなのでは
ないか、日本社会では和を重視する規範が根強く、人々の間に対立があること
を認めまいとする傾向が強い、しかしげんに対立そのものが避けられない以上
そうした日本的なコミュニケーション規範は、一歩間違えると、あるはずの
対立をなかったことにしようとし、その結果、些細な対立が調整されないまま
かえって深刻な対立に発展する、ということもありえるのです。
コピペ馬鹿はいっぺん死んだ方がいいと思うよ
俺優しいから何度も死ねとは言わない
いっぺんでいいよ
28 :
名無しさんの主張:2008/03/30(日) 16:23:33 ID:9ASIofHK
パーソンズの社会理論とは?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1027598713/ 64 : :04/02/13 00:55
質問「何で社会秩序が崩壊しているのですか?」
パーソンズ「みんなが納得してコミットできる正しい『価値』を欠いているからだろう」
ハーバーマス「というより正しい価値が何かについてのきちんとした話し合いがないんですよ」
ルーマン「いまさら価値の共有なんて無理です。それを認識した上で秩序維持のための制度構築をすべきです。」
パーソンズ「それは正しいかもしれんけど、なんか身も蓋もない言い方だねえ。」
ハーバーマス「とんでもない、間違ってますよ。人間を無視した冷徹な官僚的発想だ。」
ルーマン「正しい価値と秩序維持とは次元の違う話だって言っているんですよ。だいたい話し合いするって言うけど、話し合うための前提は何?」
パーソンズ「まあまあ、私の意見を言わせれば結局だな、正しい価値ってやつをみんなで共有して前に進むということが重要なんだよ。
秩序を築くためにみんなが一緒になって努力する、納得しない人は説得する、知識のない人には教育を行っていく、この過程が大事なのさ。」
ハーバマス「そうですね、そのためにも話し合いが・・・」
ルーマン「別に間違いだとは言いませんが、複雑な現代社会ではそんなことほとんど不可能です」
65 : :04/02/15 01:45
質問「グローバル化はなんで紛争を激化させているのでしょう?」
パーソンズ「理由を説明する能力は私にはないが、やはり地球規模の近代化のプロセスの一つだね。イスラム原理主義は一種のカルヴァン主義だ」
ハーバーマス「さっき先生がおっしゃったような正しい普遍価値についての対話がないから紛争が起こるんです」
ルーマン「現代社会の複雑性の増大が紛争当時者に了解されてないのと、コミュニケーションの可能性と価値理念の共有を混同しているからです。」
社会学に詳しくないけど、以前読んだ本では確かにこういう印象を受けた
ハーバーマスとルーマンは論争していて、確か宮台はルーマンの影響をうけていて
ハーバーマスの批判を何かの本でしてた。
29 :
名無しさんの主張:2008/03/30(日) 17:35:56 ID:mOvhBG/9
>>1 よく聞くんだけど、運動会で
みんな仲良く手をつないでゴールイン
って具体的にどこの幼稚園? 小学校?
都市伝説じゃないのか
30 :
名無しさんの主張:2008/04/02(水) 15:56:00 ID:iAgftQxF
日本における空気支配は日本文化の集団主義志向によるものとも考えられる。
個人主義志向の強い欧米では場の空気を読むことはそれほど重視されていない。
欧米の学校において生徒の発言しだいで授業の成り行きが変わることにもあまり
抵抗が感じられない。最近では、日本の高校でメールをめぐる空気支配が蔓延
しており、絵文字がない、極端な短文、返信が少しでも遅いなどといったことが
あると「キレてる」「空気が読めない」と思われる。
そのため、日本の小学校から高校まで個人主義とは縁遠く、大学で初めて個人主義
が享受できると指摘もある。
昔から言われていたよ。大学に入って個人主義になるけど、
社会人になったら、また集団主義だってw
32 :
名無しさんの主張:2008/04/04(金) 16:29:33 ID:LV9VK54q
33 :
名無しさんの主張:2008/04/06(日) 16:08:29 ID:Zw7uaoYN
いじめは同調圧力の強い場所で起こる。同調圧力、つまり、みんなが同じじゃ
なくちゃいけない暗黙の空気があって、その空気を読みながら生活している
グループがある。そのグループは、そうした場の空気を読もうと必死になっている
メンバーによって構成されている。
空気をうまく読んで、気の利いた言葉を発することができる人間が、場の人気者に
なる。ただし、人気者は場の空気を読み間違えた場合、その地位が転落するおそれ
がある。だから見たくもないテレビやファッション流行語に敏感になって必死で
場の空気を読もうとする。これは過酷なサバイバルゲームだ。
34 :
名無しさんの主張:2008/04/09(水) 16:21:14 ID:4y8dRNwY
NHKクローズアップ現代で日本の職場のいじめについてやってました。
もう職場に行きたくない
〜広がる大人のいじめ〜
「いじめ」が今、大人の職場で広がり深刻な事態を引き起こしている。去年末、
産業カウンセラー440名に行ったアンケートでは、社員の56%が「同僚間のいじめ」
に悩んでいると返答。派遣社員の間では、有能な人を追い落とすためにいじめが
広がり、学校現場では教師同士のいじめが多発。病院では看護師同士のいじめが
起きていた。多発の背景には、派遣社員など労働契約の多様化が進み、生き残りを
かけ職場が荒廃したことや、成果主義が導入され職場にゆとりがなくなっている
ことがあると見られる。事態を重く見た企業の中には、いじめ対策マニュアルを
取り入れたり、懲戒処分の理由にいじめを付け加えるところも出てきている。
広がる職場でのいじめ。その実態と対策に迫る。
いい大人がと思ったが、大人といえども人間、ストレスがたまりそのはけ口として
弱者に向かうのだろう。後、新人が入ってきて一人ではりきって頑張ってたら
出る杭を打つのように、いじめ、無視がはじまったという話もしてた。
結局、日本の集団主義、空気読め体質、さらに経済のアメリカ型競争、弱肉強食
新自由主義化が大人の職場のいじめの深刻化させてるのだろう。
いじめを子供に駄目だという教師同士がいじめをしてて、この国は一体
どうなるんだろう、このままだと、どんどん衰退すると思った。
35 :
名無しさんの主張:2008/04/15(火) 16:44:44 ID:Lp0Y1THA
民主主義は個人主義に基づいています。そして、その対極の全体主義は集団主義の
行き着いた形です。イラクで行われた選挙を見たら分かる。
シーア派を信じる人はシーア派の候補にしかいれないし、スンニ派、クルド系も
皆おなじです。これでは、それぞれの人口割合だけで当選者が決まります。
もし、他派の候補に投票したら、すぐ分かるのでしょう。ですから恐くて
入れられない面もあります。あれなら選挙なんかやる意味はありません。
こういう集団主義がフセインの全体主義的独裁体制を支えた風土です。
日本の太平洋戦争に至る全体主義も同じです。
ですから民主主義は国民の一人一人が違った考えを持ち、それを自由に投票を
通じて表し、個人の行動は全て自己責任の原則であるという考えに基づいています。
これにより国全体として本当に正しい選択がなされる可能性が高いわけです。
所が、個人主義が確立されず、集団主義に捕らわれていると、選挙でも、会社が
この候補を支持したら社員は全員その人に投票し、組合が支持したら組合員全員が
その人に投票するという具合になり、その集団のボスの言いなりに投票が行われる
わけです。同じ事が医師会とか農協とか、町内会とか村とかいう単位で行われて、
投票を歪めています。これらの全てのもとが集団主義なのです。
日本の今の停滞も政治の貧困からですが、その原因はこの集団主義にあるのです。
自分の考えを持ち、それに信念をもって、行動するようにしなければいけない。
36 :
名無しさんの主張:2008/04/20(日) 16:05:39 ID:iS75Nze6
「みんな仲良し」の矛盾
http://ueno.cool.ne.jp/hideo/text/zakkan/zakkan.htm 大人が子どもに「君はホントは何がしたいの?」と尋ねる。子どもは「ホントはこれが
したいんだ」と答える。大人が「だったらちゃんと言わなきゃ。言わないとみんなに
伝わらないぞ」と言う。どんな状況でも言いたいことが言える−−これが「自立」です。
つぎに、大人が子どもに「そうか、それがしたいのか、でも一人じゃできないぞ」という。
「どうすればいいの」と子どもがきく。大人は「誰かに助けてもらわなきゃ。それには
友だちをつくらなきゃ。君が魅力的じゃないと友だちはできないぞ」と言う。
それだけじゃない。大人が「友だちがしてほしいことをしてあげないと、君がしてほしいこと
をしてもらえないぞ。友だちは何がしてほしいだろう」という。つまり他人を助けないと、
自分がやりたいことさえ実現できないことを学ぶ−−これが「相互貢献」です。
相互貢献は周囲に合わせることではありません。お互いが何がしたいのかをちゃんと言い合った
上で、どんなルールを取り決めて互いの満足を最大限引き出すか、なのです。自立がなければ
相互貢献はありえません。自立なき日本人には相互貢献の考えがありません。
日本では、「みんな仲良し」という「共同性」の作法(=同調)を教えても、違った人間が、
違ったままで互いに助け合うという「共生」の作法(=自立と相互貢献)を一切教えません。
成熟社会では、「共同性」よりも「共生」のほうがはるかに重要なのに、です。
アカの他人と侵害し合わないで「共生」する方法を模索するのが、「相互貢献」です。
37 :
ひみつの致死性ガス:2025/01/11(土) 17:54:08 ID:MarkedRes
このレスはノックダウンしました。
38 :
名無しさんの主張:2008/04/20(日) 17:45:38 ID:5Gi5op4j
>>35 民主主義の正統な手続きにのっとって、かのヒトラーと言う
国家社会全体主義者という代物が台頭してきた件に関しては?
