>>242 ずいぶん遅レスになってしまいますた。
理由は大きく分けて二つあります。
ひとつは民主主義に背馳するから、と言っても平等・不平等という話ではありません。
7スレからコピペします。
『「私」というものがこの世界の中心に居る。で、この「私」というのは極めて利己的な存在でもある。
一方、この「私」と世界を共有し、「私」と同型的に世界の中心に居る「他者」が存在する。
「民主主義」というのは「私」が「他者」と共存するために、人類が最終的に考え出した方法であろうと考えている。
国家もそのための便宜にすぎない。
すべての権威の源泉はこの「私」に存在する。
憲法前文の「その権威は国民に由来し」とはそういう意味であろう
(国民というのが気に入らないがpeopleに相当する日本語が他にないからしようがない)。
だから外在的な権威なんてものは必要としない、
文化や伝統、歴史といったものもこの「私」に属しているのだから。
天皇なんて権威は要らんというのは以上の理由による。』
長レスになるから、もうひとつはまたネ。
>>280の続き
で、もうひとつの理由ですが、
これは天皇という存在が明治以来の中央集権・官僚支配体制の文字通り「象徴」としてあるからです。
これについても7スレからのコピペ。
『で、私が言いたいのは、天皇を地上から抹殺しろと言っているのでは当然ない。
私が求めているのは天皇という存在を国家の制度から除外すること、これだけ。
およそ明治維新以来この国は中央集権、官僚主導の政治がおこなわれ、
占領下を経てもその構造は変わりなく維持されてきた。
それは国家の未成熟な段階においては、効率的なシステムではあったが、
民主主義と相容れないばかりでなく、構造的にもはや破綻している。
ではどうするべきか、国家というものを
>>761で述べた「私」との関係から再構築するべきであると考えている。
(「私」にとってはしんどいことではあるけどね)
国家の権威が「私」に発するものであるのなら、外在的な権威たる天皇は必要でないばかりか、
中央集権的旧体制の象徴として、新たな国家認識の障害以外のなにものでもない。
私が不要とするのはおよそ以上の理由による。
この国の歴史・文化・伝統を尊重することにやぶさかではないが、
そのことと国家制度としての天皇とは何の関係もない。』