10 :
名無しさんの主張:03/05/13 14:34
>>8 >ロマンと書いたのは、単純に、無神論でもあまりに殺伐とした人生観では
>生きていけないと思うからです。
うん。
なんとなくわかる。
ただ、何故宗教ってものがここまで広まっているかを考えると、人間ってのは
やはり「不安」と対峙しながら生きてるからってのがある。
逆に言うとそれを解消できないと、無神論ってのは非常に苦痛を伴う。
ということで、
ロマン・・・不安を払拭できるだけの動機
と変換して考えてみた。
>個々人が無神論かどうかより、宗教による殺人を止められるような具体的対策が
>あるといいんですが。
民族・宗教・国家ってのは、紛争や戦争の三大要因だからなぁ・・・
これらの求心力をなくすためには徹底的な個人主義の拡大が必要になるが、
同時にそれは大きな不安の種を植えることにもなる。
そしてその隙間に新たな宗教や国粋主義者が割り込んでくるってなことの
繰り返しなんだよね。
結局のところ個人個人が精神的にタフになるしかない。
しかも他人からそれを言われるのではなく、自分でそれを掴み取って行くしかない
という気がする。
なので「ロマンのある世の中になるといい」ってな意見は人任せな気がするんだよね。
少なくとも日本にいりゃ現状でいくらでもロマンを感じられる生き方ができるわけだし。
まあ、だから日本には無神論者が多いんだろうけど。
>>8 確かに人任せな感じですね。抽象的だし。考えてみます。
16 :
名無しさんの主張:03/05/13 15:24
>>8 宗教の起源の様な物は数えるくらいだと思うんですが、それが各地域(国やもっと
小さいまとまり)に散って伝承された時に変わって行ったのでは無いのでしょうか。
同じ神を崇めていても宗派によって教えは驚くほど違います。これにしても伝承に
都合の良い解釈を付けてその時代や権力者の為に歪められた可能性もあります。
結局中東のの辺りは絶え間なく戦争をやっていた様な国々ですから「殺られる前に
殺れ」の様な教えが出来てきてもおかしくありません。大陸の大国なども例外では
無く結構過激。
既存宗教(特に大きな顔をしているキリスト教)
に潜むカルト的性格を見抜けない間は素人
> 人間が「自分達の欲望を満たしてくれる意味のある何か」を
> 設定することが宗教だ。
人間は基本的にをどこかに所属したい欲求を持っている。
宗教のみならず、民族・国家などのシステムは何処かに所属したい欲求を
満足させるシステム
さて、所属する欲求が叶えられると、他人とは少し上に立ちたい欲求が発生する。
このとき2つの選択肢が発生する。
・努力をして集団に認めてもらい、結果上に立つ。
・他の集団中傷することで相対的に自分が上に立ったものだと錯覚する
後者の方が前者よりも簡単なので、良く行われます。
宗教というシステム自身は悪ではありません。
問題はそのシステムを運用する人間側にあります。
多項式時間で解ける問題より解けない問題の方が
世の中には多いんじゃないかって気がする。
だとするとどういう風に合理性を追求しても、
場合分けの全てを網羅する以前に時間切れになってしまうわけで、
合理的に考えて理想を追求したにも関わらずうまく行かなかった責任を
人間の狂気や悪や宗教に責任転嫁するというのが
適応機制としては一番楽なんだよね。
>>18 宗教というシステム自身は悪ではないという点には同意します。
マザーテレサやガンジーのような生き方を構築できる人もいるからです。
ただ彼らとむしろ逆の宗教者が非常に多く、そういった者達が現実に
殺戮を実行しつづけています。
人間が世界に「意味」を付ける場合、結局ほとんどの者が
「自分達の<欲望>に都合のいいもの」を設定してしまうように思います。
