1 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/08/04(金) 00:12:10
昭和54年1月26日、大阪の三菱銀行北畠支店に猟銃を持って強盗に入った犯人・梅川昭美(うめかわ・あきよし/当時30歳)は
「5千万円を出せ」と要求して猟銃を乱射。抵抗した行員を射殺し、現場に駆けつけた警官2名を射殺すると客や行員ら43人を
人質に籠城(ろうじょう)する。
「金を出さなかったお前が悪いんや!!」
と怒鳴り、支店長も射殺。行内には4人の死体が転がり、まさに地獄絵の様相を呈した。
日本国中が事件の推移を注視する中、梅川は集めた20人の女子行員に「10数えるうちに服を脱げ」と命じ、全員全裸にさせ
警察の狙撃から身を守るための「人間の盾」としてカウンターの上に並べた。さらに、重傷にあえぐ行員の耳をナイフで切る
よう人質に命じたり、トイレの使用も許さず、女性にカウンターの陰で済ませるよう命じた。
「お前ら、ソドムの市って映画知っとるか?恐怖の極地を見せたる」
日本の犯罪史上類例を見ない異常で凶悪な犯行を重ねた梅川は、事件発生から42時間後の28日朝、突入した大阪府警の特殊
部隊によって射殺された。
日本中を震撼させたあの事件から27年。社会的に忘れられていく事件の風化を防ぎ、未来永劫に語り継いでいくために、
社会板にスレを立てた次第である。
2げと
スレタイはどういう意味なんでしょう・・・
3 :
名無しさんの主張:2006/08/04(金) 00:16:26
パンチの梅川
4 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/08/04(金) 00:18:44
>>2 事件を忘れないという意味です。
>>3 あれはアフロというのです。
5 :
連投キティ ◆hfGQ1C/H02 :2006/08/04(金) 00:21:55
松田優作に似てたな
6 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/08/04(金) 00:23:38
>>5 松田勇作が梅川の影響を受けたということも考えられます。
『探偵物語』の放送開始は、ちょうど事件後の昭和54年です。
7 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/08/04(金) 00:31:38
9 :
名無しさんの主張:2006/08/06(日) 11:21:04
10 :
コロンビア:2006/08/08(火) 02:05:58
さあ、語れ。
11 :
名無しさんの主張:2006/08/12(土) 21:26:15
女子行員達の全裸姿を想像して1000回くらいオナニーしたかな
13 :
名無しさんの主張:2006/08/12(土) 22:34:39
第二の【梅川】現れないかな?
岐阜県庁に立て篭もって「裏金全部出せー!」と…
14 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/08/12(土) 23:00:28
>>13 今は難しいのではないでしょうか。
あの事件以来、関西地方では特に猟銃の所持許可が厳しくなったと言います。
仮に梅川事件のような事件が今起きた場合、警察の特殊部隊に即行射殺される
と思います。
15 :
名無しさんの主張:2006/08/18(金) 13:35:40
16 :
名無しさんの主張:2006/09/02(土) 18:56:00
たしか、「狼たちの午後」という映画が、放送中止になった
17 :
タナカカズヒコ ◆EsnZiYDJO. :2006/09/05(火) 20:33:15
若き日のアル・パティーノが格好良かったね
>>16 何度も観たけど、サルが刑事に殺される瞬間は凄く緊張する。
ところで、この事件では男性も多数人質に取られたわけだが、女子行員の全裸を
見て、あそこは反応したのだろうか?
緊張と恐怖のあまり、全く反応しなかったのだろうか?
女性行員にフェラさせた奴でしょ?
19 :
名無しさんの主張:2006/09/20(水) 18:33:08
オウム+宅間
を足して2で割ったような事件
21 :
名無しさんの主張:2006/09/21(木) 01:29:36
>>1 ヤンキーorチンピラ+典型的なDQN凶悪犯
当時の大阪府警射殺GJ!
