1 :
名無しさんの主張 :
2007/04/27(金) 23:01:19 ID:w65sLxXC みんな一緒の軍服のような制服、運動会におけるマスゲームや軍隊もどきの行進、 整列の練習、部活動における先輩や後輩、学年による上級生、下級生の上下関係、 服装から日常生活まで、がんじがらめに管理する校則など、日本の学校教育においては、 集団主義、全体主義、管理主義、封建主義、国家権力組織主権的体質が根を張っている。 ついには、生徒の愛国心を評価するなどとして、君が代を歌う声の大きさや 態度までが評価の対象として、点数付けされるようになっているのだ。 このようなことをすれば、心の内面には蓋をして、外面だけは点数のために行動する ロボットのような人間が生まれてくるだろうし、均一な価値観による統制によって、 少数派や個性派に対する数の力による集団いじめなどが増加するのではないか? 果たしてこれは民主主義国家の教育としてふさわしいものだろうか? このような教育が行われているようでは、民主主義、自由主義などは、単なる 表面的な建前へと形骸化していくのではないか?
2 :
名無しさんの主張 :2007/04/27(金) 23:02:14 ID:w65sLxXC
名前:シェンケン ウォン 論文
日本で、授業の時は教師から生徒に知識を注入して、あまり議論がないし、
生徒は聞くだけで、発言する機会が少ない。その「一方通行授業」の中で、
生徒は不言実行を行う。教育制度は暗記中心で、実用的ではない。学生は
分析しないと、思考力も判断力も表現力も育成できない。それに、英語の授業では
教師の英語力が悪いし、生徒たちは文法と単語だけを暗記して、ヒアリングと
発音が重視されない。さらに、入学試験が非常に難しいが、大学の授業は
簡単になる。その結果は、学生たちも入学試験に合格するのを目標にして、
よい学校に入るだけでいいという考え方を持つようになるだろう。この
詰め込み教育システムで、学生は学校生活が不満で、落ちこぼれが多くなる。
国家として、日本は強い民族性を持ち、国民主義的な考えがあるから、学校でも
仕事でも上下関係が存在する。その保守的なシステムの中で、学生の活動も
規則的にし、態度も丁寧だし、海外の人から見て一番効率的な人々だ。
一方、集団主義的な考えもあるので、組織的な社会で、人々は何をする時でも、
ルールが決まっていると安心する。自分の自由意思や頭を使ってなにかをするのは
好まないで、ほとんどルールや約束ごとに縛られるほうが楽なようだ。
日本について、変えていくべきことはまず、もっと自由に学べる環境で発言や
議論や話し合う機会を増やすことだ。次に、もっと実用的な授業をして、暗記ではなく、
自力で調べる生徒の個人学習を重視させることだ。また、入学試験のためではない
授業を行う。例えば、英語の勉強は、文法と単語だけの暗記ではなくて、会話の方を
中心とすればいいだろう。最後に、教師自身の熱心と英語力を改善しなければいけない。
http://ml.hss.cmu.edu/ML/Polyglot/Polyglot%20S05/Polyglot%20S05%20HTML%20files/SchenkenWong.htm
■これは酷い!!腐りきった安倍政権の脳内構造
教育改革国民会議の提言
ソース:首相官邸公式サイト
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html ・子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
・家庭教育について対話できる土壌をつくるため、企業やテレビと協力して古来の諺などを呼びかける
・「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
・名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する
・遠足でバスを使わせない、お寺で3〜5時間座らせる等の「我慢の教育」をする
・地域の偉人の副読本を作成・配布する
・学校に畳の部屋を作る
・学校に教育機関としてのシンボルを設ける
・有害情報、玩具等へのNPOなどによるチェック、法令による規制
・バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
・団地、マンション等に「床の間」を作る
・警察OBを学校に常駐させる
・文部省、マスコミが1、2週間程度学校で過ごす
・教育基本法を改正を提起し、従来の惰性的気風を打ち破るための社会的ショック療法とする
<小学生>簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする
<中学生>簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする
<高校生>満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の奉仕活動を義務づける
自民はやだ
画一化教育は危険か?!
★ 『「外国人」「教師」の目で見た「日本の教育」』 上 講演をうけてのディスカッション パネラ− レベッカ・ジェ二スン,仲尾宏(京都芸術短期大学教授) 仲尾: 日本の教育のことがいろいろ言われました。学力の問題は別にして、 戦後、日本の教育は個人主義のように見えていて、実は全体主義、集団主義だった。 一番大きな問題ですね。民族教育を認めないとことになったということはご指摘の 通りです。年配の方は日本の戦後教育は駄目だ、しつけも教育もなっていない。 個人主義ばかりだという批判がありますが、当たっていない。 個人主義のように見えて集団主義です。皆、一緒でないといけない。それが うまくいかないと朝鮮人に対するいじめがでてきたり、変わったことをする子どもたちへの いじめになる。差を認めない。個人の差を認めないのが戦後教育の最大の欠陥 ではなかったか。そのことが、民族的な差別や偏見を助長させることにつながってくる。 そこに最大の問題があると思います。 もう一つは、制度上の問題で、GHQの政策でアメリカ式の6・3・3制の教育をした。 学校制度はどういじっても矛盾はあると思いますが、異なった制度を認めない というようになりました。戦前の旧制は複数制だった、ドイツの学制を見習った。 どちらがいいか一概に言えないのですが、戦後の学制は一条校と言われ、 別の流れを基本的に認めなかった。途中でこれはいかんということで高等専門学校を 設けたり、一貫制の学校を作るとか小手先でやってますが、基本的には認めない。 専門コ−スも原則駄目だと。
★ 『「外国人」「教師」の目で見た「日本の教育」』 下
そういうことが民族学校を認めない、民族別の教育を認めないことにつながっていった。
日本の教育制度自体がどうかということと、民族別の教育があっていいという
観点が持てなかったことが欠点だし、それが今でも民族学校を除外している要因に
なっていると思います。その反省がないと、民族学校は制度上、各種学校だという
形になるのではないかと思います。
日本の学校では日本の国民教育をやる。民族教育をやる。多住地域のごく一部の
民族学級を除けば、マイノリティとしての民族教育は全く保障されていない。ところが、
日本の学校を担当している先生や教育委員会はそのことに気が付いていなくて、
国民教育だけをやればいいと思っていますが、実は民族教育をやっているんです。
それが「日の丸」であり「君が代」であるわけです。これが日本の学校にきている
日本人でない在日をはじめとした外国籍の子供や親にとってどういう精神的な圧迫を
もたらしているのか気がつかない。
教育は国民教育と同時に民族教育という二つの面があって、民族教育については
民族的なマイノリティがおられるところでは、学校や教師や教育委員会がきちんと
わきまえた上でやらないといけない。京都市も4年前、「外国人教育について
主として在日韓国・朝鮮人の子供について」という方針をだされました。多住地域では
出てきていますが、粘り強い運動の成果です。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/lebkk2.html
改革は期待できない。 野党も全然期待できない。 未来は暗い。
★「恥の文化」が日本の学校を支配している
ベネディクト女史は、欧米の文化を「罪の文化guilty culture」、日本の文化を「恥の文化
shame culture」というように対比させていますが、他律的な「恥の文化」では正義より
名誉が優先され、個人の道徳心は、他者により左右されてしまうと問題視しています。
学校が生徒のことより、学校の評判ばかりを気にしているというのは、多数の中高生が
もつ不満となっていますが、個人の権利保障という正義より、集団や組織の名誉の方が
優先する点で、「恥の文化」は日本の学校では根強いものがあるといえます。
また日本人は、その人が何をしたかとか、どの様な人格の持ち主かより、どのような集団や
組織に属しているかで、個人の存在価値を量る傾向が強く、逆に組織集団のリーダーは、
集団の評価を高めることこそが最高の目標と考え、個人の権利や人格を軽視する傾向を
持っています。集団の名誉という全体の利益の前には、個人の権利などは単なるエゴイズム
とされてしまうのです。この傾向を大変強く持っている組織が日本の学校なのです。
「恥の文化」では自律的な人格は育ちにくいというベネディクト女史の指摘を、日本の社会は
国際化に適応する上でも、もっと真剣に受け止める必要があります。悪いことでもみんなで
やれば怖くないという傾向は、今の日本の若者にも強く見られます。前日の新聞に、騒がしくて
成人式が成り立たないという批判記事が掲載されていましたが、これは若者の単なる身勝手
の問題だけでなく、学校教育での集団管理主義では、自律的な道徳心が育っていないという
問題でもあるのではないかと思います。
日本人は、組織や集団という看板を背負っていない個人になってしまうと、とたんに我がままで
身勝手になるのです。これからの日本人に必要なのは、学校や会社などの特定の集団の一員
としての自覚ではなく、人間としての尊厳と責任ある個人としての自覚なのではないでしょうか。
学校教育でもこの様な自覚を育てることが求められていると思います。
ttp://www.geocities.jp/yasuh16goto/haji.html
11 :
名無しさんの主張 :2007/04/29(日) 14:04:40 ID:dkEt8Hav
ヤンキーみたいなDQNまでもが封建的体質を真似してるよな
12 :
名無しさんの主張 :2007/04/29(日) 15:41:31 ID:Zyu1F9jw
今までのような時代なら封建的な仕組みがうまくいっただろう。 でも、こんなロボットみたいな中身のない人間ばかりの日本じゃ中国やインドに呑み込まれてしまう。
13 :
名無しさんの主張 :2007/04/29(日) 20:40:57 ID:wzGhUW8O
●「親学11の提言」は政策ではなくて単なるお節介 教育再生会議は即刻解散すべき
ここまでくれば政策ではなくて単なるお節介だろう。教育再生会議が「親学」なるものを
発表した。「子守歌を聞かせろ」だの「幼児段階であいさつを教えろ」だの。大きなお世話
だと言いたいが、冷静に考えれば、政府は国民の一挙手一投足まで口出しする超管理社会を
目指しているらしい。
親学とは、親に子育てのノウハウを学習させることなんだそうな。で、教育再生会議が指針
としている11の提言はこうだ。
「子守歌を聞かせ、母乳で育児」「授乳中はテレビをつけない」「5歳からはテレビ、ビデオ
を長時間見せない」「親子で演劇など芸術を鑑賞」「早寝早起き朝ごはん」「父親もPTAに
参加」「自治体で親学講座を実施」……。バカバカしいからこれ以上は書かないが、「思春期
からは自尊心が低下しないように努める」なんて意味不明のものもある。教育評論家の尾木直樹
氏(法政大学教授)が首をかしげてこう言う。
「書いてあることは間違っていないが、政府会議ともあろうものが何を言ってるんだ、という
感じです。なぜこうしたことが実現しないのかを社会的、経済的に分析し、実現のための政策
を提言するのが仕事なのに、これでは職員会議の議題です。聞くところによれば、会議では
演出家が『演劇鑑賞も入れてよ』と言い、子育てを終えた人が『やっぱり母乳よね』と言った
そうで、それがそのまま提言になっている。母乳の出ないお母さんはどうすればいいのか。
こんなのを挙げていけば100も200もの提言になってしまいますよ」
要するに思いつきの羅列。しかし、親学が義務化されれば窮屈極まりない。教育改革では子供
に戦前の修身まがいの徳育教育を実施する構想も入っている。つまりは子供から親まで生活規範
を強制するのが安倍流の「美しい国」だ。こんな井戸端会議みたいなレベルの論議で国づくりさ
れるのではたまらない。教育再生会議は即刻解散すべきだ。
【2007年4月27日掲載記事】
http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/30gendainet02031700/
15 :
名無しさんの主張 :2007/04/30(月) 18:11:19 ID:SA6hGVP6
そんなの毎日のようにやってる野球やサッカーの応援の仕方見てたら 日本人が「自発的に全体主義」なのはわかるよな 誰かがラッパ吹いて笛吹いて、誰かが太鼓ならして、 誰かがタオル振り回して、同じ色のシャツ着て 誰かが音頭とって、毎日マスゲームやってるんだから気持ち悪い
16 :
名無しさんの主張 :2007/04/30(月) 20:50:43 ID:jHKzxRXT
>>15 じゃあ世界中のほとんどの国が「自発的な全体主義」になってしまう。
●日本人化を押しつける学校文化
あわや: このあたりで、子どもが適応していく場の一つである学校の話に入りたいと
思います。先ほどのドロップアウトのお話に続けて、白水先生はどうお感じですか?
白水: とにかく、日本の学校教育は「日本人になれ」「皆と同じであれ」ということを、
口では言わないけれども、徹底して教えますね。ある地方の学校に入った外国人の
子どもたちが言うんですよ。「なぜみんな、グリーンで二本ストライプが入ったジャージを着て
学校へ通わなきゃいけないの?」と(笑)。九歳、十歳までそういったことを一度も
やったことがない子どもたちにとっては、そんな日本の学校文化の中にほうり込まれる
というのは、大変なことなんですよ。
あわや: 日本に生まれ育った日本人だけを考えてみても、小さいときに異年齢の
子どもたちが一緒に遊ぶということがない。
白水: 学校にとらわれている時間が長過ぎるんですよ。六時間目までやって、クラブ活動を
やって、いつ違う人とつき合うんですか。せいぜい塾へ行って、できる学校から来た人と
一緒になって、おれは意外とできなかったとかとかいうことを確認するぐらいしかないでしょ?
それも受験という目的だけの非常に特殊な状況ですからね。
あわや: そういう意味では、まず最初の段階で異文化にぶつかり合う機会が少なくなった
ということなんでしょうかね。
白水: 全員日本人にならなきゃ、みたいなことが幼稚園に入った段階から始まるんですよね。
外国人の友達が日本に来たときに、幼稚園の運動会に連れていったら、四歳、五歳児の
行進を見て感動してましたよ。「しかも足がそろってる!」って(笑)。次に小学校へ行ったら、
同じ色のブルマー、同じシャツを着たのがさーっと入ってくる(笑)。とにかく、社会学的に
言えることは、そうやって日本人化していくということです。良し悪しは別として、見事な
文化化のシステムなんです。
ttp://www.crn.or.jp/LIBRARY/KODOMO/VOL17/ZADAN.HTM
日本では未だに旧学力観がもてはやされているけど もう日本的な旧学力観が時代遅れだってことに気付かないのかな。
19 :
名無しさんの主張 :2007/05/02(水) 03:20:46 ID:dcj03zoF
>>17 >「なぜみんな、グリーンで二本ストライプが入ったジャージを着て学校へ通わなきゃいけないの?」と
欧米人っぽい詳細まで書くタイプだな。
20 :
名無しさんの主張 :2007/05/03(木) 05:55:01 ID:gshE359e
日本の教育に欠けているものは論理的な思考力と、それを議論などで 説明し理解する力だと思う。 それを現実的な社会問題などに対処する力にするのが「生きる力」や ゆとり教育の理想だったのに、そこにやたらと順位や点数にこだわる 日本的な発想が混ざったせいでゆとり教育も失敗しそうになっている。 ゆとり教育を成功させるためには日本的な教育観をやめないと成功しないだろう。
21 :
名無しさんの主張 :2007/05/03(木) 19:09:52 ID:kkEFLfyA
あんな教育は将来全く役に立たんよ
22 :
名無しさんの主張 :2007/05/03(木) 21:06:47 ID:gshE359e
なぜ役に立たないと言える? 論理的な思考力が育たない旧来の教育こそ世界では通用しないだろう。
23 :
名無しさんの主張 :2007/05/03(木) 22:42:24 ID:p4INOYJQ
24 :
名無しさんの主張 :2007/05/04(金) 06:39:30 ID:44eKC+SD
【民主党】憲法は国家がその伝統をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません
★憲法記念日にあたって(談話)
民主党幹事長 鳩山由紀夫
日本国憲法は本日、施行から60年を迎えました。人間で言えば還暦という大変おめでたい節目です。
民主党は、この憲法記念日を国民の皆さんとともにお祝いしたいと思います。
「公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範」というのが、近代立憲主義における憲法の定義です。
決して国家がその伝統をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。
したがって、憲法を変えるか変えないかは、国会や内閣ではなく国民が決めるべき問題です。
このことを、憲法記念日にあたって、ぜひ国民の皆さんの心に深く刻んで欲しいと願います。
ソース
http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=9964
【論説】 「“電車は詰めて座れ”“テレビは教育に悪い”…小言の嵐に、戦時中と同じにおい感じる。
・教育再生会議の「親学」緊急提言を見て、落語の小言幸兵衛を連想した。幸兵衛は
口うるさい大家で、朝から晩まで長屋中に小言を言って回る。うるさいから店子
(たなこ)が逃げ出す。落語なら笑えるが、これを政策立案につながる有識者会議に
やられてはかなわない。
特にびっくりするような内容ではない。大人なら言われなくても分かる。分かっているが、
諸般の事情で難しい人は大勢いる。心配なのは、お上がこういう価値観を金科玉条の
ごとく振り回すことで、そうしない人が「けしからん」と扱われることだ。
そもそもこの世は割り切れないことだらけなのだ。ところがこの「親学」は妙に明快だ。
母乳はよくてミルクは悪い、テレビは悪くて芝居はいい。子守歌がいいならロックは悪い?
決め付けが過ぎて居心地が悪い。
再生会議の幸兵衛さんたちに言わせれば、最近の親はなってない、だから忠告してあげると
いうことだろう。親切心はありがたいが、国がやることはほかにある。
再生会議に始まったことではない。外に出れば小言の嵐である。日本ほど、ひとの振る
舞いに指図する社会は珍しいのではないか。
券売機で切符を買えば「切符をお取りください!」と電子音に繰り返しせかされ、電車に
乗れば「奥へ進め」「詰めて座れ」「荷物は網棚に」。そのうち「漫画は読むな」「つり革は
右手で」となりかねない勢いだ。
戦時中は「ぜいたくは敵だ」「お国のため」というスローガンに国民が従い、反する行いは
排斥された。私は戦争を知らないが、同じにおいを感じる。(科学環境部)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/archive/news/2007/05/20070502ddm00207
27 :
名無しさんの主張 :2007/05/12(土) 22:31:38 ID:JLW9zi90
28 :
名無しさんの主張 :2007/05/12(土) 22:33:30 ID:JLW9zi90
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/ 首相官邸HP>教育再生会議>開催状況>議事要旨・配付資料
・教師のいうことに従わないと幸せな人生は送れないという神話があった。
今その神話が崩れた中で、教師が生徒をコントロールできていない。
・型の重要性を入れて欲しい。
・「美しい国にいじめはあってはならない」等、安倍内閣らしい、訴えかけるような表現を入れてはどうか。
・規範意識について、小学校の各クラスの名前が「忠、考、仁、義、礼、智、信、勇」という名前であった。
・美しい国づくりのために何をするのか、「人間力大国」とか「課題解決大国」、
あるいは「国際貢献大国」など具体的なイメージを書き込む。
・長野県民のように小学校で全員県歌を覚えさせるのもよい。
・お国自慢は大切。
・現在の問題はエリートが必ずしも尊敬されていないということである。
・99%の努力と1%の才能というが、その1%があるかないかは大きな違い。
・人間の能力は違う。努力しても、できないものはできない。適性がある。
・200人に1人、とても良くできる子供がいる。才能ある子は国の宝だ。
・「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」の通達の見直しを検討する必要がある。
・「授業中にトイレに行くことを止めてはいけない」とされては通常の授業が成り立たない。学級崩壊は必然。
29 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2007/05/12(土) 22:35:55 ID:Q0bq60PM
>>27 天才を作らない教育って奴ですね。まあ、最悪です。
ちなみに、僕が教職課程の授業で習った教育元論によると、
ルソーの唱えた「消極教育」こそが、天才を生むには相応しい教育だということでした。
30 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2007/05/12(土) 22:38:27 ID:Q0bq60PM
>>26 戦争なら、イギリスもドイツも悲惨な時代を経験しましたが、
だからといって個人主義を否定する教育が行われていたのでしょうか?