39 :
名無しさんの主張:2008/04/22(火) 16:28:25 ID:BZqDmhuk
>>38憲法で国家権力を縛ることで防ぐ
憲法は,「国家権力(司法・行政・立法)全てを縛るための命令」
憲法とは「国家権力の暴走をくいとめる最後の鎖」として誕生したものだという。
憲法が憲法として機能するための国民常識とは何か? - MIYADAI.com Blogより
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=80 ■第一に、憲法が統治権力への命令であること。詳しく言うと、
(1)憲法が国民から統治権力への命令で、(2)法律が統治権力から国民への命令で、
(3)憲法が法律に優越するとは、国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に
命令しうるということだ。
■さて、私たちに憲法常識はあるか。例えば「憲法が国家への命令」であるのを
知っているか。もし知っていれば、衆参両院の憲法調査会でしばしば出る
「日本国憲法には権利規定ばかりで義務規定が少ないのはオカシイ」という
幼稚園レベルの議論はありえない。
40 :
名無しさんの主張:2008/04/22(火) 16:28:49 ID:BZqDmhuk
憲法の最高法規性
いうまでもなく憲法は、国家の最高法規であり、国家のすべての法律や規則(法規)
そして組織は、憲法を頂点として定められている。日本国憲法第98条が
「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び
国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定して
いるのも、この原則(憲法の最高法規性)の確認である。
また、憲法第第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の
公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定し、これらの人々に
憲法尊重擁護義務をあらためて課している。
つまり、政治に携わる人々に、憲法を守り、さらに、憲法違反行為を予防し、
これに抵抗する義務を課したものといえるのである。
公務員等は、主権者である国民の信託によって、かつ国最高法規である憲法に
基づいて公務をつかさどっているのであるから、憲法を擁護しなければならないの
は当然であることから、フランス革命の成果である1791年のフランス憲法以来
世界の多くの憲法は、国政担当者や公務員等に憲法擁護義務を課し、また宣誓を
求めている。こうした人々が憲法をないがしろにすれば、重大事態となるからで
ある。
また、この条項には、ワイマール憲法が崩壊し、ファシズム(ナチス・ドイツ)
が形成された歴史を振り返るまでもなく、これら権力の座にある者が憲法を軽視
あるいは無視して国民の基本的人権を抑圧した事実に対する歴史的反省が込め
られているのである。
41 :
名無しさんの主張:2008/04/27(日) 14:29:54 ID:/KJnSq6O
ドラマ「ごくせん」も、やたら仲間、友情を強調するドラマ
確かに大切な事だし、人間は一人では生きていけないので、協力し助け合って
生きていく必要があるが、みんなが仲良くなることは現実にはありえない
ことや、他人でも嫌いな人間でもうまくやっていく、そして関心をもてる
人間になることもドラマのなかで訴えてほしいと思う。
もちろん、あのドラマは、単純で熱い、わかりやすい、ちょっと古臭いのが
売りな所があるから難しいだろうが。
どの局でもいいので、集団主義教育、みんな仲良し教育の問題を扱う
ドラマを是非やってほしい。
42 :
名無しさんの主張:2008/05/01(木) 15:18:49 ID:YCjGvAku
「人は一人ひとり違う」ものです。「違いがあるからこそ存在理由がある」
自分自身の中にある違いが大切だ。その違いを伸ばすことが教育だと考えています。
しかし、日本ではこれは通用しません。「同じ」であることが求められ、
「他と同じであることで安心する」ように、全てが運用されてしまって
いるのです。一見、大人に反発しているように見えますが、大人以上に日本病に
冒されてしまっている姿が現代の若者の中に見えます。
日本では「他と同じでないと不安に感じる」「皆と同じ発想をしない人はおかしい人
だと思う」人が多い。
「発想」「感じ方」「歩き方」「声の出し方」は全て同じではありません。同じで
ないのをおかしいと感じる人も多い。
「どうも自分は他の人と違う考え方をする。感じ方をする」「他の人と同調した生き方を
しているとどうもストレスが溜まってしまうみたいだ」と考える人もいる。
「違うことが当たり前」なのか、「同じであることが当たり前」なのかです。どちらを
前提にして生活しているのかなのです。「違う人」が集まって生活をしているから、
難しいし面白いのです。
>>42 全く同感。
でも、その仕組みはなかなか直りません。時間がかかって今日まできたね。
総理が国民の皆様にお話があります・・・とならなあかんわ。
自殺者もへると思うがなあ。
どうも、そこには次のようなことが起きているからではないか?という人もいます。
最近の大人はあえて可聴音域を狭くして、聞き取れる範囲を絞り込んで、
その中で整合的なメッセージだけを聴き取ろうとする傾向が凄く強くなっている。
「要するに、こうなんですね」と言って「話を終わらせる」ことに異常に固執する。
会話の中の言葉の端数を切り捨てて、整合的だけど限定的に理解してしまう。
それが、より楽な理解を求めていく傾向となり、いつしか「同じ」と処理してしまうこと。
切り捨てた端数の部分が実は「違う」と感じるものそのものだったのでは?と。
45 :
オナニー革命:2008/05/02(金) 14:16:16 ID:4ZryB6Ib
みんなで仲良くオナニーしよう!!
46 :
名無しさんの主張:2008/05/02(金) 15:26:33 ID:vTiW4Rz7
個性を認め合う集団としてのあだ名なのかな
寺山ぼんには悪口を言うことが相手を認めることだからと
悪辣なあだ名を付けたと書いてある
武田鉄矢さんがミドルネームをつけようと呼びかけていた
捨て置かれし子にも名前に込められた親の思いは生きる指針になるらしい
悪人の名を持つ自分を親の気持ちで見つめてみるってどうよ
47 :
名無しさんの主張:2008/05/06(火) 14:08:17 ID:58vvxbQP
子供の頃は、「みんな仲良し」と言われてもそれに違和感もなかったし、むしろ
そうすべきと思ってた気がする、ただ現実にはその時のクラスによるが
比較的みんな仲が良く、いじめがなかったクラスでも全員が同じように仲が良い
わけではないし、喧嘩や影では悪口を言ったりとしてた。もちろんいじめが
あったり、みんながバラバラなクラスの時もあった。
今の子供はどうなのかは知らないが多分似たようなものなんだろう。
大人になると「みんな仲良し」なんて言葉は偽善的で気持ちが悪いが、ただ
小さい子供にみんな仲良くはなれない、所詮人間は全員が分かり合えないと
はっきり言うのも、どうかという気もする。
48 :
名無しさんの主張:2008/05/15(木) 19:05:09 ID:NVOEE6gj
いじめをなくすのは難しい。それは、「近頃の子ども」の問題ではなく、
日本社会にある同調圧力の強さが大本にあるから。いじめをなくすには、
大人を含む「社会」そのものが変化しなければならない。それは、簡単に
いうと「違いを認める」ということ。
「あなたとは価値観が合わない、はっきり言ってあなたのことは嫌いだ。
だが、私はあなたが存在していることは認める」
49 :
名無しさんの主張:2008/05/15(木) 20:57:52 ID:aNrSW/pi
教育は個人の為にあるのでは無く国の為にある。
集団からはぐれる事を恐れ、歯車になる事を求める人間を作る為のものだ。
イジメはとても大切な役割をしている。
逆らったり自己主張を抑えるのだ。
だから政府のイジメの対策は一見的外れな物が多く感じる。
加害者を教育するより、やり過ぎを押さえるか被害者を慰め集団に適応させるという事に重点を置いている。
今の悪政に国民は陰口はたたいても行動は起こさない。
よく出来た教育方針である。
夏目漱石の「坊ちゃん」読めよ。 生意気なくらいがちょうどいい ワルは論外だけどな
51 :
畠山育人:2008/05/15(木) 21:31:04 ID:???
53 :
名無しさんの主張:2008/05/17(土) 23:05:17 ID:sayj6gKL
人間が2人以上いれば自ずと上下関係ができる。
これが3人4人と増えれば最下位の人間がいじめられる。
集団の中で最下位にならない様に頑張らなければならない。
かっこいいといじめられる
55 :
名無しさんの主張:2008/05/22(木) 21:12:26 ID:ppm7ufyQ
>>53 力の論理もわかるけど
正義などない、と開き直りすぎだろそりゃ
正義というのは、「作る」もので、「ある」ものではない。
57 :
名無しさんの主張:2008/05/25(日) 16:43:38 ID:hcLERNvw
この前女子高生が集団で駅の前の地面にけつをつけて、あぐらで座ってた。
あれがまさに「仲間以外はみな風景」なんだろうな、仲間の中での人間関係
には敏感で仲間にどう思われてるかは気をつかうが、自分たちとは関係ない
他人にはどう思われようが関係ない。
昔のガングロとかも同じで他人は関係ないが、もし仲間に一緒にやる人が
いなければ絶対やらないのだろう。
ヤクザの世界観だよな。
59 :
名無しさんの主張:2008/06/01(日) 14:58:13 ID:ptqkKxNj
日本では不良でも犯罪者でも、暴走族や暴力団など集団主義なのが多い
企業でもそうだが、集団で利己主義で思考停止、何も言えない空気に
なるほうが怖い
競争なければ成長なし。
成長しない者は、死んでいるのだ
これが お前らの言う幸福というやつか
武士道精神で克己心を養わせなければいかん。
逆に言えば、生きているということは成長しているということだ。
教育は花に水をやることだ。
甘やかして何になる。 戦後日本の手本wである欧米でも同様だ。
伝統日本の強さを取り戻すぞ
?
64 :
名無しさんの主張:2008/06/08(日) 14:44:18 ID:W6NHOIQg
敗戦後、日本国憲法・教育基本法が公布され、それまでの国家主義、集団主義的な
考え方から人間の個としての尊厳を大切にする考え方が制度上は保障されるように
なりました。しかし、わたしたちの社会では国家や社会の価値を個人の尊厳や権利
よりも優先させる考え方がいまだ支配的です。
それどころか暴力的な手段をもって個人や弱者、少数者の尊厳や権利を蹂躙すること
がまかり通っているともいえるような状況もあります。
学校ももちろん例外ではありません。国家主義、集団主義の宣伝、実践の場として機能
してきたし、現在も子供や若者たちがそのような考え方を持つことを助長していると
言われてもしかたないようなことが行われています。
子供や若者たちを無意識のうちに差別構造、抑圧構造を保守する側に組み入れていくため
の場のような働きをしています。ここから抜け出さない限り学校教育が陥っている危機的
状況は解消しないでしょう。日常生活の細部に顔を出し、具体的な行為になって現れる
個より集団を優先させる感覚、異質な他者を排除しようとする感覚、そのためには暴力的
な手段や方法も許されるとする考え方に学校教育に関わる者たちが意識的になることから
学校教育の改革は可能になると思います。学校教育の中核は授業です。毎日当たり前の
ように学校で行われている授業とは、いったいどのような場としてあるべきなのかと
いうことを、つまり授業観というものを捉えなおすところから私たちは出発しなければ
ならないと思います。日本に学校制度が誕生して百年以上が経過しました。その間、
学校教育の目的は常に子供や若者たちの外側に置かれて来ました。一個の人間の成長を
手助けするために学校教育があるのではなく、一個人間の外側にある国家の価値に
もとづいて学校教育は展開されてきました。国家に有用な人材の育成の場として
学校教育・授業はその役割を担ってきました。しかし、崩壊がはじまっています。
子供や若者たちの生きる意欲を阻害しているのです
教育ってもちろん親が子供にすることも含まれてるよな?
67 :
名無しさんの主張:2008/06/14(土) 15:54:06 ID:Gol9zEOP
秋葉原通り魔事件で人が亡くなってるのに、笑ってる人達
テレビに映って喜んでる人、携帯で撮影してる人
これも「みんな仲良し教育の欠陥」「仲間以外はみな風景」なのか?
68 :
名無しさんの主張:2008/06/14(土) 19:42:19 ID:6eKbfaMy
69 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2008/06/14(土) 21:34:39 ID:KlkWezla
僕はこの人の意見に今日は大賛成。
ソース
http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/326325/-/parent_contribution_id/326100/ 以下引用
--------------------------------------------------------------------------------
日本では、会社に入ったら終身雇用(といっても嘘ですが)という奴隷制度に入ってしまいます。
終身雇用で釣って、サービス残業をするのが常識です。
それでは、自由に働こうとすると、労働市場が未整備なために、単純労働者として劣悪な労働条件で働かされます。
日本という国は、国民の幸せのことなんか、考えない国です。
長期の海外旅行をするだけで、人生を賭けなければなりません。
こういう社会は、やはり間違ってるんですよ。
それなのに、日本では、
「みんな苦しいんだから、我慢しろ」と言うだけです。
日本人は、
「みんなで住みやすい社会を作ろう」などとは考えません(涙)。
秋葉原無差別殺傷事件の犯人は、
そういう日本社会の犠牲者だと思いますよ。
みどりのくつした
--------------------------------------------------------------------------------
71 :
名無しさんの主張:2008/06/19(木) 05:04:13 ID:Co1N9fHc
>>1 >日本の集団主義、同調体質、空気読め体質
につながるのは
みんな仲良し教育もそうだが、その逆の権威主義的教育もそうだよ。
この二つの教育方法は極端で両方やめた方が良い。
日本の教育って小学校までだよね。 いいのは。
中学はなんか糞。 規則だらけで軍服着て窮屈だったな。
高校は自由でよかったよ
大学は学生か糞が行く場所って感じだったな。
学校による
田舎の公立進学高から東京の大学に出るとそんな考えになりがち
田舎の公立はまったりしすぎていて、地頭の良さに対して進学実績が悪いから
75 :
名無しさんの主張:2008/06/25(水) 08:59:30 ID:+VDl4cgg
ほ
76 :
名無しさんの主張:2008/06/27(金) 20:25:45 ID:1SuTM9uM
ほ
ほ
78 :
名無しさんの主張:2008/06/27(金) 20:48:07 ID:fOY2cCbI
みんなかよし手をつないで、運動会でも一度にゴールイン
というのは、どうやら誰かが垂れ流した都市伝説なのだろうな。
いくら調べても、そんなところはどこにも存在しない。
どうやら、
ある種の【平等】というものに対して攻撃を行ないたい
【平等】→【悪平等】という図式を工作員は作りたいと
そういうことなのだろうな
79 :
名無しさんの主張:2008/06/27(金) 21:41:06 ID:1SuTM9uM
都市伝説じゃなくて以前何処かで行われていたんじゃないの?
