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あああB。。。。:
私は大阪市内の同和推進地区で育ちました。
小学3年の時に、レイプシーンから始まる狭山事件の映画を学校の講堂で
みせられ、中学では、友達のほとんどが正式に休みをもらい
東京に開放運動にいってきた感想をきかされるという
教育を受けました。
結果、社会に出てからも差別はいけないもの
I青年は無実と信じきって無我夢中で生き抜いてきました。
もちろん部落の友達が多く、
その文化が普通と思っていました。
しかし、子供ができてから、周り(友達環境)が序所にかわり
よくお人よしといわれました。
きづけばその部落の連中にだまされぱなしでした、
最後にはだまされるほうが悪いという言い草
でもまけずに、正義は必ず勝つとがんばり、
現在事業主として順調な日々を過ごしています。
後悔は上記の洗脳ともいえる教育のせいで、20年以上のロスを
してしまったことです。
いま思えば、DNAはもちろん、家庭内での子育てが、我々
一般の日本人とはあきらかに違うと確信します。
差別というのではなく、
そういう種族に対して、自己防衛のためにも区別すべきだったと反省しています。
そうすれば家族に負担をかけなくてすんだとおもいました。