イギリスやドイツは戦争を通じて、より個人を大切にする社会になったのです。
日本は戦争によって、より個人をダメにする社会を続けているのです。
31 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2007/05/12(土) 22:44:26 ID:Q0bq60PM
>>20 > 日本の教育に欠けているものは論理的な思考力と、それを議論などで
> 説明し理解する力だと思う。
違います。論理的思考力なら日本人は世界でも上位のほうです。
日本の教育にかけているのは、情熱と愛の心、そして美意識を大切にする、ということです。
> それを現実的な社会問題などに対処する力にするのが「生きる力」や
> ゆとり教育の理想だったのに、そこにやたらと順位や点数にこだわる
> 日本的な発想が混ざったせいでゆとり教育も失敗しそうになっている。
順位や点数は、多様性を認めないステレオタイプな思想の現れです。
この世は、スカラーではありません。ベクトルの世界です。
また、シーケンシャルな機械語の世界でもありません。
> ゆとり教育を成功させるためには日本的な教育観をやめないと成功しないだろう。
その通りです。一クラス5〜10人程度の少数精鋭の個人主義教育が理想です。
...g全体主義全体醴閇^` . `` '゚゚『鷦全体主義醴髟 漕全体主義醴鬱゚~ ゙゚『全体主義蠶, 灑全体主義鬱゚゙ . `『全体主義$ 全体主義醴ケ.. .゙'..: 『全体醴歡 層全体醴歡 . .(濁全体歡 全体主義]['. : `:゙{[全体¶ 層全体蠶[l' .、,,..______、 _____. ';゙(}全体† 濁全体鏖《' 'f『゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚閂昃'!! . -忌『『『『門愬タ!i'゙(i層躑 ..f[全体醴』' _. ...`:゚'.: (Jl}~゚ .'.^'゚(li、.'僧歉 . ‘體全体廴,。r、':'`‘「.... _,gg豐齟籬gjljl;ilド .:゙l:','。;i,g豐醯踰gz.(.(.( i.j|]「 . ;tqi_゚゚¶醴†` } ii填閇゚゚゙゚゚゚゚゚『『摂'''^' . .::、'ヌ}們゚゙゚゚門門轡埣l゙(|遁 . ゙}}' ゙マl'. ¶$. ` . . !!!!!!!!!!!''''^ .. . . il。゙(`゙゙'゚''''''?ヘ'''''`` ''、ii濬 、 !) .:..jg_゚[Ii;. . _, . `?)j、 . ._,(,(:ア ′、(|『゜.'゚li' . 丶、.,,__.,.,___v!゚` . '''?テliuv- ..、...、r!i゚(.(0i .,゚''' -. ' .、.;,(jIj.....__,._._..,xs,iiu_,..,,I詬i;。.、....、... .(i゙(I `` _._,(ii.lI}l゚(゙'ヲ増嚇jg]獅嬲叛l゚(}}IIID,;';゙;iiIi;ii゙(| 「One for All , All for One」『1人はみんなのために、みんなは1人のために』 は、 集団主義の理念を端的に表したものであるが、このスローガンは1844年に イギリスで生活協同組合運動が発足したときに考案されたものである。 また、このスローガンを愛用する北朝鮮は、全体主義批判に対し、自国は 集団主義であると反論する。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
33 :
名無しさんの主張 :2007/06/01(金) 23:20:10 ID:z6MYDkr7
34 :
名無しさんの主張 :2007/06/02(土) 00:09:23 ID:nJEiLcPk
残念ながら他所は他所、うちはうち。親に言われなかったか? 日本には日本のやり方がある。 3000年の歴史を経て日本は形成されている。どこにも引けをとらない日本の歴史である。 封建的というが道義を学ぶことは奴隷になるのとはまったく違う。 自我が無い、甘い奴、弱い奴ほどそう思うようになるのは皮肉なことだがな。 個性だってちゃんとある。 むしろ、同じように見えるのは文句ばかり言っている者というのも皮肉なことである。
35 :
名無しさんの主張 :2007/06/02(土) 00:34:11 ID:Es4iplxa
変態少年野球監督こそ北朝鮮の手先である
36 :
名無しさんの主張 :2007/06/02(土) 01:03:54 ID:RcLQm7CG
>>31 日本人の論理的思考力が世界で上位??
いい加減なこというなよ。日本の文化ってのは情緒主義(義理人情)、の女っぽい文化。
個人主義、合理主義は欧米の文化でしょ。
日本語は語彙が多いんだし、論理的というのは難しいと思うがな
728 名前: エスカップ ◆SCUP.06vQI [sage] 投稿日: 2007/02/08(木) 00:04:49 オサンは誰かが妊娠したとかできちゃった結婚とか聞くと その人たちがセックスで生中出ししているまさに生々しい光景を真っ先に思い浮かべてしまう 世の中の人は昼間は何食わぬ顔で仕事したり笑ったりしてるけど、夜になったら、 電車の中で携帯のメール打ってるOLも眠そうな顔してる学生も派遣のバイトで頑張ってるオバハンも 笑顔で応対してくれる会社の事務の女の子も偉そうにしている部長もみんな夜は素っ裸でギシアンしてるんだ 「あぁイク」「ウッ出ちまう」とか言ってんだ「気持ちいい」とか言ってんだ そんなことに気付かされる度に・・・取り残された気分になる(´・ω・`)
>>31 論理的思考力があったら下らない精神論に走ったりはしないと思うんだが。
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育 上
松野良一fromBoston
http://www.tbs.co.jp/ryuugaku/old/boston10.html 私が留学していたハーバード大学メディカルスクールでも、このクローン羊ドリー事件を巡り
倫理的に許されるかどうかについて、議論が始められていた。私も、生命倫理の授業で、
人間クローンの誕生の可能性について、ディスカッションをさせられたばかりであった。
私が驚いたのは、小学校5年生のクラスで、すぐにこの新しいトピックスについて、
ディベートの授業が行われていたからである。
担任の先生に聞くと、人間のクローンについて、クラスを賛成、反対2班に分け、事前に
インターネットで資料を収集させ、各班に戦略を練らせたという(ボストンの小学校での
インターネットの普及率は7割近い)。
小学校5年生のディベートとはどういうものであったか。実は、ディベートの内容は、
ハーバード大学で行われた内容とほとんど同じであったのだ。これには、本当に驚いた。
生徒たちは、3日間を準備に当て、人間クローンに関する材料をほとんど読破していた。
ディベートの間は、ずっとビデオカメラが回っている。そして、すべてが終了した後に、
録画されたビデオを再生して、全員で寸評し合うのである。最後に、どちらが勝ったかを
挙手によって決める。そして、一番最後に、各班の所属に関係なく、自分の意見を主張する
時間をあたえられるのである。
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育 中 この時の担任の先生の助言には、私はアメリカの教育の原点を見たような気がした。 リズという愛称の女生徒が、「私は、トムと同じで、○○・・・」というような発言をした。すると、 担任は「トムと同じというのは、リズはトムのクローンなの。リズ、あなたの意見が聞きたいのよ。 あなただけの意見を」と迫るのである。その生徒は「トムとはここが同じだけど、私は、 ○○だと思うの」といい直すと、ようやく担任は「うん、リズの意見が聞けて良かったわ」と答えた。 アメリカの教育は、個人主義という言葉で表現されるけれども、私は日本でいう個人主義とは 大きく違うように思う。1人1人の「個性」を大事にし、「自己」というものを幼年のころから 育て上げていこうというようなことである。 日本は、アメリカの個人主義で、モラルや秩序がなくなったと良く言われるが、それは 間違いのような気がしてならない。日本の個人主義は、公衆道徳を守らない、自己中心的な 感じだが、アメリカの個人主義は、しっかりと物事を考え、発言できる「大人の自己」を 育てる事によって成り立っているものだと思う。 最近日本で起きた伝言ダイヤル事件も、いろいろインターネットなど顔の見えない新しい メディアが生み出したように報道されているが、私は、根本は日本が「自己」を育てる教育を してこなかったところに問題があるように思う。現代の日本人の中で、本当に「自己」を 持っている人はどれくらいいるだろうか。高校生や中学生で、自分で考え自分で責任ある 行動が取れるのはどれくらいいるだろうか。付和雷同型、友達がやってるから、というような 「自己喪失型」の人間が、日本ではたくさん育てられているように思う。
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育 下
アメリカでは、小学校から「自分の考え、意見」を持つことを教育され、それを発表する
訓練を受ける。アメリカは、集団の中に個性を埋没させがちな日本の教育とは180度違う
教育を施し、「大人の自己」へ向って子供たちを成長させようとしているように思う。
アメリカの大学の授業では、ディスカッションの時間があり、どれくらいそれに参加(Participation)
できるかも、評価の対象になる。単なる講義形式の授業に飼い慣らされた日本人留学生が、
この「参加」に皆惑わされるのは、ただ単に語学力だけの問題ではないように思う。
日本の学校も、そろそろ「大人の自己」に向けて子供たちを成長させるようなカリキュラムを
組んだほうが良いのではないだろうか。窮屈な集団の和だけを説くような教育、公共道徳も
守れないような生徒を生み出しているような教育では、いつまで経っても国際社会では、
日本は子供扱いされる。これからの時代、公衆道徳を持つことは当然のこと、自分で考え、
自分の意見を持ち、自分の責任で行動できる人間を育てる必要があるように思う。
<アドバイス>
自分で考え、自分の意見をもち、それを主張していく訓練というのは、日本でもこれから
重要になると思われる。
さらに、ディベートやプレゼンテーション能力も国際社会では欠かせない。
学校でもこういう授業を組んでも良いのではないだろうか。
留学する人は、必ず「participation」の訓練をしておいたほうが良い。
「Ithink・・・」とまず切り出せることが大事。
http://www.tbs.co.jp/ryuugaku/old/boston10.html
国を愛せば右翼と言われ それを叩けば左翼と言われる。 いっそのこと日本も共産主義にでもなってしまったほうがいいのだろうか。
長いものに巻かれろ!
いやです。 by 平成の旋風児
セニョールだって言いくるめられるとこがあるんだ まあ、その通りベクトルなんだから仕方ないか(意味不明
沖縄戦の集団自決について、また教科書検定と言う検閲で 歴史の事実に蓋をしようとしているね。 日本は明らかに右傾化している。 歴史を逆行する坂を転がり落ちようとしている。 政府の検定で教科書に載せられないなら、教師、学校は、現場でその部分に就いてのプリントを配布するなどして 実質的に子供たちに歴史の事実を伝えれば良い。
47 :
名無しさんの主張 :2007/07/13(金) 03:01:04 ID:jmbEo4Lp
>>46 あなたは自分の頭で考えていますか。
あなたの考えは別な形での思想教育の産物だと思い至りませんか?
48 :
名無しさんの主張 :2007/07/13(金) 14:47:39 ID:Z2jZcZbc
1.アメリカ「日本はアメリカと同じ国になれ。日本式は悪だ」 2.脳みそ空っぽ「アメリカマンセー 日本は悪なのか アメリカマンセー」 1.アメリカ中国朝鮮「日本だけが悪いことをした 他は皆正義 我々の大罪は闇に葬ってやるぜ 洗脳教育をせよ 街宣右翼を作れ」 2.脳みそ空っぽ 「アメリカマンセー 日本は悪なのか ごめんなさいごめんなさい」 3.アメリカ中国朝鮮 「プププ なんと単細胞かw」
日本伝統の精神論は凄いぞ。 権力者は温存、国民は総玉砕の汚らわしい国だからな。
50 :
名無しさんの主張 :2007/08/02(木) 14:37:43 ID:xiJ6b88h
私立の医学部に行くために3000万もかかるもしくは、国立の医学部に入るためには 最低塾もしくは予備校に行かなければならないなんていうのも封建社会の象徴。 これを語ると「必ずしも塾、予備校に行ってるとは限りません〜」という答えが 返ってくるが、8割以上は行っているのだ。それならほぼそうと考えるのが普通。 塾や予備校に行くにも、バイトしながら行くわけにも行かないし結局親の経済力になる。 「実力主義」とか言いながら結局封建社会の日本。
51 :
名無しさんの主張 :2007/08/02(木) 22:12:59 ID:cGUL64Fi
明治以降の日本の歴史を子供に教えないなんて 日本だけじゃないかな
52 :
名無しさんの主張 :2007/08/02(木) 22:15:21 ID:91EsN6+r
金持ちだけが子供を作ればいい。
★多文化共生時代の教育 上越教育大学 二谷貞夫 近代学校の成立
日本の学校は,まさに軍隊に近い関係で発展してきた。制服・制帽やランドセルなども
同じようにつくられてきたが,式典や国旗掲揚,国歌斉唱など近代国民国家として小国民を
つくっていったのである。身体検査という言葉を聞かなくなったが,徴兵検査につながるものであり,
学校と軍隊は近代国家の産物であり,それを支えるものであった。
日本の教育は,団体教育思想を前提としたものであり,個人教育を前提とした思想によって
できていない。これも実は,学校と軍隊との教育思想がともに深くかかわっていることを証左
するものである。「教育勅語」と「軍人勅諭」のその底を流れるものは,団体あるいは集団としての
教育思想であり,個人・個性を発揮する個人教育思想ではない。
戦後の教育思想を考えても,教育の機会均等に基づき,学校教育は,ボトムアップの教育であり,
潜在的カリキュラムとしては,団体・集団の規律を乱すことなく,勤勉で実直な人間づくりを
してきたといえよう。それこそが高度経済成長を支える科学技術を習得した技術者や
管理組織のなかで自己の能力を発揮するブルーカラーもホワイトカラーもつくってきた
教育思想である。教育のボトムアップは,経済生活のボトムアップにつながり,一億総中流化
現象を生みだしたといえよう。そうした教育の実践の場こそ,初等中等教育であり,日本の
近代学校教育の成果であった。教育の国際比較においても“ジャパンイズNO.1”と頂点を極めた
時期もあった。
しかし今日,このような学校教育は,あまりにも大きな問題を抱え込み,制度的な疲労を
きたしている。
http://www.nichibun-g.co.jp/library/sei-kyoshitsu/027/s270104.htm
54 :
名無しさんの主張 :2007/08/23(木) 18:35:55 ID:14gEZTNL
教育委員会は結局どんな仕事しているの 頭の固そうな利権に群がる連中ばっかり
55 :
名無しさんの主張 :2007/09/09(日) 10:39:32 ID:HJ3xX4ks
中国、インドは世界に通用するために教育にお金をかなり使います しかし日本は教育に金を賭けないから大多数の馬鹿が いっぱい増えてしまった
56 :
チョンってバレてるよね :2007/09/18(火) 04:10:16 ID:2wxSQE4r
ttp://www.timesonline.co.uk/article/0,,7-1737805,00.html He was born Kim Sung Jong in 1952 to Korean parents in Osaka.
His father was a poor immigrant who built himself a fortune in taxis, property and pachinko
At 15, Kim Sung Jong was sent to the preparatory school for the private and prestigious Keio University in Tokyo.
It was at this time that he underwent surgery on his eyes to make them larger and less oriental, and he took on a new, Japanese name, Seisho Hoshiyama.
英THE TIMES紙の8月17日記事で、織原城二(金聖鐘)が在日である事が英国紙では初めて報道された。
この記事には、金聖鐘は親がパチンコとタクシー会社の経営で築いた多額の遺産を相続、
15歳で東京に出てきて、この時期に整形手術をし、金聖鐘を使うのを止め通名の星山聖二を名乗りだす、
96年にカナダ人女性のドナさんに薬を盛りレイプ、ドナさんは六本木警察署に被害届けを出すが、
朝鮮人の圧力とパチンコ・マネーで警察が動かず、と記載。
>>1 どこがや?
ガキは言うことは生意気なだけ。
教師の教壇をなくしたり、すこし小突いただけで体罰だとか全然軍国主義じゃないぞ!