80 :
金神弁天:2008/06/27(金) 21:53:19 ID:Be+cLSof
男女7歳にして席を同じくせず
81 :
名無しさんの主張:2008/06/29(日) 15:58:08 ID:xbEqfS6q
>78手をつないで、運動会でも一度にゴールイン
実際にそうだったという人は確かに聞いたことがない
もっと下の世代なのかな、今の10代とか
そうだろうね
一部の地域での話しだろうけど
83 :
名無しさんの主張:2008/06/29(日) 17:49:48 ID:tEeDMXQV
>>82 だから友達の知り合いが、という都市伝説なのだろ
84 :
名無しさんの主張:2008/06/29(日) 18:13:30 ID:ZvJPsb++
ネット上に実際に見たという人の書き込みはあるが、
メディアが詳しく調べないととは思う。
85 :
名無しさんの主張:2008/06/29(日) 18:27:30 ID:tEeDMXQV
>>84 続いては、口裂け女の情報です
by 嘘つきメディア
86 :
名無しさんの主張:2008/07/13(日) 16:02:29 ID:KrbxmqEK
みんななかよし
♪口笛吹いて空き地へ行った
知らない子がやって来て
遊ばないかと笑って言った
一人ぼっちはつまらない
誰とでも仲間になって仲良しになろう
口笛吹いて空き地へ行った
知らない子はもういない
みんな仲間だ仲良しなんだ
この歌を知ってる人は多分30代以上だと思うが、昭和37(1962)年から
昭和60(1987)年3月までNHK教育で放送されていた、小学校3・4年
向け道徳番組「みんななかよし」の主題歌です。
懐かしくて個人的には好きだが、今ではこういった「みんななかよし」はかえって
集団主義やいじめを助長すると一部だが言われるようになってきた。
87 :
名無しさんの主張:2008/07/13(日) 16:22:34 ID:8XSKuVW+
軍国主義復活反対などと主張する「平和団体」が台湾への中共による軍事恫喝には何も言わず、
核廃絶を主張する「反核団体」が北朝鮮の核には沈黙し、他国ならば問題にならない国旗掲揚と
国家斉唱には人権をたてに反対する「人権団体」が中共によるチベット侵略、北朝鮮の強制収容
所と日本人拉致という人権問題には何らの興味も示さない。
案の定、今回のチベットでの中共による圧倒的人権弾圧についても、日本の「人権団体」は沈黙
を守りとおしている。 天安門事件の際の沈黙と共通している。
天安門事件の後、サヨクは「南京大虐殺」の宣伝を強化したが、今回もチベットでの「今起って
いる人権侵害」よりも、捏造された「半世紀以上も昔の日本の事件」を重要視した言論戦を仕掛
けてくるだろう。まるで「今起っているダルフールでの女性虐待」よりも、捏造した「何十年も
前の「「従軍」慰安婦」問題」が最重要問題であるかの如く騒いだ様に・・・
この様な異常事態が起こるのは、これら自称「平和団体」「反核団体」「人権団体」が、実は、
平和/反核/人権を真剣に考える団体ではなく、社会主義・共産主義化への手段として平和や
反核や人権という「誰も反対できない重要項目」を、ただ単に利用して、日本を攻撃することを
目的にしている媚中反日のサヨク団体だからである。
88 :
名無しさんの主張:2008/07/13(日) 18:06:34 ID:00uhgSla
いじめ・虐待そして犯罪の深層 失われていく共感性 町沢静夫 丸善
第一章 共感性とは
第二章 犯罪者ないしサイコパスの人々
第三章 思春期・青年期と共感性
第四章 昨今の社会的事件と共感性
第五章 青少年のゲーム、ネット、メール
第六章 共感なき社会
第七章 共感性がサルトルを救った
第八章 共感性なき独裁者達
第九章 おわりに
89 :
名無しさんの主張:2008/07/31(木) 14:53:04 ID:NgEQBe+6
職場集団や人間像の変化が兆しはじめたのは、80年代である。この頃に、日本はいわゆる
「豊かな社会」となり、欧米へのキャッチアップという戦後の目標をまがりなりにも達成
した。コンビニにみられるような消費中心の経済活動は生活の「個人化」をおしすすめ、
旧来の地域共同体の絆も弱まってくる。人間関係の希薄化によって、思いやりや気配りに
敏感でない人々が増えはじめた。
だが、この「他者への配慮」は日本社会全体では弱まったようにみえるが、閉鎖的な
身内集団内部では逆に以前よりも強まっている。派閥や小グループの内側では、互いに
相手に気を遣わないといつ排除されるかもしれない。他人を大事に思い大切に扱うと
いう意味での思いやりよりも、自己の利益と保身のために汲々とした「世間」感覚を
甘んじて受け入れているのである。
企業や職場にとどまらず現代日本社会をめぐる問題には、二つの方向性が混在しつつ
見え隠れしている。ひとつは、アメリカン・スタンダードに基づくグローバリゼーション
と新自由主義的な方向であり、もうひとつは、伝統的な日本のもつ世間感覚である。
政策的には前者の方向での制度化や改革を進めようとしているのが大勢であるが、ホンネ
の部分での「世間」はそうかんたんには克服できないようである。
多くの人たちが、競争的な社会環境のもとで、小集団の世間感覚にのっとって自己の保身
をはかろうとしている。
90 :
名無しさんの主張:2008/08/07(木) 10:52:18 ID:feyjEoWf
人が集まれば派閥も出来るし
仲良しグループも出来るし、お互いに仲が悪い人間とかも出来る
けど、これが普通だよね?
一般的には普通かもね
でも優秀なグループの人たちほど、そういうせこいことはしない。
92 :
名無しさんの主張:2008/08/12(火) 21:17:06 ID:sNWLtFif
仲良し教育は占領軍による教育なのかな?
93 :
名無しさんの主張:2008/08/23(土) 16:32:01 ID:aKyZK3rq
>>90 普通だけど、自分たちと合わない、空気が読めない、気に入らない人でも
うまくやっていく、いじめない、排除しないこと、関心を持つことが大事。
もちろん簡単ではないが特に日本の社会では。
日本の仲間や協調性を重視しすぎる教育、文化は、その仲間以外の他人への関心が
低くなりやすいということらしい。
>>92 どちらかと言えば、大正時代の自由主義教育の復活。
96 :
名無しさんの主張:2008/08/25(月) 16:34:47 ID:MFOyzgPf
俺は団塊ジュニアだが
厨房時代は丸刈り強制が当たり前だったが、
丸刈りで精神的、人間的に良くなるかと言えば
そうでもないし、この時代には
虐めも普通にあって、あまり良くない時代だよ。
97 :
名無しさんの主張:2008/08/25(月) 18:53:25 ID:8+TFWBfo
みんな仲良し教育もそうだが
社会が複雑化した近年になって
日本的な思想や人生観の限界がはっきりと現れてきたんじゃないか?
98 :
名無しさんの主張:2008/08/25(月) 19:09:51 ID:gv9nwnS7
義務教育というものは、義務ではなく、権利
よって、それらの教育を受ける権利は平等かつ公平に
与えられるべきものでなくてはならない
99 :
名無しさんの主張:2008/08/25(月) 19:21:21 ID:pgSyode7
>>92 >仲良し教育は占領軍による教育なのかな?
それは違う占領軍による教育ではない。占領時代小学生だったので解る。
100 :
名無しさんの主張:2008/08/26(火) 08:28:21 ID:nNu8TZFp
戦後の日本の中で
アメリカによって日本が変えられるのを見て
在日は時間をかければこの国を操れると考えた
まず総連を作った
同時に人権・平和運動を起こして人権・平和について過剰な反応を示すように根回しをしていった
また同時に一部の同胞を帰化させ教育現場等各組織に送り込んだ
それらの意識が根付く頃、賠償等を声高に叫び、効果的に特権を所得し、力を得始めた
同時に種が実を結ぶように各組織に送られた同胞はある程度の地位まで上り
その力を使ってさらに多くの同朋を更に多くの組織に送り込んだ
特に教育組織に送り込んだ効果は絶大であった
人格・思想形成段階における刷込みは日本人から危機感を麻痺させ、
我らの考えに同調しやすい人間を簡単に10年単位の年齢層まるごと作り出す事が出来る
しかも彼らは近い未来、日本の将来を担う者達なのだ
イ・ソンホン『巷に雨の降る如く』より
101 :
名無しさんの主張:2008/08/26(火) 22:44:52 ID:ua9d/pFI
日本人=女性的
102 :
名無しさんの主張:2008/08/27(水) 03:30:11 ID:QcGuxGWW
丸刈り強制は何の意味があったんだ?
軍隊の模倣
学生服のデザインや
運動会の入場行進とかも。
ところで体育の「気を付け!」なんて
「Attention!」のそのまま訳だけど
日本語にすると訳分からんよね
104 :
名無しさんの主張:2008/08/27(水) 04:49:42 ID:QcGuxGWW
>>103 そんなのは日教組が反対してこなかったな。
やはり日教組はクズ組織だ。
106 :
名無しさんの主張:2008/08/27(水) 15:40:14 ID:oRu6TSD7
>>105 それは違うのでは?
たとえば坊主の場合は
少ない水で頭が清潔に・・・
だと思ったけど違うのかな?
107 :
82歳:2008/08/27(水) 18:09:20 ID:???
馴れ合いではなく、切磋琢磨すべきですねえ
>>106 皆坊主にすれば画一が成り立つ。
でも短髪でなければならないとすれば何処までが短髪か画一できないし
髪質によっては多く見えたりするから。
だと思われます。
全体主義を正当化するための言い訳でしょうね
110 :
名無しさんの主張:2008/08/29(金) 14:10:35 ID:qQrRfJ0J
空気読めってのも全体主義的
112 :
名無しさんの主張:2008/09/05(金) 16:03:18 ID:32GYfzjk
113 :
名無しさんの主張:2008/09/05(金) 16:57:33 ID:sCTKJdvK
左利きの人を排除したり、避難するのも
仲良し教育の欠陥だよね?
114 :
名無しさんの主張:2008/09/05(金) 18:52:08 ID:qxcylGAE
母性社会っていうの、そういうの
115 :
名無しさんの主張:2008/09/05(金) 19:11:27 ID:fNhCKODq
みんな仲良し教育だから小学校では向学心あっても幼稚園みたいな教育なのか、昔からずっと。
子供を子供扱いして楽しみたい大人が多すぎるのか。
6年かけて習う事が、足し算引き算掛け算割り算だけ、
子供の頃バカにしてるのか?と思った記憶がある。
116 :
死にすぎ:2008/09/06(土) 02:14:26 ID:zxCkawCb
いまだに飛び級制度がないもんな
さすがに遅れすぎてるよ
制服とかクラスとか廃止して、
それから女の子にはもっとおしゃれをさせろ
重要なことだぞこれ
117 :
名無しさんの主張:2008/09/06(土) 04:48:26 ID:m5ipzLWP
日本はドイツを見習ってドイツと同じような教育システムと理念にしろよ。日本人には合うはずだ。もういい加減、養鶏場でブロイラー飼育するような、
教育の仕方や教室形態はやめたほうがいいんじゃね?
