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その時期、TVを中心とした報道マスコミにある重大な変化が起ったんだよ、そもそもは「Xデー」が全ての始まり。
「Xデー」報道体勢の整備は80年代を通じて着々と準備がなされて'89年の本番を無事にこなす事に成功した。
ところが、その直後に「連続幼女誘拐殺人事件」が発生するんだね、
で、この報道体制はそのままこの事件の報道に流用され、世間の大きな関心を引く結果となった。
身もフタもなく言ってしまえば「センセーショナルな事件報道は少ない制作費で数字が稼げる」事を学習してしまったわけ。
これ以降、マスコミは「事件報道」という物を完全に「確実に数字の取れるコンテンツ」として扱い始める、
その顕著な現われとして、民放各局は17:00〜19:00までの2時間をニュース番組枠として固定した。
しかし、この過剰な報道枠は、大きな事件がなくても毎日2時間「何か」を伝えなければいけない体制でもある。
そのため、「ニュース番組」に何故か毎日必ずグルメコーナーがある、といった奇妙な構成が常識化してしまった、
「何かがあった時に簡単に飛ばせるコンテンツ」を確保しておくためだが、この時点で本末転倒の感は否めない。
結局、この「何かを報道し続けなければいけない2時間」はハイエナのように事件を追い求めるようになる。
少しでもセンセーショナルな事件があれば各局争って飛びつき「同じ事件を繰り返し何度も」報道するようになった。
その結果視聴者は「凶悪事件」について、過去には考えられなかったくらい「長時間」に渡って接し続けるのが日常となった。
事件内容についても、これでもかといわんばかりの情報を与えられる事になった。
(しかもその情報は「速報性」しか考慮されていないのでしばしば憶測や明白な間違いを含んでいる)
この時期ニュースに起ったもう1つの大きな変化に「ニュース解説者」の常駐化がある。
「キャスター」の隣に「解説者」が必ず位置し、どんなニュースであろうとそれを「解説、論評」してみせる形式が常識化したのだが、
これは明らかに「ワイドショー」の形式を範とした物と思われ、そのルーツはやはり「ニュースステーション」にあるだろう。
>215続き
「Nステ」は初めて局の報道部ではなく、「バラエティー中心の民間制作会社」が作ったニュース番組として有名だけど、
「Nステ」の成功を受けて民放各局は一斉にニュース番組のフォーマットを「ワイドショー化」する事になる。
(これが生んだ弊害が「どんな事件であってもその原因を探し出し、再発防止の美名と共にそれを糾弾する」習慣の定着)
マスコミが「犯罪は増えていない」「治安は悪化していない」という事実を公言したがらないのはある意味当然で、
・そもそも「体感治安」を悪化させた原因が自分たちの過剰報道である事を充分承知している
・今更「バラエティーとしての事件報道」というおいしい素材を手放すつもりなど毛頭ない
以上の理由だろう。