★戦後日本教育の展開§2 ノーミン・ムーミンの教育文化 上
私情つうしん 第8号 1996年9月発行定本:内国子女教育の歴史
http://www.roots-int.com/S-T/8/naikoku.html ノーミン・フーミンの学校では、何よりも「和の倫理」が尊重された。もしも仮にだれか
一人がグループの規範に反する行動をしたとすれば、その責任はその個人にではなく、
グループ全体にあるとされた。もしもだれかが居眠りをしたとすれば、それはそういう
雰囲気をつくったグループの責任なのである。
こうしたグループでの生活に関するトレーニングは、早くも幼児の段階から始められた。
おしっこを漏らしてしまった子が1人でもいれば、「班」と呼ばれる6人ぐらいが全員
罰せられる。それならばいっそ、全員が一斉に漏らしてしまえばいいではないかと
考えられるが、まさにその通りである。その結果、中学生にもなれば1人だけでは
トイレにも行けないのがノーミンの子どもであった。この傾向はとくに女子に強く、みんなが
トイレに行くときにいっしょに行かないだけで、あるいは逆にたった1人でトイレに行った
だけで、グループを構成する他のメンバーから迫害される十分な理由になった。
これは成人男性にも見られた習慣で、この場合はたとえば酔っぱらった中年男性の
集団が公共の場で一斉に放尿する「連れション」なる儀式として見ることができる。
★戦後日本教育の展開§2 ノーミン・ムーミンの教育文化 下
学校教育における集団主義は、子供の発達に応じて、年齢が高くなるほど集団が
大きくなる中で育てられた。幼稚園では1つのクラスがせいぜい20〜30人であったものが、
小学校になると30〜40人、高校にもなると50人という集団も珍しくない。大学レベルに
なるとさらに顕著になり、1人の講師が900人を相手に講義することも珍しくなかった。
もっともそういう集団の中で行われる教育自体も、もちろん「和の倫理」に基づいているから、
教師自身、創意工夫の余地はほとんどない。詳細で厳密に定められたマニュアル通りに、
内容も方法も一事が万事画一的な授業を行うのがよしとされた。何しろ、日本全国
どこにいても、どの学校に行っても、またどの教師に出会っても、同じ内容と水準の教育を
受けられることが理想とされていたのである。マニュアルから逸脱することなど誰にも
想像すらできなかったに違いないが、万一間違ってマニュアルを一行読み飛ばして
しまったりすれば、あるいはその解釈を誤ったりすれば、叱責は免れ得なかった。
もちろん勤勉の悪弊に染まった日本人達のことであるから、教師も研究熱心ではあった。
マニュアルの要求することは一体何か、どのようにすればより忠実に従うことができるかが
日夜研究され、どんな成果も翌日から日本全国の教師が実践できるというのが尊ばれた。
大学においても同様で、よい講師というものは百年一日のごとく、毎年一字一句異ならない
講義を行い、どんな学生からも同じ反応を引き出せるのが特長とされていた。
海外に出たユーミン・フーミンの日本人達がエンターテインメント業界の貪欲な商業主義の
中で究極の多チャンネル化を目指したのと逆に、国内に残ったノーミン・ムーミンの教育は、
こうして究極の画一化を目指していたのである。
http://www.roots-int.com/S-T/8/naikoku.html
意見を主張する手段をまったく持ち合わせてなく、他人に漬け込まれまくる日々を送ってたが、 17歳の頃、アメリカの筆者の自己啓発本を読み、俺は初めて自己を手に入れた。 何百時間も受けてきた道徳教育なんかより、たった一冊の本の方が、よっぽど俺に生き方を教えてくれたよ。
>60 その本の詳細、キボンヌ。 著者、タイトル等。
★教育勅語を読む(4) 1/3 つまり、教育基本法に於いて、生徒の個性を尊重するという所が、教育勅語の中では 心を一つに、という形で、全く逆の立場を取っている点です。実際、教育勅語の中には、 子ども(あるいは国民)の個性を尊重するという表現は一切ありません。画一主義、 これは教育勅語の一つの大きな特徴の一つです。 戦後教育の中でも、個性化教育はこれまで軽視されてきた事、「みんな一緒主義」が 教育界を支配し、その結果、多くの弊害が生じている事は、これまでも書いてきました。 この「みんな一緒主義」こそ、教育勅語の残した悪しき慣習であると、私は断言します。 例えば、今の教育者の中には、昨今の学級崩壊の問題に絡めて、「今の子どもは 個性を大切に育てられている分、集団性が育っていない」などという言い方をされます。 ここで言う集団性というのは、教育勅語的な集団性であって、民主主義的な集団性 ではありません。 教育勅語的な集団と、民主主義的な集団はどう違うのか。オリンピックの入場行進を 例に取ってみましょう。東京オリンピックの時、日本選手団がやっていた、縦横に綺麗に 列を作り、手の振り方、足の進め方をキチンと揃えた軍隊式の行進、これが教育勅語的な 集団の秩序です。運動会などでやらされているのも、この教育勅語的行進。それに対して、 他の多くの国の選手団がやっていた、雑然とその国の選手が集まって、ゾロゾロと 移動しているのが民主主義的行進です。 教育勅語的な世界観に従えば、秩序というのはみんなが一斉に同じ事を始め、一斉に 終わるという事です。このような「みんな一緒主義」は今の教育界にいまだに蔓延し、 子どもの個性や権利に優先して、この教育勅語的秩序の実現が大事であるとされています。
★教育勅語を読む(4) 2/3 そのような感覚からすると、民主主義的な秩序というのは、無秩序でしかない。現に、 最近の日本の選手団の行進を「だらしがない」と考えている人は多いのです。ですが、 教育勅語的な感覚で見ると無秩序に見えるものも、民主主義的視点からすると、そこには 厳然たる秩序が存在するのです。 みんなが好き勝手に行動している。ところが、全体として見るとそこにちゃんと節度があり、 規律が保てている。これが民主主義的な秩序です。オリンピックの行進を例に取れば、 歩き方などは確かにバラバラである。しかし、ちゃんと各国選手団は他の選手団と区別されて 一つの集団を形成し、しかも目指す方向に向かってみんなが歩いている。一見だらしなく 見えて、その実、最低限必要な秩序はちゃんと保たれているのです。 両者の差をさらにはっきり定義すると、教育勅語的な秩序は形式的秩序、民主主義的な 秩序は目的的な秩序と言えるのではないでしょうか。 例えば、「学生の本分は勉強であるから、勉強はしなければならない」という事になる。 民主主義的な教育にあっては、その成績を上げる方法は生徒個人に任されている。カンニング などの非合法的手段を用いない限り、どんなやり方でアプローチしても全く自由です。そして、 それなりの結果を出していれば、つまり、成績が最低限のレベルの成績を上げていれば、 何も注意されません。成績が悪くなって初めて、指導が入ります。 教育勅語的な感覚でいくと、勉強をしっかりしているというのを先ず形で捉えます。授業中は 足を揃えて背筋を伸ばす。両手は膝の上に置き、質問する時は手を真っ直ぐ上に上げる。 先生が話をしている時は真っ直ぐ先生の目を見て、私語をしない。家庭学習は一日○○ 時間以上。テレビゲームはしない、漫画は読まない、本は、詰まらない本は読まずに役に立つ 本を沢山読む。エトセトラ、エトセトラ……。
★教育勅語を読む(4) 3/3
民主主義的な教育に於いて、「勉強する」の一言で済むものが、教育勅語的な世界では
十何項目、あるいはそれ以上のチェックポイントに膨らんでしまいます。さらに言うならば、
教育勅語的な世界観で一番嫌われるのは、このような形を実践しないで、結果だけ出す
生徒です。教育勅語的な感覚で言うと、この形こそが大事なのです。「みんな一緒」に
同じ形をなぞる事が一番大事で、それをしない人間は落ち零れでなければならないのです。
教育勅語的な感覚から、「子どもに自由を与えると収拾がつかなくなる」という考え方があります。
そしてこれは、半分くらいは事実です。
教育勅語的な規律を強制された人間は、常に誰かから規制されている状態に馴らされています。
逆に言えば、全くの自由の状態での自己規制能力が非常に未発達なのです。ですから、
こういった人間を自由に行動させると、とんでもなく自己中心的な行動を取ったりします。
民主主義的な、つまり、全く自由でありながら自分を律して行動する能力は、幼い内から
養われていなければなりません。もし、そのような自己管理能力の教育を十分に為されないまま
ある年齢まで育ててしまえば、もう、一生誰かが規制していく以外に、その人間の秩序だった
行動を保証する手だてはなくなるのです。
ところが、教育勅語的な教師はこんな事を言います。「子どもは未熟で、自分自身の判断能力が
低い。だから、先ず教師や親が子どもに代わって判断してやらなければならない。子どもの
自主性に任せるのは、自分で判断が出来るようになってからだ」つまり、先ず教育勅語的な
秩序の中で子どもを育てて、然るべき時期が来たら民主主義的な社会に放してやるのが
正しい育て方だと言うのです。
これは不可能です。民主主義的な社会での集団性は、一から育てていかなければ身に
付きません。教育勅語的な秩序に馴らされた人間は、一生教育勅語的な世界の中でしか
生きていかざるを得ないのです。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/opinion/iitai1999-1/iitai088.htm
海ゆかば・・・
66 :
名無しさんの主張 :2007/11/23(金) 02:00:23 ID:+LG6/o/i
「集団と個人」 1/2 ジェーン:日本人は集団で行動するのが本当に好きですね。 お母さん:えっ? ジェーン:今朝大学に行く時大学の近くの会社で社員がみんな駐車場で一緒に ラジオの音楽を聞きながら体操をしていました。 お母さん:ああ、それは「ラジオ体操」と言うのよ。アメリカではみんな一緒に ラジオ体操をすることはないでしょうねえ。 ジェーン:ええ、ありません。それから昼休みにマグドナルドでハンバーガーを食べて いたら、同じ色の服を着たOLが10人ぐらい入って来てみんな一緒に食べていました。 お母さん:同じ会社の制服を着たOLでしょうねえ。そうねえ、同じ会社の人と 一緒に御飯を食べに行くことはよくあるわね。 ジェーン:夕方テニス部の友達と飲み屋に行ったんですけど、お父さんの会社で 働いている吉田さんがいたんです。吉田さんは会社の人5人と一緒にお酒を 飲んでいましたよ。 お母さん:そう言えば、サラリーマンやOLは同僚と一緒にいろいろなことをするわね。 ジェーン:吉田さんは仕事の後で同僚とお酒を飲みに行くだけでなく、週末にも 会社が持っているテニスコートで会社の人とテニスをすると言っていましたよ。 お母さん:お父さんも土曜日によく会社の人と一緒にゴルフをするわね。 ジェーン:そうですね。日本のサラリーマンはずいぶん会社という集団と一緒に行動しますね。 お母さん:本当ねえ。そう言えば、学校でもよく集団で行動するわね。例えば、小学校や 中学校で学生を「班」という小さいグループに分けていろいろなことをさせたり、 秋の運動会の時に団体競技をたくさんさせるし、「修学旅行」という2ー3日の旅行も 一つの学年みんなが集団で行くわね。 ジェーン:それから、ニューヨークにいた時、よく日本人が集団で観光旅行をしているのを 見ました。バスに乗っている人全部が日本人で、みんな黒い髪でカメラを持っていて、 少し変でした。 お母さん:アメリカではあんまり集団で行動しないの。
「集団と個人」 2/2
ジェーン:そうですねえ、学校でフットボールをしたり、ボーイスカウトに入っていたり、
マーチングバンドに入っていたりすれば集団で行動しますけど、アメリカでは日本ほど
集団では行動しませんね。日本では集団と個人とどっちの方が大事なんでしょうか。
お母さん:さあ、どうでしょうねえ。「出る杭は打たれる」という諺があることを考えると、
個人も大事だと思うけど、集団の一員として行動する方が大事だと考えられているのかも
しれないわね。
8行目 OL young women who do secretarial/clerical work
25行目 出る杭は打たれる Envy will pursue merit as its shade.
A tall tree catches much wind.
次の質問に答えなさい。
1 日本人はよく集団で行動するそうですが、ジェーンが見た集団の行動の例を2つ書きなさい。
2 ジェーンがマグドナルドでハンバーガーを食べたのはいつですか。
3 吉田さんは同僚と集団の行動をするそうですが、どんなことをしますか。
4 日本の学校で見られる集団の行動の例を3つ書きなさい。
5 ジェーンの話では、アメリカでどんな時に集団で行動しますか。
6 次の中から正しくない(inappropriate)ものにXを付けなさい。
1( )アメリカより日本の方がもっと多く集団で行動します。
2( )ジェーンが吉田さんたちと会ったのは友達と飲みに行った時です。
3( )アメリカには「ラジオ体操」をする会社はありません。
4( )日本では同僚と食事に行くことはあまりありません。
5( )日本では会社だけでなく学校でも集団で行動することがよくあります。
6( )お母さんの話では、日本では集団より個人の方が大事です。
http://home.wlu.edu/~ujiek/yomi27.html
稲村ジェーン!
70 :
平成残虐犯罪増加の原因 :2007/12/22(土) 19:01:59 ID:0R71MsQ6
71 :
名無しさんの主張 :2007/12/26(水) 20:26:31 ID:Yh0f6Bk5
520 :名無しさん@3周年:2007/12/21(金) 21:42:21 ID:kk5mYgQc 今手元に資料がございますが、今日本の労働人口、六千三百八十四万人、これは二〇 〇六年度の総務省が発行した労働力調査に基づく数字ですが、そのうち二百万円未満 の所得、貧困層とこれはみなされる所得でありますが、その合計が二千百七十四万人 いる。うち、いわゆる非正規雇用者、パート、アルバイト、派遣、契約、嘱託、その 他で千二百八十四万人。恐るべき事態であります。 この人たちがどういう生活をしているか。食生活が恐らく所得が一番反映される一つ の指標だと思いますので調べてみましたら、今年の八月二十八日に出版されておりま す週刊スパという雑誌、下流の食卓が危ないと、こういう特集があるんですね。読ん でみてびっくりしました。お金がないので、どれだけ食材を安く上げるか大変な苦労 をしていると。例えば、ペペロンチーノ風味スパゲッティ。スパゲッティをゆでて、 そこにマーガリン__ンを入れてペペロンチーノだと思って想像しながら食べると。一 食分五十円だそうであります。こういう食生活が今非正規雇用の労働者の間に蔓延し ております。 こういうことを考えますと、やはり将来の日本社会のバランスというものを考慮した 上でも放置できる問題ではない。そういう意味で、この労働者派遣法、再び見直しを して、特に製造業への派遣へ何らかの歯止めを掛けるべきではないかと思いますが、 政府の認識を伺います。 ○国務大臣(舛添要一) 御指摘のような問題が様々指摘されるわけです。もちろん、若者の間にこういう派遣 というような業種を選びたいといったニーズがあることも確かです。しかし、今委員 が指摘されたような問題もございますので、この九月から労働政策審議会において具 体的な見直しに着手したところでありますので、現状をきちんと分析した上で、しか るべき改革、改善の方向を取ってまいりたいと思います。 ○風間直樹 終わります。
72 :
名無しさんの主張 :2007/12/27(木) 21:13:27 ID:72aOd3La
数学の天才に日本の教育を受けさすのは酷だよなあ。飛び級もないし・・・ おれの友達も馬鹿馬鹿しいと言って学校辞めちゃったよ。 もうフィールズ賞もらう人100年ぐらい無いんじゃ?
★「連帯責任」クラス全員平手打ち…横浜市立山田小学校の女性教諭
横浜市都筑区の市立山田小学校で、5年生を受け持つ女性臨時教諭(54)が、
児童38人の顔を平手打ちしていたことが11日、わかった。
一部の児童が野外観察に集まらなかったことに腹を立て、「連帯責任」として
クラス全員をたたいていた。学校は「あってはならない体罰だった」として保護者らに
謝罪した。市教委は教諭を処分する。
同校によると、女性教諭は今月7日、産休に入った学級担任に代わって赴任。
翌日、校内にある畑の観察に行こうとしたところ、数人が校庭でボール遊びを始め、
なかなか集まらなかったため、「みんなにも責任がある」と、顔を両手ではさむように
してたたいた。なかには、数回たたかれ、ショックを受けている児童もいるという。
女性教諭は「行き過ぎた行為だった。クラスが騒がしく、早く立て直さなければ
という焦りがあった」と説明しているという。
後藤正博校長は「ビンタは体罰。決して許されない。再発防止徹底を図り、
保護者や地域の人々の信頼回復に努めたい」と話している。
(2008年1月12日3時4分 読売新聞)
ソース
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080112i301.htm
★生活人コラム 教育問題に関する論考 その1 2002.6.28
小学生の息子から聞いた話です。
『音楽教材の太鼓の鉢が折れているのが発覚し、先生が犯人は名乗り出るように言ったのだけれど、
誰も言ってこなかったので連帯責任でクラス全員が1時間の居残りを命ぜられた。』そうです。
また『修学旅行中にお菓子を食べてはいけない時間に一生徒が食べているのが見つかり、
担任先生から今回の旅行中は全員がお菓子は禁止を命ぜられた。』こともありました。
子供は納得がいかない様子でした。これはおかしいと感じながらも、大人相手に反論できる立場にも
ありません。このエピソードの根底に流れる学校教育の基本姿勢について疑問を感じました。
このような先生に注意・勧告できるのは父兄ですが、その場に居合わせられないのや子供への
評価が低下したりいじめにあうのではないかとの心配から言い出しにくいところもあります。
この担任の先生の強調される「連帯責任」とは果たして正当なものでしょうか?
これは日本社会全般に言えることですが、何か問題が起きた時にその責任をすぐに制度やシステムや
管理監督者などの集団組織に転嫁しようという傾向が強いように思います。何となく個人の責任を深く
追求しにくい雰囲気があり、誰かの失敗を周囲の者でかばい合うのが美点だと思い込んでいるのでしょうか?
