鬱鬱鬱鬱日本て国はさ鬱鬱鬱鬱

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268官☆統制経済と「お上意識」 起
「官★に告ぐ!」1996年刊 ★本 政於 ★高 信 対談より

 <宮本> ・・・・厚生省の最大の問題は、自由競争を否定して医療行政を行っていることです。厚
生省は医療行政に関しては完全な統制経済、完全な一種の社会主義・共産制を敷いているんです。具
体的には医療費から薬の値段まで何もかも官僚が決めています。旧ソ連では牛乳ワンパック買うのに、
市民は三時間並びました。日本では病院に行くと三時間待ちの三分間診療でしょう。統制経済の非
合理性は、国民の時間を無駄に消費して、なお痛痒を感じないところにも表れています。農水省も同
じ穴のムジナです。新食糧法の施行で若干変化は出てきたかもしれませんが、国民は国際価格の5倍
ほどの値段で米を買わなければならない。小麦やトウモロコシにしても同様です。商品価格が市場原
理で動かない、これが統制経済の最大の問題ですよ。統制経済を敷く目的が弱者救済にあるならとも
かく、救済されているのは厚生官僚、農水官僚なんです。国民はろくに仕事もしない官僚の失業対策
のために汗水流して働かなければならないのです。
 <佐高> その統制経済の中に、大蔵省の銀行局と証券局も付け加えよう。
269官☆統制経済と「お上意識」 承:02/08/04 21:12
 <宮本> 神戸の検疫所にいたころ、大阪の製薬会社の人事担当者から講演を頼まれたことがありま
す。彼らが一番興味を示したことは「厚生省に自分たちの製品をうまく認可してもらうにはどうした
らいいか」ということでした。当時、すでに僕には「官僚批判をする官僚」のレッテルが張られてい
ましたから、僕が本音のところを話してくれるに違いないと考えたらしいのです。ところが左遷につ
ぐ左遷で、霞が関の中枢の情報はほとんど入らなくなっていました。ですから、代わりに官僚制度批
判をぶちました。その中で、厚生省の統制経済の弊害に触れ、「これからは厚生省も自由競争を基本
にした市場経済の中で医療制度を考える必要がある」と話したのです。そうしたら、製薬会社の人が
「宮本さんのご説はもっともだが、厚生省が何もかも決定してくれているおかげで、我々の業界も一
定の利潤が得られるようになっている。パイの奪い合いがないように厚生省は調整してくれているか
らだ。おかげでどの製薬会社も安定収入が得られている。だから統制経済も決してマイナス面だけで
はない」と言うのです。これは間違いなしにホンネですね。製薬業界は高値安定で利潤も確保されて、
それでいいかもしれませんが、そのツケをまわされるのは国民です。不必要な薬を飲まされ、副作
用で苦しむ。これではふんだり蹴ったりです。
 <佐高> 統制経済のデメリットの一つは、新規参入が制限されることですね。決められたパイの取
り分が減るのは嫌だから、旧来の業者たちも新規参入のハードルが高いことに反対しない。薬やコメ
の世界だけでなく、銀行や証券の世界もそうです。新しいライバルが登場する心配はないから、みん
な威張っていられるわけでね。私は、大蔵省でも厚生省でも農水省でも、官僚というのは業者や生産
者にとっての「歩行器」だと言っている。業者や企業が一人前になったら、自律歩行させるために外
してやらなければならない。なのに日本では歩行器自身が外れようとしないし、進む方向までも決め
ているわけです。
270官官☆統制経済と「お上意識」 転:02/08/04 21:12
 <宮本> そりゃそうです。官僚にすれば、国民が自分の意思を持って行動を取られたら困りますか
ら。自立心は外国の世界の話で、日本では「お上」に依存する、この心理状態から抜け出ないように
官僚は目を光らせています。
 <佐高> そういうことなんだね。歩くほうも歩行器にもたれかかるから楽なわけです。でも、それ
だと永久に自力では歩けませんね。
 <宮本> 日本の官僚制度の問題点を突き詰めていくと教育制度にぶち当たりますね。そこでどうし
て日本の国民は常に「お上」に依存するような体質になってしまったのか、これがこのごろ考えてい
るテーマです。まだ結論に達していませんが、どうやらその起源は江戸幕府にあり、明治になって「
お上」への依存体質がより強調されたように思うんです。明治23年に発布された教育勅語には、親孝
行から国法を守ることまで日本国民が実践すべき徳目がずらっと並び、さらに「いったん国が危険な
事態に直面したならば、一身を捧げて天皇の治世を助けなければならない」と国民のありかたまで説
いています。これは「国体」の基本精神ですが、これは要するに、日本国家のために国民は存在して
いるのであって、国民のために官僚制度があるのではないという発想ですよ。さらに、その発想の根
底には「国民一人一人に自立されては困る」といったホンネが隠されています。国民の間に独立心が
育ってしまえば、「国体」の精神などまたたく間に崩壊するからです。だから文部省を頂点とした教
育機関は、日本国民の中に独立心とか自由などの考え方が広まらないように努力してきたわけです。
その教育方針は敗戦を迎えても変化しなかった。だからこそ「過労死」などという民主国家としては
恥ずかしい現象が後を絶たない。
271官☆統制経済と「お上意識」 結:02/08/04 21:12
 <佐高> それはもう、はっきりそうでしょうね。ただ現代は「天皇のために」が、「お役所のため
に」「会社のためにと変わっただけでね。だから、宮本さんや私のように「国家の前に国民ありき」
という考え方は、明らかに危険思想なんですよ。それがなぜ官僚批判のテーマにつながるかというと、
責任の行方にかかわってくるからです。責任というのはやっぱり個人が取るものですね。しかし、
この国では個人を育てない。だから個人の責任を明らかにしないで、みんなで一緒に責任を負うこと
にする。みんなに責任があるということは、誰にも責任がないのと同じでしょう。つまり、ムラの調
和の中に個を埋没させて責任を雲散霧消させる。その体質が一番特徴的に表れているのが官僚という
わけです。
 <宮本> その通りですね。自立心や独立心が育っていない人間は、「個が確立」していませんから
どうしても傷つきやすい。そのような人たちが集まってできた官僚ムラでは、お互いに相手を傷つけ
まいとする配慮がどうしても働いてしまいます。そして「調和」を合言葉に一致団結し、みんなでム
ラを守ろうとする。だから日本中を騒がせるような不祥事を起こしても、結局、官僚ムラの中では誰
も傷つかないんですよ。・・・・