正当防衛無しでは
手に負えん香具師だったからな。
現場の警察官に言い渡された指示が、
「犯人を生きて出すな」
だったらしい。
銃で武装し、人質を取って立てこもるという犯行が、すでにアメリカナイズ
されていただけに、警察の対応も極めてアメリカ私刑文化的だったね。
25 :
名無しさんの主張:2006/09/24(日) 19:30:24
>>23 後々の裁判のことも考えにあったんじゃないだろうか。
裁判になれば、銀行内であった出来事の詳細を今のように封印できなくなる。
余談だが、裁判になっていれば傍聴席を求めて麻原の比ではない長蛇の列ができただろうな。
第二の梅川出てこ〜い
は?
たんなる事件のドキュメンタリーさ。
YouTubeにグロなんかあるわけないだろ。
あそ
30 :
名無しさんの主張:2006/10/08(日) 02:47:55
2008年以降…
31 :
名無しさんの主張:2006/10/08(日) 02:50:53
さて、ブログ代わりに今日の独り言。
昨日今日と殺伐とした話だったので今日は心癒される音楽の話を。
3年前だったと思う。当時、テレビ朝日の深夜番組で「プロファイル」というのがあった。
覚えている方もいるかと思う。ちょうど「浅ヤン」みたいな新人発掘目的の音楽番組だ。
その番組でデビューを果たした新人は何人かいるのだが、どうしたわけか番組は途中で
終わってしまい、彼女らのその後の消息がネットなどでもまったくつかめない。
土屋明子という新人がいた。彼女は『恋ふ』(「こいふ」と書いて「こう」と読む)
『泣き虫』『水無月』という曲をリリースして以降、もう2年以上消息不明である。
私は彼女の曲を絶賛していた。2ちゃんねるの邦楽女性ソロ板での反応も驚くほど
上々である。ところが、どうしたわけか彼女のサイトも閉鎖されたのか見られなく
なっている。ネットでも時折調べているのだが、活動休止なのか、完全に音楽活動
そのものを止めてしまったのか、まったく分からないのだ。
彼女のような音楽的才能を持った新人の曲が今ではもうネットでさえ試聴できなく
なっているのは非常に残念なことだ。彼女のCDを是非聴いてみてほしい。知人は
「ヒトトヨウ(漢字忘れた)のパクリ」などと言っていたが、個人的にはヒトトヨウ
なんかよりもっと優れた才能を持っているのではないかと思うのだ。
この板にもID制が導入されたようです。
今日からこっちをブログ代わりにすることにしました。
それにしても夜は結構冷えてきたね。
さて、ブログ代わりに今日の独り言。
今日は仕事で今まで飲んでいた。普段はあまり飲まないので、飲まされるのは苦手だ。でも仕事だから
飲まないというわけにはいかない。で、ビールを一杯ということになる。少し飲むと相手が待っていた
ように注いで来る。で、仕方ないから飲む。するとまた待っていたように注いで来る。また飲む。また
注ぐ。飲む。この繰り返しだ。気がついたらものすごいペースでビールを飲んでいたことになり、もう
心臓がヤバイくらい高鳴っている。まったくアホみたいな話である。
この「お酌」という日本の文化がいけないのだね。酒なんて飲みたいように飲めばいいのに、畏まって
お酌したりされたり、ちっとも嬉しくない。こうやって肝臓を鍛えていく、ということなのだろうか。
一種の通過儀礼のようなものなのだろうか。それにしてもアホらしい。私は喫煙の習慣がないのであれ
だが、タバコだって火をつけたら本人が吸いたいように吸って、それで終わりである。酒だけは一切、
本人の自由が利かないというのが不満と言えば不満である。
それはともかく、以前、どこかの板で「ドイツはテロ組織と話し合いをしている」というような話が
出てきたことがある。調べたら、確かにドイツには世界各国の「テロ組織」の支部があり、本国から
逃げてきた指導者もかなり在留している。イスラム過激派であったり、中南米の左翼ゲリラであった