しかし自分自身の問題点を直視して探究しない限り、その生徒の人格矯正と向上は見込めないし、
問題解決にはなりません。このまま無反省・無責任のままで放置され、全員に責任転嫁されたことで、
過ちを犯した本人の罪意識が薄れていく場合もあるのではないかと危惧しています。「このような事態に
なって、クラス全員に迷惑をかけて申し訳ない。」となれば良いのですが、問題児の場合は「責任を
追求されずもうけた。」と言って舌を出しているのが現実ではないでしょうか。
もうひとつの問題背景として平等主義の礼讃があります。ところが、努力した人もしない人も同様に
扱われる結果平等では、優秀な人はやる気が失せてしまいます。これは悪平等です。
http://www4.j-pal.ne.jp/~intelligence/BN/INOVOL9.html
75 :
名無しさんの主張 :2008/02/14(木) 09:23:22 ID:rO6OK+32
ほしゅ
★戦後民主主義教育
日本の教育というのは、戦前は軍国主義で、戦後は民主主義というような単純な比較が出来ない
ものではないかという感じがしている。むしろ、戦前から戦後まで一貫して変わらなかったのが
日本の教育ではなかったのか。そして、皮肉なことに、この一貫した教育は明治維新後の
最初は教育が社会の進歩を引っ張り・支えたものになり、逆に戦後は社会の進歩に教育が
追いつけずに、社会の進歩の足を引っ張るような反動的な欠陥が露呈したものになっていった
のではないかと感じる。
本当なら、社会の進歩とともに教育も変わっていかなければならなかったのに、教育はまったく
進歩することなく同じままで今まできてしまったのではないだろうか。だから、かつては良いものを
生み出したと思えたものが、今ではまったく時代に合わない代物になってしまったのではないかと思う。
自分の経験を振り返ってみると、学校体育というのは軍国主義下の教育である軍事教練と
どこが違うかという印象をもっている。そこで目標とされているのは、何よりも統一的に指令に従う
集団主義教育であり、個人の嗜好や特性を考慮されない、体の頑健さだけを求める健康教育だ。
戦前だったら、強い兵隊を作るための体作りとでも言えるようなものではないだろうか。
学校体育ではスポーツの持つ楽しさというのはかけらも教えられなかった。むしろ、みんな一緒に
同じことをすることの圧力と、それから脱落したら困るという不安のほうが教育された。
その圧力によって従順な気分をつくるには役立ったのではないかと思う。また芸術教育である
音楽においても、音楽の楽しさというものを教わった記憶はない。学校教育から「楽しさ」というものは
無縁だったというのが自分の体験からくる印象だ。
僕にとって学校はほとんどいいことがなかったので、早くそこを出て行きたいと思うような通過点に
過ぎなかった。だから、僕は自分が出た学校に対する愛着というものはかけらも持っていない。
そこで何を教えられたかということもまったく覚えていないのは、たぶん学校が嫌いだったから
だろうと思う。そこは我慢してすごすようなところだった。
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50969935.html
今、右翼政党自民党が計画しているコミュニティ基本法は、 戦争中に戦争推進に利用された町内会の隣組の精神的復活の為の布石だ。 日本の民主主義の発展を阻害してきた三大要因である、 天皇制、儒教思想、町内会強化の動きの一つだ。 横文字を使った洒落たネーミングだが、 住基ネットが実は国民総背番号制であった様に、名前に騙されたらあかんよ。
盲目主義はdangerors
逆立ちしておるぞ。
「闘うための理論と希望学ぶ」
『山形新聞』2008年2月10日書評欄
〈評〉滝口克典・若者の居場所NPO「ぷらっとほーむ」共同代表
新庄・明倫中学「マット死」事件から一五年がたった。とはいえ、昨今の「いじめ」をめぐる
事件報道を見るに、人々のいじめ観やいじめ対策のありかたにはほとんど変化がない。
相も変わらず「生徒個人の心の歪み」へと問題を矮小(わいしょう)化し、お説教でお茶を
濁し続けている。かくして悲劇は続いていく。
私たちはいまだ何も学んでいない。その凄惨(せいさん)さや残酷さゆえに直視しがたい
「いじめ」というものを、しかし、社会学者である著者は直視し続けた。
見えてきたのは、いじめが生成・繁茂しやすいような特定の集団や秩序のありかたが存在する、
という事実だ。
それは何か。著者曰(いわ)く、自分とみんな(全体)の関係では、自分の自由より全体の
価値を例外なく優先させよ、全体への奉仕や全体の利益を何より大事にせよ、それが
できないやつに生きる資格はない(=いじめられて当然)、といった秩序感覚であり、これを
全体主義と呼ぶ。
全体主義というと「国家全体主義」を想起しがちだが、会社や町内会、宗教団体などの
中間集団も全体主義の担い手になりうる。
こうした「中間集団全体主義」のモードが推奨される社会空間の典型例が学校だ。学級の地獄を
生き抜くには、いじめへの加担こそが合理的であり割に合う。学級は人々を獣に変えるのである。
ではどうするか。著者の対案は明晰(めいせき)で明快だ。第一に、全体主義を強いる
閉鎖空間がいじめの苗床なのだから、学級制を廃止する。
これで「シカト」などコミュニケーション操作系のいじめは不可能となる。第二に、暴力に対しては
警察や弁護士を介入させる。これで暴力系のいじめは困難となる。
こうした「いじめの社会理論」は、「マット死」事件後の現地調査で着想されたとのこと。著者は
そこに「中間集団全体主義」のモードを生きる人びとの群れを見た。
その意味で本書は、山形に生きる私たち全てにとって他人事ではない。
だがまずは、群れの中で今にも窒息しそうな「あなた」に届いてほしいと思う。
闘うための理論と希望を、本書は与えてくれるだろう。
http://d.hatena.ne.jp/izime/
3万人。
日露戦争の時、203高地ではロシア軍が一帯に有刺鉄線でバリケードを作っていたが、 一箇所だけ開けてあった。 その向こうにはロシア軍の重機関銃が設置してあった。 乃木大将はその開いている所に向かって、来る日も来る日も日本軍に日の丸を持って突撃させ 文字通り死体の山を作っていた。 日本兵は日の丸を振りかざしながら天皇万歳と叫びながら死んで行った。 戦況が進展しないのを不審に思った参謀が本部から見に来て驚き 直ちに大砲でその銃座を潰してから進軍させ、やっと203高地が取れた。 乃木大将はその後、処罰されるどころか、英雄視され、乃木大将は偉い人なんて歌まで作られた。 戦前の日本は何よりも天皇万歳愛国心が尊ばれ、国民の命など犬や猫のそれ程にも扱われていない、 そんな国だったのです。 戦争に負けるまで、日の丸君が代はその象徴となっていたのです。
八紘一宇の精神を蘇らせろ!
★エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』と全体主義の社会分析 1/2 エーリッヒ・フロム(Erich Fromm, 1900-1980)はユダヤ系の社会心理学者であり、S.フロイト 以降の精神分析理論を社会現象(集団心理)や政治情勢の解明に適用したことで知られる。 新フロイト派のエーリッヒ・フロムは、社会主義的なイデオロギーにも関与しており「フロイト左派」に 分類されることもある。エーリッヒ・フロムは、ナチス・ドイツが主導した「個人の自由」を 否定する全体主義的な政治体制を分析し、ファシズムを生み出す独裁者と大衆(個人)の 心理機制を明らかにしようとした。フロム自身がユダヤ系の心理学者であり、ヒトラー率いる ナチスからの徹底的な迫害を受けてアメリカに亡命したという経緯を持っている。 エーリッヒ・フロムは、ナチズムのような個人の自由(権利)を抑圧する全体主義を自由民主主義の 否定(アンチテーゼ)と考えたが、全体主義(ファシズム)は必ずしも大衆を無理やりに軍事力 (警察・軍隊)で押さえつけて実現するものではないという。独裁的な政治権力が強制的に 「個人の自由」を奪い取ることで全体主義が生み出されるのではなく、「無力感を抱えた大衆」が 強力な政治権力を持った指導者に「個人の自由」を移譲することによって全体主義が 生まれるのである。つまり、ドイツにおけるヒトラーのナチズムもイタリアにおけるムッソリーニの ファシズムも、無力感と依存欲求(従属欲求)を抱えた大衆が、自発的に政治指導者に 服従することによって生まれたのである。その大衆心理の根本には、「自己責任や孤独感が伴う 個人の自由」を捨てて「社会全体を統率する強大なリーダーシップ」に従うことで生活の安定 (安心感・被保護感)を得たいという逃避的欲求がある。 民族国家(宗教国家)や国民国家の大衆を一つにまとめ上げる全体主義(ファシズム)は、 栄光へとつながる大きな物語や繁栄を実現する偉大なイデオロギー(思想)がその原動力となる。 特に、国民の多くが経済的な貧困や失業に喘ぎ、自立自尊の気概を失っている混乱した時代には、 国民を幸福や栄光へと導く「大きな物語(全体主義的な価値観)」が説得力や求心力を持つようになる。
★エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』と全体主義の社会分析 2/2 第二次世界大戦時のドイツでは、優生学的なアーリア人至上主義とユダヤ排斥主義によって、 第一次世界大戦の敗戦で自信(生き甲斐)を喪失していたドイツ国民に自尊心を与え、 ドイツ第三帝国拡大の目的によってドイツ国民に将来の経済的な豊かさを約束した。 経済が長期的な不況に陥っていて失業者が増大している時や、戦争に負けて社会全体が悲観的な 雰囲気に覆われている時には、「個人の自由」が保障されていても、その自由を使って実現するべき 目的や価値が見失われてしまいやすくなる。その為、個人の責任感や無力感、弱さを浮き彫りにする 「個人の自由」を否定して、「絶対的な権威(権力)を持った指導者」に盲目的に従う大衆が 増えやすい環境が準備されるのである。自分の自由な意志(選択)を放棄する原因となる 「他者(権威)への自発的服従」とは、精神的な重荷となる自己責任を放棄して、孤独な無力感から 解放されたいとする依存的・逃避的欲求の現れである。 フロムは1941年の著作『自由からの逃走』において、人間の内面には、他人に自分の行動・思考に 干渉されたくないとする「自由への欲求」と他人に自分の進むべき道を指し示して欲しいとする 「自由からの逃走」がアンビバレンツ(両価的)に存在すると主張した。権威主義・全体主義を 用意する「大衆の他人への自発的服従」は、行動選択の自由と自立的な価値判断を自ら 放棄する「自由からの逃走」である。 無力感や絶望感を感じている大衆は、大きな自己責任が付随する「個人の自由(個人主義・自由主義)」 から逃走して、大多数の支持を得ている集団活動(政治運動)に参加することで安心感や 連帯感を得ることが出来る。つまり、社会で支配的な価値観や集団で指導的な立場にあるリーダーに 盲目的に従うことで、個人の自由につきまとう「孤独感・不安感・無力感」を緩和することが出来る ということであり、権威主義的パーソナリティは「強者(多数派)への忠誠」と「弱者(少数派)への侮蔑」 によって成り立っている。 http://digitalword.seesaa.net/article/43280523.html
86 :
名無しさんの主張 :2008/07/11(金) 22:45:19 ID:HcOicIBT
農耕民族だから仕方ないんだよ。
しょうがない しかたがない どうしようもない
すべての文明国は、 いまだに教育の力点を知識の詰め込みに置く、 まったく古くさい考え方から抜け出せていない。 by ラッセル
★武道必修化:中学校に道場新設へ 来年度予算要求60億円
文部科学省は、中学校の新しい学習指導要領(12年度完全実施)で武道を必修化
するのに伴い、09年度予算の概算要求に全国の中学の武道場整備費50億円を
盛り込む方針を固めた。専用の武道場がある学校は半数程度しかなく、09年度は
200校程度で施設整備を図り、その後も計画的に校数を増やす。関連で地域で
指定校を定め、指導者を招くなどの事業に10億円を計上する方針だ。
専用の武道場を備える中学校の割合は47%(07年5月現在)で、約5000校は
未整備だ。来年度からの新指導要領への移行措置期間中に整備を進め、武道を
取り入れる学校数を増やしていく。
武道場整備費の内訳は、公立校が約48億円で私立校が約2億円。指定校は都道
府県ごとに20校ほど設け、武道経験者や武道団体などの協力を得て、指導体制の
充実を図る。「地域スポーツ人材の活用実践支援事業費」(08年度約5億円)も倍増
を求め、一部を武道指導者の人件費などに充てる方針だ。
武道場がない学校では、敷地が確保できずに武道の授業時だけ体育館に畳を敷く
学校もある。文科省は「畳の出し入れに時間がかかる上、安全面も懸念される。専用
の武道場を整備していくのが望ましい」としている。
現行の指導要領(保健体育)は、中1は武道とダンスのいずれかを選択し、中2と中3は
球技、武道、ダンスから二つを選択する。新指導要領では原則、中1と中2で武道と
ダンスが必修になる。武道は、柔道、剣道、相撲から選択するが、地域や学校の実情に
応じ、なぎなたや弓道なども認められる。
>>>
http://mainichi.jp/select/today/news/20080823k0000e010080000c.html
武道精神を身に付けろ!
君が代 = 天皇万歳のキチガイ歌 日の丸 = 朝廷による日本支配の象徴 そんなものにしがみ付いているのは、天皇狂信者と低知能者だけw
92 :
投票箱 :2008/10/06(月) 19:19:50 ID:Lwe+2hJL
93 :
名無しさんの主張 :2008/10/12(日) 00:42:45 ID:lXRj8XK0
日本は封建時代が長すぎた。 個人より藩やお上が何より大切。 藩の名誉のためならば、人の命など塵芥というのが当たり前だった世が長すぎた。 だがそれも太平洋戦争で終わりだ。日本の滅亡とともに。 これからは、日本の伝統はますます廃れていく方向に向いていくだろう。 これはいいことだ。伝統を守るとは、こういうことをいうものではないからな。
94 :
名無しさんの主張 :2008/10/12(日) 23:25:24 ID:wsMs+G7r
日本の教育は、上に行くほど悪くなる。 小学校の頃は子供を大事に扱うが、 中学から急に大人のようにぞんざいに扱うし、 厳しい上下関係に集団訓練に、呼び捨てに、命令口調に。とても居心地が悪い。 しかも、叱られるばかりの教育を受けているから卑屈になり、自信がなくなる。 教師の態度も威圧的になる。まるで軍隊か刑務所のようだ。 自由に意見を言える雰囲気ではない。非常に窮屈である。
95 :
名無しさんの主張 :2008/10/25(土) 17:39:20 ID:Ri77TZB4
「集団主義」はどのようにして日本の教育に取り入れられているのでしょうか? 教育指導要領を見てもそれらしきものが見当たらない。 個人よりも集団の価値に重きを置く集団的教育理念は幼稚園から存在しているようにしか見られないのだが・・
96 :
名無しさんの主張 :2008/10/26(日) 14:25:19 ID:wKIDahsI
幼稚園では、お遊戯を中心とする集団行動によって、集団主義の原型が日常的に形作られている。
97 :
名無しさんの主張 :2008/10/26(日) 17:31:40 ID:wYAekr8n
幼稚園あたりはまだいい。 人間の自我が芽生えはっきりとした自立心が生まれるのは個人差はあるが、13〜14才あたりがピークであると言える。 早くから自立心が芽生えた子供にはそれなりの対応をするべきである。 まだ子供だからと決めつけ、子供達の人権を無視し、自由を与えず、縛り付ける教育ではそれは学校ではない。 もっと日本の学校は子供達の人権を尊重するべきだ。 むしろ欧米のようにもう一人前の大人として扱うほうが子供の為になるのでは? 学校は本来みんなで仲良くしましょうという場所ではない。 そして本来子育ての目的とはいかに早く子供を自立させるかだ。
98 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2008/10/26(日) 18:25:54 ID:JVdgOEQm
もともと日本人の考える「責任」という概念と、西洋人の考える「責任」という概念が違う。 世界は日本人が考えるほど責任など要求していない。 もっと、無責任に生きてちょうど良いだろう。 中国人のようにずうずうしく生きて、ちょうど世界の標準に近づく。
教育に於ける集団主義思想は、どのようにして受継がれ実践されているのかと・・ 教育要領とは別の無形文化財のような慣習とかの伝承によるものなのか?
100 :
名無しさんの主張 :2008/10/29(水) 18:08:37 ID:wRjG07er
>>94 学校による
小学校でもひどい学校はひどい
>>97 日本の教育なんて人間を個人として自立させないで、
奴隷として都合よく使える馬鹿を作る程度のものです。
102 :
名無しさんの主張 :2008/10/29(水) 18:38:40 ID:wRjG07er
>>101 個人として自立させるために厳しく躾けているんだよ。
「人」という文字を使った集団主義教育がある。 二人の人間が共に支え合っている形に擬えて「人は一人では生きて行けないのです」と説く。 「個人として自立」など聞いて呆れる。
105 :
名無しさんの主張 :2008/10/29(水) 21:15:58 ID:9zzqRcWJ
個人として自立ってそういう意味じゃ無いから 個人として自立してかつ支えあう事も出来る
>>103 躾は家庭の役目
集団主義だと自分と意見の違う人への尊重をしないような
バイアスがかかる場合も少なくないから
躾にもならない事がある
107 :
名無しさんの主張 :2008/10/29(水) 21:24:02 ID:UQsbmfAU
ま、日本は平和で良かったですね。
>>93 日本は市民革命を経験していないからな。
多大な犠牲を出して支配者層を倒し、自由を勝ち取った
フランス人の見地を理解するのは難しいのかもしれん。
臆病者には死んでもらったほうがいい。
>>105 その「教え」は、自立を妨げるもので、促すものとは逆だろう。
112 :
名無しさんの主張 :2008/10/30(木) 15:59:51 ID:qc3XxHua
どうしたら日本は個人主義社会になるのだろうか
教育が変わること。
114 :
名無しさんの主張 :2008/10/30(木) 21:10:57 ID:3ARhpOt+
団塊は「悪い意味」で個人主義だけど
そういうのを個人主義って言うのは何か違う気もする。 学生運動時代に運動してた人は集団主義というのもあるし。
そもそも、団塊の学生運動なんて、欧米のブームに乗っかった単なるファッションでしかないだろう。
欧米よりずっと過激。 悪い意味で本格的だったよ。
>>112 道徳教育をやめること
日本人が自分らしく生きれなくなった理由は、古来からの道徳による呪縛にあり、道徳による呪縛や思い込みを一切なくすことによって初めて人間らしい精神性を取り戻すことができる。
グリーングリーンはヒッピーの詩
セニョール・五十嵐
119 :
名無しさんの主張 :2008/10/31(金) 07:53:11 ID:uMJB0F30
道徳教育なんて戦後ほとんどしてないじゃん
120 :
名無しさんの主張 :2008/10/31(金) 08:02:10 ID:uMJB0F30
道徳が無いのも問題だと思うけどね 今の日本の保守もリベラルもどっちもバランス悪いな
>>108 市民革命を経験した国の方が珍しいのでは?
仏国と米国と旧社会主義諸国くらいじゃないか?