118 :
名無しさんの主張:2008/09/06(土) 10:21:48 ID:6tLKJuUe
>>117 そのドイツの教育とは詳しく教えてくれ
それと外国の真似は良くないな。
119 :
名無しさんの主張:2008/09/06(土) 20:15:55 ID:HzTEGEAJ
かわいそうにな
最低限度の教育を受ける権利があるという
義務教育という保障を、義務と転換したいのかな
それら権利を有効活用すればいいのに
でも、勉強嫌いなんだよね
120 :
名無しさんの主張:2008/09/07(日) 03:18:17 ID:X1X46PYl
121 :
名無しさんの主張:2008/09/07(日) 03:47:40 ID:oscpEO+4
凄い分かるよ。
外国ではホームステイを取る家庭が多いよね。
遠い国の人間に対する寛容さと思いやり、日本人にはこれがない。
「何で見ず知らずの外人を家に泊めなきゃならねぇんだ!」
日本人はこんな感じだもん。
122 :
名無しさんの主張:2008/09/07(日) 04:27:13 ID:oscpEO+4
>>112 あの クラスを廃止してどうするのですか?
自分馬鹿なので教えてください。
社員旅行がうざい。
ハッキリと不参加の意思表示をすると白い目で見られるので一応参加する奴が多い。
会社の連中と旅行してもうんざりするだけ、リフレッシュどころか気疲れする。
124 :
名無しさんの主張:2008/09/08(月) 07:50:31 ID:y8Ij6kBE
堕落してるな。
Vサインなのかピースサインなのかわからんが、みんなと同じポーズしなきゃ
耐えられないんだろうな。個性のなさは北朝鮮並み。みんなでやれば恥ずかしいという
感情も失せるか。日本の女は世界一幼稚だろう。幼稚園の教育風景見れば
超絶幼稚になるのも納得するぞ。先生が園児と同レベルになって同じように幼稚な言葉
と行動をしてるんだから。幼稚教育+「皆と仲良く一緒」「輪になって」「協調性」の無個性化教育で
最低最悪の人材を送り出してる。
125 :
名無しさんの主張:2008/09/08(月) 07:54:57 ID:y8Ij6kBE
126 :
名無しさんの主張:2008/09/12(金) 16:10:55 ID:oAV/evt6
スマップの世界に一つだけの花を聴いて、個性が大切とか、人はみな違うとか
その頃共感してた奴が今では、空気読め、KY、自分が気に入らない奴にはウザイ
とか言ってるんだろうな
127 :
名無しさんの主張:2008/09/14(日) 16:44:06 ID:uiQG7SjZ
教育について
■ 宮台真司は、学校選択ができるインフラを作ることを提案し、選択に
値する学校のポイントを6つ列挙している。
(1) 初期段階では反復練習や朗読記憶のような営みを大事にし、成長にしたがって徐々
に試行錯誤チャンスを増やしている。
(2) 個人カリキュラムや授業選択制など多様な選択肢を用意している。
(3) 安易に成功を望まず、むしろ失敗を奨励し、試行錯誤を促進している。
(4) 無条件の包括的全体的な「承認」が幼少期に与えられる必要性を提唱している。
(5) ゲストティーチャー制度や体験学習制度を通じて、親や教員以外の大人たちと
接触する機会を増やし、「そういうふうにしても生きられるのか」と学べる「モデル学習」
が用意されている。(試行錯誤コスト削減策でもある)
(6) 学びの動機づけは、「わかる喜び」(条理に納得する)と「憧れる」(不条理に感染する)
の両方を巧みに活用されることで生み出だされている。
少なくとも、高校は大学のように単位制で自由でいいと思う
教育によって個人主義な人間が増えれば日本も変わるのでは。
個人主義は、個人の人格の独自性と自律性を重んじる立場であり、各個人の持つ
独特な道徳観、倫理、政治的、社会的立場、目標と要求、場の雰囲気に流される
ことのない、一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を
高く評価する。利己主義とは他者の自由と人格を尊重する点において区別される。
128 :
名無しさんの主張:2008/09/14(日) 16:49:11 ID:OqZ25HU6
今の給食制度もイジメを助長しているよね?
「集団と同じ飯を食べる」というのは
没個性だと思うよ。
129 :
名無しさんの主張:2008/09/14(日) 16:51:06 ID:OqZ25HU6
丸刈り強制というのは
今でもどんな意味があったのか分からないな。
日本は「曖昧」の教育をしてこなかったのは
日本の不幸だね、
130 :
名無しさんの主張:2008/09/14(日) 19:39:34 ID:UP9Wwaji
日本人は女だって。
近視眼的で目の前の些事にしか関心がなく、ブランドに固執する。
徒党を組んで、仲良しごっこ。筋道を立てた話し合いができず、ただ好き嫌いで
物事を決める。流行に振り回される。白人に好かれようと尻尾を振る。
同調しない人間をはぶく。分析・思考力よりどうでもいい丸暗記が得意。
まさに女そのもの。
131 :
名無しさんの主張:2008/09/19(金) 14:30:40 ID:Qh20evPG
「人は一人ひとり違う」ものです。「違いがあるからこそ存在理由がある」
自分自身の中にある違いが大切だ。その違いを伸ばすことが教育だと考えています。
しかし、日本ではこれは通用しません。「同じ」であることが求められ、
「他と同じであることで安心する」ように、全てが運用されてしまって
いるのです。一見、大人に反発しているように見えますが、大人以上に日本病に
冒されてしまっている姿が現代の若者の中に見えます。
以前は日本は個人主義化すると、思われてたけど、今の若い世代が
逆に集団主義を強めてるといわれてるが、なぜ?
考えられるのは教育か、それとも親や祖父母の過保護、外で子供だけで遊ぶことが
だんだん少なくなってるのも影響してるのかもしれない。
つまり幼い頃に小さな喧嘩や泣かされたり、泣かせたりという経験が少なく
人との対立や孤立を恐れやすくなってるのでは。
132 :
名無しさんの主張:2008/09/19(金) 21:14:45 ID:03SNfNUC
>>123 いまどき、社員旅行なんか、やっている会社があること自体が驚きだ
具体的に、何という会社?
また、例によって、都市伝説?
133 :
名無しさんの主張:2008/09/27(土) 16:23:03 ID:mEhXaL1S
自衛官の自殺率は民間の2倍以上
http://homepage2.nifty.com/zunou/zisa/03.html 抜粋
自衛隊は、いじめの巣窟
上官、先輩隊員には絶対服従。自衛隊の飯を食った年数が長い奴が偉い。下の者は
奴隷と同じという世界。
しかも、先輩隊員と同じ部屋で集団生活・寝泊りします。
訓練が終わっても気が休まる暇は無く、外出でもしない限り、駐屯地の中で規律に
縛られた生活を余儀なくされます。
もし同じ部隊の先輩・上官の機嫌を損ねたりしたら……
指導という名の制裁を受けます。
言葉の暴力は当たり前、パシリ当然、殴られたり、蹴られたりもたまにある。
ひどい場合になると、金品を要求されて奪われることもあります(実話)。
飲めない酒の強要や、かつては好きでもない博打の強要などもあったそうです。
私も酒は苦手だったのですが、先輩から無理やり飲まされて、おかげで大の宴会嫌いになりました。
3人部屋以上の居室での集団生活は、ただでさえストレスが溜まります。
その環境にうまく適応できない人間、空気の読めない人間、要領が悪く他人の足を
ひっぱる人間は、とことん嫌われ、居場所を奪われます。
そんな自衛隊では自殺は珍しいことではありません。
閉鎖的でストレスがたまる環境がいじめが起こりやすいようだ。
134 :
名無しさんの主張:2008/10/11(土) 15:42:51 ID:JmjOL3bQ
みんな仲良し教育は付和雷同になりやすそう
付和雷同は日本人の協調性の良さと言う一面を表わし、良い点もあるが、欧米人
からは最も軽蔑される性向である。日本人を一つの方向にまとめるのは簡単である
が、まとまっても一体となって動くとは限らない。欧米人をまとめるのは大変だが、
一旦まとまると大きな力を発揮する。どちらが良いか解らないが付和雷同組みは
所詮弱い団結だから頼りにならないものである。
付和雷同
意味:自分にしっかりした考えがなく、他人の意見や行動にすぐ同調すること。
135 :
名無しさんの主張:2008/10/11(土) 18:45:03 ID:dH957uLn
>>134 付和雷同により形成された
その集団は自然発生的にできたものである故
無責任体質へと堕落する
136 :
名無しさんの主張:2008/10/26(日) 16:46:25 ID:NXpYe5V5
全体主義の図式 日本のファシズムの特徴
1.家族主義
福沢諭吉「一身独立して、一国独立する」
しかし伊藤博文など大日本帝国憲法の制作者たちはヨーロッパのキリスト教
に代わって天皇制によって日本を一体化させようとした
よって【国家(天皇)→ 中間共同体 → 個人】が結びつく
天皇の赤子としての国民/その雛形としての中間共同体
・教育勅語のような道徳を重視する→中性国家ではない
・ヨーロッパ的な公領域/私領域という区別がない
2.農本主義
反中央集権的・田園賛美的
ファシズム運動が起こったもっとも大きな動機は昭和恐慌以降の農村の窮乏化
ナチスが労働者を重視したのとは対照的
・ 日本でのファシズム運動を担ったのはインテリ層(ヨーロッパ的教養を持つ人間)
ではなく亜インテリ層(土着の権力者)
→日本におけるインテリ層の大衆からの孤立
3.無責任の体系(無限責任=無責任)
「明治憲法において『殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない』大権中心主義や
皇室自立主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など
超憲法的存在の媒介によらないでは国会意思が一元化されないような体制が
つくられたことも、決断主体(責任の所属)を明確化することを避け、
『もちつもたれつ』の曖昧な行為関連(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が
冥々に作用している」
「『神輿』はしばしば単なるロボットであり、『無為にして化する』。『神輿』を
直接『擁』して実権を振るうのは文武の役人であり、彼らは『神輿』から下降する
正当性を権力の基礎として無力な人民を支配するが、他方無法者に対してはどこか
尻尾をつかまえられて引きまわされる」
・日本ファシズムの矮小性/指導者の指導意識の希薄
・ナチスやイタリアファシズムが大衆運動から出発した(下からのファシズム)
のに対して日本のファシズムは上からのファシズムである
137 :
名無しさんの主張:2008/10/26(日) 16:47:06 ID:NXpYe5V5
『無責任の体系』
「まず第一に、明治以降の近代国家の成立にさいして、日本は国家を技術的・中立的な
ものとすることに失敗し、国家が倫理的実体の体現者となってしまった。これは典型的
には天皇主権にほかならず、それを側面から支えたのは、例えば教育勅語のような
国家的教育、倫理の公式化であった。つまり国家は、政治権力と精神的権威の両方を独占
したわけである。 第二に、その結果、主権者はただの力の表象であるだけではなく
倫理的絶対性の表象ともなる。日本という国家は「大義」を背負った国家ということになる。
こうして、日本においては固有の意味での権力意識は成立せず、権力は絶えず倫理に
寄りかかり、支配はつねに外的な(国家が体現する)倫理によって正当化される。
そして第三に、こうしたことが個人においては、みずから責任をとろうとする態度を
育てることなく、天皇という価値の究極的実体に責任を転嫁することとなる。
個人を動かすものは合法性の意識ではなく、あくまでも『究極的実体』への距離の
近さということになる。この『天皇への距離』が、軍人や官僚に権力を与えるのだが
しかし、この権力は個人の資質や合法性に裏付けられたものではないので、本質的に
より上の権威に寄り掛かった無責任なものにすぎない。こうして、誰もが責任を
とらない、いわゆる『無責任の体系』が成立する」
138 :
名無しさんの主張:2008/10/26(日) 17:16:26 ID:wYAekr8n
集団主義ってのはすごく人間の本能的なものなんだよね。
なぜなら、皆で固まって何かをする、というのは猿ですらしている。
むしろ自然の摂理と言えるわけで、日本人はこの原始的な欲求に忠実に生きているだけだと言える。
だから西洋人などに日本人は猿呼ばわりされるのかも。
教師による管理・独裁体制の下で『みんななかよし』を強要するのが問題です。
納得していないのに上辺だけ合わせるくせがつきます。
行事でもホームルームでも子供の自主性にまかせて
教師はサポートに徹するべきです。
日本人は頭ごなしに上から命令したり教え諭すのが好きな人が多い。
で異論や反論する余地は与えない。
140 :
名無しさんの主張:2008/10/26(日) 18:16:11 ID:at+ayhqw
>>138 つまり、カルト集団の公明党とか、北朝鮮みたいな代物ですね
141 :
名無しさんの主張:2008/11/23(日) 16:38:35 ID:2JCjoxbE
仲間以外はみな風景
今思い出すと昔、クラスでいつもひとりでいるのがいたけど
その子の事を考えたことは、その時はなかったと思う。
もしかしたら友達がほしくて寂しい思いをしてたかもしれない。
142 :
名無しさんの主張:2008/12/27(土) 15:17:14 ID:IqWTmaHt
現行「小選挙区比例代表並立制」は,欠陥制度 特に空気の支配、付和雷同の日本では
2005年9月の総選挙は,連立与党の地滑り的大勝利に終わりました.小泉劇場とか,いろいろ
原因は言われていますが,最大の原因は,「選挙制度」です.もし,昔の中選挙区制度のまま,
今回の総選挙を行っていたとしたら,ここまでの大勝利はなかったでしょうし,
「造反レッテル議員」を「刺客」によって仕留める事もできなかったでしょう.
