世間に従属する日本人の倫理――阿部謹也『世間とは何か』(講談社現代新書、1997年)より
「世間は排他的であり、敢ていえば差別的ですらある。自分たちが住む町に汚物処理場の計
画がたてられたときの反対運動を考えてみればその間の事情はよく解るであろう」という阿部
氏の指摘は、どこか山本七平氏の論調と似ている。山本氏も「日本の道徳は差別の道徳である」
と喝破していた。また、阿部氏の、世間の掟は「非言語系の知」であるとの指摘も、山本氏の
いう理屈を遮断する「その場の空気」と通じるものがある。
どうやら、この日本という国は、どこまでいっても「和をもって尊しとなす」国であり、世
間に迎合することを何よりの倫理規範としているようである。文中に述べられているように日
本人は皆、薄汚い世間の常識を盾に、正論であってもそれを平気で皮肉る「赤シャツ」の一味
と言ってもいいのだろう。
そういえば、日本歴史論を連作している井沢元彦氏(『逆説の日本史』著者)も、日本は太
古の昔から「和」の国であったし、「大和」という命名自体が「和」の重要性を物語るもので
ある旨語っていたように思う(『逆説の日本史』)。「和」国日本では、どうあがいても「個
人」なる概念は存立できないということなのだろうか。これから向かう国際社会のなかで、いっ
たい日本はどのような「名誉ある地位」(憲法前文)を得ることができるというのだろう。
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/nagao3/book1-3(abe).htm