122 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2008/11/01(土) 00:05:01 ID:BfQomvC0
>>121 何にも知らない無知なんだな
東欧の民主化も、スペインの民主化も、中南米諸国の革命も
全部市民革命。
百姓一揆はちがうもんな
124 :
名無しさんの主張 :2008/11/01(土) 20:22:57 ID:eesvPGPZ
市民革命って言っても 血を流さない無血革命は良いけど、 血を流した革命は犠牲者が多すぎて良く無いだろう。
125 :
名無しさんの主張 :2008/11/01(土) 20:50:47 ID:eesvPGPZ
もう一つ言えばこれからの時代は革命を経験したしてないに関係なく、 集団主義を止めるにしても議会次第という所もある。
★日本人の集団主義について 1 (2007-09-15 11:50:20) はじめに:集団主義とは団体で行動することを好むことである。日本人はほかのどの国の 人々よりも集団志向が強いと言われている。一つの集団に属することによって具体的な利益を 得るだけでなく、精神的な安心も得られるため、意識的に、あるいは無意識に集団に属し、 まとまって行動することを目指すという考え方が根強い。しかし、現代の社会の発展に伴って、 日本の集団志向は変化が発生する。この文章は主に日本人の集団主義の情況を紹介する ことと私がこれに対して小さい考えを発表することである。 一、集団重視: 日本人の集団重視は過去、第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心の スローガン、また今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果ては 学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根を張っている。「出る釘は打たれる」ということわざは 日本人の処生術を端的に表しているし、集団に異を唱えたり、背を向けた者には「村八分」という 処罰があった。例外はむろんあるが、日本の社会は個我の主張より、集団あっての個、 個は集団にあって生かされると了解してきた言える。 二、集団主義の形成: 集団主義の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。第一に、はるか弥生時代に始まる 稲作文化の影響がある。農村では今日もなお、田植えや稲刈り期には近隣同士が助け合い、 共同作業を行う習慣が一部に残っている。狩猟文化と異なり、そこでは集団作業と共同秩序とが 必要であり、生活共同体なのである。儒教思想の影響も無視できない。忠孝を重んずるその 道徳は江戸時代以降特に広まり、「家」制度にもつながった。家長は絶対の権限を持ち、家族は 「家」に従わねばならず、武士階級にあっては一朝事あれば御家断絶と、連帯責任を取らされた。 狭い国土に多くの人口ということも有力な一因だろう。朝晩の通勤電車の殺人的ラッシュは 外国人のしばしば瞠目するところだが、当の日本人は甘受せざるを得ないし、そこから集団の 調和という社会生活の知恵を身に付けるのである。住宅事情しかり。学校教育しかり。
★日本人の集団主義について 2 三、集団主義の功罪: 集団主義には当然ながらプラス、マイナスの両面がある。戦前の無批判な軍国主義化は 後者であろうし、戦後の高度経済成長の原動力となったニッポン式経営は、たとえ一部に エコノミック・アニマルと批判を浴びても、全般的にはプラスの集団主義であり、外国から 「日本に学べ」の声も出るわけである。しかし、当の日本ではこれとは逆に個性化、多様化への 志向が年々強まっており、集団主義を日本人の永久不変の特性とする見方が見直される 時代も来るかもしれない。 四、現代の集団帰属意識: 「家」はもともと厳しい経済生活を前提とした共同防衛組織であった。しかし、戦後の 経済成長に伴い農村の都市化や家内労働の企業化などが進み、さまざまな組織は変革を とげてきた。それにもかかわらず、日本人の思考方法や倫理規範は、閉鎖的な社会構造の 中で人間関係を重視するという従来の傾向から容易に抜け出ることは出来なかった。 今日では、企業だけでなく、労働者も、農家も、医者も、それぞれが業種ごとに全国組織を 作り、それぞれの規範の下で結束を保っている。企業や各種の組織が形を変えて、従来の 「家」の機能を果たしているわけだ。旧来の「家」制度は崩壊し、社会構造も大きく変化したが、 今日でもなお、個人の考え方や行動は、それぞれの「集団」の意思に影響されることが多い。 日本の「家」制度の特徴は、現代の企業という社会集団の中に生き続けている。最も 特徴的なのは企業や官公庁の終身雇用制である。終身雇用制によって会社員や職員は 閉鎖的な社会的集団の一員を構成することになる。企業・官公庁は会社員・職員に対し、 給料・賃金だけでなくさまざまな特典や給付を与えて最大限の面倒をみる。ほとんどの 企業・官公庁は安い家賃で住宅を提供し、社員旅行を行い、家族も参加する運動会を 催したりする。結婚や出産のお祝い金や親族の法事の弔慰金の制度もある。また、結婚式や 葬儀などのいわゆる冠婚葬祭では会社や官公庁の上司、同僚、後輩が出席してそれぞれの 役割を果たす。会社員・職員の私生活に会社や官公庁の機能が広く組織的に入り込んで いるのである。
★日本人の集団主義について 3 会社員や職員は、一度採用されたらほとんどの人が定年(大体、55歳から60歳ぐらい) まで働く。この間、雇用関係は終身雇用制と年功序列制が一体となって機能している。 年功序列制というのは勤続年数に従って賃金が上昇し、地位も昇進するという制度である。 一般に、日本の集団においては、その集団に加わってからの年数がその人の地位と発言力を 決定する重要な要素になっている。従って、転職する場合、その人は多きな損失を覚悟 しなければならない。 企業などの集団に所属する期間が意味を持つ日本の社会では、就職する時期が大切に なってくる。人生の早い時期に集団の中で生き延びていく基礎が築かれる。中途採用者より 新規採用者が歓迎されるのもこうした理由からだ。新規採用者はある一定期間、研修や 訓練を重ねて、仕事上必要な基本知識や技能を身に付けさせ、企業や官公庁の経営・運営・業務の 方針を学ぶことになる。 日本の企業経営を特徴付ける終身雇用制、年功序列制と手厚い福利厚生を通して社員は 会社への帰属意識を強め、自分の会社に忠誠心を持つようになった。経営者と社員が一丸 となって会社の発展のために懸命に仕事をし、一人一人が働くこと自体に生き甲斐を感じる という姿が当たり前になってきた。このような献身的な労働が戦後に日本経済の飛躍的な 発展をもたらしたのである。 しかし、近年は経済・産業の国際化に伴って、日本の企業でも能力主義が台頭し、派遣労働者が 急増する状況のなかで、伝統的な終身雇用制や年功序列制は徐徐に変質している。 同時に、日本人の「集団」に対する意識も変わりつつある。
★日本人の集団主義について 4 五、私の考え: 集団主義の利点は集団で行動することによって、チームワークがうまくできるようになる。また、 一緒に働く人々の意見を聞き、仕事などに取り入れることによってよりよい結果を見つけ出すことが できるかもしれない。それだけではなく、多くの人達と働くことによって仕事が分割されて、一人の 負担が軽くなる。責任も同じように多くの人のものとなる。 しかし、集団主義には大きな落とし穴がある。それは皆が平等であるように、協調性が必要とされる。 結果として、個性が殺されてしまう。また「ほかの皆と違うから」と仲間はずれにされたり、個性を 認めないことも十分にありえる。それだけではなく、集団で行動したからといって、仕事や責任が 平等に分割されることはある。団体で行動するためには、人々が全体として行動できるように まとめ役が必要とされる。これによって上下関係が生まれると私は思う。 たとえば、日本の学校では先輩・後輩という関係が成り立ってくる。部活などでは3年生が主役である。 そして、実力は関係なく1・2年生は3年生の練習相手のためだけに夏休みも毎日学校に通っている ところもあるようだ。日本では当たり前のことであるが、イギリス育ちの私にとってはくだらなくさえ 思えた。年もたいして変わらない人々の集まりなのに、なぜここまでの違いが生まれるのかと疑問に 思った。日本が「集団主義の社会を形成している」のは、幼いころからそういう環境にいるからだと思う。 常に「集団」の一部で上下関係が出来上がるので、それ以外のことをするのが困難になってしまう のではないかと考える。 日本では、「力をあわせて」などという言葉がある。確かにチームになってやれば、同じ立場にいる 人がほかにいると思えて、心の支えになることだろう。しかし、行動を他多数の人達と共にしている ことにより、他人に知らず知らずのうちに頼りすぎてしまったり、協調性がある代わりに自分の 考えに自信がもてなく、判断力に欠けてひとりで行動できなくなる人もいると思う。
★日本人の集団主義について 5
おわりに:集団主義の特徴は、排他的であることだと私は考える。「集団」は「個人」に対して
常に優位にたつような全体主義的支配原理ではない、と考えている。日本的「集団主義」の
特徴は、対他的ないし対外的な場面にはっきりと表れてくるのではないだろうか。
すなわち、自分が属する集団の構成員ではない者に対して排他的になるということ、
閉鎖的であるということである。しかし、今や世界はボーダーレス化し、多数の「外国人」が
日本に滞在し、また定住してもいるのだから、日本的「集団主義」を開かれたものに変えて
いかざるをえないだろう。文化や価値観の多様性を容認しつつ共通のルールを模索し、
「市民的公共性」を育成していかなければならない。一人の「市民」として「公共的空間」の中で
生きていくために要求されることは、特定の地域、企業、政党など自分が所属する集団の
私的な利益のためだけに行動することではなく、「市民運動」、ボランティア活動、NGOなどにも
自発的に参加するということに他ならないのである。
参考文献:
1.「日本国概况」P159 姜春枝 北京大学出版社 2001年10月
2.「日本」を学ぶ日本語教材(上)P241 大森和夫など 外語教学与研究出版社 2004年11月
3.「史料が語るカナダ」 P.301 日本カナダ学会
4.「多文化主義」 P.9 多文化社会研究会
http://blog.sina.com.cn/s/blog_4c7cd15801000aea.html
133 :
名無しさんの主張 :2008/12/07(日) 02:03:59 ID:9Mivw3uU
>>1 大阪の橋下さんがそういう教育を目指してるよ
134 :
名無しさんの主張 :2008/12/16(火) 12:50:12 ID:MDlejMtP
>>1 >生徒の愛国心を評価するなどとして、君が代を歌う声の大きさや
態度までが評価の対象として、
右翼的教育の押し付けはいけないというのなら
左翼的教育の押し付けもいけないと思うぞ。
『君が代日の丸反対』と言う自由があるのなら
『憲法9条廃止』『日本軍復活』と言う自由もあるはずで
自分の思想に都合のいい発言の時だけ『言論の自由』を主張するのは
おかしいだろう。
135 :
名無しさんの主張 :2008/12/16(火) 18:44:06 ID:kg06AMFI
>>101 日本の教育は明治の頃の、富国強兵の政策の一環だからな。
自己主張や個性を育むと言うよりも、愛国心のある軍人や、忍耐強い労働者の養成の方が目的とされていた。
個人がよりよく生きる教育よりも、国に都合のいい教育がされていたのは確か。
これからは、無駄な知識よりも、人生で役立つような教育を重視していくべきであろう。
136 :
名無しさんの主張 :2008/12/16(火) 20:05:08 ID:mOmjGkF9
>>1 軍隊式の非人間的教育を問題にするのなら日本より北朝鮮の教育を問題に
すべきだろう。
もっとも『ケッ、チョンコーなんか知らねーよ。日本が先だ日本が』と
人種差別的な事を言うのなら何も言う事はないが
138 :
名無しさんの主張 :2008/12/26(金) 13:03:47 ID:s2DWI8iv
>>1 >みんな一緒の軍服のような制服、運動会におけるマスゲームや軍隊もどきの行進、
整列の練習、・・・・・
もしこのことを封建制だと言うなら、この人は封建制を理解していない
『みんな一緒の軍服のような制服』『軍隊もどきの行進、整列の練習』
いずれも封建時代にはない、封建時代の軍服の特徴は【よく目立つ個性的な物】
であることだ。理由は【自分の手柄を主君の目に入れるため】である。
封建時代の手柄と報酬は自己申告であり、しかもライバルがいる以上
目立たなければならない。同じ理由で【整列,行進もない】我勝ちに進み出て
我勝ちに進軍する。批判するならするでウソにならないよう気をつけないと
『またサヨクのウソか!』ってことになるよ。
139 :
名無しさんの主張 :2008/12/28(日) 20:32:57 ID:Omgpcga0
>>101 そのとおりです。
義務教育で労働基準法を教えないのがその証拠。
140 :
名無しさんの主張 :2008/12/28(日) 21:19:22 ID:IeynEkNL
>101 >日本の教育なんて人間を個人として自立させないで、 奴隷として都合よく使える馬鹿を作る程度のものです。 >139 >そのとおりです。 義務教育で労働基準法を教えないのがその証拠。 でも日教組も共産党も『義務教育で労働基準法を教えるべきだ』 とは言ってないよね。この人たちも『奴隷を作る教育でかまわない』 って思ってるのかな?
141 :
名無しさんの主張 :2008/12/28(日) 21:35:39 ID:Omgpcga0
>>140 そうかも知れません。
だとしたらけしからん話です。
142 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 01:26:01 ID:6D1I5yyA
教師やマスコミや世間は敵だと教えるべきだ!
143 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 18:03:20 ID:Gu7xMvpJ
>>140 日本の教育は、規格大量生産の現場で働くのに適した労働者を育成する事を目的としている面がある。
しかし日本の教育は、昔からこのシステムを続けていて時代遅れとなっている事も確かなんだな。
昔のようにテレビやインターネット等もなく、情報量が乏しかった時代には
学校が色々な情報を授業を通じて、教えていく事をしていけば良かったが、
今日のような情報量が膨大な時代には、情報を提供する事よりも問題解決能力の方が重要になってくる。
どの情報が、真実であるかを見極める能力の方が重要になってくるのだ。
それなのに日本の教育は、労働者を育てる事だけに効果的なシステムを未だに続けている。
しかも日本でしか通用しない学力や偏差値といった物に拘っていて、
人生で役立つ事を教えたり、人間性を重視したりする教育をしていない事が問題で、
成績といった物で生徒の価値が決まるとでも思わせるかのような、成績至上主義で教師の一方的な受身の授業。
これで、子どもたちが学ぶ気になるかといったらならないだろう。
システム自体も変えていく必要がある。
144 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 18:24:07 ID:zoNXRq2+
>>143 だがその教育からの転換がなかなかできないのも
伝統的な精神論、根性論、上下関係などの封建体質だと思うね。
権威主義の強い社会では自分で考えて行動する人間より
従順に言われた通りに行動する人間のほうが都合がいい訳で
それが人生で役立つ事や人間性の重視する教育の軽視にもつながっている。
このシステムを変えるには伝統的な封建体質も無くさなくてはいけない。
145 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 20:10:48 ID:Gu7xMvpJ
>>144 封建体質は、マイナスになるところが多いよね。
日本は戦前は封建主義社会だったから、未だに民主主義を着こなせていないのだろう。
封建体質が全て悪いとは言わないんだけど、
上の者に必ず従わないといけないと思わせるような雰囲気があるんだよな。
上下関係なんてあるから、人間関係がギクシャクしてくるのだ。
146 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 20:26:45 ID:bwPRfOkX
>>145 >上下関係なんてあるから、人間関係がギクシャクしてくるのだ。
確かにそういう面はあるけど、問題はどうやって上下関係をなくしていくかだ
上下関係の中でもっとも厄介でもっとも重要視されるのが【先輩・後輩の関係】
これを無くすのも減らすのも不可能に近い、学校でも職場でも先輩への挨拶
敬語がなっていないと、すさまじく怒り出す先輩が必ず2,3人要る。
『お前、先輩へのあいさつはなしか!』とか『なにタメ口きいてんだー!』とか
それに対して『上下関係なんて封建的だ』なんて言おうものなら
『なんだとー! ケンカうってるのかー!』となる。
かといって、うるさくない先輩だけタメ口ってのもまずい
147 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 20:54:05 ID:zoNXRq2+
>>146 厄介なのはそのように文化の奥深くにまで封建主義が入り込んでしまっている事だ。
上下関係にこだわっている人間は相手を理解したり
尊重するといった概念を持っていないことが多い。
だからこそ立場が下の人間を全面的に支配してもいい考え
平気で罵倒することができるわけだ。
それを繰り返すうちに強者には媚び諂い弱者を罵倒するような
陰険で狡猾な人間になっていく。
封建思想が人間を腐らせるいい例だ。
148 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 21:36:18 ID:bwPRfOkX
>>147 いや、言いたいことは分かるんだけど、問題はどうやって改善するかだね。
後輩や部下を罵倒するようなヤツって人の意見なんて聞かないし
149 :
名無しさんの主張 :2008/12/29(月) 21:40:48 ID:bwPRfOkX
>>148 追加 結局、あきらめるしかないかな・・・・・改善案ないし
>>145-149 しかし海外移住とかすればもうこんな事で悩まなくてすむかもな。
日本の社会や常識が駄目なのは「日本人」がいるからなんですね。
日本の人間性は日本人だけの力では改善できない問題なんだな。
全く、クダラナイ人間が多すぎる。汚い奴らが多すぎる。
だから君らももし出来るのなら日本から脱出し、自分の好きな国で
がんばればいい。そういう選択肢だってありますから。
151 :
名無しさんの主張 :2008/12/30(火) 12:35:03 ID:UrEzWDjV
まあ、それしかないか 思うに政治の改革でもっとも厄介なのはウヨク,サヨクといった政治に関心の ある人たちよりも政治には無関心だけど政治に影響を与えてしまう人たちだろう。 『オレをなめるんじゃない』という理由で先輩・後輩の序列を守らせようとする先輩 『愛子様ってとってもかわいいのよ!』という理由で皇室を支持する、おばちゃん 『うちの先生は葬式にも結婚式にも出席してくれる義理ごとを欠かさない立派な先生だ』 という理由で自民党の先生を支持する田舎のじいさん しかも支持しない人を村八分にするし この人たちを説得するのは限りなく不可能に近い。 なんせ政治の話をしても『むずかしい話は嫌いだ』と言ってどっかに行ってしまう。 かと言って選挙になると『先生』に欠かさず投票するし 天皇誕生日には日の丸もっていそいそと皇居に行き『バンザーイ、バンザーイ』 とか言ってるし 外国は? ワイロが横行しないだけ日本のがましだろう。 アメリカは? キリスト教原理主義とでも言う『聖書の教えを地上に反映させる』 ことが正義だと信じて疑わない人たちがいる。それも中西部と深南部に大勢 もちろん聖書の教えに反するような言動をすれば村八分だ。
152 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2008/12/30(火) 22:08:08 ID:GqioTWcF
>>151 アメリカにも仏教とはいる。村八分なんて言葉はアメリカには存在しない。
お前は馬鹿。
153 :
エビちゃんファン :2008/12/31(水) 03:05:09 ID:R6CzSmqv
>>152 アメリカでは南部や中西部、東部でも白人キリスト教徒しかいない地域なら
村八分状態はあり得る。
今まで右肩上がりで生活レベルが上がる時代には集団というのは同化主義はあっても、
互助的性格はなかったと思う。
バブル崩壊以後でもここ数年、特に今年後半になってくると、同化主義はないが、
互助的性格のある集団が拡大してきているように思う。
それは上下関係や政治的対立に縛られない生きる為だけに助け合うコミュニティである。
絶望的な状況下でそれをせざるを得なくなっている。
中流層解体の中で復古的集団主義と自由主義的個人主義の両方が解体しつつある。
どっちか言うと世界は再び縄文時代やアマゾンの先住民の社会に戻りつつあると言える。
154 :
名無しさんの主張 :2008/12/31(水) 09:32:38 ID:5lvH3CuX
厳格な組織や上下関係があるから社会が成立つんだよ。 今の若いもんはこうした厳格な教育が無いから、目上に対し怖いと思わず尊敬しないからあちこちですぐ凶悪犯罪を犯すんだよ 今こそ勉学や倫理規範、人に対する思いやり、優しさなどを鞭や竹刀木刀でビシビシビシビシ叩きしごいてしっかり叩き込んで教育するスパルタ教育が必要なんだよ。 教育とは上から下に知識や道徳などしっかり叩き込んで伝達させるものなんだよ。 そして過ちは、鞭や竹刀木刀でビシビシビシビシ叩きしごいてしっかり反省、矯正させる。 教育は厳格な威厳あってこそ成立つ。 今こそ厳格なスパルタ教育が必要なんだよ。
でも、凶悪犯罪がどんどん増えて治安が悪くなれば、日本はアメリカみたいに多様な国になるかもね
156 :
名無しさんの主張 :2008/12/31(水) 20:11:04 ID:sEWa5m4N
>>151 >もちろん聖書の教えに反するような言動をすれば村八分だ。
>>152 >アメリカにも仏教とはいる。村八分なんて言葉はアメリカには存在しない。
お前は馬鹿。
>>153 >アメリカでは南部や中西部、東部でも白人キリスト教徒しかいない地域なら
村八分状態はあり得る。
あっちこっちのスレを見て思ったんだけど
人のことを【馬鹿】だの【ゴミ】だのと言う人に限ってちゃんと調べて書き込んでない
>>154 お前別のスレにもマルチしてんじゃねぇか
消えとけサド漬けハゲ
アメ製の昔のゲームの話しだが、とあるアメリカの田舎村での事件…。 村の一軒だけ民主党支持者の家で、ここには何が起きても誰も知らせに行かないので…という設定があったりするw 要するに「村八分」状態で孤立していたりするわけなんですね。 そういう事もあるかもしれないな〜。
タイ人の気質 【め】 明確に 範囲求める 個人主義 タイ社会やタイ人の行動原理の単位は「個人」である。 日本のそれが集団的と言われるのと大きく異なる。具体的例を上げると、 最近日本の新聞によく出ている「談合」は、日本人の集団主義を よく表す商習慣と思う。この習慣はタイではうまくいかないのは 確実である。数社間で談合を行っても、いざ入札となると約束を破る 会社が必ず出てくるに違いない、集団的利益よりも自己利益を 優先するのが普通であるからだ。もっとも、破ってもタイではその 業界で村八分にされることもない。政治の世界でも、政党自身の 集団性はきわめて低く、政治家は政策上のくい違いはなくとも 個人的な利益配分を求め、離党、移党を繰り返す。 会社の仕事においても、日本の場合は「誰かがやるだろう」と 思っていると、ほんとうに誰かがやり大抵問題ない。不良が出やすい (又は過去に出た)ので気を付けろと情報を流せば、皆が気を付け 言い替えれば集団で改善し、別に責任を追求したりドキュメントを 書かなくともいい物が出来る。 個人主義においては「誰かがやる」と期待していても、たいてい 誰もやらない。 個人主義も別に悪いことではなく、仕事や責任の範囲を 明確に示せば確実にそれを実行し、製造としてはいい物が出来る。 ただ日本人から見ると、くだらないと思われることもいちいち 聞いてくるので「かってにしろ」と言いたくなることがある。 まぁ、ここは日本じゃないグッと堪えて親切に対応しよう。 http://kuiryo.web.fc2.com/tai/kihitu.html
160 :
名無しさんの主張 :2009/02/07(土) 20:24:24 ID:6OMfvel1
>>154 根本的な勘違い。
おまえみたいな発想のやつが平気で教育者やってたりするから
人材が育たないの。
161 :
名無しさんの主張 :2009/02/09(月) 03:53:47 ID:jaJgiktG
集団が硬直すれば硬直するほど人間って幼稚になるんだよね
162 :
名無しさんの主張 :2009/02/09(月) 21:28:52 ID:zxy+c/jL
>>151 欧州もいずれはイスラム移民に国を乗っ取られるよ。
個人主義最大の弱点は少子化。
163 :
名無しさんの主張 :2009/02/09(月) 21:40:20 ID:zxy+c/jL
>>7-8 悪いけど個人主義社会が進めば進むほど朝鮮人学校なんて認められなくなるわ。
金正日の写真を黒板の上に飾って将軍様マンセーとか気持ち悪すぎるもんw
164 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2009/02/09(月) 22:01:46 ID:HH7pPZKS
>>163 お前、ヨーロッパの移民社会について知ってるの?