り、様々なテロ組織がドイツに逃げてきているのは事実だ。
しかし、その一方でドイツでは大きなテロが起こらない。テロと交渉しているからテロが起きないの
だという話を中三川幸也氏が言っていたように記憶しているのだが、ドイツ警察はすべてのテロ組織
を監視対象にしているのである。電話やメールは逐次チェックされているらしい。大使公邸人質事件
で有名になったペルーの「ツパク・アマル」もドイツに支部を置いているのだが、ここの支部が運営
するサイトにメールを送ったある日本人が、何も知らずにペルーを旅行していたら現地の治安警察に
身柄拘束されたという。メールを送ったことがすぐにドイツ当局から通報されていたというわけだ。
だから、勘違いしないで欲しいと思う。ドイツでテロが起きないのは、ドイツ政府が国内に集めた
テロ組織を徹底的に監視しているからなのである。
福岡の中学生いじめ自殺事件が波紋を広げているようである。
詳しい事情を知らないので何とも言えないが、担任教師がいじめの原因を作っていたとしたら最悪である。
私も中学時代に陰湿ないじめに遭った被害者だから、自殺した生徒の心情は察するに余りある。私も当時は
自殺ばかり考えていた。近所のマンションの屋上に登ってみて、飛び降りのリハーサルまでやったほどだ。
首吊りや服毒自殺も考えた。私も生徒だけでなく教師にもいじめられていたから、この自殺した中学生の
無念は我がことのように思えてならない。
昨日今日とテレビで自殺した生徒の親が教師に詰め寄っている映像を見た。問題の教師は「一生償う」と
言っていたようだが、本当にいじめが事実だとして、心底罪を悔いているのなら自殺すべきだ。暴論かも
知れないが、敢えて言いたい。彼が死ななければ、結局は「やり得だ」という考えが広まる。同じことが
永久に繰り返されるのである。
私が中学の頃、『人間失格』というドラマが流行った。いじめで自殺した学生の親が彼をいじめた同級生
たちに復讐していく物語だ。ラストで主人公をいじめていた新見(確信はないが、たぶんそういう名前)
教師が電車に轢かれて終わる。「新見を突き落としたのは誰か?」という話題で盛り上がっていた記憶が
ある。
あのドラマで作者が言いたかったことは、おそらく「復讐はいけない」ということだったのだろう。
我が子の復讐のために鬼になった父親は、結局、逮捕されて刑務所へ送られる。法治国家なのだから当然
である。そして、たぶん、新見の死という形で締めくくったことで、
「人間が復讐しなくても、必ず、神が悪人を裁いてくれる。だから、復讐はするな」
ということを言いたかったのだと思う。因果応報である。
だが、ここで重要なのは、本当にこの国では復讐者が出てくるのか、ということである。
欧米では、いじめが少ないとよく言われる。その理由は何なのだろう。
私はこの問題を長い間、考えてきた。そして、結論として言えることは、
「欧米では、人をいじめれば復讐される。日本では、人をいじめても復讐されることは、まずない」
ということだ。
アメリカの学校でも、いじめは存在する。だが、いじめられた生徒が自殺する、という話はあまり
聞いたことがないように思う。逆に、いじめられた生徒が仕返しするために、学校で銃を乱射する
という事件は、毎年のように起きて、日本のメディアも大きく報じている。
アメリカをはじめ、世界のほとんどの国は銃社会だから、容易に復讐できる環境が整っている、と
言えるのかもしれない。無論私は、学校で銃を乱射し、無差別に人を殺傷する行為が、たとえ犯人
側に同情すべき点があったとしても、支持し、賞賛するつもりはない。
だが、人間というのは哀しいほど素直な生き物である。復讐するものがいなければ、いじめる側に
とって、これほど甘い世界はない。復讐される可能性が高いアメリカでは、日本ほど陰湿な学校の
いじめというものが存在しない、あるいは、日本よりずっと少ない、ということが言えるのでは
ないだろうか?