そのためどうしてもテロやポアのような悲惨な発想を持つ人々を
排出しつづけてしまう。これが宗教の歴史だと思うわけです。
人間が欲望に弱い(それこそ、人間的な)生き物である以上、
人間のために「意味」があるものが存在すると
設定しつづけてはいけないのではないか。
人類は宗教をそろそろ卒業した方がいい時期に来ているのではないか、と思います。
>>19 確かに一種の責任転嫁だと思いますが、近年、あまりにも
宗教による死が多過ぎます。その理由を考えた場合、
曖昧にせずに直接「宗教そのものの孕む問題点」に対峙しなければならないと思います。
人間が暗い欲望を捨て去ることなどできるのか?ということを考えると、
それはムリではないか。だから、
その弱いわれわれ人間がわりきれないものに意味を持たせようとする
(宗教を信じてしまう)と、
どうしても悪を正当化する方向に流れていってしまうのでは、と。
合理的に割り切れないのが世の中だというのも分かりますが、
その「割り切れないもの」が人間にとって意味のあるものだと決めてしまう
(宗教にしてしまう)と、前述のように自分達中心の欲望を叶える何かを
設定し反対者を虐殺する人間が世界中に現れるのではないかと思います。
近年、実際に殺戮を実行している宗教者達のように、です。
その割り切れないものは自分達のためのものではない。それぞれに存在する、と。
人間それぞれ、民族それぞれがそれぞれに生きようとしている。
「自分達のための意味」を持ってそれらが存在していると思う
宗教という発想は、結局今後も多くの死を呼びつづけることになるのではないか
と考えます。
人類は、自然現象などがどう起こるのか分からなかった時、
それらに無理矢理人間に対する意味をつけて安心しようと宗教を生み出しました。
主観を離れて客観的にそれらを眺めることは無理でした。
しかし、さまざまな努力の結果、科学的、具体的な事象の説明がつくようになり、
どんな不思議なことでも、「人間中心の意味があって起こるわけではない」
ということが分かってきました。人類は宗教を卒業していい時期なのではないでしょうか。
何がしかの意味ということを追求して死を多く呼ぶ宗教より、
それぞれが生きることを一番とすることが、結局多くの人の幸せにつながると
思います。
22 :
名無しさんの主張:03/05/13 19:48
>>1 あなたもすでに宗教的狭窄に陥ってるよ。
世の中が割りきれるはずだ、という宗教。
>>1 世の中は割り切れないと思うんですが、その割り切れないものが
「自分達のための意味を持って存在する」と思う宗教者達が、
自分達中心の欲望に確信を持ってしまうことで
昨今の多くの殺戮を実行してしまっているのが現状だと思います。
確かに一種の極論かも知れませんが、あえて書きます。
人間は機械ではないから欲望に弱い。だからこそ、割り切れないものや
よく分からないものに「自分達のための意味」(宗教)を付けてはいけない、
それを一般化しつづけるとテロや酒鬼薔薇のような狂気を
助長しつづけるだけなのでは、と考えます。
24 :
名無しさんの主張:03/05/13 21:05
宗教団体と信仰がかけ離れている場合が殆ど。
神仏は置物にされ、生きている生身の教祖とか幹部が教義を好き勝手に解釈するし。
例えば、お釈迦様の生まれ変わりだという教祖が居たりするけど、
生まれ変わり(輪廻転生)を断ち切ったから仏陀になれたわけで、仏陀が生まれ変わったら仏教じゃないし。
まー、とにかく、宗教団体は信用しない方がよい。
25 :
名無しさんの主張:03/05/13 21:09
マジレス。
人間には「生きていくための自信」が無い。
そこを宗教に漬け込まれるのだと思う。
要は、生き方に迷った時「答え」与えてくれるものでは無いか?
