◆程度が低い人の為の質問箱◆

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363名無しさんの主張
>>362
放送局側の都合じゃないのか?
普通に単独でインタビュー受けてるものもいくつもあるよ。
アルジャジーラのように大量に現地報道を流してるとこなら良く見る光景だ。
題材を絞ると、ある程度方向性に偏りが出る可能性はある。
特に日本だとアラブの報道は数自体少ないし。

内容的偏向を抜きにしても、例えば何人も個別インタビューした結果、多くの人間が同じような意見を述べていたとする。
であれば、それを象徴するようなカットを流すことでイメージ的に把握しやすいように演出することはある。
つまり、ある程度の集団の総意みたいなものを表現する絵があると都合が良いわけだ。
取材したことをあますところなく映像として配信するわけじゃないからね。

でも実際のところ、部族社会や地縁血縁社会で「本当の意味での個人の意見」なんてのを殊更強調して
報道する意味があるのかどうかも怪しいけどな。
個人主義社会へ移行できる素地があるのかどうかを判断するくらいの価値しかない気がする。
社会学的興味はあるが、実際のインタビュー報道としての価値はあまりなさげ。

集団主義社会ってのは、個人そのものに「集団の意思に従いたい」という気持ちが一定量ある場合が多い。
であれば、特定個人の「本当の意味での個人の意見」が仮に少数意見だったとしても、
それはその個人の本音の一部であり、かつ本音を否定する一部でもあるわけだ。
そこんところをちゃんと念頭に入れておく必要はあると思う。

一言でまとまめるなら、集団主義社会のある事象に対する一部の意見を抽出して報道する場合、
「本当の意味での個人の意見」なんてのは、むしろ偏向報道になってしまうということ。
反対に個人主義社会(の以下同文)であれば、個人の多様な意見を報道しない方が偏向報道になる。

もちろん稀にある分には興味深いけどね。俺もそういうのを見たくないわけじゃない。
ただ、あくまで海外のニュースだから枠に限度もあろう。
毎度それをやられると、今度は集団主義社会としての本音が垣間見えてこなくなる。
ま、要するに重要度の問題やね。