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木瓜@日の当たる場所で( ゚-゚)y-~~ ◆BOKE/2QAEY :
ある行為の動機をその動機自身を最終的な動機と考えずに他のものに還元する手法がある。
例えば、人を殺したいから殺してみたという動機を
社会学・心理学・精神医学・生物学などの様々な学問的見地から考察し
それぞれの分野に還元することがよくなされている。
これら諸々の考察手法は具体的な政策から教育法、さらには育児etc.に至るまで様々に役立てられ、
ある程度の効果を得ているようだ。
しかし、行為の最終的な動機を他のものに還元せずに
それ自身と向き合う考察手法があってもいいと思うし、
今それが最も欠けている考え方であるように私には思えてならない。
それはどのような考え方かを先の例を用いて言うならば、人を殺したいから殺すという者に対して
その動機を家庭や社会や脳の器質などに還元し対処するというのではなく、
「殺したい」と思っている者の動機と真正面に向き合い
「なぜ殺してはいけないのか」について説得を試み相互に納得しようとするということ考え方のことだ。
凶悪犯罪があるとテレビなどには精神科医や心理学者・社会学者がコメンテーターとして登場するが
私は彼らがマスコミに登場し重宝がられるという風潮に、時代の逃避を見る。
その逃避とは、
犯罪を犯した者の動機を他のものに還元することで彼らを「異常」という名の闇へと葬り
その動機と向き合わずに済むというという形でなされる逃避のことだ。
そしてこの「逃避」に表れるこうした時代の精神こそ
先ほどの諸学問が早急に考察すべき対象でもあるとも私は考えている。
但し、私は動機を他のものに還元する全ての手法・学問が不要だといっているわけではないので
そこのところを誤解の無きよう。。
というのは、脳の器質に問題があり会話が成り立たない者に対して
動機そのものと向き合い説得を試みるという方法だけに頼るのでは
期待される効果が極めて薄いからだ。
私が危惧しているのは、動機を他のものに還元せずに
むしろ説得や会話が望まれているものですらも
他のものへと還元されてしまうことだ。