☆偽善【戦争反対、死刑反対、堕胎賛成】矛盾?

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68人口中絶の歴史
1869年に明治政府が堕胎禁止令;富国強兵政策をすすめるため。
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1907年に現刑法に「堕胎罪」が規定される → 刑法では「堕胎ノ罪」で中絶は禁止。
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1948年「優生保護法」制定 (ナチスの遺伝病子孫予防法がモデル)
   「優生保護法」制定の主な理由: 敗戦後の「空前のベビーブーム」で人口抑制のため。
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闇の子捨てや中絶が頻発、「中絶合法化」を求める声が高まる
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人工妊娠中絶を許可する要件の中に、「経済的理由」追加
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出生抑制の成功・・・・・・・・・世界的にも類のない「人口学上の奇跡」
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優生保護法「改正」の動き・・・・理由:出生率低下のための労働力不足・民族の老化など。
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1965年「コロニー構想」を計画。労働力にならない障害の重い子を収容施設に隔離する施策。
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国立コロニーの林立 各公立小中学校に「特別養護学級」 が作られる。
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隔離された収容施設で「不妊手術」「断種」「子宮摘出」などが行われる。
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1974年 神戸市衛生局 「不幸な子の産まれないキャンペーン」
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ハンセン氏病施設内では患者絶滅政策のもとで、施設内で結婚する場合優生手術による
断種・堕胎が1992年(平成4年)まで続いた。
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1996年の改正 優生思想に基づく条文が削除。名称が「母胎保護法」へ変更。