フランスではイスラム教のスカーフが禁止されたりしてるな。
166 :
名無しさんの主張 :2009/02/18(水) 19:45:54 ID:POwQvbwi
生徒が思い通りにならないと、女子だろうと鼻血が吹き出ても殴り続け、 管理主義・全体主義教育を正義と言い張る教師が担任だった。 その教師の口癖 「お前らの為にやってんだよ」 ある日、勇気を出して聞いてみた。 「なぜ為になると分かるのですか」 「俺や仲間がそうだったからだよ」 「先生や仲間の言う"為になる"が、なぜ皆に当てはまると分かるのですか」 「ならお前、社会に出て礼儀知らなくて困っても良いのかよ!あ?」 「礼儀を知らなくて困るかも知れない位なら殴られた方が良いとは思いません。そもそも、なぜ殴らないと礼儀の勉強が出来ないのですか」 こんな話をしていたら突然殴られ「舐めたこと言いやがって」「ガキのくせに」 「殺すぞてめえ!」「普通にやるぞコラ!」と威嚇と脅迫を繰り返し 「お前らもやれ」と集団リンチを命令し、鼻が曲がり前歯が6本折れるまで 同級生から殴られ続けた。 さすがに当時でも問題になり、その教師は隣町の学校に飛ばされたが、 一言も謝罪は無し。当然、為になったなどと一度も思った事は無く、 あの教師を永遠に憎んでいる。 経験者としての結論は「こうなるかも知れない位なら、こうする方が 本人の為になる」と言う「自分」の価値観や「自分」のした事の責任を 「本人」に押し付けておいて正義面するのは偽善であり、 偽善の仮面が剥がされそうになると暴力・脅迫・威嚇で押し切る、 と言うやり方を受けた事から体罰に断固反対。
167 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2009/02/18(水) 20:54:03 ID:8T+Ds+su
全く管理しないで、究極の自由の環境の中で生き延びさせる教育 こそが、真の教育ではないかな? 勉強を教える以外のことに学校は関わるべきではない。
>>166 十分訴えられるレベルじゃん・・・ 泣き寝入りしたの?
>>164 共同体主義は個人主義と相反する。
例えばフランスでは分離主義に繋がりかねない共同体主義を廃し社会の統合を重んじてる。
朝鮮学校みたいな物狂い民族主義なんかご法度だよ。
>>167 こういう極端馬鹿な珍種っているもんなんだな。
従属のない自由は混乱
自由のない従属は奴隷
100っぺん繰り返してみよう
嫌いな友達は…水戸の男性教諭、実名あげて道徳授業 3月18日7時26分配信 読売新聞 水戸市内の市立小学校の男性教諭(55)が今年1月、「友達」をテーマにした6年生の 道徳の授業で、事前のアンケートで「嫌いな人」に挙がった児童の名前を出した上に、 記入した児童も明らかにしていたことが分かった。 教諭は「嫌いだと言わずに、良いところを見つけて卒業しよう」などと指導したというが、 市教委は「人権に配慮を欠いた指導だった」としている。ほかにも教諭には体罰や 問題指導があったとして、県教委が処分を検討している。 市教委によると、教諭は、事前アンケートで「嫌いな人」を書かせ、児童4人に対し 「どうだ、××を嫌いだと思っているのか。前に言ってたよな」と次々に聞いていった。 児童に嫌いな人を尋ねるアンケートは、児童間の人間関係を把握するために行われる こともあるというが、市教委は「アンケートの結果を児童に言うのは不適切だ」としている。 教諭は「人を好きになること」と板書し、「悪いところばかり見てしまうから駄目だ」と 児童に説いたというが、嫌いな人として名前を挙げられた児童は「みんなの前で言われて つらかった。先生を殴りたくなった」と話し、教諭に聞かれた児童の1人は「言いたくなかったが、 怖かったのでうなずいた」と話している。 この教諭に関して、市教委はほかにも、体罰と人権に配慮を欠いた行為が計10件 あったとしている。2007年6月に体育館で友達をからかった男子児童に「5秒以内に謝れ」と 尻をけって、床に座らせて謝らせたり、今年1月には縄跳びにつかえた男子児童に 「教室に行って逆立ちとか正座とかしてろ」と言って、児童に教室に戻らせて逆立ちや 正座をさせるなどの体罰があった。昨年9月には、給食でお代わりした母子家庭の児童に 「朝ごはん食べてきたのか」と聞くなどしていた。 教諭は1月下旬に担任を外され、2月16日から市の施設で研修を受けている。
これだけの事して研修だけですむって間違ってる制度だよな
教えて!goo 質問者:garcon2000
集団主義教育
困り度:
暇なときにでも やたらと、集団の力は大事だ、協調性は大事だ、友達が多いことはいいことだ、
そんな価値観が蔓延しているようです。しかも、時とともにその価値観が普遍性を強化している気がします。
その発信元があるのかないのかわかりませんが、どういう価値観や根拠でもってそういうことを
言うのでしょうか?
個人がそれぞれ感じたことを享受しあう、そして、時として反発しあう、と言う姿勢こそ、
本当なのではないでしょうか?絶対個々は心から交われるなんてありませんから。
そいつを殺して均して人の中に埋没させろ、ということと、現代ますます価値観が高まる
集団主義とは遠くないところにある気がします。
質問投稿日時:09/01/31 00:20質問番号:4675745
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4675745.html
174 :
名無しさんの主張 :2009/06/07(日) 06:24:02 ID:3LGqj8e7
175 :
名無しさんの主張 :2009/07/10(金) 14:55:21 ID:zQEdFHVs
躾も大事だけど、子供は親の間でだけ成長するわけでもないんだよな。
今回の総選挙を「赤頭巾ちゃん選挙」と命名します。 野党の皮を被った民主党に、赤頭巾ちゃん(国民)が騙されるかの選挙ですね。 おばあさん(社民党)はもう食べられてしまった様です。 自民党に異常に有利で民意が議席に反映しない小選挙区制を導入し 当時3%だった消費税率を突然2.3倍の7%にすると言い出した細川政権の轍を踏みたい人はどうぞ。
177 :
名無しさんの主張 :2009/07/10(金) 17:40:41 ID:6iPlXo1y
共同体主義=協調性や集団生活 ではないよね
178 :
お知らせ :2009/07/10(金) 17:42:25 ID:???
日テレ「1億人の大質問 笑ってコラえて」で性器丸出しを 放送された3人: 原沢汰門 吉田真歩(よしだ まある) 佐藤祐弥 日テレ変態スタッフが次の獲物を探している
★「他人とは違う」教育で、横並び癖からの脱却を 1 鳥取大学名誉教授・中村宗和 2009/6/24 ■日本人は「個」の自立図れ 国民性の違いを言い表した小話に次のようなものがあったと記憶する。見通しの良い横断歩道で 人々が信号待ちをしている。イギリス人は、青信号でも車が迫って来るときは様子を見る。 逆に赤信号でも、車が来なければ渡り始める。安全を自分の目で確認する。ドイツ人は、 青信号になれば、車が迫ってこようと横断する。赤信号に変われば、車が見えなくても渡らない。 それが規則であると。そして日本人はといえば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と落ちがつく。 ◆コピー文化から離脱を これを、日本人の交通道徳の悪さと解釈する人もいるが、われわれの集団行動癖が揶揄(やゆ) されているとみた方がよい。集団行動は、平衡感覚を失わせる。時として判断力を狂わせ、 みんなが一緒ならと赤信号でも渡る。納豆が健康に良いといえば、皆が買い求める。バナナが ダイエットに効果があるといえば、商品が消えるほど殺到する。巨大な情報に洗脳されて、 集団行動に走る。 役所も横並び癖から抜け出せない。都道府県や政令市はBSE(牛海綿状脳症)牛の全頭検査を そろそろ簡素化したいと思っている。しかし、自らは決断できない。どこかが先に言いだして くれるのを待っている。 ◆多様な価値観を許容する社会 近年、同じ考え、同じ好みを持った“金太郎飴(あめ)人間”が増えてきたと感じるのは 私だけであろうか。 近代産業組織は、大量のコピー製品を世に出すために均質な労働力を求めた。生産効率の高い機械は、 人間が考えることを必要としないばかりか、思考や行動までをもワンパターン化したのではなかろうか。 いつしか、日本人は孤独に耐える力を失い、他人と同じであることに一種の安心感さえ覚えるように なってしまった。
★「他人とは違う」教育で、横並び癖からの脱却を 2
その一方で、企業は自社のコアテクノロジーに経営を集中するようになってきた。企業の存在理由を
個性に求めたからであり、それが競争社会の生き残り策となっている。
集団が均質化し、コピーしたような人間が増えることは、生物体としての日本人が弱くなることを
意味する。生物の基本は多様性にあるからである。日本が今後も発展するためには、多様な価値観を
許容する社会でなければならない。
◆「他人とは違う」教育へ
学校教育も人を型にはめることに加担してきた。先生は学習指導要領と保護者の要求に追い立てられ、
金太郎飴人間を作ることに追われてきた。
しかし、21世紀の日本は世界のフロントランナーとして、新しいビジョンを示していく必要がある。
個々人も自らの価値観を持ち、創造性で貢献していかなければならない。そのためには、一人一人が
他人とは違う自分を目指し、他人とは違う何かによって自分の存在を主張しなければならない。
人は本来、持ち合わせている才能もさまざまである。それを画一的にそろえようとすると、個性の
伸長を抑えることになりはしないか。あらゆる教科が80点である必要はない。特定の科目や、
スポーツ、芸術に秀でていれば、それを伸ばす教育が重要ではなかろうか。
個性豊かな人材を育成するために、教育の重心を、知識を授けることから、個性の発掘、個性に
基づいた動機付けに移行してはどうであろうか。21世紀の社会では、他の人の考えや行動をまねるだけの
人間は、影が薄いように思える。
他人と同じであれば安心するようなもたれ合い社会、出る杭(くい)が打たれる社会では、
傷をなめ合う集団になってしまう。他人と違うことを誇りに思えるならば、自分と違う他人も尊敬できる。
他人と違うことに自信を持つことによって、個人は、真の自立を図れるのではないだろうか。
http://www.business-i.jp/news/special-page/ronfu/200906240001o.nwc
181 :
名無しさんの主張 :2009/08/13(木) 14:44:43 ID:yZuVrjLB
>>31 >違います。論理的思考力なら日本人は世界でも上位のほうです。
>日本の教育にかけているのは、情熱と愛の心、そして美意識を大切にする、ということです。
私も日本の教育、それによってできた日本人の思考回路は論理的というか理屈っぽい
理系的だとずっと思ってました。そして欠けている部分>情熱と愛の心
つまり情緒や感受性、芸術性を養う部分と考えると、その通りに感じます。
国語や道徳など、個人の感じ方に委ねられる題材でも、たいてい「正しい」とされる
模範回答が決まっていて、教師は個人が感じた意見より、決まった答え(理屈)を求めます。
英語では数学の公式を説くように単語や構文を覚えさせるなど
ほとんどの教科が試験のための丸暗記な内容です。
日本の本屋には成功哲学のような理屈に塗り固められた本が多いです。
理屈や常識で論理的に正しいとされること、正解ばかり追うように教育されている。
歌の歌詞でも、成功哲学や一般論、これが美しいとされた言葉や考え方の歌詞が多く、
洋楽を初めて聴いた時は個人独自の精神性や感じ方がものすごくて感じられて驚きました。
182 :
名無しさんの主張 :2009/08/13(木) 15:00:27 ID:wNcahAD6
共産主義教育を施し 資本主義社会を用意 何やっても報われない資本主義共産主義体制 敗戦国の罪として 大量生産されてく奴隷ロボット達 それが俺達日本人
183 :
セニョール・五十嵐 ◆40WnEtzSeY :2009/08/16(日) 18:28:09 ID:Flfb4ln1
>>182 君は、敗戦国の名を使うなら、どうしてドイツやイタリアとまた仲間になろうとしないのですかね?
184 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐(mobile) ◆40WnEtzSeY :2009/08/16(日) 20:41:50 ID:4Ax/ttu7
常識という言葉は馬鹿が使うもの。 常識や恥じの文化を捨て、自分らしく、そして、子供っぽく生きてみたらどうだろうか? その中に情緒や感性が芽生えますから。
民主党の目指す武力行使とは 今の国際社会の流れから言うと、イラク、アフガニスタン、ソマリアなどでの武力行使を伴う平和維持活動になるだろ。 また、新たに湾岸戦争のようなものが起きたら、アメリカから良く思われたい一心で、 多国籍軍に参加することになるだろう。 近い将来、北朝鮮紛争が起きた時、そう言う体制になっていれば、 自衛隊による北朝鮮の空爆、上陸作戦への参加等もあり得る。 >戦争をする国の絶対条件は20〜30代が大量に居ないといけないんです 良い所に気が付いたね。 だから今、民主党も自民党も産めよ増やせよ政策を打ち出している。 幸い、余り上手く行っていない様だがw 18歳からの成人化も将来18歳以上からの徴兵制施行への布石だよ。 民主党出身の埼玉県知事は、学校での君が代日の丸教育を推進しているね。 歴史的経緯から、それは民主主義にとって良くないとして反対する教職員を随分悪く言っていた。 自民党と同類の愛国心教育推進行為だ。 民主党の鳩山が天皇在位20年記念うんたらで「天皇を日本国元首にしよう」と高らかにぶち上げると 参加していた会員の自民党、民主党の議員連など数百人のやんややんやの大歓声が上がったのは、 つい最近のことだ。 また、民主党が9条をいじろうとしていることは周知の事実。
★日本の学校教育から見る集団主義 1 一、はじめに 日本人といえば、我々にとって、一番印象的なものは彼らの集団的な活動である。 「日本人のもっとも明らかな特徴は集団主義だ」といわれている。 しかし、このもっとも明らかな特徴は日本人の生まれつきのものではないと、みなさん、 知っているであろう。この特徴がどう形成するかを聞けば、答えは日本の教育である。 そう、学校教育を通じ、日本人の集団意識が彼らの心の中に移入された。 つまり、集団主義は日本の学校教育に大きな影響がある。 そこで、本稿では、集団主義が日本の学校教育に影響することを検証する。 以下では、まず、集団主義とは何であるかを説明する。次に集団主義が日本の学校教育に 影響する表現を検討する。最後、その功罪を検討する。 二、集団主義の概念と表現 集団主義は日本のがっこう教育にどんな影響があるかを知るには、まず、集団主義とは 何であるかを理解する必要がある。本稿では様々な文献を参考にし、しゅうだん主義の 概念と表現を説明する。 1、集団主義の概念 では、集団主義とは、いったいなんであるか。アレクサンドル、デウマ、ペールの三銃士の 言葉によると、しゅうだんしゅぎは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という スローガンで、個人主義的な成員に、心理的に集団と一体化しようと呼びかけるりねんである。 しかし、日本的集団主義が、その理念に属するが、まったく同じものであると思えない。 なぜなら、日本的集団主義はほかの国の集団主義と違い、日本人の民族性として説明されるのであるから。 たとえば、山岸俊男によれば、「日本人は民族性として、集団から離れては生きていくことはできない という本能的な理解や感覚を世界のそのほかの「主要国」と比べ、強く持っているという。 その感覚は集団生活をする生き物としては、自然で、素朴な姿である」(1)、と考えられているという。
★日本の学校教育から見る集団主義 2 2、集団主義の表現 日本人は日本人の集団主義をどう見るか。西園寺一晃が「桜と牡丹」の中で、「やっぱり日本人は 桜そのものだな、国民性といい、思考方法といい、まさにさくらだ」と述べた。彼は「花と国民性」 について大いに議論した。 彼の意見によると、桜はパッ咲き、パッと散る。咲くときも一緒、散るときも一緒である。 散り方が美しい。1輪1輪の花はこれといった特徴はなく、目立たないが、樹全体、林全体の花となると、 圧倒されるような華麗さと迫力がある。つまり日本人は、行動様式が集団主義的で、規律を重んじ、 集団からはみ出すことはしない。一人一人の個性はないが、しゅうだんでは大きな力を発揮する というのである。(2) そのほかに、日本人の集団主義に生き生きとした描写がある。ある人が次のような話を話したことがある。 「日本人は蜜蜂のように、一人一人の個体は優秀ではないかも知れないが、いったん小さな集団を結べば、 協力協調により、強大な力を持つようになる。」(3) たとえば、トヨタ会社が成立したとき、ただなにんかしかいない小企業であった。当時の欧米国家の 会社と比べれば、それに劣るに決まっている。今では世界の500社のひとつになった。小さな会社から 大きな会社へと、弱い会社から強い会社へと、激しい競争の中で発展して来た。その創業精神、競争精神、 奮闘精神、特に団結精神を我々はよく考えてはならない。 日本人は集団内部の調和を重視する。この調和を維持するために、地位による上下の関係を注意し、 この関係を受け入れ、支持する。集団内部では、地位による上下の関係がこの集団に属した時間で決められる。 年功序列の原則はその関係の体現である。また、敬語が強まっている上下の関係に大きな作用が あるからこそ、日本人にとっては、最も重視されるものである。3 社会の調和やいったいの恵みで、日本の財界や政界のリーダーは、簡単に国民を団結させることができる。 こんな国民の団結あればこそ、日本は強大な経済成長を実現した。
★日本の学校教育から見る集団主義 3
三、日本の学校教育から見る集団主義の功罪
本稿では、「集団主義の概念と表現」や「集団主義が日本の学校教育に影響する表現」をすでに述べた。
次に、本稿は、「日本の学校教育から見る集団主義の功罪」を検討するつもりである。しかし、その前に、
集団主義の形成を検討する。そうしなければ、その功罪を完全に理解することが不可能であると思う。
四、
本稿では、集団主義、特に日本の学校教育から見る集団主義についてを考察した。その結果、集団主義が
日本の学校教育にプラス、マイナスの両面があるという事実が示された。
この事実はわが国の教育改革にとって、重要な参考になるであろう。このことを考える際には、ほかの国の
学校教育に注目することが必要であろう。これは今後の課題としたい。5
http://www.riyu031.cn/viewthread.php?action=printable&tid=3194
189 :
名無しさんの主張 :2009/11/07(土) 06:12:48 ID:F4G8RFNL
http://www.youtube.com/watch?v=Dic7k9HNZH4 この日本のことわざは、ほかの人たちと異なる人は組織によって制圧されるという意味です。
画一化によって人々は同じ事をさせられ、同じ生き方をし、同じ服を着させられます。
その結果、日本にはとてもよく似ている人たちが非常に多くいるのです。
その事は格好がよく美しく見えるかもしれませんが、私にとっては、退屈でつまらないように思えます。
私には個性がありますがそれを表現することが許されていません。この状況が変わってほしいと思います。
今は、日本のシステムが人々が感情を表現する妨げになっています。
例えば私の友達は、仲間外れにされるのを恐れて自分自身の意見を言わないことを選びます。
この沈黙のために、友達と私の間に偽善が生じます。この事で私は不快になりうんざりさせられます。
なぜなら私は私たちの関係がどれ程良くなる余地があるか知っているからです。
私たちの友情関係を改善する良い方法はお互いに自分の本音を示すことでしょう。親睦がより深まりずっと長く続くでしょう。
190 :
名無しさんの主張 :2009/11/07(土) 06:18:07 ID:F4G8RFNL
他に私を悩ませるものは学校の制服です。私の学校では、生徒は同じブレザー、同じブラウス、同じスカートを着て、 同じ靴を履きます。皆同じに見えるのです!私には自分にもっと似合う服を選ぶ自由がありません。独創性におけるセンスが抑圧されます。 (中略)2004年の夏、ホームステイをしにカナダのバンクーバーに行きました。 私が出会ったカナダ人たちは、大胆で、派手で、友好的で、社交的で、心の広い人たちでした。 彼らと一緒に暮らし、自分自身にさらに自身を持ちました。自分が感じた事は何でも表現できました。 また、私たちはカジュアルな服装で学校へ通いました。授業では、全てを暗記する代わりに自分で考えなければなりませんでした。 これら全てのおかげで、私は16年間の日本の画一化から自由になることができました。
191 :
名無しさんの主張 :2009/11/07(土) 06:26:39 ID:F4G8RFNL
このカナダ旅行は私を変えました。今、日本では、画一性が私たちを同じように見せ、同じように動き考えさせていると思います。 その結果人々は自分の感情を隠すことになり、そして偽善が生じます。仕事の圧力が日本を家よりも職場の様に感じさせているのです。 私はもっと多様性があればいいなと願います。もし日本人が自分の感情を示し、違って見え、彼ら自身で考えることができたなら、 彼らはずっと幸せになり日本は生活するのにとてもよい国になるでしょう。 私は他の日本人とは考え方がかなり異なっていると思います。だからこそ、この社会が改善することを望んでいます。 これが私の感じ方、私が思う事、私が他の人と異なる点です!