>>23の意見に一部同意。
>自分たちの欲望に過信を持つこと
私は逆の発想で「神に依存すること」と思っている
26 :
名無しさんの主張:03/05/13 23:38
というか排他的なのは集団の特徴な。
宗教の「教義」と「集団」と切り離して、
その前者のみを自らの救いとすることができれば良いわけだが、
それでは各々の内面の域を出ないから宗教とは呼べないが・・・。
集団というやつは思想や考え方のみならず、
利害や血縁、安堵感、その他どーでもイイ認識さえも共有することで結束している。
彼らは力を欲っしているわけ。それをNPOと呼ぶのか政治団体と呼ぶのか、
或いは宗教団体と呼ぶのかは恣意的なもので、その境界も実に曖昧なものだ。
>>23 >自分達中心の欲望に確信を持ってしまうことで
>>25 >神に依存すること
結局その二つの丁度良い中間を取ったものが宗教なわけでしょ。
宗教の本質って言うか、1が言いたいのは
徳治主義が悪の根源なんだろ。
性悪説の法治主義という立場に立って
性善説で説かれている徳治主義を批判しているようにしか見えん。
宗教なくして善悪の基準をどう扱うかという俺の自論。
俺の考えた基準は、本当に心からいとおしく思える異性との間に生まれた子供が、
2・3歳になり覚えたての言葉で質問してきたときに、
真正面から正しいと言える事が善で、言えない事が悪だと思う。
それと神様は存在してはいけないとも思う。
神様なんて人間が創り出した完璧像だと思うから、
人や地域や時代によって求められる完璧像に違いが出てくる筈。
だから争いが起きると思うし、過激な儀式まで出てくるんじゃないかと。
そんな決められた完璧像よりなんか無い方が、
完璧さを求め模索する楽しみができて良いと思う。
>>28 1ですが、徳治主義などの言葉を調べて言われていることを
考えてみたんですが、いまいちよく分かりませんでした(すいません…)。
もしよければ、解説していただけませんでしょうか。他の分かる方でも。
>>30 実際くくりとしては大雑把かも知れません。宗教といわれるものにも
いろいろあるのは分かります。
僕が問題意識を持っているのは、何らか「超越したものの存在」を掲げて
殺人も正当化してしまうような教義を持った団体です。
現在、そういう組織が世界中に乱立した状態のように思います。日本でも
そういった要素のある組織が怪しい動きをみせています。
本音を簡単に言うとそういう人々に「なになにのお告げ」などと言われて
殺されるのはいやだ、ということです。人が殺されるのを見るのもいやです。
お告げだ預言だと言えばいろんな暴挙がうやむやに正当化されてしまう。
人間は欲に弱いので、どう律しようがそういう方向に洗脳される者が大勢現れる。
このスレでも指摘されている方がいらっしゃいますが力を欲して流されてしまう。
ならば、そういった超越的なものなど存在しない、とにかく命が一番だ、
宗教を簡単に信じるな、ということを啓蒙しあった方がいいのでは、という感じです。
>>28 >本音を簡単に言うとそういう人々に「なになにのお告げ」などと言われて
>殺されるのはいやだ、ということです。人が殺されるのを見るのもいやです。
実はですね、それと同じ性格の人間が宗教側にもいて、
ただその人達の心の中では、
「なになにのお告げ」ではない理由によって、意に染まない生活を「無神論者によって」強要されているわけです。
むしろその人達に取っては貴方こそが暴挙そのものなの。
だから貴方のやっている事は無神論と言う名の神を信じる宗教者としての、
他宗教への攻撃行為であるのだと(決して防衛行為ではないのだと)自覚して下さい。
それこそ昨今、宗教に対する防衛だと主張する戦線布告無しの奇襲攻撃行為が目立ちます。
まずは1さんに
>ならば、そういった超越的なものなど存在しない
などと言う奇襲攻撃行為を行う前に、
何が攻撃行為に当たるのか、
攻撃をする前に何を行わなくてはならないのか。
その事をきちんと学習するよう強く求めます。
ただし、きちんと文化的豊饒性や安全保障を守れるような技量を見に付けるには少なく見積もっても三代くらいの修練を必要とします。