「小選挙区中心型小選挙区比例代表並立制」という世にも奇妙な制度のおかげで,連立与党は,
得票を大幅に上回る議席を獲得し,なおかつ刺客等の話題議員を苦労なく国会へ送り込めたのです.
獲得議席数だけの問題ではありませありません.現行制度下での数回の選挙を経て,政党自体が
変わって来てしまいました.二大政党を意図的に作り上げ,政策論争を活発にするために導入された
現在の選挙制度ですが,小選挙区中心の制度に対応するため「与党と野党の政策にほとんど差が
なくなり,政策論争が無意味になってきた」という逆説的な状態に陥っています.
どちらの政党も主張はほぼ同じであれば,国民は,見た目や,パフォーマンスなど,他の事で投票
するしかありません.カリスマ的なアジテーターが出現して,ナショナリズムに火を付ければ,
即独裁者の出来上がり,という危険性を現在の小選挙区中心の選挙制度は持っています.
小選挙区はその時に争点になってる事や空気だけでどちらかが圧勝することがある。
本来は解散しないとして次の4年間をまかす政党や議員を決めるものなのに。
自民党を潰すには役立つかもしれんが、将来的には変えたほうがいい。
143 :
名無しさんの主張:2009/01/16(金) 22:32:47 ID:gTTi9guW
なぜ子ども同士のコミュニケーションを重視したがるのか。
公道を未熟人間がバンバン走っているのと同じだけど。
重視しすぎた結果、さまざまないじめなどの教育問題が生じる。
逆に子ども同士のコミュニケーションは自粛すべきだろう。
ということは学校内は原則生徒同士の私語は禁止してもいいような・・・
>>1 >仲間以外はみな風景。そう言ったのは社会学者の宮台真司である。
じゃあ俺はこう言おう。自分以外はみな風景。
それが2ちゃんねるに代表される匿名インターネット環境のもたらす世界観である。
みんな仲良しになる必要すらない究極の平等性。
いや平等という概念すらそこにはない。
もしかしたら誰も居ないのかもしれない。
145 :
赤信号、みんなで渡れば恐くない:2009/01/25(日) 15:48:27 ID:ae7uMFLo
赤信号は、本当に皆で渡れば恐くないか?
一人で渡ればこその自己責任だ
http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/intelvt/intelvt_007.htm ビートたけしという人は、別に嫌いではないが、「ちょっと違うな」 という印象を
持っている。ツービート時代の 「赤信号、みんなで渡れば恐くない」 という有名な
ギャグや 「たけし軍団」 とやらが物語っているように、この人って、徒党を組むの
が好きなのではないかと思うのである。
世の中には 「一人でメシを食える人」 と 「一人でメシの食えない人」 がいる。
私は一人でメシの食えない人は、はっきり言って苦手である。そういう人の食事に
つき合わされるのは、たとえ 「オゴリ」 であっても苦痛以外の何ものでもない。
赤信号は、一人で渡るから恐くないのである。皆で渡っているときに前方不注意の
トラックが突っ込んできたらどうなるか、想像するといい。
私は朝に車で出勤するのだが、小学生の集団登校の群れにはいつもヒヤヒヤさせられる。
学校としては、子供たちの安全のために集団登校を指導しているのだろうが、とんでも
ない、完全に逆効果である。
多くの子供というものは、集団になると特殊な心理状態になる。妙に 「ハイ」 になる
のである。どうしても 「ふざけっこ」 がしたくなる。
キャアキャア言いながら、押したり突き飛ばしたり、蹴りを入れたくなったり、とにかく、
普通に歩くことができなくなるのである。周りが全然見えなくなる。
車ですれ違うものとしては、危なくてしょうがない。ふざけ半分に突き飛ばされた少年が、
いつ車道に飛び出してくるかしれないのである。
146 :
赤信号、みんなで渡れば恐くない:2009/01/25(日) 15:50:59 ID:ae7uMFLo
私が子供の頃は、集団登校なんてものはなかった。気の会う子供、せいぜい 2〜3人が
誘い合う程度だった。これなら、集団心理に埋没することもなく、周囲に目を配ること
ができる。危ない時には身をかわすことだってできる。これが 10人以上の集団となったら、
身をかわすスペースすらない。こんな時にスピードを出しすぎてカーブを曲がりきれなく
なった車が突っ込んできたらどうなるか。時々ニュースになるように、皆殺しである。
こんな危ない集団登校にいつまでもこだわるのは、学校側の責任逃れである。
何か事件があった時に、「当校としては常に集団登校を指導していたのですが …… 」
と言い訳するための道具に過ぎない。こんなことが言い訳になり得るのは、「その指導
こそが間違いなのだ」 という突っ込みを入れる人がいないからである。
今の日本の状態は、小学生の集団登校と変わるところがない。周囲に目を配ることもなく、
集団の中で押し合いへし合いしながら、キャアキャア言っているだけに過ぎない。
誰がそれを否定できるだろうか。
日本経済における 「護送船団方式」 の弊害が叫ばれて久しい。これがいつまでも改まらない
のは、日本人が心の根っこの部分で「赤信号をみんなで渡れば恐くない」 と錯覚し、その恐さ
に気付いていないからである。
自己責任の名において赤信号を一人で渡ることのできる日本人というのが、少数派だからである。
思えば、我々は子供の頃から自分で判断せずに、周囲に従うことのみ教えられてきたのである。
自分で責任をとらずに、誰かのせいにする方がうまく世渡りできるという経験ばかり積まされて
きたのである。それは、半ば日本人の遺伝子的なものとなりつつある。
そろそろここらで、この悪しき遺伝子を抹消しなければならない。
自分の言葉でものを言えない唾棄すべき者
それはコピペ野郎
148 :
名無しさんの主張:2009/01/25(日) 17:30:55 ID:wJk0PatB
>>147 唾棄すべき者、という言葉はどこからかっぱらってきたのかにゃ
149 :
名無しさんの主張:2009/02/08(日) 16:40:01 ID:nahO9ABZ
150 :
名無しさんの主張 :2009/02/08(日) 18:14:43 ID:VVAxmFih
北朝鮮にみられるようなマスゲーム
またこれは、カルト集団にも見られる
ある種の洗脳状態
それらみて、気持ちがよいと感じる人は、ある種のファシストなのかな
151 :
名無しさんの主張:2009/02/09(月) 13:21:48 ID:lQCWMcg5
>>115 18歳成人に反対が7割近くの結果を見ると
明らかに子ども扱いしていることが分かる。
だから法律や条例で「18歳未満なんちゃら」がすぐできあがる。
17歳と18歳とでは、セックスに関する世間の目もだいぶ違う。
152 :
名無しさんの主張:2009/02/09(月) 13:49:56 ID:VK1c16St
日本も北朝鮮みたいなもんだよ。ただ北朝鮮ほどあからさまじゃないけどね。
153 :
名無しさんの主張:2009/02/10(火) 03:20:28 ID:9m9pdwa9
なんだか北朝鮮みたいだね。最初の方読んで思ったけど。
154 :
名無しさんの主張:2009/02/25(水) 18:42:18 ID:cEwtY1ce
北朝鮮はスターリンのソ連やヒトラーのナチスドイツと共に
大日本帝国の絶対天皇制、軍国主義も手本にしたと聞いたことがある
ガキのころ、行進の練習とかが一番嫌だった。
156 :
名無しさんの主張:2009/02/26(木) 17:57:03 ID:exO0hDxS
試験の成績とか100mが何秒で走れるとかいうことと
その子の人としての存在価値は別の次元のことでしょ。
157 :
名無しさんの主張:2009/02/27(金) 21:23:46 ID:LsDeqGWN
みんな仲良し教育の欠陥
運動会で、お手手つないで、みんな一番
色々と、この都市伝説のネタを徹底的に検索したのですが
一つ浮かび上がったのは
さだまさし、という芸能人が、このような事を語っていた
ということが判明致しました
これは、彼の幼児体験としての事実だっのだろうか、はてさて
それとも捏造?
以上、調査報告終わり
韓国や北朝鮮を忌み嫌っているネトウヨ(というかねらー)こそ
実は「ネトウヨ」というカルト宗教、「嫌韓、嫌中」といった洗脳を行っているという滑稽さ
これはネトウヨに限らず、種アンチなどのキチガイオタクにも共通する。
彼等の異常な攻撃性、精神はまさに危険なカルト宗教の類のそれであり、
社会の堕落・崩壊を招く危険要素であることは間違いない
160 :
名無しさんの主張:2009/03/01(日) 21:39:27 ID:d7j420Oy
234
161 :
名無しさんの主張:2009/03/25(水) 18:19:02 ID:6fdadD+m
この社会は孤独であることをちっとも認めない。かわりに友達をもつこと、
人と仲良くすること、みんなといっしょにいることばかり奨められ、ときには
無言の強制圧力を感じる。
人から嫌われたり、仲間外れにされたり、ひとりぽつんといることにとてつも
ない恐怖を感じる世の中である。
仲間集団にいるとたえず同調や画一化の力がかかってくるから、いつわりの仮面
や人格を演じなければならないし、人と違うこともできないし、考えることすら
できないし、人の評価や基準に隷属して、奴隷のようにならざるをえない。
そんなしがらみから自由になりたいと思っても、孤独を恐れる社会だ。苦しさを
抱えながら、集団や仲間内に舞い戻るしかない。
孤独やひとりになれない社会、孤独を許さない、白眼視する社会なのである。
日本は集団やひとつの空間内でひとりになれない社会である。ほかの文化圏で
はひとつの空間内でもひとりになる余地があるところもあるみたいだが、日本は
空間で仕切られないと、安心したひとりになれない。日本のひきこもりはそんな
ところに関係があるのだろう。
162 :
名無しさんの主張:2009/03/25(水) 18:22:02 ID:6fdadD+m
なぜ日本はこんなに孤独を許さない社会、自分になれない社会になったのだろう。
たえず職場や学校の友達、家族、恋人とつるみ、群れなければならない社会に
なったのだろう。群れることは大人の証しというよりか、よほど子どもや弱い人間
のすることに思えるのだが、この社会ではなぜか孤立のほうがもっと悪いことに
思われている。
単純に企業社会の要請だったのだろう。工場や会社で仲間とうまくやり、仕事を
遂行するための能力、それがわれわれの孤独恐怖社会をつくったのだろう。
工業社会の代替可能な規格品になるためには集団内においても、だれとでもうまく
接合し、結合する能力が必要になる。学校という空間も、集団で同調する技術を
長年にわたってしこませる訓練機構である。こうして市場経済の要請からわれわれ
は群れることや同調の技術を過剰にたたきこまれてきたのだろう。
しかし戦後50年、同調社会からぽろぽろ漏れる人があらわれだした。登校拒否や
ひきこもり、フリーター、晩婚、離婚などの片親家族。過剰な仲良しゴッコ社会が
みんな耐えられなくなっているのだ。富の蓄積や豊かさがそういうことを可能に
したこともあるのだろうが、群れ社会から逃走する人が、この同調社会を維持
できないほどに増加しつつある。孤独はこれからの知識情報社会といわれる独創、
創造力をつちかうさいには不可欠となる環境である。
仲間とつるみ、仲間の基準が神となるような人たちにはおよそ不可能な事柄である。
かれらはかれらで楽しい思いをしているのだろうが、ほかの人を楽しませたり、
感動させたりする技術や創造力をもたないし、だいいち人に合せてばかりいるので
自分がない。創造社会においては孤独の意味が見直されるだろう。
163 :
名無しさんの主張:2009/03/25(水) 18:23:50 ID:uNukVcWb
77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/03/25(水) 14:00:18.11 ID:3XnfEmNX0
DQN集団が用具倉庫に俺が好きだった子を閉じ込めてレイプ
↓
その子妊娠で発覚
↓
親の力でもみ消される
教育を普遍化させた結果、教育は只の点取り合戦に終始するようになってしまった。
レベルは底上げされずにむしろ下がった。
本来、旧教育制度において中学受験者以上が与えられた
総合的・応用的な学習の機会が誰からも等しく奪われるようになってしまった
敢えて問いたいが、中学・高校・大学って、本当にみんなにとって必要ですか。
学校を増やしても素養の頭数を増やすことは出来ないのは、現状のホワイトカラーの無能ぶりが充分語っている。
教育を与えられるのは限られた一部の人間に止め、その人間に余裕を与えたほうが良いのではないか。
165 :
名無しさんの主張:2009/04/12(日) 17:42:34 ID:5B517cJW
儒教は民主主義を育てない!