192 :
名無しさんの主張 :2009/11/12(木) 16:13:44 ID:qtmIEv53
日教組ってさ、一種の全体主義者なのかな? その証拠に、オザワを異常に信用してるし。
193 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐(mobile) ◆40WnEtzSeY :2009/11/12(木) 20:00:34 ID:Y7Pvw1tp
>>192 ゆとり教育や、男女共学推進のどこが全体主義なのか?
戸塚ヨットスクールのほうが遥かに全体主義ですけどね
194 :
名無しさんの主張 :2009/11/19(木) 07:45:08 ID:36ixQoAS
age
197 :
名無しさんの主張 :2009/12/12(土) 09:31:04 ID:HylFXwgo
>>193 保守派もリベラル派も教育に関しては全体主義的な人が多いんだよ。
日本という国自体がまだ発展しきってないんだろうな。
198 :
名無しさんの主張 :2009/12/12(土) 09:31:54 ID:HylFXwgo
勿論これから発展すると思うけどな。
今の幼稚園は廃止すべきだ。ひとりひとりの個性を伸ばすどころか横並びで凡才を育てる。
200 :
セニョール・ニューエイジ・五十嵐(mobile) ◆40WnEtzSeY :2009/12/14(月) 04:06:39 ID:iFm8cpe+
石原慎太郎と三宅久之と戸塚は死ね
201 :
名無しさんの主張 :2009/12/14(月) 04:35:34 ID:WDZhb+zr
日本社会は母性的
★「演技だろう」熱中症でフラフラの剣道部員に蹴り、ビンタ→救護遅れ、生徒は死亡
大分県竹田市の県立竹田高校で8月、剣道部員の男子生徒=当時(17)=が部活動中に熱中症で倒れ死亡した事故で、
県教育委員会は28日、生徒に体罰を加えた上、体調不良に気付かず救護措置が遅れたとして、
顧問の男性教諭(47)を停職6カ月の懲戒処分にした。一緒に指導していた副顧問の男性教諭(42)も停職2カ月とした。
小矢文則教育長は「熱中症に対する理解不足で、安全配慮義務に違反していた」としている。
県教委などによると、顧問は8月22日、同校の剣道場で、休憩や水分補給をさせないまま約1時間半にわたり練習させ、
ふらつく生徒に「演技だろう」と言って腰をけった。その後、壁にぶつかり倒れ込んだ生徒のほおを数回平手打ちした。
その後も生徒の意識はもうろうとしたままで、飲ませた水を吐くなどしたため、ようやく変調に気付き119番したが、
生徒は搬送先の病院で熱中症による急性心不全などで死亡した。
2009/12/28 19:05 【共同通信】大分、剣道部顧問の教諭を停職 熱中症の救護遅れ死亡
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122801000697.html
203 :
名無しさんの主張 :2009/12/29(火) 22:02:10 ID:e0SXMUUr
>>202 部員を殺しても定職6ヶ月で済むのか?
教職員の身分保障を再考する時期に来ているよね。
みんなで紅白はつ詣であげ〜
205 :
名無しさんの主張 :2009/12/31(木) 09:45:12 ID:6lTYPpv6
>>203 教師GJ!!(もちろん冗談
しかも舞台は、コネ採用問題で大騒ぎになった、あの大分県。
206 :
名無しさんの主張 :2010/01/01(金) 18:50:10 ID:QXgJGsmm
集団主義的なのは、いい面もあるさ。 社会の仕組みはセレブでなければ知りえないよ。 無知なサラリーマンはセレブのいうとおりに黙って働いていればよい。 それで世の中はうまくいく。 社会の歯車が狂うのは、いつもサラリーマンが調子に乗ったときだ。
207 :
名無しさんの主張 :2010/01/02(土) 15:16:17 ID:tzIhTb9h
>>202 何これ?
教師って殺人事件起こしても警察の捜査対象にすらならないの?
で、まさにこんな人こそが「教師にふさわしい(懲戒免職にもならない)」、と。
208 :
名無しさんの主張 :2010/01/02(土) 15:23:57 ID:fOYax1nO
>>207 学力低下問題の陰に隠れてはいるものの
80年代に顕在化した生徒指導上の諸問題は
今も全く解決されてないと見るのが妥当。
しかも安倍ちゃんあたりなんかああいう風なやり方をむしろ推進さえ
していたわけだから。
209 :
名無しさんの主張 :2010/01/02(土) 18:03:44 ID:KI1/ABCY
もうさあ、この義務教育そのものを廃止の方向で皆で議論できないのか。 義務教育というものは、もともと全体主義のためにあるようなもの。 日本の義務教育は国民の8割が農民だった時代には機能した。 今の時代には、この存在意義事態が見出せない。 仮にこの義務教育を廃止したからといって、何か問題が起こるのか。 くだらない事業仕分けよりも、この義務教育の廃止のほうが10兆円 くらいの規模が見込めそうだ。
210 :
名無しさんの主張 :2010/01/03(日) 21:18:51 ID:rQ2wbGr8
日本は江戸時代から寺子屋というシステムがある。今の義務教育を 廃止しても、国民の教育レベルが落ちるとは考えられない。 それに今時の親たちは学校の教員なんて信用していない。むしろ 私塾のほうを尊敬している。学校休んでも塾は休まないというのが 国民の本音といえる。 また学校崩壊が進んで30年というが、これが改善されるどころか 毎年悪化の一途をたどっている。もう義務教育なんて廃止の方向で 議論したほうがいい。
211 :
名無しさんの主張 :2010/01/03(日) 23:33:49 ID:vpQk0mIX
>>210 個人的には義務教育廃止もいいが、
実際には無理だろう。
実際、学校は学力よりも人付き合いの方を重視している。
だからさまざまな学校行事が充実している。
高校あたりになると学校は異性の出会いの場と化する。
仮に廃止になれば子どもが一人ぼっちになる。
学力は高くなるかもしれないが、コミュニケーションが落ちやすい。
人付き合いってよりも理不尽な行為が当たり前のように洗脳する のが義務教育の悪いところ。
213 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 00:26:15 ID:hzXqtZr4
>>212 さらに国民がこれまで受けてきた教育の結果、
理不尽に対する耐性がついていることを大前提にしなきゃ
純ちゃんや平蔵君が理想としてきた社会だって完成しないわけで。
しかし学校で学ぶ人付き合いやコミュニケーションは 大抵は陰湿な空気読み体質だったりするからな・・・
★「頭が痛い」→「練習に出ろ」 空手部練習中に生徒倒れ重度障害 部長の教諭を略式起訴
熊本市の私立開新高校で平成19年、空手部の練習が原因で男子生徒(18)に重い障害が残った事故で、
熊本区検が業務上過失傷害罪で空手部長の40代男性教諭を熊本簡裁に略式起訴したことが30日、
関係者への取材で分かった。略式起訴は25日付。
関係者によると、生徒は19年7月10日、組み手の最中に脳しんとうを起こしたが、
教諭はその後もタイヤを引く走り込みなどをさせた。翌日に「頭が痛い」と訴えた際も
練習に参加するよう強要。生徒は直後に倒れ、意識不明の重体となった。
両親の告訴で昨年6月、熊本北署が業務上過失傷害と暴行の疑いで教諭を書類送検していた。
暴行罪は不起訴となった。生徒は脳に重い障害が残り、
現在は佐賀県の実家から特別支援学校に通学しているという。
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091230/trl0912301301000-n1.htm
216 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 18:21:35 ID:WrEXUuay
>>213 学校ではいじめを無くそうと叫んでいるが、
理不尽そのものがいじめじゃないか。
ちょっと矛盾しているぞ。
あの戸塚ヨットだっていじめを肯定している・・・
217 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 19:49:39 ID:UgTGDXkS
>>210 今の経済情勢や社会情勢では、義務教育が実施しているような
「人付き合い」など必要とはされていない。これが本当に有益
ならば、ニートとかフリーターのような人間が600万人にも
及ぶようなことなどないだろう。本当に有益な教育ならば、
義務教育を終了した時点で、多くの企業が求人を行うはずだ。
だけども事実はそんな姿からは程遠い。こんなに多くの若年層
失業者が輩出されるのは、義務教育の効果が全く意味をなして
いないからだ。むしろ今の時代には有害ともいえる。百害あって
一利なしとは今の義務教育のことだろう。そもそも義務教育の
原点は、国民の軍民化にあったわけだ。ここでいう軍民とは、
時代遅れの歩兵中心の軍隊のことで、決して現代の機械化の
進んだ高度な軍隊のことではない。またこの義務教育の成果
などは全くない。ニートをみろ。フリーターをみろ。派遣労働
をみろ。義務教育が何の役にもたたないことを見事に証明して
いる。義務教育など廃止しても国家機能には影響はない。俺の
意見を皆真摯に受け入れて欲しい。国民の多くの意見でこの
無用の長物「義務教育」の廃止を実現して欲しい。
●義務教育とは何か?
義務教育とは小学校6年間+中学校3年間、計9年間の事を示します。
国民は自由という権利を持っていると同時に義務を課せられています。
職業選択の自由や社会的生活を営む権利を持っていると同時に
「仕事について働く義務」(勤労の義務 日本国憲法:第27条)
「税金を納める義務」(納税の義務 日本国憲法:第30条)
「子供に教育を受けさせる義務」(教育の義務 日本国憲法:第26条)
等の国民の三大義務を始めいろいろな義務があります。
そして、国民三大義務の内の1つ「子供に教育を受けさせる義務」というのが
義務教育の事です。
・すべての国民は、法律の定まる所により、その能力の応じて、
等しく教育を受ける権利を有する。
・すべての国民は、法律の定める事ろにより、その保護する子女に
普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。
(日本国憲法:第26条の第1項、第2項)
・国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
(教育基本法:第4条)
勘違いしてはイケナイのが
義務教育の義務とは
子供が教育を受ける義務では無くて
大人が子供に教育を受けさせる義務
という事です。
http://www.geocities.jp/hikovent/aoitori/columu/c-gimu.htm
219 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 20:45:12 ID:UgTGDXkS
この憲法には、義務教育という言葉を有しているものの、学校教育という 言葉は使っていない。要するに教育を受けさえすればいいわけであって、 義務で拘束するということは明文化されていない。 またこの日本国憲法の教育の条文では、「法律で定める」という部分があり、 これが大日本帝国憲法の悪しき流れでもある。大日本帝国憲法で、いいよう に使われた条文がいくつかあり、「言論の自由」「請願権」などにも、この 「法律の定めるところにより」という文言がそうだった。これによって、 あの治安維持法などを排出してしまった。 今の日本国憲法では、決して学校教育にこだわることを要求していない。 だから教育の義務化だけであって、悪しき拘束体質をも義務とはしてない。 今の学校教育には、正確に言うと小中学校という義務教育課程では、憲法 の他の条文での禁止事項にも抵触している。「奴隷のような拘束」とか、 「公務員により拷問の禁止」に、今の荒廃した教育はあてはまらないの だろうか。 要は教育は必要なのであるが、学校教育法が絶対とはいえないのでは ないだろうか。学校教育の代替手段があれば、そちらの方向に移行すれば いいだけのことではないのか。 今の時代に、学校のような全体主義的な拘束など必要とされていない。 その証拠にニートやフリーターを人口の数パーセントにまで上らせている。
220 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 21:26:19 ID:QthYTuUz
>>216 そもそも学校あるいは教師サイドから児童・生徒へと押し付けられる理不尽が
ユルポになってきたからこそ
ガキ同士のいじめや学力低下をはじめとした教育上の諸問題が色々起こるんだ、
と認識しているような奴らだぞ。>安倍、山谷、中山ら清和会系文教族
未だにGHQの政策に踊らされてる国だからね。 義務教育がもしも素晴らしい事であるならばこんな陰湿で偽善な 社会にはならんよ。 軍隊の整列のような事を学校でやらせたってしょうがない。 アメリカからの留学生の親が人扱いしないなんて酷いと怒った例もあるみたいじゃん。 日本って物凄くおかしい国だぞ?