これは東京と田舎の議論とも直結しますが、
宗教に関するスキルを失ったのは田舎から東京に出て来て旅の恥はかき捨ての暮らしを続けた様な方々の責任や無神論を獲得する時一緒に、宗教への判断力を捨ててしまった方々の責任が物凄く大きいのです。
私は貴方がこれまで何をやって来たのか知りません。しかし、貴方の書き込みを見る限り貴方には宗教に関して発言する資格がまるで無いように思えます。
誰が宗教で一体これまで苦労して来たと思います?その苦労も誠意も貴方は無視するのですか?貴方のやっている事は私には強盗のように思えるのです。
すみません。強盗と無自覚な奇襲攻撃とを同一視する事は出来ませんね。
でも宣戦布告抜きに戦争を始めるのは、
やっぱり私には受け入れがたい言い分なのです。
ああ…宣戦布告の意味を履き違えていた(恥)
「戦争に到るまでの外交交渉」に訂正しておいて下さい。
私も1さんと同じく殺されるのも殺すのも厭なんですが、
1さんの書き込みを見て怒りに我を忘れてしまいました。
>>32 貴方は、超越的なものが存在するとお考えだということでしょうか。
ここまでで返事をいただいた方のほとんどが無神論の方だったために
配慮が足りない書き込みをしてしまったかもしれません。すみませんでした。
貴方は恐らく、僕が最初にイレギュラーだと書いた、マザーテレサのような
平和主義の方なのでしょう。
もしできましたら、「三代くらいの修練」が必要であるという見積もりが
どこからでてきたのか、その根拠も教えてくださればありがたいと思います。
「東京と田舎の議論」というのもどこからでてきたのかよく分かりません。
それから、「戦争に到るまでの外交交渉」抜きの戦争といいますと、
具体的な代表例としては、
今年のブッシュ政権によるイラク攻撃を指すと考えてよろしいのでしょうか。
もしそうでしたら伺いたいことがあります。僕もこの攻撃には賛成できませんでしたが、
攻撃を指揮したブッシュ大統領は敬虔なクリスチャンだということです。
また、キリスト教国であるアメリカ合衆国の国民の大多数が彼の政策を
支持していました。無論全体ではありませんが、割合としては多数を占めていた
ということですね。彼らは宗教を信じているけども修練が足りなかった、
ということでしょうか。
宗教をしておられる方々の中にも貴方のように
平和主義の方は大勢いらっしゃると思います。
そういう方々ばかりになると素晴らしいと思います。
この日本の国はありがたい事に軍隊を持ちません。
軍隊のある国の事を言うのであれば、
戦争の反対は常に内戦であると言うのが歴史の教訓でした。
内憂外乱の間の綱引きこそが人間の自然な姿なのだと思います。
宗教が超越と言う時に意味しているのは、
その内憂外乱からの超越としての平和であると信じています。
1さんは宗教は外乱へと世論を引っ張るが故に悪であると、そう論じますが、
私は内憂へと世論を引っ張るが故に悪であると言う視点も、同時に持っているのです。
では宗教は内憂外乱の綱引きをより過激にして行くものなのでしょうか。
折角「神様」という全能者に祈りを捧げると言うのに、
内憂外乱の歴史から超越した、本当の平和への道のりを祈らず、
むしろ内憂外乱の綱引きを激化させる方向へと祈りを捧げると言うのでしょうか。
私はそういう宗教者を見た事はありません。
>>36 あ、はい。有難うございます。創価学会関連のお話でしたか。
大人げないことをしました。申し訳ありません。
とりあえず私も、色々な土地を見て回って経験を蓄えて、
頭でっかちにならないようにしながらきちんと、
眼差しだけは曇らせないようにしますので、
もしその結果、宗教が本当に悪だと思うようならば
必ず良心に沿って反宗教の立場に立つと思います。
ごきげんよろしく。
三代という根拠や東京と田舎云々と言う事に根拠があるとすれば、
経験の一言でしか誠実な答えにはならないと考えます。
そもそも、理詰めで言葉に表現できる範囲と言うのは
案外なくらい狭いものです。
ものごとを半分に分けて、そのどちらも同じ結論を導き出すような場合には