http://shibatakz.exblog.jp/8761654/ 異なる著者、異なるテーマの本を読み比べて、ふと気付くことがよくあります。
つまり、底流にある共通するキーワード、あるいは問題の背景と構造です。
3冊とも世直し系の本です。
「上司は思いつきでものを言う」橋本治(作家)著 集英社新書
この本は、サラリーマン社会の上下論を前提に、日本社会の持つ独特の人間関係へ
の洞察をした、なかなか面白い本です。
要は、日本型(?)儒教がもたらした、日本的精神構造の誤謬を追求しています。
これはまさに私のずっと主張してきた、日本になぜ民主主義が根付かないか、と
同じ視点でした。
「日本人の良識」ひろさちや(宗教評論家)著 アスキー新書
「良識」と対立する言葉は「常識」、と著者は言います。
世間の常識を馬鹿にせよ、常識にふり回されるな。大切なのは「良識」なのだと。
競争原理が通用する世界が地獄。現代日本は地獄、と明言しています。
そして、損をする勇気を持て、とも。
私はこの常識という概念は「皆で渡れば恐くない」的な日本人の主体性の無さだと
思うのです。そしてこれは明らかに、儒教的精神の流れの上にあると。しかも、
次の本にある「世間」という金縛りに近い認識も読めました。
もう1冊、以前に紹介した「暴走する世間」 佐藤直樹著 バジリコ刊
これはKY「空気読め」の現代日本は、民主主義でなく「世間」によって立っている国、
という本。自立した個人も社会も日本にはないのだと。(同感だなあ)これも儒教の
延長上の日本を言い当てています。こういう社会論、日本人のメンタリティ、なぜ
世界の潮流と異質なのか、的な分析、ようやく出てきましたね。
166 :
名無しさんの主張:2009/04/26(日) 16:33:13 ID:ixiuIAl4
B層
http://ja.wikipedia.org/wiki/B%E5%B1%A4 B層(―そう)とは、広告代理店「スリード」が提唱した概念。狭義には
小泉内閣支持基盤の層(具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター
や閣僚を支持する層)を意味し、広義には政策よりもイメージで投票を
行うなどポピュリズム政治に吸引される層を意味する。
竹中平蔵の知人が代表を務めるスリードが、2005年の小泉内閣における郵政民営化
政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から依頼された際に定義した概念である。
その後、ポピュリズムに動員される国民層を揶揄する意味合いで使われるように
なった。
スリードの企画案では国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを
含む概念とされる)」を縦軸として分類した時に、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に
中立?肯定的な層をB層とした。主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を
指すものとされる。
「B層に絞ってPRを展開すべし」という基本方針の下、ネガティブな表現を極力避け、
「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの
広報番組を利用し、郵政民営化の必要性を「ラーニング」させるよう提言。
また、「A層はB層に強い影響力を持つ」とされ、A層向けにWebを利用して数万人規模
のイベントを開催して「ラーニング」し、間接的にB層にも影響を与えるように提言した。
「C層」は元より、現に構造改革で実害を被っている層はPRの対象外であるとして無視して
おり、後者については名前も付けていない。
167 :
名無しさんの主張:2009/04/26(日) 16:34:56 ID:ixiuIAl4
>「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立?肯定的な層をB層とした。
主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を指すものとされる。
国民が政治に無知、無関心の方が支配層には都合がいい。
そして権力に従順、付和雷同しやすく騙しやすく教育するのが一番。
後は労働力としてマニュアル通りにやってくれるだけの知能があれば。
これは自民党、官僚、大企業の考えで教育においても政官財の癒着と
いうことなんだろう。
これに愛国心教育を加え、憲法改正で民主主義の骨抜きをし、アメリカの戦争
への参加、日本版軍産複合体が出来上がれば完璧なのかな。
168 :
名無しさんの主張:2009/04/28(火) 12:59:09 ID:rGVuCY9Q
>>161 >>162 全面的に同意。
少しずつこれに気づきはじめている人達がいることがとても嬉しい。
169 :
名無しさんの主張:2009/05/09(土) 00:55:33 ID:h5TTA+6G
>>144 >仲間以外はみな風景。そう言ったのは社会学者の宮台真司である。
じゃあ俺はこう言おう。自分以外はみな風景。
それが2ちゃんねるに代表される匿名インターネット環境のもたらす世界観である。
みんな仲良しになる必要すらない究極の平等性。
いや平等という概念すらそこにはない。
もしかしたら誰も居ないのかもしれない。
仲間さえもいなければ、自分以外はみな風景になってしまう人もいる
のかもしれない。
他人に関心もないのだから、思いやりなんて、持つこともないのだろう。
170 :
名無しさんの主張:2009/05/13(水) 20:24:43 ID:8UlsffIm
日本の集団主義は気持ち悪い。もうクラスも部活も制服もなくしてしまえ。
いじめの原因は閉鎖的な環境だ。大人でも軍隊(自衛隊)刑務所
体育会系の封建的な企業はいじめは多いという。
171 :
名無しさんの主張:2009/05/15(金) 20:38:06 ID:F3t/LurR
シリーズ<安倍の教基法改悪と反動的「教育改革」>
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/kyoukihou061020.htm 政府支配層にとって、上述したような「戦争ができる国」をつくろうとすれば、それは、
平和と民主主義を基本目的とする教育基本法の理念と全面的にぶつからざるを得ない。
安倍の掲げる「戦後レジームからの脱却」とは、敗戦帝国主義が背負わされた帝国主義的
・軍国主義的な再生・復活に対する窮屈なカセを全面的に取っ払おうとするものである。
安倍らにとって現行の教基法は邪魔で邪魔で仕方がない。平和教育、民主主義教育
を積極的に展開することを弾圧したり規制したりすることができない。
アジア・太平洋戦争という侵略戦争と植民地支配を否定し、教育勅語を否定し、軍国主義
教育・天皇制教育を否定する教基法体制は彼らにとって許せないことなのだ。
また、「人格の形成」を目的にしているがゆえに、国策に従順な国民づくりを教育の目的に
することができない。支配層にとって、「平和国家」の主権者を育成し、「個人の尊厳」、
「個人の価値」を基礎とする人格形成教育、男女共学、男女が相互に尊重し協力し合う
ジェンダーフリー教育は、憎悪の対象なのである。
そもそも教育基本法は、戦前の教育が「天皇のために死ぬ」ことを恐れない国民を作り出す
ための洗脳機関となっていたことの反省から生まれたものであって、国家の教育への介入に
対して異議申し立てをする法的根拠として機能してきた。敗戦により喪失した教育に対する
国家の支配権を奪還し、愛国心=徳目教育や差別・選別教育など、現行の教基法の理念と
根本的に対立する国家主義的教育を行おうとしているのである。
一部抜粋
大げさに書いてる所もあるが基本的な方向性はこうだと思います。
ただでさえ、集団主義で自主性がないと言われる日本人にこんな教育をしたら言われたこと
しかできないロボットのような人間が増えるでしょう。
172 :
名無しさんの主張:2009/06/08(月) 20:09:55 ID:Y44ASp2V
175 :
名無しさんの主張:2009/06/25(木) 15:39:06 ID:7hSF+DbR
みんな仲良し主義=百姓根性の典型
176 :
名無しさんの主張:2009/06/30(火) 21:52:05 ID:RSDd+RZu
みんな仲良し
そんな訳ないだろ
ありえもない理想を言うから、かえって、おかしくなる
みんな自己中
179 :
名無しさんの主張:2009/07/12(日) 21:52:48 ID:oxD9RJLB
みんなDQN
180 :
名無しさんの主張:2009/07/21(火) 01:20:39 ID:M4fGpZau
自民党は愚民化政策で日本を衰退させる最悪政党
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1234780182/ 簡単に言えば国民を政治に無知、無関心、自分で考えることもなく
まわりに流されやすく、権力、権威に従順な集団主義な国民の育成です。
空気の支配 共同体的な思考停止
空気が読めない人間を排除される風潮が日本を駄目にする
山本七平氏曰く、日本は空気(ニューマ)が支配する国である。その時々の
空気が支配する。欧米のように客観的規範が支配するのではない。
その時々の空気に逆らうと、えらい目に遭う。そこには理性は存在しない。
感情のみが存在する。論理的な主張をどんなにしようが、意味がない。多勢に無勢。
袋叩きだ。
自民党、小泉は日本人の特性を利用したと言える。
しかし今、「自民党は駄目だ、政権交代しかない」
「その為には頼りなくても民主党に投票するしかない」
という空気が日本中にある。
皮肉にも自民党が利用し育てた日本人の付和雷同、同調体質が
民主党によく言われた「ブーメラン」として自民党に襲いかかっている。
小泉郵政民営化選挙の圧勝の反動「ブーメラン」が
「自民党は駄目 政権交代しかない」と今跳ね返ってきてる。
これはもう、止められない。
自民党が長年、愚民化政策してきたつけで、自業自得である。
>という空気が日本中にある。
空気が何だって?
182 :
名無しさんの主張:2009/08/07(金) 02:03:04 ID:xJFF54/S
>>144 >仲間以外はみな風景。そう言ったのは社会学者の宮台真司である。
じゃあ俺はこう言おう。自分以外はみな風景。
それが2ちゃんねるに代表される匿名インターネット環境のもたらす世界観である。
みんな仲良しになる必要すらない究極の平等性。
いや平等という概念すらそこにはない。
もしかしたら誰も居ないのかもしれない。
>仲間さえもいなければ、自分以外はみな風景になってしまう人もいる
のかもしれない。
他人に関心もないのだから、思いやりなんて、持つこともないのだろう。
>みんな仲良し教育→仲間以外はみな風景→自分以外はみな風景→
自分以外はどうなっても関係ない→誰でもいいから殺す
これが、みんな仲良し教育、集団主義教育と政治経済における新自由主義の結果
(成果)ではないのか?
