武士道による「台湾精神と日本精神」

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1名無しさんの主張

武士道による「台湾精神と日本精神」
李登輝前総統講演全文
http://www.yorozubp.com/0303/030301.htm


普遍的な価値をもつ武士道を現代に取り入れていきましょう。

2名無しさんの主張:2005/10/25(火) 21:56:52
珍wwwwwww
3名無しさんの主張:2005/10/26(水) 08:39:58
age
4名無しさんの主張:2005/10/26(水) 18:45:58
age
5名無しさんの主張:2005/11/01(火) 10:05:55
age
6名無しさんの主張:2005/11/06(日) 17:12:40
阪神淡路大震災、福知山線脱線事故などにみた近隣住人の助け合いの姿。
これが中国やアメリカであったなら略奪が横行するだろう。
また1999年に起こった台湾地震では日本と同様、略奪などは起こらなかったという。
何故おこらなかったのかはいわなくてもお分かりなのではないか。
古来より日本には侍だけでなく各階層の心ある人たちの精神的支柱として、
心に刻み込まれたゆかしい武士道精神があった。
それは仏教、神道、儒教などの根本精神を生かした、世界にもまれな
「知行合一」の道徳律であった。
弱いものを慮り労わる「武士の情け」、困窮者を看過せぬ「惻隠の情」があり、
困難に陥っている人たちに対し身を賭して助力する
「義を見てせざるは勇なきなり」それら「仁・義・礼・智・信・慈悲・勇・徳」があった。
困難に怯むことなく、危機に背を向けることこそ「恥」なのである。
忘れがちな人間としての崇高なモラルと良心を、そして人間の品格とは、正義とはを改めて教えてもらった気がする
7名無しさんの主張:2005/11/06(日) 17:43:50
人権啓発リーフレット
◆ 同和地区の起こり

 同和地区は、豊臣時代から江戸時代にかけて武士による支配体制を維持・強化
する目的で 政治的につくられたとされています。

 江戸時代は、わずか7%の武士階級が他の人々を支配していました。徳川幕府は、
財政基盤を米を中心とする農産物においていましたので、84%をしめる農民を支配
することが重要な課題でした。そこで「士・農・工・商」という身分制度を作り、
農民を武士につぐ身分に位置付けました。これは、重い年貢により苦しい生活を
余儀なくされていた農民にささやかな優越感を持たせ、農民からより多くの年貢を
取り立てる政策を維持し、不満や怒りのはけ口を幕府や武士階級からそらせる
ためでした。

 しかし、厳しい年貢の取り立てに農民の不満が大きくなり、支配体制を維持する
ことが難しくなってきました。そこで「農工商」より「さらに低い身分」の人々を
位置付け、不満や怒りがその人々に向くように仕組みました。これが同和地区の
起こりです。

 同和地区の人々は、住む場所、仕事、衣服、交際など生活全般にわたって制限を
受け、差別の対象として大変苦しい生活を強いられました。

ttp://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-02/jinken/jinken.html
8名無しさんの主張:2005/11/06(日) 18:59:30
古来より日本には侍だけでなく各階層の心ある人たちの精神的支柱として、
心に刻み込まれたゆかしい武士道精神があった。
9名無しさんの主張:2005/11/06(日) 19:33:00
鰹武士が入ってない台湾料理のことか?このスレ
10オナニー革命:2005/11/06(日) 19:47:59
僕はオナニー道を突っ走る!!
11名無しさんの主張
「武士道」という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、
新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、
その契機になっていたようです。もともと「武士道」なるものが
形成されたのは江戸時代のことです。
天下泰平の世において、サムライの戦闘精神が、文化的に形式主義の磨きを
かけられたものがそれでした。
これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の
「武士道」とでも言うべきものです。
つまり副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本人の
精神一般についてなのです。