根拠と言うものを言葉にする事が出来るでしょうけれど、
ものごとを一万個に分けて、その全てが同じ結論を導き出すような場合には
根拠を論じる事が物凄く難しくなります。
そういう場合には、長い間に培った暮らしの経験を参考にすること無しに、
ただ頭であれこれとアイデアを出したとしても、
主観的短期的には改善に見えても、
客観的長期的にはただの改悪に過ぎなかった。
という事になり兼ねない部分もあります。
宗教を卒業して無宗教へと飛び立つのならば宗教者も本望ですが、
宗教への入学を阻害するような振舞では、単なる破壊活動に過ぎません。
>>38 タイトルは極端なので語弊があるようですが、
単純に「宗教が本当に悪だと思う」というよりも、
32さんのような方とは違う、過激派のような
宗教から殺人を正当化する人々を問題視しています。
最初に書いたように、マザーテレサのような方々もいらっしゃいますから、
宗教が良い方向に働くことも現にいろいろあると思います。
ただ、オウムや自爆テロのような事件が近年頻発しており、そういった時代を
リアルタイムで経験したため、宗教というものに対する疑問が生じたという形です。
しかし三代修練しないと語れないというのは難しいことです。2chの他のスレッドや
板でも学会関連以外でも宗教の話題がとりあげられていますが、三代の修練が
足りない方々が書き込んでいたら32さんがそれを全員見抜き、
注意してあげていただきたいと思います。理詰めでは不可能ですが、
32さんならできるかも知れません。それが実現した暁には
三代の修練の足りない僕でも考えを改めることができるかも知れません。
>>39 経験の一言でしか誠実な答えにはならないということですので、
せっかく32さんのような方がいらっしゃったのに
「言葉で議論する」
ことは難しいようで、非常に残念です。
僕のような若輩者が何をいっても「経験がない」とおっしゃられれば
そこでストップしますので。
それから、「宗教を卒業して無宗教へと飛び立つのならば宗教者も本望ですが」
というご意見ですが、それには僕でも多少納得することができます。
やはり学んでみてから批判するのが筋ですからね。
僕も学問の範囲としては宗教に関する「知識」は多少ありますが、
実際に入門された方か、三代くらい勉強された頭でっかちでない
宗教学者の方なら32さんと議論できたかもしれませんね。
>>1 「自分達の欲望を満たす」のが目的なのだから自分達に都合が良くて
居心地の良い物で無ければならないのでしょうね。その為には「邪魔
者は殺す」の信念があってもおかしくないと思います。
イヤな話ですが宗教と政治には密接な関係があります(日本には無い)
結局「権力支配の為に邪魔者を陥れる」の為に巧妙に使われている事
が多いのでは無いでしょうか。
マフィアが「力」で統制するのを宗教は「精神」から統制するって感
じでしょうか(過激な例えだったかな)。
>経験の一言でしか誠実な答えにはならないということですので、
そうですねぇ「経験」で得られるのは「頃合い」だと私は思います。
大抵の場合、答えは出ているはずなんですよ。でもそれに歯止めが
効かない、辞められないと言う状態に絶妙の頃合いで歯止めをかけ
てくれるのが経験だと。それが不十分だと流されます。
自分で心に杭を打つ事が出来れば別に良いんじゃないかな。
>>31 >僕が問題意識を持っているのは、何らか「超越したものの存在」を掲げて
>殺人も正当化してしまうような教義を持った団体です。
だからさー
国家とか民族も同じっしょ?
「自由」や「民族独立」を掲げて戦争起こしたりしてるわけで。
宗教だけ分離する意味がわからん。
太平洋戦争にしても国家神道という要因もなくはないが、どちらかといえば
大東亜共栄圏構想などの民族的な問題や国家主権の堅持が主軸にあったわけだし、
アメリカにしても宗教対立よりは自由・平和をスローガンとした動機付けを優先してるわけだ。
大体、宗教対立でアフガンやイラクを攻めたってのなら、何故北部同盟や
シーア派の反政府組織やクルド人を味方につけてるんだってことになるだろ?