自己中 自己チュー ジコチュー
183 :
名無しさんの主張:2009/08/07(金) 03:13:54 ID:whD0T1iT
空気、空気とかいって家にひきこもってる糞をしってる
アニキは外で働いてるのに。俺がアニキだったらボコボコに
して外にすてるねw
184 :
名無しさんの主張:2009/08/14(金) 00:48:09 ID:Fg9oi/BY
みんな仲良し教育は綺麗事
大人なら子供の頃を思い出せばいい
みんな仲良しのクラスなんてあっただろうか?
185 :
名無しさんの主張:2009/08/16(日) 22:38:39 ID:6yLZxA3g
今度の選挙で
個人主義で、カリキュラムの自己選択、単位制、制服の自由化
クラスのない学校
を選択出来るような教育政策の政党はどこ?
186 :
名無しさんの主張:2009/08/19(水) 22:49:14 ID:HZ6iNdvW
高校はクラスはなしで単位制でいいだろ
高校生にもなって集団主義の管理教育をするのはマイナスの方が大きい
みんな仲良くなどできるわけがない。
だからこそ適度に折り合ったり、どうしても会わない部分は
「住み分け」て、お互い不可侵にすることを教えるべき。
これがわかってないから歪みが出る。
188 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2009/09/03(木) 21:54:21 ID:vV902ELW
異性として男の魅力は、個性的で「個人主義的」で肉食的であること。
これは世界中どこでも基本だと思う。
しかし、強い男、魅力的なを減らしたのが、まさに集団主義の日本のマゾ教育だ。
男としての動物的な魅力を失った男は、経済力で女を捕まえるようになる。
日本が高度経済成長した背景には、男から情熱的で野生的な恋人としての魅力を奪い、組織に縛りつけることによって金で女を買って結婚させるように仕向けた自民党政権下の教育政策なんだよ。
つまり、自民党政権下での教育は、愛国を唄う癖にもう一方で人間としての基本が狂っていたわけだから、今日に至るまで様々な弊害を生んだね
金に男としての価値を植え付けた故に、不況による少子化や男の過労等、社会に大きな歪みをもたらした。
189 :
名無しさんの主張:2009/10/02(金) 21:57:59 ID:tIbjJRlk
民主党政権はみんな仲良し、集団主義教育を
改めるつもりはあるのか?
190 :
名無しさんの主張:2009/10/02(金) 23:26:56 ID:bGucSCa5
>>187 同意。
すべて平等の世界なんて無いよね?
191 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2009/10/02(金) 23:55:56 ID:kfo2H5ao
>>190 お前平等の意味わかってる?
日本は機会や権利に関して平等な社会ではないので、
あらゆる対人関係で上下関係が発生する。
人それぞれ違うので、多様性を認めることこそ平等の意味になれるんじゃないでしょうか。
もうみんな同じ方向むけるほど世界は狭くないのですから
193 :
名無しさんの主張:2009/10/06(火) 20:37:00 ID:9UOq1NTq
どうせなら小中学校内は生徒同士の会話は原則禁止にならないのか。
そうすれば学問に打ち込めやすいし、いじめや非行などのトラブルは
激減する。また、子どもには団体競技を禁止にして、体力作りは
ジョギングで十分。子どものうちは呆然と野球などを見ていればいい。
幼少期は野球などを禁止にして、ある程度の年齢になったら解禁にすれば
よりよい選手に育つかも?
194 :
名無しさんの主張:2009/11/03(火) 20:02:24 ID:YQpGNstk
女の方が集団主義的で同調性が強い
母親同士の空気読め、付和雷同の体質が物心つく前後の子供に伝染するのでは
日本の集団主義、空気読めいじめ体質の没滅は教育も重要だが母親の
意識改革を日本全体で行っていく必要がある
低成長の成熟社会の先進国では集団主義は害悪である
195 :
名無しさんの主張:2009/11/04(水) 02:51:33 ID:IB5/U+n+
鳩山総理大臣殿 小沢民主党幹事長殿
岡田外務大臣殿 千葉法務大臣殿 川端文部科学大臣殿
新政権は「反セクト法」を先進主要各国との密な連携のうえで立法成立する
という現代社会の安全に不可欠な政策をしてくださるようお願いします。
フランスなど主要国との連携のもとに世界中でカルト危険団体に指定されて
いる創価学会(公明党)の政治活動を非合法化して資金源も厳しく断ち切っ
て資産(不正利得である)を没収して息の根を止めてください。
そのうえで国際社会全体でカルト団体が行動できない安全な状況を保てる
ような国際条約の成立を目指していく決断を至急お願いします。
マインドコントロールが解けて正気に戻った凶悪殺人カルトの被害者(一般
創価学会員)は速やかに下記を使ってください。
★★★創価学会脱会届★★★
脱会用紙テンプレ(Ver.1.14)
……………………… 例 文 ………………………………
脱会届
平成××年 ×月 ××日 (※文書を書いた日付)
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人 理事長 正木正明 殿
私こと○○○○○は宗教法人創価学会を脱会いたします。
今後、私が了解しないかぎり、入会勧誘、及び、支援政党の票依頼等を目的に
した、創価学会員による自宅来訪を一切拒否いたしますので、地域幹部の方々
にも、その旨よろしくご指導のほどお願い申し上げます。ただちに名簿からの
削除等、脱会手続きの迅速な処理を執行願います。
所属組織名(※壮年部、婦人部、男子部、女子部程度でOK)
東京都世田谷区○○町○○丁目○番○号(※ご自分の住所)
×田○策 印(※氏名)
仲良し教育が悪いとは思わない。
ノーベル賞やオリンピックで活躍する人間を望んでいるわけではない。
競争力や個性を求める気持ちもわかるが
負ける子供のケアはしてあげるべきだろう。
少年犯罪・凶悪犯罪に対する法整備を早急にすべき。
子供にもっと責任をとらせるように。
無邪気と無責任の違いはもっと若いうちから教える必要を感じる。
197 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐(mobile) ◆40WnEtzSeY :2009/11/05(木) 18:11:05 ID:pfMkZEdN
>>196 軽犯罪に対する厳罰化は税金の無駄遣い。
198 :
名無しさんの主張:2009/11/16(月) 21:28:19 ID:62myawhU
高校生は制服廃止、ディベートとかもするべき
作曲とか映画ドラマの脚本を書いたりとか
何か課題を与え企画してみんなの前で一人で発表する
それに対して他の生徒は質問し、企画者はそれに答える
集団主義は格好悪い、一人でいるのが格好いいという文化をつくるべき
199 :
名無しさんの主張:2009/11/16(月) 21:37:01 ID:d2x1ZKc4
本当は集団主義は、世界中の人々から見て物凄くかっこ悪いんだよ。
日本人のみっともない旗を掲げた団体ツアーなんて、世界中から
馬鹿にされているんだよ。
200 :
名無しさんの主張:2009/11/17(火) 07:10:28 ID:AColGK3G
>>185>>189 新政権下で総務省顧問に就任した保坂展人氏は
生きてるうちにどこまで問題山積の学校教育に関与できるのかな?
余談だが、1986年にいじめを苦に盛岡駅のトイレで自殺した少年の遺留品の中に
保坂氏の著書があったそうで。
201 :
名無しさんの主張:2009/11/21(土) 12:26:47 ID:JRp9EAdV
セックスもみんなで平等にしようって教育をしてるから
クリスマスにセックスを目標に頑張るんだな、日本人は。
202 :
名無しさんの主張:2010/01/07(木) 15:48:55 ID:3z7vPT5+
何故、組織(会社)は 問題解決できないか?
http://www.geocities.jp/nutspack/whypro/ 「みんなで渡ればこわくない」というのは私達の集団主義行動を表す象徴的で言葉
でありある意味で偉大な行動習慣である。確かにみんなで一緒に行動すれば一人より
も心強いし安心感がある。
集団で思考したり協働したりすることにはいくつかのメリットがある。一緒に考え行動
すれば勇気とモチベーションが沸く。つらい仕事も楽しくなるし成功の喜びをみんなで
分かちえあえる。悪い点は時として倫理観が欠如する。個人の倫理観を超えるようなこと
が組織になると平気でできてしまう。不祥事を起こした会社の経営者も社員もそれほど
罪悪感は感じない。集団主義は無責任体制の温床になりやすいのである。
企業の不祥事はしばしば「組織ぐるみ」というソフトな言葉でかたづけられ、本質的な原因
や責任の追求はなされずに終わることが多い。
「組織ぐるみ」だから個人の責任は深く問われないのである。不祥事を起こした会社の社長が
カメラに向かって土下座する光景を何度も目にするが儀式としての責任を取ったことを世間に
対し表現しているに過ぎない。
203 :
名無しさんの主張:2010/02/18(木) 16:14:38 ID:S4rdl1d1
幼稚園、保育園から日本はみんな仲良し教育が多いらしいから
ありえないことを信じさせるのが問題
憲法9条で非武装中立で自衛隊も廃止とか言ってるのに近いものを感じる
集団のほうが洗脳かけやすいんだよ
社会的にな。
205 :
名無しさんの主張:2010/02/21(日) 17:57:53 ID:cE5OT4Vd
人間は全て平等、評価による選別は差別、競争は害悪、実力主義は悪
全ては「ゆとり」が洗脳を受けた教育だ
206 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:07:54 ID:HTlsDhmH
このごろでは先生が鞭を鳴らしながら授業でもしたら、「サーカスぢやあるまいし」と、忽ちPTAに
いびり出される始末になるが、むかしは先生は、ちやんと「教鞭」を持つてゐたものであつた。
私自身の小学校時代をかへりみるに、賞罰は実にはつきりしてゐた。
しかし、そこには先生の人徳といふもので、同じひどい目に会はされても、カラッとした人柄の先生には
いつまでもなつかしさが残り、陰気な固物の先生にはやはり面白くない記憶が残る。
(中略)
そのうちに怖いのは先生よりも上級生といふ時代がはじまる。
そのころ鬼よりも怖かつたA先輩など、今会つても頭が上がらない。
私の母校は敬礼のやかましい学校で、一級上の上級生にでも挙手の礼を忘れたら、どやしつけられた。
…小説を書く奴なんか軟派だと言つて目をつけられてゐたから、運動部の猛者は殊に怖ろしかつた。
私は旧制高校の最上級生のとき、総務委員といふものになつて、運動部の予算をもすつかり握る権力を得てから、
はじめて彼らに復讐する快感を満喫したのである。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
207 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:08:20 ID:HTlsDhmH
…文学者としての自分を考へると、一般的に「文学を否定する」雰囲気があつたといふことは、自分の文学を
育てる上で、大へんなプラスになつたことはたしかである。
私は天才教育などといふアホなものを信じない。「何クソ」といふ気持を養はせるだけの力がなければ、
何事も育ちはしない。
現在の学校教育の実態にうとい私だが、ほぼ確実だと思はれることは、そこには軟派と硬派の区別もなくなり、
文学芸術を否定する空気もなければ、一方、スポーツ万能を否定する空気もないことだ。
むりやり右へ行けと言はれるから、あへて左へ行く勇気も生まれるので、西も東もわからぬ子どもに、
「どつちへ行つてもいいよ」と言へば、迷ひ児がふえるだけのことである。
その意味で、丹頂鶴の日教組の極端な左翼教育も、私には、失ふに惜しいもののやうな気がする。
この行き方をもつと徹底させれば、反骨ある愛国少年を、却つて沢山輩出させることになるのではないか。
もつとも、そのための極左教育は反抗期の中学生時代からやつてもらひたいが。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
208 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:09:09 ID:HTlsDhmH
…自分の我意に対して、それを否定する力のあることを実感するほど、自我形成に役立つものはない。
猿蟹合戦ぢやあるまいし、「伸びろよ、伸びろよ、柿の種」と言つてみたところで、柿は伸びないのである。
万人向きのバランスのとれた教育、四方八方へ円満に能力をのばしてゆく教育、などといふものは、単なる
