高山正之☆新潮「変見自在」

このエントリーをはてなブックマークに追加
39名無しさんの主張
94 名前:文責・名無しさん 投稿日:02/08/08 21:54 ID:o95Q4485
スーチーの困った癖

高校の教科書検定で「李氏朝鮮」にだめが出た。
なぜなら韓国でそう言わないからという理由だ。
では米国の南北戦争はどうなる。米国はそれを「市民戦争」と呼ぶ。
「独立戦争」も「革命戦争」になる。
あちらでは市民革命こそ民主国家の原点という思い込みがある。
だから単なる植民地の独立も市民革命と呼びたがる。
日本の表記はそういうごまかしを認めていないが、米国が韓国のようにせこい注文をつけたら、どうするのか。
そういう言葉のごまかしの天才は英国だろうか。
例えばインドのセポイの反乱。植民地支配に初めて楯突き、それこそ何十万も殺された。
でも英国はそれを「反乱」と呼んでインド支配がそれほどひどくなかったような印象を持たせている。
それに対してビルマ(ミャンマー)に小さな軍艦1隻を差し向けて植民地にした騒ぎの方は「英緬戦争」と呼ぶ。
英国側の戦死はたったの4人だけで、とても戦争と呼べる代物ではないが、
そう名づけることで国王を追放し、犯行の芽となりそうな王族をすべて処刑し、と戦勝国の権利をフルに発動した。
(週刊新潮 5/23日号 変見自在より)
40名無しさんの主張:04/10/18 00:20:31
95 名前:文責・名無しさん 投稿日:02/08/08 21:55 ID:o95Q4485
さらに統治の悪辣さも後のGHQなみだった。
敬虔な仏教徒で、しかも単一民族国家という扱いにくい国を英国は好きに作り替えた。
華僑を入れ、イスラム系インド人を入れ、さらにモン、カチンなど周辺山岳民族を山から下ろしてキリスト教に改宗させ、
ビルマをわずかの間に多民族、多宗教国に変えたのだ。
こうすればインドで実験済みの分割統治が可能となる。
民族、宗教の対立をあおって争わせる、あれである。
だから戦後、主権を取り戻したビルマ人が直面したのは経済、金融を握る華僑、インド人、
そして軍隊を掌握する山岳民族との対決だった。
それでネ・ウィンは鎖国令を出した。
貿易を止め、自給自足経済になって、商売のうまみがなくなった華僑がまず出て行った。
次がペイオフ令だ。一定額以上の銀行預金は没収し、ともに貧しく生きようというわけだが、高利貸のインド人にはコタえた。
たんす預金にすると今度は紙幣改変をやる。旧紙幣は廃棄だからどうしても交換する。
また一定額で切られる。インド人も出て行った。
最後に残った山岳民族とは長い戦いを経て、同じ仲間だから五族共和でいきましょうとなった。
その証に国名をビルマ族の国ビルマからミャンマーに改めている。
ベトナムは経済実権を握る華僑の財産を没収した。
それでボートピープルが生まれたが、それに比べれば実に忍耐強い平和的解決だと思う。
(週刊新潮 5/23日号 変見自在より)
41名無しさんの主張:04/10/18 00:21:36
96 名前:文責・名無しさん 投稿日:02/08/08 21:55 ID:o95Q4485
で、なんとか国の体裁が整った時、スーチー女史が帰ってきた。
彼女は父アウンサンが暗殺された後、英国が引き取り英国人の妻となって半生を英国で過ごしていた。
祖国がいかに英国の後遺症に苦しんだかを知らないまま彼女は民主化を叫び始め、
ビルマ人に追われた華僑や山岳民族がそれを支援した。
英国も支援した。英国大使がこっそりバンコクに行き、彼女の活躍とビルマ政府の圧制を世界に喧伝した。
「彼女の夫は祖国をズタズタにした英国の人間。その不信感は国民の間に根強い」と山口洋一元大使は言う。
大使公邸は彼女の家の前にあり、その観察から彼女は軟禁を解かれると、
「わざとルール違反をして政権を怒らせた。悪質だった」とも。
彼女は祖国の事情に目をつぶり、その言い分も一切聞かない。
その代わり英国の言うことはよく聞く。
スーチー女史の今度の開放に万々歳の紙面を作ったのが朝日新聞だった。
昨年9月のコラムではネ・ウィンを独裁者に描き上げ「従順な民が一斉に反逆したのが88年の民主化運動だった」とも書く。
彼女の主張どおりだ。
何でこうも気が合うのか考えたら共通点があった。自分の国を否定し、よその国の言うとおりに動く。
彼女は英国、こっちは中国、だ。(週刊新潮 5/23日号 変見自在より)