国家・民族・宗教の三つは単独でその問題点を語ってもあまり意味はないと思う。
全て超越したものを掲げてる集合体なわけだし。
かといってそれの対極に位置するのはアナーキズムなわけで、国家や宗教の解体、
民族の離散が必ずしも平安を生むとは限らない。更に大きな不安の温床ともなる可能性を持っている。
無神論者ってのは鉄壁の意思で不安を押さえ込むか、逆に不安と仲良く共存できる人間でないといかん。
日本でカルト新興宗教が多く出現するのは無神論者の癖に不安に対しての
独自防御手段を持たない人が多いからではないか?
とか考える事もある。
でも日本以外の国でのカルト新興宗教の実情を把握してるわけでもないので
なんともいえないが。
>>41 そうですね…。
逃げかも知れませんが、無神論者が宗教を熱烈に信仰している人々を
説得するのは無理があるかも知れません。
アルカイダ、原理主義のような過激派の宗派に対しては、
同じイスラムで平和主義の方なら、もう少し話が通じるかも知れません。
現に、MSNか何かのニュースサイトの記事で、穏健派のイスラムの御老人が、
若者に、過激派に流れないよう話していく努力をされている、というものがありました。
その方が砂漠の町で、子供たちと手をつないで歩いておられる写真があり、
とても感銘を受けた覚えがあります。
>>42 確かにおっしゃる通りだと思います。
近年、さまざまな宗教の教団絡みの血なまぐさい事件が続いているため、
今回「宗教」という一つのカテゴリーに危惧を覚えた、という形です。
国家や民族、あるいは正義、唯物論など、どんな概念や主義主張も、
極端になれば危険ですしね…。自制が必要ですね。
それこそ41さんの言われるような「頃合い」といいますか、中庸がベストなのでしょう。
それから、生命を尊重するという感覚が、国や血や思想を越えて共有できるといいのですが。
これは理想ですね。
極端なタイトルを付けましたが、宗教を信じるとして、それが平和主義にとどまり、
信者の財産を不当に搾取したりしないものであれば全然いいと思いますし、
そういった方々なら批判する気などありません。
互いの人権を侵犯しない範囲であれば信仰は自由でしょう。
しかし、そうでないものが現に世界中に存在しています。
なぜ彼らが人を痛めつけることに意味があると思うかというと、
宗教というものそのものが悪いというより、信じている主体がほかならぬ
人間だからです。欲望に弱く汚い方向にすぐに傾く。それを正当化してくれる
宗教を信じる。それで人間が大勢死に、その信者達も死んでいく。
ハクを付けるために予言などを行ってみるが当たりなどしない。
理性の弱い人間が、何かに自分達のための「意味」を求めれば、
結局、汚い欲望を正当化してくれるような「意味」を信じることになる。
結果、実際に大勢の人間が死んでいく。
欲に弱い人間達が、物事に自分達に対する「意味」を求めることに「意味」はない。
>>44 >ハクを付けるために予言などを行ってみるが当たりなどしない。
この辺も怖い所で「当たらなければ当たる様にすればよい」なんて考え始め
られると取り返しがつきません。自分達の優位を守る為に彼らとしての生け
贄が必要なのでしょう。テロも大きな意味でそうだと思います。
新興宗教の類は「一般人も私達の教えで救ってあげます」と言う一見善良そ
うな考えの元に「自分の正義を押し売りする」感覚が強いです。自分が善を
成しているのに拒否するとは何事だ!って感じになっる。この辺神様や宗教
云々では無く既に人の業ですね。
それなりに有名な宗教に凝っている近所の方は
いいことを言う割に近所迷惑を省みない行動の多発。
路上駐車、近隣への日照を無視した改築・・・
どうも宗教に凝っている人は他人を批判するわりに
自分のことは身勝手な人が多い感じ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
49 :
さとし ◆canALgM1KU :03/06/02 02:31
宗教は悪という暗黒の中の光
AVのボディコン監禁物語みてそう感じた。
「前提を欠いた偶発性を受け入れ可能にすること」って宮台が言ってた。
>>46確かにそういうハイパーDQNはかなり存在しますな。
そういう人は単に自分のエゴに宗教という金箔を張ってゴリ押しているにだけ。
しかもそれでいながら、それに気付かず「他人に善を教えてやってるんだ」
ぐらいにふんぞり返ってますから、もはや現代医療では手の施し様が無い(w
そもそも宗教を語るには、ある一定の人間的レベルや品性が不可欠なのです。