抽象的な夢であつて、子どもはそれぞれ未完成で、偏頗(へんぱ)な存在である。
個性などといふものは、はじめは醜い、ぶざまな恰好をしてゐるものだ。
美しい個性を持つた子どもなどどこにも存在しないのである。
それが一度たわめられなければ真の個性にならないことも見易い道理で、そのためには、文学書ばかり
耽読してゐる子からはむりやりに本をとりあげて、尻を引つぱたいてスポーツをやらせ、スポーツにばかり
熱中してゐる子は、襟髪をつかんで図書館へぶち込み、強制的に本を読ませるやうにすべきである。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
209 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:09:33 ID:HTlsDhmH
かういふ強制力は、こまかい校則によつて規定することはもちろん、罰則のない法規もないのであるから、
妥当な罰則を設け、かつこの規則を実施する能力としては、先生にも、生徒を心服させるだけの腕力が要求される。
生徒の闇討ちをおそれて屈服するやうな先生には、先生の資格がないので、生徒はめつたに先生の知力なんかには
心服しないものである。さういふのは新制大学のころから、学生に知的虚栄心が目ざめて来てからの問題であつて、
大学教育といふものは、もつぱら知識の授受に尽き、もはや教育と呼ぶ必要はない。
ネリカン上がりが尊敬されるといふのも、少年の歪められた英雄主義であるが、ネリカンの生活が
苛酷だといふ伝説乃至事実が、どれだけこの英雄化を助けてゐるかわからない。
どこの学校もネリカン並みになれば、とりたててネリカン上がりが尊敬される理由もなくなるので、
少年不良化の防止になるにちがひない。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
210 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:09:51 ID:HTlsDhmH
暗い陰惨で辛い生活をとほりぬけて来たといふ自信と誇りを、今の子どもは与へられなさすぎる。
「学園」といふ花園みたいな名称も偽善的だが、学校といふところを明るく楽しく、痴呆の天国みたいな
イメージに作り変へたのは、大きな失敗であつた。学校といふものには暗いイメージが多少必要なのである。
学校の建物も質素で汚ならしいことが必要で、何だつてこのごろの学校は、高級アパートみたいな外見を
とりたがるのかわからない。
冷暖房装置などは以てのほかで、少なくとも中学校以上は、暖房装置も撤去すべきである。かじかんだ手で
ノートをとるといふあのストイックな向学心の思ひ出を、これからの子どもはもう持たなくなるのではないか。
…何事にも感覚的享受しかできない少年期には、「精神」に接するにも感覚的実感が要るのだ。
その「精神」の感覚的実感とは、要するに「非物質的感覚」であつて、寒さであり、オンボロ校舎であり、
風の音であり、たよるもののない感じであり、すべて眠たくなるやうな「生活の快適さ」と反対なものである。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
211 :
名無しさんの主張:2010/03/05(金) 23:11:13 ID:HTlsDhmH
私は、一流商社のやうなツルツルした校舎へ毎朝吸込まれてゆく学生たちが、数年後サラリーマンとして又もや
ツルツルした大ビルディングへ毎朝吸込まれていくことを考へると、その一生が気の毒になる。
オンボロ校舎の精神的風格などを一生知らずに、ツルツルした表紙の週刊誌ばかり読み、団地生活をつづけてゆく
人間がかうして出来上がる。政府は政令を発して、学校建築に制約を加へるべきではないか。
(中略)
こんなことを言つてゐるうちに、すべてはノスタルジアに彩られ、日清戦争の思ひ出話みたいになつて来たから、
ここらで筆を擱くことにする。
最後に、まじめな私見を言ふと、硬教育の復活もさることながら、現代の教育で絶対にまちがつてゐることが
一つある。それは古典主義教育の完全放棄である。
古典の暗誦は、決して捨ててはならない教育の根本であるのに、戦後の教育はそれを捨ててしまつた。
ヨーロッパでもアメリカでも、古典の暗誦だけはちやんとやつてゐる。
これだけは、どうでもかうでも、即刻復活すべし。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」より
212 :
名無しさんの主張:2010/03/06(土) 22:12:38 ID:39lpXSvC
>>211 三島由紀夫のスパルタ教育というのは
戸塚ヨットのように生徒を殴り続ける教育のことだろ?
作家ってこういう馬鹿なことしか考えない人種なのに、
社会に口を出すから始末が悪い。
213 :
名無しさんの主張:2010/03/10(水) 13:39:10 ID:63pVbIlY
>>212 違いますよ。あなたは日本語の読めない方でしょうか。ちゃんと読めば三島の言わんとすることが読解できると思いますが。
そういう曲解してるような乏しい日本語力、読解力しかないようじゃ駄目だよ。
214 :
世直し天狗党:2010/03/10(水) 18:03:51 ID:BovcWXdk
ゆとり教育
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2 受験産業の反応
改訂された学習指導要領の内容が明らかになると、
学習塾や進学予備校などの受験産業は活発な営業活動を行った。
マスコミなどを使い「ゆとり教育」に対する危機感を訴えることによって、
親の不安を煽り、活発に児童・生徒の勧誘活動を行ったのである。
折込チラシ、CMなどの広告活動や、
自らがスポンサーとなっているテレビ番組内などで、
「小学校では円周率をおよそ3として教えている(日能研)」
「ゆとり教育で学力低下を引き起こす」
「あなたの子供の将来が危ない」という正確性にかける情報で危機感を煽り、
営業活動を行った事例もある(実際には円周率を3と教えているわけではない)
一般的に、学習塾や進学予備校、さらには半ば進学予備校と化している一部私立学校
の教育は本来、日本教育が世界よりも立ち遅れていて、解決すべき課題である「自ら
考える、解決する力」を補足的に伝授するというよりも、上位校や有名進学校の受験
突破のための「暗記」「受験テクニック」を教えることが多く、偏差値上での学力向上
はするが、「考える力」が身につくかどうかは不明であるとの声もある。
ゆとり教育を推進し日本人の学力を低下させたのは、中曽根臨教審と臨教審に関わった保守系人脈。
自称保守(実態は新自由主義者)による格差拡大・階級固定化が、ゆとり教育の目的。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01254/contents/738.htm 「戦後教育の総決算」を掲げた中曽根首相(当時)は84年、首相直属の臨時教育審議会を
発足させた。「ゆとり教育」に代表される今の教育施策・改革の源流をたどると必ず臨教審に行き着く。
そのことを意識した中曽根氏も、インタビューで「ゆとり教育」の正しさを強調した。
学力低下など問題の原因は教師の「質」や運営方法などに求めている。
だが、中曽根氏は臨教審を「失敗だった」と総括する。
http://www.news.janjan.jp/election/0707/0707270888/1.php 寺脇研「ゆとり教育は、中曽根内閣のときに臨時教育審議会をつくって、審議会が答申をしたわけだから、
臨時教育審議会をつくったこと自体は政治の力かもしれないが、
中身は政治家ではない人たちが集まって議論をし、決めたものだ。」
Q.ゆとり教育は当時の民意がもとめた結果なのでしょうか。
寺脇研「臨時教育審議会で出した報告について、特段の反対もないのでやってきた。」
http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/301.html ↑中曽根臨教審に曾野綾子、 瀬島龍三
臨教審に影響を与えた「世界を考える京都座会」に山本七平、渡部昇一といった
保守系人脈が関わっている。
三浦朱門 (元・文化庁長官、曽野綾子の夫)
2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は
“100人に2〜3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばす為の「選民教育」である事を明言
(「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っててくれればいい」
「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」
「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば不幸になる」など)、物議を醸す。
国民が政治に無知、無関心の方が支配層には都合がいい。
そして権力に従順、付和雷同しやすく騙しやすく教育するのが一番。
後は労働力としてマニュアル通りにやってくれるだけの知能があれば。
これは自民党、官僚、大企業の考えで教育においても政官財の癒着と
いうことなんだろう。
http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/anti-yutori.html ゆとり教育のもとでは、生活環境が子どもの学力を左右し、その子の将来を決定
づけてしまう可能性が高くなる。
ゆとり教育路線によって一番得をしたのは私立校および塾などの受験産業だと指摘
している。ゆとり教育による学力低下を恐れる親が、私立や塾に子供を通わせるよう
になったからだ。そして、文部省の教育改革はもしかしたらこれら業界の利益のため
に進められてきたのではないか
民主主義の危機
社会で起きている出来事に対して判断をくだすには、必ず何がしかの基礎的な知識が
必要だ。そうした知識を与えない、学ばせないということは、判断する能力を子供たち
つまりは将来の大人たちから奪うということだ。結果的に、ゆとり教育路線は民主主義
を根底から切り崩していくだろう。民主主義とは人々の判断に基づいて社会を動かして
いくことであり、人々が判断できなくなれば民主主義は崩れていかざるを得ない。
文部省が民主主義の破壊を意図したかどうかはわからない。もしかしたら、一部エリート
が好きなように社会を動かし、あとはエリートの言うことにただ従う無知な大衆と専門バカ
しかいないような社会を夢見た官僚がいたかも知れない。いずれにしても、非民主主義的な
価値観、感性を持った人間たちが、ゆとり教育路線を作り上げていったと見て間違いはない
だろう。
みんな仲良しと、言いながらいじめる
教師はいじめが発覚すると責任を問われるので知らないふり
219 :
名無しさんの主張:2010/07/23(金) 19:35:54 ID:AnQFmOqA
みんな仲良くできるという綺麗事が
いじめを助長させるということですね
仲良く出来ない、協調性のない奴は駄目な奴、変人扱い
みんなと同じじゃないと、怖いという空気が日本は強すぎる
220 :
名無しさんの主張:2010/07/23(金) 19:54:47 ID:56pIIHSi
アルバイトなどでも、積極的に会話できない溶け込めないのは
リストラ扱い・誰とでも会話できないのは、それは一つの天然個性
というのを認めたがらない。
日本人は付和雷同で協調性じゃない。
価値観や個性を認め合い対等な上で初めて和が成立する。
何とタリン子ちゃんの多いことか・・・ネット上で悦に入ってる屑どもが!
言っても言わなくても、現実は弱肉強食。強いものが空腹が満たされ心的余裕がが
生まれた時点、もしくはその瞬間で、哀れみや慈悲を持つ。或いは名声名誉を欲した際に
劣等弱者、稚拙困窮者に対して、有形無形の肝要と施しを試みるに過ぎない。
古今東西、貧者と賢者の割合は圧倒的に貧者>賢者。
自己で完結する価値観・選択の自由はあっても、全てが賢者富裕者という、(ありえない状況だが)前程でない限り
対等・同等・個々の尊重・同一権利などか足る価値も無い。
現代は、その稚拙貧者に選挙権ほかを付与しているから世が乱れる。
富裕賢者<稚拙貧者(古来、不変の実態)で、多数決を正とすれば全てが狂う。
虐めも劣等淘汰も人間社会では自然の摂理。100人の稚拙貧者の考察結論と
一人の富裕賢者の決断は圧倒的に後者が妥当な見解を出す。
富裕賢者は半島塵や漢塵の様な拝金主義者では無い。満ち足りた富裕賢者である。
政治学を僅かでも知っている者は解るだろう。最高の政治は賢者による独裁専制政治であると。
屑に分不相応な人権・権利・発言の機会を与え続けるなら、マスコミ主導で
どうにでもなる傀儡無能列島となるだろう。何事も程々に。
烏合の衆は、せめて政治家・宗教家を見極める、心眼と、清廉さ、を持つ努力が肝要。