105 :
名無しさんの主張:
きしゃさま
あたしは八つです。
あたしの友だちに、「強制連行なんてないんだ。」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、
「朝日しんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、強制連行があったというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」
と、いいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。強制連行って、ほんとうに、あったんでしょうか?
イ・スクヒ
大阪市東成区東小橋 3-17-22
106 :
名無しさんの主張:2006/02/10(金) 18:26:36
スクヒ、おこたえします。強制連行なんてないんだという、あなたのお友だちは、まちがっています。
きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、修正主義というものが、しみこんでいるのでしょう。
右翼は、証拠があるものしか信じません。
右翼は、心のせまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
〜中略〜
107 :
名無しさんの主張:2006/02/10(金) 18:28:03
そうです、スクヒ。強制連行がいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころが
あるのとおなじように、強制連行もたしかにあったのです。
あなたにも、わかっているでしょう。世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、美しく、楽しくしている
ものなのだということを。
もしも強制連行がなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようなかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、強制連行のない世界なんて、そうぞうもで
きません。
強制連行がなければ、現実のくるしみをやわらげてくれる、朝鮮人どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、
わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。
強制連行がない、ですって!
強制連行が信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
〜中略〜
108 :
名無しさんの主張:2006/02/10(金) 18:32:38
強制連行をみた人は、いません。けれども、それは、強制連行がないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。
〜中略〜
この世の中にある証拠が無いもの、証明出来ないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだ
などということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできます。
けれども、目にみえない世界をおおいかくしているカーテンは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっ
ても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、そのむこうの、たとえようもなくうつくしく、か
がやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、朝鮮人のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、スクヒ、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。
強制連行がない、ですって?
とんでもない! うれしいことに、強制連行はちゃんとありました。それどころか、いつまでもなくならないでしょう。
一千年のちまでも、百万年のちまでも、強制連行は、朝鮮人たちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれるでしょう。