自由意志は存在するか?

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人間の行為を含めたあらゆる世界の事象が決定されており、
尚且つその内的な連関乃至は法則を洞察し得るならば、
こうした法則を洞察しえた者は今後世界に起こる事象に関して完璧な予言者のはずである。
しかし、世界のあらゆる事象を観測できないが故に、
そこに自由意志の存する余地があるように見える。

これは自由意志の消極的な肯定だが、
実は世界のあらゆる事象に関する法則を全て組み尽くしたと仮定しても
この法則を知った者は自由意志を持つことができると断言できる。

というのは、完璧な予言者は自らに今後起こる事も洞察しえているはずだが
自らのことを記した予言の中に「何時何分に夕飯を食べる」ということが含まれていて
彼がそれを知った時、
同時に彼はその予言に従わぬ自由を手に入れるからだ。

遺伝子が人間を規定するとして遺伝子の構造を発見していっても
我々は発見の進捗に応じて遺伝子を組替える自由を得た。

資本主義の内実を分析した結果、
革命が必然的に生じプロレタリアがヘゲモニーを握る世界が訪れる法則を洞察したと同時に
資本主義は生き長らえる方策(社民主義)を編み出した。

予言者が自らについて言及することは不可能ですね。
決定論はそれを唱えて証明する者の掌からから常にするりとすり抜ける。
しかも、予言の精度が上がれば上がるほど、決定論は退き自由の領野が拡大していく。

今問題なのはむしろ、
こうして限りなく拡がる人間の自由をどこで食い止めるべきか、ということかもしれないな。。