【中央】東京一極集中は賛成?反対?【地方】

このエントリーをはてなブックマークに追加
対面情報の不透明を解消しよう。
 どうして日本だけは逆なのか。その根底は対面情報の慣習だ。
「とにかく会って面突き合わせて語らなければ本当の事が分からない」という社会だから、
この国の真の実力者、官僚機構にすりよらざるを得ない。
民間同士の事業でも、互いに食事やゴルフに誘いあい、酒肴を交えた社交を積みあげなければ本音には至らない。
こんな世の中では、誰も彼もが東京一極に集中するようになる。
だが、スピードが求められるグローバル時代には、これではやっていけない。
情報の収集と意志の決定に時間と費用がかかるばかりか、情報事体が不正確で不公正になりやすい。
 日本が世界の変化に遅れた原因の一つは、東京一極集中による対面情報慣習にある。
これを改善する為には、欧米並みの通信情報社会にならねばならない。
ブロードバンドや第三世代携帯電話が普及しても、「本音のところはお会いして」では役に立たない。
 これは仕事の仕方だけの問題ではない。
各省に政策の規格審査機能から基礎調査や統計記録の機能までを
縦割りに収めた官僚組織からして対面情報を前提にしたものだ。
 官庁の組織も通信で情報を交換する形に改め、企画審議と調査統計を分離した物にすべきだ。
それが確実かつ安価にできるのはやっぱり首都機能の移転、
それも企画審議機能と調査統計機能を分離して別の場所に移す形の移転だろう。
東京都心だけに収縮
二十一世紀に入ってこの方、東京は建設ラッシュだ。品川から汐留、六本木と超高層ビルの建設が忙しい。
2003年完成の超高層ビルは延べ218万平方メートル、
バブル景気に煽られて着工してビルの完成が集中した
94年8月の183万平方メートルを上回る史上最高記録である。東京湾上の「夢の大橋」あたりから見た風景は
一種壮観、高さ百メートル以上の新築ビルがいくつも並び、大型クレーンが林立している。
 しかしそれは東京の都心部だけに限られた現象で、それ以外は不況が深刻だ。工場の縮小、産地の消滅、
米価の下落などが重なる地方はもちろん、大阪や名古屋でも高層ビルの建築は最低水準に陥っている。
2002年の全国生コンクリート出荷量は前年比五%減だったが、東京を中心とする南関東だけは前年を上回った。
とくに東京都における民需は前年比一四%の大幅増だった。
 日本経済が高度経済成長を続けていた1960年代には、全国各地で開発が進み、どこにも未来への夢と開発の期待があった。
それを反映してか、70年代前半の「日本列島改造ブーム」の際には全国的に土地が値上がりした。
北海道や沖縄の原野が「別荘地」として高値で分譲された。米作用の農地も杉檜を育てる山林も値上がりした。
善し悪しはともかく、そのころ日本には開発の夢を描くフロンティアスピリット(開拓精神)が全国にみなぎっていた。
 このブームは石油ショック等で崩壊したが、15年後にははるかに大規模なブームがやってきた。
言わずとしれたバブル景気である。このときの地価高騰は総額では「列島改造ブーム」の何倍にもなったが、
その範囲は限られていた。大幅に値上がりしたのは東京や大阪の商業地と周辺の住宅地、それにゴルフ場や
リゾートホテルのできそうな場所だけだ。
平成最初の三年あまりつづいたこのブームで暴騰した土地の面積は、
日本国土37万平方キロメートル余の中の3%、12000平方キロメートルにすぎない。
(島部をのぞく東京都や大阪府の約6倍)
日本人が夢と期待を持てたのは、ごく限られた地区だけだった。
 平成初期のバブル景気では大都市の拡大を期待して周辺部の住宅地も大いに値上がりした。
特に東京近辺には、業務地区の拡大を予想した業務副都心が造られた。横浜のみなとみらい地区、
千葉の幕張、埼玉県の大宮などがそれである。
 ところが2003年では、これらの業務副都心のビルは空室が目立つようになり