222 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 21:51:39 ID:QthYTuUz
>>221 それどころかアメリカのネオコン連中が
日本の教育を高く評価して本国へ取り入れたくらいなわけだが。
あそこは意図的に格差社会を推進して
生きていくために軍隊に入るしかない若者を一定数作っているような国だからな。
223 :
名無しさんの主張 :2010/01/04(月) 22:06:27 ID:UgTGDXkS
軍隊の整列みたいなことをやらせるのは、先ほど述べた国民の軍民化という前提がある からだ。学校教育の採用と兵役の採用は同じような時期だ。戦後の憲法では兵役は禁止 された。だから兵役との共生動物の学校義務教育も廃止の方向で議論すべき。 学校義務教育廃止にはいくつかのメリットがある。 ひとつは年間10兆円の無駄を省くことができる。これによって国債の早期の償還が 可能となる。ふたつめには、旧態依然とした時代遅れの兵役の旧段階排除し、真の意味 での民主的思考様式を国民にも付与できること。 みっつめには、幼少期から外国人から完全隔離されている国民に国際性を付与できること。 6歳から15歳までの幼少期には、より多くの外国人との接触を図り、成人後に国際的な 多様性を発揮できる。 よってめには、学校の荒廃という悪しき現象から若年層を救うことによって、健全で 主体的な国民を育成することができる。 学校崩壊が叫ばれてから30年以上がたった。一向に解決する兆しなど微塵もない。 これは学校義務教育の役目を終えたからだ。だから国民の総意で、この厚生労働省並みの 腐敗行政を完全に解体する必要がある。この解体によって日本の教育は崩壊しまい。 江戸時代の寺子屋のような健全な教育体質が復活する。むしろ江戸時代の寺子屋のような 法制度にないにもかかわらずに、国民の高い識字率を維持するなどの成果を発揮したことは、 世界史でもまれに見る快挙だろう。学校廃止に寺子屋復活は、日本ばかりでなく、世界から もその先進的教育制度として注目を集めるだろう。
■集団主義的な社会と個人主義的な社会の基本的な違い(一般的な規範、家庭、学校、職場)
集団主義的
・人々は、拡大家族または他の内集団のなかに生まれて、その集団に忠誠を誓う代わりに保護され続ける
・アイデンティティは、自分が所属する社会的ネットワークに根ざしている
・子どもは「われわれは」という視点から物事を考えることを学ぶ
・常に調和が保たれねばならず、直接対決は忌避される
・コミュニケーションは、状況に左右されやすい
・不正行為を犯すことは、本人とその内集団にとって恥であり面子を失うことである
・教育の目的は、具体的な方法を学習することである
・卒業証書を得ることは、より地位の高い集団の一員となる道を開く
・雇い主と社員の関係は、家族関係と同じく、道徳的な観点から評価される
・採用や昇進に関する決定では、社員の内集団についての情報が考慮される
・経営とは、集団をいかに管理するかである
・人間関係が職務よりも優先される
個人主義的
・成人すれば、自分と身近な(核)家族だけの世話をすればよい
・アイデンティティは自分自身に根ざしている
・子どもは「私は」という視点から物事を考えることを学ぶ
・自分の心のうちを語る人こそ、誠実な人物である
・コミュニケーションは、状況に左右されにくい
・不正行為を犯すことは、罪の意識をかき立て、自尊心を傷つけることである
・教育の目的は、学習の仕方を学ぶことである
・卒業証書を得ることは、経済力ばかりでなく、自尊心を高める
・雇い主と社員の関係は、相互の利益に基づいて結ばれた契約関係である
・採用や昇進は、技量と規則にのみ基づいて決定されるはずである
・経営とは、個人をいかに管理するかである
・事務が人間関係よりも優先される
http://d.hatena.ne.jp/alumis/20050831/1127078737
■集団主義的な社会と個人主義的な社会の基本的な違い(政治とアイデア)
集団主義的
・個人の利害よりも集団の利害が優先される
・私生活も集団に干渉される
・集団の見解に従わねばならない
・法と権利は集団によって異なる
・一人当たりの国民総生産は低い
・経済システムにおいて、国家が支配的な役割を果たしている
・政治力は利益集団が握っている
・報道は国家当局に押さえられている
・他の社会から持ち込まれた経済理論は、集団の利害や排他主義者の利害について論じることができないので、ほとんど関連がない
・個人の自由のイデオロギーよりも平等主義のイデオロギーが優先される
・社会の調和と合意を達成することが究極の目的である
個人主義的
・集団の利義よりも個人の利害が優先される
・プライバシーが保護されている
・個人的な見解の存在を前提としている
・法と権利は普遍的なものであるとみなされている
・一人当たりの国民総生産は高い
・経済システムにおいて、国家の果たす役割は限られている
・政治力は選挙民が握っている
・報道の自由がある
・個人が自己の利益を追求することを背景として固有の経済理論が生まれている
・平等主義のイデオロギーよりも個人の自由のイデオロギーが優先される
・誰もが自己実現できることが、究極の目的である
多文化世界―違いを学び共存への道を探る
作者: ヘールトホフステード, Geert Hofstede, 岩井紀子, 岩井八郎
http://d.hatena.ne.jp/alumis/20050831/1127078737
★教諭が生徒を軟禁暴行=修学旅行中、2人大けが−「禁止行為」とがめ・法政高
法政大学中学高等学校(東京都三鷹市、牛田守彦校長)の教諭2人が今月中旬、北海道の
修学旅行中に宿泊先のホテルで、参加者の高校2年の男子生徒を軟禁して暴行し、うち2人に
大けがを負わせていたことが26日、分かった。2人は警察に被害届を提出した。
牛田校長は同日、同校で記者会見し、「生徒を傷つけ大変申し訳ない。再発防止に取り組みたい」と
謝罪した。同校は暴行を加えた2教諭を含む引率者4人を自宅謹慎とした。懲戒処分も検討しているという。
同校によると、けがを負わせたのは28歳と36歳の男性教諭。北海道の修学旅行は14〜18日で、
高校2年の男子生徒107人が参加した。
2教諭は16日夜から18日にかけ、宿泊先のホテル食堂で、同校で禁止している携帯ゲーム機や
スノーボードを持ってきたといった理由で、9人の生徒を正座させたという。9人は期間中、
外出できなかった。教諭は没収したゲーム機を折るなどして壊したという。
さらに殴るけるの暴行をし、没収したマージャン牌を入れたみそ汁を飲ませたり、自分の髪を
強制的に刈らせたりした。夜から朝まで半日間眠れず、断続的に暴行を受けた生徒もいた。
うち2人の生徒は頭やひざなどに2〜3週間のけがを負い、登校できない状態が続いている。
暴行を見たため、不眠や食事ができないと訴える生徒もいる。(2010/01/26-21:48)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100126-00000203-jij-soci
★日本は違いを認めないぞっとする社会、根っからの全体主義国家 1
?シム・フン教授の日本を見れば韓国が見える
http://www.segye.com/content/image/2010/01/06/20100106000857_0.jpg http://www.segye.com/content/image/2010/01/06/20100106000847_0.jpg (前略)日本の小学校に通うことになった筆者の子供に「ランドセル」を持たせて送り出した。軍用
リュックサックに似たランドセルは日本の小学校の子供たちの必需品。どこの誰も強要しないが、
背負って登校しないわけにはいかない神物中の神物だ。韓国から持ってきたカバンを持たせたか
ったが、学校の雰囲気はとうていそれを許しそうになかった。以後、全学級に一括配布された美術
道具セットと音楽道具セット、運動服セットと給食セットは全てが画一化され、定形化された日本と
日本人をより現実的に感じさせてくれた..
6ヶ月が過ぎるや、少々日本を知ったとうぬぼれ始めた。そして招待された小学校の運動会。韓国
でも上の子の運動会を見たことがあるので、期待感に浮き立って学校へ向かった。以後、6時間
ずっと続いた衝撃と当惑感。運動会というより巨大な集団劇を「視察」した感じだった。校長先生と
教職員らの前での厳粛な宣誓以後、直ちに続いた学生たちの応援戦では軍隊をほうふつさせる
程の節度ある動作が参加者と参観者の戦闘意欲を徐々に高めさせた。
驚いたのは各学年が見せた器械体操。特に5、6年の場合は北朝鮮のマスゲームを見ているよう
な錯覚をおこすのに充分だった。(中略)だが、筆者をより一層驚かせたのはこの日、進行された
数多くの行事の連係が驚くべきほど正確で、なめらかに続いたこと。器械体操を終えれば、100m
競走で、100m競走が終われば綱引きにつながる過程は歯車のようにぴったり合った。どれほど
事前準備を徹底的にしたのか、どれほど予行演習をしたのか、100m競走をしている最中に、運動
場の片方の隈では先生と高学年が綱引き道具を準備、綱引きが終われば待機していたチームが
恐ろしく縄を片付けていった。軍部隊でもできないほど完璧だ。運動会は正確に3時に終わった。
★日本は違いを認めないぞっとする社会、根っからの全体主義国家 2 運動会で受けた衝撃があまりに大きかったので米国では運動会を「どのようにするか?」インター ネットを検索してみた。するとする所としない所など各々ではあるが、運動会をする学校は共通の 特色を持っていた。すなわち、学生たちに事前練習をさせることはないということ。さらにある学校 では先生に水風船を投げたり、即席で履き物を脱いで遠く飛ばし大会を開催するなど、それこそ 楽しく遊んで帰る秋の日の「祭り」に昇華させていた。2学期が始まるやいなや運動会の準備で毎 週三、四回はくたくたに疲れて帰ってきた筆者の子供たちが頭の中に重なる瞬間だった。 日本の高校生は真っ黒い制服にカバンまで統一された学校生活をしなければならない。このよう な形で教育を受けて育つので、日本での人生は組織のために存在することが徹底的に教え込ま れる。ふと周りを見回すと中学高校でまだ制服だが、入社する瞬間から男女全員、黒い洋服で出 勤する日本が目に映った。そういえば、日雇い労働者さえ「ニッカポッカーズ」と呼ばれる日本特有 の作業服を合わせて着て作業現場をかけ回っていた。だからだろうか?規律と画一から自由にな りたい願望はいわゆる若い世代らでより一層反抗的な服を着るたいと考える。派手な服で市内の 真中に繰り出す若者たちの「声なき叫び」はそれでより一層、切なく響く。 テレビに映った日本の会社の面接控室。全部、黒いスーツに白いワイシャツとブラウスを着ている。 共産国家の人民服の様に制服とユニフォームから抜け出せないのが日本人たちの宿命だ。その 意味で、5年間の実験が終わり、2007年にみすぼらしく幕を下ろした「ユトリ教育」プロジェクトは出 発から失敗が決まっていた「幻想」だった。創意的な教育を通じて日本を変えようという意図で実 施された「ユトリ教育」は生まれた瞬間から死ぬ時まで禁止と統制、訓練と規律の中に一生を終え なければならない凍土では最初から発芽が不可能な種だった。すべてが同じ方式で育ち、同じ方 式で教育を受けて同じ方式で人生を続けなければならない国。そのような日本は根元から葉っぱ まで全体主義国家だ。
231 :
名無しさんの主張 :2010/03/14(日) 07:33:47 ID:PxK5berA
ドラゴンボールのピッコロが子どもを無人島に放り投げた方がいいと思うぞ (実際には荒れた荒野に4歳の悟飯を放り投げたけど)
232 :
名無しさんの主張 :2010/03/15(月) 13:48:14 ID:iNAWIbuY
スレタイどうりなら日本はこんな国になっていないよ。逆だからこんな国になってしまった。
233 :
名無しさんの主張 :2010/03/15(月) 13:51:59 ID:iNAWIbuY
公より私を優先させ、在日やシナにいい様にされ 若者は堕落し 義務より自由や権利を重んじる… こんな国のどこが全体主義 なんだ? もしそうならシナチョンは日本にいなくなってる。
234 :
名無しさんの主張 :2010/03/15(月) 15:42:03 ID:nCEMTvYo
実際夏の参院選でも山谷えり子あたり、民主党の教育政策をボロクソに批判して 体罰やゼロトレランス、詰め込み教育の再徹底を訴えれば それなりに支持が集まるんじゃないの?
(自)己を主張することを極端に恐れる 周囲と異なることを極端に恐れる これらすべて、教育と言うよりはモンゴロイドの不安遺伝子のなせる業
中国人は主張するでしょ。 日本人には不安遺伝子を持つ人が多いと聞く。
237 :
セニョール・旋風児・イガラシ ◆40WnEtzSeY :2010/03/15(月) 19:11:32 ID:oYvNLacA
>>235 朝青龍様はモンゴロイド、南北アメリカ大陸の原住民もモンゴロイド。
>>232 >>233 をいをい、おめー糞真面目だなあ
アメリカ様の言うこと聞いてたらどんどん搾取政治になるぞ
そんなに先生の言うこと聞いて褒められたいのか、おりこうちゃんw
239 :
名無しさんの主張 :2010/03/15(月) 20:01:22 ID:nCEMTvYo
>>238 個人的には山谷えり子がニタニタしている光景だけは見たくない。
日本の株式市場は、じわじわ上がっては中休み、じわじわ上がっては中休みする どんどん上がるどん上がるモードに突入した模様です。
>中国人は主張するでしょ。 北朝鮮含め自己主張をしていたらいまだに共産党の一党毒裁が続くわけがない。 押し並べてアジア系は従順な人種だよ。 これは太古の昔従順な者以外は生き残れなかったことの裏返しかもしれない。
このスレで言われてるような日本の教育システム・内容について批判してる 英語で書かれた本を探してるんだけど誰か知らない? だいぶ前に同じ板の他スレで教えてくれた人がいたんだけどどの本か忘れちゃった
243 :
名無しさんの主張 :2010/03/18(木) 20:22:17 ID:24nUgWhm
>>235 >周囲と異なることを極端に恐れる
のは打たれるから。
例として、
220 :名無しの笛の踊り:2009/12/08(火) 18:10:32 ID:E3uCZ6We
たださー 会社の上司とか同僚とかに、気安く「クラシック好きです」なんて言えないんだよなぁ。
言ったら最後、色々な意味で目の敵にされそうだよ。
自分の趣味を曝け出しただけで、変な敵対心持たれたくない。
お前にクラシックなんてもん分かる訳がないと思われるだけじゃなくて、お前、コンサート行くほど
金あるのかと変に嫉妬心を持たれる始末。
恐らく、無意味な残業なんてバンバンさせられるだろうし。
履歴書にもおいそれと書けないよ。 趣味の欄に「観劇、音楽鑑賞」と書いても
オペラ、バレエ、クラシック音楽とは答えず、適当なことを言ってお茶を濁してる。
221 :名無しの笛の踊り:2009/12/08(火) 18:17:26 ID:nFfhE5ih
>言ったら最後、色々な意味で目の敵にされそうだよ。
>自分の趣味を曝け出しただけで、変な敵対心持たれたくない
腹の底からよくわかる!てか経験アリ;
ただ、「分かる訳がない」とか「コンサート行くほど…」というよりも、もっと根源的な敵意、排斥だった気がするなー。
(クラシックより難しい事やコンサート以上の贅沢が山ほどある時代だからね)
そうだなー…、前近代のキリシタン迫害とか?あれにやや近いくらいの敵意、排斥だったと思う。
05/01/26 17:07:06 ID:???
>ヘヴィ・メタル、ハードロックってどう思ってる?
率直な意見としましては、童貞、いじめられっ子、幼稚、低脳、ギャグ、時代遅れ、キモイ、痛い、
つまり、滑稽の極みということです
2008/01/12(土) 13:03:12 ID:???
ジャズは苛められっ子の弱虫のための音楽。
周囲に馴染めないからJ−POPに劣等感を抱き、
ロックには怖くて近寄れないのがジャズヲタ。
天皇万歳のキチガイ歌、君が代と その下で400万人の日本人が苦しみ死にさせられた天皇のかみさんのメンスの日のシーツを 民主党は子供の心に植え付けることを強制するんだと。 ネトウヨどもが民主党があたかも左翼であるかのような印象を与え 民主党に票を集めていたが、 ほれほれ、言わんこっちゃない。 ナチ民主党、本領発揮だなw
245 :
名無しさんの主張 :2010/03/18(木) 22:15:25 ID:UcXGdHvP
ドラゴンボールのピッコロみたいに、 子どもを無人島に放り投げればいい。 そうすれば、よく育つかも? 当時の不良は集団志向が高く、「一人では何もできない」と レッテルを貼られた。
246 :
名無しさんの主張 :2010/04/18(日) 00:17:23 ID:TE/zHgIB
「集る」と書いて「タカる」と読む これ、豆知識な
>>174 ありがとう。
その本はまだ読んでないけど、ネットでその人の言説を読んだらめちゃめちゃ面白かった。
>>231-232 意味わかんない。
右翼って必ず日本以外の東アジアを叩きまくって優位に立ちたがるよな。
全体・形式・体裁主義、画一社会、軍隊式教育、人権軽視、汚い景観、動物愛護に無頓着
東アジア丸出しだろう。
▲集団主義的・全体主義的教育をやめない限り日本の将来はない
日本国民は、横並び体質、個が無く無責任な存在であり、常に集団における関係でしか物事が考えられないとされている。
どんな教育を受けた人々も、社会では非常に冷や飯を食っている現実が、先進国中であまりにも顕著に見られる。
これはなぜかと言えば、学校教育がまず「おかしい」、「おかし過ぎる」、「問題だだらけ」であるからである。
40人学級というとてつもなく過密な教室で、画一的な教育を集団で一糸乱れず行っていて、
集団行動が善であることを叩き込もうとしている。
ところが、現実の社会では、集団行動は単なる悪事の正当化にしか利用されていない。人々は集団に埋もれ、考える力をないがしろにしている。
だから、いつまでも個人が貧しいのである。
日本の学校教育は、人間教育としてはまさに、あらゆる負の側面を抱えている。
そこには、人間の創造性よりも、人間社会の圧制的側面ばかりを強調・賞賛していて、
子供の能力を伸ばすことが全く軽んじられているのである。
あらゆる子供の問題は、この無意味な日本の学校教育の産物であると言ってまず間違いない。
http://blogs.yahoo.co.jp/japanmatrixrevolution/28574692.html
★個人主義化した中国と集団主義の日本 1/2 中国は個人主義と言われている。それに対比するならば、日本は集団主義なのだろうと思う。 日本の会社などでは、空気を読む事などが重視されていたりして、他人との価値観が違う事を 許容される雰囲気ではない。本来はいろいろな価値観を持っている人が集まっているはず なのだが、多くの人がそれを出さないように「隠して」いるうちに、少しずつ個性を失って 周辺の考え方に染まっていくという事なのだと思う。 日本が能力に関わらず、何故か新卒採用にこだわり続けて、会社の中で何とか育成をかけよう とするのは、その表れだと思う。つまり、日本の会社の側からすると、初期投資で会社の 価値観に染め上げて、会社の言う通りに動く人材を育成していくという事だろう。 日本が経済成長しているうちはそれで良かったのだろうけど、今の時代に会社に身を預けたら 太平洋戦争末期の日本軍のように司令官と一緒に玉砕なんていう事になったら大変だ。 今の日本人は情報もあってそんなに馬鹿じゃないのだから、死にたいなら自分ひとりで 死んでくれというのが本音だろうと思う。 日本の会社は、1つの価値観で全体がまとまっている事が良い事と今でも信じられているので、 それは嫌だと思うならば、日本の会社には居られまい。外国にでも逃れて、価値観が合う 会社を見つけるか、自分で会社を起業するかすべきだろうと思う。それが出来ないのであれば、 他人の価値観に染まった所で言い訳も出来ないという事だろうか。 富士通の野副州旦前社長は、プレジデントという雑誌(2009年6月)で「サラリーマンというのは、 必ず上司がいる。その上司が『お前、こうやれ』と命じたとき、『いや、そう言われても、 ちょっとできそうもありません』と言えば、済むのか。いや、所詮は、やらされる。 どうせやらされるなら、『はい、わかりました』とひとこと言って、その後で考え、 悩めばいい」という事を述べていた。
★個人主義化した中国と集団主義の日本 2/2
彼の言う事に偽りは無くて、彼は上司から密室で社長を辞めてくれと言われて、その場で
1時間ほど議論しただけで「はい、分かりました」と言って、社長をすぐに退いた。富士通も
たまには海外経験が20年と豊富で良い人材が社長になるものだと見ていたら、すぐに辞任
させられてしまった。会社の外部とのビジネスであれば、辞める前に弁護士を呼んだであろう。
不思議に思うのは、海外の企業がどうして違った民族であったり、文化などを乗り越えて一緒に
頑張っていけるかという事だ。それは単純で、全員の価値観が異なっている事が分かれば、
別に価値観が異なる事は何もおかしい事では無いからだ。個人的なやり方は問われなくて、
結果だけが出せればそれでいいというである。その代わりに、日本のようにサポートも
無いので、自分でやり方を考えなくてはならないので、学歴や自分での勉強も必要になる。
ヒロポン (2010年3月17日 08:42) 中国株でいこう!
http://www.chugoku-kabu.net/blog/2010/03/post-164.html
21世紀にも残る封建制度の伝統。
253 :
名無しさんの主張 :2010/08/14(土) 20:50:13 ID:VB2mYUn1
君達が落ちこぼれたのは教育のせいじゃなくて君達が無能だからなんだよ (笑)
254 :
名無しさんの主張 :2010/08/16(月) 04:01:41 ID:sn3BU7mI
i
255 :
名無しさんの主張 :
2010/09/07(火) 07:56:35 ID:8NWfNyHy