43 :
名無しさんの主張:
>>38 インドネシアの歴史教科書「社会科学分野・歴史科第五分冊」
当初、日本軍の到来はインドネシア民族に歓迎された。インドネシア民族に
歓迎された。インドネシア民族は、長く切望してきた独立を日本が与えてくれ
るだろうと期待した。
どうしてインドネシア民族は、このような期待をもったのだろうか。それは、
日本がやってきてまもなく、次のような宣伝を展開したからである。
―日本民族はインドネシア民族の「兄」である。日本がきた目的は、インドネ
シア民族を西洋の植民地支配から解放することである。
―日本が「大東亜の共栄」のために開発を実施する。
その実態はどうであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、並外れた苦
痛を体験した。日本は結局、独立を与えるどころかインドネシア民衆を圧迫し、
摂取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超え
る、非人道的なものだった。資源とインドネシア民衆の労働力は、日本の戦争
のために搾り取られた。
44 :
名無しさんの主張:04/09/08 22:47
しかし国歌と国旗掲揚は間もなく禁止になり、「皇紀」「昭和」という元号が導入され、学校では日本語のほか
「修身」なども教えられました。天皇崇拝は強化され、皇居に向かって最敬礼させる「宮城遙拝」も強要されま
したが、これらは一神教のイスラム教徒には耐え難いものでした。
しかしながら、オランダが築いた中央集権的国家機構は陸軍と海軍の分割占領によってずたずたにされ、経
済もオランダの輸出入市場と切り離されたため崩壊、インフレ率は3年半の軍政で4000%に達しました。
にも関わらず軍政当局は米の生産量の3〜5割を強制的に徴用したので、人々は生活苦にあえぎました。
加えて、随時「ロームシャ(労務者)」が徴発され、日本軍のために強制労働させられました。その数は約
30万に及びましたが、終戦時に生き残っていたのはわずか7万人だったと言われます
45 :
名無しさんの主張:04/09/08 22:48
マレーシアの教科書「歴史の中のマレーシア」
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日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まる
で自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座
を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった
ブルネイの教科書「ブルネイの歴史」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
一九三八年、日本は「東亜新秩序」を宣言した。それは、日本が蒋介石政府
を打ち倒し、中国を手中に収めるためのものであった。また新秩序は、東アジ
アにおけるすべての西洋列強を排除することも目的とした。日本のスローガン
は「アジアのためのアジア」であった。
―――――――――――――――――中略――――――――――――――――
日本陸軍は、その後すぐ、その新秩序を宣伝し始めた。その新秩序は、日本
陸軍の宣伝が乱暴かつ横暴だったために、ブルネイの人々の歓迎を受けなかっ
た。クアラ・ベイトの住民は油田の労働にかり出され、村人は穀物の生産を強
いられた。彼らはまた、日本の軍事規律を無視したもの達に対して行われた大
量処刑を目の前で見せられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
46 :
名無しさんの主張:04/09/08 22:50
高等学校用「フィリピンの歴史」
フィリピンの戦いは、バターンとコレヒドールの陥落とともには終わらなかった。
ユサッフェの残軍は山に登り、ゲリラ活動を開始した。
ゲリラの数は、町や市の市民が加わったり、また隠れてゲリラになる者もいたので増え続けた。
日本軍の残極さ―特に地方での女性に対する邪悪な扱い―は、多くの市民がゲリラになる要因の一つであった。
ゲリラ活動の広がりを危険視した日本軍は、フィリピン市民に対して残酷さをいっそう加えるようになった。
おおくのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕えられ、サンティアゴ砦や、日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。
家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。
一般市民はゲリラに全面協力し、食料やお金を与えた。
市民はまた、ゲリラに兵力、兵営、武器、艦船の数など日本軍の状況を伝えた。
このためオーストラリアにいたアメリカ軍は、フィリピンのどこを攻撃しなければならないかがわかっていた。
フィリピン全土でさまざまなゲリラ・グループが発生した。軍人出身のゲリラ・リーダーもいれば、民間人のリーダーもいた。
(中略)
自由への道は長く険しかった。
オーストラリアのアメリカ軍は、日本軍の手に陥っていた島々を取り戻していった。
一九四四年九月、アメリカ軍は、フィリピンにいた日本軍に対し容赦ない砲撃をしかけた。
フィリピンの人びとはひそかに喜んだが、日本軍はフィリピン人の心まで征服することはできなかった