開発予定地は半分以下に縮小された。これからも、東京都心の高層ビルの完成に伴い
東京周辺には空室が増えそうだ。今の日本には、土地を拓き事業を興すフロンティア精神が消えたばかりか
新しい土地と新規事業を捨てて既成の組織と
東京都心の100平方キロメートル程の地区に群がる逆フロンティア現象が起こっているのだ。
        形の収縮は心の収縮
日本の形は、猛烈な勢いで収縮しつつある。500年も前に人が住んでいた山間部や
島嶼が無人と化した。多くの農村は流通機能と情報文化機能を失った。商店の無い村、
映画館も旅館もない町が急増している。緊急病院や弁護士空白地も広がっている。
 地域の中核になる都市でも、情報発信機能を持たないところが多い。
全国47都道府県の中で39の県が県外に情報を流すメディアを持っていない。
その県で発行された新聞や雑誌、そこで製作されたテレビ番組が県外で販売、放送されることがないのである。
 そればかりか地方中核都市でも情報発信力と文化創造機能が乏しくなった。
昭和末期までは関西にも歌舞伎役者やオペラ歌手も映画監督も少なからず住んでいた。
全国各地に著明な音楽家やファッションデザイナーがいた。ところが今は、ほとんどが東京に集中、
都心のごく狭い地域に閉じ込められてしまった。
 15年前には、鎌倉や湘南に文筆家が多かった。ところがファクシミリが普及すると
「鎌倉や湘南は遠すぎる」というので世田谷あたりに移住した。
ところが最近、インターネットが使われると「世田谷では遠い」といわれ、
港区、渋谷区など都心の7区に集まり出している。
 テレビの民間キー局5局は東京都港区に集中する。
全国紙5社は千代田区と中央区の5キロの間に集まっている。
そのうえ、地方紙も共同通信など東京発信情報への依存を強めている。
今では、情報発信の重要な役割を果たす広告の出稿や企画も、ほとんどが同じ地域で行われている。
 世界では政治機能と文化経済機能の分離が決定的になった。首都機能と経済文化機能は分離し、
情報発信源の「多源化」が進み、そのことが、新しい知価を生み、経済を発展させている。
そのなかで、日本だけが逆行、多様な知識の時代にどんどん立ち遅れてしまった。
 形の収縮は気持ちの萎縮を生む。動物は同じ環境の小空間に閉じ込め同じ情報を与えると、
個性と活力を失い、いら立ちが生じると言う。
 今の日本がまさにそれ、
情報発信や文化創造活動が東京都心の超高層ビルという同じ空間に閉じ込められた。
その結果、日本の発想は統一され、文化は多様性を失った。
学会でも芸術界でも既存の人脈に埋没する者が増え、新説異能は出にくくなった。
新聞記事も、雑誌の編集も、テレビ番組も、類似品と繰り返しが多い。
狭い空間に閉じこもっていると、人間は怠惰になり臆病になる。声高に改革を唱えるが
実行は既成の枠を超えない。そうなるとすぐ、それを肯定する理屈を考える。
みんなのすることを肯定するするのは人間の知恵でもあり、ずるさでもある。
 今の日本は不決断を熟慮と言い換え、臆病を慎重と呼ぶ世の中である。
しかしその結果はてきめんに表れる。どんなに言い訳を巧みにしても、強弁を押し通しても、
怠惰の結果は量的現象と質的低下として表れる。日本の経済は規模の縮小と品質の低級志向に走っている。
これこそ不況の遠因、危機の本質である。
 高度経済期にはだれもがあたらしい辺境を拓くフロンティア精神に溢れていた。地域開発にも熱心だったし、
新業態新製品の創造にも励んだ。全国各地からアイデアが生まれ、情報が発信された。
だが今は東京都心の100平方キロメートルに群れあって人脈と規制の枠を超えないのが利口な生き方になった。
地域でも業態にも規制の中に潜り込む「逆フロンティアの発想」が一般化してしまった。
本当の改革のためには今こそ大胆に形も気持ちも解き放たなければならない。
東京集中の是正、地方分散と分権はこの国の形と気持ちを変える上でも大切だ。
首都機能の問題もそんな観点から真剣に考えてほしい。