これに欠ける者が宗教を手にした時、それはしばしば狂気(凶器)と化します。
現代人が、未だに天動説の次元にいることは危険だと思います。
僕も自分が絶対だとは思いませんが、殺戮や暴力で物事を解決しようとすることは
完全に間違っているということはよく分かっているつもりです。
「神様が存在し、救ってくださる」と信じるとして、
それが平和主義の宗教者の方々だけなら問題ないし、
むしろマザーテレサのような素晴らしい行動を行える人々さえ生まれるわけだから
いいことだと思うのですが、殺戮や暴力で物事を解決したいと望むような
根本的に間違った、悪に偏った人間も多いわけです。そいつらも
自分達のために神のようなものがいると信じると、現実に悲惨な行動を起こす。
地球は宇宙の片隅の本当に小さな天体の一つに過ぎないことがあらゆる形で
はっきりと証明されているのに、自分達の主観を中心に全てを解釈する。
解釈など誰にでもどうとでもできるものなので(MMRとか見るとよく分かります…)
結局殆どの人間が、単なるエゴを「神様のお告げ」だということにしてしまう。
祈祷とか錬金術の時代ではなく、科学者や医者達の何代にも渡る努力の結果、
現実的にいろいろなものごとが解析され、その恩恵を受けて我々は生活しています。
だから、自分達中心に解釈しようとしても必ず矛盾が生じる。結果、混乱するだけ。
平和主義を貫けるのであれば、自分達の欲望から一歩引いて物事を捉えることが
できるため、宗教はいい影響をもたらしてくれると思いますが、
理性の弱い人間は本当に多い。あくまで欲望を中心に勝手に世界を解釈する。
地球中心…というより人間中心、もっというと自分達の仲間内を宇宙の中心として
発想しているために、人を痛めつけて喜ぶという暴走に到っても
それが悪いことだと思うことがどうしてもできない状態になってしまう。
それがカルト宗教を狂信する人々だと思います。
誰にでも正しいところと悪いところがあるから、反省して改めていくということが
必要なのに、自分達が絶対だと思うと、殺戮に走っても仲間内で誰も止められない。
お告げ云々を理性の弱い大勢の人間が信じると単なるエゴの正当化にしかならない。
痛めつけることができればいいんだという下らない方向に簡単に落ちる。
そういう発想さえ形の上では正当化することができるというところが、宗教の
最大の暗黒面で、近年のテロ多発などはそれが増長していることの証明だと考えます。
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、._ _
,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u ´ ヽ ! !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ !
_/:::::::! ,,..ゝ! ゙! ヽ ' .゙! 7  ̄ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 / !、 ‐=ニ⊃ /! `ヽ" u ;-‐i´
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' / ヽ ‐- / ヽ ` ̄二) /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 ~" / ヽ.___,./ //ヽ、 ー / ゝ
.! \ `‐、. `ー;--'´ //イ;;::::: //〃 \ __, ‐' / / \
ヽ \ \ / / /i:::::. //  ̄ i::::: / /
ひっそり書き込んでおります。
キバヤシみたいなのが一人いるだけなら大きな問題にはならないと思うんですよ。
っていうかキバヤシは別に悪いことはしないし、一応。
ただ、真に受ける人々が大勢いると、暴走も起こる。
MMRとかムーとか読んで本気にして、そのままカルト宗教にスライドしたやつらも
世代的に大勢いると思うんですよね。実際に凶行に及んだ連中も。残念なことですけど。
少なくとも暴力による強制とか殺戮とかに向かう思想は(宗教でなくても)信じないように
しなきゃいけないんだけど、群集心理に陥ったりいつのまにか洗脳されてたりしたら
歯止めが効かなくなりますからね。56のみなさんのような状態がエスカレートして。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