誤解を避けるために言っておきたい。私は決して、復讐を支持したり、賞賛しているわけではない。
私もモノカキの端くれだから、復讐をテーマにした小説を書いた。そこで言いたかったことは、
『人間失格』の作者が言いたかったことと同じだと思う。小説を書いていて、不思議に思ったこと
がある。日本では「復讐」というものが極めて少ない。私の小説の主人公は日本人だが、物語の
舞台は南米である。日本の話ではない。『人間失格』のような復讐者が出てきた、という話を私は
一度として、この日本で、見たことも聞いたこともないのである。
刑務所を出た犯人が、被害者に「お礼参り」をした、という話ならよく聞くが、被害者が加害者に
法に頼らず、自らの手で裁きを下し、報復した、という話を聞いたことは今だかつてない。
無論、復讐の話ならいくらでもある。だが、例えば『忠臣蔵』は厳密に言えば、復讐の話ではない。
一応、復讐劇の体裁をとりつつ、実態は、主家を失った家来たちの「再就職活動」であった。
江戸時代の「仇討ち」は武士階級の特権であり、好むと好まざるとに関わらず、敵を討たなければ
主家に帰参が叶わないという一種の制度だから、純粋な復讐心に基づいた復讐ではないのである。
欧米では、被害者が加害者に復讐する話をよく聞く。あの悪名高いコロンビアでさえ、いじめは
まず、あり得ないということである。当事者に代わって復讐を「代行」する殺し屋がいるから、
学校でも職場でも、人をいじめるなどということは、考えられないのだそうだ。
だとすれば、何故、日本人は復讐しないのだろうか。どの遺族も十中八九、犯人への恨み辛み
を口にしながら、実際に自らの手で復讐した者はいない。少なくとも私の知り得る限りで、
復讐に走った被害者は存在しないのである。
これは、あくまでも仮説である。
明治時代まで、日本の人口の8割は百姓だった。武士はわずかに7%である。つまり、我々の先祖の大部分は
農民だったのである。徳川政権は「百姓は国の宝」と言った。農民を武士の次に偉い身分と定め、保護政策を
とった。一方で「ゴマの油と百姓は搾れば搾るほど出るものなり」というのが「本音」であった。故に百姓を
土地に縛りつけ、農奴に等しい状態に置いたわけである。収穫させた米はほとんど取り上げてしまい、農民を
半永久的に貧困の中に閉じ込めたわけだ。反抗すれば容赦なく罰し、お上に楯突くなどとんでもない、という
空気を作り上げ、外国との交渉もない閉鎖的な社会で、徹底的に「従順な奴隷」になるよう調教、洗脳して
いったのである。
戦後の民主主義も憲法も普通選挙権も、決して、国民が血を流して勝ち取ったものではない。戦勝国から
一方的に与えられたものである。300年の徳川体制で飼い慣らされた国民は、敵国の作った憲法も制度も
何の抵抗もなく受け入れた。自分たちで勝ち取ることを知らないのだから、支配者が変わったというだけで、
それにくっついていれば問題ない。長いものに巻かれろ、出る杭は打たれる、身の程をわきまえろ、果報は
寝て待て、という日本の諺がよく示している。
だから、いじめられても耐えられるだけ耐えて、耐え切れないところまで来たら、いじめた相手に復讐する
こともなく、黙って死んでいく。学校に包丁を持って飛び込み、暴れてやろうといういじめられっ子は出て
来そうにない。あの宅間でさえ、自分より弱い立場の子どもを狙ったという時点で、復讐者の足元にも及ば
ない。
結局、この国では、やられた方は泣き寝入り、やったもん勝ちで、いじめはなくならないし、いじめられて
自殺する子どもも後を絶たないのだろう。
復讐はいけない。だが、神が裁いてくれるはずの悪人が裁かれない。ならば、復讐も必要なのではないか。
最近、とみにそんな思いがするのである。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